君の未来に花あれと
レオン誕生日記念(2023)


 過疎化の一途を辿る小さな村にとって、レオンは随分と久しぶりに其処で生まれた、新しい命だった。

 レインとラグナの結婚には、反対する人も少なくなかった。
ラグナは異邦人であったから、閉鎖的と言って無理もない環境で暮らしていたウィンヒルの人々にとって、良くも悪くも刺激が強く、特に年老いた人々にとっては、外の世界を良く知るラグナの存在は、余り良いものとしては受け取れなかったのだろう。
何せ、ウィンヒルの村での婚姻と言うのは、専ら村の内々で繰り返されている事だったのだ。
それすら、人がいなくなれば途切れてしまうものである。
そう考えると、レインとラグナが惹かれ結ばれたのは、小さな小さな村のある種の転機であると同時に、何れはその選択肢が必然となって然るべきものであったと言えるかも知れない。

 世界は様々な発展を各地で遂げていると言うのに、村はそれから取り残されたように、古くからの生活様式を変えない。
電気や水道、ガス等のライフラインは通ってはいたものの、同じ国の中にある首都デリングシティとは比べるべくもなく、夜ともなれば街灯もなく暗かった。
村の中と外を分ける柵は、手作りの木製の柵がぽつぽつと立てられている程度だから、バイトバグやケダチクは当たり前に迷い込む。
村の若者はそれを退治して、村の安全を守るのが仕事である者もいた。
村人の数がそれ程ない為か、自給自足はそれなりに出来てはいるのだが、電化製品や本や服飾品は村内では手に入る宛てがなく、数ヵ月に一度やって来る、行商人が頼りだった。
医療に関しては、村医者が一人。
大病や怪我を煩えば、手に負えなくなる事も少なくはなく、そう言う場合は、必然的に街へと搬送させるしかなかった。

 そんな小さな村にとって、ラグナは異質であった。
多くが村で生まれ、村で暮らし、死にゆくのが当たり前とされていたウィンヒルであるが、彼は外からやって来た人だ。
なんでも彼はジャーナリストを目指していて、それで方々を飛び回っている内に、悲惨な事故で大怪我を負い、偶々それがウィンヒルの近くであった為、緊急に搬送されてきた。
それだけの怪我をしているなら、本来なら街へと移送される筈なのだが、ラグナの傷がそれさえ出来ない程に酷かったのだ。
だから仕方なく、村人たちはそれを受け入れざるを得なかった。
同時に、搬送先となった家に住む女性が、面倒を見ることを厭わなかったのが決定打で、ラグナは傷が癒えるまでの間、彼女の世話になる事になった。

 数ヵ月の後、ラグナはすっかり快癒したのだが、その頃にはラグナは若い村人たちの輪の中で馴染んでいた。
治療の間、世話になった礼だと言って、魔物退治のパトロールに精を出す他、細々とした雑事も引き受ける。
機械の補修は、お手の物とは言い難いが、少なくとも村育ちの人々よりは長けていた。
世話になった女性が経営しているバーでも手伝いをして、其処はウィンヒルの人々にとって憩いの場であったから、それを通じて村人たちともいつの間にか交流を深めていたのである。
だから、自分の家から出ることの少ない老人たちはともかく、村人の半分程度は、ラグナを悪いようには思っていなかった。
───それは、異邦人であるから、村にいるのは今だけの客分であるから、と言う意識もあったからだけれど。

 その内に、ラグナとレインは惹かれあったのだ。
ジャーナリストと言うだけあって、あちこちを見て回っていたラグナの話は尽きず、レインはよくよくそれを聞いて笑っていた。
ラグナの話は身振り手振りと、本人の賑やかな話様もあって、大袈裟なものだと誰もが思っていたが、ラグナが嘘を吐く性質ではないのも知られていた。
何より、彼は随分と楽しそうに喋るのだ。
翠の瞳をきらきらと輝かせ、あれがこうで、これがああなって、と次から次へと沸く話の泉は、どれも色鮮やかだ。
そんな世界を飛び回っていた男の存在は、小さな村で生まれ暮らしていたレインにとって、とびきり刺激的だったに違いない。
……それは、二人の様子を見ていた村人の、聊か嫉みの混じった印象であるが、全く否定できるものでもなかっただろう。
そんな風にきらきらと輝く瞳にこそ、レインは確かに、惹かれたのだから。

 レインは、ウィンヒルの人々にとって、かけがえのない人だった。
花を慈しみ愛でながら、夜には小さなバーを開いて、村人の他愛のない話を聞きながら笑ってくれる。
それは特別でも何でもない、日常の光景であったが、蒼の瞳を細めて笑う彼女の顔は、其処に集まる人々にとって唯一無二のものだったのだ。
ああ、この笑顔が、いつまでもいつまでも在れば良い。
誰もが口にせずとも、そんな願いを抱いていた。

 そんなレインとラグナが結ばれると言うのだから、村人たちにとっては一大事だ。
皆が愛するレインが、たった一人の男のものになる。
それも、何処から来たのかも知れない、転がり込んできた異邦人だ。
ラグナは決して悪い人間ではないが、平穏すぎる小さな村には、この変化の風は余りに強かったのだ。
年老いた人々は、よく考えなさいとレインに口酸っぱく言ったし、ラグナと親しくしていた若者衆でさえ、諸手を上げる事は出来なかった。
だが、レインの気持ちを蔑ろにして良いと言う者もいない。
何より、気立ての良いレインが存外と頑固な性格である事は皆もよく知っており、余りに露骨に反対ばかりを訴えれば、彼女が村を出て行ってしまう可能性もある。
つまりは、駆け落ちだ。
そこまでせずとも、レインとラグナの結婚を反対する者の中には、彼の男と結ばれる事こそ、レインがウィンヒルからいなくなってしまう事を指すと考えていた者も少なくない。
ラグナが村の外からやって来た事を思えば、それは十分に考えられる事で、それこそ村人たちは望まなかった。

 結局の話。
レインとラグナは結ばれて、共にウィンヒルの村に残った。
ジャーナリスト等と言うものを目指していた男が、そんな言葉とは縁も掠りもしないような村に留まる道を選ぶなど、誰が予想していただろう。
ラグナと結ばれることを選んだレインでさえ、その事には驚いた。
とは言え、多くの人が望む形で、円満に、二人が夫婦となったのは確かと言えるのだろう。

 それから一年となく、レインは子供を授かった。
出生率など考えるまでもなく、村に生きる者の顔触れなど何年も変わってはいなかったから、本当に、本当に久しぶりのことだったのだ。
体調の変化から診て貰った村医者は、若しかしたらと言う可能性に気付き、一度街に出て調べるようにとレインに言った。
ラグナの手引きで、最寄の街まで連れられたレインは、其処で妊娠していると言う事がはっきりと判った。
その話を持って村へと帰れば、話を聞いた村人たちは、誰もが目に涙を浮かべて祝福していた。

 嘗ては村に産婆もいたが、子供が生まれなくなって久しくなっていた事もあり、レインの出産は街の病院で臨む事になった。
ラグナは早い内に入院の手続きを済ませ、妻が臨月となる頃には入院させた。
ちょっと気が早いわよ、とレインは言ったが、村にいてはレインは自分の仕事をしたがって大人しくはしていられなかったし、村人たちも良かれと思って気を回してくれるから、ラグナはじっと落ち着ける場所にいた方が良いと思ったのだ。
結果としてはそれが一番良かったもので、レインは無事、待望の男の子を生む事になる。
産後の経過は一時危ぶまれもしたものの、医者の適切な処置と予後のお陰で、一月後には母子共に、ウィンヒルの村へと帰る事が出来たのだった。

 子供は小さな村ですくすくと成長し、もう直ぐ三歳を迎える。
赤子の頃にはよく泣き、よく主張する所もあったが、段々とそれも落ち着いて、存外と周りの空気を呼んでいる節も見られるようになった。
我儘を言えるタイミングをまるで理解しているかのように、母がちょっと手が空いた時だとか、父が休憩した頃を狙って抱っこをねだる。
ラグナは、子供ってもっとやんちゃだと思ってたなあ、と言ったが、これについては数年の後、改めて知る事になるとは露とも思わぬ話であった。



 裏庭の花畑は、レインが毎日のように丹精込めて世話をしているもので、そのお陰で年中を通して様々な花が咲いている。
ウィンヒルは自然豊かな村であるから、何処に行っても花畑の姿は目に付くが、特に手を入れられている事もあって、やはりレインの花畑が一等綺麗だと評判であった。

 最近はその手入れをする際に、彼女の傍らに小さな子供の姿がある。
照る日差しからその柔肌を守る為、頭に小さな麦わら帽子を被った子供は、レインの一人息子である。

 拙い舌で言葉数も増えた今、レオンは母の手伝いをすることに執心のようだった。
家の中を掃除したり、食事の用意をしたり、バーに出す料理の仕込みをしているのを見付けると、ぼくもやりたい、と言い出すのだ。
まだまだ幼い彼に頼めることは幾らも多くはないけれど、やりたい、やりたい、とエプロンの裾を引っ張って根気よく強請られるので、レインも些細なことを頼むようになった。
手付きも当然拙いものであるから、後でさり気無くやり直す事はありつつも、あれこれと真似をしたがる子供の成長は嬉しいものだ。

 レオンは今、子供用の小さなスコップを使って、花の根元に肥料を撒いている。
倉庫から運び出して来た肥料袋の中から、スコップでそれを一掬いし、花壇の端から順番に、草木の根元に配って行く。
時折もこもこと動く土を見付けると、小さな指でちょいちょいと穴を掘り、


「かあさん、ミミズいた」


 幼さの怖いもの知らずか、元より平気な性質なのか、レオンは小さなミミズを摘まんで、隣で草取りをしている母に見せた。
ミミズが土にいるのは、土壌が柔らかく肥えている証拠であり、これからもその栄養素を循環させてくれる働き者だ。
レインは、ぷらぷらと体を揺らすミミズをしげしげと見つめるレオンに、くすりと笑みを零して、


「ミミズがいるのは良い事よ。きちんと土に返してあげてね」
「うん」


 言われた通り、レオンはミミズを土に返し、その上に優しく土を盛った。
姿が見えなくなったミミズは、きっといそいそと土の奥へと潜って行くのだろう。
既にレオンは別れたミミズの事は忘れ、次の肥料を袋から掬い出している。

 一つの事に集中するのに向いているらしいレオンは、赤らんだ頬にじんわり汗粒を流しながらも、気にも留めずに花の世話をしている。
レインは首にかけていたタオルを取って、息子の名を呼んだ。
きょとんとした顔で見上げて来るレオンの頬を、タオルが柔らかく包んで拭いてやると、レオンはむぅと唇を尖らせる。
大人しくしている間に、首元の汗もしっかりと拭いてやった。

 母子でぽつりぽつりと細やかな会話をしながら、花壇の世話を続けていると、


「おーい、レオンー」


 家の方から呼ぶ声を聞こえて、レオンが顔を上げた。
レインも一緒に振り向くと、家の裏口の前に、長い黒髪の男性が立っている───レインの夫であり、レオンの父である、ラグナだ。


「とうさん!」


 レオンはスコップを持ったまま、ぱたぱたとラグナの下へ駆け寄る。
土塗れの手を気にせずに抱き着いて来るレオンを受け止め、ラグナは母に似た濃茶色の髪をした頭をくしゃくしゃと撫でた。


「パトロール、おわった?」
「うん、終わった終わった」
「ぶんぶんとぶちゅぶちゅ、いっぱいいた?」
「ぶんぶんは一杯いたな!今日はぶちゅぶちゅはいなかったよ」


 村の中と外の境界線が曖昧なお陰で、魔物は平然と迷い込んで来る。
それを追い出したり、退治したり、とにかく居着かないようにと排除するのが、ラグナの仕事だった。
レオンは時々、そんな父の手伝いもしたいと言うのだが、流石に二歳児に魔物と戦わせる訳にはいかない。
だから代わりに、ラグナがパトロールから戻った時、どれ位魔物を倒したかと言う報告を、レオンが貰う事になっている。

 レインも草取りの手を終えて、父子の下へ向かう。
裏口の傍に設けた、ホースを取り付けた立水栓の蛇口を捻れば、冷たい水が出て来た。
レオンに手を洗うように促すと、彼も自分の手がすっかり茶色くなっていた事に気付き、流水で両手をこしこしと擦りあ合わせて泥を落とす。
手の甲についている土もきちんと落としてから、レオンは濡れた両手を父母に見せ、


「きれいになった?」
「なったなった」


 ラグナがポケットからハンカチを取り出して、レオンの両手を拭いてやる。
よし、とラグナが頭を撫でると、レオンは両手を伸ばして抱っこを強請った。
ラグナはレオンの両脇に手を入れ、ひょいっと高く持ち上げてやる。


「あはは」
「重くなって来たなあ、レオン。でっかくなってるもんな〜」


 しっかりと父に抱き締められて、無邪気に笑うレオンの頭を、くしゃくしゃとラグナの大きな手が撫でる。


「そうだ、レオン。ちょっと今からお出掛けしないか」
「おでかけ?」
「ああ。ウルクのおっちゃんが、本とかオモチャとか、新しいものを運んできてくれてるんだ。見に行かないか?」


 ラグナの言葉に、レオンの目がきらきらと輝いた。

 ウルクと言うのは、このウィンヒルを出身として、若い頃に村を出たものの、商売人となって折々に村に戻って来てくれる男だ。
街から遠く離れた山間にあるウィンヒルは、真新しいものとは無縁の環境であるが、こうやって外のものを運び込んで来てくれる人がいる事で、某か新しいものに触れる機会を得ている。
特に最近は、レオンが生まれたと言う事もあって、子供向けの本や玩具などを仕入れて来てくれるから、親子にとっては有り難いものであった。


「いく。いきたい!」
「よしよし、じゃあ行こう」
「かあさんは?」


 父に連れて行ってもらうのは当然として、母はどうするのだろう、と息子はレインを見上げた。
くりくりと丸い蒼の瞳は、一緒に行きたい、と言っているように見えるが、レインは目線の高さを合わせると、眉尻を下げて笑んで見せた。


「母さんは、お昼ご飯の準備をしているわ。だから、お父さんと行ってらっしゃい」
「うん」


 レオンは少しばかり残念そうにはしたものの、素直に頷いた。
母とのお出掛けはできなくても、今日はついさっきまで、一緒に花の世話をしていたのだ。
一緒に過ごす時間としては、一先ず満足しているようである。

 まだ幼いレオンにとって、その行動範囲と言うのは然程広くはない。
村は小さなものではあるが、彼の足で行ける距離は、それよりも更に小さなものだ。
まだ二歳と言う年齢は勿論、迷い込んで来る魔物の事もあるから、一人で何処かに行かせる訳もないし、自然と母や父の下で日々を過ごしている。
それでも、目新しいものと言うのはやはり心が惹かれるもので、数ヵ月、多くて一ヵ月に一回の頻度でやってくる行商人は、幼い彼の楽しみの一つになっていた。

 行ってらっしゃい、と手を振る母に見送られ、レオンはラグナと共に家を出発した。

 ラグナと手を繋いで、通い慣れた石畳の道を歩く。
父の魔物退治のパトロールが終わった後は、安全が確保されている事もあって、よくこうやって散歩に出ている。

 今のウィンヒルで子供と言えば、ラグナとレインの婚姻を切っ掛けに、その後を追うように結ばれた夫婦の下で生まれた子供しかいない。
外で遊べる年齢の子供と言うのもまだ少なく、村の中でよく見かける子供と言ったら、一番年上になるレオン位だ。
だからレオンが外を歩いていれば、自然と村の人々の目に留まった。
気になるものにふらふらと歩み寄ってしまう幼子を、ラグナは危ないものには近付かないようにと宥めつつ、息子の興味の好きなように過ごさせている。
余り元気に駆け回る性格ではないものの、好奇心旺盛で物怖じしないその様子は、見守る大人たちに微笑ましさを感じさせていた。

 村を巡る道はそれ程数は多くはないが、幾つかの分かれ道になっている場所もある。
その交差点の位置に、行商の車はいつも停まっていた。
店舗やテントを開く程の必要もなく、元は軍の払い下げだと言う小型トラックがそのまま店棚として使われ、座席や荷台に商品が並べられている。
それを遠目に見付けたレオンが、父の手を引きながら早く早くと走り出した。


「とうさん、はやく!本がなくなっちゃう」
「だいじょーぶだって、ほら、転んじまうぞ」


 今はまだ、レオンのような小さな子供が欲しがるものを、他に欲しがる人はいない。
そうとは知らないレオンは、もたもたしていたら欲しいものがなくなってしまうと、真剣に訴えていた。

 車には他の村人も集まっており、めいめい自分の欲しいものを注文している。


「ああ、この軟膏。助かるわ、もう直ぐなくなりそうだったの」
「260ギルだ。毎度あり」
「このスパイスは初めて見る色だな」
「それはドールで最近流行なんだよ。試しに仕入れてみたんだ。ちょっとピリッとするぞ、酒のアテに良い」
「ねえ、この布を頂戴な。それから糸も」
「薬はあるかい?咳止めに使っていたのが尽きてね。それから、湿布と……」


 それぞれに生活に必要なものを求めて、村人たちは賑やかだ。
其処にレオンがやって来ると、ああ来た来た、と皆が頬を綻ばせて道を開けてやる。

 レオンは荷台に寄り掛かっている男───行商の店主であるウルクを見上げて、


「こんにちは!」
「おう、レオン、こんにちは。今日も待ってたぞ」


 母の躾は行き届いていて、きちんと挨拶をする幼子に、ウルクはくしゃくしゃとその頭を撫でて歓迎する。
それから、ウルクはちらとレオンと手を繋いでいるラグナを見た。
髭を蓄えたウルクの口元が、心なしか尖っているが、ラグナがへらりと笑って見せると、はあと溜息一つを漏らして解くのみであった。

 レオンは早速自分の気になるものを探して、車の座席を覗き込んでいる。
其処には小さなコンテナボックスが一つ置かれ、玩具や絵本が詰められていた。
それは一年前から、レオンの為だけに仕入れた品が並べられる場所で、実質、彼専用の商品棚だ。
レオンは木製の玩具の一つを手に取って、しげしげと眺めたり、くるくると回したり、別のものに持ち替えてはまた眺めたりと繰り返している。


「どれでも好きなの持って行って良いんだぞ、レオン」


 ウルクの言葉に、レオンは顔を上げるも、んん、と唸って後ろで見守る父を見る。
本当にどれでも良いの、と訊ねるように見つめる瞳に、ラグナも村人のその心意気は嬉しく思いつつ、


「そうだなぁ……じゃあ今日は二個。二個まで、どれでも良いぞ」


 指を二本立てて言ったラグナに、レオンはぱあっと目を輝かせた。


「2個?2個いい?」


 一個じゃなくて、と確認するレオンに、ラグナは頷く。
それをウルクがじとりと睨むが、ラグナは眉尻を下げて、


「レインに怒られちまうからさ。なんでもかんでも際限なくあげてちゃ、レオンの為にならないって」
「……ま、それはそうだな」


 レオンの母であり、村人たちにとって愛して已まない人がレインだ。
その彼女から、子を想う親として真っ当な指導を告げられれば、誰も反論は出来ない。
父親であり、レインの夫であるラグナの言葉に、ウルクは溜息を洩らしつつ降参した。

 レオンはウィンヒルの人々にとって、久しぶりに生まれた子供だ。
小さな村では、その存在はあっという間に知られ、今では村人たちが皆でレオンの面倒を見ているようなものだった。
それもあって、ついつい村人たちの多くは、レオンに対して甘くなり勝ちである。
レオンは決して我儘が激しい訳でもなく、あれもこれも欲しいとおねだりをする事もないけれど、やはり一度手にしたものが気に入れば、手放すのは嫌になるものだった。
最近は言い聞かせれば理解をする仕草も多いのだが、一度でも与えたものを、これはもう駄目と取り上げる時の、悲しそうな顔と言ったら。
それも躾の過程にあるものだが、やはり無垢な子供の泣き顔と言うのは、大人達の情に訴えるには十二分な効果を発揮する。
それがまた村人たちがレオンを甘やかしてしまう事にも繋がってしまう為、レインは重ね重ね、息子の躾にはきっちりと厳しい線を作るようにしていた。

 大人達のそんな遣り取りなど、子供は何も知らないまま、レオンは一所懸命に何を買って帰るか悩んでいる。
玩具も欲しいが、前に店が来た時に買って貰ったし、最近は本を読むのが楽しい。
レオンはまだ文字をそれとして読んではいないが、毎晩、枕元で父や母に絵本を読んで貰う時間が好きだった。


「うんと、えーと……じゃあ、これと、えーと、これ!」


 そう言ってレオンが手に取ったのは、木組みのパズルと、一冊の本。
魔獣クァールを主人公にした絵本は、可愛らしくも雄々しい獣の物語が描かれている。


「幾らだ?」
「1800ギル。だが、1500ギルにしといてやろう」
「そりゃ助かる」


 まけてくれると言うウルクに、ラグナは感謝しつつ、ポケットから裸の紙幣を取り出した。
ウルクは代金を受け取ると、レオンの選んだ商品を紙袋に入れつつ、


「こいつはオマケだ。さあ、持って帰りな」
「?」


 ウルクはコンテナの中から、もう一冊、本を取り出した。
きょとんとした表情のレオンの前で、紙袋の中に本を入れてやる。
それを見ていたラグナが、弱った表情でウルクを見た。


「んぁ、二個って言ったのに」
「良いだろう、これは俺が個人的にレオンにやりたいんだ」
「俺がレインに怒られちまうよ。また甘やかしてって」
「普段レオンを一番甘やかしてるのはお前さんだろう。良いじゃないか、今日くらいは。それに、そろそろこう言うのも判る年だろ」


 こう言うの、と言って、ウルクは紙袋の口を広げて見せる。
父子がその中を覗き込むと、オマケと言って入れられた本の表紙が見えた。
子供にも読み易いようにか、大きくシンプルな自体で綴られた表紙タイトルを見て、ああ、とラグナも悟る。


「成程な。判った、これなら今日はしゃーねーわな」
「だろ?」
「なに?これ、なんの本?」


 レオンは紙袋から本を取り出して、表紙を見ながら首を傾げた。
ラグナは直ぐに教えても良かったが、折角だからと勿体ぶって見せる。


「夜になったら読んでやるよ。母さんと一緒に読もうな」
「うん」


 内容を教えて貰えない事に、レオンは特に拗ねる様子はなかった。
今判らなくても、今夜読んで貰えるなら、それまで楽しみにしていれば良いと思ったようだ。

 本を紙袋の中に戻して、封をセロハンテープで止める。
それをしっかり腕に抱いている子供を見て、もっと良い包装紙を探して来れば良かったな、と男が思っている事を、レオンは知らない。

 買い物を終えたレオンが、村人たちから「何を買ったの」「良いものはあったか?」と声を掛けられている。
レオンはそれに頷いて返事をしながら、父が買い物を終えるのを待っていた。
ラグナは薬箱の中身の補充に、レインが包丁用の砥石が欲しいと言っていたのを思い出して、それらを購入する。
毎度あり、と手を振るウルクに、また宜しくと言って、店を後にした。


「レオンー、帰るぞー」
「うん。おじさん、おばさん、ばいばい」


 手を振るレオンに、囲む村人たちも、「ばいばい」と手を振った。
見送られる視線を感じるのか、父に手を引かれながら何度も振り返る幼子を、皆が一様に柔い瞳で見送る。

 母のカフェバーで流れていたラジオで聞いた歌を、レオンは舌足らずに歌う。
ラジオは子供用のチャンネルも配信されているが、店を経営している事もあって、余りそのチャンネルには合わされない。
だからレオンが覚えている音楽と言うのは、都会の流行のものばかりで、偶に子供らしくない歌詞が出て来る。
遠く離れた恋人を思うラブソングなんて、幼い子供には意味も情景も判らないだろうから、耳で覚えた音節を無邪気に繰り返しているのだ。
その内、歌詞が判らない所に来ると、フンフーン、と鼻歌になる。
所々でラグナも一緒に歌ってやれば、レオンは嬉しそうに笑うのだった。

 家へと向かう道の途中に、沢山の花に囲まれた家がある。
母の花壇は地植えのものが殆どだが、その家を囲んでいるのは多くが植木鉢だ。
大小様々な草花を植えたそれの傍に、如雨露を片手にゆっくりと歩く老婆を見付けると、レオンは父と繋いでいた手を解いて駆け寄る。


「クリスばあちゃーん」


 老婆の名前───クリステールを呼びながら、レオンは彼女の家の傍の柵に飛び付いた。
柵はまだレオンの身長では乗り越える事は出来ないが、下を潜るのなら簡単だ。
三歩も行けば柵は途切れているのに、わざわざ狭い所を通りたがるのが、子供ならではと言うものか。

 クリステールは愛しい愛しい幼子がやって来たのを見て、嬉しそうに皺の浮かんだ頬を綻ばせる。


「いらっしゃい、レオン。遊びに来てくれたのかしら」
「かいものしてきたんだよ。ほら、これ、かってもらった!」


 レオンは腕に抱えていた紙袋をクリステールに見せた。


「あらあら、今日はウルクが来ているのね。私も後で行かなくちゃ」
「皆もいたよ。ばあちゃんも早くいかないと、お店がなくなっちゃうよ」
「ええ、お花の水遣りが終わったら行きましょうかしらね。レオンは、今日は何を買ったの?」
「パズルと本!本はね、ウルクのおじさんが、オマケしてくれたのもあるよ」


 レオンは紙袋の封を取って、ほら、と言って中身を見せる。
クリステールはその中身を覗き込んで、あらあら、と言った。


「レオン。ウルクに貰ったのは、どの本?」
「こっちだよ」


 レオンはウルクがオマケだと言って袋に入れてくれた本を指差した。
それを見たクリステールは、「そう、そうなの」と面映ゆそうに目を細め、レオンのまろい頬を優しく撫でる。


「そう言えば、もうそんな時期ね」
「?」


 感慨深く呟いた老婆に、その意味が判らないレオンはきょとんと首を傾げる。
ふわふわと揺れる濃茶色の髪に、老婆の細く皺のある手櫛がゆっくりと梳き流れて行く。


「レオン、ちょっとだけ、待っていてくれるかしら」
「うん」


 買い物も終わって、後は家に帰るだけのレオンだ。
直に昼食の時間になるだろうから、母が手料理を作っている頃だと思うけれど、慌てて帰らなくてはと言う程でもない。
ちょっとなら平気だよ、と言うレオンに、クリステールも頷いて、如雨露を手に家の中へと入って行った。

 レオンは父の下へと戻り、


「クリスばあちゃんが、ちょっと待っててって」
「そっか。うん、じゃあ待たせて貰おうな」


 父の許可も貰って、レオンはクリステールの家の前で、興味のあるものを探して首を巡らせる。
やはり目に付くのは、クリステールが丹念に育てた、沢山の鉢植えだった。
母の花畑には小さな植物が植えてあるのに対して、此処にはレオンの身長よりも大きなものも置いてある。
自分との身長差を確かめるように、鉢の横に立って背比べをしている息子を、ラグナは微笑ましく見守っていた。

 クリステールの家の庭は、沢山の植物に囲まれているのだが、家の中もそれは同じだった。
昔は此処で花屋もしていたと言うから、その名残もあるだろうし、クリステール自身が花が好きなのだろう。
嘗てはレインも、彼女から花の育て方を教わった事があるらしい。
師匠と弟子って奴だな、とラグナが言った時には、そう大層なものでもないけどとレインは笑った。
どちらかと言えば娘みたいに思われていたわね、と彼女は言っていたから、それを思うと、クリステールにとってレオンと言うのは、孫にも等しい存在なのだろう。

 レオンは、植木鉢を眺めたり、地面に行列を作っている蟻を見たりと、退屈しのぎには事欠かなかったようで、待つのを厭とは言わなかった。
辛抱強い子なんだろうな、とラグナが思っていた所に、家のドアが開いて、クリステールが戻ってくる。


「ごめんなさいね、待たせてしまったかしら」
「ううん、へいきだよ」


 詫びるクリステールに、レオンはふるふると首を横に振った。
クリステールは嬉しそうに微笑んで、その手に抱いていた花束をレオンに差し出す。


「はい、レオン。私からのプレゼントよ」
「プレゼント?ばあちゃんから?」


 なんで?と首を傾げるレオンであったが、差し出された花は素直に受け取った。
色とりどりの花束は、レインが好きだと言う小さな花を中心に飾られつつ、アクセントに緑もバランス良く添えられている。
このまま花瓶に飾る事も出来るだろう。

 それから、とクリステールは腕にかけていた花輪を、レオンの頭に乗せてやった。
ぱさりと頭に乗ったものに、感触だけは判るのだろう、蒼の瞳がぱちぱちと瞬きをして、目だけが頭上へと向かう。
しかし頭の上に乗ったものはそれでは判らなくて、レオンは不思議そうな顔をしながらクリステールを見上げた。


「なあに、これ」
「お花の冠よ。レオンに似合うと思ってね」
「にあう?」
「ええ、とっても」


 眩しそうに瞳を細めて笑うクリステールの言葉に、レオンは丸い頬を赤らめて嬉しそうに笑う。
似合っているなら良いや、と花冠を嫌がることもなく、父の下へと見せに行く。


「とうさん、みてみて。クリスばあちゃんの花のかんむり!」


 チョコレートのような濃茶色の髪に、クリステールの被せた花冠はよく似合っていた。
トリフォリウムを主にして編みながら、その隙間を埋めるように、ブラシカやリラが切り花にして飾られている。
綺麗に作れるものなんだなあ、と自分が細々とした事には不器用であると自覚のあるラグナは、つくづく感心していた。

 ラグナは花冠を乗せたレオンの頭をぽんぽんと撫でて、


「良かったな。お花も一杯貰っちゃって」
「うん。クリスばあちゃんのお花はきれいだから、かあさんがよろこぶよ。かえったらかざっていいよね」
「ああ。花瓶を選んで貰おうな」


 クリステールに花の世話を教えて貰ったレインは、勿論、生け方や飾り方もよく知っている。
彼女のバーに飾られた花は、どれもレインが手ずから作ったものだから、その腕前は父子もよく知っている事だった。

 ラグナは、レオンに促して、改めてクリステールに礼を言った。


「ありがとうございました。レオンも喜んでます」
「クリスばあちゃん、ありがとう!」
「ええ、どう致しまして、レオン。またうちに遊びに来て頂戴ね。今度はレインと一緒にね」


 そう言ったクリステールの瞳は、じっとレオンに注がれている。
傍らに立つ父の事は、目もくれてはくれなかったが、ラグナにとってはいつもの事だ。
これでもいつかの頃よりは、随分と柔らかい対応になってくれた事も知っている。
息子を大事に可愛がってくれるだけで、ラグナにとっては十分有り難いものであった。

 レオンは右手で紙袋と花束を落とさないように持ちながら、左手をクリステールに振った。
またね、と別れを告げる幼子を、老婆は見えなくなるまで見送っていた。

 花冠を頭に被り、花束を持った子供。
それを見付けた村人たちが、また後から後から、レオンに花を手渡していく。
今日と言う日が何の日か、きっと皆も覚えていたのだと、ラグナは程なく悟った。
まだその価値が判らない幼い当人だけが、不思議そうな顔をしながら、色とりどりの花に飾られていく。
嫌を言う性格ではないから尚更で、家に帰る頃にはどうなってるんだろうなあ、とラグナはくすくすと笑っていた。

 家に帰ると、其処は甘くて香ばしい匂いが一杯に広がっていた。
子供の足では少々長い散歩であったから、レオンの胃袋はすっかり空っぽだ。
ただいま、と帰宅の挨拶をした足は、真っ直ぐに調理場にいる母の下へと駆ける。


「かあさん、ただいま!」
「はい、お帰りなさい。あら、どうしたの、その格好」


 家を出る時はすっきりとしたいつもの服装だったのに、帰ってきたらまるで花の妖精のように飾られた息子に、レインが目を丸くする。
手に持っていたフライパンをコンロに置いて、息子が歩いて来たルートを見れば、小さな花びらが足跡のように落ちていた。
ラグナは、それを辿ってカウンターテーブルの向こうに座る。


「皆がレオンのお祝いにってくれたんだよ」
「ああ、成程ね。それにしても、ちょっとお花ばっかり多すぎじゃない?」
「道すがらに貰ったもんだからさ。クリステールさんからは花束で貰ったけど」


 耳に馴染んだ老婆の名に、そっか、とレインは言った。
エプロンで手を拭きながらしゃがみ、息子と目線の高さを合わせると、レオンは嬉しそうに花束を見せる。


「これ、クリスばあちゃんから。あと、このかんむりも」
「うん、クリスさんの編み方だわ。じゃあお花は、他の皆から貰ったものと一緒に花瓶に挿しましょう。花冠は、どこかに飾る?」
「まだかざらなくて良い」


 まだ被っていたい、とレオンは花冠の端を摘まんで確保を主張する。
はいはい、とレインは息子の頭を撫でて、両手に抱えていた花束を受け取った。

 花束が両手からなくなると、レオンの胸元は、零れた花びらで飾られていた。
一緒に抱えていた紙袋にも花びらが付き、所々に花粉も付着している。
ラグナはそんな息子を裏口の外へと連れて行き、服をぽんぽんと叩いて付着したものを落とした。

 家の中へと戻ると、レインが早速、貰った花束を三つの花瓶に分けて生けていた。
これからテーブルごとに飾られるであろう花瓶が、まだ揃って並んでいる内に、レオンが傍へと駆け寄る。


「お花、きれいにかざれる?」
「ええ。そう言えばレオン、買い物はどうだった?欲しいものは見付かった?」
「うん。あのね、本があったから、それと、あとパズル。本はね、おじさんがくれたのもあるんだよ」


 レオンはそう言いながら、小脇に抱えていた紙袋を開ける。
取り出された木製のパズルと、二冊の絵本を見て、レインはやれやれと眉尻を下げる。


「ウルクはまた……皆レオンに甘いんだから。でもまあ、今日は良いか」
「そうそう。今日は特別だからな」


 一度は眉根を寄せたレインであったが、直ぐにその表情も解いて、テーブルに置いた絵本を嬉しそうに見ている息子の頭を撫でる。
ラグナもパズルを手に取って、丸や四角、三角の形をした立体的なそれを、積み木のように組んで遊ぶ。
レオンも釣られて一緒にパズルを積み始めるのを、両親は頬を緩ませて見下ろしていた。

 レインは花瓶を部屋の各所に飾って、カウンターの向こうへと戻る。
フライパンに置いたままにしていたものは、コンロの火を消していたので、幸い焦げずに済んでいる。
が、折角だから新しいものを作ろうと、完成品は皿へと移して、空になったフライパンにボウルから生地を流し込んだ。
綺麗な円形になった生地に熱が通り、表面がふつふつと気泡を立てて来たら、フライ返しを使いつつ、くるりと引っ繰り返す。
メレンゲ入りの生地がふくふくと高さを出していくのを確認して、よしよし、とレインの目元が笑みを浮かべる。

 レインはフライパンを二つ使って、同じ作業を追いながら繰り返した。
出来上がったものは皿に移して、二つずつ積み上げる。
それから、程好く冷めたのを見計らって、冷蔵庫から生クリームの搾り袋を取り出した。

 カウンターの向こうでは、息子と父がパズル遊びを続けている。


「とうさん、これ上がいい」
「おお、格好良くなるぞ。じゃあこいつを天辺に置いて。この四角のは何処にする?」
「これはこっち。おしろの回りはいっぱい家があるから」
「城下町にするんだな。じゃあ人もいた方が良いなぁ。何か取って来るか」
「うん」


 ラグナはレオンと手を繋いで、二階へと向かった。
二階にはレオンがいつも遊んでいるものが置いてあるから、其処から目ぼしいものを探そうと言うのだろう。

 レインは役目を終えた生クリームを冷蔵庫に戻し、今度はフルーツの缶詰を取り出した。
ぱきりと口を切ると、シロップ漬けにされたフルーツが入っている。
水切りしながら果物を飾り、最後に小さなロウソクを立てれば、完成だ。

 ぱたぱたと軽い足音が聞こえてきて、レオンが階段を下りて来る。
手には小さなビーズの入ったプラスチックケースが握られていたが、レインは彼がパズルを置いたテーブルに向かう前に声をかけた。


「レオン、お昼ご飯よ」
「ご飯!」


 遊んではいても、やはり腹は減っていたのだろう。
レオンはぱぁっと明るい表情を浮かべると、手に持っていたケースをパズルの下に置き、直ぐにカウンターへと駆け寄った。

 大人専用と言わんばかりのカウンターチェアが並ぶ中、子供用の椅子が置かれている。
それがレオン専用の席で、彼はカウンターで過ごす時には決まってこの位置だ。
とは言えテーブルも高いものだから、幼児用の椅子とは言え、此方も高さがある。
花冠を落とさないように気を付けながら、よいしょ、と椅子に上り始めるレオンを、追って二階から降りて来ていたラグナが、落ちないように、椅子を倒さないようにと支えてやった。

 いつもの食卓に着いたレオンの前に、カウンターの向こうから、パンケーキがやって来た。
それは時々昼に食べているパンケーキよりも厚みがあって、更に二枚重ねになり、トップには生クリームとフルーツが乗っている。
母が作った事は変わらないのに、いつもよりもずっと豪華なパンケーキに、幼い蒼が真ん丸に大きくなった。


「ケーキだ!」


 生クリームが乗った食べ物と言えば、ケーキ。
レオンの認識はそう言うものだった。
それはごくごく決まった時にしか食べられない、特別なものだ。

 きらきらと目を輝かせた息子に、レインも嬉しそうに笑う。


「今日はね、レオン。あなたの誕生日だから、特別なパンケーキにしたのよ」
「たんじょうび?」
「去年もしたんだぞぉ、レオンの誕生日。はは、あんまり覚えてないか」


 ラグナはそう言って笑いながら、レオンの頭をぽんぽんと撫でる。
猫のように目を細めながら首を傾げるレオンにとって、一年前と言うのは人生の三分の一も前の話だから、まだまだ毎日が驚きで一杯の彼にとって、中々覚えてはいられないものであった。

 それでも、今日がなんだか特別な日だと言う事は、目の前の豪華なパンケーキが教えてくれる。
レインがそのパンケーキに、特製のハチミツをかけてくれるのを見て、益々彼の目は輝いた。


「たべていい?いい?」


 そわそわとした様子で母に確かめるレオン。
レインはくすくすと笑いつつ、もうちょっとだけ、と息子を宥め、


「特別な日だから、今日はお祝いをするのよ。ロウソクが三本、立ってるでしょう?」
「うん」
「これに火をつけて、ふーって吹き消すの。上手に消せたら、ケーキを食べて良いわよ」


 勿論、火を吹き消せなかったからと、レインにパンケーキを取り上げるつもりはない。
ただ、そう言うものだと、こんな儀式のような遣り取りも楽しみになればと、ちょっとした発破をかけてみる。


「出来る?レオン」
「できる!」
「ふふ、もう三歳になるものね。ラグナ、火をつけて」
「あいよ」


 ラグナはレインがカウンターの奥から取り出したライターを借り、レオンのパンケーキのロウソクに火を付けて行く。
夜ならば灯りを消して煌々と揺れる燈火が眺めただろうが、今は昼だ。
陽射しが差し込む店の中は、ロウソクの火など必要ないほどに明るいが、それでもロウソクに火が燈ると、これが誕生日の祝いなのだと言うイメージも強くなる。
実際にレオンは、目の前でゆらゆらと揺れる小さな火を、不思議そうに楽しそうに見つめていた。

 三本のロウソクに無事に火が燈り、さあ、とラグナが息子を促す。
レオンはすぅっと大きく酸素を吸い込むと、勢いよくロウソクに向かって息を吹きかけた。


「ふーーーっ、ふーーっ」


 一回、大きく吹きかけた息で、二本のロウソクの火が消える。
残った一本に向かって、もう一回吸い込んだ息を吹きかければ、燈火はゆらりと大きく揺れた後、ふっ、と煙だけを残して消えた。

 無事に儀式をクリアした息子に、両親から拍手が贈られる。


「おめでとう、レオン」
「誕生日おめでとう!三歳になったなあ、でっかくなった!」


 父の大きな手にくしゃくしゃと髪を撫でられて、レオンの頭が一緒に揺れる。
レオンは父母からの真っ直ぐなお祝いの言葉に、丸い頬を赤らめて、「えへへ」と嬉しそうに笑っていた。

 パンケーキからロウソクを取って、晴れてレオンは母特製の誕生日ケーキにありついた。
二段重ねのパンケーキは、フォークを入れるとふわふわとしながら、生クリームとハチミツでしっとりとしている。
フォークを挿した一かけらを、大きく口を開けてぱくりと食べたレオンは、いつもの母の味に幸せそうに頬袋を膨らませた。


「美味いか?レオン」
「ん!」
「食べれる所までで良いからね。残ったらおやつ……うーん、明日かなぁ」
「たべれる!」
「はいはい」


 残してしまうなんて勿体無い、とレオンはパンケーキは余すところなく平らげる気満々だった。
とは言え、高さを出した二段のパンケーキは、存外と腹を膨らませてくれるものである。
今は食べきれるつもりがあっても、何処まで食べてくれるかは、親にも予想が出来ないものだ。
それでも食べたい、と言う息子の気持ちは嬉しいから、レインは先ずは好きにさせてやる事にした。

 花冠を頭に被って、フルーツと生クリーム、ハチミツもたっぷりにかけたパンケーキを食べているレオン。
口の回りに白いヒゲや、ハチミツのてかりをつけながら、夢中になって食べている様子に、今年も今日と言う日を迎えられて良かったと、レインとラグナの唇が緩む。
村人からも愛されている愛息子が、これからも幸せであることを願いながら、二人も一緒に昼食を始めるのだった。




レオン誕生日おめでとう!と言う事で、一度書きたかった、一番コドモコドモしてた頃のレオンの誕生日です。

村にいる子供達とも一緒に遊ぶようになると、自分が一つ二つ年上なので、色々気を配るようになってくる。
4歳になってしばらくしてエルオーネが生まれると、兄としての意識が強くなってきます。
そうなってくる前に、両親からは勿論、ウィンヒルの人々からも可愛がられていた、無邪気なレオンがいた訳です。
こうやって愛されていたので、妹弟の事もちょっと過保護な位に溺愛するようになったんだと思います。