石と篝火


 器用な奴だ、とシドは思った。

 隠れ家のある黒の一帯を抜け、ロストウィングへと繋がる抜け道の途中に、少し開けた場所がある。
シドは其処にクライヴを連れ、彼の特訓に付き合っていた。

 クライヴは、少年の頃には母国擁するフェニックスのドミナントたる弟を護る為、若干十五歳にしてナイトの称号を得ていた。
国軍騎士の下、剣の訓練を基本に、相応の特訓をしたのは想像に難くない。
それから母国の崩壊後、ベアラーへと身を落としてからは、使い捨ての兵士として生きて来た。
根本的にベアラー兵の立場として、行って終わり、死んでも当然の任務を熟してきた為、必然的に生きる内に実力は培われていく。
その原動力は復讐と言うものであったが、理由が何であれ、生き延びていけるのならば、それは確かな糧となっていた。

 そして先日、彼は嘗て己が目撃したと言う、“もう一体の火の召喚獣”そのものとして目覚める。
シドも伝承にすら聞いた事のない事態に驚いたが、とかく目の前で起きたことを、嘘だ冗談だと言うほど愚かなこともない。
直後のクライヴは酷い精神状態だったが、彼女が助けた氷のドミナントが目を覚ましたお陰で、彼もまた新たな道を模索することを考えられるようになった。

 それからしばらく、クライヴは、幼馴染であったと言う氷のドミナント───ジルと共に、母国の地へと向かった。
其処で彼が何を見、何を感じたか……多くは語り合う程、シドもクライヴも多弁ではなかったが、若い二人がしかと現実と向き合ったことは分かる。
そして、彼等がシドの理念に共感し、また自分自身でもその道を行く事を選んでくれたのなら、シドにとっても有り難いものだった。
それは仲間が増えた喜びでもあったし、どうしても物騒なこの世の中で、戦力として頼りになる者が増えたことにもある。

 そして、兼ねてからの計画を実行に移すことを決めたのだが、その前にやっておかなくてはならないことは幾つもあった。
皇都オリフレムの抱くマザークリスタル・ドレイクヘッドへ向かう為の根回しを整えている間、戦力となってくれる二人の状態を、シドは改めて確認することにした。
二人だけでロザリア領へと向かい、フェニックスゲートで何やら異様な事態に巻き込まれつつも、無事に帰って来た訳だから、腕そのものは心配あるまい。
だが、シドはジルの戦う所を間近で見た事はなかったし、クライヴの方はかなり前例のないことになっている。
大事な作戦を決行しようというのだから、準備は念入りに行っておきたかった。

 それがこの特訓の時間である。

 ジルは元々、大陸北部の有力者の娘として、ロザリア公国へと差し出されたと言う。
其処でクライヴ達と出逢い、親しく過ごしたそうだが、その時の彼女は、当然ながら戦う力を持っていなかった。
彼女が氷の召喚獣シヴァとして目覚めたのは、フェニックスゲートでの事件の直後、進軍して来た鉄王国に拉致された後のこと。
生き延びる為、脅しに使われるベアラーたちの命を守る為、彼女は止むを得ず戦うことを選んだ。
生来から戦う者として訓練された訳ではなく、氷のドミナントとしても、その力を行使することを強要する事こそあれ、彼の国では使役される一方だから、何らかの恩情などと言うものもない。
当然、戦う為の真面な訓練もなく、彼女は只管、独学で戦っていた。
幼い頃、クライヴを始めとして、ロザリア公国で兵士の訓練を遠目に見ていたようで、それを真似している部分も多少なり見られるが、ほぼ我流と言って良さそうだ。
シドは別段、戦技に作法も何も関係ないと思っているから、隙を生むような癖は直すように注意しつつ、負荷の少ない魔法の使い方などを中心に教えて行った。

 そしてクライヴだが、此方は戦闘の腕は申し分ない。
ナイトとして、ベアラー兵として、騎士が行う正規の訓練と、命を命と思わぬ実戦で培われた実力は、シドも十分に知る所であった。
魔法に関しては、火の魔法など使い慣れたものだ。
彼にとっては十年以上の付き合いであり、泥底で彼を生き延びさせた力は、クライヴ自身もその身によく馴染んだものだと言う。
しかし、風のドミナントであるベネディクタから取り込んだ形で得た、風の魔法に関しては少々手間取っていた。
元々持っていない力であり、経緯からして余りに突然で、彼自身も戸惑いは大きかった。
だが、ロザリア領に行っている間に、多少は吹っ切れたのか、更には努力か天性か、数日前よりも使いこなせるようになっている。
まだ突発的なことに対処できる程、上手くコントロールは出来ないようだが、それでも発動事態はスムーズに行くのだから、中々のものだ。

 シドの前で、クライヴは掌を正面へと突き出した。
風の塊がクライヴの手元に生まれ、発射するように飛び出したエーテルの鉤爪が、ターゲットと定めた木の上へ向かう。
鉤爪がわしぃっと太い枝を掴み、ばきりと音を立てて折れたかと思うと、掴まれた枝がクライヴの下へと引き寄せられた。
クライヴは右手に持っていた剣を振り上げ、それを強く叩きつける。
タイミングも万全と、木っ端になった枝葉を見て、シドは感心した。


「大したもんだ。そんな使い方が出来るとは」


 適当な倒木を椅子にして眺めていたシドの言葉に、クライヴの視線が向けられる。


「あんたは、あのドミナントと知己だったんだろう。こういう使い方はしていなかったのか?」
「敵は一気に殲滅するのがあいつのやり方でな。俺は俺で色々と忙しくしてたし、間近でじっくり見るような機会はそうなかった。知ってる限りじゃ、風魔法をそうやって使う奴は初めて見る」


 シドはそう答えながら、遠い記憶に、もっと近くで見ていてやれば良かったのかも知れない、と思う。
だが、既にその後悔も、意味のないものだ。
自分は自分の意志で、あの国から離れたのだから。

 クライヴは自分の手をじっと見て、そこに風のエーテルを生み出す。
見つめる顔には分かり易い眉間の皺が浮いており、それなりに集中して魔法を使っているようだった。
シドはその横顔を眺めながら、ふむ、と腕を組む。


(複数の属性エーテルの魔法を使えるベアラーってのは、さて……)


 いただろうか、とシドは眉根を寄せて考える。

 魔法を使えれば、ベアラーとされるのがこのヴァリスゼアだ。
それはどんな魔法を使えるかに関わらず、須く押される烙印である。
召喚獣顕現となるほどの力を有するものなら、───鉄王国のような、徹底的に魔法を排斥するような環境でなければ───ドミナントとして重用される事もあるが、何れにせよ扱える魔法の属性は一つだ。
だからベアラーの多くは、主人となる者が求める用途に応じて買われ、金があって便利に使いたい者ほど、複数のベアラーを所有し、必要に応じて使っているものだった。

 “二体目の火の召喚獣”───“イフリート”のドミナントである事と言い、クライヴは特殊な事項が多過ぎる。
それはシドにとって、尽きない疑問と共に、引っ掛かる事もないではなかったが、ともあれ調べても分からない事はどうしようもない。
一先ずは計画を成功に導く為に、その力を使いこなして貰うのが先決だった。

 クライヴの掌に留まっていた風の塊が、すぅとその手を離れて浮上する。
と、クライヴの頭の上まで上り切った所で、塊はふわりと解けるように消えた。


「……上手く行かないな……」


 呟いて、クライヴは空の手を見下ろす。
恐らく、火の魔法を灯り替わりに使っている時のように、其処に滞留させようとしたのだろう。

 シドはそれを見つめながら、


「お前が長いこと使っている火の魔法と違って、そいつはほんの数日前に使えるようになったもんだ。前に向かって放つだけならともかく、応用的な使い方となると、また別のコツがいる。一日二日でなんでも上手くは出来ないもんだ。火の魔法だって、使いこなすまでにはそれなりに訓練したんじゃないか?」
「……そうだな。将軍や兵士の皆には、大分扱かれた。彼等は魔法の扱い方は知らないから、感覚的な所は───……ジョシュアに教えて貰っていたな」


 そう言ったクライヴの目が細められ、ゆらりと揺れる。

 自分が“イフリート”であると知った時、彼は慟哭と共に己の死を願った。
全ての始まりであっただろう、フェニックスゲートへの旅路を経て、己のその過去を受け止めるまでには至ったが、弟の死への悔恨は消えない。
こればかりは仕方のない事で、嘗ての懐かしい記憶と共に、その表情から色が抜け落ちるのも、無理はなかった。

 だが、今は特訓の最中。
シドは腰に差していた剣を取り、肩に担ぎながらクライヴの前へと立った。


「さて、お次は実戦だ。突っ立って撃つのは簡単だが、戦ってる最中はそうもいかん」
「ああ」
「お前は火の魔法は使わず、風の魔法だけ。時間もないし、指導に適した奴もいないんだ。感覚は自分の体で養って覚えろ」
「分かった」


 頷いて、クライヴはシドと真っ直ぐに対峙する。
剣を構えて腰を落とし、初太刀のタイミングを読む青年に、シドは強く地を蹴って肉薄した。




 咄嗟の瞬間に火の魔法を撃つこと、三回。
その都度、しまった、と分かり易く油断するものだから、シドはその度にクライヴに重めの一撃を喰らわせてやった。
それは目的の縛りを意識させる為でもあったし、失敗したなら失敗したで、それを露骨な顔に出すなと言う事だ。
その甲斐あってか、四回目は逆にそれでシドの方が誘われ、風魔法でのカウンターに使われた。

 結局、火の魔法を使うな、と言う点においては不合格だが、使い方の幅を広げることは出来たようだ。

 烈風で切り裂かれた腕の傷を摩りつつ、シドは剣を納める。
クライヴはと言うと、使い慣れない風魔法による集中と、戦いにおける癖にもなっているのだろう、火の魔法の使用を禁じることへの意識分けに疲れ、片膝を着いている。

 森の木々の隙間に見える空を見れば、太陽は既に南天を過ぎている。
頃合いだな、とシドは煙草を取り出して、


「クライヴ。休憩だ」


 そう言ったシドだったが、クライヴはふらりと立ち上がって、


「まだ……大丈夫だ。もう一回……」
「俺が疲れたんだよ」


 力を使いこなせないことへの焦燥からか、特訓の継続を願い出るクライヴだったが、シドはきっぱりと言った。
火をつけた煙草を吹かしながら、木々の向こうにある川へ向かう。

 さらさらと流れる清い水の中、小魚が泳いでいるのが見えた。
シドは近くにあった低木の枝を二本折り、懐に入れていた糸を取り出して、先端に結び付ける。
川の傍にある石を適当に蹴って、其処に隠れていた小さな虫を見付けると、一つ摘まんで糸の先に括り付けた。

 さく、と草を踏む音がして、振り返れば、剣を納めたクライヴがいる。
物言いたげな視線を向けて来たが、シドは気付かない振りをして、糸を括っただけの枝───釣り竿を差し出した。


「お前の分だ」
「……」
「飯がいらないなら、構わないけどな」


 お前の分を獲ってはやらんぞ、と言う意味でそう言うと、クライヴはなんとも言えない表情を浮かべて見せる。
彼としては、早く力を使いこなし、直に始まる作戦に備えたい、と言うのが本音だろう。
しかし、ぐぅう……と言う音が彼の腹から聞こえたことで、クライヴはようやくシドの手から釣竿を受け取る。


「釣りをやった事はあるのか?」
「野宿の時に何度か」
「餌はその辺にいるので十分だ」
「ああ」


 シドが石の下から見付けた虫を摘まんで、自分の糸に括り付けるクライヴ。


「此処の魚は、真面に食べて大丈夫なのか」


 釣り糸を垂らしたシドに、クライヴが尋ねた。
ああ、とシドは頷く。


「多少土臭いのもいるが、毒性はない。うちの隠れ家でも、偶に食ってる魚も多い」
「……そうか」


 それなら、とクライヴも枝を振って釣りを始める。

 シドとクライヴは、適当な岩の上に座って、のんびりと釣り糸を垂らす。
静かに流れる川の向こうで、野良チョコボが草を食んでいた。
シド頭の中では、今日のこれからであるとか、タルヤに頼まれた薬品類の調達の段取りであるとか、巡ることは多いのだが、今の所、急ぎの用事もないので穏やかなものだ。
急ぎたい事と言えば、傍らの青年がもう少し力を使いこなしてくれる事だが、これは一日二日で済まないことも分かっているので、当人の胸中はともかく、指導役をするシドは開き直っている。

 ちらと隣を見遣れば、クライヴはじっと糸の垂れた水面を見つめている。
その伏せ勝ちな眦には、まんじりとした焦りが滲んでおり、思ったように出来ない事に苛立っているように見えた。


(魚が釣れて、腹も膨れれば、多少は落ち着くか)


 空き腹は何事にも良くない。
苛立ち、焦り、不安───たかが空腹と侮るなかれ、それはあらゆる事に影響するのだ。
故にこそ、食事は大事な工程であるとシドは思う。

 糸が引いている感覚が伝わって、シドは釣り竿を上げた。
餌を飲み込んだ魚が、ぱしゃん、と跳ねて水面を揺らす。
取り敢えずは一匹、とシドは適当な石で囲いを作って、其処に魚を放した。

 二匹、三匹と釣れて、こんなものかとシドは糸を巻き取る。
と、ずっと静かに水面を見つめているだけの青年のことを思い出し、そちらを見ると、クライヴの手にある釣り竿の先が、クン、クン、と反応している。
しかしクライヴは、俯き勝ちに竿を持つ手元を見つめているだけで、その振動に気付いていない。


「おい、クライヴ。食ってるぞ」
「……!」


 シドに呼ばれて、クライヴははっと顔を上げる。
慌てて釣り竿を持ち上げれば、幸いにも魚はまだ食い付いていた。

 シドが獲ったものと合わせて、魚は四匹。
どれも大した大きさはないが、小腹を満たす程度には十分だろう。


「さてと、食う準備だな。取り敢えず薪がいるか」
「焼くなら俺が────」


 手っ取り早く、とクライヴがその手のひらに火を生み出す。
しかし、シドはそれに首を横に振った。


「まあ待て、一気に焼いちまうんじゃ勿体無い。こいつらは、じっくり炙った方が旨いんだ。お前は薪になる枝を探してきてくれ」
「……分かった」


 シドの言葉に、クライヴは物言いたげな表情を浮かべたが、指示にはすぐ頷いた。
薪になるものを探しに行くクライヴに、シドも魚が逃げないように囲いを改め、自身も火種に出来る燃料を集めることにした。

 辺りは緑がよく茂る森で、瑞々しい草木も多いが、それらと生存競争に負けたものだったり、季節の変化で降り積もった落葉も多い。
一頻り集めるのに大した時間はかからなかった。

 河原の端で、こんもりと重ねた落ち葉の山に、クライヴが手を翳す。
火魔法で焚火を起こそうとしているクライヴだったが、シドはまたそれを遮った。


「クライヴ。こいつを使え」
「……これは?」


 シドが取り出し、クライヴに見せたのは、金属片と石片。
使えと言われても、と眉根を寄せるクライヴに、


「お前、魔法以外で焚火を起こしたことは?」
「魔法以外?」


 シドの言葉に、クライヴは腕を組んで考え込む。
長くはないベアラー兵としての生で、野宿など当たり前のもので、その際には焚火を燃やしているものだった。
火は獣を寄せ付けない為にも必要だったし、灯りと言うものは安心感を齎す。
常に危険な任務に身を置き、神経を擦り減らしているベアラー兵もそれは同じで、敵兵の警戒が必要な時でなければ、火は求められるものだった。
その際、火魔法を使えるベアラー兵は必ず呼ばれ、着火を任されるものである。

 それを思い出して、いつも魔法で火をつけていた、とクライヴは思った。
連日の野宿が続く際には、其処が黒の一帯であるとか、余程疲弊している時でもなければ、クライヴがそれを行うのが当然にもなっていた。
今と先と、必要ならばと魔法を使おうとしたのも、それが体に染みついていたからだ。


「……そう言えば、もう随分と……」
「経験はあるか?」
「……いや……」


 クライヴの脳裏に、更に遠い遠い記憶が浮かぶ。
それはナイトの称号も得る前、当然フェニックスの祝福も戴くより以前のこと。
あれは何処かの地域に現れたと言う、蛮族の群れを討伐する為だったか。
危険な魔物も同時に確認されたこと、それが集団になっている事から、父エルウィン自らが隊を率いて出向く事になった。
その出征に付き添う形で城を離れたのは何度かあったと覚えており、その際には野宿をし、焚火も燃えていたのだが、クライヴはそれを自分で起こしてはいない。
大公の出陣とあれば、国軍もそれなりの規模で出るものだ。
それだけ大隊的な環境であること、当時まだ魔法の使えないクライヴが火起こしに参加する事もなく、兵士がクリスタルを使って薪を焚いていた筈だ。

 フェニックスの祝福を戴いてからは、手伝いたいと言う幼い気持ちや、単純にその方が早かったと言う事もあり、最初の種火を作るのに力を使う事はあった。
あとは兵士達がそれを元手にして、必要な個所に火を配って行く。
絶やさないように薪をくべるのも、兵士達の仕事であった。


「……火起こしを魔法以外でやった事は、ない気がする」
「だろうな。ベアラーなら魔法を使うし、そうでないならクリスタルに頼る。それが当たり前だ」


 便利だしな、と言うシドに、確かに、とクライヴも頷いた。


「便利なものがあれば、人はそれで十分と思うもんだ。俺もこいつを吸うのに、魔法で点けることは多い」


 こいつ、と噛んだ煙草を揺らして見せるシド。
そう言えばよく指先で火をつけている、とクライヴも思い出した。
シドに限らず、煙草や煙管を好む者は、クリスタルなりベアラーの魔法なりで、それに火をつけているものである。

 だが、とシドは言った。


「俺達はこれから、魔法を生み出す根源である、マザークリスタルを破壊する。魔法を生み出すものがなくなれば、いずれはそんな便利な道具も使えなくなる訳だ」
「確かに、そうだな……」
「そうなれば、今お前がやろうとしたように、片手でぽんと火を作る事も出来なくなるだろう。灯りを作るにも、飯を作るにも、自分の力で、イチから火種を作らなくちゃならん。こいつは、中々大変な事だぞ」
「そうだな。でも、あんたの隠れ家では確か────」


 クライヴの脳裏に、目の前の男が作り育んだ隠れ家の光景が浮かぶ。

 あの場所には、隠れ家で過ごす皆に食事を提供する、ラウンジがある。
クライヴも最近は世話になる事も多いのだが、あそこでは温かなスープや、しっかりと熱の通った料理が出されており、奥の厨房の竈にも煌々とした火が燃えていた。
その他にも、ブラックソーンが仕事場にしている鍛冶場には、立派な炎を燃やす炉があった。

 隠れ家は黒の一帯の中にある。
大地のエーテルが枯渇した其処では、クリスタルを用いたとしても、魔法は碌に使えない。
けれど隠れ家で煌々と火が使われていると言う事は、あそこでは魔法やクリスタルを使わなくても、その恩恵を授かる方法があると言う事になる。

 どうやって、と見つめるクライヴに、シドは手元の金属片と石片を見せる。
シドはそれを落ち葉の山の上で構えると、カッ、カッ、と二つをぶつけ合わせた。
石片の端を削るように金属片が当たり、チカチカとした小さな火花のようなものが散る。
そして、ぽっ、と小さな小さな燈火が、落ち葉の隙間に敷き詰めた枯藁に燈った。
シドはそれを両手で囲い、息を吹きかけていく。
じわ、じわ、と明滅していた燻りから、細い煙が立ち上り始めた。


「クライヴ。同じようにやってみろ」
「あ、ああ」


 戸惑いながらも、クライヴはシドがやっていた事を真似してみる。
両手で燈火を風から守るように保護しつつ、ふー、ふー、と息を吹きかけてみる。
強く吹くと燻りの赤みがじわりと強くなったが、止めると直ぐに縮んでしまう。
あまり強くやると消えてしまいそうで、吹きかける息を弱めてしまうと、「それじゃ無理だ。もう少し強く」と指示が来た。
何度かやり方を変えて試す内、この息で消えてしまう事もあるから、細く長く吹きかけるようになっていく。

 燃焼が始まったそれを懸命に育てていくと、ぽうっ、とオレンジ色の火が生まれた。
此処まで来れば、後は拾い集めた燃料をくべて行けば良い。


「……ふう……」
「上出来だ。魚を焼く準備をして来るから、そっちの守を頼むぞ」
「ああ」


 いつの間にか額に滲んだ汗を拭って、クライヴは焚火に枯れ葉をくべた。
火が木の葉を媒介にして少しずつ成長していく様子を、クライヴは不思議そうに見つめている。

 シドは石の檻に捕まえていた魚を、一本一本枝に串刺していく。
焚火の下に戻ると、火は十分な大きさに育っており、シドはその周りを囲うように、火元に近付け過ぎない距離で、魚を一本一本立てて行った。

 ぱち、ぱち、と小さな音を立てながら、煌々と燃ゆる火。
クライヴはそれを、じっと飽きずに見詰めていた。
戦いに置いて火魔法を操る彼にとって、炎は別段、珍しくもなんともなく、どちらかと言えば常に身近にあるものだろう。
しかし、今彼の目の前にある火は、その手で作られたものとは違う。
物質としてはそれ程変わりはないかも知れないが、“魔法で生み出したものではない”と言う点で、クライヴにとっては酷く物珍しく映るようだ。

 魚が満遍なく火が通るよう、時折向きを変えながら、シドは言った。


「面白いもんだろう、クライヴ。魔法じゃなくても、火は点くんだ」


 その言葉に、火を見つめていたばかりだったクライヴが顔を上げる。
ヒゲを蓄える年齢にあるのに、存外と幼い顔立ちが、これまた不思議なものを見る顔で、じっとシドを見つめた。


「どうやったんだ。さっきは、石と金属をただぶつけているように見えたが……」
「あー……詳しく説明すると面倒なんだが、そうだな……簡単に言えば、あれらを擦り合わせて火花を出しているんだ。火花は削れた石のカスみたいなもんで、これが熱を持っている。それがよく燃えるものに触ると、燃料になって火が点く。こんな所か」
「隠れ家で使っている火も、これで起こしているのか」
「最初はそうだ。別の火があれば、それが消えないようにくべるなり、分けるなりで十分だがな。一度完全に消えたら、新しく火を作る時にはこいつでやってる」


 こいつ、とシドは金属片と石片をクライヴに見せた。
子供の好奇心に似た瞳がじいっとそれを見つめるので、シドは持ってみろと差し出してやる。
クライヴはそろそろと手を伸ばして、二つの素材を両手に持った。


「……クリスタルじゃないよな」
「見ての通り」
「エーテルも感じない」
「金属の方はブラックソーンに作って貰ってるが、石はその辺にも同じようなものが転がってる。種類は幾つか決まるがな」


 金属片は誂えたものだが、此方もその素材が特別に凝っているものではない。
鉄や鋼を交えて打ち、石片を削り出せる強度がある、と言う位で、クリスタルの破片が仕込まれていると言う訳でもなかった。

 クライヴはしげしげと二つの素材を見つめた後、「……こうか……?」と呟いて、それらをぶつけてみる。
しかし、ガチ、と言う堅い音が鳴っただけで、火花も出なかった。
何故───と眉根を寄せるクライヴに、シドはくつくつと笑う。


「ただぶつけるんじゃない、擦るんだ。ま、今度またじっくり教えてやる」
「……ああ」


 小さく頷いたクライヴに、シドはまた喉が笑った。
魔法を使った方が手っ取り早い、と言うかと思ったが、やはりこの男は存外と素直だ。
必要ない、と突っ撥ねられない所に、嘗ての公国で良い環境で育てられたことが感じられた。

 魚は遠火でじっくりと炙られ、皮を程好く焦がしつつ、じわじわと脂を染み出させている。
もう良いだろう、とシドが一本をクライヴに渡すと、クライヴはまたこれも不思議そうに見つめた。
構わずシドが自分の魚に齧りつけば、熱の通った身に脂が染み込み、旨味が口一杯に広がる。
エールが欲しいな、と思いつつ食べ進めている内に、クライヴもようやく魚の腹に齧りついた。


「あつ、ん。……うん」
「旨いだろう。じっくり焼いたからな」


 魔法で一気に焼いてしまっては、この魚の旨味は出て来ない。
素材の味を生かして食べるには、時間をかけて遠火でじわじわと焼くのが良いのだと、ラウンジを預かるケネスが仕切りに熱弁していた。
シドも彼の料理の腕と、その研究熱心な所は信頼している。
勿論、時間がなければ一気に火を通して、早く胃を満たすのも否定はしないが、じっくり時間と味を堪能するなら、この手間暇をかける価値のあるものだ。

 ほろりと解れる身から感じる熱さに、クライヴは手で隠した口の中で懸命に熱を逃がす。
はふ、はふ、と籠った熱をなんとか追い出した後、もぐもぐと噛んで飲み込むと、直ぐに二口目に齧り付いたのだった。




初出 2023/07/09(Privater)

28歳クライヴの情緒不安定ぶりと、そんなクライヴの情緒を育て直してるシドの図がどうにも好きで。
色々な理由でクライヴをあちこちに連れ回しながら、色んな経験をさせてるシドが見たい訳です。
あと、クリスタルの恵みを真っ先に受ける事ができる大公家に生まれたことや、“祝福”で火魔法がずっと身近にあるクライヴにとって、魔法を源としない火って反って見た事がなくて、不思議だったんじゃないかとか。焚火を見てるクライヴはそんな感じ。

ヴァリスゼアは魔法があまりにも当たり前に身近に存在しているので、色んな物理的技術の発達が酷く遅いと思いました。
現実に火をつけるには、原始的な手段からも色々ある訳ですが、どうやらFF16の世界は、それすら中々知られていない模様。
まあ井戸掘るのだって、水脈を探って、地面を深く掘って掘って、やっと見つけたそれを引っ張って……と大変な訳だから、クリスタルで目の前からわき出させることが出来るなら、それありきは当然だろうなと。
しかしマザークリスタルを破壊すれば魔法は使えなくなって行く訳なので、シドはその時の為にも、また魔法が使えない黒の一帯での生活の為にも、色んな研究は先んじて行っていたのだろうなと思いまして。
それを隠れ家の皆と同じように、クライヴにも教えながら、『魔法が使えなくなっても人が生きていく手段はある』と伝えて言ったのだったら良いなぁ、なんていう妄想。