ファースト・チャレンジ


スコールとティーダが二人暮らしをしていることは、周辺の人々にはよく知られていることだった。

元々が幼馴染であることに加え、高校進学を期に、それぞれ親元を離れるに辺り、両方の親がいつの間にかそう言う方向で話をまとめていた。
本人達の意向も確かめずに───とは思いはしたものの、幼い頃から当たり前のように傍にいたから、今になって急に離れると言うのも想像がつかなかったし、何より、どちらもが一緒にいられると言う事に安堵を覚えた。
それ位に、二人にとって、互いの存在はなくてはならないものだったのだ。

だからだろうか。
二人きりの生活が始まって間もなくして、二人の関係は、幼馴染から恋人同士と言うものに変化している。
思えば、一緒に暮らせる、と決まった時の安堵感は、その頃に既に芽吹いていた、自覚のない恋心から来るものだったのかも知れない。

二人の関係が幼馴染以上のものであることは、まだ秘密のことになっている。
男同士と言うのもあるし、色々とデリケートな思春期であるから、周囲から変に突かれるのも、気を遣われるのも嫌だった。
特にスコールの方はその気持ちが強く、何より、自分と付き合っていると知られることで、周囲からティーダが嫌な思いをしないかと不安が離れない。
ティーダは「周りの奴等の言う事なんか気にしなくて良いっス!」と前向きに笑って見せるが、スコールの方はそうはいかない。
水球部に属し、エースとして注目を浴び、周囲からも男女問わず好かれているティーダだ。
そうして人の輪の中で明るく笑っているティーダのことが、昔から羨望もあり、好きだと思っていたし、その傍ら、彼がその明るい人当たりに反して、存外と繊細であることも知っている。
何かあれば自分が支えになれたら───とは思うが、スコール自身は更に繊細で不安症だった。
自分の所為でティーダに辛い思いをさせるのは、想像するだけでも苦しくて、それが現実になった時、到底、それに向き合いながら戦えるかと言われると、足が竦む。
───そんなスコールのことをよく知っているから、ティーダもまた、「平気」と笑いながら、幼馴染の意向に合わせているのだ。
どうしても自分に自信を持つ事が出来ないスコールが、必要以上に不安になることのないように、と。

しかし、ティーダはスキンシップが好きな性分だ。
誰に対しても距離感が近いこと、そこに明け透けな正直さも加わって、ティーダは誰と距離を詰めても悪い印象にはならない。
距離が近いことを嫌がる人がいれば、その空気も敏感に感じ取り、自分なりにセーブすることもある。
こういう気遣いが息を吸うように出来るから、沢山の人に愛されるのだろうな、とスコールも思った。

そんな中で、幼馴染であり恋人であるスコールとは、より一層距離を縮めたがる。
スコールの方は逆に誰とでも一定の距離を保ちたいタイプだったが、ティーダに対しては、長年一緒に過ごしていると言う慣れもあって、何処まででも近付いても平気だと思っていた。

思っていたのだが────


(この、距離は……やっぱり、近い……っ)


二人きりの自宅のアパート、その寝室で、スコールは目の前にある幼馴染の顔を間近に見ていた。
ゆっくりと近付いて来るマリンブルーの瞳から、いつもの癖で目を逸らしたいのに、肩にぎこちなく置かれた手がそれを嫌がっている。
こっちを見ていて、と言われた訳ではないのだが、首を少しでも動かそうとすると、肩の手に僅かに力が籠るのだ。
逃げちゃ嫌だという声が聞こえるような気がして、スコールは益々身を固くするしかなかった。

秋の深まる今、それなりに早い時間であっても、外界は鶴瓶落としであっという間に暗くなる。
だから普段なら、学校から帰った頃にはもう明りを点けて過ごしているのだが、今、二人がいる寝室は暗かった。
カーテンも閉め切っているから、月も星もその明りを届けてくれるものはなく、スコールが間近にいる少年の顔を見ることが出来るのは、この暗闇に目が慣れたから以外にない。
つまりそれだけ、二人はこの暗がりの部屋の中で過ごしていると言う訳だ。

緊張した面持ちのティーダの顔が、もう触れる場所まで来ている。
スコールは我慢ができなくなって、溜まらずぎゅうっと目を瞑った。
一緒に力んだ所為で噤んでしまった真一文字の唇に、柔らかくて温かいものが触れる。
それだけで、スコールの心臓はどくんどくんと早鐘を打ち、今にも胸から飛び出してきそうな程に逸った。


「ん、ん……」
「ん、う……」


触れ合う場所の感触は、なんだかよく分からないものだった。
好きな人とのキスはレモン味、なんて随分使い古された文句があるらしいが、味なんて何もしないじゃないかと思う。
ほんのり歯磨き粉のミントの匂いがするような気がする位で、甘酸っぱいものを彷彿とさせるようなものなんて感じない。
それでも嫌悪感を感じないのは、きっと此処にいるのがティーダだからだろう。
そんな事を思ってしまう位に、スコールはティーダのことが好きだった。

ティーダとスコールがキスをするのは、これが初めてのことではない。
恋人関係になってから、少しずつ”恋人同士の仕草”を学習するように、二人で少しずつこう言う事にも慣れて行った。
実の所、子供の頃に、テレビで見た大人の真似事でキスをしてみたことがある。
あの頃は特になんでもないことのように感じていたのに、体も心も成長した所為か、改めて”初めてのキス”をした時には妙に緊張したものだった。
手を繋いだり、ティーダがスコールに抱き着いたり、そんななんでもない事でも、ふと意識すると体が熱くなってしまいそうな位、スコールはティーダのことを意識するようになった。
そしてティーダの方も、スコールが望むのだからいつも通りに、と意識しながら、内心では結構な緊張を持って、スコールにスキンシップをしていたとか。

今、口付けを交わす二人の間にあるのも、そういう緊張感だった。
何度となく交わした筈のキスですら、そこに一本の張り詰めた糸があるかのように、肩が強張る。
それも無理のないことだった。
何せ二人は、これから、人生で初めてのことに挑戦しようとしているのだから。


「ん、……っは……」
「はぁ……スコール、ちょっと口開けて…」
「う……わるい……」


ずっとスコールの真一文字に噤んだ口を舐めるように突いていたティーダ。
緊張の強張りもあって、どうしても其処を解いてくれないスコールに、根負けにしたように頼む。
スコールはティーダの感触が残る唇に手を当てながら、至らない自身に恥ずかしさのようなものを感じて、視線を逸らしつつ詫びた。

二人揃って息を詰めていたので、少し小休止を挟む。
鼻で大きく息を吸って吐き出すティーダに、スコールも意識して呼吸をした。
頭の隅がくらくらとしていたような感覚が弱まって、僅かながら靄が腫れて来る。
改めて、とティーダがもう一度スコールの肩に手を置いたので、スコールも今度は落ち着いて、と自分に言い聞かせつつ、ティーダの顔を見上げた。

近付いて来る幼馴染の顔は、やはり何処か緊張の色を孕んでいる。
自分の事で一杯一杯になっていたスコールだったが、その顔を見て、ティーダも不安なのだと悟った。
なんとかそれを払拭させてやれないかと考えた末、ずっと膝の上に置いて握っていた手を、そろそろと持ち上げる。
そうっと柔らかい筈の頬に触れると、スコールの方から触れるとは予想もしていなかったのか、マリンブルーが驚いたように見開かれた。
心なしかいつもより固く感じられる頬を両手で包み込むと、見開かれていた瞳がゆるりと和らいで、嬉しそうに閃く。
その変化に、ああ良かった、と胸を撫で下ろしたスコールの唇へ、もう一度、ティーダのそれが重なった。


「ん……」
「う、ふ……ふぁ……」
「んん……っ」


振れる感触を感じながら、スコールはそろそろと唇に隙間を作る。
ぬる、と温かくて厚みのあるものが、その隙間から侵入して来たのを感じて、思わずびくっと肩が跳ねた。
けれど離れて欲しくなかったから、溶け合いそうな程の距離にある瞳をじっと見つめ続ける。
スコールは目がお喋りだから、と言われたのを思い出しながら、それならどうか此処で言葉を繋いでくれと願う。
それが叶ったのかは判らないが、ティーダが離れる事はなく、寧ろより一層深くを求めるようにと、侵入物はより中へと進んできたのが分かった。

口の中で彷徨うように動いているものがあって、それが何度か舌を掠める。
その度、スコールの首の後ろに奇妙な感覚が迸るのだが、それはどうも恐怖や嫌悪感とは異なるらしい。
自分の感覚なのに、正体の判らないそれは非情にスコールの気を散らせるものだったのだが、


「う、ん……、ん、ふ、ぁ……っ」


前のめりになってくるティーダの体重が、スコールをそれ所ではなくしていた。
体重を受け止め切れなくなった体が後ろ向きに傾いて、ベッドの上に倒れ込む。

その弾みに、重ねていた唇が一瞬離れるも、


「っは……ふ、んむぅっ……!」


一瞬、酸素を取り込んだ直後には、また塞がれた。
ティーダの舌もまた直ぐに入って来て、スコールは覆い被さる少年がまるで獣のように思えた。

長い付き合いである筈なのに、こんな風に襲い掛かって来るティーダと言うのは初めてのことで、スコールの頭に軽く混乱が起きる。
水球をしている時、水を掻き泳いで猛スピードでボールを追う姿をいつも見ていたけれど、今のティーダの眼はその時とよく似ている。
あんなに必死に、一所懸命に喰らい付いていく姿と言うのは、他に見たことがない。
───それ位に、今、恋人が自分のことを欲しているのだと思うと、スコールの体は俄かに熱くなった。

咥内を探るように彷徨っている舌に、そうっと自分のそれを当ててみる。
つん、と何処だか判らないけれど何かが当たったような感触がしたと思ったら、


「んぷっ……!」


思わず、と言った声が聞こえたかと思うと、ティーダの体が判り易く固まる。
驚いたのだろうその音が妙に面白くて、スコールはもっとやってみようと、意識して舌を動かす。
硬直したように動きを止めているティーダのそれを掬い、ゆっくりと舐めるように這わしていると、


「ん、ん……っ!?」
「ふ……む、んぁ……っ」


がっつくように夢中になっていた筈の青が、今度はパニックを起こしたように狼狽している。
それが妙に面白くて、スコールはより一層、丹念にティーダの舌に絡み付いた。

ティーダの頬に触れていたスコールの手が、そこから外れ、するりと首の後ろへと回る。
ぎゅう、と抱き着くように身を寄せてやれば、ティーダの方も意を決したかのように、もう一度スコールに覆い被さった。
重みが増した体を受け止めると、近い距離で重なり合った胸の奥で、二人分の心臓がどくんどくんと煩く鼓動を行っている。
そのリズムが次第に溶け合うようにシンクロして行き、皮膚さえなければ溶けて交じり合っても可笑しくない位に、二人の体は一つになっていた。

ああ、これから─────どちらもがそう考えた時。
劈くように響いたのは、アパート外の道路を走る、パトカーのサイレンだった。


『緊急車両通ります、道を開けて下さい。緊急車両通ります……』


スピードを上げて走っている真っ最中なのだろう、それは突然に聞こえて来たかと思うと、休息に離れて行った。
時間にして数十秒と言う短い時間だが、今まさに夢を見ようとしていた若者たちに大いに水を被せるには、十分な代物であった。


「……」
「………」
「…………」


音が聞こえた瞬間、思わず二人とも体を強張らせ、重ねていた唇も咄嗟に離れた。
サイレンが鳴り響く閉じたカーテンの向こうをじっと見つめ、息を詰めていた約一分間。
まるで見付かったら自分達こそが捕まってしまうのではないかと言う緊張感があった。

サイレンとアナウンスが聞こえなくなっても、二人はしばらくの間、動けなかった。
ようやく再起動がかかったのはスコールの方で、のろ、と起き上がろうとするのを見て、我に返ったティーダも覆い被せていた体を退かせる。


「…………」
「えっと…………する?」
「………出来るのか?」


なんとか尋ねてみた、と言うティーダに、スコールは眉根を寄せながら胡乱な目で問い返す。
この状況とこの空気感で、もう一度さっきと同じことが出来るのか───と。

案の定、ティーダは眉尻をすっかり下げて、へらりと笑った。


「あはは……」
「……はぁ……」


無理だ、と思ったのはお互い様だった。
初めての挑戦に、肩に力が入りつつも、悪い雰囲気ではなかったと思う。
それだけに、水を差された瞬間に霧散した空気と言うものは大きくて、改めてそれを呼び込もうと努力するには、まだまだ二人は幼かった。

折角頑張ったのに、とスコールは口の中で零しつつ、皺だらけになっていたベッドにそのまま潜り込む。
寝るには聊か早いものではあったが、このまま寝室を出ていつもの日常を過ごすと言うのも、デリケートなスコールには難しいものがあった。
どうせその内布団には入るのだからと、今日は汚れなくて済んだ寝床に落ち着いていると、その隣に幼馴染が潜り込んで来る。


「おい、」
「ちょっとだけ」


後ろ側から入って来た侵入者に、肩越しに睨んでやると、子犬のような目が此方を見ていた。
何もしないから、とまで言われると、スコールにはもう拒否権はない。
たっぷり眉間に皺を寄せて、渋っているように見せつけてから、仕方がないと言う溜息を吐いてやるのが精々だった。

ティーダが人の寝床に潜り込んで来るのは、子供の頃からよくある事だった。
今でもその感覚は延長的に続いていて、二人暮らしをするようになってから、週の半分はこうして一つのベッドで一緒に寝ている。
夏は暑いのでスコールにとって聊か辟易する日もあるが、そろそろ夜の気温が下がって来るこれからは、湯たんぽ代わりになるので、スコールも好きにさせていた。
それを思えば、今日もそう言う日常の風景と変わりない。

────変わりないのだけれど、


(……心臓、うるさい)


自分の心臓も、背中に伝わる鼓動の音も、毎日感じているものよりも、ずっと煩い。
睡魔も碌に来ないこの状態で、いつまでこの鼓動を聞いているだろう。
そんな事を考えながら、スコールは包み込んでくれる体温に身をゆだねるように、ゆっくりと目を閉じた。




2022/10/08

10月8日と言う事で、ティスコ。
初夜にチャレンジしようとしたけど、思いっきり水を差された模様。
続けるにはもうちょっと無理があって、でもお互いに意識したままなので、寝るのも一苦労したようです。