あめふり、かみなり、あまやどり


今日はお買い物よろしくね、と母から財布を渡されて、スコールはわくわくどきどきと言った様子だった。

長男のレオンは、母レインに代わって買い物を任されている事が多い。
中学生と言う年齢もあって、元々のしっかり者ぶりも板について、母と共に買い出しの手伝いに行くことは勿論、学校帰りに急ぎの買い物を頼まれることも少なくなかった。
そう言う経験値を積んでいるので、父母から見ても、長男になら心配なく任せられる、と言う安心感が大きかった。

真ん中のエルオーネはと言うと、そろそろ小学五年生で、レオンの手伝いとして買い物に着いて行く事も増えている。
その際、ちょっとしたご褒美をねだる辺りは、兄とは別の意味でしっかり者と言うべきか。
年下達に甘い兄は、仕方ないなと苦笑しつつ、お菓子を一つだけ、ご褒美として買い与えていた。
とは言え毎回のことではなくて、この間は買っただろう、とか、帰ったらおやつがあるよ、とか、諫めることも忘れないようにしている。
また、レオンの授業が遅くなり、彼の帰宅が遅い時には、兄に代わって母との買い物に行く事も少なくないから、彼女もそこそこの経験値を積んでいると言って良いだろう。
友達と一緒に外で遊ぶことも多く、握り締めたお小遣いでジュースを買う事もあるので、買い物と言う行為そのものは慣れている方だ。

さて、末っ子のスコールだが、彼は小学生になったばかりである。
幼稚園の頃から、母の買い物に着いて行く事は儘あったが、大抵は母について歩くばかりだ。
兄や姉が一緒なら、手を引かれて目当ての品を探しに行ったり、お菓子を取りに行ったりもするのだが、基本的に彼は一人で行動することを嫌がる。
彼が行動するには、安心できる人が一緒にいる事が大前提となっているのだ。

今日は、そんなスコールをリーダーに、子供たちだけで買い物にチャレンジする事になった。

リーダーにするなら、長男のレオンが一番安心できる所なのだが、何故だか母は其処に末っ子を指名した。
なんでスコールなんだろう、と姉は首をかしげていたが、レオンはなんとなく感じ取る。
母なりに、スコールにもう一歩、自力で前に進む力を身に着けて欲しいのだ。
どうしても家族の陰に隠れてしまい勝ちな末っ子だが、時には自分で物事を決めたり、誰かを引っ張って行く事も必要になる。
また、自分の力で遣り切る事が出来た、と言う成功体験を積ませる為にも、彼自身が色々なことを考えて決める事ができるようにと、“リーダー”と言う役割を与えたのではないだろうか。

かくして母の願いが甘えん坊の末っ子に届いたかは判らないが、彼は戸惑いつつも、今日の買い物をしっかりとやり遂げた。
其処には、一緒に買い物に出かけた兄姉の献身的なサポートがあった事も忘れてはならない。
いつも母の後ろをついて歩くばかりだったスコールに、手を繋ぎながら、向かうスーパーがどこの道を通れば行けるのか、到着してからも目当ての商品は何処の棚にあるのかなど、スコールにさり気無く促す。
あっちだよ、と引っ張っていくのは簡単な事だったが、今回のリーダーはスコールなのだ。
スコールが何処に行くのか、いつも歩いていた道はどんな景色だったかを思い出しながら、自分で決めて進むのが大事だった。
当然、買い物はそこそこの時間がかかったが、それでもスコールは無事に買い物メモに記された全ての品を集める事が出来た。

そして最後の関門である、レジに向かい、レオンが持っていた買い物カゴをカウンターに置く。
ピ、ピ、ピ、とバーコードの読み込みが進む中、スコールは背負っていたリュックサックから、母から預かった財布を取り出していた。


「───1549円です」
「えっと、えぇっと……」


スコールは財布を開けて、千円札を一枚取り出した。
これだけでは足りない筈だから、小銭入れを開けて、小さな手でコインを探る。


「ごひゃくえん、と、えっと……」
「スコール、あと50円でも良いんだよ」
「じゃあ……んと、んしょ、」


エルオーネのアドバイスを受けて、スコールは500円玉を一枚、50円玉を一枚取り出す。
高い位置にあるトレイにスコールは背が届かなかったので、レオンが受け取って其処に置いた。
レジカウンターの女性が、お釣りの1円とレシートを持って、スコールと目を合わせる。


「お釣りとレシートのお返しです。ありがとうね」


差し出されたそれを、スコールは頬を赤くしながら受け取った。
いつも母がしていた事が、自分にもできた、と言うのが嬉しかったのだろう。

支払いの終わった商品を、3つの買い物袋に分けて、それぞれが持つ。
重い物はレオン、嵩張るけれど軽いものはスコール、一番軽いお菓子類が入った袋がエルオーネだ。
普段はスコールとエルオーネが逆になる所だが、今回はまず、スコールが「リーダーなんだから、僕が重いの持つ!」と言った。
が、実際に持ってみると、重さでよたよたとしか歩けない上、転んでしまいそうなので流石に兄姉が見兼ねたのである。
代わりに「卵が入ってるから、気を付けて運んで欲しいんだ」と、卵の入った袋をスコールに持たせた。
これでスコールの責任感も果たしつつ、無理なく帰れる荷物担当が決まったのであった。

スコールは袋に入った卵を割ってしまわないように、出来るだけ持つ手を揺らさないように意識しながら歩いている。
ちらちらと卵の様子を確認しながら歩くものだから、度々前方不注意になるので、エルオーネがそれに声をかけながら、前を見て歩くようにと促した。
レオンは車や自転車が来るのを随時確認して、それらが接近する度に、妹弟に注意を促す。

───と、普段の帰路を思えば、これもまたゆっくりと進んでいた所為だろうか。
のんびりとした足取りの三人の頭上を、ごろごろと重い音を立てる雲が、あっという間に埋め尽くし、ぽつっと一粒。


「あ」
「あめ」


来るだろうなと言うレオンの予想に違わず、空は突然に泣き出した。
それも初めの一粒から幾らも時間を置かない内に、ざわざあと激しくなって行く。


「わっ、わぁっ!」
「うそ!」
「そこの公園に行こう、隠れる所がある!」


おろおろと焦るスコールとエルオーネに、レオンは近く見えていた児童公園を指差した。
そこは小さなものではあるが、ゾウの形をした、中に入れるオブジェ遊具がある。
子供たちはそれぞれの荷物を腕に抱えて、一目散に其処へ駆け込んだ。

三人がオブジェの下に滑り込んで直ぐ、雨は更に強くなり、煙って遠くが見通せない程に酷くなった。
エルオーネがポケットに入れていたハンカチを取り出し、濡れたスコールの顔を拭いてやる。


「大丈夫だった?スコール」
「んむぅ……」
「エル、お前もちゃんと拭いておくんだぞ」
「うん」


エルオーネはスコールの顔や腕を拭き終えると、自分の顔をごしごしと拭いた。
レオンは低い天井に腰を曲げながら、小さな穴からどんよりと暗くなった空を見上げる。


「こんな雨が降るなんて。にわか雨だと思うけど……」
「直ぐに止むかな?」
「どうかな……」


止んで欲しいとエルオーネの言葉からは感じられるものの、レオンが肌身で感じる限り、風がない。
小さな隠れ家の中に雨が吹き込んでこないのは幸いだったが、頭上の雲が流れてくれる気がしなかった。


「……しょうがない。止むまで此処で待っていよう」
「でもお買い物、お母さんが待ってるよ」
「うん。でも、こんな雨の中を傘も差さずに帰ったら、風邪を引いてしまうからな。前が見えない位だから、危ないし」


リーダーとして、早く帰らないと、と意気込むスコールの言葉に、レオンはやんわりと言って宥める。
スコールは兄の言葉にむぅと唇を尖らせつつも、水浸しになって行く公園を見て、ゾウの下から出て行こうとはしなかった。

雨はざあざあと降り続け、レオンが心配した通り、雨雲はいつまでも居座っている。
それだけでなく、益々空は重く暗くなり、雨雲はいつの間にか真っ黒なものに変化していた。
あの色は───とレオンがひしひしとその気配を感じていると、思った通り、ゴロゴロゴロ、と言う音が鳴り始める。


「ふえ」
「やだ、雷だ」


スコールがひしっと姉にしがみつき、エルオーネも近付く雷神の気配を悟る。
エルオーネは「やだなぁ」と呟きながら、抱き着く弟の頭を撫でてあやしているが、カッ!と大きな光が走った瞬間、


「きゃ!」
「ふぁ!」


妹弟が揃って悲鳴を上げて、雷から隠れるようにお互いを抱き合う。

フラッシュのような光から数拍遅れて、ゴロゴロ、と言う音がまた鳴った。
レオンは着ていた上着を脱いで、二人の頭を隠すように羽織らせてやる。


「大丈夫か?二人とも」
「おにいちゃ……」
「レオン〜……」


幼いスコールは勿論、エルオーネもまだまだ雷が怖いのだ。
エルオーネは音くらいなら平気ではあるのだが、外にいる状況で、光まで近く届くこの状況では、弟同様に怯えてしまうのも無理はない。

公園の周りはマンションが囲むように並ぶ団地になっている。
高さのある建物も多いし、こっちに落ちて来る事はないと思うけど、とレオンは思うが、それで雷への怖さがなくなる訳でもない。
早く家に帰れば良かったな、せめて折りたたみ傘でもあれば───と思っていると、レオンのポケットの中で携帯電話が着信音を鳴らしていた。


「母さんだ」
「お母さん!」


レオンの言葉に、スコールが助けを求めるように母を呼ぶ。
それを頭を撫でて落ち着かせながら、レオンは通話ボタンを押した。


「もしもし、母さん?」
『レオン?今どこ?大丈夫?』
「ああ、うん。今、公園で雨宿りしてる。スコールとエルもいるよ」


心配する母の声に、レオンは努めて落ち着いた声で、状況を説明した。
雨が降り出して直ぐ、公園の東屋に入って、雨宿りをしていること。
まだ当分雨は止みそうになく、雷も鳴っているので、妹弟が不安がっていること。
母も概ね予想はしていたのだろう、それでもともかく無事でいてくれた事には安心したようで、ほっと息を吐くのが聞こえた後、


『こんなに酷い雨が降るなんて』
「俺もびっくりした。天気予報じゃ聞いてなかったし」
『そうね。ともかく、さっきお父さんが帰ったから、迎えに行って貰うわね。どこの公園にいるの?』
「ゾウの滑り台がある所」
『うん、判ったわ。迎えが来るまで、そこから動いちゃ駄目よ』
「判った」


直ぐに行くからね、と言う母に返事をした後、通話は切れた。
レオンは、じいっと見詰める妹弟の方を見返して、


「父さんが迎えに来てくれる。もうしばらく、此処で待っていよう」
「おとうさん?きてくれるの?」


雷ですっかり気持ちが萎縮してしまって、スコールは涙を浮かべながら訪ねた。
レオンが頷いてやると、うーうーと泣きながら抱き着いて来る。
エルオーネも、レオンが貸した上着を頭に羽織りながら、チカチカと雷が光る外界を不安そうに見詰め、


「ここ、判るかなあ……」
「大丈夫だ。ちゃんと場所は伝えてあるから」
「……うん」


早く来て欲しいな、と呟くエルオーネ。

レオンはスコールを腕に抱きながら、エルオーネへと手を差し伸べた。
それを見たエルオーネは、少し恥ずかしそうにしながらも、安心できる場所を求めて兄の下へと身を寄せる。
スコールは出来るだけ雷の音が遠くなるように、きゅうきゅうと兄と姉に身を寄せ、顔を埋めようとしていた。

しばらく過ごしていると、雨の音は一番激しかった頃に比べると静かになった。
とは言え、オブジェの出入口になる小さな穴から見える外界は、まだまだ雨が降り続いている。
俄雨ならすぐに過ぎてくれると思ったのだが、こんなにも長雨になるとは。
あの激しい雨の中を無理に帰ろうとしなかったのは、レオンにとって正しい選択であったが、こう長く雨宿りするのなら、こんな小さな場所でなくても良かったな、と思う。
ゾウのオブジェは小さな子供が上ったり潜ったりと遊ぶ為のものなので、それ程大きくはない。
お陰で背が伸び盛りにあるレオンにとっては狭く、妹弟たちにとっては暗くて不安になる場所に違いない。
スーパーに戻っても良かったなあ、と今更ながら思っていた時だ。

ぱしゃぱしゃ、と水溜りの跳ねる音が聞こえて、レオンは頭を上げる。
どっちから聞こえただろう、ときょろきょろと辺りを見回していると、


「いたいた。皆、大丈夫か?」


オブジェの小さな入り口を覗き込んでいる、片手に開いた傘、片手に子供用の傘を二本持ったスーツ姿の男性が一人。
見間違える筈がない、父親が迎えに来てくれた事に、レオンの表情から安堵が滲んだ。


「父さん」
「おう、レオン。スコール、エル、大丈夫か?」


目を合わせた長男ににかっと笑いかけて、ラグナは縮こまっている二人にも声をかける。
はっとエルオーネが顔を上げて、スコールも恐々と目を開けると、飛び込んできた父親の姿に、青の瞳がくしゃっと歪む。


「おとうさぁーん!」
「おっと」


弾けたように駆け寄って抱き着いた末っ子を、ラグナはしっかりと受け止める。
兄と姉が一緒でも、雷も暗がりも怖かったのだろう、安心したこともあって、スコールは堰を切ったようにわんわんと泣き出した。
ラグナはその背中をぽんぽんと叩いて宥めつつ、


「レオン、ちょっとこの傘持って」
「うん」
「エル、大丈夫か?立てる?」
「うん……、だいじょうぶ」


エルオーネは、すん、と鼻を啜りつつ、気丈に振る舞って見せる。
泣きじゃくる弟の代わりに、安堵から涙が出そうになるのを堪える娘に、ラグナは腕を伸ばして、天使の輪のある黒髪をくしゃくしゃと撫でた。

ラグナは開いていた傘をレオンに預けると、腕に引っ掛けていた子供用の傘を一つ開いた。
そして抱き着いて離れないスコールを片腕で抱き上げつつ、もう一本の子供用の傘───花の柄が描かれたエルオーネの傘を持ち主に差し出す。


「あっちに車があるから、そこまで二人は、歩けるか?」


無理はしなくて良いぞ、と言うラグナに、レオンとエルオーネは頷いた。

エルオーネが花柄の傘を開き、レオンは父のそれを借りて、ゾウの下からようやく出る。
買い物袋の底に少し砂がついていたが、皆がそれぞれ庇って逃げ込んだお陰で、中身は無事だった。
スコールが心配した卵も一つも割れずに済んでいる。

公園の傍に置いていた車に乗り込んで、はふう、と子供たちは息を吐く。
ゴロゴロと未だに鳴る雷も、あのゾウの下にいた時に比べて随分と遠く感じられて、スコールもエルオーネも怖がらなかった。
そんな二人の様子に、助手席に座ったレオンがほっと胸を撫で下ろしていると、大きな手がくしゃりと濃茶色の髪を撫ぜた。
驚いて運転席を見れば、シートベルトを締めた父が、にっかりと歯を見せて笑う。


「お前も、よく頑張ったな」


父の言葉に、レオンの頬に微かに赤いものが差す。
兄として当然のこと───そう思ってはいても、頑張ったのだと褒められると、どうにもくすぐったくて心地良い。

ラグナは息子がシートベルトを締めるのを確認し、後ろで目を擦っている子供たちをミラー越しに見ながら、


「それじゃあ、早くうちに帰って、母さんを安心させてやろっか」


そう言って、ラグナは車を発進させた。

酷い雨の中、買い物に行ったまま、帰って来ない子供たち。
心配堪らず電話をかけてきた時に声を、レオンははっきりと覚えていた。
あの電話のお陰で、レオンは勿論安心したし、父が迎えに来てくれると聞いて、スコールとエルオーネも落ち着いて待つことが出来た。
スコールのお使いチャレンジは、思わぬ形で試練に襲われたが、ともあれ無事に役目を果たせたと言って良いのではないだろうか。

後は、子供たちが無事に家に帰り着く事が出来れば、母もやっと安心することだろう。




2022/08/08

お使い中に雨宿りの子供たち。急な雨に大慌て。
お買い物は無事に終わったのに、それ所じゃない試練に襲われて、でもなんとか頑張った子供たちでした。

子供用のオブジェ遊具の中に隠れるのは、成長期のレオンにとってはちょっと辛かっただろうなと思いつつ。一番に隠れられる場所が其処だったので、妹弟を優先して逃げ込み込ました。