旅路の終わり


 この身は、神の為にある。

 バルナバス・ザルムにとって、王と言うその役割は、然したる重要な意味を持ってはいない。
であれば、何故嘗ての灰の大陸の強国を下し、其処に新たな国を築いたかと言えば、人を導くに置いて、それが最も効率的であると取ったからである。

 灰の大陸は、元より戦乱溢れていた。
数多の小国と、複数の民族───蛮族を含め───が入り乱れる灰の大陸は、幾つかの国に別れて統治されていた風の大陸よりも、混沌の時代が長く続いていた。
言葉の通じる人間同士でさえ絶えない争いは、それが通じなければ尚の事、武で以て強者弱者を分かつのが何よりも理解に通じる。
しかし、力の均衡は幾度となく崩れ、恵みの象徴たるマザークリスタルを奪い合いながら、互いの領土も食い潰し合う。
絶えない争いは、更なる争いと悲劇と憎しみの連鎖を呼ぶ。
永遠に尽きない不の螺旋は、最早相互理解の可能性など考える余地もない程に、灰の大陸を戦場として包み込んでいたのである。

 それを一閃の下に斬り伏したのが、長らくヴァリスゼアで確認すらされず、最早伝説のものとなりつつあった召喚獣、オーディンのドミナントとして顕現したバルナバス・ザルムであった。

 外大陸からふらりと現れたその男は、圧倒的なその力を以て、灰の大陸を平定した。
当時の強国ウェルダーマルクを一夜にして制した男は、その地を土台として新たな国を作り上げる。
長らく戦乱の中にあった灰の大陸に置いて、何処の骨とも知らぬ男の台頭は少なくない反発を呼んだが、征伐、暗殺、そう言ったものがどれだけ男の命を狙おうとも、それらは全て徒労と終わる。
数多の悪意、数多の権謀以て尚、全てを己が持つ力そのもので断ち伏せた男を下せるものは、灰の大陸には、いやヴァリスゼア全土を見てすら、存在しないのだと人々に知らしめるには十分であった。

 それから三十余年が経つ。
灰の大陸はウォールード王国の下に統治され、数多に入り乱れていた氏族部族はその傘に入り、蛮族と呼ばれるオーク族さえも御されている。
一国の王の下に大陸が統治されることは、一見すれば安寧を齎したかに見えたが、黒の一帯が南部の侵食を拡げるに連れ、灰の大陸は再び武の国として剣を取る。
灰の大陸南部にあったマザークリスタルは失われ、人々は大陸北端に在るマザークリスタル・ドレイクスパインの恩恵のみを頼りに生きざるを得なくなった。
だが、既に一つクリスタルが消滅した事を鑑みれば、いずれ残るもう一つも、同じ道を辿る可能性は否めない。
灰の大陸だけでは、最早生命が立ち行かなくなる事は明らかだった。

 国を、其処に生きる者が生きる為、資源物資は常に必要となる。
バルナバス国王の命の下、ウォールード王国は武器を取り、その矛先を風の大陸へと向けた。
灰の大陸内に、既に奪える場所も、これから手に入れる場所もない。
求めるならば、海を越え、その先にあるものを目指すしかなかった。

 人の世は何処までも、悪意と憎悪に満ちている。
尽きない欲望、それを満たす為に他者から利を奪い合い、それを奪って尚満たされない。
何故こんなにも、人と言う生き物は、欲望に振り回され続けているのだろうか。
蠢くように欲に突き動かされて動く生き物の姿は、バルナバスには酷く奇怪で憐れに見えた。

 バルナバスの芯には、母の教えがある。
それは古くはヴァリスゼアに在りながら、その地を追われ長らく外大陸で隠れるように続く内に、始まりの地では失われた教えであった。
バルナバスが母と共にヴァリスゼア大陸に渡った時、其処では既に嘗ての教えの形はなく、源流たる教えの方が異教とされた。
それでも母は、戦乱蔓延る灰の大陸の人々を救う為、その祈りを人々に説き続けたが、結果、彼女はその異教と排する人々によって命を奪われる事となる。
彼女はただ、悪意の満ちたこの世界に生きる人々を、いつか訪れる筈の“楽園”へといざなおうと───救おうとしていたと言うのに。
この世は何処までも容赦なく、悪意と憎悪ばかりが螺旋を描くその現実は、否応なくこの世がこの世である限り、救いなど齎されないものだと言うことを知らしめているようだった。

 それでも、それでも。
祈りは人々を救うのだと、遠い昔に神に罰された血を持って生まれながら、ドミナントとして覚醒した男はねがう。
でなければ、この血は、この身は、何の為にあると言うのか。
召喚獣は、神のしもべだ。
ドミナントは、それを己の身に宿し、人々の目に見えるものとして姿を示す。
人々はドミナントを通し、神のしもべを介し、その向こうに神を視る。
それ程、ヒトにとって神とは遠く貴き存在であり、その姿を可惜に視ることも恐れ多く、不敬にも簡単にその存在を忘れてしまうことが出来る不確かなものだ。
だからこそバルナバスは、召喚獣オーディンのドミナントとしてその血が目醒めた瞬間から、憐れなる人々に救い給わる神は在るのだと言うことを伝えなくてはならなかった。
ドミナントは、ヒトよりも神に近い場所で、その存在を覚る事の出来る唯一の存在なのだから。

 己の導きたる母を喪って尚、バルナバスは人を導くべくその歩を進めた。
分厚い言語の壁の代わりに、剣で以て蛮族を説き伏せた。
己を異教の徒と蔑み、母を奪った者達を前にして尚、彼等の目を覚まさせる必要があると進んだ。
その中で幾つ屍を作ったかは分からない。
剣を振るう度、積み上がる屍の数に、怨嗟が汚泥のように積み重なって足元を埋め尽くすのを感じていた。
だが、その泥に溶けた悪意も憎悪も怨念さえも、いつかは浄化される日が来るのだ。
今を生きる人々が楽園へと辿り着いた時に、積み上げた血の赤に沈んだ罪も、赦される日がやって来る。

 だが、だが、だが。
それは果たして、いつに訪れると言うのだろうか。
神の姿は、そのしもべを降ろす身を託されたバルナバスとて、見る事が出来なかった。
祈りは嘗ては教えを説いた母に、彼女を喪ってからは己の胸の内へと紡がれる。

 餓えた民は食べ物を乞う。
食べ物は此処にはなく、外から持ってくるしかない。
外も悪意と戦乱が満ち満ちている。
いつかの灰の大陸のように、価値観の違いが高く分厚い壁を作り、多くの人はその向こう側にある価値観だけを見て過ごす。
其処に悪意の螺旋が永遠と続いていることに、果たしてどれだけの者が気付いているだろうか。
悪意の螺旋は断ち切らねばならないが、その存在を知り得るものすらいないのであれば、壁の向こうにいる者は、いつまでも渦の中で溺れている。

 疲れ果てている暇などない。
姿の見えない神に祈りを捧げながら、いつ来るとも知れない救いの日が来るまで、バルナバスは憐れな人々をその救いの道まで導かねばならないのだ。
それは終わりの見えない旅路に似ていた。

 バルナバスはウォールード国の王であるが、それ以上に、神に仕える者である。
彼の芯には、母の教えがあり、母は一族に伝えられる教えを志に生きていた。
一族は遠い時代に神に仕え、嘗てはその姿を視ることもあったのかも知れない。
それは最早あまりに遠い話であり、その末裔たるバルナバスにすら、分からない事である。
だが、芯としてその心身に染み込んだものは、既にバルナバスの血肉となってその身を造る素となっている。
そして何より、バルナバスはドミナントとして覚醒した。
何よりも神の力を身近に、直接に感じることが出来る身でありながら、神の存在などどうして否定できようか。

 だからこそ、神が目の前に現れたその日。
バルナバスは母の教えの下、伝えられてきたその血に宿る歴史と、遥か彼方の日に遺された救世の予言は事実なのだと確信した。

 灰の大陸には、いつの時代に建立されたのかも判然としない塔がある。
神の使途たるドミナントのバルナバスのみが立ち入る事が出来るその塔の頂上には、知らぬ者には奇妙にも見える像があった。
四本の腕を持ち、相対するものを迎え入れるかのようにそれを広げた像は、教えに伝えられた神の姿を彷彿とさせる。
灰の大陸には、その塔よりも新しく、しかし古い建造物や遺跡群も残り、其処にもまた、四本の腕と翼を持ち、ヴァリスゼアに現代に伝えられるしもべを従えた、神の姿が描かれていた。

 バルナバスは、遂に神を見た。
剰え、その声を聴いたのだ。
神に仕え続けたバルナバスにとって、これは名誉よりも遥かに重い意味を持つ。
それは信じ続けた道が確かに先を拓いたことが示されたことでもあり、それ以上に、救うべく導いて来た人々が、確かに救われる未来が訪れることの証でもあったのだから。

 神は、この世界を、“真あるべき世界”へと創りかえるのだと言った。
それを成すには、遠い時代に分かたれた神の力を、一つに集める必要と、それを受け止め、神をも宿す器を捧げなくてはならない。
その末に、神に祈りを捧げ続けている者は、稀なる歓びを────神による祝福を賜ることが出来るのだと。
それは血の一族によりバルナバスへと伝え紡がれた、救世の予言とも一致する。

 ああ、やっと。
やっとだ、とバルナバスは悟った。
一人の男が愚直に信じ続けて来た道は、確かに救いへと向かう明日を齎した。
ならば此処から先は、神が定め導く道を歩むのみ。
その先にあるものこそが、バルナバスが求め続けていたものなのだから。

 ────だと言うのに!

 幸甚にも、神をその身に宿す器として選ばれた男は、愚かにも神の導きを否定する。
神の言葉を否定するなど、バルナバスには到底考えられもしないことだ。
その身に神を宿すともなれば、それは何よりも神に近い場所での奉仕を赦されたことなのだから、人の身に過ぎた栄誉に他ならない。
しかし男は、その稀なる器を、神に渡すことを決して受け入れようとはしなかった。

 元より、バルナバスがその器を見た時、それは酷く脆弱だった。
既に神のしもべの幾つを喰らっていたにも関わらず、一太刀に斬り伏せてしまえるそれは、とても神が求める器には成り得まい。
ならば磨き上げねば、供物として捧げるにも足りない。
それは神に仕える男にとって、当然の奉仕であると言えた。

 器を磨き上げながら、男を導くのが己の役割であると悟った。
この男は、あまりにも悪意の渦の中に身を置き過ぎたのだ。
愚かで悍ましくも憐れな世界に染まった器は、その身の内側に、重く昏い泥を詰め込んでいる。
それが男をこの悪意の渦に縛り付け、苦しみながら生きることが余りにも当たり前で、安らかなる世が目の前に顕れている事にすら気付かない。
なんと愚かで、憐れな生き物だろうか。
男がその身を器として神に捧げねば、この憐れな世界に生きる者は須く、決して救われる事がないと言うのに。

 ────だと言うのに、だと言うのに、だと言うのに!

 塔で相対した男は、何処までもこの愚かな世界に己を縛り付けている。
海の底で向き合った時よりも、それは更に強固な鎖となって、バルナバスさえも圧倒した。
神を否定し、神が齎す救世を拒絶し、この汚泥の世界を歩くことこそを“生きる”と男は言った。
余りにも真っ直ぐな目をして言う男は、愚かしくも迷いがなかった。
そして先へ行こうとしているのだ。
バルナバスが見ている神がす場所から、その更に向こう側へ。
導く者がいない先で、人はそれでも生きていけるのだと、信じて。

 導く者がいない世界など、バルナバスには想像が出来ない。
現に神が長く隠れ窶した時間の中で、このヴァリスゼアは混沌に満ち満ちたではないか。
だからバルナバスは、王として灰の大陸に君臨し、其処に住まう人々が暗闇に迷わぬように導いて来たのだ。
いつか訪れる神の救いを賜る日が来た時、彼等も救われ行くようにと。
この混沌で苦しみ泣く者達が、其処でなら幸福に救われると信じて。
痛みも苦しみもない世界へと導くことが、彼等を救うことだと信じて。

 バルナバスは神を信じている。
男は神を否定した。
どちらが正しいのかは、剣を以て証明する以外にない。
バルナバスも、男も、そうやって此処まで歩いて来たのだから。

 ────そうして交わる刃の轍は、バルナバスに嘗てない輝きを齎す。
汚泥を生き、これからも其処で生き続けると選んだ剣の熱が、バルナバスの血潮を突き動かした。
その身に傷を持ったことなど、一体どれ程久しい感覚であっただろうか。
神を見たその日から、神が“真あるべき世界”を創るその日まで、バルナバスは人を導き続ける為に動く神の兵となった。
例え刃がこの身を切り刻んだとて、祝福された躰は瞬く間にそれを癒す。
それを覆す程の鋭く強い昂りが、己に刻まれる日が来るなど────剰え、それを愚かしく脆弱な“ヒト”が齎すなどと、微塵と思ってもいなかった。

 ヒトとは、斯様に瞬く間に強くなるものだろうか。
バルナバスの知るヒトに、こんな強さを持つ者はいない。
この男は、一体どんな泥沼をその内側に詰め込む事で、強さを得たと言うのだろうか。
それとも、悍ましい泥沼の中を這い蹲るように生きているから、こんなにも。

 痛みの中に生まれる熱。
熱が齎す渇望は欲。
それはバルナバスにとって、他に比べようも換えようもない衝動を齎した。
それは酷く心地良く、酷く浅ましく、どうしようもない程に狂おしい。
まるで生まれて初めての甘露を口にしたようで、異様な程に喉が渇く。
それを潤さんと求めるのは、本能による訴えに等しかった。

 一合、二合、刃を削りあう度に訪れるのは、滾る潮の噴き出す血。
剣の先から伝わるのは、肉と腱を斬る感触。
そんなものに歓びを覚えることがある等と、思いもしなかった。
崩れた都市で、海の底で、刃を交えたその時に、こんな愉悦を与えられる者に遭える等とは。
神の供物と捧げる為に磨くべきものだと言うに、独り占めにすればどんなにか愉しいだろうと、傲慢な悦びさえも沸いて来る。
交えれば交える程に鋭く響き渡る剣閃は、いつまでも耳に心地良く、永遠に奏でていられるならば、これ以上ない幸福となるだろう。
それでは神に捧げるべきを捧げられぬと分かっていながら、傷が痛みが熱が齎す衝動が、どうしようもなく手放せない。

 これは、一度きりのものだ。
男を斬れば、それは肉の器足り得ぬものとして終わるのみ。
斬られたならば、己は男の供物となって、器を神へ捧げる為の仕上げをせねばならない。
どちらであるにせよ、この心地良さは、この衝動は、この歓楽は、二度と得られるものではないのだから。

 この身は、神の為に在る。
それは決して揺るぎない。
されど、この瞬間が終わるその時までは、ただこの熱の在るままに。



 訪れた最後は、とても静かだった。
あれだけ煩く流れていた音が時間が、全て遠く消えるように散っていく。
吐き出した赤が鮮やかな色をしている事を、初めて知ったような気がした。

 導きに従い、果てのない旅を歩いた男の路は終わる。
器を磨き上げた今、憂慮は既になかった。
神に捧げるべき杯は完成し、彼の神がそれを受け取れば、“真あるべき世界”が訪れる。
誰も苦しむ事のない、誰かが傷つく事のない、安らかな世界が来る。

 母よ。
この血が成すべき使命は遂げられた。
彼の楽園で、貴方ともう一度逢うことが出来たならば、その時は───────





初出 2023/08/28(Privatter)

バルナバスってどんな人間だろうと、自分の中で落とし込もうと捏ね回しながら行き付いたもの。

幻想の塔でのバルナバス戦の英語版台詞に散りばめられていた情報を、幸いにも知識のある友人のお陰で貴重な解説を貰いまして、美味しい所を摘まませて貰いました。
マリアス教の信徒であること、敬虔な人であること、それを踏まえてクライヴとの最後の戦いに厭うべき筈の自我の堰が決壊したこと、など。
馴染のないジャンルから貴重な話を貰いつつ、では其処から見えるバルナバスと言う男はどんなキャラクターか?というのを自分なりに噛み砕こうとした産物です。
結果、私の中でバルナバスは、クラス全体の利益の為に個の負債についてはある程度目を瞑る(本人としては止むを得ない位の気持ちがある)って言うクソ真面目な学級委員長タイプだと着地しています。なんか身も蓋もない言い方になる。

アルティマニアが発売したら正解が出てしまうと思って、その前に書こうとしていました。
……結局アルティマニアが発売してからも、バルナバスと言う男は難解なままなんですけども。