今日を導いてくれた貴方へ


「レオン、最近、ちゃんと休んでる?」


 エアリスがそう言った時、レオンは城の地下にあるコンピュータールームにいた。
彼が其処に滞在しているのは毎日の事で、家で過ごすよりも此方にいる時間が多いのも当然のこと、時には帰宅せずに此処で眠る事も多い。
レオン自身、その方が何かと効率が良いから(効率の悪い場所に家を持ったのも判っての事ではあるのだが)コンピュータールームで寝泊まりする事に否やがないのであるから、別段、それを不服や不満と思った事はない。
彼にとっては、この街を少しでも早く、記憶にある風景よりも良い街へと復興する事が、何よりも優先すべき事なのだから。

 と言うことはエアリスやユフィも判っている事だが、それにしても彼は仕事をし過ぎるきらいがある。
人間なのだから、休みたい、と言う気持ちはある筈なのだが、彼はそれを億尾にも出さない。
その姿勢があるから、街の人々は再建委員会、ひいてはレオンの事をリーダー的存在として頼り、安心していると言うのはあるだろう。
だが、だからと言って、レオンが全く休む暇もないほど忙殺されなくてはならないのかと言うと、実の所、そうでもない所もあったりする。

 例えば、セキュリティシステムの対応地域が広がった事で、毎日のように行っているパトロールが必要な地区が減れば、レオンが外で汗を流す事も減る。
シドが直した大型駆動機械が本格的な活動を可能とすると、力仕事に駆り出される事も減るし、人手が増えて監督役をする事に慣れた者が見付かれば、其方に委託と言う形で現場指揮を頼む事も出来た。
デスクワーク的なものとなる、アンセムレポートの解析だとかは、それそのものが難解なものである事や、その論文の内容を理解する為の前知識が足りない事もあって、どうやっても遅々となるものだ。
トロンの協力を得られるようになってから、幾らかは進むようになったが、思う程スピードは上がらない。
それは仕方のない事で、現在持ち得ている資料では、これ以上の成果は上がらないだろう、と言う所まで至っている。
そうなればアンセムレポートについては、現状でこれ以上の研究解析が上がる筈もない為、次のレポートや別な資料が見つかるまでは、保留にせざると得なかった。

 勿論、そう言った代表的な事以外にもやる事は多く、「今すぐには必要ないだろう」と言うことでも、前倒しにしておくことで後々が楽になる───と言ったことの為に労力を惜しまないのも悪いことではない。
しかし、生き物と言うものは須らく休息を必要不可欠のメカニズムとしている。
どうやらコンピュータープログラム体であるトロンでさえも疲労と言うものは感じるらしい(機械で言うオーバーヒートや、多量の読み込みによるメモリ残量の低下のようなものだろうか)から、生物であるレオンも勿論、その必要がある訳だ。

 だが、生来の生真面目さと、責任感と、過去の無力感故の足掻きか贖いか。
レオンは、休める暇があるのなら、それを何かの作業に当てているのが常である。
それは育て子たちに対して総じて放任主義であるシドから見ても、「働き過ぎ」だと顔を顰める位で、放っておけば幾らでもコンピュータールームに缶詰になって液晶画面と睨めっこしているであろう事は、誰もが想像に難くなかった。

 が、レオン本人はと言うと、そう言う日々が余りに恒常化し過ぎている為、特に危機感も問題も感じていない。
だからエアリスの言葉にも、きょとんとした表情で、


「睡眠時間は取れているぞ。休めている方だと思うが」


 街に人が戻り始めたばかりの頃は、それはそれは忙しかった。
自分達だけがこの街に戻って来た時のように、自分達だけの都合で動く事が出来なくなり、相談なり何なりと頼って来る人も多かった為、委員会のメンバーは寝る間を惜しんでそれに対応しなくてはならなかった時期もある。
人が増えればその心を餌にしようとするハートレスの出現も増え、セキュリティシステムの構築と運営の形が整うまで、人力で───ほぼレオンとユフィで───その対処に追われていた。
酷い時など、レオンは三日ほど徹夜で過ごし、気絶同然に倒れた事もある。
その頃から、エアリス達はレオンが無理をしていないか密かに確認しつつ、時には彼に休むようにと注意し、彼から仕事を奪って強引にでも休息させるようにと促していた。

 しかし、最近はレオンがそれ程に根を詰める事もなくなった。
ハートレスの被害は相変わらずあるし、近頃はノーバディなるものまで現れているから、気掛かりは全く減らない。
しかし、セキュリティシステムの完成や、帰って来た人々がそれぞれに復興の為に動き出している事、調べものについてもトロンの協力があるので、レオン自身がその身を削ってあくせくと駆け回る必要はなくなっていた。
家に帰らないのが恒常化していても、睡眠時間は確保できる程度の忙しさになっているから、レオンはそれで充分だと思っている。

 が、本人はそうでも、周りにとってはそうではない。
とかく、使命感からか、自分が無理をし勝ちであると自覚がない分、周りは厳しい目で捉えている。


「休むってさぁ、別に寝る時間だけの話じゃないじゃん」


 呆れたように言ったのはユフィだ。


ここから出て、外の空気吸って、家でご飯食べて、ベッドで寝てるかって事だよ。レオン、最近、ソファで本読みながら寝落ちてばっかじゃん」
「まあ、そうだな。読んでいる内についうとうとと……」
「それでこの前、顔に本を落としてたよね」
「見てたのか」
「偶々ねー」


 面白いもの見ちゃった、と舌を出すユフィに、レオンは赤らんだ顔に手を当てて溜息を吐く。
別に見られた所でどうと言う事でもないのだが、なんとなく恥ずかしい場面を覗かれたような気分になった。


「とにかくさぁ、寝るならちゃんとベッドで寝る位、きちんと休まないと駄目だって」
「……確かに、それはそうだな。じゃあ、今日は帰って寝るか」
「そーそー。って訳で、ホラ行こっ!」


 末っ子役の少女の指摘に、レオンが一応の納得を示した矢先だった。
たったっと駆け寄って来たユフィが、レオンの腕を捕まえて、ぐいぐいと引っ張っていく。
おい、とレオンは慌てた。


「待て、ユフィ。帰るって別に今から帰る訳じゃ」
「ちゃんと休むんでしょ。じゃあ早く帰った方がのんびり出来るじゃん」
「しかし今日はまだ調べようと思っていた事があって」


 コンピュータールームの出入口前で踏ん張るレオンと、それを強引にも連れて行こうとするユフィ。
攻防を繰り返す二人に、エアリスがひょこりと顔を覗かせ、


「じゃあ、レオンの調べもの、私がやっておくよ。何を調べていたの?」
「魔法系ハートレスの生態と言うか……数が増えてきているから、あれらを一掃するのに有効な手段はないかと思っていたんだ。連中はそれぞれの属性の気配に寄って来る性質があるが、その特徴をもう少し詳しく見てみようと思って」
「判った、じゃあ私が調べておくね。魔法系の事なら私も少しは判るし」
「それは助かるが、しかし」
「はいはーい、レオンはもう休憩!行ーくーよーっ」


 ユフィに腕を引っ張られ、更にはエアリスにも背中を押されて、レオンはなし崩しにコンピュータールームから連れ出されたのであった。




 レオンが城を出た時、時刻は正午前だった。
その事もあってか、エアリスとユフィは「取り敢えずお昼ご飯食べといたら?」「シドがなんか作ってる筈だよ」と言って、再建委員会の拠点として借りている、魔法使いの家へと向かう事にした。

 形ばかりの整地をした城と街と繋ぐ道を抜け、セキュリティシステムの範囲内に入ると、レオンは担いでいたガンブレードを下ろす。
未だに常に手放す事が出来ない武器でも、こうして一時、その重みに対して力を抜く事が出来るようになったのは良い事だ。
故郷に帰って来てから、自分自身がやらなくてはと思う事も含め、あれよあれよとやる事が増えて、それは今でも幾らも片付いてはいないが、こうした些細な変化を感じ取る余裕が出てきたのは喜ばしい事だった。

 魔法使いの家に来ると、家主は相変わらず不在だった。
彼はよくふらりと旅行に出て行くので、いつもの事だ。
中に入れば、エアリス達が言っていた通り、シドが昼食を作っていた。
それも二人分と言う、まるでレオンが来るのが判っていたかのような準備に、レオンは少々眉根を寄せたが、


(……エアリスとユフィに追い出されたしな。そのつもりで二人が城に来たなら、話はシドにも伝わってるか)


 レオンは働き過ぎだから休ませよう、と少女二人が言う時、大抵、其処にシドもいる。
三人でちゃっかり結託して、レオンを休ませる算段をしている事は、珍しくはないのである。

 レオンが来た事に気付いたシドは、早速食事の席にレオンを誘導した。
最近はシドがコンピューターに掛かり切りである事が増えた為、家事はエアリス、手の空いた時にはレオンがその手伝いをするのがパターンとなってきたが、常夜の街に暮らしていた頃は、シドが夕飯を作る事も少なくなかった。
多くは冷蔵庫の中の残り物の一斉処分も兼ねた鍋や丼であったが、レオン達が幼い頃には、それなりに気を遣ってくれたし、弁当用にとサンドイッチなども作ってくれた覚えがある。

 今日の昼にとシドが用意したのも、サンドイッチだった。
昨日の残りものであろう具材を食パンに挟み、軽くトーストしたホットサンド。
パンから具材が食みだす豪快な挟み方が、子供の頃によく食べさせて貰ったサンドイッチを彷彿とさせて、レオンは少し口元が緩んだ。

 少し懐かしさも感じながらサンドイッチを頬張りつつ、さてどうしよう、とレオンは考える。


「…シド。何かやる事はあるか?」
「あん?」


 訊ねたレオンに、シドはリスのように頬袋を膨らませながら視線を寄越す。
丁度口に入れたばかりだった食べ物を噛みながら、視線を上へと向けて考える。
ごくん、と喉を大きく動かした後、シドは答えた。


「やる事ねぇ。クレイモアの位置情報をもう少し精密にするって位だな」
「それはあんたの仕事だな。俺が手を出せるものじゃない」
「そーだな」


 判り切った顔で言って、シドはサンドイッチをまた一口齧る。
レオンは三つ目のサンドイッチに手を伸ばしながら言った。


「ハートレスでもノーバディでも、被害報告が増えている所はないか?手が空いてしまっているし、そっちの掃除でもして置こうかと思ったんだが」
「あ〜……いや、別にねぇな」
「西の広場の方は?あの辺りに住んでいる人から、ちらほらと話が来ていたと思うんだが」
「あるにはあったが、昨日、適任者が来たからよ。そっちに任せた」
「適任者?」
「ソラだ、ソラ。来てんの知らなかったか、お前」


 シドの言葉に、レオンは緩く首を横に振る。

 ソラ───レオン達が一年前まで待ち続けていた、キーブレードに選ばれた勇者。
彼は今、様々な世界を渡り歩きながら、また行方不明になったと言う友達と、仲間が追い続けている王の存在を探している。
多くの世界にはハートレスやノーバディの侵食が起きており、行く先々で様々なトラブルにも見舞われるようで、中々心休まる暇がないそうだ。
そんな中、レイディアントガーデンはハートレスやノーバディの存在こそあれど、セキリュティシステムの働きや、レオン達のような旧知となった面々がいる事から、彼にとっては数少ない息抜きが出来る場所として認識されているようだった。

 だからソラは、旅の途中によくこの世界に来てくれる。
それはレオン達にとっても助かる事だ。
休憩である筈なのに、レオン達の事を手伝いたいと言って、ハートレス・ノーバディ退治にも協力してくれる。
キーブレードが齎す恩恵か、彼が退治に加わってくれると、その力を借りて駆除した地区は、次の出現までに少々長い時間を要するのだ。
だからレオン達は、その間にセキュリティシステムのアップデートや、地区の整備を急ぐようにしている。

 ソラはレイディアントガーデンに来ると、友人達の顔を見たいと思うのか、先ずは一通り挨拶に来てくれる。
先ずは街中、魔法使いの家に来て、それから城に常駐化しているレオンの下まで足を運ぶ。
しかし、今回はどうやら、城までは来なかったようだ。
いや、ひょっとしたら来ていたのかも知れないが、調べ物に熱中してレオンがそれに気付かないのは、儘ある出来事だった。


「じゃあ、広場の方でソラを手伝うか」
「朝から張り切って行ったみたいだから、もう終わってんじゃねえか」
「それならそれで構わないさ。顔を見るだけでも良いし」


 いつでも走り出したら止まらない少年勇者の姿は、否応なく老成する事を選んだ節のあるレオンにとって、羨ましさと眩しさを感じさせる。
同時に、考えるよりも体を動かす事を性にしている彼の直向きさは、見る者にもエネルギーを与えてくれた。
それに肖ると言う訳でもないが、復興に手を貸してくれている礼も含めて、一目会っておきたい、とレオンは思う。


「じゃあ、俺は行ってくる。ああ、片付けは───」
「そりゃ俺がやる。まあ、今日はのんびりしてろや」


 シドの言葉に、そうか、とレオンは空になったグラスをテーブルに置いて席を立つ。
ひらりと手を振るシドに見送られながら、レオンは魔法使いの家を後にした。

 レイディアントガーデンは広く、その中でレオン達が帰って来てから復興作業に努められる範囲と言うのは、酷く狭い。
ちらほらと帰って来る人が増えても、安全に暮らせる場所は限られているから、居住可能区域の人口密度ばかりが上がって行く。
けれども、今はまだ、人が身を寄せ合う環境の方が良いのかも知れない。
ハートレスにノーバディに、それらがなくとも、帰って来たは良いが元の住処が喪われていて途方に暮れてしまう者もいるし、相互補助に手を差し伸べやすい距離感である方が、今は安心する者もいるだろう。
郊外の方に自宅を作ったレオンのような人間の方が珍しいのだ。

 先のシドとの会話に出た、今日ソラが向かったと言う西の広場は、最近ようやく人が住めるようになった場所だ。
セキュリティシステムの働きが届くようになったのを皮切りに、丈夫そうな建物から整えて行き、元々そのあたりに住んでいたと思しき人が、懐かしさを求めてか移り住むようになった。
とは言え、人影がまだ疎らである事もあって、ハートレスも湧き出て来る為、被害報告も入っていた。
それも早目に対応しなくては、とは思っていたのだが、如何せん話にも優先順位と言うものはあり、報告数が多いと言う状態でもなかった為、住民たちには悪いが後回しになっていた所だった。
しかし、こうして手が空いているなら良い機会だ。

 西の広場へと続く道の途中で、早速現れたハートレスを切り捨てる。
と、間を置かずに二匹目が現れて、レオンに向かって飛びかかって来た。
返す刀に任せてそれを断ち切ろうとして、その直前、ぼうっとハートレスの真っ黒な体が燃え上がる。


「レオンー!」


 高い場所から呼ぶ声が降って来て、レオンは顔を挙げた。
高台の上の塀に上って、此方に向かって手を振る少年───ソラと目が合う。
レオンがひらりと手を挙げて返事をしてやれば、身軽な少年は塀から近くの民家の屋根へと飛び移り、軽業師のようにぴょんぴょんと飛び移りながらレオンの方へと駆け寄って来る。

 最後にレオンの前に建っていた二階建てのアパートの上から飛び降りて、ソラは着地した。
一年前、初めて会った時には、体運びも危なっかしいばかりだったのに、随分と頼もしくなったものだ。
反面、最後の数メートルを駆け寄って来る表情の幼い明るさが眩しくて、やはりまだ子供なのだなとも思う。


「レオン、久しぶりー!」
「ああ。調子は良さそうだな」
「まあね!」


 得意げに胸を張って見せるソラに、レオンはくすりと笑みを漏らす。
やんちゃな性格を表すようなツンツンと逆立った髪をくしゃくしゃと撫でてやれば、ソラは子犬のように笑った。


「シドに頼まれた西の広場のハートレス退治、終わったよ!」
「早いな、もう終わったのか。手伝いに行こうと思っていた所だったんだが、必要なかったな」
「えっへっへ。だってオレ、強くなったからね」


 両手を腰に当て、ぐぐっと胸を張り、向こう側が見えるのではないかと思う程に上体を反らすソラ。
そのまま引っ繰り返りそうだな、と思っている間に、ソラは頭の重みでバランスを崩した。
わたわたと両腕をばたつかせるが、あえなく尻餅をついてしまう。
それだけの事なので、ソラは直ぐに立ち上がり、尻の土埃を払いながらレオンを見上げた。


「レオンが城の外にいるなんて珍しいよな」
「そうか?パトロールもあるし、外には出ている方だと思うぞ」
「でも最近はずーっと城にいるってユフィが言ってたよ」
「調べ物が多かったからな。そう言えば、しばらく家にも帰っていないか。寝るのも城で……」
「ご飯とかどうしてんの?」
「城の中に調理場もあるから、其処で簡単に済ませる事はある。街に住めるようになるまでは、そっちで生活していたし。後は、偶にエアリスやシドが持って来てくれるから、それを貰っていたな」


 言いながら、そう考えると、自分で思う程外には出ていなかったかも知れない、とレオンは遅蒔きに考えた。
故にエアリスとユフィに強引に城から追い出された、とも。

 レオンが城に引き籠っていられると言うのは、ある意味では街が平和である事を匂わせてもいる。
以前のように、若しもハートレスの大軍勢が押し寄せて来る程の緊急事態となれば、レオンは勿論ガンブレードを手に走らなければならない。
調べ物にセキュリティの強化に、街の復興の物資確保にとやる事は山積みだが、街に関する事で人々に呼ばれる事も減って来て、ハートレス被害の減少化と、戻って来た人々の自発性が発揮されてきたお陰で、レオンは余程の事でなければ調べ物に集中できるのだ。

 ───とは言え、今日はその調べ物もさせては貰えそうにない。
だからソラの手伝いも兼ねて、件の場所のハートレス退治に向かおうとしていたのだが、ソラ一人で事は済んでしまったようだ。
いよいよやる事がない、とレオンは腕を組んで首を捻る。


「どうするか……」
「何が?」


 胸中で零すだけのつもりだった言葉が、ぽろりと口をついて出ていた。
しっかり聞き留めたソラに訊ねられて、レオンは自分の口の緩みを誤魔化すように口元に手を当てながら、


「いや、今日は色々調べ物をする予定だったんだが、コンピュータールームから追い出されたんだ。最近、ずっと籠り切りだから、家に帰ってちゃんと休めと」
「ふーん。休めば良いじゃん」
「まあ、そうなんだがな。どうにも手持無沙汰と言うか。疲れが溜まっていると言う程でもないから、何かする事はないかと思って探していたんだが、どうやら何もないらしい。良い事なんだけどな」


 ガンブレードを腰に提げ、空の両手を空に見せるようにして肩を竦めるレオン。
ソラはふぅん、と言って、


「やる事ないんだったら、やっぱ家帰って寝たら?」
「昼日中から眠くはならないな。やっぱり、城に戻って図書室あたりで調べ物でもするか」


 そんな事をすれば、休息の為にと追い出してくれたエアリスとユフィの気遣いを無為にするとも判るから、聊か気が引ける所も否定は出来ないのだが、どうにもレオンは理由なく休むと言うのが難しい。
どうせ家に帰った所で、この昼日中からは眠れないだろうし、時間潰しと称して、家に持ち帰っている書物やレポートの解析データに目を通すのが想像できた。
それなら、城の書庫で本を開いてるのも変わるまい。

 と、思っていたレオンの前で、ソラが「はいはい!」と手を挙げた。


「レオン、暇なんだったらさ、街を案内してよ」
「案内?」


 突然のソラの希望に、レオンはぱちりと目を丸くする。
一年ぶりに再会して以来、折を見てはレイディアントガーデンに来てくれるソラである。
ハートレスやノーバディを退ける力を持っている彼は、レオン達と同様にあれらを恐れる必要がなく、安全区域外にも出張ってくれるので、街の事を知らない訳ではない筈───なのだが、それはあくまでパトロールの一環の話である。


「此処、来る度に色んな所が変わっててさ、人も増えて、建物も綺麗になってさ。凄いなーって思うんだけど、オレ、いつも似たような所ばっかりしか行かないから、もっと色んな所も見たいなって思ったんだ」
「そうだったか。まあ、確かに、お前にはハートレス退治ばかりを頼んでいたから、人が多い所をゆっくり見せた事はなかったな」


 頼れる力をつけたからと、何かと復興の手伝いをさせてばかりだった事を知って、レオンは「すまない」と詫びた。
ソラは首を横に振り、それはそれで嬉しいから良いんだと言った。


「じゃあ───そうだな。今日はソラに街を色々と見て貰おうか」
「うん!」
「そう言えば、ドナルドとグーフィーは良いのか?一緒にはいないようだが」
「二人ともドナルドのおじさんの所だよ。なんか、おじさんが話す王様と一緒に旅してた頃の話が長くてさ、抜けてきちゃった」


 舌を出して言うソラに、レオンは眉尻を下げる。
文字通り、世界を股にかけた王様の冒険録など、同じようにグミシップで世界を渡るソラにとっても良い体験談になりそうだが、じっと聞いていられないソラには無理もない行動だったのかも知れない。
どんなにキーブレードの勇者としての力を付けても、こう言う所は相変わらず子供らしいと思う。

 さて、とレオンは街の案内を何処から始めるか考えた。
やはり先ずは人々の憩いの場所となっている大広場だ。
ソラもグミシップから降りる時には、その近くに着陸ポイントを取っているようだから、見慣れていると言えばそうだろう。
しかし、ソラは到着すると真っ先に魔法使いの家に来てくれるので、此処もあまりのんびりとは見ていなかったと言う。


「この辺は全然ハートレス出ないよね」
「ああ。クレイモアを最初に設置したのが此処で、拠点として此処から広げていったからな。今では危険区域から一番遠い場所だから、皆安心して過ごしているし、付け込まれる事が少ないんだろう。恐らく、ではあるがな」
「でも安全なのは良い事だろ?」
「勿論だ。それに、奴らも少なからず学習能力があるらしくて、一部のハートレスはクレイモアが動いているのを見ると逃げるんだ。まあ、中には破壊を狙って襲ってくる奴もいるから、メンテナンスと強化がまだ課題になっているけど。───ああ、スクルージさんだ」


 レオンの視線の先で、ドナルドの叔父だと言うスクルージ卿が自身の店の軒先に立っていた。
此方に背を向けているスクルージ卿の、独特の声をよく聞くと、どうやら店の奥にはドナルドとグーフィーがいるらしい。


「ドナルド達が店を手伝っているようだぞ」
「本当だ。オレ抜けといて良かったー」


 ほっとした顔をするソラに、レオンはくすりと笑った。
以前、ソラがスクルージ卿が作る新作アイスの試作を手伝った時、色々と自由奔放にしてしまって、店を追い出された経緯がある。
その時、ソラもこってりと絞られたようで、細々とした手伝いを頼まれそうな時は、早々に離脱しているそうだ。

 大広場は人々が戻り始めた頃、最初の拠点位置として定めた場所であった為、商店も幾らか並んでいる。
以前はもっと多かったのだが、この一年間で安全区域が広がった事を受けて、店舗を移動させる人が増えた。
その代わりに、店舗が退いて空いた建物が住居となったり、周辺住人が共有で使える集会場として使ったりと、有効活用されている。

 大広場を一周するように見回って、レオンは隣を歩くソラに言った。


「次は……そうだな、市場は見たか?」
「市場なんてあったっけ?」
「最近できたようなものだ。この辺りに散らばっていた店が移動して、其処に集まっている」
「見たい!行こ行こ!」


 言うが早いか、ソラは場所も知らないのに駆け出そうとする。
見事に真逆の方向に向かおうとするソラに、レオンは「こっちだ」と正しい方角を指差した。

 市場は、大広場から近い場所にある。
店の多くが広場からこの市場へと移動して以来、其処は生活用品を買い求める人々の中心地となった。
この街が闇から解放されてからまだ一年、並ぶ商品は決して潤沢とは言えないが、それでも商売に活気が出て来るのは良い事だ。
レオンやエアリスにとっても、この市場は食料品の調達の為に大事なポイントとなっている。
半面、人が多く来るほど、人同士のトラブルと言うのも起こり易く。
故に再建委員会は顔役の文鎮としてパトロールがてらこの市場を巡る事も多い。

 だから、レオンが市場を歩いていると、声をかけて来る人も多かった。


「あら、レオン。お買い物?」
「いや、今日は人を案内しに来ただけなんだ」


 声をかけて来てくれたパン屋の女主人に、レオンは隣にいるソラを指して言った。
ソラはいつもの人懐こい笑顔を浮かべ、「こんちわ!」と元気な挨拶をする。
女主人はにこにこと笑って「こんにちは」と返事をしつつ、焼き立てのパンを袋詰めしている。


「レオンが来てくれて丁度良かったわ。本当は持って行こうと思っていたんだけど」
「うん?」
「はい、これ。焼きたてだから温かいわよ」


 そう言って女主人が差し出したのは、今まさに袋詰めを済ませたばかりのパン袋。
香ばしい匂いを零すそれを見て、レオンはぱちりと瞬きを一つ。


「どうして急に?」
「あら、急なんて事はないわ。レオンにはいつもお世話になっているし、お礼はいつしたって足りない位よ。それにエアリスから聞いたんだけど、今日はレオンの───」
「あーーーーっ!」


 女主人の言葉を遮るように、ソラが大きな声を上げた。
突然の事だったので、思わずレオンの肩が跳ねる。
ソラが大声を上げるなんて、ひょっとしてハートレスかノーバディかと一瞬緊張したレオンだったが、


「あれ美味そう!行こう、レオン!」
「おい、ソラ、ちょっと」


 高いソラの声に、どうやら緊迫した事態ではない事は判った。
レオンがそう理解する内に、ソラは何処かへ走って行ってしまう。
直ぐに追い駆けようとするレオンを、女主人が慌てて捕まえ、


「これこれ、忘れないで。はい、どうぞ!」
「あ、有難う御座います。じゃあ、すみません、失礼します」


 最早どうして何故と理由を掘り下げる暇などなく、レオンは押し付けるように渡されたパン袋を抱えて、頭を一度下げると踵を返してソラを追った。

 追い付いてみれば、ソラが見ているのは肉屋のソーセージだった。
店舗にセッティングされた腸詰がぶら下げられ、1kg幾らの値札が吊るされている。
更に店には焼き網も用意されており、網の上には大きなフランクフルトがじゅうじゅうと焼かれていた。


「いい匂い〜」
「味も美味いぞ、坊主。一つ食うか?」


 店を覗き込むソラに、頭にねじり鉢巻きをした店主が言う。
丁度そのタイミングで、ぐうううう、とソラの腹が盛大に鳴った。
育ち盛りで食べ盛りの少年の様子に、レオンはポケットの財布を取り出しながら言った。


「そのフランクフルトを一本頼む」
「おう、レオンじゃないか。一本で良いのか?」


 レオンが頷くと、店主は焼き網の上のフランクフルトを取って、


「ソースはどうする?ケチャップ、マスタード、うちのオリジナルソースもあるぞ」
「ソラは何が好きだ?」
「ケチャップ!」
「じゃあそれで」


 子供らしいなと思いつつ、レオンが頼むと、店主は直ぐにケチャップソースをかけてくれた。
受け皿にプラスチックの容器も貰って、ソラに渡す。
焼き立てのジューシーな匂いを振り撒くフランクフルトを前に、ソラの瞳がきらきらと輝いた。


「いただきまーす!」


 大きく口を開けて、ぱくりと齧り付くソラ。
あちあちと顔を赤くしつつも、幸せそうに噛んでいるソラの姿は、レオンに微笑ましさを感じさせた。

 と、そんなレオンの前に、


「ほれ、レオンの分だ」
「え?」


 店主が差し出したのは、これも良い焼き色に仕上がり、店のオリジナルソースがかけられたフランクフルト。
頼んでいないのにとレオンが目を丸くしていると、


「ほら、冷める前に食え食え」
「あ、……い、いや、その前に代金を」
「良いよ、お前の分なんだから。今日はお前の」
「はっくしゅん!」


 盛大なくしゃみの声に、店主の言葉は遮られた。
レオンと店主が目を丸くして視線を落とせば、鼻の下を指先で擦っているソラがいる。
その視線は全く明後日の方向を向いており、聊か気まずそうな空気を醸し出しているが、空色の眼がちらちらと店主の方を伺うように覗いていた。
レオンはその目線の動きに首を傾げたが、その間に店主はレオンの腕を取り、フランクフルトを強制的に持たせる。


「ほれ、食っときな」
「し、しかし」
「うちのソーセージが食えねえってぇ?」
「いや、誰もそんな事は言ってない」
「じゃあ食べとけ。サービスだ、サービス。いつも色々やってくれてるしな、礼だよ」


 もう返品は受け付けない、と言わんばかりに、店主は新しいソーセージを焼き網に並べている。
鼻歌を歌いながら仕事に専念するその姿に、レオンは腑に落ちないものを感じながらも、それ以上の抵抗は諦めた。

 パンを片腕に抱え、逆の腕にはフランクフルト。
焼き立てのフランクフルトを食べるなんて、随分と久しぶりのような気がする。
ぴりりと刺激のあるスパイスの効いたソースの味も堪能しながら、レオンはソラと連れたって市場巡りをした。
その間に────


「レオン、これ持って行って」
「良い所に。折角だからこれ、どうぞ」
「花なんて役に立たないわよねえ。でもあると生活が潤うのよ、ね?」
「その手袋、随分ボロになったなぁ。そうだ、これ持っていけ」
「毎日忙しいだろう。マッサージどうだ?今日は特別サービスするぞ」


 ───行く先行く先で、様々な人がレオンに声をかけ、サービスだ礼だと言って某かを渡してくれる。
商品だろうに、タダで受け取る訳には、とレオンは言うのだが、皆が揃えたように良いからと言って半ば押し付けてくれる。
マッサージやら整体やらは、今日が駄目なら今度来い、サービスの特別メニューはその時に、と言う。

 ソラを案内する為に市場に来た筈だったのだが、いつの間にかレオンの両腕は、住人達から貰った沢山の荷物で一杯になっていた。
多くは店の商品を貰ったが、一部は綺麗にラッピングされた商品ではないであろう物もある。
渡される度、どうして俺に、と戸惑い訊ねたレオンであったが、誰もが「今日は特別だから」と言うだけで、はっきりとした答えを教えてくれない。
いや、教えてくれないと言うよりも───


(ソラが遮っているんだよな)


 市場を巡る間、店主がレオンと話をしている所で、毎回ソラが声を上げたり駆け出したり。
放っておく訳にも行かないとレオンがそれを直ぐに追い駆けるので、途切れた答えについて質問し直す暇もなく、レオンは受け取るものだけ受け取って店を離れるのがパターンと化していた。


(何か理由がありそうだが……)


 ちらりと隣を歩く少年を見遣れば、流石に度重なる自分の行動の不自然さに自覚が生まれたか、ソラは明後日の方向を見ている。
これ見よがしに口笛なんて吹いて、余計に怪しいのだが、ソラ自身は誤魔化せているつもりなのだろう。
その拙い様子がどうにも面白くて、会話を遮るのも疚しい事や後ろめたい事があると言うよりは、ともかく“何か”を長引かせようとしているような節が感じられて、レオンは様子見を続けている。

 それよりも、両手の荷物だ。
レオン自身が暇を持て余す格好で市場に来る事が少ないからか、住人達は今がチャンスとばかりに沢山の物を渡してくれた。
増えていく荷物に、気を利かせてくれた人が、大きな紙袋まで用意してくれた位だ。
腕に抱えた花束も、元々は各花屋から一輪ずつ渡されたもので、数が増えたので最後に話しかけられた花屋の娘が上手く包んでくれたものである。


(これは一旦帰るか。いや、食べ物も多いし、一人じゃ消費する前に傷むものも出てきそうだな)


 レオンがソラの左手を見ると、其処には果物の入った袋がある。
重いだろうから持つよ、と言ってくれたソラに甘えて渡したものだ。
この時期に旬になる桃や葡萄など、食べ頃の果物は新鮮な内に食べた方が良い。
やはり、一旦魔法使いの家に持って行って、皆と分けるのが最良だろう。

 荷物の多さもあり、空も夕映えの色が濃くなって来たしと、レオンはソラに声をかけた。


「ソラ、マーリン様の家に行くが、良いか?まだ見たい所があるなら、そっちに行ってからでも良いぞ」
「え。んーと、えーと……」


 レオンの言葉に、ソラはうんうんと唸るように考える。
そんなに一所懸命に悩む程の事でもないと思うが、と思いつつ、ソラの返事を待っていた時だった。


「其処にいたか」


 後ろから聞こえた声に、二人は揃って足を止めて振り返った。
重力に逆らうような金色の髪と、黒衣の衣装で上から下まで揃えた男───クラウドの姿に、帰って来ていたのか、とレオンは言った。

 クラウドは少し疲れたように溜息を吐きつつ、二人の前まで来て、


「家にいればあんたが帰って来ると思っていたんだが、いつまで経っても戻らないから探してみれば、子守をしていたとはな。聞いていないぞ」
「子守ってなんだよ!街の案内して貰ってたの!」
「子守だな」
「子供扱いすんなー!」


 ムキになって怒って見せるソラに、クラウドは肩を竦めるのみ。
レオンは地団駄を踏むソラを宥めながら、クラウドを見る。


「わざわざ俺を探していたとは、何か用でもあったか?」
「別に、用と言うものでもないが……」


 歯切れ悪く答えを返しながら、クラウドは鶏冠頭をがりがりと掻く。


「頼まれていたからな。良さそうなタイミングになったら、あんたを連れて来い、と」
「あ、もう良いの?」


 クラウドの言葉に顔を挙げたのはソラだった。
それにクラウドが頷いて見せるから、どうやら二人が通じているらしい事をレオンは覚る。


「頼まれていた……シド達にか?」
「俺に言って来たのはユフィだ。まあ、似たようなものか」
「……ソラもそうか?」
「へっ!?」


 低い位置にあるソラの顔を見下ろしながらレオンが訊ねてみれば、ソラは引っ繰り返った声を上げた。
自分に問いが振られるとは思っていなかったと言う反応だ。
その様子から、やっぱり何か隠しているんだな、とレオンは確信するが、


「お、お、オレは別に、何にもないよ?何にも!」
「……そうか」


 ばたばたと両手を忙しく動かしながら言うソラに、レオンはくつくつと笑いながら返した。
余りに判り易い少年の様子に、反って言及する気も引っ込む。
クラウドもそんなレオンの胸中を察したようで、溜息を吐いていた。


「戻って良いなら、行くか。これもなんとかしないといけないし」


 両腕に持った荷物を抱え直しながら言うと、クラウドが腕を伸ばしてきた。
荷物の一番上に重ねていた袋を取り上げるクラウドに、おい、とレオンが咎めるが、彼は構わず他の荷物もひょいひょいと持って行ってしまう。


「おい、クラウド」
「荷物持ち位はしてやる」
「なんだ、いつになく気持ちが悪いな」
「気を利かしてやったのに、その言い草か?」
「普段絶対しないような事をするなんて、怪しむに決まっているだろう。あんまり雑に持つな、街の皆がくれたものなんだから」


 パンの詰まった袋を取り上げるクラウドに、折角貰ったのに潰されては堪らないと咎める。
クラウドも袋越しに零れる香りに中身に気付いたようで、抱える腕の力加減を緩めた。

 そのままレオンの腕から荷物を全部取り上げようとするクラウドに、隣に立っていたソラが手を挙げる。


「オレもオレも!オレも持つ!」
「ソラはもう持ってくれているじゃないか」
「良いだろ、持たせれば。俺もそろそろ塞がる。こいつは持てるか」
「だいじょーぶ」


 クラウドが指差した、レオンの肘にかけられた紙袋の中身は本だ。
レオンが調べ物がなくとも本を読んで暇を潰す事が多いからか、市場で書店を開いている人が、古書ですまないが、と眉尻を下げつつ渡してくれた。
出版は十年以上前、この街が闇に飲み込まれる前に刊行されたものだ。
城の書庫には様々な本が納められているが、娯楽の為の小説や文庫と言うものは少なく、今はまだまだ貴重な代物である。
それを古書であると言えど譲って貰えるのは決して気軽なな事ではない筈だ。

 ソラが持つからと言って譲らないので、レオンは本の入った紙袋を渡した。
それ以外にも細々としたものをまとめて入れていた袋もソラが持ち、レオンは久しぶりに持ち物から解放される。
代わりにクラウドとソラの両腕は、まるで大量の買い物に付き合った後のような大荷物になっていた。
その中から、クラウドはふむ、と考えるように手持ちの物を見た後、


「これ位は、あんたが持っていた方が良いか」


 そう言ってクラウドがレオンの手に戻したのは、花束だ。
何故これだけ、と言う表情で戻って来た花を見下ろすレオンに、


「なんだ。あんた、気付いていないのか?」
「何がだ?」
「今日はあんたの────」
「あーっ!あーっ!ああーーーーっ!」


 クラウドの言葉を遮ったのは、ソラのよく通る声だ。
夕暮れ色の滲む街並みに響く少年の声に、家路へと歩く人々が振り返ったが、ソラはお構いなしだ。


「よし!行こ!マーリン様の家っ!」
「あ、ああ」


 弾む声で促すソラに、レオンは押されるように頷いた。
行こう行こう、と調子外れな歌のように繰り返しながら、ソラは大きな歩調で石畳を歩き出す。
レオンがそれについて行くその後ろで、クラウドは肩を竦めていた。




 レオンが自分の誕生日を思い出さないのは、いつもの事だ。
“レオン”と名乗り出したこともあって、ひょっとしたら、“過去の自分が生まれた日”も彼にとっては苦いものになったのかも知れない。
そんな苦さを、強くなる事で振り払おうとしていた彼の姿を見て来たから、レオンにとって今日が決して“良い日”と言い切れない事も判っているつもりだ。
トラヴァ─ズタウンにいた頃は、今日と言う日が近付くと苦い表情をしていた時期もあったが、いつしかそれも辞めて久しい。

 それでもエアリスとユフィは、今日と言う日を祝いたいと思う。
成り行きで生き延びる道中を共にしてから、ずっと一緒に暮らしてきたのだ。
彼がどんなに“今日”と言う日を厭っても、“レオン”と言う人の成り立ちに、彼が生まれた“今日”をなかった事にはしたくない。
そうやって二人は、ずっとレオンの誕生日と言うものを祝って来たのだから。
レオンが二十歳を過ぎて、もうそんな歳でもないから、と困ったように笑っても、お祝いは続けるんだとユフィは言った。

 そんな訳で、今年もユフィの主導でレオンの誕生日の準備は進んだ。
マーリンの魔法の力を借り、家の中をパーティらしく華やかに飾り付けをして、料理はシドとエアリスが二人がかりで準備する。
今年は再建委員会のいつものメンバーだけでなく、ソラと偶々帰って来ていたクラウドも捕まえたので、用意する食事の量も増えている。
ユフィはそれらの食材を確保する為、クラウドの誕生日の準備をしていた時から、併せてレオンの誕生日パーティに使うものも揃えておいた。
お陰で今日がレオンの誕生日であると言うことは、ユフィを介して街の人々に広まったようで、日頃何かと頼りになってくれる青年へ、お礼もしなくちゃねえ、と言う気持ちが人々の間で共有されるようになった。

 そして今日と言う日を迎えると、ユフィとエアリスは、レオンを城の外へと追い出した。
放っておけば、今日が何月何日かなど思い出さず───思い出してもきっと肝心な所は出て来ない───、街の今後についてばかり頭を使っているレオンに、休息も兼ねて場所を取り上げた。
昼の後は、ソラが来ていた事を聞いて、シドに頼まれたハートレス退治に精を出している彼を手伝いに行ったらしい。
何の為に休憩に追い出したんだか、とユフィは思ったが、結局はやる事がなくなれば家に帰るだろう、とは思っていた。
実際の所は、どうやらソラと一緒に街を散策していたようだが。
お陰でレオンの家で待機状態だったクラウドは、帰って来ないレオンに焦れて、一度魔法使いの家まで来ている。
その頃には大方の準備が整い、後は料理を食卓テーブルに並べるだけだったので、丁度良いから呼んで来て、とエアリスに頼まれていた。

 クラウドがレオン達を迎えに行く為に、魔法使いの家を後にしてから十分と少し。


「ふう。こんなものかな」
「十分だろ。ま、これだけ作った所で、殆ど食うのは主役じゃないんだろうけどな」


 テーブルに並んだ豪華なメニューの数々を見て、シドは火のついていない煙草を噛みながら言った。
レオンは決して小食ではないが、ユフィやソラと言った育ち盛りに、健啖家のクラウドもいる。
彼等がいるから遠慮なく量も種類も増やしたのは確かで、エアリスはその事実には苦笑しつつも、


「でもやっぱり、これ位豪華な方が、お祝いっぽい、でしょ?」


 そう言って笑顔を見せるエアリスに、シドも口端を上げてにやりと笑う。


「で、こっちの準備はこれで終わりだが、ユフィの奴はまだ帰らないのか?」


 今日と言う日の発案者であり、一番張り切って準備に駆け回っていたユフィ。
彼女も今日はシドとエアリスの手伝いをしたり、その傍らに頼って来る人々の相談に対応したりと、レオンがいない分の穴を埋める為に忙しなく過ごしていた。
が、クラウドにレオン達を迎えに行かせた後になって、「肝心なもの忘れてた!」と言って出て行ってしまったのである。

 家に帰っていないレオンが何処にいるのかシド達は知らないが、その気になれば上空からでも探せるクラウドが彼を見付けるのは難しくはないだろう。
そろそろ戻って来なければ、先にレオン達が到着してしまいそうだ。

 そう話している内に、慌ただしい音と共に家のドアが開く。


「ただいまー!間に合った!」
「おかえり、ユフィ」
「遅ぇよ。っつーか、一体何を忘れてたってんだ?」


 なんとか今日の主役よりも先に帰った少女を迎え、シドが訊ねると、ユフィは腕に抱えていた袋の口を広げて見せる。


「これこれ、クラッカー!お祝いなのになくちゃダメでしょ」


 パーティと言えば、と言った風を体現する、色鮮やかなカラーで飾られた三角錐。
華やかさを意識してか、頂点にはラメの入った糸を編んだ紐が取り付けられ、これを引っ張れば破裂音と共にテープや紙吹雪が飛び出す、盛り上げ用のグッズの代表格だ。

 ユフィはクラッカーを取り出すと、エアリスとシドに差し出した。


「ほら、二人も持って。レオンがドア開けたら、皆でやるんだからね」
「ソラかクラウドが開けたらどうすんだよ」
「ああー、んー、うーん……ま、その時はその時で。クラッカーもまだあるし、仕切り直しでもう一回でも良いっしょ。そうだ、三人とももう直ぐ其処まで来てるんだよ。あたし、さっき追い抜いて来たんだ」
「じゃあ、クラウドはちゃんと二人を見付けてくれたんだね」


 良かった、と笑うエアリス。
ユフィは窓の外を覗きながら、目当ての人物が近付いて来るのを確認しつつ、


「そういやねえ、なんか皆大荷物だったんだよ。何処行ってたんだろ、あれ」
「ああ、多分市場に行ったからだろ。パン屋のばあさんがさっき来てよ、差し入れっつって色々置いてったんだが、その時にレオンにも渡したって言ってたぜ」
「パンだけであんな荷物になんないよ?」
「じゃあ他にも貰ったんじゃねえか。お前、市場で今日の材料とか仕入れたんだろ」
「うん。あー、そう言えばレオンの誕生日の事もその時に言ったなぁ」
「皆、レオンのお祝い、してくれてるのね。じゃあ今年は、レオン、自分の誕生日だって思い出してるかも」


 皆から祝いにと色々な物を貰っているなら、きっとその時、祝いの言葉も聞いただろう。
じゃあ今年はサプライズ感半減かぁ、等とユフィは呟いたが、その表情は楽しそうだった。
ずっと仲間達だけで細やかな祝いを続けて来たけれど、今年は沢山の人がその輪の中に加わっている。
賑やかな事が好きなユフィにとっては嬉しかったし、再建委員会として過ごす日々の努力が報われたような気がした。

 今日の主役が、幼馴染の男と、小さな勇者に連れられて、家の前まで来た。
何か気配を察したか、クラウドが先を譲るように、レオンを見てドアを指差している。
レオンは一瞬訝しんだ表情を浮かべたが、結局は何も言わずにドアへと近付いた。

 かちゃり、とドアノブが回る音がする。
差し込む夕焼け色の光を見詰めながら、ユフィ、エアリス、シドの三人は、クラッカーの紐に手をかけた。



レオン誕生日おめでとう!と言うことで、今年は皆からお祝いです。
ソラはユフィから、「きっと忘れてるだろうからサプライズにする」と言うことを聞いてたんでしょうね。
お陰で結局レオンは誕生日を忘れているままなので、サプライズは成功です。