閉じた世界で微睡を


文化祭でのクラスの出し物が演劇に決まって、スコールはほとほとうんざりとしていた。

元より、何をするにもやる気はなかったし、とは言え決まれば文句は言わずに仕事は熟そうとは思っていた。
あれをやりたい、これをやりたいと言う議題に参加する気すらない分、細々した道具を用意するでも、少々大がかりなセットを組む羽目になろうとも、それは黙ってやって行こうと。
話し合いに欠席していた訳でもなく、目の前でやる気のある面々が銘々と手を上げる中、こっそりと欠伸を我慢していたスコールだから、そう言うつもりでいたのだ。
それは決して嘘ではない。

だが、よりにも寄って自分が舞台に直接立つ事になろうとは。
それも主役級の、狂言回しとして台詞も出番も多い、主人公の敵役かたきやくなんてものに推薦されようとは。

推挙された時には、「は?」と間の抜けた声が出たものだった。
しかし、それを聞き留めた者は誰もなく、スコールが茫然としている間に、満場一致で勝手に可決されてしまう。
後でクラスの実行委員を引き受けているセルフィに抗議に言ったが、概ね予測できたことではあるが、彼女は「もう決まっちゃったもん」とけろりとしていた。
嫌だと言うなら、話し合いの最中にそれを唱えてくれないと、と言う彼女の言葉は扱く真っ当な指摘である。
おまけに、「クールで知的でぶっきら棒な役なんだよ。スコール、似合うんじゃない?」とまで言われた。
明らかに幼馴染の気質を判っていながら、面白がっているセルフィに、スコールは思わず声を荒げそうになったが、察知したのか彼女は一足先に「委員会の仕事があるから〜!」と言って走り去ってしまった。
そんな彼女を追う気力が、スコールにある筈もなく。

端役で終わるとか、それが駄目ならナレーションとか。
とにかく、長々と舞台の上で、観衆の前に立たなければならない事が、目立つ事を極度に嫌うスコールにとっては耐え難いものだった。
しかし、セルフィの言った事も確かではあり、出し物を決める段階から、配役が選ばれていく所まで、スコールが話し合いに参加する姿勢を持っていなかったのも確か。
なるようになれ、と周囲に任せていた身を思えば、この流れに逆らえないのも当然と言えるかも知れない。

────それから一週間後、スコールの手元には、件の演劇の台本が渡された。
有名な舞台演劇からお題を借り、本来なら数時間に及ぶ長丁場となるその内容を、判り易さを重視にアレンジにアレンジを重ね、一時間程度に絞り込んだもの。
圧縮された内容なので、話が疾風怒濤のように、時に都合よく進むのは、学生のお祭りの味と言うことで見逃して貰うとしよう。
しかし、そんな内容でも、狂言回しの役所となるスコールの台詞は多かった。
スコールの役は確かに主役級と言うものであるが、捲る度に自分の台詞があるのを見て、これは本来の主役を食ってないか、と思う。

とは言え、暗記自体はそれ程苦手にはしていない。
まあ覚えるだけならと、真面目振りがひょっこり顔を出して、立ち稽古が始まるまでにはスコールは自分の台詞を凡そ頭に入れ終えていた。

だが、スコールが台詞を完璧に覚えても、それだけで舞台は出来上がらない。
台詞に合わせて動きもついて、感情を表す抑揚をつけ、相手がいればその動きにも合わせねばならない。
演劇部でもないスコールにとって、それらは生まれて初めての経験だった。
その上、台詞と出番が多い所為で、スコールは舞台に殆ど出ずっぱりである。
場面が一つ終われば次、そのまた次と、他の者が順繰りに休む中、スコールは水を一口飲んでは練習に戻ると言うのが精々だった。


(こんなの、演劇部の奴にやらせろよ……!)


素人にやらせて良い役じゃない、とスコールはつくづく思う。
もっと役者として適任がいただろう、とも。
どうして自分が推薦されたんだと、眉間に深い皺を浮かべるスコールは知らない。
スコールにこの配役をやらせたいが為に、複数人の女子生徒が共謀し、クラスの出し物と配役が決まった事を。

長い稽古の時間が続いて、覚えている筈の台詞が飛び始めたスコールに、流石にこれは休ませないといけないと、ようやく監督役の生徒が気付いた。
もっと早くに気付いて欲しかった、とスコールは思ったが、止めてくれただけでもスコールにとっては恩の字だ。
スコールは少しの間、身も心も配役から解放されるべく、稽古用に使っている教室からも離れる事にした。

半分になっていた水の入ったペットボトルを片手に、スコールは何処で過ごそうかと思案しながら廊下を歩いていた。
文化祭の準備が本格化して以来、放課後になると、校舎のあちこちで、設営用や展示用の道具が作られている。
誰それがサボってる、何々が足りないから買って来て、そんな声がよく聞こえる。
賑々しいと言えばそうだし、楽しそうにしている生徒も少なくないが、スコールにとっては騒々しい位にしか聞こえない。
早く文化祭そのものが終わって、いつもの静かな日々が戻ってきて欲しいものだ。

空き教室は大体が何処かのクラスの準備に使われていて、人の出入りが激しい。
校舎の外の方が人は少ないかも知れない───と思ったが、此方も此方で、設置予定の飾りものやら、その材料やらが積まれていた。
どうにか静かに休める場所は見付からないものか、とスコールが暫く歩き回っていると、


「スコールじゃん。劇の練習、終わったのか?」


名を呼ぶ声が背中に聞こえて、振り返ってみると、ヴァンがいた。
両腕には木材と大工道具を抱え、此方も出し物の準備の真っ最中のようだ。

はあ、とスコールは溜息を吐いて、


「終わってない。ただの休憩だ」
「まだ練習はやってるのか?」
「ああ」


ヴァンの言葉に頷きながら、いっそ今日はもう終わりに出来ないだろうか、とスコールは考える。
台詞を言うにも、意識しないと呂律が上手く回らないくらいには、疲れが溜まっているのだ。
それが、他クラスに所属するヴァンから見ても、ありありと判ったようで、


「疲れてるな」
「……」
「保健室行くか?」
「……それ程じゃない」


ヴァンの提案に、スコールは小さく首を横に振った。
ただの疲労と、見栄を張る気力がなくなっただけで、保健室で寝込まなくてはならない程でもない。

とは思っているのだが、気分的には、何処か静かな所でゆっくりと過ごしたい。
しかし、放課後とは言え、近付く文化祭の準備に向けて、校内は何処も人の気配で溢れている。
校舎の外も同様で、偶にスコールが人目を避けて昼休憩を過ごす校舎裏も、今は設営作業のサボタージュ生に占拠されていそうだった。

はあ、と何度目か知れない溜息がスコールの唇から漏れる。
ヴァンはその様子をじっと見つめ、


「俺のとこの教室、来るか?俺の班、今日は皆帰っちゃったから、俺一人だし」


そう言ってヴァンは、廊下の向こうにある教室を指差した。
スコールはその指の先をじっと見つめた後、無言でその方向へと歩き出す。

ヴァンのクラスでの出し物は、隣の教室も借りての迷路になったとか。
脱出ゲームの要素も盛り込んで、色々とギミックも仕込むつもりらしく、早い段階からその為の材料や機材の確保に駆け回っていた。
ヴァンは別段、文化祭に張り切っている訳でもないそうだが、ゲームに必要な道具を作るのが楽しいと言っていた。

ヴァンが言った通り、彼の教室に人の気配はなく、代わりに教室の後ろに沢山の木板や段ボールが納められている。
今日の放課後作業の為か、机は窓際に寄せられて、空いたスペースには大きな模造紙と解体した段ボールが広げられていた。
スコールは適当に椅子を運び出すと、其処に座り、模造紙の大きな絵をカッターでくり貫いているヴァンを見る。


「……あんた以外の奴はどうしたんだ」
「さっきまでいたよ。でも皆、塾とかバイトとかあったし、今日やる事は俺一人で十分だから、先に帰らせたんだ」
「……」
「代わりに、明日は俺が先に帰らせて貰うんだ」


くり貫いた絵をの上にヴァンは段ボールを一枚ずつ重ねる。
絵がすっかり覆われると、段ボールをガムテープで繋げて行き、大きな一枚の厚板にした。

ヴァンの話を聞きながら、役割分担が出来る奴は良いな、とスコールは思った。
演劇の主役級に飾り立てられたお陰で、スコールのその役割は、何処を取っても替えが利かない。
役を降りたいのなら、代わりの人を立てなくてはならないのだが、台詞も出番も多いスコールの役処を、好んで引き受けたがる者はいないだろう。
他クラスの人間も巻き込んで良いのなら、「お前がやれるんなら、俺でも出来る役だろ」等と宣った金髪の幼馴染に早々に押し付けてやれるのに、と何度思ったか知れない。

ボンドとガムテープを使って、絵を板に貼って行くヴァン。
スコールは椅子にすわってそれを眺めながら、ふあ、と欠伸を漏らした。
作業に集中しているとばかり思ったヴァンの視界に、それはしっかり映ったようで、


「眠いのか?」
「……かも知れない」


台詞を覚えて、立ち回りを覚えて、ステージに立ちっぱなしで。
流石にスコールも集中力が切れる位には疲れていたし、人気のない場所を欲しがったのは、体がそう言う休息を欲したからもあるだろう。
相変わらず、教室の外は人の気配が絶えないが、それらが扉一枚、壁一枚向こうであると言うだけで、今のスコールには随分と気分が楽だった。

椅子の背凭れに寄り掛かり、スコールは夕暮れ色の滲む教室の天井を仰ぐ。
───と、その薄くぼんやりとしていた視界に、ふっと褪せた銀色の影が差す。


「……なんだ」


見下ろすヴァンの顔を見つめ返して、スコールが言うと、ヴァンは徐に右手を上げて、ぽんぽん、とスコールのチョコレートブラウンの髪を撫でた。
それを黙って受け止めていると、ゆっくりとヴァンの顔が近付いて来て、スコールの深い谷が出来た眉間に唇が触れる。


「……なんだ、急に」
「大変そうだから、お疲れ様って」
「…そう思うんなら、あんたが代わりに劇に出てくれ」
「スコールの役、台詞一杯だったじゃんか。覚えらんないよ」


労うならいっそ、とスコールの台詞に、ヴァンはきっぱりと返した。
それを聞いて、だろうな、とスコールも思う。

大道具とかなら手伝えるけどなぁ、と呟くヴァンだが、其方はクラス内で十分人手が揃っている。
それより、凝った迷路作りのヴァンのクラスの方が、その類の仕事では大変そうだから、逆に駆り出される人員が出て来るかも知れない。
ともあれ、スコールの為にヴァンが出来る事と言うのは、ないに等しい。

ヴァンはスコールの頭を撫で続けていて、小さな子供じゃないんだが、とスコールは思ったが、一応、彼にとっては労っているつもりなのだ。
それを振り払う気にならないのは、突かれているからだと思う事にする。


「そんなに疲れてるなら、今日はもう帰って良いんじゃないか」
「……練習が進まなくなるだろう」
「でも、今だって皆はやってるんだろ?スコールが抜けた状態で」


確かにヴァンの言う通り、今も教室では演劇の練習が続いている。
スコールの配役の所は、其処に出番のない者が台本を持った状態で立っていた。
本番でそんな状態は勿論できないが、練習位は、そう言う代役が出来るのだ。

でも、だからと言って、先に帰らせてもらう、なんて事はスコールには言い出し難い。
明らかに体調が悪いと言うならともかく、ただ疲れているだけなのだ。
どうせ明日も覚えなくてはいけない事が増えるのなら、後ろ倒しに借金を作らないでおきたい、と言うのがスコールの心中であった。

とは言え、今はまだ自分の教室に戻る気になれない。
ヴァンと二人きり、少しだけ静けさのあるこの閉じた空間の中で、もう少し休んでいたかった。


「……ちょっと寝る」
「起きたら家帰るか?練習戻る?」
「……気分で決める」
「判った。どれ位で起こしたら良い?」
「……二十分で」


スコールの言葉に、ヴァンは頷くと、携帯電話を取り出した。
タイマーアプリでもセットしているのだろう、その間にスコールは仰がせていた頭を俯けて目を閉じる。
本当は横になりたい気分だったが、並ぶ机をベッドにする勇気はスコールにはなかった。

傍らに立っていたヴァンの気配が動いた後、ぱさり、と何かがスコールの肩にかけられる。
薄く瞼を開けてみると、視界の端に、自分のものではない制服の上着が見えた。
それから耳元に柔らかいものが触れたのが判って、此処は学校なのに、と思いながらも、その感触が心地良くて緩やかな微睡に誘われる。

遠ざかる気配にを追うように、視線を少し動かすと、薄着になったヴァンが作業を再開させている。
ぺりぺり、ぺりぺりと、ガムテープを剥がす音を聞きながら、スコールの意識はふわふわと浮いて行くのだった。




2021/12/08

12月8日と言う事で、ヴァンスコ。

付き合っているけど、クラスも違うし、多分周りからはそんなに親しいとは思われていない。
なので校内であんまりそう言う事はしたくない、と思っているけど強くは拒否しないし案外吝かでもないスコールと、今なら良いよなって言う気持ちで触れるヴァン。
ヴァンは周りに知られても余り気にしないけど、スコールが気にしそうだから言わないようにしてる感じ。
人目のない所では割とべったりしてそうな二人でした。