境界の向こう側


行ってらっしゃい、と送り出す幼馴染達は、いつもどんな気持ちでいるのだろう。
穏やかな表情を浮かべる其処に、一体何が隠れているのか、或いは言葉通り、それ以上のものはないのか、スコールには判らない。
だが、恐らくは、其処に後ろ昏い感情などなく、どうにも向き合い方が判らずに戸惑っている幼馴染を、応援する気持ちで背を押しているのだろう。
だから、本当はもっと違う事を思っているんじゃないか、等と考えてしまうのは、スコールの後ろめたさから来る思い込みに過ぎない。

バラムガーデンからエスタへの道程は、魔女戦争の後に譲渡されたラグナロクを使えばあっと言う間だと言う事は判っている。
だが、ラグナロクは人手不足に悩むSeeDにとって、迅速かつ貴重な足だ。
それを休みの日に、完全なプライベートに使うと言うのは、例え指揮官権限などと言うものが赦すとしても、スコール自身が良しとする気になれなかった。
だから、時間も手間も、移動料金も嵩張るものだと判っていても、スコールはエスタへ行く手段を、公共交通に限っているのだ。

とは言え、嘗ての時代のように、大陸横断鉄道で何時間も電車に揺られなくてはならない、と言う事はなくなった。
F.H.の駅長の協力により、まずバラムの街の港から、F.H.が航路で結ばれた。
其処からは十七年ぶりにエスタ大陸へと延びる電車が動き出し───それまでに線路の整備の為に、エスタ大統領とF.H.の人々が随分と努力したそうだ───、これに乗って外国人はエスタ市街へと入ることが出来る。
エスタ同様、長年こちらも鎖国同然の状態であったF.H.であるが、魔女戦争の経緯の中で、バラムガーデンと縁が出来たお陰で、かの島との繋がりを頷いてくれた。
だが、軍との衝突も起きたガルバディアに関しては、まだ受け入れるとは言い難く、現状では航路が繋がっているのはバラム島だけだ。
エスタはガルバディア大陸からの旅行客用に飛空艇も建設中との事だが、直近の魔女戦争ではガルバディア軍が魔女の尖兵として行動していた事もあり、飛空艇が完成しても運用開始は直ぐとはいかないだろうとか。

バラムの港で船に乗り、F.H.まで二時間と少し。
そこから、以前は廃材置き場同然になっていた駅に向かい、嘗てスコールが歩いた橋を電車で渡る。
エスタ大陸に入ったら、電車を降りて、引継ぎ乗り換えとなるリニアカーに乗って、しばらく走ると都市入りだ。
来る度に旅行者らしい姿が増えているのを見て、開国後の様子としては順調なのかも、と言う空気を感じ取る。
となれば彼は忙しい筈だが、「今日の午後からなら大丈夫だから」と言うものだから、スコールはこうして遠い地までやって来ることになった。

都市に入ってリニアカーを降りたら、リフターに乗り、目的地へ。
その途中に正午を迎えたので、ショッピングモールで昼食をテイクアウトして置いた。
ひょっとしたら必要ないかも知れないが、一応、と言う気持ちで、同じメニューを二人前にして買う。
……これで少なくとも、多少の時間を潰す格好は取れるだろう。

途中降りしたリフターに改めて乗り、あとは一路、目的地へ。
三十分としない内にリフターは最寄のポイントに到着し、スコールは真っ直ぐに其処へ───大統領官邸へと向かった。

スコールが大統領官邸を訪れるのは、多い時には月に四回ほどあるのだが、その殆どは仕事の為だ。
SeeDとして、大統領の警護を始めとし、魔物退治に関しても、エスタ国軍が持っているその詳細を確かめる過程で、ミーティングの場所として官邸の一部屋を借りる事もある。
だから大統領官邸で日々過ごす職員たちにとは、すっかり顔見知り状態で、


「いらっしゃい、スコールさん」
「……どうも」
「大統領は奥におられます。キロス執政官たちが出て来られていなければ、まだ執務中かと」
「…そうですか。じゃあ、客間で待ってます」


と、こんなやり取りも気安いものであった。

大統領官邸と言う、仮にも一国の中枢だと言うのに、スコールはほぼ顔パスで行動できる。
会議によく使う場所や、客間はおろか、奥から話が届いていれば、トップの執務室にさえ自由に出入り可能であった。
流石にそれを堂々とやる程スコールも無遠慮ではなかったが、色々と話が進みやすいのは確かで、仕事中はそれに感謝する事も多い。
……ただ、今日のように完全なプライベートで来た時は、どうしても苦いものが奥底に滲むのを誤魔化せなかった。

客間で待つことしばし────一時間にはならなかった頃に、キロスとウォードがやって来た。


「待たせてしまったね。ラグナの手が空いたよ」
「はい」
「奥に行くかい?」
「……じゃあ、そうします」
「ああ。では、私たちはこれで失礼するよ。ついでに少し人払いもして置こうか」


キロスの言葉に、ウォードがそうしよう、と頷いた。
別にそこまでしなくて良いのに、とスコールは思うが、彼らのこの言葉は純然な厚意だ。

スコールが沈黙している間に、「それじゃあ」と言って二人は客間を出て行った。
それから一拍置いて、スコールはテーブルに置いていた昼食の入った紙袋を持って、客間を後にする。
キロスが言った通り、人払いの指示を受けてだろう、一方向に流れて行く人々とは逆の方へ、スコールは一人歩いて行く。
擦れ違いざま、「ごゆっくりどうぞ」と声をかけてくれる職員たちに会釈をして、スコールは官邸の奥へと向かった。

このエスタと言う国の心臓部とも言える、大統領執務室の部屋の周りは、それは静かなものだった。
豪奢と言う訳ではないが、やはり少々細工の請った装飾が成された扉をノックすると、「どーぞー」と少々間延びした声。
疲れているな、と思いながら、スコールがドアを開ければ、


「おう、いらっしゃい」
「……邪魔する」


来訪者を迎えたラグナは、丁度執務机から席を立った所だった。

椅子から離れると、ラグナはぐぐぐ、と腕を頭上に伸ばして背筋の固まりを解す。
やっぱ凝ってるなあ、と肩を揉みながら呟く彼を横目に、スコールは部屋の端にある来客用のソファに座った。
前にあるローテーブルに紙袋を置くと、その音にラグナが此方を見て、


「お、昼飯?」
「……ショッピングモールで買って来たサンドイッチ」
「俺の分、ある?」
「一応」


さんきゅ、と言って、ラグナはスコールと向かい合う位置に座った。

厚みのある具の入ったサンドイッチが三つと、フライドポテトに、ミニサラダ───それが2セット。
セットとなっていたそれらに、飲み物を追加することも出来たのだが、こうして食べ始めるまでの時間が読めなかった事もあって、スコールは買っていなかった。
それを見たラグナが、


「コーヒーにすっか」
「……なんでも良い」


席を立って、部屋の奥にあるミニキッチンに向かう。
その背を見詰めながら、スコールはフライドポテトを一つ、口へと運んだ。

湯が沸くのを待ちながら、コーヒーミルを回しているラグナを見る。
草臥れ気味のワイシャツの裾が、半分ズボンから出ているのを見付けて、相変わらずだと思う。
その無防備で自然体な背中は、スコールにとって見慣れたものだったが、いつしかその背が随分と遠く感じるようになった。


(……いや)


違う、とスコールは独り言ちる。
彼が遠くなったのは確かだが、それ以上に、こうなる前が”近過ぎた”のだ。

魔女戦争を終えた後、スコールとラグナは少しずつ交流を重ねるようになった。
始めはSeeDとエスタ大統領として、警護依頼を引き受ける内に、その指名がスコールに偏るようになった。
依頼料が破格であるから、ガーデン側としてもこれを引き受けない手はなく、都合がつく限りはスコールが派遣されるようになる。
終日警護と言い依頼であるから、共に過ごす時間も長く、ラグナのフランクさにスコールも徐々に慣れ、束の間の雑談も交わすようになった。
それからプライベートで通信を繋げるようになり、スコールが休暇の時には、エスタに招かれるようになる。
ラグナが私邸として使っている家に泊まる事もあって、其処にはスコール専用の部屋まで整えられていた。
一国の大統領が、一介の傭兵にするには、あまりにも手厚すぎる待遇だろう。
だが、ラグナがそんなにもスコールを贔屓させるに当たって、誰が聞いても、驚きはすれども、それならば仕方ない、と言う理由がある。

スコールは、あの日あの時、真っ直ぐに告げられた言葉を思い出す。


『俺達、親子なんだ』


……十七年も放っておいて、今更だ。
記憶に欠片どころか、そんな存在がある可能性なんて思いもしていなかったからスコールにとって、本当に今更の話だった。
だからスコールも、重ねられる交流の中、それを取り巻く一部の人々の反応を見て、その可能性は感じ取りながらも、その事実を確かめようとはしなかった。
周りがそれをどんなに匂わせようと、情報の断片を此方に押し付けてこようと、スコールにとっては今更触れるような話ではなかったし────正直に言えば、意図的に触れまいともしていた。
そうして、“赤の他人”同様から始まった距離感は、いつのまにか酷く密なものになっていた。
人との繋がりを拒否し続け、ようやくその温もりと言うものを受け止められるようになったスコールにとって、彼との近付く距離感は、心地良くも熱を持とうとしていた。

けれど、ラグナの方が口火を切った。
その場には、スコールだけではなく、彼の旧友もいて、あれは恐らく見守られていたのだろうと思う。
これから始まる“父と子”が、少しでも上手く行くように、或いは旧友が新しい一歩を踏み出すのを背を押す為に。
そして、他人の目にその様子を見せる事で、それを選ぶ道に彼自身が退路を断つ為に。

────こぽこぽこぽ、とインスタントコーヒーが注がれる音が聞こえた。
スコールは、カリ、と端の固い食感のポテトに眉根を寄せる。


(……俺の気持ち、知ってた癖に)


歯に力を入れただけで、ポテトは口の中でぽきりと折れた。
あとは顎を動かせば簡単にさくさくと千切れて行き、飲み込んでしまう事が出来る。

このポテトと同じように、あの時突き刺さった決意の痛みも、折ってしまえたら良かった。
色違いで揃えた二つのマグカップにを持って来るラグナを見ながら、そんな事を思う。


「ほい、こっちがお前。ミルクと砂糖も入れといたぞ」
「……ん」


薄茶色の色をした液体を受け取って、口の中へと持って行けば、確かにスコールの好みに調整されている。

始めはブラックコーヒーだったそれが、いつだったかスコールが「本当は苦手なんだ」と言ってから、この部屋に砂糖とミルクが常備されるようになった。
淹れ立てのコーヒーと、揃えて出していたのはいつまでだったか。
いつの間にかラグナは、スコールの好みをしっかりと覚え、手渡す前にそれらを入れてくれるようになった。
そんな些細なことを、多分、何度も繰り返している内に、二人の距離は近付いて行ったのだ。

けれど、ラグナが口火を切ったあの日から、その距離は縮まらなくなった。
目に見えない、けれど判る線引きが、はっきりと引かれたのを、スコールは感じている。


(……大人なんて、ずるい生き物だ。そんなこと、知ってたのに)


ラグナが引いた線を、スコールは一足飛びに越えられなかった。

ただ一方的に、勝手に引かれたものなら、勢い任せで飛べたのかも知れない。
けれど、あの時後ろに旧友達がいた事と、向き合う翠がどこまでも真っ直ぐだったから、スコールはそれを無視できなかった。
金縛りにあったように停止したスコールを、ラグナは“父”として見詰めていた。
そのつい前の日まで、何処か熱のこもった瞳で此方をじっと見ていた癖に。

あの日、ラグナはこうも言った。


『今更だし、お前も十分大きいし。言えば困らせるだろうなとは思ったんだ。だけど、やっぱり言っておかなくちゃって』
『お前は傭兵ってのをやってて、危ないこともよくやるし。うちもこれから頼むだろうし。俺もまあ、まだじいさんになったつもりはないけど、歳は歳だ。こんな立場になっちまってっから、これから色々あるだろうし』
『だから、万が一ってことが起きちまう前に、ちゃんとはっきりさせておこうと思ったんだ』
『それが、俺がきちんとするべき事だろうって』


……そんな話をするだけなら、二人きりですれば良いだろう、と思った。
どうして見守るようにキロスとウォードを傍に置いて、見届け人にさせたのか。

スコールとラグナの交流は、時間にすれば酷く短いものだったが、いつの間にかとても深いものになっていた。
それはラグナのお喋りを始めとした努力の甲斐であるが、同時に、スコールからラグナへ向けた感情も大きな要因となっている。
スコール自身が彼を許容し、受け止め、その懐に入れることをしていなければ、そんな話をする機会もなかった筈だ。

だからきっと、ラグナは判っていた。
話を聞いたスコールが、どんな反応をするかも予想していて、それを封じる為に旧友たちを呼んだ。
他人の目がある所なら、スコールが絶対に引いた線を越えなようとはしないだろう、と。


(俺の気持ちを知って置いて。……違う、知っているから、だからあんな)


あの日の会話ではっきりとされた事柄は、次にエスタに来た時には、もう近しい人達の下に広まっていた。
お陰でスコールから何か言う事はなかったし、色々と都合が付き易くなった利点も多い。
露骨な贔屓に、どうなんだと思わないでもなかったが、それに反発するには、既に外堀が綺麗に整地されていた。

好みの味にしてあるのに、妙に苦い感覚のあるコーヒーを飲みながら、スコールは黙々とサンドイッチを食べて良く。
向かい合って座るラグナは、相変わらず、どうでも良い話を次から次へと綴っていた。


「それで、逃げた犬を捕まえてくれって頼まれて。これがまた元気なヤツでさ」
「……捕まえられたのか」
「最終的にはな。捕まえた時には、噛むような子じゃなかったから、大人しく飼い主の所に戻ってくれたけど、それまでが大変でさ。もう周り巻き込んで大騒ぎ。久しぶりに走り回ったよ。そしたら、次の日には足がパンパンでさぁ」


まるで人に喋らせるつもりがないその会話方法は、時々、此方の反論の類を封殺しようとしているのではないかと思う。
けれど実際の所は、緊張から来るものと、足が攣りそうになるのを堪えているだけだ。

親子であるとはっきりと告げられたあの日から、ラグナのお喋りは一層増えた。
その中身はどれもこれもが他愛のないもので、何気ない雑談以上のものにはならない。
そしてスコールからも、ごく稀にどうでも良い話をする以外は、特別なことは起きなかった。

どうでも良いラグナの話を、聞き流すように聞きながら、スコールの脳裏にあの日の声が蘇る。


『俺達、親子なんだよ』
《だから、それ以上にはならないよ》


口にされた言葉の裏側にあるものこそを、スコールは聞き取った。

あの言葉が、ただ倫理や常識を盾にしたものだったなら良かった。
そう言うものはスコールにとって簡単に無視できるものではなかったが、絶対に守らなければならないものでもない。
単なる子供の我儘だと判っていても、そうするだけの感情が、スコールにはあった。

だが、あの時真っ直ぐに見詰める翠の瞳には、それ以上の感情があった。
この言葉は、決断は、何よりもスコール自身を守る為のものなのだと、逸らされる事のない双眸が告げていた。
愛しいからこそ・・・・・・・突き放すのだと、そしてそれをスコールが読み取れる事を信じて、彼はあの言葉を放ったのだ。


(……馬鹿、って言えたら、良かったのにな)


その一言を、スコールは言えなかった。
人目があったからでもあるし、自分の感情ごと、翠に飲み込まれた気がしたからでもある。

だが何よりも、愛されていたかったのだ。
お前は愛しい存在だからと、言葉なくそう告げられる場所を失いたくなかった。
だからスコールは、暴れ出したくなる心を殺し、この感情は誰にも告げず、墓に持って行く事を決めた。
彼が絶対にその線を越えないと言うのなら、スコールもそれに殉じるしかない。


「昼飯食ったら、どうしようか。ショッピングモール、しばらく行ってないから、ちょっと行きたいんだ」
「……別に、俺は何でも良い」


素っ気なく返すスコールに、そっかそっか、とラグナは言った。
それじゃああそこに行って、次はあそこに行って、と独り言で予定を立てるラグナに、スコールは頭の中で効率的なルートを探すのだった。




2022/08/08

『ラグスコで、両片思いで互いの気持ちに気付いていながらも、親子でいることを選んだ二人』のリクエストを頂きました。
絶対に一線を越えない二人とのことで、緊張感とシンパシーだけ共有してる感じ。

ラグナはラグナで悩んだし、スコールからの気持ちに甘える狡さもあったけど、それじゃ駄目だと思った訳ですね。
親子である事は勿論、何処かにでもすっぱ抜かれれば、どっちもが致命的な事になり得る。
自分はともかくスコールの将来を潰すのは絶対に避けたかったし、同時にスコールを自分一人に執着させるのも良くないんじゃないか、とか。

いつかラグナ視点も書いてみたい。