ヴィオラ


 所変われば品変わる、と言うことを、フリオニールはバラム国に来て毎日のように実感する。
豊かな土を元手に育まれる草花の色形は勿論、それを餌に集まる動物も、それらを養い日々を過ごす労働者の格好も、何もかもが砂漠の国とは違う。
そして、城の兵舎の傍に集まった兵士達が扱う剣術と言うのも、フリオニールが母国で毎日のように見ていたものとは違っていて、そう言うものを見付ける事が出来るのが、面白かった。

 しかし、この剣はやはり、そう言うものとも違っている。
レオンハルトならこうする、と母国で誰よりも強かった義兄を鑑にしながら、自由に奔る剣を受け止め返しては、反撃を狙う。
此処を狙えば相手はこう避ける筈───そう予測を立てながら、一手先、二手先を用意して打ち込んで行く。
しかし、バッツはその上を行った。
まさかそんな避け方をするとは、そんな体勢から返してくるとは。
嘗て旅芸人に身を窶していた彼とも対峙したが、あの頃よりも遥かに自由な軌道で踊るバッツの剣に、やはりあの時は手加減されていたのだと突きつけられる。
その事に一抹の悔しさはあったが、だからこそ、今度は彼の全力に応え、負ける訳には行かないと剣を振るう。

 強く踏み込んで薙ぎ払った長剣を、バッツがしゃがんで避ける。
直ぐに軸と逆の足を前へと振り切ってやるが、バッツは屈んだ姿勢から上肢を仰け反らせてそれを避けた。
バッツは反った背中を腹筋の力だけで戻すと、曲げた両足に強く力を入れ、伸びの反動を使ってフリオニールの腹に頭突きを喰らわせた。
じん、とした重みがフリオニールの腹に響くが、寸での所で腹筋に力を入れたのが功を奏し、長引くダメージにはならない。
が、蹈鞴を踏んだ足がそのまま宙を掻いて、尻餅をしてしまった。


「っ!」
「っくあ〜、いってぇ!腹ガッチガチじゃん、フリオ」


 地面に座り込んだフリオニールの前で、バッツは頭を抱えている。
絶好の追撃のチャンスにも関わらず、バッツの攻め手が止まったのはその所為だ。
ふう、とフリオニールは安堵の息を漏らす。


「俺もびっくりした。息が止まったよ」
「それだけかぁ。鎧じゃないし、もうちょっと効くかと思ったんだけど。うーん、顎狙った方が良かったかな」


 頭を摩りながら言うバッツに、怖いな、とフリオニールは喰らっていた時のダメージを想像して顎に手を遣る。


(本当に、自由だな。剣だけじゃなくて、手脚も体も全部、武器にしてくる)


 勝つ為なら手段は選ばない。
バッツの剣捌き、体運びからは、そうした意識が徹底して感じられる。
また、柔軟の良い体を存分に使っている所も、防備の為の武具を殆ど身に付けない事から来る、高い自由度を活かした特徴と言えるだろう。

 この自由な剣ともっと向き合う事が出来れば、フリオニールはまたとない糧となる。
そう思うと、俄かにフリオニールは高揚した。
よし、と木剣を握る手に力が籠り、構えを取り直す。


「バッツ、もう一戦だ」
「元気だなー。まあ、おれもまだ疲れちゃいないけど」


 と言いながら、バッツは中々剣を構えない。
褐色の瞳は、向き合うべき相手から外れ、兵舎の傍で此方を見ている少年を見た。


「おれより、スコールの相手をしてみないか?」
「スコールの?」


 あっち、と言って兵舎を指差すバッツ。
フリオニールが其方を見ると、じぃと見つめるブルーグレイとぶつかって、どくん、と鼓動の音が跳ねる。


「いつもおれが相手をしてるんだけど、おれとジタン以外とは殆ど打ち合った事がなくてさ。まあ、スコールも此処では一応立場があるから、兵士達も遠慮しちゃって機会もないし」
「そうなのか」
「だからフリオニール、一戦良いかな?スコールにも色々経験させてやりたいんだ」
「それは、ええと、構わないけど。スコールの方は大丈夫なのか?」
「平気平気。あっちは結構やる気満々だから」


 そう言うとバッツは、呼んで来るよ、と駆け足で修練上の隅へと向かう。
その背を見送りながら、フリオニールはバッツの言葉の意味を思い出していた。


(スコールと勝負……)


 なんとなく流れから特に引っ掛かりなく受け入れていたが、改めて考えると、スコールと訓練をすると言うのは不思議なものだった。

 スコールが少なからず武芸を身に付けていると言う事は聞いている。
嘗て砂漠の国で、旅芸人として過ごしていたスコール達は、それぞれが「旅路には必要なことだから」と護身用に武具を身に付けていた。
その頃のスコールは、“女性の踊り子”として過ごしていた為、持っていたのはダガーである。
それもフリオニールはバッツ達から話に聞いただけで、実際に彼───当時は“彼女”か───が武器を持って操る様を見た事はない。
精々、芸の一つとして披露された剣舞くらいのものだ。

 バラム国で期せずして再会してからは、スコールはその頃の面影を殆ど見せない。
出自を隠す為だったと言う、目元や傷を隠す為のベールもつける事はないし、当然、女装もしなければ、あの頃に見せていた不思議な踊りも演じる事はなかった。
彼にとって、あの旅芸人としての日々は、必要の為に甘んじていたに過ぎないのだとか。

 あの頃ですら、フリオニールがスコールについて知っていた事は少ない。
偶然の出来事から顔を見た事、その後にも彼等が芸人として旅するようになった経緯も聞いたが、彼等は肝心要の事については打ち明けなかった。
当然だろう。
スコール達が旅芸人として砂漠の国にやって来たのは、当時の砂漠の国の王であり、フリオニールの父、そして彼等にとって家族の仇である男を暗殺する為だったのだから。


(……考えてみたら、これって色々変なんだろうな)


 バッツに連れられ、此方へと近付いて来るスコールを見つめながら、フリオニールはそう考えた。

 砂漠の国の前王は、公的には病死と報じられている。
だが、実際には暗殺されたのだ。
誰が殺したのか、犯人ははっきりとは判っていなかったが、その策を呈じたと思しき者は既に捕まり、処刑されている。
だが、その容疑者ともども、色々と不透明な話は多く、一部の城仕えの学者達の間では、見た目ばかりの調査だったのではないかと密かに囁かれていた。
その噂にも確たる証拠がある訳ではないので、何もかもが噂話の域を出ない。

 だが、フリオニールは知っている。
父を殺したのは、他の誰でもない、スコール達であると。
一度は暗殺に失敗し、投獄された彼等を密かに助け出し、砂漠の国の外へと見送ったのは、フリオニールだ。
その後、どうやって彼等がもう一度砂漠の国へと戻り、どんな手段を使って父に近付いたのかは判らない。
それを暴こうと言う程、フリオニールは自身の父親に対し、“親子”としての愛情を持っていなかった。
だからスコールが父を殺したのだと確信を持つに至っても、憎しみや悲しみを抱く事はなく、全く別の感情を持ってスコールと向き合う今がある。

 さっきまでバッツが立っていた場所に、スコールが案内されて着くと、彼は早速、腰に据えていた木剣を握った。
構え方はバッツと違い、型に習った正眼だ。
バッツがスコールの頭をぽんと撫でて、楽にな、と言ったのが聞こえた。
その言葉を受けて、自身が力んでいる事に気付いたか、スコールは一度目を閉じ、深く深呼吸をする。
瞼が持ち上げられ、再び蒼の瞳がフリオニールを捉えた時、其処には冴え冴えとした光が宿っていた。

 どくん、どくん、とフリオニールの胸の奥で、鼓動がリズムを打っている。
それが普段のものよりも僅かに早くなっている事に、フリオニールは気付いていた。
レオンハルトとの特訓や、バッツと向き合った時とは違う、打ち震えるような感覚が体の芯から湧き上がって来る。


(落ち着け)


 ふう、とフリオニールも一つ深呼吸をした。
少々長めの時間を使って、鼓動を鎮める為の呼吸を繰り返してみたが、中々リズムは戻らない。
緊張のような、興奮のような、入り混じっている感覚を引き締めようと、フリオニールはぱんっと両の手で頬を叩く。


「────よし。やるか」


 スイッチの切り替えに、フリオニールはそう声に出した。
木剣を構え直すと、スコールの眼に鋭さが宿り、打ち込むタイミングを計っているのが判る。

 バッツと戦った時と違い、相手に関する事前情報がないものだから、初太刀がどういった場所から来るのか判らない。
とは言え、相手の動きを待っていると言うのは、フリオニールには合わない事だった。
先手必勝、と躊躇なく踏み込んだフリオニールに、スコールも合わせて踏み込んだ。



 ────スコールとフリオニールの訓練勝負は、それ程長くは続かなかった。
流れは終始フリオニールの優勢が続き、これはやはり、砂漠の国で義兄や兵士との訓練に明け暮れ、時には侵入者や野盗と戦う経験もあった事が大きいだろう。
しかし、スコールも負けじとそれに喰らい付き、経験不足を気迫で以てカバーしようとしていた。

 スコールは始めこそ基礎に則った動きをしていたが、段々とそれが加速するにつれ、バッツやジタンのような自由な動きが増えた。
彼に武芸を教えたのはバッツだから、その特徴もよく捉えている。
流石にバッツ程に奔放な事はしない───出来ない、と言った方が良いのか───ようだが、しなやかな体運びは光るものがあった。

 だが、やはり実戦経験の違いは大きなアドバンテージである。
また、スコールのスタミナがそれ程なかったと言うのも、勝負が長引かなかった理由にもなった。
疲労によって体のキレが鈍るにつれ、フリオニールの動きへの対処が遅れ、それが勝負の結果にそのまま繋がったのである。

 訓練とは言え、勝負は勝負。
引き分けに縺れ込むほどに実力が拮抗していなければ、白黒は付いてしまうものだ。
そして結果は、見る者が見ていれば、概ね予想通りであったと言って良いだろう。
フリオニールも手加減することを考えていなかったし、スコールが全力で撃って来るのもあって、持ち前の剛剣でそれを押し返した。
その結果、フリオニールは勝負に勝った訳だが、


(……ひょっとして俺、負けた方が良かったんじゃないか?)


 スコール達との訓練を終え、思った以上に汗を掻いた為、一端部屋に帰って体を拭こうと戻った所で、フリオニールはそんな事を考えた。

 バッツは、スコールに色々な経験をさせたいのだと言っていた。
それは勝負そのものの話もあるが、其処に伴う結果にも、良いイメージのものを持たせたかったのではないか。
勿論、負けて知る現実も大事ではあるのだが。

 そう言った理屈らしい理屈の他に、もう一つ。
フリオニールがそんな事を考えてしまうのには、理由があった。


(……俺、好きな子を負かしたのか)


 それは、砂漠の国で彼等を遠く見送った後、遅すぎる自覚に至った密やかな感情。
いつの間にか心の底に根付いていた、スコールの力になりたいと言う思い。
そして、投獄された彼にせめて生きていて欲しいと願い、罪と判っていながら脱獄の手引きをした、その理由。
フリオニールは、スコールに生まれて初めての恋心と言うものを持っていた。

 誰かに打ち明けた訳でもないので、フリオニールのこの気持ちを知っているのは、自分自身以外にはいない。
マリアやレオンハルトは勿論、ガイにさえ、話した事はなかった。
脱獄した彼を遠くから見送った後、もう二度と逢うことはない、逢う奇跡は起こってはいけないと思っていたから、この恋情は秘めたままフリオニールの命と共に人知れず朽ちる筈だった。
しかし、バラムの国で再会を果たし、フリオニールが父の死について深く感傷を持っていなかった事と相俟って、密かな恋はまた息づいている。
剰え、彼と僅かに目を合わせる度、フリオニールの鼓動が跳ねるほど、その感情は強いものになっていた。


「あ〜……」


 そんな感情を向けている相手を、幾ら訓練の勝負とは言え、打ち負かした。
俄かに罪悪感のようなものが湧き上がって来て、フリオニールはなんとも言えない苦い気持ちになる。
一人客間の窓辺で、上半身裸の格好で屈み込むフリオニールを、幸いな事に見る者はいない。


(いや、でも……手加減なんてしても、失礼だよな。スコール、凄く真剣な顔をしていたし。わざと負けるなんて、スコールが喜ぶとも思えないし)


 剣を向けあっていた時のスコールの顔を思い出して、フリオニールはそうも考える。

 真っ直ぐに見詰める蒼の瞳の美しさに、好いた者の色目で囚われている暇なんてものはなかった。
始めこそぎこちない所はあったものの、真っ直ぐに相手を射抜き、如何にして次の手に有効打を選ぶか、それを真剣に考えている相手を前にして、フリオニールの余裕のようなものはあっという間に消えた。
変幻自在のバッツや、アクロバットな動きを得意とするジタンを相手に訓練しているからか、スコールは非常に目が良い。
フェイントを織り交ぜた攻撃も繰り出し、その多彩な手数にはフリオニールも舌を巻いた。
経験値の差があった故に軍配はフリオニールに上がったが、もしもスコールが自分と同等の経験を積んでいたらどうなっていたか。
勇み足の癖が直らないフリオニールが、搦め手にやられていたのも、想像に難くない。

 背中の汗が冷えて、じんわりとした寒気を感じ、フリオニールはいそいそと着替えを再開する。
バラム国は冬が近付いている事もあってか、最近は陽光の恩恵が翳るとぐっと冷える事もあり、薄着でいるのは少々向かない。
風邪を引いてはいけないと、薄手のものを一枚余分に羽織った所で、コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。

 袖の形を直しながらドアへ向かう。
返事をしながら開けてみると、長身痩躯で片腕の色黒な男性が立っていた。


「失礼。スコール様たちが戻られるのが見えましてね。ならば貴方も此方にいるかと思って、立ち寄らせて頂きました」


 そう言った男の名は、キロスと言う。
古くはスコールが生まれた亡国で、その王───即ち、スコールの父親に仕えていた人物だった。
今現在は、故国滅亡の折に亡命したバラム国に、親子と共に身を寄せ、今も主に奉仕しているのだと言う。

 フリオニールはバラム国に来て、程無くスコールと再会し、その際に彼の父とも出逢った。
それから直ぐに茶会にも呼ばれたので、今ではキロスとも慣れた顔である。

 キロスは形式としてだろう、来賓と言う扱いにある砂漠の国の王弟に会釈した後、少し皺の目立ち始めた顔を緩めて言った。


「これからラグナ様の下で茶会をするので、ご一緒願えないかと思いまして。スコール様も同席されますから、如何かと」
「行かせて頂きます。ええと、ラグナさんの部屋で良いですか?」


 フリオニールの確認に、キロスは「はい」と答えた。
主の部屋へと踵を返すキロスを追う形で、フリオニールも客間を出る。

 スコールの父親であり、失われた国の王であったラグナ。
彼は十余年前、まだ苛烈な道を歩き続けていた砂漠の国の侵攻を抑え込む為、諸外国との連携を募っていた。
しかし砂漠の国の前王は、それが網の形になる前に、彼の国を攻め落としている。
ラグナは崩壊寸前の自国から、永世中立国として、友好国でもあったバラム国へと民を逃がす事を試みたが、多くの者は帰らぬ人となった。
そして当時既に成人していた、ラグナの長男であり、スコールの兄である第一王子も、この時命を落としている。
ラグナ自身も、最後の最後に城を後にした事で深い傷を負い、命こそ助かったものの、下半身不随の身となった。
この出来事が、物心ついて間もなかったスコールの心に深い傷を残し、彼は後に砂漠の王への復讐を決意する事となる。

 長い年月を経て、スコールは砂漠の国の前王への復讐を果たした。
だが、当然の事ながら、それで父ラグナの足が動くようになる訳ではない。
それでもラグナは、復讐の旅から帰った息子を受け入れ、その後に初めて邂逅する、前王の息子であるフリオニールに対しても、人の好い笑顔を向けてくれる。
今日のように、息子と過ごす一時の席に招く事も多かった。
その笑顔の奥にどんな感情があるのか、フリオニールは愚か、息子であるスコールもよくよく知れないと言う。

 ともあれ、友好の為に派遣された身としては、こうした誘いを断る理由もない。
ラグナの事、引いてはスコールの事もよく知りたいと思うから、招かれる事はフリオニールにとって吝かではなかった。
時には其処にシド国王やイデア王妃が加わる事もあり、フリオニールは緊張で茶菓子も喉を通らなかったりするのだが、自国ではきっと聞く事もなかったであろう、様々な話を聞けるのは良い経験になっていた。

 いつの間にか通い慣れた場所になった、ラグナの為に拵えられた一室。
失礼するよ、と従者が主に使うには少し砕けた声かけをして、キロスは扉を開けた。

 其処は車椅子で過ごす彼の為、ベッドやテーブルは他の部屋に使われているものよりも一段低いものが揃えられている。
その中央に置かれた円テーブルに車椅子を寄せているのが、ラグナだ。


「おう、いらっしゃい。座ってくれよ」


 そう言って、ラグナは朗らかにフリオニールに笑いかける。
白髪の混じる長い黒髪を項で無造作気味に括り、締め付けを苦手にしている彼の為、ゆったりとした服に身を包んでいる。
最近、寒くなる事が増えたからか、膝下にはチェック柄のブランケットがかけられていた。
後ろには控えるように、ガイと同じ位に縦横ともに幅のある男が立っていた。
彼もまた、キロスと同じように、ラグナの傍仕えである男で、名前をウォードと言う。

 カチャ、カチャ、と小さく金属の鳴る音が別の場所から聞こえて、其方を見ると、スコールとバッツが別のテーブルで食器の用意をしている。
よく其処に並んでいる金色の尻尾の姿は、今はない。
恐らく、日課である彼の恋人の所に行っているのだろう。

 程無くバッツが食器とポットを乗せたトレイを運んで来る。
スコールがその後ろからついて行く形で、父とフリオニールが待っていた席へと加わった。


「今日はイデアさんの育てたカモミール。クッキーはローズマリーとバジル入りだよ」


 バッツが言って、ミルクをカップに注ぐ。
その上に茶を注ぎ、それぞれの好みに合わせて角砂糖を入れて、テーブルを囲む面々に配った。


「キロスさん達もいる?」
「私は後で頂くよ」
「……」
「ウォードも今は良い、と。私達の事は気にせず、君は一緒に楽しむと良い」
「じゃあ遠慮なくっと」


 バッツは準備に使っていたテーブルの下から、椅子を一脚運んできて、其処に座った。
四人で囲んだテーブルの真ん中に、クッキーを入れた皿が置かれる。
なんとなく最初の一口を遠慮するように手が伸びない中、すいっとそれを取ったのはバッツである。
それを切っ掛けに、ラグナ、スコールもクッキーを手に取り、フリオニールも一つ摘まむ。

 クッキーは甘さ控えめで、ほんのりと爽やかな後味が口の中に残る。
マリアが喜びそうだ、とフリオニールが思っていると、ラグナが舌鼓を打ちながら言った。


「やっぱり美味いな〜、イデアさんのクッキー。な、スコール」
「……ん」


 声をかけられた息子の反応は、ごくごく短い簡素なもの。
しかし、蒼の瞳はちらりと父の顔を見たのを確認して、ラグナは嬉しそうに翠の双眸を細めた。

 それから、その目はフリオニールへと移る。


「さっきの見てたぜ、フリオニール君。凄かったな」
「え?」


 さっきの、とは───とフリオニールがきょとんと眼を丸くすると、キロスが説明する。


「スコール様との特訓ですよ。丁度、あの時は上階のテラスにいましてね。其処からだと、修練場の方もよく見えるのです」
「えっ」


 見られていた、と俄かにフリオニールは焦った。
ラグナにとって唯一無二となった、大事な息子を相手に、木剣とは言え刃を結び、それを負かしたフリオニール。
先程、勝負なのだからそう言う事にもなる、と自分を納得させた所であったが、想い人の父親にその場面を見られていたと聞いて、俄かに焦りが浮かぶ。


「ええと、その……」
「ん?あ、良いよ良いよ、別になんか怒ってるとかじゃないんだから」


 おたおたと挙動してしまうフリオニールに、その胸中を察したのか、ラグナはひらひらと手を振った。
息子を相手にした事も、その勝負に勝った事も、気を悪くされるような事ではない、と。


「スコールも楽しそうだったからさ。良かったら、また相手してやって」
「そ、それは、俺は全然構わないと言うか、その、嬉しいと言うか」
「お、そうなの。だってさ、良かったな、スコール」


 しどろもどろになりつつ、なんとか返したフリオニールに言葉に、ラグナはぱっと表情を明るくした。
そのまま笑顔を息子に向けるラグナであるが、スコールは眉間に深い皺を刻んでいる。
そのまま渋い表情で、スコールはちらりをフリオニールを見た後、ふいっと明後日の方向へと顔を背けてしまった。


(やっぱり、嫌われたか)


 先の勝負の結果の頃から、スコールはフリオニールと余り目を合わせてくれなくなった。
勝負は勝負と、勝っても負けても詮無い話ではあるが、とは言えやはり負ければ腹も立つものだ。
それはフリオニールも、レオンハルトを相手に訓練していて、よく経験している事だった。

 かと言って謝るのも何だかなぁ、とミルク入りの紅茶の味で口の中の苦い感覚を慰めていると、バッツがスコールのそっぽを向いた頬をつんつんと突き、


「大丈夫だよ、フリオニール。スコール、ちょっとムキになってるだけだから」
「なってない」


 バッツの言葉に、スコールは頬を突く手をぱしっと払って言い返した。
バッツはそれを気にせず、スコールの顔を見ながらにこやかな表情で言う。


「フリオは一発が重いって言ったろ?競り合ったらスコールじゃ負けるって」
「負けてない」
「押されてたのに」
「押されてない」


 特徴的な傷の走る眉間に、谷のように深い皺を浮かべて、スコールはバッツの言葉に反論する。
それをラグナは、眉尻を下げた表情で眺めていた。
フリオニールが周りを見渡せば、キロスやウォードも、主と同じ表情で、バッツに反発するスコールを見ている。

 しばらくバッツの指摘に対し、否定を返しては眉間の皺を深めていたスコールだったが、その矛先がついっとフリオニールへと向けられると、


「次は負けないからな」
「えっ。あ、う、うん」


 じろりと蒼の瞳が尖って、フリオニールを睨み付けた。
突然の矛先に思わずと言ったフリオニールの反応を見て、スコールはやはり拗ねた顔をして、クッキーを齧る。
バッツはそんなスコールの髪をぽんぽんと撫でて、


「でも、良い経験になっただろ?おれやジタンばっかりじゃなくて、偶には他の人とやるのも悪くないって」
「……ふん」


 スコールはバッツの手を退けながらも、その言葉にはっきりと否定はしなかった。
聊か丸め込まれた、と言った得心しない表情は浮かべつつも、バッツの言葉が確かである事は、彼も実感しているようだ。

 茶会はいつも穏やかなものだ。
それがフリオニールには、少し、いやかなり、不思議な事だと思っている。
何せこの場に集まっているのは、滅びた国の長とその息子と、滅ぼした国の王弟だ。
砂漠の国が彼の国を落とした時、フリオニールはまだ六つか七つと言う子供の頃で、自分の父親が国王であるとも知らず、市井で普通の子供として育てられていた。
だが、彼の暴虐を働いた男の血は、確かにフリオニールにも流れている。
そして、その父親を殺したのは、例え明確な証拠が示されていないとしても、スコールである事に間違いはない。
これは彼自身も認めている事だった。
───そんな関係を持つ者が、こうしてのんびりと茶菓子を囲んで午後を過ごしている等、普通は考えられない事だろう。

 不思議な午後のティータイムは、二時間もすればお開きだ。
皿に積まれていたクッキーもすっかり消え、ポットの中身も空。
今日は何を見た、こう言う噂を聞いたと、ラグナとバッツが率先して喋るのを、フリオニールが相槌を打ち、スコールは黙って聞き流している内に、緩やかな一時は終わりを告げる。

 キロスとウォードが食器類を整えている間に、バッツがフリオニールに「図書室行かないか?」と声をかけた。
なんでも新しい図鑑類が入ったとかで、中には植物図鑑もあるらしい。
それは大層フリオニールの興味を誘ったが、


「フリオニール君、ちょっとだけ時間良いかな?」


 ラグナに名前を呼ばれて、フリオニールはどきりとした。
翠の瞳が、柔らかく細められているのに、何処か深く重いものを感じさせる気配がして、忘れかけていた緊張が去来する。


「ラグナ、フリオと何か話があるのか?」
「うん、ちょっとな。そんな長くはかからないかなとは思うけど」
「そっか。じゃあ、おれとスコールは先に行ってるよ」
「ああ、判った」


 図書室はよく行くから、フリオニールも場所を覚えている。
バッツはお先に、と言って、スコールの手を引いて部屋を出て行った。
ドアが閉められる前に、スコールが微かに此方を振り返ったようにも思えたが、はっきりとは見えなかった。

 残されたフリオニールは、俄かに掌に汗が滲むのを感じていた。
存外と素直な紅い瞳にも、それは表れていたのだろう、フリオニールを呼び止めた当人は眉尻を下げて笑んで見せる。


「取り敢えず、もう一回座って貰って良いか?」
「はい」


 フリオニールは一度立った椅子へと戻り、「失礼します」と言ってから着席した。
ラグナの部屋には茶会に呼ばれて何度も邪魔させて貰っているが、其処には必ずスコールとバッツ、時にはジタンの姿もあった。
一人でこの場に残されたと言うのは初めての事で、自然と背中を伸ばしてしまう。

 キロスとウォードが食器を提げて部屋を出て行くと、いよいよフリオニールとラグナが二人きりになる。
ごく、とフリオニールの喉が鳴ったのは無意識だった。
それがテーブルを挟んで反対側にいるラグナには、存外としっかりと聞こえたようで、


「そんなに緊張しないでくれよ。別に怖い話しようってんじゃないからさ」
「あ……は、はい」
「って言っても、まあ、難しいもんだよな。俺も同じ気持ち。はは、足が動くんだったら、今頃攣ってただろうなぁ」


 苦笑するラグナの言葉に、フリオニールは相槌すらして良いものかと思案する。
その間に、ラグナはこほん、と咳払いをした。
それは彼自身が気持ちを切り替える合図だったのだろう。


「何処かで言っておかなきゃいけないと思ってたんだ。……ありがとう、フリオニール君。あの子と仲良くしてくれて」


 突然の感謝の言葉に、フリオニールは目を丸くする。
そんな青年に構わず、ラグナは続けた。


「君にとってスコールは、親父さんの仇だろ?」


 フリオニールは、今度ははっきりと息を飲んだ。
やはり、彼は知っているのだ。
スコールが自分の傍を離れていた時、何をしようとしていたのか。
旅路から戻って来た息子が、何処で何をしていたのかも、ラグナは悟っている。


「君の家族を、あの子は奪った。君にとって、赦し難いことである筈だ。バッツから聞いたけど、どうやら君は、あの子達が砂漠の国にいた時、随分と良くしてくれたらしい。それなら尚更、恩を仇で返した彼らの事は、憎いだろうと思うんだ」


 ラグナの言葉に、その通りだ、とフリオニールは思う。
彼の言葉が、本来あるべき形の、自分とスコールの間柄なのだろう、と。


「だけど君はそう言うものを感じさせない。特訓とは言え、勝負をすると聞いて、まさかと言う気持ちもあったんだけど……そりゃあ真剣を抜ける環境でもないし、木剣もそれと変わる程の殺傷力はない。でも、木製だって武器は武器だ。殴れば痛いし、その気になれば人を殺す力も十分ある。君の腕なら、バッツ相手は難しくても、スコール位ならそうでもないだろう。でも、君はあの子に怪我をさせなかった」


 訓練とは言え、勝負は勝負と、フリオニールもそれなりに本気を出して打ち合った。
スコールもそのつもりでいただろう。
だから剣だけでなく、拳も出るし足も出る。
だから全くの無傷と言う事はなかったが、ラグナの言う通り、それが残り続けるような傷になるようなものは、お互いに負ってはいない。
あれは、あくまでも訓練だったのだから。

 そう思っていたフリオニールにとって、ラグナの言葉は聊か虚を突くものだった。
殺す事が出来ていたのだと、そうでなくとも、何かしらの報復を狙えることだったのだと、今になって認識したからだ。
それ程、フリオニールはスコールと勝負をすると言う事に対して、その言葉を額面通りに受け取っていたのである。

 黙って話を聞いているフリオニールに、ラグナは眉尻を提げて笑う。
その顔は、顔立ちの若々しさとは裏腹に、酷く老いたような気配も滲ませていた。


「おまけに、スコールも楽しそうな顔をするもんだからさ。スコールのあんな顔は久しぶりに見たなぁ。バッツと特訓していた時だって、死に物狂いって顔してて、楽しんでる感じなんて微塵もなかったのに」


 ───スコールが復讐の為、剣を握ると決めてから、バッツがその決意を汲んで彼に剣を教えるようになってから、幾年と経っている。
その間、ラグナはずっと、このバラムの城の片隅で、剣を振るう息子の姿を見守って来た。
体が動かないラグナには、それしか出来る事がなかったからだ。

 そんなスコールが、フリオニールとは楽しそうに打ち合っているように見えたのだと言う。
その上、「今度は負けない」とまだやる気満々でいるのだ。


「あの顔見た時、スコールはフリオニール君が気に入ってるんだなって判ったよ」


 ラグナの言葉に、どくん、とフリオニールの鼓動が跳ねる。
その鼓動の音は、逸ったままで続いて行き、フリオニールは俄かに顔が熱くなるのを自覚した。


「だからさ、俺、嬉しくて。君がスコールの事を本心でどう思っているにせよ……あの子と対等に接してくれてありがとう」


 そう言って頭を下げるラグナの姿に、そんなこと、とフリオニールは思った。
ラグナの言葉は、確かにフリオニールにとって嬉しいものであったが、同時に酷い罪悪感を抱かせていた。

 フリオニールの膝上で握った拳に力が籠り、喉が閊える感覚に襲われる。
拭う事もままならないその違和感に呼吸を抑えられながら、フリオニールはなんとか口を動かした。


「俺は……そんな風に、貴方に感謝して貰えるような人間じゃない……」


 柔らかく微笑む翠の瞳を見ている事が出来なくなって、フリオニールは俯いた。


「俺にとって、父親って言うのは……その、あまり家族とは呼べなかったんです。子供の頃は父親が王様だなんて知らなかったし、母親は普通の人だった。その母が死んで、しばらくしてから、急に知らされた事だったし。王子として城に上げられてからも、父とは話をする事は殆どなくて、……“親”だって思えるほどの関係でもなかった。だから正直、死んだ時にも、“親”じゃなくて“国王”が死んだって感じでしかなくて……」


 息子としては愚か、臣下として前王を信望していた訳でもなかったから、フリオニールはその報を聞いた時、驚きはしてもそれ程ショックは受けていなかった。
苛烈であった前王は、度々暗殺者に命を狙われており、フリオニールは兵としてそれを未然に防ぎつつも、いつかはその日が来るかも知れない、とは覚悟していた。
そもそも年齢もそれなりであったし、無事に天寿を全うしたにしても、前王の死はそれ程遠くはない日に待っていた可能性も否めない。
突然その日が来たとしても、何ら可笑しくはない───そう言う考え方が染み付き、それがいつ現実となっても無理はないと割り切ってしまえる程、フリオニールと父との関係は淡泊であった。


「父親が死んだ事には、あまり何かを思うような事はなくて。変な事なのかも知れないけど、本当に。これが、兄弟みたいに接してくれた人や、ガイだったら違ったんだとは思います」
「……」


 フリオニールの兄弟たちも似たようなものだ。
唯一の娘であるマリアは、やはり父も少なからず尊重していた所があったのか、報を聞いた時には兄の胸で言葉を喪って泣いていた。
しかし、息子たちは皆淡々としたもので、悲嘆に暮れるよりも先に、国王を殺した侵入者とそのルートの割り出しに急いでいた。
政について話す機会も多かったであろう、長兄マティウスと次兄レオンハルトなどは特に素早く、方々への指示を飛ばし、前王の死について戒厳令を敷き、それを解くまでに次の舵取りの段取りを整えていた程である。

 前王が息子たちにそうさせるつもりで、敢えて距離を取っていたのかは判らない。
そう言う人となりを知れる程、フリオニールは父と会話をした事がなかった。
ともあれ、結果としてそのお陰で、前王の死により国が混乱する事もなく、新たな国家体制を築き、次世代への移り変わりは始まった。


「だから、この事で俺がスコールを……あなたの息子を恨むような事は、これっぽっちも考えた事がなくて。こっちでスコールと会って、それを言われた時に初めて、ああそう言うものかって思った位で……」


 あの庭園でスコールと再会した時、フリオニールは驚くと同時に、確かに喜びを感じた。
遅い自覚をした恋心もあって、二度と逢えない、叶う筈のないその再会を喜ぶなと言うのが無理だ。
しかし、スコールの方は、自身が犯した罪をフリオニールが裁きに来たのだろうと言った。
思い起こせば、確かにそう言う罪を彼は犯したのだと、今更になって悟ったのである。

 だが、やはりそう言った流れも含めて、普通とは違うのだろうとフリオニールも理解している。
これはフリオニールと前王である父の関係が薄かったからだ。
若しもスコールが殺したのが、前王ではなく、フリオニールが家族と呼べる人々であったら、こうも凪のような心地ではいなかっただろう。

 それが幾何かの想像が出来るから、フリオニールは判ってしまう。
嘗てスコールが復讐に身を焦がしていたように、その感情の種は、今目の前で穏やかに笑う人にもあった筈だと。


「……俺にとって父親がそんな程度であるとしても。俺は、貴方の大切な家族を奪った男の血を引いている。そんな奴が、貴方から“ありがとう”なんて、貰って良い言葉じゃない。本当はスコールと一緒に過ごす事だって、嫌だと言われたって、無理もないと思います」


 ラグナが、家族を何よりも大事にする人だった事は、バッツから聞いている。
そんな彼から宝物を奪った前王は、その血筋の存在は、きっと彼にとって憎しみの象徴も同然だろう。

 フリオニールのその言葉に、ラグナはしばらく口を噤んでいた。
茶会で顔を合わせると、本当によく話す人であったから、こうも静寂が下りると酷く違和感を覚える。
閉じた唇の中で、何が渦巻いているのかと思うと、フリオニールは俄かに背筋が冷たくなるような気がした。

 やがて、きしり、と小さな音が鳴った。
ラグナが体を預けている車椅子のものだ。
ラグナはその背凭れに寄り掛かって、バラム国の伝統のものだと言う模様で彩られた天井を見上げる。


「そうだなあ……何にも思わないって言ったら、やっぱり嘘になっちまうんだけど……」


 砂漠の前王との確執により、ラグナは大切なものを幾つも失った。
風光明媚な故国の景色、あちこちに溢れていた国民の笑顔。
日々の生活を支えてくれていた城仕えの者の中には、娘のように可愛がっていた少女もいた。
国を守り、父を支える事を目標にして、日々鍛錬に励んでいた息子との再会は、傷だらけの亡骸で、弟を守りながら死んだのだと聞いて、どうしてお前も生きていてくれなかったのかと嘆いた。
唯一生き残った幼子も、大好きな兄と姉を喪った事でその無垢だった心が壊れ、長い間その日のまま時間を止めてしまった。

 怖い夢を見たと言っては泣き、兄姉や父を求めて、夜の城で迷子になっていた幼子が、その日以来、ぱったりと泣かなくなった。
泣けなくなってしまった我が子の体ばかりの成長を、ラグナはただただ見守り続けるしかなかった。
その悔しさは、遣り切れなさは、今でも変わらず、ラグナの胸の奥に深く重く根付いている。
今でも、寝惚けたスコールが子供返りをしている姿を見ると、彼の心にいる子供は、まだ悲しみの中にいるのだと判ってしまう。
それ程の傷を遺した人間に、ラグナの腸が煮える事もあった。

 ────それでも、とラグナは思う。


「でも、お前さんにそれをぶつけるのは、違うだろうって思うんだ。それをしたのは前の王様で、その頃、君はまだ子供だったんだろう」


 ラグナの言葉に、それはそうだけど、とフリオニールは唇を噛む。
ラグナはそんな青年へと視線を戻して、目元の皺を寄せながら言った。


「俺が憎んでいたのは、君の父親だ。君じゃない。親のした事だからと、次の世代までそれを継いでいたら、この世界は憎しみだらけでいつまでも血で血を洗っているだろう。その連鎖は、何処かで断ち切らなくちゃいけないものだ」


 そう言ったラグナの姿からは、嘗ての王の風格を感じさせた。
既に滅びた国であろうとも、半身動かぬ体であろうと、厳格な雰囲気は衰えを感じさせない。
其処には、奪われた者であるからこそ、至るには厳しい筈の道を選んだ重みを漂わせていた。
ああ、この人は“王”だったのだと、数える程しか邂逅の機会のなかった自分の父親と似た圧を感じて、フリオニールの口端が強張る。

 かと思えば、ラグナはくしゃりとその表情を崩して言った。


「まあ、そんな事言ったって、俺はスコールを止めなかったし。君がスコールを殺しに来たのだとしたら、俺は君と刺し違えてでも止あの子を守ろうとしただろうから、何も偉そうに言える話じゃないし……いや、こんな体だからな。出来っこない事は、言うもんじゃない」


 動かない自分の体を見下ろし、自嘲気味の呟きは、独り言だろう。
それが反ってフリオニールには、ラグナの言葉の重さを表しているように聞こえた。


「……君の父親が、俺の家族を奪って、スコールは復讐する為に生きていた。そして、旅に出て……あの日、スコールやバッツ達を止めなかったのは、きっと俺の中にも、あの子と同じ気持ちがあったからだろう。こんな体じゃなかったら、俺も一緒に行こうなんて言ったかも知れない。それであの子と一緒に地獄に落ちるなら、喜んでそうするよ。あの子の母親や、兄や姉は、きっと天国にいるだろうから、復讐する事が死んだ後も裁かれるべき罪になるのなら、俺も一緒の罪を背負う。そもそもは俺が背負うべきものだったのかも知れない。俺が出来ないから、あの子に預けてしまっただけで。───勿論、そんな事を死んだ皆が喜ぶ訳ないのは判ってるけど……そうしなくちゃ、俺たちは前にも後ろにも行けないって、思っていたのは確かなんだ」


 信頼してくれていた息子を奪い、可愛がっていた少女を殺した、砂漠の暴王。
その死の十字架を背負った事で、幼い心を冷たく閉ざした愛しい子。
彼の額に刻まれた傷を見る度に、沢山のものから守ってやれなかった後悔がラグナを襲い、同時に幼子にその重荷を背負わせた砂漠の王を恨んだ。
ラグナもまた、長い長い時間を、そんな昏く重い感情と共に過ごし続けていたのだ。


「それから、スコール達がバラムに戻って来て、その時あの子は少しだけ楽になった顔をしてたよ。結局どうしたのかは俺は聞けなくて、あの子も話してはくれないし、バッツやジタンも言わなかった。色々判っちまったのは、君の父上が亡くなった事が大々的に報じられてから。病死だって話だったけど……それを聞いて、スコール達がやっと終わったって顔をしてたから、まあ、なんとなく感じたって言うか……そんな程度なんだけどな」
「……」
「それを見たら、ちょっとだけ、楽になったかな。此処でただ待っていただけの俺が、図々しい話ではあるんだけどさ」


 砂漠の前王の訃報を聞いて、やっと終わったのだとラグナも感じた。
いつまでも渦巻き続けていたどす黒い感情が、それを向ける相手がいなくなったことで、雪解けの始まりのように薄らいだ。

 同時にそれは、ラグナに次の覚悟の時が来たことを教えていた。


「その頃から───いや、本当はもっと前、見送った時からだな。スコールが目的を果たしたら、いつかあの人の子供や家族が復讐に来るかも知れないとは思ってた。スコールがそうしたように、俺があの日、旅に出るあの子達を止めなかったように……やった事が返って来る日が来るのも、当然だって。覚悟はしていたつもりだ」


 砂漠の国の前王は、自分が覇道を行く代わりに、奪った者達から自身の命を狙われ続けることを判っていた。
だからこそ彼はあらゆる手段でその種を潰してきたのだろう。
スコールは、運良く摘み取られ損ねた種に過ぎなかった。

 奪うのならば、奪われる覚悟をしなくてはならない。
スコールもそれを理解して道を選び、故にこそ、バラムでフリオニールと再会した時に、自身が殺される事を予感していた。
息子の思いを結果的に汲んだ形で彼を送り出したラグナもまた、いつの日か、スコールがその選択の末に、父を置いて逝く事になるのも、考え続けていたと言う。

 結局、フリオニールの行動は、そんな彼等の予想を斜め上に裏切るものだったけれど。


「まあ、だから、心配してなかった訳じゃないんだ。君がバラムに来るって言うのも、ひょっとしたら前王の仇も目的なんじゃないかって。全く知らない仲ならまだともかく、あっちでも仲良くしてくれたらしいし。じゃあ尚更、酷い事をしたと思われていても当然だろうと。庭園で初めて君と逢った時も、結構ドキドキしてたんだよ」


 ラグナのその言葉に、フリオニールは驚いた。
スコールからフリオニールがバラムに来る事について、「ラグナが本心でどう思ってるかは判らない」と言われてはいたけれど、にこやかに握手を求めてくれた朗らかな笑みの中に、そんな気持ちがあったなんて、想像もしていなかったからだ。


「ここしばらく君と過ごすスコールを見て……君の事も見させて貰って。少なくとも、スコールの前で君は何かを仕掛けようとはしなかったし。本当に普通の友達みたいに、対等に過ごしてくれる。環境がこうだから、スコールにそう言う相手はずっといなくてさ。ジタン位だったかな。あの子も人見知りが激しいから、あんまり人との交流は広がらなくってなぁ」


 眉尻を下げ、弱ったように笑うラグナ。
それは紛れもない、子供の将来を案じる親の顔だった。


「やっと普通の子になれたんだ。フリオニール君が来て、それが本当によく見えるようになった。だから……ありがとう、フリオニール君」
「……そんな、」


 苦いような、けれども胸の奥に滲む安堵感が誤魔化せなくて、紡ぐ言葉に詰まるフリオニールに、ラグナは小さく笑う。


「何度だって言うよ、俺は。それ位、感謝してるんだ」


 この気持ちを撤回するつもりはないのだと、ラグナはそう言った。
フリオニールがどんなに受け取り難いと思っても、或いはこの言葉に疑念や罪悪感を持つとしても、ラグナは何度でもこの言葉を伝える。
それ程、ラグナにとって、この数ヵ月で見られるようになった息子の変化は、眩しくて尊いものだったのだ。

 はふ、とラグナは息を吐いた。
少し疲れた様子だったが、その表情は何処か晴れ晴れとしている。


「いつか言っておかなきゃなって思ってたんだ。俺もいつまでスコールと一緒にいられるか判らないからさ」
「そんなこと。まだ全然、元気なのに」


 思いも寄らなかったラグナの言葉に、フリオニールが思わず返すと、ラグナは眉尻を提げて弱った顔で笑った。


「はは、そう言ってくれるのは嬉しいけど、見ての通りの体だ。スコールもほっとけないし、俺自身も長生きしたいから、出来る事はやってるつもりだけど、やっぱり体力は落ち易くてさ。なんか病気でもしたら、俺はそんなに長くは持たないと思う」
「……」


 フリオニールの眼に、細く骨の浮いたラグナの腕が映る。
食事や読書、着換えなど、そう言った事にも筋肉は使うから、生活をしていれば最低限は維持されるかも知れない。
しかし、病気になった時、体力によって保たれる維持力や、回復力と言うものは、ラグナはどうしても衰える一方なのだとか。
この世界で比較的医学の発展したバラム国で生活していても、それは避けられない事なのだ。

 バラムで彼と初めて出会った日、フリオニールは彼と握手を交わした。
剣を握る事に慣れたフリオニールにとって、ラグナのその手の力は弱いもので、けれどとても暖かかった。
砂漠の国で、何度か触れた事のある、友人の父親の武骨な手とは正反対で、けれど同じ熱を持った掌。
やっとスコールがもう一度向き合う事が出来るようになったのに、どう足掻いても、その手はスコールよりも早く失われる日が来るのだ。


「俺はどうしたって、スコールを置いて逝く。あの子が旅に出た時の事を思えば、それは幸福な位の事だ。あの子が俺より先に逝ってしまう事だって、十分有り得た筈だから」


 その覚悟も、ラグナにはあったのだ。
止める術もなく、見送るしかなかった我が子の旅立ちが、彼との最期になる可能性はあった。
実際、スコール達は一度その寸前まで追い詰められており、フリオニールが密かに脱獄させる事を選ばなければ、ラグナは息子が返って来る姿を見る事もなかっただろう。

 だから、今こうして、唯一無二の我が子と穏やかな日々を送れるのは、ラグナにとってこの上ない幸せだった。
これ以上を望むのは贅沢だと思わせる程に。
だが、どうしても過ぎる心配だけは厭めなかった。


「スコールには、色んなものを見て欲しいんだ。俺が死んだ後も、それに囚われなくて良いように、新しいものに一杯触れて欲しい。ようやく、あの子もそう言う事が出来るようになって来たから」


 復讐の旅路は、きっとスコールに知らないものを沢山見せて来ただろう。
だが、あの頃のスコールが定めていたのは、ただ一つの血の道だった。
バッツは、過ぎ行くその景色が、少しでもスコールに何か新しいものを齎したら───と願っていたそうだが、結局は最後まで景色は景色のままでしかなかった。

 全てが終わった今だから、スコールはやっと周りを見る事が出来るようになったのだ。
庭園に咲く花を見て、移ろいゆく景色と共に変わる色を見て、季節を知る。
木々に集まる動物たちも、ようやっと幼い頃のように、彼の指先に留まるようになった。
その変化の理由をスコール自身が悟っているかは判らないが、彼を見る周囲の人々は気付いている。
ようやくスコールは、過去から未来へと進む事が出来るようになったのだと。

 そうして選べる未来と言うものを、ラグナは出来るだけ、沢山用意させてやりたかった。


「バッツはなぁ、死んじまった上の子の代わりに、俺が任せきりにしてしまった事もあるんだろうけど。俺が言うのもなんだけど、ちょっと過保護な所あって」
「そう、なんですか?バッツは色々出来るし、スコールにも色んな事を経験させてやりたいって、そんな感じもするけど…」
「うんうん。それもそうなんだけど、よく気が付く性格なもんだから、先回りして先に危ない事とか取っ払っちゃう事があって。大事にしてくれてるから、良い事なんだけどな。あと、スコールのお願いに弱くって。危ない気配がちょっとでも強いと、自分が代わりにやる事やって、スコールのお願いを叶えちゃったりとかな」
「はあ……」
「まあ、つまり、どうしても対等にならないんだ。少なくとも、バッツがスコールを自分と対等に出来ない。守るべき存在だって、思ってくれてるんだ」


 スコールとバッツの付き合いは、スコールがまだ物心がつく前から続いているのだとか。
当時は一国の王子と、旅の行商人の息子と言う間柄だったが、父同士が古い付き合いであった事もあり、スコールの寝かしつけをバッツが引き受ける夜もあったとか。
その後、国が崩壊してからは、バッツはスコールを第一にして、共に時間を過ごしてきた。
いなくなってしまったスコールの兄や姉、息子を抱き上げる事も出来なくなった父に代わり、スコールの保護者も教育係もひっくるめて引き受けたのだ。


「ジタンは、仲良くしてくれるし、良い友達になれて。だけど、ジタンにはジタンの大事な人がいるから、ずっとスコールと一緒にいるって訳じゃない。あの子がまたお喋りが出来るようになれば、今と某か変化があれば、彼もまた自分の生き方を見つめ直す必要もあるだろうし。スコールもそれは知ってるから、彼一人を縛っちゃいけない事も判ってる」
「……」
「それに、あの二人の間にあるのは、もうちょっと、なんて言うか……近過ぎるのかな。似たようなものがあるから、寄り掛かり合い易いのか」


 ラグナが言葉を選びながら言わんとしている事を、フリオニールはなんとなく理解した。

 ジタンもまた、ラグナ達と同じように、家族を砂漠の国の暴王によって奪われた。
守ると誓った恋人も、その追手との逃亡の最中、繰り返される悲劇に心を砕かれ、今も夢現に彷徨うまま帰っていない。
ジタンはそんな彼女がもう一度笑ってくれる日を願いながら、このバラム国でいつ終わるとも知れない祈りの日々を暮らしている。

 大事なものを奪われたもの同士、それによって生まれた昏い感情を抱き続けていたスコールとジタン。
彼等の間にあるのは、共謀的なシンパシーだ。
時間をかけて紡がれたその繋がりは、確かに信頼と絆を作り、全てが終わった今でも友情は続いている。

 ラグナに、それらを蔑ろにするつもりはない。
だが、“それらだけ”では足りないのだと、長く生きている身だからラグナは知っている。


「スコールの世界って言うのは、まだまだうんと小さいんだ。ずっとそんな世界の中にいたから、スコールもそれが普通になってしまってる。でもこんな小さな世界は、何か変化が起きると、直ぐに壊れてしまうかも知れない」


 その可能性として、ラグナが一番身近に感じるのは、自分自身の死だった。
これ以上、命の十字架の重さばかりをスコールに背負わせたくはない。
その重さと言うのは、存外と軽くて良いものなのだと、スコールに知って欲しかった。

 フリオニールとスコールの交流は、ラグナにとって、そんな息子の“はじめの一歩”だ。
既知の仲ではあったとは言え、沢山の柵を持つ間でありながら、二人は真っ直ぐに向かい合う事が出来る。
其処に恨みや憎しみがないと言うのなら、これからもその関係が続いて行けば良いと思う。
願わくば、この一歩を切っ掛けに、スコールがもっと沢山の人々の心に触れてくれたなら、と。


「だから、これからもスコールを宜しくって、そう思ってたりもするんだ。───はは。重いかな、やっぱり」


 少し乾いた声で、ラグナは笑いながら言った。
その言葉はきっと、此処まで紡いだ言葉を受け止めたフリオニールに対し、重石になってしまう事を考えたからだろう。
スコールと大して歳の変わらない少年に、まるで先人の願いを押し付けるような事を言った、と。


(……確かに、重い)


 フリオニールも思った。
自分はただ、自覚しない内に抱いた恋心がふとした折に芽吹いて、今もそれが息衝いているから、ただただその気持ちに従い、スコールと一緒に過ごせる事に心地良さを感じていた。
まだ持て余しているこの感情を、今後どうすれば良いのかも判らないのに、まるでスコールの将来を託すような事を言われている。
これが重くない訳がないのだ。

 でも、と噤んだ唇の中で唱える。
フリオニールは、ぐるぐると巡る頭の中で、沢山の言葉を削いでいく。
言葉を悪戯に重ねない方が、自分の正直な気持ちに一番近くなるのだと思ったからだ。

 長いような短いような、しんと静かな沈黙の後、フリオニールは口を開いた。


「俺は……スコールと一緒に過ごせる今が、楽しいです」
「うん」
「王弟として、此処に派遣されてきたけど。そう言う事を抜きにして、スコールとまた会えたことが、嬉しくて」
「……うん」


 ぽつりぽつりと話すフリオニールに、ラグナは短い相槌を打つ。


「親善大使とか、そう言う役目が終わっても。そう言うのが、最初からなくても。俺はこれからもずっと、スコールと一緒に過ごしていられたら良いって、思っています。スコールのことが好きだから」


 言葉は、案外とするすると出て来た。
何もかもが、フリオニールの正直な気持ちだったからだ。

 青年の言葉に、ラグナはぱちりと目を丸くする。
元々の出身が彼の国とは違うとかで、ラグナの瞳は息子のそれとは違う色を持っている。
けれど、お喋りな口と同じ位に瞳がお喋りなのは、どうやらしっかりスコールに受け継がれていたらしい。
驚いたように見開かれていたその瞳は、真っ直ぐにそれを見返す紅玉色を見つめた後、ゆっくりと細められた。


「……そっか。そうかぁ」


 感慨深い、そんな声でラグナは言った。
車椅子の背凭れに寄り掛かり、再度、その目は天井を仰ぐ。
そしてしばらく過ごしてから、ラグナは頭を持ち上げて、フリオニールの顔を見つめ返した。


「息子をよろしく。フリオニール君」
「はい」


 改めて告げられたラグナの言葉に、フリオニールはしっかりと頷いた。

 一人ラグナに呼び止められてから、思いの外時間が経っていたらしい。
長い事引き留めてごめんな、と言うラグナに、フリオニールは首を横に振って、深く礼をしてからその部屋を後にした。

 冬が近付いている為に、バラムの陽も傾くのが早い。
時間はそれ程遅くはない筈だが、窓から差し込む光には少し夕色が滲んで見えた。
先に図書室に行くと言っていたスコール達は、まだ其処にいるだろうか───と歩きだそうとした所で、窓辺に佇む影三つを見付けて、フリオニールは足を止める。


「スコール、バッツ。ジタンまで」


 図書室に行ったとばかり思っていたスコールとバッツだけでなく、茶会には参加していなかったジタンまで。
場所はラグナの部屋から離れてはおらず、廊下を少し進んだ所。
読書を終えて戻って来たのか、それとも来るのが遅いフリオニールを迎えに来たのかと、駆け寄りながら考えていると、


「……遅い」
「悪い。ちょっと、うん、話が盛り上がったと言うか」


 少し不機嫌そうに眉根を寄せたスコールの一言に、フリオニールは詫びた。
聊か不自然で不慣れな嘘を言い訳にすると、じいっと蒼の瞳がフリオニールを見つめる。
目を合わせると直ぐに逸らされてしまう事が多いのに、今日は真っ直ぐに見詰められる事が多いなと、密かに鼓動の跳ねる心臓を隠しながらそれを受け止めていれば、


「……ふん」
「……?」


 ふい、とやはりスコールが目を逸らす。
その頬が微かに赤らんでいるように見えて、フリオニールはどうしたのだろうと首を傾げるが、問う間もなく、スコールはすたすたと歩き出した。

 先を行くスコールを追う形で、フリオニールとバッツ、ジタンも歩き出す。
隣でひそひそと貌を近付けて囁き合っているバッツとジタンに、フリオニールは頭を掻いた。


「ええと……バッツ、図書室には行ってなかったのか?」
「行ったよ。でもスコールが気にしてたからさ、戻って来たんだ」
「ジタンは?」
「オレは偶々。通り掛かりだよ」


 偶々合流したので、そのまま一緒にいたのだと、ジタンは言った。

 ゆらりと金色の尻尾が揺れて、空色の瞳がフリオニールを見上げる。
その目元がなんだか笑っているように見えて、フリオニールはきょとんとした顔を浮かべた。


「なんだ?」
「いんや、別に。オレよりバッツだよ、バッツ」
「?」


 指差すジタンに促される形で、フリオニールはバッツを見た。
すると其処には、いつも朗らかで人懐こいバッツには珍しく、眉間にスコールと負けず劣らずの皺を刻んでいる彼がいる。


「どうかしたのか、バッツ」
「どうかって……んん〜、う〜ん……」


 唸る声で渋面を更に渋くさせていくバッツに、フリオニールは首を傾げるばかり。
その傍ら、ジタンは肩を竦めて「やれやれ」と言った。


「フリオ。スコールが好きなんだって?」
「え?……聞いてたのか!?」


 先手をついてやらんとばかりに、直球に言ったジタンに、フリオニールははっとなって真っ赤になった。
そして同時に、自分が何を仕出かしたのかを遅蒔きになって理解する。


(俺、ラグナさんに。スコールの父親に────)


 あの瞬間は深く考えてはいなかった。
だからこそすんなりと出て来た言葉であり、嘘偽りのない気持ちであると自信をもって言える。
だがやった事は、“想い人の父親にその感情を告白する”と言うものだ。

 フリオニールに色恋の経験は全くないが、しかし色々と順序が飛んでいるのは判る。
先ず持って自分でも持て余しているような感情を、その本人よりも先に、唯一の肉親に打ち明ける事があろうとは。
ラグナがフリオニールの言葉を何処まで本気で、其処に恋情があるとまで読み取ったのかは判らないが、知られればたった一人の大事な息子に対してとんでもない、と言われそうなことではないか。

 今になって自分の行動を理解して、フリオニールは赤くなりながら青くなる。
明日以降、どんな顔でラグナと向き合えば良いのだろう。
いや、それ以上に、前を歩いている少年だ。
すたすたと、後ろの三人を置いて行く勢いで歩いているスコールは、若しかしなくてもラグナとの話を聞いていたのではないか。
若しも最後まで聞いていたのなら、詰まり彼は、あの言葉も聞いていると言う訳で。


(うわあああああ)


 頭を抱えるフリオニールに、ジタンがゆらゆらと尻尾を揺らしながら追い打ちをかける。


「いやー、あのフリオ王子がね。そんな気持ちでスコールと一緒にいたとは、流石の恋愛マスターも想像してなかったぜ」
「れんっ……待、待ってくれ、あれはその」
「ただの友達の“好き”だって?」
「い、や。いや、あの、その……」


 ジタンの言葉に、そうだとも、違うとも、フリオニールは言えなかった。
自分の気持ちに嘘が吐けないフリオニールである。
だからこそ、それが彼の正直な感情であると、ジタン達にもよく判った。


「熱烈に見てる時があるなぁとは思ってたんだよな」
「そ、そうなのか……!?」
「自覚ナシか。まあ鈍そうだなとは思ってたけどさ。あっちで脱獄の手助けあんなことまでしてくれた理由がそうだと判ったら、オレは色々納得しちゃったけどな。好きな奴には、やっぱり生きてて欲しいもんな?」


 そう言って笑うジタンに、フリオニールは口を噤んだ。
彼の愛しい人もまた、眠りから目覚めないが、今も生き続けている。
愛した人に生きていて欲しいと、それだけを支えにしているジタンの声には、言葉以上の感情が込められていた。

 そんなジタンの隣で、バッツはまだ渋い顔をしている。
褐色の瞳がちらりとフリオニールの顔を見ては、ううん、と唸った。


「フリオだしなぁ……うーん。うーん……」
「その……バッツ?」


 恐る恐るとフリオニールが声をかけると、バッツはゆっくりと顔を上げた。
ラグナに敗けず劣らず、人懐こい顔をしている事が多いバッツだが、今は痛いほどに真剣な瞳がフリオニールを貫いている。


「フリオニール」
「なんだ?」
「俺は見てるからな」
「……え?」


 ずい、と貌を近付けて言ったバッツに、フリオニールはぱちりと瞬きを返す。
どう言う意味だと問い返せば、バッツはまたうんうんと唸りながら、


「ラグナは、なんか、良いみたいな感じだったけど。実際、スコールもフリオと一緒にいるの、楽しいみたいだし。スコールにとって良い事なら、おれは断然良いと思ってる。フリオがちょっと心配になる位に信頼できる人間だって事は、判ってるつもりだし」
「あ、ありがとう……?」
「でも見てるからな。ちゃんと、スコールを任せて良いかどうかってこと」


 そう言ったバッツの言葉には、彼が長年、スコールを守り続けていたと言う自負が滲んでいた。
父との間にも溝が出来てしまい、凍り付いていたスコールの面倒を具に見て来たのは、他でもないバッツなのだ。
兄代わり、保護者代わり、剣の師───その役目を表す言葉は幾つもあるだろう。
それだけ近くで見守り続けていたからこそ、バッツはこれからも見ている、と言う。


(───うん。そうだな。バッツにとってスコールは、何よりも大事な人だから)


 スコールの憎しみの旅路にも、彼は同行したのだ。
スコールの願いを叶える為、その道筋で出会うであろう危険から彼を守る為、バッツは常にそう生きて来た。
そして恐らく、これからも。

 それ程にスコールの事が大事なのだと言うバッツに、フリオニールも頷く。


「ああ、見ていてくれ。ラグナさんにも、バッツにも信頼して貰えるように、頑張るから」


 真っ直ぐに見詰め返す紅い瞳に、今度はバッツがぱちぱちと瞬きを数回繰り返す。
そしてバッツは、ゆっくりと天井を見上げるように体ごと大きく逸った後、がっくりと肩を落とすようにして座り込み、


「うわ〜……」
「お前の負け」
「なんかすごく眩しかった」
「要らない心配だって判ってる癖に、意地の悪いこと言うからだろ?」
「だってさぁ……やっぱり一回はこう言わないと……」


 組んだ腕に顔を伏せてしまったバッツに、ジタンが金色の尻尾でその背をぽんぽんと叩いた。
どうしたのかとフリオニールがぽかんと立ち尽くしていると、


「フリオニール!」
「えっ、あっ。な、なんだ?」


 遠くから呼ぶ声に、思わず肩を上げながらフリオニールが振り返れば、廊下の向こうでスコールが此方を見ていた。
両腕を組み、不機嫌を判り易く見せる顔で、傷のある眉間にはくっきりと深い谷が出来ている。


「何してる。図書室はどうするんだ」
「あ、い、行く。読みたい本があるんだ」
「じゃあ早く来い」


 急いでフリオニールが走り出すと、スコールはその到着を待たずに踵を返した。
図書室へと向かうその足は、やはりいつもの歩調よりも少し早い。
走ったフリオニールがその隣に並ぼうとすると、またスコールが歩足を速めるものだから、まるで隣に来るなと言っているようだった。
しかしフリオニールが半歩後ろで歩くようにすると、スコールはそれに合わせるように歩調を緩める。

 微妙な前後ろと並んで歩くスコールとフリオニール。
それをまた少し離れた位置を保っているバッツを見て、ジタンは二人に聞こえない声で言った。


「きっと見守ってる位で丁度良いさ。どっちもこれからなんだから」


 それは親友への慰めでもあり、まだまだ柵が多いであろう二人への応援でもあり。

 ―――ジタンとバッツは知っている。
遠い砂塵の向こうから、銀糸の青年に見送られたあの日、何も知らない王女から手渡された手紙の中に入っていた、深い蒼色を抱いた小さな花。
押し花にされていたそれを、スコールが今も密かに持っている事を。

 彼等の未来が、少しでも明るいものになれば良いと、バッツも前を歩く二人を見て、その眩しさに目を細めたのだった。




2015、2016年に発行したフリスコのオフ本[ペルシカ]のその後でした。
作中、フリオニールが遅い自覚から、その恋心をはっきりと確信した形で終わるフリスコ本でしたが、その後の二人がどう過ごしているかを書きたいなぁと思っていまして。
また、作中ではラグナに関して、専らスコールやバッツが「多分あの人はこう考えているだろう(違うかも知れないけど)」と想像で話す以上の場面を描かなかった事もあり、ラグナ自身が何を考えているのかも書きたかった。書いてる奴の気持ち的には此方がメインだった所もある。

親/保護者公認になったんだか、そうでないんだか。前途は揚々とは言えませんが、お互い気持ちはあるようなので、多分その内ちゃんとくっつくんだろう、と言う話です。