夢見た幸福はかたちを変えて
スコール誕生日記念(2024)


 アラーム変わりにスコールを起こしたのは、目的地到着を告げる、ラグナロクの自動アナウンス機能だった。
昨晩、どうにも落ち着かなく中々眠ることが出来ず、結局寝るには寝たが、物足りなかったのか、一人きりと言う気の緩みもあって、束の間に寝落ちてしまっていたらしい。
誰の目も気にしなくて良かったので、ふあ、と遠慮なく欠伸をしながら、スコールは頬杖に傾けていた頭を起こした。

 空の道を飛んでいたラグナロクは、もう着陸体勢に入っている。
抜けるような青空が遠く見える夏の日差しの中、深紅の機体は平穏な野原の片隅に降りた。
エンジンの駆動音が全て止まるのを待ってから、シートベルトを外して操縦席を立つ。

 タラップを降りると、青い草いきれの匂いが辺り一面に広がっていた。
バラムのように、少し遠くに海を臨むこともなく、小高い山に囲まれている此処は、夏の盛りの割には少し涼しく感じられる。
一昨日まではこの辺りで雨が降っていたと、天気予報の履歴から知れたが、柔らかな土壌が多いお陰なのか、水たまりのようなものも見当たらない。
所々、朝露の名残で草花に雫が煌めいているくらいだ。

 穏やかな空気だ。
ガルバディア大陸は、大国ガルバディアの内政不安のお陰で聊か不穏な地域も少なくないが、都市から離れたこの田舎は相変わらずらしい。
その事に微かに安堵を覚える理由は、まだ自分ではよく判らない。
他人から見ると、理由は色々と思いつくらしいが、そのどれもが自分自身でしっくりくる所まで行かなかった。
ただ、この世界の片隅が、これからも静かで平和でいてくれるのなら、それで良いのだろうと思う。

 ラグナロクの搭乗口を閉じ、諸々の機能を遠隔操作でロックさせて、スコールは歩き始めた。
踏む足元は、辛うじて道があったと判るレンガ舗装を見付けることが出来るが、それも通る人は最早限られているのだろう。
時間と共にそれは風化して行き、土砂に埋もれたり、其処から雑草が生えてきたりして、恐らく元々の道幅から半分程度は埋もれてしまっている。
この道の先で今も暮らし続けている人のことを思うと、いつかは新たに舗装工事なりを考えた方が良いのだろうか。
生活を整える為と思えば必要な気もするが、今の所、自分にとってはこんなタイミングでもなければ訪れることのない場所だ。
何をどうするにしても、赤の他人も同然の自分が言い出せるような事ではない気がした。

 少し高さのある丘を越え、ラグナロクの姿が振り返っても見えなくなった頃に、スコールは向かう先に人影が立っているのを見付ける。
遠目にも判るほど、そわそわと忙しない人影に、スコールも急に喉が詰まった。
変な緊張を伝染(うつ) さないでくれ、と心の内で密かな愚痴を零しつつ、口端を噛んでいつもの顔で歩き続ける。

 さくさくと踏んでいた草の音が、レンガ畳の固いものに変わる。
いつもの靴音を鳴らしながら進んでいけば、足音に気付いて、人影───ラグナが振り返った。


「お、スコール」
「……」
「よ、よう」


 ぎくしゃくとした動きで、ラグナは片手をあげる。
笑う頬が微かに引き攣っているのは、自分の所為なのか、それともこれから向かう場所への想いによるものか。
どちらであると確認した所で、スコールから何か言えることも浮かびそうにないので、気付かない振りをした。

 ラグナは、スコールにとってはよくよく見慣れたポロシャツにチノパンだったが、足元だけはきちんとした靴を履いている。
科学都市エスタと違って、この辺りは昔時代ながらの土がある。
草花も多いのだから、虫は大きいものから小さいものまで生息しているし、流石にサンダルは無防備だったのだろう。
───或いは、これから会う人の為に、少しばかり格好を気にした選択だったのかも知れない。

 スコールはラグナの一メートル手前まで来て、


「……待たせた」
「ん、あ、いや。俺もついさっき来たトコだから大丈夫だよ」
「……そうか」


 ラグナの言葉が本当かは判らないが、スコールはそう言う事にして置こう、と思った。

 辛うじて手入れされている事で立っている、古びた柵の間を通り抜けて、これもまた年季の入った建物が並んでいるのが見えて来る。
隣を歩いていた足が一度止まったけれど、スコールはそのまま歩き続けた。
立ち止まって待つべきか、或いは歩を促すべきかと考えてはみたが、結局はスコールが何も言わないままに、また歩き出す音が後ろから聞こえてくる。
しかし、その足音が少々不格好なのは気になって、スコールは肩越しに音の発信源を見た。


「……大丈夫なのか、あんた」
「んあっ」


 声をかけられると思っていなかったのか、思考を飛ばしていたのか。
ラグナは、スコールの言葉に間の抜けた声を出した。
そんな彼をよくよく見れば、もう右足を引き摺っている。


「………」
「あ、うん、大丈夫大丈夫!いつもの奴だし!」
「……そうか」


 それもどうなんだ、とスコールは思ったが、口にはしなかった。
ラグナの声はいつもよりも弾んだように高く、それが彼の内心を判り易く暴露していたが、彼にとっては平静を装ったつもりなのだろう。
それなら今はそう言う事にしておこう、とスコールは二度目の感想で終わらせた。

 夏の草木が生い茂る村の中は、都心部とは比べるべくもなく静かだった。
時折、村人が家屋の軒先で花に水を遣ったり、畑を耕しているのが見えるが、彼らは異邦人を見ると、すっと視界からいなくなってしまう。
同行者の事を思えば無理もないのかも知れない。
石を投げられないだけマシなのかも、とも思いながら、スコールは目的地の方へと真っ直ぐに進む。

 舗装された道を途中で外れ、緩やかな坂を上って行く。
新緑に覆われた其処を上りきると、沢山の花々が咲き誇る光景があった。
石の家と少し似ている、とスコールは思ったこともあるけれど、あそこはセントラ大陸であったから、遠く見える山々は岩肌がむき出しの茶色だった。
此処から見える遠くの尾根は、季節もあって緑も深く、晴れた青空とのコントラストが眩しさを誘う。
その山々から海に向かって盆地になっているこの村は、夏になると山間部から吹き下ろしてくる風が一気に海に抜けるお陰で、熱気もそれ程滞留しない。
海と直近と言う程の距離でもないから、潮風が当たる事もないし、草木や作物にとっては良い環境なのだろう。
だから、こんなにも沢山の花が風に揺れているのかも知れない。

 そんな見晴らしの良い場所に、身を寄せ合うように花が集まっている部分がある。
これが自然に出来たのか、人の手によって集められたものか、スコールは知らない。
この村の人々なら、彼女の為を思ってそうしたようにも思うし、ひょっとしたら自然とそう言う光景を作り出せる人なのかも、とも思う。
誰に確かめられる事でもないから、スコールはそんな想像を働かせていた。

 花々が寄り添うように囲んでいるのは、其処に眠る人の名前を刻んだ墓石だった。
定期的に手入れがされているようで、墓石の表面には土埃も目立たず、迷い込む魔物が悪戯をした気配もない。

 ラグナは、その墓石の前にしゃがみこんで、日差しに温められた石肌に触れた。


「……ただいま、レイン」


 そっと告げられた挨拶に、スコールは微かに双眸を細める。

 同じことを自分も言った方が良いんだろうか、と考えるけれど、どうにもこの村は、スコールにとって“ただいま”が言える場所にはならない。
始まりはきっと此処だったのだろうけれど、スコールの記憶の始まりは石の家にあったし、その後はガーデンで過ごした。
此処には、嘗ての魔女戦争の渦中とも言えた頃に、偶然に立ち寄っただけだったのだ。
牧歌的で閉鎖的なこの村に、二度と来る事があるとは思っていなかったし、今でもこんな理由がなければ、きっと近付く事もなかった。

 ラグナは墓石に触れたまま、じっと俯いて動かない。
後ろに立ち尽くしているスコールには、彼が何を考えているのか、どんな表情をしているのかも判らなかった。
向けられた背中が、自分に何か語り掛けているようにも見えるが、ただの自意識過剰かも知れない、とも思う。
きっとラグナは、彼女に静かに語りかけているだけなのだ。


(……でも、花くらいは、持ってくれば良かったかな……)


 ラグナが触れた墓石の隅に、隠れるように添えられた献花がある。
まだ瑞々しい色の花弁を持つそれは、今朝あたりにでも添えられたのだろう。
誰がそれをしたのか考えて、恐らくは、とスコールは黒髪の女性を思い出していると、


「花でも持ってくれば良かったかなぁ」


 背を向けたままの男の言葉に、スコールはぱちりと目を丸くする。
全く同じことを自分が考えていたと悟ると、勝手に顔が熱くなったが、幸いにもラグナが振り返る事はなかった。


「……俺も持ってきてない」


 スコールが辛うじてそう言うと、


「もちっとちゃんと準備してくれば良かったな」
「……そう、かもな」


 ラグナの言葉に同意しつつ、スコールは、そんな余裕はなかった、と前日までの自分を思い出していた。

 今日の予定はしばらく前から決まってはいたものの、昨日までスケジュールはいつも通りだったし、任務から帰った所でもあった。
それは今日と言う日をなんとしてでも開けるべきだと、仲間たちから口酸っぱく言われていたからだ。
その為に、彼らは本来スコールの仕事であった筈のものを浚って行ったし、「スコールの今日の任務は、ちゃんと目的地に行くこと」とまで言われた。
どんな任務だ、とスコールは思ったが、自分よりも遥かに鬼気迫った顔を浮かべている幼馴染たちを見たら、何も文句は言えない。
その傍ら、今朝起きた時には、今日これからのことを考えて、なんとも言えない気分の重みも感じている。
嫌な訳ではないけれど、どうにも────と考えてしまう自分を、強引にラグナロクに乗せた仲間たちの判断は、ある意味、正しかったのだろう。

 加えて、この墓に来ることを幼馴染の面々に言った訳でもないから、必要ならスコール自身が先んじて用意しなければならなかった。
そんな訳だから、花など用意する暇なんてなかったのだ。


(……次は、持って来た方が良いな)


 今日の失敗を反省しながら、そんなことを思う。
ただ、“次”がいつなのかと言う事は、今は深く考えないようにしていた。

 一頻り触れて満足したのか、ラグナが曲げていた膝を伸ばす。
年輪を重ねた顔が振り返って、まだ少しぎこちなさを残しながら、ラグナは笑って見せた。


「じゃあ行くか。付き合ってくれてありがとうな」
「……別に、礼を言われる程のことじゃない」


 どうせ通り道なのだから、と言いながら、スコールは踵を返した。
名残もなく歩き出す少年を、ラグナは苦笑しつつ、後を追って歩き出す。

 道沿いに戻って、村の中心位置へと進めば、綺麗な石レンガで舗装された広場がある。
北側に一際大きな敷地を持つ屋敷が鎮座している其処は、嘗ては子供たちが遊び場にしていたそうだが、スコールはその光景を見た事がない。
スコールが辛うじて知っているのは、うららかなこの風景をバックに警戒姿勢の兵士が立っている所と、今日と同じ、人の気配も疎らな景色だけだ。

 広場を囲む建物は、此処まで見たものと同じように、年季が入っている。
中にはもう住む人もおらず、放置されて久しいものもあるそうだ。
元々、過疎化の進んでいた田舎であるし、未だにイントラネットの類は殆ど遮断された環境だから、便利事に慣れ親しんだ人々が馴染まないのも判る。
その反面、だからこそ静けさが良いのだと、制作環境に煩い芸術家や、隠居暮らしを望む人がぽつぽつと移住して来る事があるらしい。
そう言った人が長らく仮住まいにしていたお陰もあって、古馴染みながらも綺麗に保たれている家屋がひとつ、広場の西側にあった。

 その建物の前で、スコールたちを待っている人がいる。
彼女は道の向こうからやってきたスコールとラグナを見付けると、柔い笑みを浮かべて手を振った。


「スコール、ラグナおじさん、いらっしゃい」


 幼い頃と変わらない、天使の輪を乗せたボブカットの黒髪。
栗色の瞳は、スコールが思い出の底から掬いあげるものと同じ、慈愛と優しさに溢れている。
幼い頃のスコールは、いつだってその瞳に見守られていたのだ。

 ラグナがひらりと手を上げて、よう、と挨拶する。


「エル、調子はどうだ?なんか困ったりしてないか」
「大丈夫。村の皆も良くしてくれるから」


 此処は閉鎖的な村だが、それは異邦人に対するものだ。
エルオーネは元々、この村で生まれ育ち、村人からも愛されていたから、受け入れられているのだろう。

 魔女戦争の終結後、エルオーネはしばらくの間、ラグナの統治するエスタに匿われる形で過ごしていた。
しかし、オダイン博士のいるエスタで過ごしていると、何かと彼と接触してしまう機会も多い。
それでもエルオーネはラグナの傍にいられることを喜んでいたが、物心着いた頃から、持ちたる力によって、一般的な平穏とは遠い暮らしをしていたエルオーネに、ラグナが選択の機会を提示した。
オダイン博士については、ラグナは変わらずエスタの研究機関所属として、管理と言う名の監視を続ける。
エルオーネにも不必要な干渉はしないこと、もしも彼女について何か調べたいのなら、必ずラグナの同行を飲むことを条件につけた。
その傍ら、エルオーネには、過ごしたい場所で過ごしてみないか、と言ったのだ。
幼年の頃から自らの意思とは関係なく、ひと所に長く留まる事が出来なかった彼女に、自分の居場所を自分で探してみる機会を作ったのだ。

 そうしてエルオーネは、生まれ故郷に────ウィンヒルの村に戻ってきた。
彼女の持つ能力が消えた訳でもないから、それを知った者が付け狙う可能性も否めないので、ラグナはエスタから信頼のおける人物を護衛として派遣し、ウィンヒルに溶け込む形で住めるように整えた。
最近、ウィンヒルにぽつぽつと移住者が増えているのは、こうした根回しも影響しているのかも知れない。
ラグナも大統領として忙しない日々を過ごす中、何とか時間を捻出して、定期的に娘の様子を見に来ているそうだ。

 エルオーネがこの村に戻ってきた時、泣きながら喜んでいた老婆がいたことを、スコールは知っている。
エスタからウィンヒルへと彼女が向かう道中を、スコールが直近の護衛として同道したからだ。
その時に見た光景がなければ、恐らく今日と言う日、スコールが此処に来る事もなかったのだろう。

 入って、とエルオーネに促されて、日の光から隠れるように家屋へ入る。
スコールの記憶にあるままのカフェバーの光景に迎えられ、いつか見たその光景と違う所はと言うと、カウンターの向こうに立つ人が姉だと言う点であった。


「ごめんね、スコール。忙しいのに来て貰って。私の我儘で……」
「…別に、構わない。任務も今日は入っていなかったし」


 エルオーネの言葉に、スコールはそう言いながら、入れられないようにされていたんだけど、と胸中で独り言ちる。

 今日と言う日、スコールがこの村に来たのも、ラグナがそれに合わせて来れたのも、エルオーネの希望立ってのことだった。
幼い頃、最早一緒に重ねた数は人生において僅かなもので止まってしまったが、今日と言うにはエルオーネにとって特別なのだ。
許されるなら、出来るならやりたい、と言う話を聞いた幼馴染の少年少女たちが、当事者以上に張り切った。
お陰でスコールの時間も強制的に確保され、無事にこうして、スコール、ラグナ、エルオーネの三人が揃っている。


「お昼ご飯は食べた?」
「いや」
「俺もまだ」
「じゃあ丁度良いね。すぐに用意するから、座って少し待ってて」


 其処にどうぞ、と示されたカウンター席。
ラグナが自然な動作で其処に座るのを見て、スコールは其処から一席開けた所に腰を下ろした。
スコールが見た風景では、此処は立食形式だったように思うが、今や立ち寄る客の年齢も高いからと、エルオーネが椅子を揃えたのだとか。

 カウンターの向こうで、すっかり過ごし慣れた様子で食事の準備を始めているエルオーネ。
此処はもうカフェバーとしては機能してはいないそうだが、エルオーネと話がしたくて訪れる人は多いらしい。
昼食も共にする事もあると言うが、今日は人払いをしてあるのか、広場の方も静かなままであった。
スコールの一席空けた隣だけが、ごそごそと忙しない。


「んー……」
「……」
「……えーと」


 頭を掻いたり、頬杖をしたり、少し背中を伸ばして見たり。
落ち着く様子のないラグナに対して、スコールはテーブルに寄り掛かるようにして体重を預けていた。
カウンターの向こうにいる姉は、恐らくそんなスコールとラグナの様子に気付いているのだろうが、敢えて入って来る気はないらしい。

 ちらちらと刺さる視線が煩くて、スコールは眉間に皺を寄せていたが、はあ、と一つ息を吐いて、


「……足」
「んっ」
「もう良いのか」


 村に入る時、攣っていたラグナの右足。
あれはもう大丈夫になったのかとスコールが言葉少なに問うと、ラグナは足りない言葉の中身をしばし考えてから、


「ああ、うん。大丈夫。心配かけたな、わりいわりい」
「……別に」


 詫びるラグナに、スコールはそう言うつもりで聞いた訳ではない、と思いつつ、それならどういうつもりで聞いたのだろう、と自問した。
特に答えが見付かる訳でもない問は、誰に知られる事もなく、直に忘れ去られていくだろう。

 ともあれ、それがラグナにとっては、会話の切っ掛けにはなったらしい。


「あのさあ」
「……なんだ」
「いや。何って話でもないんだけど。ちょっと、な。ちょっと変わった夢見てさ」
「……夢」


 一単語をスコールが反芻すると、ラグナは「そう、夢」と言って、


「多分な、此処の夢」


 コンコン、とラグナの指がカウンターテーブルをつつく。


「変な夢じゃねえんだ。すごく優しいって言うか、綺麗って言うか。ああ、なんか、こう言う感じだったんだろうなあって思える感じの夢で」
「……」
「それを見てる感覚が、なんて言うか────誰かの目を借りて見ているみたいな、そんな夢」


 ラグナのその言葉に、スコールは顔を上げる。
隣を見れば、ラグナは頬杖をついて目を閉じていて、碧の瞳は瞼の裏側に隠されている。
“夢”を思い出しているのか、浸っているのか、横顔はそんな表情を浮かべているようにも見えた。

 じっと見つめるスコールの前で、ラグナは続ける。


「俺、大分長いこと、目の前のことでいっぱいいっぱいだったからさ、きっと考えた事もなかったんだ。ああいう事があったのかも知れないってこと。ああいう景色が、見れたのかも知れないってこと」
「……」
「まあ、夢だからさ、俺の願望もあるんだろうなって思ってはいるんだけど」


 苦笑を交えたラグナだったが、スコールは口を開きかけて、辞めた。
ラグナが何を見て、それをどう思って、それが真実かどうかなど、スコールが判る話ではない。
ただ、蒼の瞳がカウンターの向こうにいる姉を見ることは、止められなかった。

 顔を上げた姉と視線が絡み合う。
じっと見つめる蒼灰色の瞳に、栗色は小さく首を傾げて笑いかけた。
彼女がその表情で何を言わんとしているのか、或いは、ただ弟と目が合った事に、幼い頃の反射反応で笑みを浮かべたのかは判然としない。
問うには隣の存在が大きくて、スコールは結局、何も言わないまま口を噤んでいた。


(……“夢”……)


 つい一時間も前、赤い機竜の中で目を覚ました時のことを思い出す。
疲れから来る転寝は、ほんの一時の浅い眠りだと思うのだが、その束の間に見たものは、果たして “夢”だったのだろうか。
これもまた、確かめた所でどうしたいのか判らないスコールは、何も言わずに心に留めるのみで終わった。

 カウンターの向こうから、エルオーネの手製のパスタが差し出される。
それを受け取ってフォークに絡めていると、続けて小さなホールケーキがやって来た。
直径12センチのケーキの中央には、水色の縞模様に飾られた大小のロウソクが三本立っている。


「おじさん、ライターとかある?なければ一応、マッチがあるんだけど」
「おお、うん、持ってるよ」


 少ないながらも喫煙する習慣があるらしいラグナは、チノパンのポケットから小さなライターを取り出した。
ラグナは腕を伸ばして、ケーキのロウソクに火を灯す。

 ゆらりと揺れる三本の灯を立てたケーキが、スコールの前へとやって来た。


「はい、スコール。誕生日おめでとう」


 いつかの幼い日と同じ笑顔を浮かべるエルオーネと、柔い眼をしたラグナに見つめられて、スコールは喉の奥がきゅっと締まるのを感じた。
見つめる視線にプレッシャーを感じるのは自分の勝手であることは判っているつもりだが、眉間に皺が寄るのは抑えられない。
こう言う状況にも、こんな風にされる事にも、長らく触れていなかったものだから、慣れていないのだ。
勘弁してくれ、と言う言葉が喉まで出かかっているのを、スコールはなんとか堪えていた。

 一息、自分の心にクッションを置いて、スコールは息を吸った。
ふうっ、とそれを吹き出せば、ロウソクの灯火はゆうらりと揺れて消える。
名残の煙と匂いだけが残って、二人分の拍手が聞こえて来た。


「おめでとさん、スコール」
「……どうも」
「じゃあ、ケーキを切り分けるね。三人分は難しいし、大きくなっちゃうから、四人分にしようかな」


 エルオーネがケーキを回収し、ロウソクを取って、皿に乗せたままで包丁を入れる。
柔らかいクリームとスポンジが十字に切られて、1ピースがそれぞれケーキディッシュへと移された。

 食後のデザートにどうぞ、とパスタの横に並べられたケーキは、それ程高さもないので、十分食べきることが出来るだろう。
一人一皿、と配られたそれを視界の片隅にしつつ、スコールはパスタにフォークを入れた。
くるくるとパスタを巻き取りながら、エルオーネが自分の食事を準備しているのをぼうと眺めていると、


(……あ)


 ひら、と揺れるものを見付けて、スコールは目を瞠る。
いつであったか、初めて自分の足で此処を訪れた時に見た、一瞬のひかり。
あの時は、瞬きをすれば跡形もなく消えてしまったそれを、今この瞬間にまた見るとは思ってもいなかった。

 いつかの“夢”に見た、蒼灰色が此方を見ている。
何処か優しく微笑むようにも見えるそれが、一体何であるのかを、スコールは確かめる方法を知らない。
姉やラグナが、スコールが見ているものと同じものを見ているのかも、聞くにはまだ、スコールにその勇気は足りない。

 それでも、窓から差し込む陽光と、滑り込む風に運ばれて、花の匂いと一緒に、懐かしい匂いを嗅いだ気がした。





スコール誕生日おめでとう、と言う事で。
絆シリーズではエルオーネからスコールへのお祝いと言うのはよく書いていましたが、原作設定のエルオーネが直接スコールをお祝いできた所は書いてないな、と思いまして。
ウィンヒルで、家族揃ってのスコールの誕生日祝いをさせたいな、と言う事で書いてみました。

スコールの見たもの、ラグナの言う夢が夢だったのか、誰の視点から何を見ていたのかは、ご自由にご想像頂ければと思っています。