Vメント・メリーズ


 無欲が呼んだ幸運なのだろうか。
「行っておいで。俺、多分また何処にも連れてってあげられないからさ」と言った父が差し出したものを見て、スコールはそんな事を考えた。

 取引先のお得意さんから貰ったんだ、と言う謂れを持つそれは、避暑地で有名なリゾートホテルの宿泊無料券だった。
通常、ペアで決まった部屋に一泊ご招待と言うのが精々の所が、株主優待だか何だかで、 “どのタイプの部屋でも一拍無料”と言う大盤振る舞いだった。
念の為に父ラグナが確認した所、確かにそれを持っていれば、最上階の展望プール付きスイートルームでも、十人近くが泊まれる広さを持つ大部屋でも、一拍ならば無料なのだと言う。
空き室については予約の都合に寄るが、つまり、一人で広々と豪華を堪能するも良し、家族や友人とツアー旅行がてらに利用しても良し、と言う事だ。

 ラグナは、家族でご一緒にどうぞ、と譲られたそうだが、何かと多忙で急な呼び出しも多い彼である。
普段、しっかりと会社を回している分、休む時には遠慮なく───と部下であり旧友である面々からは言われているそうだが、今回、ラグナはその権利を行使しなかった。
それが、「嬉しいけど、年頃の娘と親父が二人っきりってどうよ」と言う、冗談めかしてはいるが、娘への気遣いである事は間違いあるまい。
彼としては娘の為にバカンスを用意するのは吝かでない事だが、十七歳と言う花の乙女を、男親一人が連れ回すのはどうか。
疚しい事などないのだが、それは別にしても、娘だってもっと楽しく過ごせる者と一緒の方が良いだろう。
況してや、非日常を心置きなく楽しむのなら、其処に自分はいない方が良い、とラグナは考えたに違いない。
よくよくデリカシーの欠ける男だと友人たちに苦笑される彼だが、案外、そう言う線引きは出来ていると知っているのは、娘位のものであった。

 旅行ともなればホテル代以外にも色々と要り様なものだが、それはラグナが全部出すよと言った。
その上で、何人でも良いから、友達を誘っておいで、と。
その友人たちの費用まで出してくれると言うのだから、全く太っ腹だ。
スコールとしては、親の金を当てにして遊ぶと言うのは聊か気の進まない話ではあったのだが、ラグナ曰く、「いつも俺の面倒見てくれてるのに、何にもしてやれないからさ。その分位は、な?」と言うことらしい。

 母の急逝から十年以上が経ち、その早い内から、スコールは家事を担当し始めた。
子供の頃は今以上に要領も良くなかったから、数少ない交流のあった幼馴染たちと遊ぶ時間も断って、とにかく父を支えなくてはと孤軍奮闘したものだ。
その頃からラグナは、不慣れな家事を一所懸命にしようとする娘を見て、有り難いと思うと共に、申し訳なさがあったのだとか。
スコールにしてみれば、生活に必要なことを自然的に引き受けたようなものだったが、本来、同じ年頃の子供たちと無邪気に遊んでいる筈の子供が、それを断って親への気遣いを優先させる事については、助かる反面悔しくも思っていたそうだ。
俺が全部ちゃんと出来れば、スコールはもっと沢山、友達と遊べるのに、と。
確かに、遊びに誘ってくれるキスティスやセルフィ、時に強引にでも公園に連れて行こうとしてくれたサイファーなどに、「遊べない」「ごめんね」と言っていた時は、淋しくなかったと言ったら嘘になる。
だが、その責を父が背負う必要はないのに、況してや今ではすっかり日常のルーティンになっているのだから───と思うのだが、娘が娘で思う事があるように、父は父で気持ちの落とし所と言うのがあるのだろう。
それが読み取れる位には聡いスコールであったから、今回差し出されたチケットも、受け取る事にしたのだ。

 さて、問題は誰を誘うかである。
元々、交友関係と言うものが広くないスコールだから、声を掛けられる人物は限られている。

 まずスコールが最初に声をかけたのは、親友であるリノアだった。
幼馴染以外に、唯一深い交流を持つ彼女は、こう言うちょっとした旅行企画のようなものが好きだ。
案の定、「行きたい行きたい!」と喜色一杯で言ってくれた。

 人が多いことを好まないスコールであるから、リノアと二人きりでも良いか、とも思ったが、彼女から「旅行は人が一杯いる方が楽しいよ」と促されて、キスティスとセルフィに連絡をした。
セルフィは直ぐに飛び付き、キスティスは予定の擦り合わせが出来れば一緒に行きたいと言った。
それから、セルフィがアーヴァインに連絡を取り、後は芋蔓式に、ゼルとサイファーにも今回の話が伝達されて行った。
更にはどういうルートを経由したのか(それ程幅はないので大体予想はつくが)、スコールとは家が近所と言う立地からの幼馴染であり、ゼルと同級生であるティーダにも話が伝わったようで、「なんで俺に声かけてくれないんスか!」と抗議が来た。
その時点で、中々の人数に膨らんでいた事もあり、これ以上は……と思ったスコールだったが、ラグナの方が「良いよ良いよ」と言う調子だった。

 最終的に、スコールを含めて女子が四人、男子も四人と言うグループ旅行になった。
こうなると大人数用の部屋を取るしかない訳だが、別段、どうしても高級な部屋に泊まりたかった訳でもないから、これは良いとする。
問題はそれ以外の費用で、幾らラグナが構わないと言っても、流石に何人か───主にはキスティスを始めとした年上組だ───が待ったをかけた。
幸い、件のホテルは電車で二時間程度の場所にあり、学生の小遣いでも往復費用は作れる。
買い食い等も自分たちの財布から出す事にして、ラグナには朝夕の食事代を出して貰う事になった。
ラグナからすると、もっと甘えてくれて良いのに、と思う所もありはしたが、娘やその友人たちが健全な精神と成長を育んでくれていると思い、スコールに渡す財布にこっそり大目に入れておこう、と言う事で納得した。
娘の友人一同には、「スコールをよろしくな」と一言を添えて。

 予定の擦り合わせを何度か行った結果、学生たちの一泊二日の旅行は、夏休みの後半に決まった。
因みに、件のホテルは海沿いに建っており、海水浴客の御用達である。
それなら、と海で遊ぶ用意を提案したのは、リノアとセルフィだ。
そこにティーダとアーヴァインは勿論、ゼルも乗り気になったので、一行の準備物に遊泳用の荷物が加わった。

 かくてその日はやって来て、少年少女は予定通りに駅前に集合し、電車に乗って出発したのであった。




 夏休みの海なんて、何処に行った所で遊泳客で溢れ返っているものだ。
その予想に違わず、目的のリゾートホテルの前にある海にも、沢山の遊泳客が来ていた。
子供連れの家族は勿論、スコール達と同じような、学生の小旅行であろう姿も確認できる。
大きめのバンに色々な荷物を入れ、海岸の砂浜にテントを立てたり、パラソルを立てたり、ビーチチェアを置いて寝そべっていたりと、楽しみ方は様々だ。

 スコール達は、先ずホテルにチェックインして、予約していた部屋に荷物を置いた。
件の無料券を使って予約したのは、十人の団体客が使える一部屋なのだが、これが中で共有リビングと二つのドミトリールームと言う具合に分かれており、色々と気を遣う男女の団体旅行には丁度良いものだった。
何処のベッドを誰が使うか、と言う話は後にしておいて、少年少女は先ず一目散に海へと向かう。

 浜の一角にある海の家が、建物内の一部を更衣室として開放していたので、其処を借りて水着に着替えた。
スコールが着ているのは、白色に花に似せたフリルがあしらわれたホルターネックのタンクトップビキニに、薄水色のラッシュガード。
足元は透明な緑色の花で飾ったビーチサンダルだ。
普段、ダークトーンのマニッシュ系を好んで選ぶ彼女にしては珍しく、女性らしい海辺の装いと言えるだろう。

 それを見た幼馴染の一人であるサイファーは、胡乱な目でスコールを見ながら言った。


「お前がそんなモン持ってるとは思わなかった」
「……俺がどんな水着を持っていようと、あんたに報告するような事じゃないだろ」


 心なしか不機嫌な顔で言うサイファーに、スコールも眉間に皺を寄せながら言った。
それに対し、サイファーはチッと露骨な舌打ちをして、


「ガキの癖に色気づきやがって」
「それ、この間から何度も言ってるけど、何なんだよ」
「言葉通りの意味だ」


 返す言葉に、スコールは益々意味が判らないと唇を尖らせる。
そんな幼馴染の少女の様子に、サイファーはもう一度舌打ちした。

 放っておくとギスギスと言う雰囲気を振り撒く二人に、躊躇なく突進して来るのは、他でもないリノアだ。


「ほらほら、こんな所でケンカしないの。着替えたんだから、早速!あそぼーう!」
「あそぼー!」
「お〜っ!」


 ちゃっかり便乗して一緒に声をあげたのはセルフィとティーダだ。
ティーダは夏休みでも部活に勤しんでいたこともあって、海がよく似合う肌色に焼けている。
浮き輪を持っているセルフィの隣には、普段のトレードマークにしているテンガロンハットを、こんな所でも変わらず被っているアーヴァインがいる。
その後ろではゼルがそわそわとして、キスティスがいつも通りに喧嘩を始めそうなスコールとサイファーに呆れていた。

 渋面のスコールをティーダが、サイファーをリノアが背中を押す。
ビーチサンダルに履き替えた足が連れたって浜を歩き、その歩調がバラバラとずれて行く。


「海だー!」
「うみー!」
「やっほー!」
「こら、ちゃんと準備運動しなきゃ駄目よ!」
「セフィ、日焼け止めは良いのー?」


 泳ぐことが何よりも好きなティーダと、今日のこの日を楽しみにしていたであろうゼルとセルフィが、早速海に向かって走り出す。
それをいつものように諫める声はキスティスだ。
アーヴァインもそれを追って、毎年夏に日焼けに泣いている想い人に声をかける。

 適当に人が少ない場所を見付けて、揃って先ずは準備運動をする。
スコールはそれを怠けない程度に倣った後は、木陰を見付けて其処に座った。


(やっぱり暑い……)


 夏だから当然なのだが、日差しと言い、海や砂浜の照り返しと言い、中々に暑い。
猛暑だ酷暑だと言われている地方に比べるとマシとは言え、近年の平均気温の上昇率と、決してアウトドア気質ではないスコールにとっては、少々堪えるものがある。
そんな中でも、ティーダやゼルは元気に運動しているのだから、彼等と自分の体の構造は何かが根本的に違うのではないかと思う。

 元々インドアな性格をしているスコールであるから、海で遊ぶ事にも、大して積極性は働かない。
リノアを始めとして、セルフィやゼル、ティーダと言った面々が、このメンバーなら折角だから───と海で遊ぶ事を提案しなければ、リノアに引っ張られて水着を買ってくることもなかっただろう。

 木陰でぼんやりと海を眺めるスコールを見付けたリノアが、大きく手を振る。
見えている事だけを示す為に片手を上げて返事をすると、リノアはパレオの裾を翻しながら、スコールの下へと駆け寄った。


「スコールも泳ごうよ!」
「……俺は良い」
「ちょっとだけ。ほらほら」


 リノアがスコールの手を取り、引っ張って歩き出す。
おい、と咎める声で親友を諫めるスコールであったが、それでリノアが遠慮をする筈もなく。
寧ろ、それで解放する事はないと判っていながら、本気で振り払わない所に、スコールのリノアへの寛容と甘えがあった。

 波間で賑やかに遊ぶ少年少女たち。
泳ぎが得意なティーダとゼルが、近くに見える岩の場所まで競争しようと言い出したり、体が冷えれば今度は浜に上がってビーチバレーをしたり。
過ごし慣れた都会から離れ、海と言う非日常を目一杯楽しむ。
時間制限は明日一杯まであるのだが、今楽しいのは今しかないと、何をするにも全力投球であった。

 その輪から程無く外れるのは、やはりスコールである。
泳いだ後、ビーチバレーに二試合参加しているので、彼女にしてはアクティブに過ごした方だろう。
休憩ついでに海の家で飲み物でも調達して来る、と言うスコールに、幼馴染達はめいめい好きなものを注文する。
一人では流石に、と言う量になるのは当然で、リノアとティーダも一緒に向かう事になった。

 その途中、そう言えば、と言ったのはティーダだ。


「今回の旅行、バッツは誘わなくて良かったんスか?」


 自分を通して、気難しいと定評のある幼馴染と知り合い、その恋人となった男の名を出すティーダ。
今回の旅行の計画は、リノアが各人に声をかけるようにと働きかけて人数が膨らんだものではあったが、元々誰を誘うかはスコールに自由な権利があった。
スコールの事が好きで好きで仕方がないバッツなら、アルバイトの予定を変更してでも喜んでついて行きそうなものなのに、というティーダの想像は外れてはいまい。

 しかしスコールは、拗ねたように唇を尖らせる。


「……良いんだ」
「なんで?喧嘩でもした?」


 スコールだって、なんだかんだと言っても、バッツの事が好きなのだ。
青い春真っ盛りな幼馴染達の中で、二人が一番深い仲まで進んでいるのは、バッツだけでなく、彼女の方からもちゃんと心が寄り添っているからに他ならない。
それなのに誘わなくて良いとは、と首を傾げるティーダに、リノアが言った。


「私もね、言ったんだよ、バッツさんは良いのって。折角なんだから、二人きりでもっと豪華な部屋とか泊まっても良いんじゃないって」
「そうっスよねえ」
「でもねー、ほら。今回ってご飯代とかはラグナさんが出してくれてるでしょ」
「うん」
「元々は、交通費とかも出してくれるって話だったし。ってなると、一緒に行く人の人数とか、誰と一緒に行くかは言わない訳にはいかないじゃない」
「……あ〜……」


 段々と合点が行ったのだろう、ティーダが眉尻を下げる。
その傍ら、スコールは傷のある眉間に深い皺を浮かべ、判り易く不機嫌な表情を浮かべていた。

 スコールとバッツの仲を、ラグナが全く知らない訳ではない。
しかし、どれ程の関係に進んでいるかだとか、当然そんな話はしていないし、スコールも言いたくなかった。
バッツはいつかはラグナに挨拶を、とそんな所まで考えてくれているようだが、今すぐにと言う話でもない。
ラグナにとってスコールは、亡き妻が残してくれた唯一無二の愛娘で、まだ蝶よ花よと接していたい願いもあるに違いない。
高校生になっても当分は門限が午後六時だったと言うのが良い証拠だ。
既に恋人の家に泊まる事だって珍しくないのに、何を今更と言われるかも知れないが、スコールがバッツの家に行く時は、必ず父が不在の時だ。
一人暮らしの男の家に、娘が泊まりに行っている事は、多分、恐らく、秘密に出来ている。
────それなのに、大学生の恋人と二人で一泊旅行なんて、流石に看過はしてくれまい。

 若しも同じ事が自分にもあったなら、とティーダは想像する。
ティーダにも同じ年の恋人がいて、此方は今は全くプラトニックな間柄である。
しかし、彼女が自分の家に泊まりにくるとか、二人きりの旅行の計画なんてものが出てきたら、男としてはやはり色々と期待と妄想が膨らんでしまう。
勿論、無体を彼女にするつもりは全くないのだが、存外と男は馬鹿なものだし、変な誤解で彼女やその家族に迷惑をかけたくはなかった。
そう思うと、幾ら良い機会に思えても、恋人と二人きりになるような事は避けるだろう。

 胸中を察した表情を浮かべるティーダの視線に、スコールがちらりと目を遣る。
なんと言ったものかと複雑そうな顔をしている幼馴染に、スコールは一つ溜息を吐いて、前を向く。


「別に、バッツのことをラグナに言いたくなかったとかじゃない。バッツの事だから、どうせアルバイトで夏休みの予定なんて全部埋まってると思ったんだ。実際、そうだったし」


 バッツを誘う事は、スコールの中では、リノアの次に選択肢が上がった位には優先順位の高いものだった。
しかし、天涯孤独の身であるバッツにとって、日々のアルバイトと言うのは、欠かせない生活の種である。
夏休みとなれば何処も書き入れ時で、引く手数多のアルバイターであるバッツにとっても稼ぎ時だ。
まだまだ残る学生生活を卒業まできちんと全うする為にも、貯蓄は余裕を持って蓄えておきたいものだろう。
その予想に違わず、リノアにせがまれる形で、念の為にと連絡を取ってみると、バッツの予定はしっかりかっちりと、夏休み明けまでアルバイトで埋め尽くされていたのだった。


「そんなのでスコール、バッツと逢えてるんスか?」
「……二週間前には逢った」
「やっぱり回数が減ってるじゃん」
「そうなんだよね〜。だから私も、バッツさんと行けばって言ったんだけど。でもやっぱりラグナさんの事考えると、言い辛いのも判るし。私も彼氏が出来たら、パパにそう言う事はあんまり言いたくない気もするなあ」


 年頃の乙女の事情とは、複雑であり、特に身内である男親に対しては、あまり打ち明けたくないものである。
リノアもスコール同様、幼い頃に母を亡くし、男手一つで育てられている。
性格こそ親友の父とは正反対で厳格なものだが、それでも父親なりに大切にしてくれている事は、一応、判っているつもりだ。
しかし、それと恋に纏わる諸々の問題は、全く別物なのである。

 この旅行中、バッツの名前が出てくると、スコールが反射的に不機嫌な顔になってしまうのは、そう言う葛藤があったからだ。
折角なら───と望む気持ちが全くない訳ではないけれど、色々と絡み合う事情を考えると、やはり躊躇われる。
けれども心の奥底に、彼と一緒に来ていたら、と言う細やかな期待も否定できなくて、二進も三進もいかない顔になってしまうのであった。

 話を聞いて、うん、とティーダも納得する。


「判った、バッツの事はもう言わない。今日と明日は、俺達で目一杯楽しむっスよ!」
「……ん」


 朗らかに笑って言ってくれるティーダに、スコールの口元が僅かに緩む。
恋人との淡い期待を否定できなくても、友人達と過ごす今日を残念に思っている訳ではないのだ。
自分だけではまず行こうとは思わなかった海で過ごすのも、存外と楽しく感じる事が出来ている。
そして、一緒に来た仲間達が皆楽しんでくれているなら、スコールも声をかけた甲斐があったと言うものだ。

 更衣室にも使わせて貰った海の家は、昼時のピークを迎えた事もあって、人で溢れていた。
敷地内の飲食スペースがすっかり埋まっているので、テイクアウトにしていく客も多い。


「そう言えばお昼だね。飲み物以外にも何か買っていく?」
「……そうだな」
「焼き蕎麦食べよう!他にも色々あるみたいっスね。えーと、何人分買えば良いかな」


 ひいふう、とティーダが指折り数える傍ら、スコールとリノアは柱に吊るされているメニュー表を取る。
テイクアウトにするなら、と裏側のリストを見ていると、


「あれ?ひょっとして、スコールなのか?」
「……?」


 聞き慣れた、けれど此処でそれを聞く筈のない声に、スコールはそれを空耳だと思った。
心の奥底に隠した、残念に思う心が呼んだ幻聴のような、そんなものだと。
けれども、もう一度「スコール?」と呼ぶ声が聞こえて、まさかと振り返ってみると、


「……バッツ?」
「やっぱりスコールだ!」


 短くて明るい褐色の髪と、人懐こくて爛々と輝く瞳。
はきはきと発生する声に、思わぬハプニングに喜ぶ気持ちを全く隠さないその貌は、確かにスコールの恋人である、バッツ・クラウザーのものだった。

 どうしてこんな所に、と目を丸くするスコールに、変わってそれを訊ねたのはリノアとティーダだ。


「バッツ!なんでこんな所にいるんスか?」
「アルバイトじゃなかったんですか?」


 此方も目を丸くする少年少女に、バッツは見ての通りと言うように両手を広げて井出達を見せる。
其処には、この海の家の看板と同じ、ロゴマークがプリントされたエプロンがあった。


海の家ここのバイトだよ。店長がおれの親父の昔の知り合いで、その好で毎年使って貰ってるんだ」


 その言葉にスコールは、そう言えば海の家でバイトすると言っていた、といつぞやの遣り取りを思い出した。
泊まり込みで食事つきで、ほぼ丸一日を費やす仕事だが、お陰で給金も良いので、毎年働き手として呼んで貰っているのだとか。
と言う話は聞いていたものの、まさかこの海だったとは、スコールも知らなかった。

 スコールが友人たちと海に行く事や、ラグナから貰ったホテルの無料宿泊券については、バッツも聞いている。
しかし、何処のホテルに泊まるかまでは伝えていなかったし、バッツの方も意外な偶然に興奮していた。


「びっくりした、スコールによく似た子がいるなーとは思ったんだよ。そしたら、ティーダもいるだろ。ひょっとしてそうなのかなと思ってさ、本当にスコールで驚いたよ!」
「あ、知ってて此処で働いてた訳じゃないんスね?」
「全然。今日皆と海に行って、ホテルに泊まって、明日帰るって言うのは聞いてたけど。それだけ。働きに来るのも、毎年此処だしな」


 今年に限って此処でアルバイトをしていた訳ではないのだと、そう告げるバッツに、ティーダもまた「偶然っスねぇ」と感心したように言った。

 そんなバッツとティーダの隣で、スコールはリノアの腕を引っ張った。
ン、とリノアが見れば、スコールは親友の影に隠れるように身を寄せている。
ぱちりと目を丸くしたリノアだったが、そっぽを向いた口元が硬く引き結ばれているのを見て、すぐにその仕種の理由を悟った。


「大丈夫だよ。水着のスコール、可愛いよ」
「な……!そんなの俺は別に……!」


 リノアの言葉に、スコールは真っ赤になってリノアを睨んだ。
しかし、リノアはに〜っと笑う。


「折角買ったんだから、ちゃんと見て貰おうよ。ほら、前隠さないで」
「いやだ……!」
「もー、大丈夫だってば!」


 ラッシュガードの前を一番上までしっかり閉めて、防御を固めるスコールに、リノアはそのガードを開こうとする。
スコールはそれを防ごうと、両手でラッシュガードを掴んで身を護る。
日焼けが嫌だからと言う理由でセットで買ったものだったが、此処に来てスコールにとっては最後の砦の如きアイテムとなっていた。

 攻防を繰り広げている少女二人を、バッツとティーダはきょとんと見守っていたが、店の奥からバッツを呼ぶ声がかかった。


「おーい、バッツ!何してるんだ」
「あ。ごめんごめん、直ぐ戻る!」


 店長だろうか、店の奥にある厨房からよく通る声が聞こえた。
海の家の中は満員御礼に繁盛しているが、従業員の数はそう多くはなさそうだった。
バッツは急いで厨房との仕切りとなっているカウンターに駆け寄ると、山盛りの焼き蕎麦とお好み焼きを受け取る。

 カウンターと客席を行ったり来たり、食事や飲み物、時にはビールを運ぶバッツ。
誰が見ても判る忙しい様子に、ティーダが言った。


「あんまり長居すると迷惑になりそうだし。ちゃちゃっと買って戻ろっか」
「……ああ」


 リノアからラッシュガードの守りを貫き、ほっとした顔で頷くスコール。
その隣でリノアは「見せてあげたら良いのに」と唇を尖らせるのだった。





 まさかスコールがいるなんて、バッツは夢にも思っていなかった。

 父の生前から付き合いのある人物は、海岸沿いに居酒屋を経営しており、夏になると海の家を開く。
開店期間は一般的な夏休み一杯としており、避暑にやって来る遊泳客の他、海沿いに店を構えるマリンスポーツショップの店員などがやって来る。
居酒屋でも人気の高い店であるから、海の家でも飯が美味いと評判で、毎年大盛況だ。
昔は店長一人で回していたと聞くが、人が人を呼んだ今となっては、とても手が足りない為、三名ほどのアルバイトを雇う事にしている。
その枠の中に、バッツは毎年加えて貰っているのだ。

 夏休みと言えば、バッツにとっては年末年始に次ぐ稼ぎ時である。
課題は出来るだけ早く、前倒しにして終わらせて、後は只管アルバイトに費やす───と言うのが毎年の通例だった。
長い事雇って貰っているバイト先もそのつもりで、他の仕事との擦り合わせをする事はあるものの、基本的には多めの日数をドンと入れてくれる。
それだけ宛てにされているのはバッツにとっても嬉しい事だが、今年は少々勝手が違った。
何せ、誰より可愛くて愛しい恋人が出来たのだ。
彼女と過ごす時間を確保する為にも、何処かにきちんとした休みは確保しなくてはならない。

 バッツ自身はあまり自覚も思い入れもない事であったが、彼は非常にモテる気質である。
しかし、生来の風来坊ぶりや、自らが人に深く執心する事がなかった為に、これまで誰とも長続きする事なく、バッツの方から積極的に時間を割く事も少なかった。
三ヵ月も続けば長い方だ、と言われるバッツが、今の恋人とはもう半年を過ごしている。
彼女に逢いたいが為に休みを取り、ふらりと出掛けたくなる好奇心を堪え、彼女の笑顔を見る為に努力する。
これまでバッツと付き合った女性たちが見たら、一体何が起きたのかと思うに違いない。
それ程までに、バッツは今の恋人に首ったけなのだ。

 恋人と最近逢ったのは、二週間前のこと。
彼女と過ごす時間を作る為にもぎ取ったオフ日は、残念ながらそれ以降、彼女の都合と合わなかった。
事前に埋められたアルバイトの日取りもさながら、彼女自身は現役高校生で、夏期講習や、受験の話も見えて来る年齢である事も重なり、出来れば勉強時間をちゃんと確保したいと言うこともあって、この夏休み、バッツと彼女の逢瀬の時間は非常に限られている。
毎週のように泊まりに来ていた習慣もしばし途絶える事になり、バッツの心の栄養は少々枯渇気味である。
だが、此処で自分が逢いたいと我儘を言えば、クールに見えて優しい彼女は、どうにか時間を作ろうとするだろう。
彼女を困らせるのはバッツとしても決して本位ではないので、その我儘はぐっと堪えた。
変わりに夜にはこつこつとメールのやり取りをして、素っ気なく見えても実は何度も練り直しているであろう彼女のメール文を見て、淋しさを慰めている。

 その恋人から、夏休みの前に、とあるリゾートホテルの無料宿泊券があるんだが、と連絡を貰った。
わざわざ彼女の方からそんな話をしてくれたと言う事は、バッツと一緒にお泊りありの小旅行に行く事を意識してくれたのだろう。
それはバッツも嬉しかった。
が、話の前提となる、チケットをくれたのが彼女の父である事や、宿泊費以外の旅費は彼が用意してくれると言う話を聞き、流石のバッツも飛び付く足が止まった。
彼女の父とは少なからず顔を合わせた事もあるのだが、恋人関係が何処まで進んでいるかは伝えてはいない。
亡き妻の忘れ形見である娘を溺愛する彼の人に、まだ高校生と言う花の身空である少女が、一泊二日のリゾートホテル旅行に男と二人で行ってきます、なんて卒倒ものだろう。
だから彼女自身も、親友の次にバッツを誘う事は考えたものの、躊躇もあったのだ。
結局メールをくれた訳だが、それは親友の「一回確認だけでもしてみたら?」「旅行の話がある事自体は、伝えておいた方が良いじゃない」と言う後押しがあってのものであった。

 愛しい愛しい彼女と、リゾートホテルで一泊二日。
近くに海もあるから、若しかしたら彼女の水着姿なんてものも見れたかも知れない。
バッツにとってそれはそれは甘い誘惑であったが、前提の話がどうしても乗り越えられなかった。
意気地がない───と言うよりも、元々は父が貰った無料券であるし、それを使うなら一緒に行く相手はちゃんと伝えない訳にはいかないだろう……と言う恋人の気持ちを汲んだものであった。
だから寂しい気持ちはありつつも、同行者としての選択を挙げてくれただけでも嬉しいと思って、仲の良い友達と行って来なよ、と送り出す事にしたのだ。
良ければ後で皆で撮った写真とか見せて欲しいな、とも添えて。
────そんな話を聞いた友人たちからは、よく我慢したな、と随分と感心されたバッツであった。

 恋人とその友人達の小旅行は、夏休みの後半に、と聞いていた。
それならバッツは、思いを馳せつつ、自身は仕事に専念しようと思った。
海の家でのアルバイトを集中して入れて貰ったのもそれが理由だ。
一週間を丸々宛がって貰い、交通費や宿泊費を浮かす為に、夜の警備と言う名目で店舗で寝る場所も確保させて貰った。
彼女と出逢って初めての夏の思い出は、少し寂しいものになる代わりに、此処でしっかりと稼いでおけば、次に彼女と会う時に、日帰り旅行でも、ちょっと高くて美味しいものを食べるでも、何だって選択肢が増やせる。
その為の充電期間だと思う事にした。

 ────だからバッツは驚いたのだ。
毎年の景色と見慣れた繁盛する店の中で、眩しい位に瑞々しい恋人の後姿を見付けたものだから。

 スコールは、いつも学校で一緒にいると言う親友の少女リノアと、バッツと知り合う切っ掛けとなった幼馴染の少年ティーダと一緒にいた。
三人が注文してくれたメニューを手渡しながら、バッツはティーダから、件のリゾートホテルが直ぐ近くにあるのだと教えて貰った。
いつも海の家を利用して宿泊させて貰っていたバッツは、そう言えば大きなホテルもあるな、と言う程度の認識だったのだが、其処が今回の少年少女の宿なのだ。
海の家もリゾートホテルも、全国津々浦々にあるものだろうに、まかさこんな偶然があるとは、誰も予想していなかった。

 しかし、思わぬサプライズに喜んでも、バッツが海に来ているのは遊ぶ為ではない。
海の家の開店時間以外は自由に過ごしているとは言っても、元々働く為に呼ばれているのだ。
どうして此処にいるのか、と言うお互いの確認もそこそこに、バッツは仕事に戻らなくてはならなかった。
彼女たちの昼食になるのであろう、スコール達が注文してくれた山盛りサービスの焼き蕎麦、お好み焼き、焼きおにぎりと、各種ジュースを渡した後は、忙しい店の中できりきり舞いだ。
時折、遠目に遊ぶ若者達の中に、彼女の姿を探してみるのが、バッツの束の間の楽しみであった。

 そして昼のピークを過ぎて、海の家で過ごす客数も落ち着いた頃、バッツは休憩時間を貰った。
どうやら友人が来ていると聞いた店長が、少々気を遣ってくれたらしい。
夕時にまた客足は増えるだろうから、それまでには戻って来てくれ、と言われたバッツは、じゃあ少しだけ───と制服代わりのエプロンを外し、件の少年少女達を探す為に浜に出た。

 恐らくレンタルなのだろう、ビーチパラソルを立てて、彼等は程無く見つかった。


「おーい」
「あ、バッツだ」


 水分補給にスポーツドリンクの蓋を開けていたティーダが、手を振るバッツに気付く。
隣には金髪の小柄な少年と、茶髪の此方も小柄な少女がいる。
確か、名前はゼルとセルフィと言ったか。

 ひらひらと手を振りながら近付いてきたバッツに、少年少女は人懐こい笑みで挨拶する。


「こんちわー」
「スコールの彼氏さんだ。まみむめも〜」
「ども〜。ちょっとお邪魔しますっと」


 ティーダが場所を譲ってくれたので、バッツは有り難くパラソルの下に入らせて貰う。
喉を潤したティーダが、「飲む?」と言ってペットボトルを差し出してくれたので、これも一口貰った。


「まさか此処でバッツと逢うなんて思わなかったっスよ」
「おれもだよ。何処の海に行くのかは聞いてなかったしなあ」


 言いながらバッツは、パラソルの周りをくるりと見回した。
波間の方で、見覚えのある人物が確認できたが、其処に一番探している姿はない。

 うーん、ときょろきょろと忙しなく首を巡らせるバッツに、ティーダが眉尻を下げて行った。


「スコールなら散歩っスよ」
「一人で?」
「うん」
「大丈夫か?危なくない?」


 数時間前に見た、普段よりもずっとラフな格好をしていた恋人を思い浮かべて、バッツは眉根を寄せた。

 この海は各所に監視員も巡回しているので、それなりに治安が良いが、それでも悪い人間がいない訳ではない。
夏の海の解放感を言い訳に、一人で歩いている女性などは格好の的になるもので、バッツも何度か迷惑客を通報した事があった。

 それはティーダ達も判っているのだろう、三人は眉尻を下げて、


「心配してない訳じゃないけど、人酔いもしてるみたいでさ。ビーチバレーと競争で疲れたのもあるだろうけど」
「ああいう子やからね〜。誰かと一緒におったら、変なトコで気を遣っちゃうだろうから、ちょっとそっとしといてあげようって」
「あー……成程なぁ」


 目立つ場所にある傷痕や、平時は専ら眉間に皺を寄せている事もあって、近付き難いと思われ勝ちなスコールだが、本当は繊細なのだ。
誰かの迷惑になること、誰かに手を煩わせる事は極端に苦手としており、人と一緒にいる程、なんでもない風を装おうとする。
だからスコールがちゃんと休憩する為には、一人きりになれる時間が必要なのだ。
幼馴染達は、そんなスコールの事をちゃんと理解している。

 とは言え、いつまでも放っておくつもりもないようで、


「タイミング見て、リノアかサイファーあたりが迎えに行くと思うぜ。サイファーなんか特に放っておかないだろうし」
(サイファーって確か……)


 ゼルの言葉に、バッツは海辺へと視線を移す。
一頻り遊んで疲れているのか、雑談タイムなのか、四人の少年少女は一所に固まって話をしているようだった。
其処にいる金髪の青年が、スコールが物心がついた頃から付き合いがあると言う、サイファー・アルマシーだ。

 バッツがサイファーと初めて会ってから、まだそれ程時間は経っていない。
反りが合わないだろうから逢わせない方が良い、と判断していたスコールが、バッツと自分の付き合いを秘密にしていたからだ。
その予測は当たっており、更にサイファーにしてみると、「俺に黙って何処の馬の骨と」と言う理由も追加して、バッツは彼に目の敵にされている節がある。
それについては、スコールの恋人として、聊か複雑な感情も覚えなくはないバッツであったが、サイファーが幼馴染の少女をまるで保護者のように大事にしているのは感じられたから、睨まれる位は受け止めようと思っている。

 そんなサイファーであるから、確かに一人でふらりと休憩に行ったスコールを放っておくことはしないだろう。
また、スコールの方も、サイファーがそう言う行動に出る事を、なんとなく予測しているだろう───とは幼馴染達の弁。
顔を合わせて口を開けば喧嘩をするような間柄でも、それ位に二人の距離は近しいと言う事なのだ。

 それを思うと、バッツとしてはやはり、今ここでじっとしている訳にはいくまい。


「な。スコール、どっち行ったんだ?」


 元々、バッツが休憩を貰った目的はそれなのだ。
その内戻ってくるだろうとは言っても、それまで此処でのんびりと待つだけと言うのは、余りにも勿体無い。

 バッツの問いに、ティーダ達は顔を見合わせる。
ゼルが言って良いものかと悩む表情を浮かべる傍ら、


「うちらが見た時はあっちに行ったよ〜」
「遊歩道の方じゃないかな。あんまり遠くまでは行かないと思うっスよ」
「ありがと!あ、折角だからコレ、かき氷サービス券な」
「やったー!」


 無邪気に喜ぶセルフィに、海の家で使える手作りのチケットを渡して、バッツはパラソルを離れた。
行ってらっしゃーい、と手を振ってくれる少女と、「大丈夫か?」と首を捻るゼルを宥めるティーダに感謝して、バッツは軽やかに砂浜を蹴る。

 海岸沿いに伸びる遊歩道に沿って行き、遊泳客の声が少し遠く聞こえる所まで来て、バッツは走る脚を緩めた。
管理された遊泳場とは距離が開いて、浜の岩場にぽつぽつと釣り人の姿がある。
それも通り過ぎて行くと、海岸と遊歩道を繋ぐ階段が一つ。
その階段下から、遊泳場とは反対に進んで行く足跡が一つ。

 バッツはその足跡を追った。
程無く、岩の目立つ浜辺の波打ち際に、一人の少女がぼんやりと佇んでいるのを見付けた。
一人でこんな所まで、とその無防備さに少々呆れつつ、


「スコール!」
「……!」


 いつものように名前を呼べば、スコールははっとしたように肩を揺らした後、振り返った。
蒼の瞳を真ん丸にして、驚いたと言う表情に、バッツはにっかりと笑いかける。


「こんな所にいたんだな。ちょっと探しちゃった」
「……なんであんたが……」
「休憩貰ったから、折角だし、スコールに逢いたいなと思ってさ」


 バッツの言葉に、スコールの頬がふわりと赤くなる。
直ぐにそれを自覚したようで、スコールはそっぽを向いて、「バカじゃないのか」と呟いた。
が、緩く結った髪の隙間から、赤くなった耳が覗いている。

 存外と判り易い年下の恋人に、可愛いなあと目尻を下げつつ、バッツはその隣に並ぶ。


「ティーダ達のとこに行ったら、スコールがいなくてさ。何処にいるかなって聞いたら、こっちの方じゃないかーって教えて貰ったから、探しに来てみたんだ」
「……わざわざ其処までしなくたって。その内戻るのに」
「いつ戻るか決めてた?」
「……決めてはいない。でも、どうせサイファーあたりが探しに来るだろうし、煩くなるからその前には戻ろうとは思ってた」
「じゃあその前に探しに来て良かったな」


 バッツの言葉に、スコールはぱちりと瞬きを一つ。
どういう意味だ、と視線を向けてる彼女は、バッツの恋人として複雑な胸中は判らないのだろう。
人付き合いが得意ではなく、恋人なんてバッツが初めてだと言うから、無理もない。


「だってほら。あっちに戻ったら、スコールを一人占め出来ないだろ?」
「……そん、な…事は」
「ティーダもいるし、リノアちゃんもいるし。サイファーも一緒だしなぁ。おれがスコールを一人占めしたら、きっと怒られるよ」


 ティーダやリノアは、恋人同士なのだからとバッツを優先してくれるかも知れない。
だが、サイファーは恐らく許してはくれないだろうと、バッツは思う。
まだまだスコールとの仲を許して貰える程、バッツは彼と親しくはなかったし、恐らくこれから親しくなる事もないだろう。
スコールが距離の近さを許す人物である程、バッツの複雑な男心は騒いでしまうのだから、こればかりは仕方がない。

 だが、良くも悪くも他者から向けられる感情に鈍いスコールは、まるで自分の取り合いが起きるかのような事を言うバッツに、不思議そうに首を傾げるばかりだ。
そんな所も可愛いんだよな、と痘痕も笑窪な事を考えつつ、バッツはスコールの格好に目を向ける。


「なあ、今着てるのって、水着?」
「!」


 バッツの言葉に、スコールははっと顔を赤くして、ラッシュガードの前を掴む。
上までしっかり閉じているので、ガードは相変わらず固いのだが、バッツに言われた事で、その下にあるものを意識したのだろう。
裾を引っ張って下部まで隠そうとする仕草に、バッツの男の好奇心がむくむくと膨らむ。


「見たいな、スコールの水着。初めてだし」
「見……る、ものでも、ないだろ。別に」
「でも見たいんだよ」
「面白いものでもないし……」
「絶対可愛いから見たい」
「……かわいくない」


 じり、とスコールの足が後ろに下がる。
が、思うほどに下がる前にその足は止まり、バッツが近付いても逃げようとはしなかった。
そうっとバッツが手を伸ばし、ラッシュガードの前を掴む手を捕まえると、意外にすんなりと抵抗の力が抜ける。
一番上まで引き締めているファスナーを摘まんで、スコールの表情をちらと見ると、少女は赤い顔で口を噤んでじっとバッツの手を見詰めていた。


「良い?」
「………」


 確かめてみると、蒼い宝石が上目にバッツを見遣る。
彼女は頷く事も、首を横に振る事もしなかったが、振り払われないのが返事だと思う事にした。