形なくとも咲く花と
レオン誕生日記念(2024)


 街を元通りにするのなら、何から手を付ければ良いのだろう。
先ずは家屋を使えるように整えることだろうか。
街の住人は誰一人として残っておらず、現状として、レオン達しかこの世界に存在している者はいない。
となると、並ぶ家屋の持ち主だとか、其処が何に使われていた店舗や施設であったとかは、確かめようもなかった。
取り合えず、城と街とを繋ぐ道筋を確保して、其処から最寄りのものから調査し、使えるものを接収していくしかないだろう。
家屋の中は、街が水没した状態にあったこと、長い年月が経った為に大なり小なり荒れており、倒壊までは至らないものの、いずれはそうなるだろうと感じさせるものもある。
一先ずは、長く使えそうな丈夫さが残っているものは、中を整えて人が出入り出来るようにし、朽ちかけているものは、壊して建築材を資材として扱わせて貰おう。
いずれ持ち主が帰ってきた時には、事後報告ですまないが、説明して詫びをする他あるまい。

 城の中は、セキュリティシステムの本格稼働に伴い、ハートレスは寄り付かなくなっていた。
大きな城の外装に張り付くものはいるが、魔法で追い払ったり、シドが手動でシステムの都合を調整してピンポイントに当てれば、逃げて行くようになった。
まずまず、出だしは好調と言う事だ。

 シドがセキュリティシステムの範囲を広げる為、必要となる機械や道具、パーツ部品を探す間に、レオンとユフィ、クラウドはパトロール区域を城の外へと拡大させた。
城の中も、数日に一度はぐるりと回って、残りカスのように居座っているハートレスを退治する。
この調子で、城の中で生活している内に、ハートレスの気配が遠のいていくことが実感できれば、セキュリティシステムを街まで広げる有用性も、よりしっかりと体感確認することが出来るだろう。

 レオンは、新たな一日のルーティンになった、街のマッピング用の調査をしながらのパトロールを済ませた。
家屋は朽ちている所も少なくない事から、システムが完成したとしても、適宜手を入れて調整をする必要は出て来るだろう。
だが、今はとにかくひとつでも情報を多く集めておくのが先決だ。
場所タイミング問わずに襲い掛かってくるハートレスを退治しながらの作業は、煩わしさも一入だったが、レオンは当面はこれが自分の主の仕事であると受け止めていた。

 記録の為に持ち出した紙を、ほとんど隙間なく書き埋めた所で、レオンは今日の調査を切り上げる。


「そろそろ戻るか。時間も良い頃だろう」


 空を見上げて言ったレオンの視線の先には、高い位置に上った太陽がある。
戻ってきたばかりの頃は、曇天がいつまでも空を覆っていたのに、最近は晴れている日も増えた。
この世界に蓄積されていた闇の残滓が、徐々に消えている証拠───だろうか。
それなら嬉しいんだが、と思いつつ、レオンは紙を畳んでジャケットの内ポケットに入れる。

 高所で辺りを見回していたユフィと、闇の翼を使って更にその高くから街を眺めていたクラウドが降りて来る。


「今日はお終い?」
「ああ。腹も減ったしな」
「同感だ」


 レオンの言葉に、クラウドが空き腹に手を遣って頷いた。
闇の力は便利なものだが、やはりエネルギーの消費は大きいらしく、クラウドはよく腹を空かせている。

 城へ戻った三人は、厨房の近くにある、ダイニングルームとして使われていたと思しき部屋へと入った。
等間隔に並ぶ窓のお陰で、晴れた日の此処は、灯りに頼らなくてもとても明るく過ごし易い。
テーブルは、元々あったのだろう、長テーブルをそのまま使わせて貰っている。
いつしか定位置として使うようになったその一角には、丁度エアリスが出来立ての料理を並べている所だった。


「お帰りなさい。怪我しなかった?」
「問題ない」
「あたしはお腹空いたー!今日のお昼ご飯、何?」


 ユフィがエアリスにじゃれつきながら訊ねれば、「テールスープにしたよ」と返事。
調達ペースに限りのある食材を出来る限り無駄にしないように、出汁になればと時間をかけて煮込んだ牛肉の骨のスープには、沢山の具が入っている。
その殆どは庭の畑で穫れたもので、冷蔵庫なども無事に修理して使えたので、新鮮なまま保存も出来るようになったのは有難い事だ。

 いそいそとテーブルに着くユフィの前に、エアリスが昨日焼いたパンが置かれる。
一日経って少し水分が飛んでいるが、スープに浸しながら食べれば丁度良い。


「いただきまーす!」
「どうぞ、召し上がれ。私も食べよう」


 ユフィの隣にエアリスが座り、二人と向き合う位置にレオンも座った。
クラウドはレオンからひとつ席を空けて座っている。


「シドは、まだ地下か?」


 パンを千切りながらレオンが訊ねると、うん、とエアリスが頷いた。


「ご飯できるよって伝えたんだけど、ちょっと良い所だから、後で食べるって」


 そう言ったエアリスの視線の先には、古めかしい黒の電話機がある。
これは街の散策をしていた時にユフィを見付けて持ち帰ったもので、改造すれば城内に通信用の回線が作れるのではないか、と提案した。
それを聞いたシドが、嘗て世界を渡るキーブレードの勇者との通信に使っていた技術を応用して、城の各所と地下との通信回線を引いたのだ。
これでコンピューターの利用と調査に籠るシドとのやり取りが楽になり、必要に応じて足労することも減った。

 食事時だとエアリスが伝えたのなら、その内上がって来るだろう。
そう思う事にして、レオンは自身も食事を始めた。
瑞々しい葉物を揃えたガーデンサラダにフォークを入れていると、ねえ、とエアリスが声をかける。


「レオン。レオンは今、欲しいものって、ある?」
「唐突だな。どうしたんだ?」


 急なエアリスの質問に、レオンが首を傾げていると、彼女は言った。


「だって今日、レオン、誕生日だよ」
「あ!そうなの!?」


 エアリスの言葉に顕著に反応したのは、言われた本人ではなく、ユフィであった。
口の中に入っていたものを放り出す勢いで声をあげたユフィに、エアリスは頷いて、


「そう。皆、ちゃんと日付、見てる?」
「……あまり見てないな」
「あたしも」
「……」


 毎日を忙しくしている一同に、日付感覚が曖昧なのも無理はない。
何かをする為、何日後にこれを、と言う会話をする事はあっても、今日が何月何日かを明確に気にする事は滅多になかった。
この城に住んでいるのは、この場にいないシドを含めて、たった五人だし、会議の必要がある時でも、適宜で声をかけるか、こうして食事時になれば自然と顔を合わせるから、いつ何時に集合して……と言った予定の擦り合わせの必要もない。
闇から解放された故郷に戻って来てから、そんな生活が始まって、今でも続いているのだから、ずっとその調子なのだ。

 エアリスもそれは判っていたのだろう、にこりと笑ってレオンを見る。


「今日、8月23日。レオンの誕生日でしょう」


 その笑みは、レオンは勿論、常夜の街で共に過ごした者たちにとっては、見慣れたエアリスの朗らかなものだった。
だが、それを見て───いや、彼女のその言葉を聞いたレオンは、フォークを持つ手がきしりと軋むのを自覚する。
彼女に他意がない事は、短くはなくなった付き合いで判っていても、手前勝手に過る思考はどうしてもレオンの表情を硬質化させていた。

 正面に座っているエアリスは、レオンの表情の変化に気付いているだろう。
その隣にいるユフィも同様だ。
しかし、二人は勿論のこと、一席空けた場所に座っているクラウドも、いつもと変わらぬ調子を崩さなかった。


「だから、何かレオンの欲しいもの、用意できないかなと思って。ご飯でも、おやつでも、なんでも」
「良いじゃん良いじゃん。誕生日パーティね!やろうやろう!」


 弾んだ声をあげるユフィに、レオンはようやく、眉尻を下げた表情になる。


「こんな環境で、そんな余裕はないだろう」
「いやいや、余裕ってのは作るもんでしょ。エアリス、食糧庫の中、まだ大丈夫だよね?」
「うん。お砂糖もあるし、バターもあるし、小麦粉も。生クリームはもうないけど、牛乳と卵はあるよ」
「じゃあ十分じゃん!ケーキ作ろう、ケーキ!バターケーキみたいなの出来る?」
「うん、多分。大丈夫。あと、晩ご飯のリクエスト、ある?」
「いや、俺は────」
「おにくー!お肉が良いよ、エアリス!」


 エアリスの言葉は有難くも、祝いなどが出来る環境でもあるまいと辞退しようとするレオンだったが、ユフィがそれを遮るようにエアリスに強請る。
抱き着いて頬ずりをしながら甘えて来る年下の少女に、エアリスはくすくすと笑いながら、


「遠慮しないで、レオン。折角の誕生日だもの」
「しかしだな……」
「毎年、皆で皆の分、してきたもんね。それと一緒だよ」


 祝う気満々、と引き下がる様子もないエアリスに、レオンはどうしたものかと片眉を下げていた。

 常夜の街で暮らしていた時は、確かにそれぞれの誕生日を祝う習慣が出来ていた。
今とは別の意味で、生活に余裕があった訳ではなかったが、その日は食事も工夫して豪華にしたり、主役の人物が喜びそうなものを作ったり、買ってきたりと、用意にも余念がなかったと思う。
レオンも年下の面々に頼まれたり、ねだられたりと、準備の手伝いをすることもあった。
いつの間にかクラウドはその環境から姿を晦ませてはいたが、残った面々はずっと変わらず、共に過ごす仲間の生まれた日を祝っている。
それは、レオンが“レオン”となってからも変わらず、続けられていた事だ。

 しかし、比較的生活が安定しつつもあり、住民からの理解と支援が望めた環境だった頃はともかく、今は違う。
城や街の調査の傍ら、自分たちが日々を生きる為の食料の調達など、やる事は山積みであった。
自分の誕生日なんてものに感けて、余計な消費をするべきではない、とレオンは思っている。


「……お前たちの気持ちは有難いが、こんな環境だろう。勿論、俺のことじゃないなら、こういう事もして良いとは思うし、俺も手伝いくらいはするが。今回は、やはり……」
「そんな事ないって。ご飯がちょっと豪華になるくらい、別に無理な話じゃないでしょ?」
「そうだね。出来なかったら言わないよ、こんなこと」


 改めて辞退しようとするレオンに、ユフィとエアリスもまた、譲る気はないことを言った。
それを受けたレオンが、どうしたものかと頭を悩ませる隙に、ユフィの視線が黙々と食事を続けている男───クラウドへ向かう。


「ねー、クラウドもなんか言ってよ」
「……俺に何を期待してるんだ、お前は」


 我関せずの姿勢を呆気なく突破して来たユフィに、クラウドは呆れ気味の表情を浮かべる。
が、物怖じしない瞳が二対、じいっと見つめてやれば、その目が求める事を感じ取って、溜息をひとつ。


「……祝いの飯が独り占めされる訳じゃないなら、俺も特に反対する理由はないな」
「どうなんですか、エアリスさん」
「ちゃんと皆の分も豪華だよ」
「ならやってくれ、レオンの誕生日パーティ。晩飯のリクエストは肉で頼む」
「だよねー!お肉!いつもより多めで!」


 ちゃっかりと要求を出してくるクラウドに、ユフィも此処は乗った。
エアリスがくすくすと笑う傍ら、レオンは諦め混じりに深い溜息を吐く。


「お前たちは単に肉が食べたいだけだろう」
「まあな」
「あたしはそんな事ないよ!ちゃんとプレゼントだって用意するから!」


 レオンの言葉に、クラウドはけろりと悪びれもせずに頷いたが、ユフィはしっかりと否定した。
何が良いかな、と空想するように考える少女に、レオンもくすりと笑う。

 エアリスにしろ、ユフィにしろ、レオンの誕生日を祝いたいという言葉に、一片の嘘もありはすまい。
クラウドはどうだか知らないが、少なくとも、エアリス達の邪魔をすることは勿論、水を差すつもりもない。
こうなると、レオン自身も、繰り返し辞退を述べる事もまた、彼女たちの心遣いを無碍にするも同じだと言う事には気付いていた。

 面映ゆいものを感じながら、じわりと滲むものを、レオンは努めて表に出さないように堪える。
捨てた名前が生まれた日を苦く感じるのは、あくまでレオン個人の感情の話で、仲間たちには関係のない事なのだ。
彼女たちが満足するように任せよう、とレオンはスープの最後の一口を運んだ。

 空になった食器の片付けを引き受け、水道の水に手を濡らしていると、黒電話がジリリンジリリンと音を立てた。
食後の気の緩みにゆったりとしていたダイニングルームが空気を換えて、ユフィが受話器を取って耳に当てる。


「はいはい、どしたの?なんかあった?」


 電話をかけて来た相手は、地下のコンピュータールームにいるシドだろう。
他にこの通信回線を使う者はいない。
若しかして、何かコンピューターに異常か危険なプログラムでも見付かったかと、レオンは表情を硬くしていたが、


「うん。中庭?どこの?ああ、うん、うん」


 受話器に受け答えしているユフィの表情は、いつもの様子と変わりない。
どうやら、切羽詰まった事件の類ではないらしい、とレオンとエアリスは顔を見合わせて、ほっと胸を撫で下ろした。

 ユフィが静かになった受話器を置いて、レオンを見る。


「レオン、シドが中庭に出て来いって」
「中庭?」


 濡れた手をタオルで拭きながら、レオンは呼び出しにしては妙な指示だと首を傾げる。
シドが用事があるのなら、彼のいる地下に呼ばれるものだが、一体どういう事なのか。
ユフィも詳しいことは聞いていないようで、「取り合えず行ってみたら?」と言う。

 街を治める賢者が住み暮らしていた城は、彼の研究施設としても長らく使われていたものだ。
研究の助手や弟子、生活するにあたって人手も雇っていたのか、それ程の広大さがあり、庭も様々な場所にあって、それぞれが違う趣の庭園に誂えられていた。
闇に覆われていた年月の内に、庭の植物も多くは枯れ、生命力の強い種だけが雑草宜しく茂っている。
開墾すれば畑に出来るかな、とエアリスは言うが、元々が畑として使われていたのであろう、今の一角だけでも土が痩せているのだ。
雑草駆除に開墾からとなると、作物の生育には簡単には使えないだろうと言う事で、今の所は殆どの場所が野放図状態であった。

 そんな中で、城の中心区画にある中庭は、まだ人の手で管理されていた頃の名残を残している。
他に比べると広い敷地が確保されていたお陰か、雑草の茂みも散らばっており、セキュリティシステムをテスト稼働させてからは、しばしの憩いの場所としても利用することもあった。
過ごしやすい季節であれば、ピクニック気分でレジャーシートを広げるような機会も、あったかも知れない。

 こんな所に呼びつけるとは、一体何の用事なのかと、レオンは全く想像が出来なくて首を捻っていた。
その後ろをついて来たユフィとエアリス、クラウドも、此処へと誘導したシドの意図は読めていないようだ。

 いつもと変わらぬ風景に見える中庭の様子に、レオンがまた首を捻っていると、


「おう、揃ってるな。呼んだのはレオンだけだったが、ま、良いか」


 聞こえた声に廊下を見れば、地下に籠っていたシドの姿がある。
昼食の連絡をしてから此処まで戻って来なかったシドに、エアリスが言った。


「シド、お昼ご飯、皆終わっちゃったよ」
「ああ、やることが終わったらちゃんと食うよ」


 エアリスにはそう答えて、シドは手に持っていたものをぽんぽんと弾ませて遊んでいる。


「シド、それは?」


 レオンがシドの手にあるものを指差す。
シドが持っているのは、四角い小さな板状のもので、真ん中に丸い突起がついていた。
最低限の機能だけを持たせたスイッチ、と言った風のそれに、レオンが詳細について尋ねてみると、


「これから使うんだよ。危ないモンじゃないから安心しろ」


 言いながらシドは、きょろきょろと中庭を見回している。
手でカメラレンズの画角を調整する仕草をしながら、中庭の中をじりじりと移動して、何かを探しているようにも見えた。
一体何を始めるつもりなのかと、レオンはユフィ達と顔を見合わせるが、誰もシドの思惑について知っている者はいないようで、揃って首を傾げている。

 シドは五分ほど入念な確認作業のようなものを行ってから、よし、とスイッチを手にする。
真ん中のボタンに親指を添えながら、庭の外枠で様子を見ていたレオンを見て、


「レオン、こっちに来い。此処だ、此処」
「……なんだ?」


 爪先で地面をこつこつと蹴り、場所をピンポイントで指定するシド。
レオンは眉根を寄せつつ、取り合えず彼の言う通りにしてみようと、シドの指定場所に立った。
其処は中庭のほぼ中央の位置で、ぐるりと辺りを見回してみれば、庭の全体がくまなく見渡すことが出来る。

 此処で何をするのだろう、と辺りを見回していたレオンに、シドが「あっちだ」と指を差す。
庭園の南側を指したそれに、見ていろ、と言う事だろうかとレオンは体の向きを合わせて、視線も固定させた。
見えるのは中庭を囲む城の壁で、地面から逞しく伸びたのであろう蔓草が絡まっている他は、特段、変わったものはない。
パトロール中に何度かこの庭園には足を運んでいるが、その時見ていた光景とも、違うものは見付からなかった。
ユフィ達も興味津々に、不思議そうにレオンが立っている所を見詰めている。

 レオンを指定場所に立たせて、シドが数歩、距離を取る。


「おい、シド」
「動くなよ。始めるぞ」


 まるで安全確保のように下がるものだから、レオンが眉根を寄せていると、シドは構わずにスイッチを掲げて見せた。
何かの実験がしたいのならそう言って欲しいのだが、とレオンは思うが、シドはあくまで説明責任を果たすつもりはないらしい。
悪い事はされないと信じてはいるものの、何も判らないままと言うのはどうにも不安を呼んで、レオンの眉間には自然と深い皺が浮かんでいた。

 腑に落ちない所は幾つもあるものの、取り合えずは見ていろと言われた場所を見ていよう、とレオンは視線を戻す。
相変わらず、物言わぬ壁が聳えている其処は、太陽が南天を通り過ぎた為に、陰が落ちていた。

 カチ、と小さな音が聞こえた。
シドの持っていたスイッチだろう、と思って数秒後、レオンが見ていた壁の中に、一筋の光が立ち上った。
下から上へとゆっくりと、打ち上げられたロケットのように上がった光は、レオンが見ていた丁度真ん中で大きく弾ける。
恐らくはそこで、大きく弾ける火薬の音がしたに違いない。
けれども今は無音のまま、咲いた色花はきらきらとした名残の火を揺らしながら散り行き、続けて二つ目、三つ目の光が空に向かって昇る。

 これは、と目を瞠るレオンの蒼灰色には、咲いては弾け、散っては上る、幾つもの光の花が映し出されている。
瞬きの内に消える華の向こう側には、いつの間にか夜色の空と無数の星が浮かび上がっていた。
それはレオンが見つめる一点だけではなく、中庭をぐるりと囲む城壁に、隙間なく連なる景色となって完成していた。


「………」


 想像もしていなかった光景に囲まれて、レオンはその中心で立ち尽くしていた。
言葉も失った様子の青年の姿に、それを見る養い親の目が微かに緩む。

 外周では、同じ景色をレオンとは異なる角度から見ていたユフィが目を輝かせていた。


「すっごーい!シド、何これ何これ!」


 飛び上がらんばかりにはしゃいだ声で駆け寄ってきたユフィに、シドは手元のスイッチをひらひらと揺らしながら答える。


「地下のコンピューターの中に、昔の映像が結構転がっててな。祭りなんかの録画記録みたいなもんを見付けたんだよ。それを貰って、ちょいちょいと編集して───って訳だ」
「これ、昔の花火の映像ってこと?」
「そう言うこった。で、作った映像データを、セキュリティシステムを設置する時に使ったマッピングと合わせて処理して、此処の壁に投射してる。元データには音もあるから、それも引っ張って来たかったが、スピーカーの類がないからな。音がなくて迫力不足だが、まあ、() としちゃ悪くないだろ?」


 どうだ、と確認するようなその言葉は、レオンへと向けられたものだった。
が、目の前で弾ける夜空の花々を見つめているレオンは、まだ現実に交わされる会話が聞こえていない。

 ────花火など、故郷で幾らも見た覚えがない。
それは記憶が淘汰されて取り出せなくなったからなのか、それとも、本当にこれを直に見た経験がなかったのか。
夜空と言うのは、常夜の街で暮らしていた時には常に目にしていた筈だが、此処に映し出された空とは色も気配も違うと感じるのは、古いものでも故郷の空だからと言う贔屓目だろうか。
闇ではなく、澄んだ夜色に覆われた空に瞬く星々は、肉眼でそれを見る程はっきりと認識できるわけではなく、どちらかと言えばぼやけている。
恐らくは解像度の問題なのだろう、と妙に冷静に分析している自分がいて、レオンは目の前の光景に対する心の動きと、頭の中の働きが少々ずれているのを感じていた。

 だが、それでも“悪くない光景”であることは確かだった。
頭上を真っ直ぐに仰げば、太陽こそ角度を変えたものの、真昼の青空が見えている。
其処から少しだけ視線を落とすと、夜の空が広がって、無音の花火がいつまでも上がり続けていた。


「……シド」
「ん」
「…どうして、これを?此処に呼んで見せたのなら、俺にだけ、何か理由があるんだろう」


 名指しで呼ばれた理由について尋ねれば、シドはがしがしと頭を掻いて、


「そりゃあ、お前。誕生日だからだろう。お前の」


 他に理由があるものか、とシドは言い切りながら、眉間に深い皺を寄せている。
気の良い性格でありながら、昔気質な所を持ち合わせている彼としては、言わずとも察しろと言いたい所だったのだろう。

 それでも、他者の機微には敏くとも、自分に向けられた他者からのそれには鈍いきらいのある青年には、言わねばならないとシドも判っていた。


「お前の事だから、今日の事なんか忘れてただろうし、覚えてた所でそんな暇もないって言いそうなもんだが、それはそれだ。誕生日祝いなんて毎年やってたんだから、今日だってやって良いだろ。ま、用意できるモンは、こんな程度のものしかないけどな」
「……」
「別にお前だけの祝いの為に作った訳じゃねえさ。折角だから、次のユフィの誕生日にも使えるしな」


 たまたま最初の順番がレオンだったのだと、シドは言う。
その会話を聞いたユフィはと言うと、


「また見れるの、この花火。あっ、でもでも、どうせなら本物の花火が見たいよ、あたしは。シド、あたしの誕生日の時は、本物の花火作ってよ!」
「贅沢言いやがって。このデータ作るのだって大変だったんだぞ」


 無邪気なリクエストをしてくれる末の養い子に、シドは彼女の頭をぐりぐりとかなぐり撫でながら言う。
存外と逞しいユフィは、その手に押しつぶされつつも、良いじゃん作ってよ、と言うのだった。

 その傍ら、じっと花の咲き散る壁を見つめ続けるレオンの下に、近付く足音が二つ───エアリスとクラウドだ。
エアリスは、呆けたように立ち尽くすレオンの顔を、下から覗き込むように見て、


「レオン」
「……あ、」


 近い距離で名前を呼ばれ、ようやくレオンの意識が返ってくる。
まだ目の中で繰り返し明滅する光の映像に、網膜が眩しいものを感じて、レオンは目を擦った。


「すまない、ついぼーっとして」
「ふふ。見とれてたね」
「そう、いう訳でも、」
「綺麗だもんね」
「……」


 自分がぼんやりと呆けていた事が恥ずかしく、反射的に取り繕うレオンであったが、エアリスはにこりと微笑んでいる。
それを見ていると、不思議なもので、毒気のような見栄が溶けていく気がした。

 そんなエアリスの向こうでは、相変わらず感情の動きを滅多に見せない碧眼がある。
七色めいた虹彩を宿すそれもまた、きっとレオンの胸中を見通しているのだろう。
結局の所、この二人に対して、取り繕いなど意味もない事なのだ。

 だからレオンは、素直に言うことにした。


「……そうだな。綺麗で、良い景色だ」


 シドが見付けたというこの映像の元データが、いつの時代に記録されたものかは、レオンには判らない。
だが、この街が闇に飲まれる前のものであったことは確かで、レオンが遠い記憶に思い描いていた故郷の姿が映し出されている事は間違いない。
闇の脅威に怯えることなく、鮮やかな花火を打ち上げ、それを見つめる人たちがいたと言う記録。
それはレオンにとって、いつか辿り着く自分の目標でもあると同時に、確かにこの世界が優しいものだったのだと思い出すことが出来る、温かな記憶でもあった。

 花火はいつまでも繰り返されているから、恐らくはシドが編集した映像データが繰り返し再生されているのだろう。
彼がボタンひとつで停止すれば、この中庭に投影されている映像は消える。
その儚さが、正しく夜空の中で咲いては散る花火の耀きに似ていたが、名残もなく消える潔さもまた、清々しくも感じられた。

 レオンがもう一度、花火の上る壁を見詰めていると、シドがひとつ溜息を吐きながら言った。


「こういうのは、夜にやった方がもっとはっきり見えるモンだとは思うんだが、ま、足元も危ないしな。此処なら昼でも影が大きいし、ハートレスも出ないし、ゆっくり見れると思ってよ」
「ああ、そうだな。……これを準備をするの、大変だったんじゃないのか」
「良いんだよ、そんな事は。それよか、お前の誕生日って気付いたのが数日前だから、突貫仕事でやっちまった。もうちょい解像度が上げられりゃ良かったな」
「いや、十分さ。言っただろう、そんな事まで望んだら贅沢だ」
「お前の言う贅沢なんざ、贅沢のうちに入らねえよ」


 シドは呆れたように言いながら、ズボンのポケットから潰れた煙草の箱を取り出した。
地下のコンピュータールームにいる間は、喚起の問題で中々吸えないそれを咥えて火をつけると、たっぷりと煙を吸って吐き出した。

 レオンの背中に、どんっと抱き着いて来たものがあった。
肩越しに後ろを覗いてみれば、にっかりと笑うユフィの顔がある。


「ねえ、レオン。シドが誕生日のお祝いをしたんだからさ、あたし達もして良いよね?」


 昼食の時に交わしていた遣り取りのことを、ユフィは忘れていなかった。
レオンが断ったとて聞き入れるつもりもないのだろうが、改めて本人の意思を確認する事で、遠慮なく祝いたいと言う気持ちがあるからか。
ユフィなりの気遣いを感じ取って、レオンは観念した表情で言った。


「そうだな。祝ってくれるんだ、有難く受け取る事にしよう。夕飯のリクエストも、何か考えるよ」
「やった!お肉ね、あたしお肉が良い。プレゼントはね、今から探してくるから、楽しみにしてて!」


 そう言い終えるなり、ユフィは駆け足で中庭を後にした。
既に誕生日は当日、昼を過ぎているので時間としてはあと半分も残っていない。
これと言った特別なものもない今のこの街、この城で、ユフィが一体何を用意してくれるのか、レオンは少しばかり楽しみだった。

 いつでも元気で忙しない末の少女がいなくなると、シドが「そろそろ良いか」と言ってスイッチを翳す。
彼がスイッチを押さなければ、花火はいつまでも此処で上がり続けるのだろうが、それも風情のないことだ。
レオンが頷くと、シドがスイッチを押して数秒となく、投射されていた映像が消えて行き、後はいつも通りの壁が佇んでいた。

 何処か一端の寂しさを感じつつ、レオンはこれで良いのだと小さく笑う。
それから、さて、と気持ちを切り替えて、


「エアリス。夕飯のことだが」
「うん」


 待っていましたと、エアリスが朗らかな瞳を向ける。


「ユフィとクラウドは、肉が良いと言ってはいたが……」
「なんでも良いよ」
「じゃあ、揚げ物なんてどうだ?使う油が多くなるが」
「大丈夫」
「なら、肉料理とそれを頼む」
「了解しました。豪華にするから、楽しみにしててね」


 エアリスの言葉に、よろしく頼む、とレオンは言った。
年下の者たちの要望も汲みつつ、改めて祝いの席を望むことに、レオンは聊か照れ臭い気持ちもあったが、にっこりと笑うエアリスを見ると、これで良かったのだと思える。

 夕飯の材料を決める為に、食糧庫に行くと言うエアリスを見送ると、後に残るのはレオン、シド、クラウドの三人だ。
シドは壁際に設置していた投影用の器材を拾っている。
後片づけくらい手伝おう、とレオンが其方に向かおうとすると、すたすたとそれを追いこす足があった。


「あんたは今日はゆっくりしていろ。誕生日だからな」


 クラウドはそう言って、シドとは反対周りに壁沿いを回り、機材の回収を始めた。
レオンは、意外な人物から意外な言葉が出て来たな、と思いながら、


「お前にもそう言う気があるとは思わなかった」
「やっておけば、来年は俺にもそういうチャンスがある訳だろう」
「そう言えば、お前の誕生日は───過ぎたばかりだな。完全に忘れていた」
「誰も思い出さなかったな。俺も忘れていたが」


 だから気にはしていない、とクラウドは言い切る。


「まあ、いつまで此処にいるのかいないのか判らない俺より、あんたの方が皆も祝い易いだろう」
「お前も、ちゃんとその日にいるのなら、次は祝うさ。今年の分と、当分行方知れずでいてくれた間の分もな」
「分割払いで夕飯のリクエスト権をくれれば十分だ」


 クラウド自身、自分の誕生日は勿論、他人のそれにも深い興味はないのだ。
ただ、仲間達が誰かの祝いをしたいと思い、その準備に奔走するのなら、それを邪魔する気もない。
今回のように、その恩恵による幸福に肖りつつ、少しばかり自分の出来ることで労力の肩代わり位はしてやろうと思っている。

 クラウドは円盤の形をした投影機を回収し終えると、シドの下にそれを持って行った。
どうすれば良いんだ、と言うクラウドに、シドは地下のコンピュータールームに運び込むようにと指示した。
クラウドはついでにシドが持っていたそれもまとめて引き受け、中庭を出て行く。

 手ぶらになったシドは、中庭に残った今日の主役────レオンを見て口端を上げる。


「誕生日おめでとうさん、レオン」
「……ああ、ありがとう、シド」


 改めてかけられた言葉に、レオンは耳が少し熱くなるのを感じながら応える。


「祝いに渡せるモンがなくて悪いな」
「十分貰った。ユフィは今から準備してくれるらしいし」
「そうだったな。何が出て来るか楽しみじゃねえか。妙なモン見付けてくるかも知れねえぞ」
「確かにな」


 無邪気な目でどんなものを見付けて来るか、それをプレゼントと言って持ってくるのか、レオンは少しだけ楽しみだった。
悪戯めいたことをされなければ良いが、とも思いつつ。


「じゃ、俺は飯食って下に戻るとするか。晩飯はちゃんと戻るよ。お前の祝いの席だからな」
「ああ」


 ひらりと手を振って中庭を出て行くシドの背を、レオンはくすぐったいものを抱きながら見送った。

 一人残った中庭は、囲む壁もいつも通りの石造りで、華やかな花が咲いては散った名残もない。
真昼の空の下で見た花火と言うのは、なんとも不思議な心地のものだった。
音つきの映像でみたいのなら、シドを追って地下に行けば、元のデータも見せて貰うことが出来るだろう。
だがレオンは、この中庭で見た音のない夜空の光景に、心が奪われていたのだ。


(良い景色だった。いつかは、あれと同じ光景を、本物で見れる日も来るかな)


 そう思ってから、いいや、とレオンは目を伏せる。


「作らないとな。その景色を……俺達の手で」


 その為に自分は帰って来たのだと、レオンは決意を固めるように呟いた。
次に来るユフィの、その次にエアリスの誕生日がやって来る。
その時までに本物の花火を、と言うのは中々に難しい話なのだろうが、何年経ってでも、あの華やかな景色を肉眼で直接見れる日が来ることを目指すのも良いだろう。
その頃には、今日は五人で見た花火も、もっと沢山の人が見上げているのかも知れない。
レオンが見たいのは、目指しているのは、そう言う故郷の景色なのだ。

 長らく首を上に傾けていた所為か、少しばかり肩が凝ってきた。
クラウドは今日一日をのんびりすれば良いと言ったが、やはり、何もせずにいると言うのも得意ではない。
城内を少しパトロールして、夕飯までに腹を空かしておけば、エアリスが腕を振るった料理も美味しく食べられるだろう。

 城内へと戻り、未だ暗がりの多い廊下を歩きながら、レオンは不思議と見える景色が変わったように感じていた。
脳裏に浮かぶ仲間達の顔と言葉を反芻しながら、悪くない一日だ、と零れた言葉は、レオンにとっては幸いに、誰も聞き留めた者はいなかった。





レオン誕生日おめでとう、と言う事で。
ホロウバスティオンに帰ってから、もう一度ソラが此処を訪れるまでに一年あるので、復興作業が始まったタイミングによっては、こう言う時期に誕生日を迎えたりしたのかも知れないなと思って。
KH原作設定だと、どうやっても誕生日と言うものに消極的なうちのレオンですが、周りはお構いなしなのです。お祝いしたいからね。

ナチュラルにクラウドの誕生日が過ぎている事になっています。本人も気にしていないし、エアリスもそれをきっかけに次に直近で来るレオンの誕生日を意識していたのかも知れない。来年は彼もしっかりお祝いされる筈ですが、当日に本人がいるかは運。
ユフィやエアリス、シドの誕生日は、しっかりお祝いされていくし、レオンも準備をすると思います。