巣作りの音


 隠れ家の崩壊は、あまりにも突然だった。

 それを作ったシドの理念、意志、それに共感した人々、そして彼等が長い月日をかけて保護してきたベアラー達───どれを取っても、その存在は可惜に他人に知られてはならなかった。
見付かれば糾弾される事は勿論、その存続そのものが危ういことは、この世界───ヴァリスゼアで生きていれば解ることだ。
だから隠れ家の場所、その存在は、外部に漏らしてはならない。
シドの理念に共感し、協力者と呼べる人々を得た後も、それが何処にあるかを明らかにすることはしていなかった。
協力者が保護したベアラーを、その環境により長く留めることが難しく、しかし放り出す訳にもいかない……だから隠れ家で匿ってはくれないかと、そう言う相談があった時でも、大抵はまずシドが直接赴いていた。
迎えに寄越せる人がある時ならば、其方がベアラーを保護している現地まで迎えに行く。
不便は少なくなかったが、そうすることで隠れ家の秘匿、其処に暮らす者たちの安全を保っていたのだ。

 だが、秘密と言うのはいずれ漏れるものでもある。

 クライヴとジルが、隠れ家の一員として正式に加わったことで、シドは兼ねてからの計画を実行に移す決意をした。
ヴァリスゼアにある、各地のマザークリスタルを破壊する───とんでもない計画だ。
この世界はマザークリスタルから齎される恩恵なくして、生命は生きていくことが出来ない。
黒の一帯の侵食が日毎に増す今、それは尚のこと顕著になっている。
故に人々は、マザークリスタルを中心に集まり、其処に都市を築き、生活の安寧を求めるのだ。
それを根底から覆すことを行おうと言うのだから、シドはヴァリスゼアに住まう人々から、その安寧を壊すと言うも同然だ。
だが、そうしなくては、黒の一帯は益々広がり、マザークリスタルが存在している故にこそ、人々はその恩恵と言う名の呪縛から離れることが出来ない。
クリスタルを喪った人々が混乱し、混迷することは明白だったが、シドはきっと、その先のことも見据えていたのだろう。
今はクリスタルの牢獄に囚われ、その意識もない人々でも、恩恵のない世界でも再び立つことは出来ると。
彼が匿い、共に日々を過ごす事で、少しずつ意識と行動を変えて行った、隠れ家の仲間たちのように。

 そして、“大罪人”“大悪党”と呼ばれることを上々と笑った彼は、遂にそれを成し得て見せた。
彼は、皇都オリフレムを膝下とする、ザンブレク皇国の所持しているマザークリスタル・ドレイクヘッドを破壊する。
作戦において同行したクライヴとジルは、その場でその様子をしかと目撃した。
そして、直後に介入した謎の巨人による攻撃で致命傷を負ったことで、彼はクライヴの腕の中でその生涯を閉じることとなる。

 ────それと同時の出来事だったのだ。
フーゴ・クプカによる隠れ家の襲撃事件が起こったのは。
フーゴ・クプカはこれに際し、自身の私兵を大量に投入しており、それによる隠れ家への直接的な突入もあった。
隠れ家に住んでいた人々は、何が起きているのかも分からないまま、地獄の様相となった其処から逃げ出すしかなかった。
召喚獣タイタンの顕現により、その周囲は地形が丸ごと変わる程のものになった。

 クライヴは十三年前の惨劇以来、ザンブレク皇国のベアラー兵として、ジルは鉄王国の戦争兵器のドミナントとして生きて来た。
意図せぬ再会を気に、クライヴは脱走兵となり、ジルはそんな彼に救われたが、そうした時その瞬間、クライヴにどうやってその後生きていくかの案があった訳ではない。
そんな彼に、仮初でも居場所を与えたのがシドだった。
隠れ家に連れ帰り、ジルを医者タルヤに診せ、復讐を糧に生きていたクライヴに、一つ一つ新たな道を見せた。
それにより起こったことは、クライヴには勿論、シドにとっても思いも寄らぬことばかりだったのだろう。
今思い返せば、シドは相当な厄介の種を、自ら抱え込んだことになる。
それでもシドは、クライヴを見捨てなかった。
彼が長い年月の間、自らの行動で保護し、支え護った人々と同じように、クライヴのことも“クライヴ”として受け止め、信頼してくれたのだ。

 そんなシドを喪ったことは、クライヴにとっても、ジルにとっても大きな傷みとなった。
クリスタル神殿への侵入に利用した道を戻りながら、隠れ家の仲間達に、なんと伝えれば良いのかをずっと考えていた。
シドは自ら表に出ることが多く、何日も隠れ家を空けることは珍しくなかったと言うが、そんなものを理由に誤魔化した所で、遠からず限界だろう。
何より、伝えなくてはならないと、彼の意志を託されたクライヴは思っていた。
ただ、シドの存在を支えにしている人が沢山いることは、短い間でも彼等と過ごす時間を持ったことでよく解っていたから、そんな者たちが酷く悲しむことは分かる。
それでも伝えねばと、クライヴとジルは、自分たちでも受け止め切れない現実を、どう言葉にするかを考え続けていた。

 そうして帰ってきたら、其処に安息の場所はなかったのだ。
類のない程に頑強な、『空の文明』の遺跡を下支えに作られていた隠れ家は、その遺跡が根本から掘り上げられていた。
地中の底から土地全体が丸ごと引っ繰り返ったような惨状に、二人は絶句した。
そして、其処で暮らしていた筈の人々を探し、辺りの黒の一帯を昼夜構わず走り回った。

 だから、隠れ家の仲間達と再会できたのは、クライヴ達にとって本当に奇跡だったのだ。
黒の一帯の片隅で、着の身着のまま、黒土に塗れながら身を寄せ合っていた仲間達。
誰も彼もが傷つき、疲れ切り、怯えていた。
何が起きたのかも彼等はまだ解っていなくて、何があった、とクライヴが問うても、ガブでさえまともに答えられなかった。
あの時、分かっていたのは、フーゴの私兵に隠れ家が襲われたこと、そして顕現したタイタンによる絶望的な破壊の限りが尽くされたことのみだった。

 あの時、生き残り隠れていた隠れ家の皆々にとって、シドの帰還は何よりの願いだっただろう。
聡明で、行動力があって、驚く程に懐の広い彼の存在は、隠れ家に暮らす者たちにとって心の支えであり、なくてはならないものだったのだ。

 共に作戦に出立した筈の三人のうち、クライヴとジルしかいないことに、ガブとオットーはすぐに気付いた。
なんでだ、何処に、と詰め寄る二人に、その後ろで願うようにシドの所在を求める人々に、クライヴは告げなければならなかった。
フェニックスの祝福を得たもの、その不死鳥の力を持つドミナント本人であってすら、覆すことの出来ない、シドの死を。

 それからは、失意と絶望の日々だ。
戻る家を、暮らす場所を失ったクライヴたちは、各地を転々とした。
いつか返すんだよ、と冗談めいて言うカローンが資産を少しずつ切り崩し、マーサ、イサベルと言った各地の協力者から、出来る限りのことはするから、と厚意による支援を貰いながら、ザンブレク皇国、その属領となったロザリア領、ダルメキア共和国の境目を彷徨い続ける。
その中で、襲撃による傷が悪化したり、それを治療する為と魔法を使い続けたベアラーの石化進行であったり、肉体的、精神的な疲労により限界を迎えた者は少なくなかった。

 黒の一帯の侵食により、風の大陸には、何処の国でも難民が溢れている。
マザークリスタルを抱えるザンブレク皇国や、クリスタル自治領などは、その難民の受け入れ皿となっていたが、それを頼れるのは“人”だ。
人とベアラーが共に過ごすクライヴたちに、その方法は取れなかった。
ベアラーは印持ちである為、それが己の身分を示すものになる。
何処に行っても奴隷として扱われるし、ザンブレク領では特にその扱いは非道で、更にロザリア領ではベアラー粛清などと言う行いが堂々と罷り通っている。
ダルメキア共和国も同様だ。
クライヴは、これさえなければ────と頬の刻印を何度恨んだか知れない。

 そして何より、シドの名が“大罪人”として知れ渡っていた。
隠れ家で生きていた人々にとって、シドの名は希望であり、支えであり、死して尚、心の拠り所であった。
彼が己の意志を貫くべくマザークリスタルを破壊したことも、それがこれからの未来を想ってのことだと言うことも、皆は解っている。
だが、一般的には真逆のことだ。
行く先々で“大罪人シド”の噂を聞くにつれ、心を痛めるものは多かった。
誰かが言い返そうとして、諍いになりかけることもあって、クライヴとジルはそれを必死に宥めた。
ガブやオットーも苦心してくれたが、彼らもまた、悔しい思いをしていただろう。
心の支えを、知らぬ誰かに詰られる度、誰かが怒り、誰かが涙を流していた。

 生きる為に、休める場所が必要だった。
間借りの場所ではなく、根を張って安心して生活できる場所が。
シドが作り、皆が暮らしたような、人もベアラーも共に生きていける、“隠れ家”が────……

 そしてクライヴは、それをベンヌ湖に沈む遺跡に定めた。
黒の一帯の中にある巨大な湖には、嘗ては規模の大きなものだったのだろうと推察できる、『空の文明』の遺跡───飛空艇の残骸が沈没している。
その中でも大きく水面から顔を出しているものを調べ、崩壊の度合いが軽微であるものを選んだ。
そして、其処を新たな隠れ家にしようと、皆に提案した。

 ───同じ黒の一帯でも、地続きの場所にあったシドの隠れ家でさえ、不便は多かった。
岩壁を掘り削って拡げた穴は、遺跡の支え以外は基礎もないからいつだって崩れる危険もあったし、物を置く場所も簡単には広げられない。
黒の一帯の真っ只中であるから、辺りのエーテルは枯渇していて、その土で作物はまず育たない。
食糧の問題は常にあって、調理場を仕切っていたケネスが苦心していたものであった。

 陸路で行ける場所にあった所でも、それだけ大変だったのだ。
湖の上となれば尚更、人の移動も、物資の輸送も、余計な手間がかかる。
だが、今はその手間があった方が良いとクライヴは考えた。
フーゴ・クプカとその私兵に強襲された出来事は、仲間達に深い傷となっている。
湖を渡らなければならないとなれば、少なくともあの私兵部隊のような大量の兵士が、一挙に押し寄せて来ることは避けられる。
だからその時は、“襲われない”と言う安心感が何より必要だったのだ。

 ベンヌ湖に沈む飛空艇を基礎に始まった、新たな“隠れ家”作り。
場所が場所であるから、何かと難航することは少なくなかったが、年単位の時間と労力をかけて、それは少しずつ形になって行った。
小舟を頼りに木材を運び、大工が本格的に仕事にかかれる足場を作るのに数ヵ月。
足場を広げ、人が多く踏み入れられるだけのスペースを作るのに、また数ヵ月。
物資を運び込めるようになって、ようやく皆が足を伸ばして眠れるだけの場所が出来、其処からはまた総動員で働く日々。
雨風をしっかりとしのげる場所が出来たのは、最初の着工から随分と時間が経ってからだった。

 新たな隠れ家が形になる前に、亡くなった仲間達も少なくない。
木の実を美味しくするのだと言って、唯一持ち出した株を大事にしていたマーテルが死んだ時、沢山の人が泣いた。
今、その株は、彼女に世話になったからと、志を受け継いだ者が育てている。
食糧自給問題の解決と合わせ、植物の研究をしている者たちが、それらを植えて世話を出来る場所が欲しいと言っているから、いつかは整えなくてはならないだろう。
今はまだ後回しの状態ではあるが、必ず、とクライヴは思っている。

 飛空艇の中央部分、ぽっかりと空洞のように空いていた場所は、長らく居住区兼物資置き場になっていた。
其処を中心に、遺跡の外壁周りを覆うように更に足場を作って行き、部屋や空間と呼べる場所を増やしていく。
毎日どこかで槌の音が響く甲斐あって、最近は倉庫に使える場所も出来た。
簡素ながら台所と呼べる場所も出来た頃、ケネスからレシピを受け継いだと言うモリーが其処に立ち、皆の食事を率先して用意してくれるようになった。
温かなスープを久しぶりに飲んだ時、誰かがその温もりに泣いていた。

 今、クライヴはそんな日々を繰り返している。
シドから託された意志のこと、マザークリスタルが齎す破滅の未来については、常に頭の中にある。
シドが行っていたベアラーの保護も、今は殆ど手が止まっていた。
協力者の下で保護された者のうち、動く力のある者の受け入れ先として預かるのが精々だ。
だが、それらを先んじることで、彷徨い続ける仲間達を放っておくことは出来なかった。
まずは彼等を護らなくてはならない。
そう決めたから、今は新たな隠れ家を作ることに注力するように努めている。




 物資を運び込む手を一旦終えて、クライヴは昇降機の横でふうと息を吐いた。
滲む汗を拭ぐって、昇降機に乗ったグツに合図を送る。
安全の為に採り付けたベルが音を鳴らし、重石の箱を一杯に乗せた昇降機がガラガラと音を立てて持ち上げられて行った。

 桟橋に佇むクライヴの傍らには、今日運び着いた荷物がまだ積まれている。
なんでも、カローンが古い伝手を辿って、食糧と布類を大量に買い付けてくれたらしい。
大事に使わないとな、と木箱をぽんと叩いていると、


「おう、クライヴ!そっちはどうだ」


 頭上から聞こえて来た声に、クライヴは顔を上げた。
すっかり聞き馴染で、クライヴに対して気安い声かけをしてくるのは、今の隠れ家では少ない。
上の昇降機の傍から顔を出していたのは、思った通り、ガブだ。


「次の引き揚げで終わる筈だ」
「そうか、じゃあ次は俺も降りるわ。手伝ってやるよ」


 それは有り難い、とクライヴが言っている間に、ガブは引っ込んだ。

 今日も彼はフットワーク軽く、あちこちに顔を出しては、建設の進捗状況を確認し、手が足りなければその場で手伝いを申し出ているようだ。
大工や鍛冶など、専門の知識を有する者も少なくない仲間達だが、各所で卒なく熟してくれるガブの存在もまた、非常に助かるものだった。
その傍ら、ガブは元来の仕事の斥候として、各地の情勢を調べに外へも赴くから、忙しない。


(……偶には休むように言った方が良いか?)


 ガブが腰を落ち着けているのは、酒と食事を摂っている時くらいだ。
少なくとも、クライヴが知っている限りでは。

 ベルの音が鳴り、昇降機が下りて来ると、「よっ」とガブが手を挙げた。
それに口端が緩むクライヴに、ガブはぽんと肩を叩いて、早速積まれた木箱の積み込みを始めた。
クライヴも止めていた手を再開し、束になった木材を昇降機の奥へと積み並べて行く。


「今日は随分と大量だな。婆さん、奮発してくれたじゃねえか」
「ああ。布が多いのが助かる、そろそろ夜は冷えるだろうから、温かく出来るようにしないと。毛布に出来るものを選んでくれたようだ」
「いいね、最近は隙間風が寒くってよ。こっちの袋はなんだ?随分重いな」
「鉱物と、確か骸炭も。ブラックソーンが喜ぶ」


 荷物の中身は、どれも隠れ家にとって大切なものだ。
木材は足場に壁に天井に、鉱物は釘や金物に、布は服や風除けに。
カローンは商売人の目敏さで、その時々に必要なものをしっかりと仕入れ、届けてくれる。
更に、商売人の情報網か、物流事情にも明るく、これもまた世界事情を知る情報の一端として、クライヴ達は有り難く受け取っていた。

 全ての荷物を昇降機に積み、クライヴはガブも乗り込んだことを確認して、昇降機のレバーを動かした。
人二人と沢山の荷物を載せた籠が持ち上がり、程無く止まる。

 昇降口の前には、グツが立っていた。
クライヴとガブの顔を見て、グツはにこりと笑う。


「待たせたな、グツ。今回のはこれで全部だ。後で中身を一通り確認してくれるか」
「うん、任せて。婆さんが買ったもの、ちゃんと全部調べておくよ。ないものがあったら、大変だからね」
「ああ、宜しく頼む」


 クライヴの言葉にグツは大きく頷いて、ガブと共に荷下ろしを始めた。
クライヴもすぐにそれを手伝おうとするが、


「シド!」


 嘗て自分を導いた人の名に、クライヴは振り返った。
たたたっと軽い足音が三つ連なって、サロンの方から駆け寄って来る小さな人影。
去年の暮れ、この遺跡が隠れ家として機能し始めた頃に保護した、三人のベアラーの子供だった。


「シド、お帰りなさい!」
「シド!」
「お帰りなさーい!」


 ジョスラン、アルトゥル、エメと、飛び付いて来る三人をそれぞれに受け止める。
腕にぶら下がりたがるジョスランをあやしていると、もう一つ、今度は落ち着いた足音が聞こえて来た。


「お帰りなさい、クライヴ」


 長く美しい銀色の髪を、湖の風に揺らし、クライヴを出迎えたのはジルだった。
四日ぶりに見た幼馴染の姿に、クライヴの口元が緩む。


「ああ、ただいま」
「お疲れ様。外では、大丈夫だった?」
「問題ない。魔物と少しかちあった位だ」


 クライヴの言葉に、良かった、とジルは安堵の表情を浮かべた。

 今回クライヴが荷物の引き取りに赴いたのは、ロストウィングの村だ。
そこはシドの協力者であったカンタンと言う男が営んでおり、今でもベアラーの保護活動を行っている。
隠れ家を失ったクライヴ達も、時折そこで休む場所を借りたことがあった。
だから印持ちであるクライヴが出向いても問題はないと判断したが、道中まで無事が約束されている訳でもない。
獰猛な魔物の存在はこの大陸のどこにでもあるものだ。

 エメがクライヴの手を取り、愛用の手甲を嵌めたそれと、自分の手を重ねている。
大きさの違いに目を丸くする彼女の手を、クライヴは柔く握ってやった。
エメが顔を上げ、見下ろすクライヴの目を見ると、少女は嬉しそうに頬を染めて笑う。
ああ、この子も笑えるようになった、とクライヴはひそりと唇を緩めた。

 そんなクライヴの横顔を見ていたジルであったが、いつまでもクライヴから離れたがらない子供たちに声をかける。


「ほら、皆。お迎えも済んだし、戻ってお勉強の続きよ」
「えーっ」
「お迎えに行く間だけって約束だったでしょう?シャーリー先生が待ってるわ」


 じゃれついていたジョスランが分かり易く不満の声を上げたが、ジルはきっぱりと言った。
アルトゥルは、ジルとクライヴの顔を交互に見ている。
もうちょっと、と言いたそうな表情ではあったが、クライヴはくすりと笑んで、アルトゥルの頭を撫でた。
それで彼は満足そうに頬を染め、ジルの下へと駆け寄る。

 クライヴの手を触っていたエメが、きゅっと小さな力でその手を握った。


「シド、後で外のお話、聞かせてね」
「ああ」


 愛らしい少女のおねだりに、クライヴが頷いて見せれば、エメは嬉しそうに手を離した。

 言いつけを守る仲間達の様子に、まだ腕にぶら下がっていたジョスランが唇を尖らせる。
が、彼も何だかんだと素直な良い子だ。
ぶら下がっていた腕を離すと、ジルの下に駆け寄りながら、


「シド!語り部から本を貰ったから、後で読んでね!」
「ああ、良いぞ」
「絶対ね!」


 手を振って約束を取り付けるジョスランに、クライヴはひらりと手を挙げて返事をしてやった。

 子供たちはジルに懐きながら、サロンの方へと歩いて行く。
ジルがちらりと此方を見て、小さく笑むのが分かった。
ジョスランにねだられた本を読む時には、彼女も呼んでみようか。
クライヴがそんなことを考えていると、のしっ、と肩に重りが乗った。


「すっかり子供の相手も慣れたなあ、お前」


 荷下ろしを終えたガブの言葉に、クライヴは「そうだな」と言った。


「傍から見てると、良い親父してるみてえだぜ」
「まあ、あれ位の子供がいても、可笑しくはない年齢ではあるな。俺もお前も」
「よせよ、俺はまだ若いつもりだぞ」
「つもり、と言う事は分かってるんじゃないか。大体、俺とそう変わらないだろう?」


 クライヴの指摘に、ガブは分かり易く苦い顔をして見せる。

 その顔の右側───目に真っ直ぐ重なって縦に走る傷跡は、もうすっかり古傷になった。
クライヴがドレイクヘッドから戻った時、赤い色の滲んだ包帯に覆われていたもの。
治癒をまともに行う頃には、その右目は使い物にならなくなっており、斥候として仕事を任されていた彼にとって、非常に痛手だったと言って良い。
だが、この隠れ家を作り続けている内に、隻眼での生活にも慣れ、斥候としても前以上の腕を上げている。

 それだけ、時が経ったと言うことだ。
必然的に、クライヴもガブも、年齢を重ねていることになる。
忙しい日々で時間の明確な経過が聊か曖昧な所はあったが、それでももう三十路に入っているのは間違いない。

 はああ、とガブがいかにもと言う溜息をして見せる。
お調子者の顔が唇を尖らせて此方を見たので、クライヴは肩を竦めてやった。

 戻ったこと、物資が届いたことの報告にとサロンへ向かえば、思った通り、オットーがいた。
ゴーチェと手にした紙束を仕分けている所に、声をかける。


「オットー。今戻った」
「おう。外はどうだった」


 オットーは仕分けの手を留めて、クライヴを見る。
あとよろしく、と持っていた紙束はゴーチェへと渡された。


「相変わらず、ではあるな。だが、カンタンから聞いた所では、オリフレムの方はともかく、ロザリア領側がキナ臭い話が多いそうだ。遷都の影響もあるだろう、と」
「ああ。駐屯兵が過激なやり方でベアラーを排除しようとしてる、って奴か。マーサの方からも、似たような噂があるそうだ」
「属領総督府が相当締め付けを厳しくやってるってよ」


 ガブの言葉に、クライヴの眉間には強い皺が刻まれる。
属領総督府───其処にいる筈の人物は、クライヴにとって決して無視できないものだ。
何を考えているのか、何がしたいのかと何度となく考えた事もあるが、その真意を測れるほど、クライヴは彼の人物について詳しくないのが現実であった。

 強張っていた表情を意識的に解すように、クライヴは息を吐く。
気になること、気掛かりなことは幾つもあるが、今は出来る事が限られる。
だからこそ、出来ることから手を着けねばと思う。


「明日、ロザリアに行ってくる。マーサから詳しい話を聞いておきたい」
「ああ。そうなると、誰か一緒に行かないとな。手が空いてる奴は……ちょっと待ってろ」


 席を立ったオットーは、物置にしている幔幕の向こうへ入って行った。

 隠れ家の再建を始めた頃から、クライヴは此処に住まう人々の中心となっていた。
再建を呼び掛けたこともあるが、シドの最期に立ち会い、彼から直接意志を託されたのがクライヴであったこともある。
現在は縮小している活動ではあるが、シドが行っていたベアラーの保護も、続けて行くつもりだった。

 だが、クライヴの頬にはベアラーの刺青がある。
何処に行っても目に付く場所にあるそれにより、制限される物事も多い。
印持ちであるクライヴは、誰かを主人と見立て、その護衛であるベアラー兵として振る舞った方が、波風を立てずに済むものだった。
特にロザリアは、ザンブレク皇国の属領となってから、ベアラーへの弾圧が過激の一途を辿っている。
トラブルの種は、減らしておくに越したことはない。

 オットーが戻ってくると、ふむ、と腕を組みながら言った。


「何人か行けそうだ。ちょいと声をかけて確認して来る、明日の朝までには人選は決めておく」
「ああ、頼んだ」


 オットーは「任されたよ」と言って、サロン奥の階段を上って行った。

 さて、とクライヴは傍にあったテーブルに寄り掛かる。


「ガブ。明日も動けるか」
「ああ、問題ないぜ」
「それなら、お前もロザリア領に来てくれ。着いたら別行動で、駐屯軍の動き方を見ておいて欲しい。特に南部の情報が足りないから、そちらを頼む。恐らく、以前よりもまた荒れているだろうから……気を付けて行ってくれ」
「了解。そっちもな」


 ガブの言葉に、クライヴは頷いた。
属領総督府しかり、その命によって動くザンブレク軍の駐屯兵しかり、今のロザリア領は薄暗い影が多い。
マザークリスタルの消滅と、突然の遷都による混乱が明けないザンブレク皇国領よりも、注意する必要がある。

 明日の予定を頭の中で確認したあと、はたとクライヴは思い出した。
毎日のように、隠れ家の中で忙しく働いているガブのことを。


「……ガブ」
「ん?」
「偶には休めよ」


 藪から棒の言葉であったが、それはクライヴにとって真正直な気持ちのものだった。
何にしても手が足りない今、率先して某か引き受けては熟してくれるガブの存在は有り難い。
だが、それに甘えて次から次へと仕事を放り込んでいるのは自分なのだと、クライヴは今し方の自分の行いを振り返って反省する。

 そんなクライヴに、ガブは隻眼をぱちりと丸くしていた。
何を唐突にと隣に立つ男を見上げ、その横顔を見て溜息を吐く。


「お前に言われたかねえなぁ。一番忙しくしてんのは誰なんだか」


 呆れた表情で言ったガブに、今度はクライヴが目を丸くする。
きょとんと、驚いたチョコボのような目をするクライヴに、ガブは言った。


「今日の明日で外行く奴が忙しくない訳あるかよ。まあ、お前が出なきゃ話にならねえことも多いから、仕方ないんだけど。そんで帰ってくりゃ大工仕事やったり、荷運びしたり……」
「やれる事はやって置いた方が良いだろう。その方が、皆も楽になる」
「まあな、お陰で大分助かってる。けどよ、お前こそ偶にはちゃんと休めよな。ジルも、皆も心配してるんだぜ」


 誰より付き合いの長い幼馴染と、慕ってくれる人々のことを言われては、クライヴは口を噤むしかない。
しかし、明日の予定は勿論のこと、その後に控えている隠れ家の増改築のことであったり、物資の確保なりと考えていると、中々ゆっくりと休もうと言う気にはなれなかった。

 困ったような顔で唸るクライヴに、ガブはやれやれと肩を竦める。
人には休めと言う癖に、自分にその気はないのだから、これはジルやタルヤが折々に怒る筈だと思った。
上に立つ者が率先して働いてくれるのは、それについて行く者にとって有り難いし、良い模範にもなるのだが、どうもこの男は力の抜き所を分かっていない。
この辺りは、先代の方が上手かったなと、隠れ家に長く暮らす男はこっそりと思った。

 となれば、とガブは腰を上げる。


「よし。クライヴ、ちょっくら見せてやる。ついて来いよ」
「なんだ?突然」
「良いから。ほら、こっちだ」


 ガブは席を立つと、昇降口の方へと向かった。
彼の目的の読めないまま、クライヴはその後を追う。

 昇降口の正面には、広い空間が設けられている。
一番最初に居住区代わりに使われた場所で、皆の寝床に出来るようにと床が造られた其処は、今は調理場が設けられたことを切っ掛けに、ラウンジが出来ていた。
その他、隠れ家の面々に向けて商売をするカローンの為、その取引所が作られようとしている。
現在はカローンとグツが管理する在庫置き場として使用されているが、直にカウンターや棚などを誂える予定だと言う。
その他にも、鍛冶師であるブラックソーンが仕事に集中できるよう、ふいごを用いた炉も作られた。
こうした、隠れ家の人々が生活する為のものが集まっている為、此処には今も多くの人が集まって過ごしている。

 ガブが向かったのは、その更に奥にある階段だ。
階段を上った先には、有り合わせの布を縫って作った、幔幕がかけられている。


(此処は工事をしている最中だったと思うが……)


 隠れ家には、ジョスランたちのような小さな子供もいる。
彼等にとって、建築現場と言うのは何とも好奇心をくすぐるもので、やんちゃな子供は何かと近付きたがっていた。
しかし、資材を積み重ねていたり、足場も床とは違って組み木状であったりと、危険な場所でもある。
その為、子供たちが迂闊に入らないようにと、大規模な工事中の場所には、幔幕で目隠しをするようになった。

 これがかけられていると言うことは、この先は工事中の筈だ。
ガブはその幔幕の端を捲りながら、追って階段を上がって来るクライヴを見て言った。


「本当は、全部いい感じになってから見せようって思ってたんだけどな。まあ皆も許してくれるだろ」
「……?」


 何の話だろうと、クライヴは首を傾げた。
瞳で問うクライヴの声を付き合いの長い男はよく分かっている筈だが、彼はあくまで口で言う気はないらしい。
来いよ、とだけ言って、ガブは幔幕の向こうへと行ってしまった。

 良いのだろうか、と思いつつも、ガブも行ってしまったしと、クライヴは幔幕を捲った。
潜ったその先には、半球状の形をした空間が広がっていた。
其処には奥にベッドが置かれ、入り口から左手側には机が置かれている。
机は縁や足に細工された木材が使われており、天板は大きな一枚板で、とてもこの隠れ家で作る余裕のあるものではなかった。
恐らくは、カローンが何処かで仕入れたものと思われる。

 飛空艇の素材は強固なもので、経年劣化や風雨の影響か、朽ちていくことはあっても、人の手で加工することは困難だ。
この為、それの構造そのものを変えることは無理だから、その上に木材で足場を作る事で、隠れ家としての機能と増改築を果たしていた。
何処が何の施設として機能するのに十分な広さがあるか、クライヴはオットーと共に相談しながら、優先順位を定めつつ選んでいる。
だから、今工事中の所に何が造られようとしているかは、概ね把握しているつもりだった。

 しかし、この空間のことは聞いていない。
倉庫にするなら良い広さがあるが、それにしては置いてあるものが少な過ぎる。
これは一体、と部屋を見回すクライヴに、ガブが壁に寄り掛かりながら言った。


「お前の部屋だよ、クライヴ」
「俺の?」


 クライヴは目を丸くしてガブを見た。
ガブは左目をぱちりとウィンクして見せ、にぃっと笑う。


「皆でこっそり作ってたんだ。オットーも知ってるぜ、お前に秘密にする事も含めてな」


 言っちまったけど、と鼻頭を擦るガブであったが、その表情は満足そうだ。


「お前、隠れ家に戻って来ても、ちぃともゆっくりしてないからな。皆の為にあれこれしなきゃって気持ちは助かるけど、休める時はちゃんと休まないと、体が持たないだろ。だけどお前は、誰かを見ちゃすぐに手伝いに行っちまうから、一人で休める場所ってのがそもそも必要なんじゃないかってよ」
「それは───その気遣いは有り難いが、まだ皆の為の場所も作り終わっていないのに、俺だけこんな……」


 仲間達の気遣いは、純粋に嬉しい。
だが、こんなに広い空間なら、もっと他にも必要としているものに使えるだろうに、とクライヴは思う。
だが、ガブは先回りして言った。


「いらないなんて言うなよ?シドだって自分の部屋は持ってたし、休む時は其処にいた。何より此処は、皆がお前に、ゆっくり休んで貰おうって作ってる場所なんだからな」
「……ガブ……」


 その言い方はずるい、とクライヴの眉尻が下がる。
ガブもそうと分かっていて、クライヴの拒否権を取り上げていた。

 幔幕の向こうが、ごそごそと動いていた。
見てみれば、差し込まれた白い手が幔幕を捲り、灰白の体毛の狼───トルガルが入って来る。
それに続いて、ジルが眉尻を下げた表情で部屋へと入った。


「もう、ガブ。まだちゃんと出来てないのに、教えてしまったの?秘密にして驚かせてやろうって言い出したのは貴方なのに」


 ジルに言われて、ガブは分かり易く彼女から視線を逸らした。
秘密にするって皆で言ってたのに、と零すジルだが、その表情は言葉に比べて咎めるものがない。

 トルガルがクライヴの下で鼻を鳴らす。
甘えたがるその頭を撫でてやれば、トルガルは嬉しそうに尻尾を振って、クライヴの足に体を摺り寄せた。


「お前も知っていたのか?」


 訊ねてみれば、ワン、とトルガルは鳴いた。
そうだよ、とでも言っているような、得意げにも見える表情に、クライヴは笑みを零して相棒の喉を擽ってやる。

 クライヴは、もう一度部屋を見回してみた。
倉庫のような物置として使うなら、その空間は暗くても気にはすまいが、人が暮らす為に使うなら、光はあった方が良い。
その気遣いの表れなのか、部屋は閉じた形ではなく、壁の隙間に格子窓のように空いた場所があった。
お陰で昼日中の今は暗くはなく、空で輝く太陽の光が、ベンヌ湖の水面に反射し、床や天井できらきらと光っている。
しかし常に明るすぎては休息には不向きであるし、屋根もあった方が良いと思ったのだろう、格子上の天井の上には、大きな大きな布が被せられていた。
あれだけ大きな布を仕入れるのも、其処へと運び込むのも、大変だっただろうに。


「……皆が、此処を……」


 クライヴの為に、隠れ家の皆が用意した、クライヴが休む為の部屋。
勿体無い、と思う反面、胸の内にくすぐったくも温かいものが滲んで、クライヴの瞳には柔い色が灯っていた。

 それを見たジルとガブは、顔を見合わせ、小さく笑みを交わし合う。


「働き者の頭は頼りになるけど、休む手本も見せてやらねえと。でもお前は、皆の前じゃ結局休みやしないだろうからな」
「皆で決めたの、クライヴの為の部屋を作ろうって。いつも皆の為に頑張ってくれる貴方だから、時にはきちんと休めるように」


 人の為に働くと言うのは、ある種、クライヴにとっては当たり前のことだった。
ロザリア公国の嫡男として生まれ、フェニックスのナイトとして、いずれは大公となる筈であった弟と共に、民を護り率いる為に自らを動かす。
それは嘗て全てを失い、故郷を奪われた今でも変わらず、クライヴの芯として根付いている。

 けれども確かに、生きている者は休息が必要なのだ。
大事に思う人々から、自分を大事にしてくれと言われているようで、クライヴは眉尻を下げて笑む。
嬉しさと、心配をかけた申し訳なさと、なんともくすぐったい気持ちが入り交じって、どんな顔をすれば良いのか分からない。
けれど、はっきりと言うべき言葉は分かった。


「ジル、ガブ。隠れ家の皆にも……ありがとう」


 真っ直ぐに二人を見つめるクライヴの言葉に、ジルは笑みを浮かべ、ガブは照れ臭そうに鼻頭を擦った。
クライヴの隣では、トルガルが嬉しそうに尻尾を振っている。


「部屋を使えるようにするには、もうちょっと時間を貰っちまうけど。必ず、良い部屋にして、お前に渡すよ」 
「家具も揃えなくちゃって話をしているの。ベッドは用意できたけど、毛布はこれから縫うつもり。寒くなる前に完成させるわ」
「あと、机は来たけど、椅子がまだなんだよな。良いもの見繕ってくるってカローンの婆さんが言ってたから、楽しみにしとけよ。それから、棚も作るつもりだぜ。色々置くモンはあるし、これからだって増えて行くだろ?ちゃんと整頓できるようにしとかねえと」


 あれとこれと、それとこれもと、一つ一つ言い並べて行くガブ。
そんなにも───とクライヴは思ったが、もうそんな言葉も、言うべきではないと思った。
この部屋を形作るものは、これから用意されると言うのも含めて、隠れ家で過ごす皆が、クライヴの為に準備をしているものなのだから。


「だから、もう少しだけ待っていてね。皆、貴方の為に頑張っているから」


 勿体無い、受け取らないなんて言わないでと、優しく淡いブルーアイズに、クライヴは小さく笑んで頷いた。




初出 2023/06/30(Privater)

FF16クリア直前(オリジン戦突入前)に、勢いで書きあげた初のFF16小説でした。
まだ自分の中で細かな設定が飲み込めていなかったのですが、今しか書けないと言う衝動で。
特にはこの頃、ガブがジョシュアより年下とは全く思ってなかったので、同い年くらいの感覚で書いてました。

クリア後、時間が経って色々考察を見たり、海外の人の呟き等も見て、隠れ家のクライヴの部屋にあるものの詳細をより細かく知って、この話とは違うものも当然ながら一杯書いていた訳ですが、当時はこういう遣り取りがあったりしたら楽しいなと思っていた妄想の産物でした。