海に浮く蓮
スコール in FF7R2


 ミッドガルを離れてから、一月二月は経っているだろうか。

 上から下まで広大な土地に拡がっていた、まるで無限にも思える土地を埋め尽くしていた沢山のビルや人々は、世界から見るとほんの小さな一画でしかなかった。
今や生まれてから死ぬまで、一歩と都市外に出る必要もなく人生を終える住人もごまんといるだろうに、それ以上に、ミッドガルに一歩も踏み入れることなく一生を終える人もいる。
ただ、何処の世界に言っても、魔晄と言う恩恵だけは切り離すことが難しいようだ。

 大逃亡の大脱出、まるで映画のクライマックスのような出来事と、その直後に起こった奇妙な出来事。
何かを知っているような、何処かぼやけたような仲間の言葉。
渦巻く情報は何もかもが断片的で、脳処理が追い付かない。
だが、それでも、世界が地平水平の向こうまで続く程に拡がったことだけは理解した。

 チョコボを駆り、沼地を抜け、山のように巨大な蛇を打ち倒し、もう随分昔に萎びた廃坑を潜る。
穴ぐらを抜けた先に何があるのかは、頭の中でぼんやりと描く地図の上でしか想像も働かなかったが、幸いと言うべきなのか、道標代わりのものは其処にあった。
宛にするには余りに不気味な道標だが、他に目標に出来そうなものもない。
それが廃坑の奥へ奥へ、その向こうへ向こうへと進もうとしているのなら、自分達も行くしかないのだろう。

 そうして真っ暗な穴ぐらを潜り抜けた先には、この世界の第二の都市と言っても良いだろう、海洋都市ジュノンがあった。

 ミッドガルが魔晄とそれを商材とする神羅カンパニーの恩恵を直に受けて発展した都市なら、ジュノンは神羅カンパニーの方針によって発達した要塞都市だ。
元々は漁業が盛んな漁師町であったと言うが、その漁師町を覆う形で建設された鉄製の鎧と、大陸間を横断する程の飛距離を持つ大砲が、今のジュノンのシンボルである。
そもそもが何故この都市が要塞として発展したのかと言えば、先達て死亡した新羅カンパニーの前社長プレシデント神羅の方針───魔晄エネルギーをあらゆる分野に利用する為、その資源たる魔晄の世界規模の採掘───と、それを当地で行うことに反対姿勢を取るウータイ国との衝突が、大きな理由のひとつとして挙げられる。
つまり世界的経済を担う一会社と、古くから土地の文化風習に根付いて歴史を繋いできた一国との、戦争だ。
いつの世も、戦が最も技術の発展を促すもので、ウータイとの戦争が続くにつれ、魔晄エネルギーの研究によって発達した神羅カンパニーの科学技術の恩恵として、戦時防衛線として作られたジュノンが発展するに至ったのである。

 クラウドたちが旅の道標と定めた、黒マントに身を包んだ男たちは、皆ジュノンへと向かっていた。
だが、彼らの目的地は、どうやら更に海の向こうにあるらしい。
海辺に辿り着いた黒マントの男たちが、一人、また一人と海の中へと入って行くものだから驚いた。
やっている事はまるで入水自殺で、見ていられないと、存外とお人好しなバレットが止めようともしたが、やはり彼らに他人の声は聞こえていない。
彼らは意味不明な音を零し、尚も海の向こうを目指そうとする。
一体何が其処まで彼らを突き動かしているのか────まるで何かに操られているようにも見える彼らの目的を知る為には、一行も海の向こうに渡る手段を探すしかなかった。

 平時ならば、海洋都市ジュノンからは、いくつかの定期便が動いている。
主には神羅カンパニー御用達のリゾートである、コスタ・デル・ソルへの船だ。
これに乗るには、ジュノンの上層区画に移動して、客船が停泊する港へと出なくてはならないのだが、色々な要因が重なって、これが簡単にはいかなかった。
上層と下層を繋ぐエレベーターが使用停止になっていたり、その理由として神羅カンパニーの新社長就任を祝うパレードが予定されていたり。
しかし此処でいつまでもモタモタしてはいられないと、エレベーターを使わずに上層に行き、尚且つ指名手配状態である(何せ神羅カンパニー本社ビルで大暴れをした後なのだ。色々と不可抗力な上、前社長暗殺事件については全く潔白だが、正規でない侵入と、拘束からの脱走、更に諸々の設備を破壊・強奪したのは事実なので、ぐうの音も出ない)故に、身分を偽装しての潜入作戦が決行された。
嘗て神羅カンパニーに身を置いていたクラウドの経験が、まさかこんな所で活かされるとは────と言う話は置いておいて。
思わぬ出来事は幾つも重なり、結局は大変な大騒動となってしまったのだが、最終的には、目的のコスタ・デル・ソル行きの船に乗り込むことは成功したのだった。

 一介の神羅兵のふりをして乗り込んだ客船は、それなりに豪華な造りのもので、一等客室には神羅カンパニーの幹部クラスのお偉方を始めとして、投資家や一流企業の何某などが泊まっているらしい。
彼らは十戸ほどある個室をそれぞれ貸し切り、悠々自適な海の旅だ。
クラウドたちはと言えば、そもそもが密航している訳だから、他の一般客に紛れて二等客室だ。
此方は沢山の旅客と一緒くたの団子部屋で、荷物置き場も特には定められておらずゴチャゴチャ、ベッド代わりのハンモックも人数分がある訳でもない。
ハンモックは早い者勝ちで所有権を主張した者が使うものとなり、他は手持ちの荷物や貸し出し品の毛布に包まって床で寝る。
下手に暴れたり文句をつけたりして、警備員に目をつけられたら、倉庫にでも放り込まれる事だろう───どうも黒マントの男たちがそう言う目に遭っているらしいが、此方は不審者として海に投げられないだけ幸いなのかも知れない。
ともかく、そう言う、比較的優しい環境のお陰で、クラウドたちも当面はのんびりとした船旅に過ごすこととなった。

 ジュノンからコスタ・デル・ソルまでは、海の具合も多少影響はあるものの、一昼夜あれば到着する。
その間、乗船客は思い思いに一日を過ごすものであったが、その最中、とある催しが船上で開催された。

 昨今、世の中では、クイーンズ・ブラッドと言うボードゲームが流行っているらしい。
ミッドガルにいた頃、クラウドは触れた記憶がないのだが、あそこは良くも悪くも広大な街内だけで何もかもが完結しているから、外の流行の流れが途切れているのかも知れない。

 カームの街で初めて知ったそれを、クラウドは存外と気に入っていた。
行く先々で出会うカードバトラーとバトル───バウトを行い、勝った負けたを繰り返し、勝利の暁には相手の持ちカードを戴く事もあった。
店先で売られているカードパックも回収して行けば、いつの間にやらそれなりのデッキが組めるようにもなった。
戦術も考えられるようになったので、初心者の域は脱したと言って良いだろう。

 このクイーンズ・ブラッドの大会が、コスタ・デル・ソルへ向かう船の上で開催された。
参加は客の自由意思だったが、それならば折角だから腕試しをしても良いだろう。
何せ船の上はのんびりとしており、悠々としたものであったが、それだけに時間を持て余す。
ジュノンで中々の規模の騒ぎの後だったから、どうにか其処から抜け出せたと言うこともあり、気を抜きたかったのもある。
其処にこの娯楽は丁度良かった訳だ。

 結果として、クラウドはこの大会を見事制した。
最後に戦った人物は相当の強者で、クラウドも危うい場面はあったが、結果的には運が味方をしてくれたと言って良いだろう。
仲間達とも手合わせすることが出来て───レッドXIIIがまさかあんな形で参加しているとは思いも寄らなかったので、あれに関しては色々と突っ込みどころで気が散って、別の意味で勝負が危うかった───、思いも寄らぬ楽しさを満喫した形となった。

 祝福の声に興奮も冷めやらぬ内に、クイーンズ・ブラッド大会は幕が引かれ、旅客はそれぞれの寝床へ向かう。
クラウドも仲間達と同様、それぞれの船室へと移動して、適当に作った寝床に身を任せることにした。

 ────のだが、中々睡魔はやってこない。
ゆらりゆらりと船体の揺れに合わせて緩やかに触れるハンモックの中で、クラウドは高い天井を見上げていた。
二等客室の消灯時間はとっくに過ぎており、天井に取り付けられた蛍光灯は沈黙している。
客室内はちらほらと人の話し声が零れて来るものの、殆どの乗客は夢の中にいた。
ぐぉお、ぐぉお、と近い位置から聞こえる豪快な鼾は、バレットのものだろう。
今更それが気になって眠れない、などと繊細な神経ではない事は自覚しているので、クラウドが眠れないのは、ただただ先の興奮がまだ脳に残っているからだ。

 このままじっとしていても、すんなりと眠れる気がしなかったので、クラウドは起き上がる事にした。
ハンモックの下で丸くなっていたレッドXIIIの尻尾をうっかり踏まないように注意して、その後も雑魚寝をしている人々を蹴らないように、出来るだけ静かにその場を離れる。
武器の携帯だけは忘れなかった。
船の中で何が起きるとも思ってはいないが、一応、指名手配の身なのだ。
うっかりそれが露見すれば、トラブルになるのは分かっていたし、それで暴れれば尚更獄行き不可避であろうが、そうなったとしても大人しく捕まる訳にもいかなかった。
身を護る為の道具は、こんな平和な海の上でも、忘れないようにしなくては。

 取り合えず夜風にでも当たってみようと、甲板へ出る。
大会が開催されていた昼から夕方までは、何処に行っても絶えなかった人の気配だが、今は流石に静かだ。
夜の海を背景にラウンジで飲みたいと、しっぽり過ごす旅客がちらほらといる程度。
子供はとうの昔に寝る時間なので、此処から先は大人だけが楽しめる時間と言う訳だ。

 其処に一人で佇んでいると言うのも、なんとも空しい光景かと思ったが、存外と悪くない。
ミッドガルを後にしてから───いや、それ以前から、こうして一人になる時間と言うのは、幾らあっただろうか。
何か大きなうねりに押し流されるようにして、流れ流れて此処まで来た中、常に周囲には仲間の存在があった。
決して道行が楽ではなかったことを考えれば、それは弄うばかりのものではなく、寧ろ有難いものであったことも肌身で感じている。
それをわざわざ皆の前で口にするには、色々と個人的感情が邪魔をするものであったが。

 一人で夜の海を眺めているのは、何もクラウドだけではなかった。
一人旅か、或いは一人になってしまった旅かは知らないが、男が二人、女が一人、それぞれ全く違う方向の海を見て黄昏ている。
あれがお仲間と言う訳ではないが、ラウンジでパートナーとカクテルグラスを傾けている者ばかりではなかったと言うことに、ちょっとした安心感を覚えていた。


(しかし、このままただぼうっとしているのもな。酒の一杯くらい引っ掛けた方が眠れるか?)


 睡魔が来るまで、此処で無為に時間を費やしていると言うのも、如何なものか。
寝れるなら寝た方が時間は有効的に過ぎてくれるし、長く起きているメリットも大してない。

 ラウンジのメニュー看板に綴られているもので、一番安いアルコールで800ギル。
二等客室の乗船客をターゲットにした金額のそれは、恐らく一般流通している酒の値段で言えば少々割高なのだろうが、船の上の非日常で飲むと言う箔を足せば、そんなものなのだろう。
これが嫌なら、通路階段の所にある自販機で、缶ビールでも買えば良い。

 取り合えず、適当に何か頼んでみようと、クラウドは甲板ラウンジのカウンターへ向かう事にした。
適当に何か一杯、ついでにつまみにチップスでも頼もうか。
小銭程度なら、ポケットを探れば入っている───そう考えていると、


「……?」


 何やら、旋毛の辺りにムズムズとしたものを感じて、クラウドは顔を上げる。
見上げた先には、広い甲板の上、二階デッキの縁から此方を見下ろしている影がある。
何処かムーディな雰囲気を壊さないように、オレンジ色の照明を心持ち絞った電球を背にして、デッキ縁に寄り掛かっている細身の人物。
逆光になってその表情をはっきりと読むことは出来なかったが、それでも、緩く細められた蒼灰色がクラウドをじっと見つめていることは分かった。


(あれは────)


 立ち尽くすクラウドを、蒼はじいっと見つめている。
小さくその頭部が傾いて、光の反射を零した髪色が、チョコレートのような濃茶色をしている事に気付く。

 海の向こうから流れて来る風を受けて、肩に羽織ったケープがひらひらと揺れている。
蒼の持ち主は、それをひらりと翻して、デッキの奥へと消えてしまった。


「あ」


 思わず声が零れたクラウドだったが、見上げた先にはもう誰もいない。

 足が誘われるようにして、勝手に二階の展望デッキへの階段を上っていた。
夕方に大会の決勝戦を交わした其処に、今はテーブル席がそれぞれ距離を開けて三つ、うち一つは男女一組が座っている。
他のテーブルは、ひとつにはグラスが一本あったものの、椅子は空。
利用者は既に此処を立ち去ったのだろう。

 二階デッキは一等客室から直に出入りできるようになっていたが、一等客室へは、通路も含めて夜間規制が設けられていた。
二等客室の消灯時間が過ぎた今、一等客室へ出入りできるのは、其処を使って良い権利を持つものだけ。
金持ち以外はお呼びでないとばかりに、見張り役の添乗員がドアの前を塞いでいた。

 今し方、階段の下で見た人物が立ち去ったのなら、あの扉の奥にいるのだろう。
生憎、クラウドはその先へ行く権利を持っていない。


「………」


 ふう、と溜息を吐いて、クラウドは階段を下りて元居た場所へと戻った。
当初の予定通り、安いアルコールを一杯頼み、片手にそれだけを持って船内ラウンジに入る。
適当な席を取ってちびちびと飲んでいると、昼間、クイーンズ・ブラッド大会でクラウドと勝負した選手の姿がちらほらと見掛けられた。
敗者たちはカードデッキの構築を考えるのに集中しているようで、大会優勝者が同じ空間にいることに気付いていないようだ。


(俺もカードを持ってくれば良かった。暇潰しくらいにはなったのに)


 ふらりと寝床を出て来ただけだから、武器以外に何も持たなかった。
かと言って、今から取りに行って、またこの席に戻ってくると言うのも面倒だ。
グラス一杯を空にしたら、もう部屋に戻って、寝るつもりで目を閉じることにしよう。

 結局摘まみも頼まなかったものだから、グラスは幾らゆっくり傾けても、十分と経たず空になった。
溶け切らなかった小さな氷だけが残ったグラスを返却して、ラウンジを後にする。
アルコールで誘引される睡魔が逃げない内に、さっさと寝る体勢になろうと、二等客室への階段を下りようとして、ラウンジ出入口の横にこれ見よがしと立っている人物と目が合った。


「────スコール?」


 以前に聞いてから、何度となくシーツの中で呼び耽った名を口にすれば、蒼灰色がうっすらと細められた。
何処か人を小馬鹿にしたようにも見える酷薄な笑みで、線の細いシルエットの青年───スコールは言った。


「1stの癖に二等客室(エコノミー)か。新社長は、社員のバカンスに旅費は出してくれないのか?」
「……“元”だからな。残念ながら、全部自費だ」


 本当はこの船旅に自費すら出してはいないのだが、それをうっかり口にしたが最後、密航の罪でお縄である。
そんなクラウドの、無難にした返しに、スコールはそう言えばそうだったと肩を竦めた。


「馬鹿みたいに羽振りが良かったから忘れてた。そう言えば、あんたはただの自営業だったか」
「そう言う事だ」
「しばらく呼ばれないから何をしているのかと思ってたけど、こんな所で顔を見るとは思わなかった。スラムのなんでも屋は辞めたのか?」
「……そう言うつもりもないが、結果的にはそうだな」


 レジスタンス・アバランチに剣客として雇われ、ミッドガルの七番街スラムを拠点に、しばらく“何でも屋”として日銭を稼いでいた日々。
今にして思えば、ほんの束の間の出来事であったが、その間、クラウドは日々あくせくと働いては、貯めた金を目の前の青年───スコールに注ぎ込んでいた。

 スコールはミッドガルのスラムで贔屓にされる、高級娼婦だ。
クラウドは、とある依頼の報酬金の代わりに紹介を渡され、以来、どっぷりと浸かってしまった。
七番街スラムで生活するに辺り、持っていれば一月は食っていけると言う金額を、一晩で持って行くのがスコールだ。
その話の通り、彼の体は何処も彼処も蠱惑的で、貪る程に雄を虜にして已まない。
その手の経験が初めてだったクラウドにとって、これほど甘美で離し難い美毒はなく、七番街スラムにいる間に何度も呼びつけた。
夜半から空が白むまでセックスをするクラウドに、スコールは「疲れる」「最悪の客」「最低の絶倫」と中々に辛辣に詰ってくれたが、それでも呼べば毎回来た。
何せ“元ソルジャー1st”と肩書の知れたクラウドが呼ぶ訳だから、胴元はその金払いに味を占め、クラウドを上客として優先的にスコールを寄越してくれたのだ。
ついでに、スコール曰く「あんたを怖がって他の客の指名がなくなった」との事らしく、スコールとしてもクラウドから搾り取らねば元が取れないと思ったらしい。
そしてクラウドの方も、金がなければスコールを呼べない訳だから、毎日一所懸命に働いた。
それで幾らの金が流れて行ったか、クラウドは最早覚えていない。

 そんなスラム街の高級娼婦であるスコールが、どうしてコスタ・デル・ソル行きの客船なんてものに乗っているのだろうか。
クラウドが疑問に頭を埋めながらじっと見つめていると、スコールは微かに眉根を寄せたが、かと思った時には色の薄い唇に緩やかな笑みを浮かべていた。
七番街スラムの狭くて暗いアパートの中、ベッドの中で何度となく見た表情だ。
それを見た瞬間、ぞくんとしたものがクラウドの背中を駆け抜けた。


「……あんた、時間は?」


 スコールがクラウドの顔を覗き込むようにして言った。
身長はそれ程変わらないのに───よくよく確かめれば、彼の方がほんの僅かに高いくらいだ───、それをわざわざ、上目遣いにして此方を見ている。
それが何を意味しているのか、クラウドも経験としてよく知っていた。


「……予定の縛りはない」
「一人?」
「仲間がいる」
「じゃあ駄目だな」


 残念、とスコールは随分と諦め良く言った。
しかし、クラウドは首を横に振る。


「全員寝てる」
「つまり?」
「特に問題はない」


 クラウドがこれから、何処に行こうと、何をしようと。
添乗員を殴ってトラブルでも起こすような真似にならなければ、クラウドの行動は自由だ。

 ふうん、とスコールは気のない風の反応を見せたが、


「まあ良い。俺も退屈してる」


 そう言って、スコールは壁に預けていた背を伸ばした。

 ラウンジを出て行く彼の後を追う。
スコールは、当たり前に通路階段を上って行き、一等客室へと繋がる扉の前で、添乗員に声をかけている。
それを追ってクラウドが階段を上っている内に、扉が開けられて、スコールは其処を潜った。
閉じられないまま待機している扉をクラウドも潜り、ぎぃい、と金属の擦れる音を立てながら扉が閉まる音を背中に聞いた。

 一等客室のあるラグジュアリーフロアは、クイーンズ・ブラッドの大会が開催される前、ほんの少しだけ横目に見た。
其処は通路だけでも二等客室と違って華やかで、足元には赤い絨毯が敷かれ、歩く足音を無遠慮に響かせる事もない。
客室は全て個室、扉には鍵が備えられているから、きちんと施錠して置けば、他人が入ってくる事もない、完全なプライベート空間だ。
壁もそれなりに厚みがあるようで、話し声が漏れて来ることもないだろう。
通路の奥には警備要員として添乗員が配置されており、万が一にも不審な人物が入ってきたら、即アラートが鳴るに違いない。

 二等客室のあるエコノミーフロアは、消灯時間を過ぎると、通路も含めて電気が消されていたが、此方は煌々と明るかった。
お陰でクラウドは、自分の井出達が如何にこの空間にそぐわないかを自覚する。
本来ならばスーツなりドレスなり、それなりに小奇麗な格好をしている者しか入れない場所なのだろう。
目の前を歩く青年も、カジュアルな格好ではあるものの、シミ一つないケープと白いカーディガンを身に着けて、スラムで見た姿と比べると随分と垢抜けていた。


(……と言うよりは、売る場所に合わせて格好を変えていた、と言った所か?)


 そもそもスコールは、主にはスラムで体を売っていたが、もっと上の客を取る事もあったとか。
スラムで“上”と言ったら、六番街のウォールマーケットを牛耳るドン・コルネオのような立場を指すのが殆どだが、ミッドガル全体での“上”となれば、上層プレートで生活をしている上流階級の者を指す。
それには神羅カンパニーの要職に就いている者も含まれ、それに呼ばれたとなれば、赴く先が高級ホテルの場合もあるだろう。
そんな所に、スラム街で見たような、重くやぼったい外套を羽織って向かう訳にもいくまい。
女ならばそれなりに着飾って行くだろうから、スコールも客に合わせて幾らかの衣装を持っていても可笑しくはなかった。
逆にスラムでそんな上等で身綺麗な格好をしていたら、危ない輩に目をつけられて、追剥に遭うことも有り得る。

 スコールはカーディガンのポケットに入れていた鍵を取り出した。
『1-08』と番号プレートが釘打たれたドアを開けると、其処は船の中の一部屋とは思えない程に広い。
クラウドたちが寝床にしている二等客室の一部屋と比べると、面積こそ半分ほどではあるものの、天井が高く、メゾネットで二階まで付いている。
窓は大きく、日中ならば海原が広く眺めることが出来るだろう。
それを眺める為と言わんばかりに、革張りのソファとテーブルが備えられていた。
しかし一等目を引くのは、部屋の真ん中にドンと据えられた、キングサイズのベッドだ。
凝った装飾のベッドヘッドに、レースが施されたシルクのシーツが使われ、これが部屋の主役と言わんばかり。
流石に天蓋はなかったが、あっても違和感はないだろう。


「……これは……」
「贅沢だろう?馬鹿みたいだ」


 二等客室とは比べるべくもない光景に、クラウドは思わず言葉を失った。
それを揶揄うように言ったスコールの声は、薄い弧を描く口元に反して、随分と冷めている。

 クラウドはきょろきょろと見回しながら、


「此処を一人で使っているのか。お前も随分、羽振りが良いんだな」


 独り占めをするには、余りに広すぎる空間だ。
自分だったら絶対に、部屋の隅でぽつんと座って、他の何処にも手を付けないに違いない。
自分が存外とちっぽけな小市民であることを自覚しているクラウドは、そう思う。

 スコールはと言えば、勝手知ったる空間とばかりに、ソファにぼすっと体を沈め、


「別に、一人で使うつもりで来た訳じゃない。客が一緒の筈だった」
「……“筈だった”?」


 どういう意味だと問うクラウドに、スコールはテーブルに置かれたステンレスの灰皿をつんつんとつつきながら答える。


「ミッドガルが変な嵐の所為で、あちこちめちゃくちゃになったのは知ってるのか。その前にあった、七番街の上のプレートが落ちて来たこととか」
「……ああ」


 知っているも何も、とクラウドは視線を逸らしながら頷く。


「あれのお陰で、七番街だけじゃなく、ウォールマーケットもぐちゃぐちゃだ。ドン・コルネオも、何かやらかしでもしたのか、行方を晦ませているって言うし。神羅カンパニーも、その下請けも、端から端まで、ミッドガル全体の警備強化だの修復作業だのに駆り出されてる」
「……」
「うちの仕事は別にそれとは関係ないけど、とにかく物騒だからな。スラムの周りじゃ火事場泥棒も増えているし。だから、しばらくミッドガルから離れて安全な所に来いって言われたんだ」
「言われた?誰に」
「身内」


 思わぬ情報が齎されて、クラウドは目を瞠る。
この青年に、そう呼べるだけの気の知れた存在がいたのか、と。

 スコールはそんなクラウドに構うことなく続けた。


「脛を齧るのは嫌だったけど、客の数も減ってるし、仕方がないから行くことにした。胴元は渋ったけど、退職金に使えって寄越された金を渡したら、まあ納得した」
(退職する側が金を払うものか?……要は手切れ金か。見込めた筈の稼ぎの代わりにってことか)
「旅費は自分で用意しても良かったけど、ミッドガルを離れるんだと客に言ったら、そいつが出してくれる話になった。この部屋はそいつが予約したものだから、本当ならそいつと一緒に優雅(ヽヽ)な船旅をしてる筈だったんだ」


 客船の一等室で、高級娼婦を侍らせての船旅。
つまりはその間、スコールはその男と共に、この部屋でねんごろにしている予定だったのだろう。
────しかし。


「出発間際になって、そいつが船に乗れなくなった。何せそいつ、神羅カンパニーの警備部門の偉い奴だったらしくて。ジュノンで新社長の就任式典があっただろ、あれ自体はシフトで免れたらしいけど、式典中の大騒ぎの方で駆り出される羽目になったんだ。偶々近くにいたから、増員に加われって」
「それは、その────災難なことだな」
「全くだ。お陰で俺は一人で寂しい思いをしてる」


 そう言ったスコールの口元は、言葉とは裏腹に、手に入れた自由を思う存分満喫しているものだった。
何せ、同伴する筈だった相手が仕事の都合で寸前に同行できなくなり、しかし乗船チケットが破棄されることはなく、自分一人で広々とした一等客室を占領できるのだから、これぞ“優雅な船旅”と言える。

 スコールは上等な革ソファに寝そべって、未だに立ったまま話を聞いているクラウドを見た。


「それで、あんたの方はなんでこんな所にいるんだ。ミッドガルに見切りをつけて、コスタ・デル・ソルででも開業するのか」


 問いながら、スコールは然程興味のなさそうな表情を浮かべている。
退屈を持て余し、それを誤魔化す為の会話に過ぎないのだろう。

 ソファを立って、立派な冷蔵庫を開けて中を物色しているスコールに、クラウドは淡々と答えた。


「ミッドガルを出たのは、まあ、成り行きではあるが、色々と目的が出来たんだ。この船に乗ったのも、その為だ。別に他所でなんでも屋をやろうと思ってる訳じゃない」


 旅の目的、その道標のことなど、この青年に話す意味もない。
セフィロスの事や、それを見付ける為に辿っている黒マントの男たちの足跡など、傍目に見て理解できるものでもないだろう。

 詳しい事は靄に伏せたクラウドに、スコールは僅かに腑に落ちない表情を浮かべたが、それも一瞬のみであった。
ふぅん、と特に気に留めた様子もなく言って、冷蔵庫から出した飲み物をグラスに注いでいる。
それをクラウドに勧める、等と言う訳もなく、スコールはグラス片手にソファに戻って、それを口へと運んだ。


「じゃあ、この船に乗れて良かったな。あんな騒ぎの後じゃ、当分は定期便の運航も停まるだろうし」
「……そうだな」


 スコールの言う通り、就任式典のあれだけの騒ぎの中、この定期便が無事に出港したのは幸いだった。
それにクラウド達全員が乗り込むことが出来たのも。
もしも船の出港が寸前で翻されていれば、今頃両手が後ろに回っていても可笑しくない。

 ────それで、とスコールが言った。


「何処に行くんだか知らないが、その前に船の上でゲーム大会に参加してるなんて、あんた、随分余裕があるんだな」
「……見てたのか」
「其処のテレビで船内中継してた」


 スコールが備え付けの壁付け液晶テレビを指差す。
そう言えば、船内アナウンスがあちこちでのバウトの様子を実況していたし、有線ケーブルを引いたテレビカメラを抱えたスタッフもいた気がする。
クラウドもバウト中のテーブルを撮影された記憶があった。
一等客室の客ならば、人が集まる甲板やラウンジに足を運ばなくても、これで大会の様子を観戦できたと言うわけだ。

 と、スコールが空になったグラスをテーブルに置いて、


「あんた、いつまで其処で突っ立ってるんだ」
「……座って良いのか」
「好きにしたら良い。座るだけならな」
「………」


 座る以外に何をすると言うんだ、とクラウドは思ったが、スコールは男娼だ。
近くに座ってお触りを希望するなら、財布の中身と相談しなくてはならないのだろう。
ひょっとしたら、同じ席に座ると言うだけで、チャージ料金が発生するのかも知れない───と思いつつも、このまま二等客室に戻る気にもならず、クラウドはスコールが座っているL字ソファの逆端へ座る事にした。

 其処まで近付いた所で、ソファで寛ぐ為に配置されているのだろうテーブルの上にあるものが、改めて目についた。
底に薄らと液体の名残が残っているグラスと、未使用の灰皿、そしてクラウドも見覚えのある形状をしたボード。
城を象った立体的な柱を左右に、ドラゴンのレリーフの前に捧げられるように据えられた盃───クイーンズ・ブラッドのフィールドボードであった。

 ボードの傍には、カードとメダルが無造作に散らばっている。
カードはデッキが専用のケースに置かれていたが、其方は蓋が開いている。
誰かが触っていなければ、この状態にはなっていないだろう。
この部屋を使っているのがスコールしかいないと言うことは、必然的にそれは彼と言うことになるのだが、


「……やるのか?」


 尋ねたクラウドに、スコールはその目が映しているものを見て、


「……別に」
「お前のものじゃないのか、このカード」


 ケースに入っているカードを指差して尋ねると、スコールはひらひらと右手を振った。


「ボードは最初から此処にあったけど、カードは一緒に乗る筈だった奴が置いて行った。多分、この船で大会をやるって聞いていたんじゃないか。やる気で物も持ってきてたけど、出港直前に駄目になったから、忘れたまま船を降りたんだろう」


 スコールの言葉に、成程、とクラウドは静かに納得した。
カードケースは随分と質の良い素材で出来ており、クラウドが行く先々で道すがらに会った人々が持っていたものとは品質が違う。
クラウドはミッドガルでクイーンズ・ブラッドなるゲームを見たことはなかったから、てっきりあそこでは知られていないものだと思っていたが、上流階級はそうでもないのかも知れない。
神羅カンパニーの中でも、仕事だなんだと外へと出入りする者はいるし、何処かの層には流行の影響はあっても可笑しくはないだろう。

 散らばったカードの一枚、表になっていたそれは、クラウドが見た事のないカードの絵柄が描かれていた。
クイーンズ・ブラッドのカードは多様なものがあり、クラウドはまだその一部分しか知らない。
このデッキには一体どんなカードが入っているのかと、うずうずとした気持ちが沸いてきて、そろりと手を伸ばす。
ちらとテーブルの向こうにいる青年を見ると、特に興味もない様子で、ついと明後日の方へと向いてしまった。


「降りる時に船員に渡すから、引っこ抜くなよ」


 一応スコールは、このカードを持ち主へと返すつもりがあるらしい。
泥棒紛いの真似をされると、それが冤罪であっても後に障る、と釘を差すスコールに、クラウドも頷いた。

 ケースから取り出したカードの山を捲って行くと、半分ほどはクラウドの知らないカードが入っていた。
此処から一体どんなデッキを作り、大会に挑むつもりだったのだろうか。
もしかしたらクラウドともバウトしたのかも知れない。
見た事のないカードを大量に含んだこのデッキとぶつかったら、果たしてクラウドの優勝はどうなっていただろうか。

 まじまじとカードを見つめるクラウドだったが、ふと視線を感じて顔を上げる。
ソファに体を沈めている青年が、何処か濡れた瞳でじっと此方を見つめていた。
それが薄暗いアパートのベッドの中で何度も見た光景と重なって、どくりと思わず鼓動が跳ねる。


「………」
「……なん、だ?」


 逸らされる気配のない瞳に、クラウドは訊ねる。
それは胸中の鼓動を知られまいと平静にしたつもりのものだったが、声の詰まりは全く誤魔化せていなかった。

 スコールはシルエットの細い足を組んで、膝に頬杖をついてクラウドの手元を眺めている。


「面白いか、その遊び」
「……まあ、俺は、それなりに」
「ふうん。それなり(ヽヽヽヽ)ね」


 大会優勝をしておいて、それなり。
負けた奴が聞いたらキレそうだな、と呟くスコールに、確かに、とクラウドも思った。

 カードの山の中から、無作為に一枚を取り出して、それを眺めてみるクラウド。
あたかもカードの効果を確認しているような仕草だったが、意識は半分も其処になかった。
クラウドの意識は今、斜め向かいの方から注がれる、何処か熱ぼったい視線に奪われている。

 蒼灰色の瞳が、随分と熱心みを帯びて手元を見つめるものだから、クラウドはカードを繰る指の動きすらぎこちなくなりそうだ。
不自然に乾いたように感じる喉を、強引に唾を通して慰めて、


「……その……」
「……」
「……興味が、あるのか?」
「別に」
「………」


 あまりにまじまじと見つめるから、てっきりと思ったのだが、返って来たのはにべもない反応だった。
じゃあなんで見ているんだ、とクラウドがなんとも言えない心地を抱いていると、


「興味はないけど。大の大人がそんなに夢中になる程、面白いのかは気になる」
(それは、興味があるって言うんじゃないのか?)


 喉まで出かかった台詞を、クラウドは辛うじて飲み込んだ。
言えば恐らく、この青年の機嫌を損ねることが予想できたからだ。

 クラウドは散らばっていたカードを集めて、山にまとめて端を揃える。


「……俺もそんなに詳しい訳じゃないが、気になるなら教えようか」
「……」
「これから捕まえる客にも、バウターはいるかも知れないし、そう言う時に使えるかも知れないだろう」
「まあ、確かにトランプだのチェスだの、遊びに誘ってくる客はいるな。勝ったら支払いを倍にしてやる、なんて言う奴も」
「こいつで戦う奴の中にも、賭け事をしている奴はいたぞ」


 クラウドが出会ったバウターの中にも、賭けを仕掛けて来るものは何人かいた。
大抵は手持ちのカードを賭けてのもので、負ければ当然、それを敗北の代償として相手に持って行かれる。
ジャンクショップや薬屋、本屋などは、勝てば商品代金を割り引きにしてやろう、と言う者もいた。
そんな中、ギルでの賭けを仕掛けて来たのは子供で、取り上げられたお小遣いの代わりに巻き上げようとしていたと言う、可愛いようなそうでもないような相手だったことは、伏せておく。

 スコールの視線が、テーブルの上のフィールドボードへと向けられる。
じぃっと見詰める蒼灰色の瞳には、少なからず興味の色が滲んでいるような空気が感じられた。

 クラウドはカードの山の端を揃え、トップの一枚を取った。


「どうせ暇なんだろう。教えてやるから、少しやってみないか」


 船旅は明日も続くし、夜更かしをした所で、明日の自分が困るようなこともない。
スコールに至っては、同行者もいない、一等客室を独り占めしているのだから、寝倒したって問題もない訳だ。
お互いに睡魔が素直な誘いをしてくれるまで、盤上遊戯を楽しんでも良いだろう。

 スコールはしばらく黙っていたが、やがてその視線はクラウドの顔へと戻って、「……暇だからな」と言った。




 まずはお互いに好きなカードを選んで、ルールを説明しながら一戦。
これはスコールに教えることは勿論ながら、クラウド自身もルールを再確認する機会になった。

 意外と勤勉な性質なのか、スコールはカードに書かれている効果の説明や、ランクやパワー、陣地マスの特徴等を細かく確認して来る。
クラウドはなんとなく空気感でバウトしている所があったが、しっかりと理屈で説明していくに連れて、カードごとの特徴がより明確に理解できるようになった。
嬉しいレベルアップだ、とひっそりと思った。

 そうしてもう一回、二回と試した所で、スコールは概ねルールを把握したようだ。


「───もう説明は十分か?」
「……そうだな。あんたが適当にカードの効果を見ていたことは驚いた。よくも大会優勝なんてしたもんだな」
「実力者には運もついて回ると言うことだ」
「調子の良い。浮かれて大会に出場した単なるお(のぼ)りさんだろう、あんたは」


 スコールの冷静な返しに、否定は出来ないな、とクラウドも思った。
やる事もない、追手もないと、大会への参加は意識的な息抜きでもあったのだが、思わぬ結果に興奮していたのも確か。
それに気取って、スコールにカード指南を提案したことは否めない。

 教えることも終わってしまったし、とクラウドがちらと青年を見る。
カードのルールを教えている間、いつの間にか二人の距離は随分と近くなっていた。
フィールドボードを挟んでいなければ出来ない事なのだから、離れたままでは話が出来なかったと言うのもある。
お陰でクラウドは、スコールの表情と言うものがはっきりと確認できた。

 スコールは手持ちにしているカードを見ている。
効果の記述を読んでいるのか、一枚一枚をじぃっと眺めては次へ。
意外なことだが、娯楽に興味のなさそうな顔をして、ボードゲームの類は好きなのかも知れない。
ルールの説明を、一回きりではなく、二回、三回とクラウドに促し、黙々と勉強していた姿勢から見ても、「下らない遊び」とは思っていない───と考えて良いだろう。
自分が興じている遊びが、それを知らない誰かのものに枝葉が広がって行くのが分かるのは、なんとなく面白い。

 成程、これが誰かにゲームを伝える喜びか。
クラウドはそんなことを考えた。
カームの街でクラウドにクイーンズ・ブラッドを始めて指南した男は、こう言う気持ちでクラウドにゲームの存在を教えたのかも知れない。

 ────さて、クラウドが教えられるルールは全て教えてしまった。
しかし、これでこの一等客室での時間を終わりにするのは少々惜しい。
クラウドもまだ眠くはなかったし、目の前にいる青年も、持ったカードを離さない様子から、遊戯の時間は延長して良さそうだ。


「どうする。まだやってみるか?」


 クラウドが誘ってみると、スコールは手持ちデッキを山に戻して、シャッフルする。


「そうだな……眠くもないし」
「よし」


 クラウドはスコールの手からカードの山を受け取って、自身の手元にあったカードも加え、まとめて混ぜる。
山は真ん中で割って、スコールの前に並べた。
分けた二山をひとつずつ、それぞれのデッキとするのだ。

 スコールが山をひとつ取って、自分の下へと寄せた。
クラウドも残った山を引き取り、トップから最初の五枚を取る。
ランクの高いものも混じりつつ、初手には無難なものが来てくれたので、よしよし、とクラウドは安堵した。

 スコールが手持ちのカードの順番を並べ替えながら、


「あんた、ハンデとかつけないのか」
「……欲しいのか?」


 プライドの高そうなスコールから、意外な台詞が出て来たことに、クラウドは少々目を丸くした。
スコールはカードを見詰めたまま、


「あんたは大会優勝者。単純に平等じゃないだろ」
「……まあ、そうか」


 大会の結果は、実際、運が強かったとクラウドは思っているが、カードと出会ってからの経験値の差があることは確かだ。
クラウドとて、最初にカードを教わった際には、相手から随分と手加減されていたのであろうことは想像に難くない。


「じゃあ、そうだな……お前が勝ったレーンに追加ポイントを入れるか。このゲームの勝ち負けは、最終的に取得したレーンの合算ポイントでより多い方になるし」


 クイーンズ・ブラッドの肝となるのは、陣地取の様相ではあるが、最終的な勝敗は、レーン毎に配置したパワー値の合計で勝負した後、其処で勝った方のパワー値を全て合計したものになる。
だから戦略によっては、三レーンのうち一レーンしか勝てなかったとしても、其処で莫大な数値を稼ぎ、一方では他レーンで相手のカードのパワーを削り取っておけば、勝利を掴むことが出来るのだ。
つまり、勝利したレーンに更に追加でポイントが入手できると言うのは、中々のアドバンテージになるのである。

 しかしスコールは、物言いたげな目でクラウドを見る。


「それだけ?ランク3のカードは使わないとか、あるだろう」
「それじゃカードを抜く作業が必要だろう」
「手持ちにあっても出さなければ良い」
「使えるカードの枚数が足りないのは……流石にきついぞ」
「良いじゃないか、勝負も早く着くし」


 スコールにしてみれば、自分が有利であればなんでも良いのだ。
ワガママは言うだけ言ってやる、と平然とした顔で出されるハンデ要望に、クラウドも唸る。


「……そこまでのハンデが欲しいなら、代わりに俺も何か欲しい」
「何かって?」
「………」


 具体的なものを示せと言ったスコールに、クラウドは熟考した。
要求される事が事だったので、対抗的に出した案だったが、スコールの方は特に抵抗もないらしい。

 クラウドはしばしの沈黙の後、


「……賭けでもしようか」
「どういう賭けだ?」
「……負けたら、勝った方の言う事を聞く」


 カードゲームに限らず、娯楽に追加するスパイスとしてはよくあるものだ。
ミッドガルのスラムでも、同じことをしてポーカーに明け暮れるギャンブラーはいたものだった。

 だからクラウドにとっては、有体な条件だったのだが、スコールはふぅんと含みのある表情を浮かべて、


「判り易く助平な奴だな、あんた」
「……何を勝手に想像してるんだ」
「あんたが俺にやらせそうなこと」


 揶揄う笑みを薄く浮かべて言うスコールに、クラウドはなんとも言えず真顔になった。
そんなつもりで言ったんじゃない、と言う言葉は喉まで来たが、じゃあ何をさせるつもりなのかと聞かれると、詰まってしまう。
何せ、目の前の男は娼婦なのだ。
娼婦に要求する事と言ったら────決まっているものだし、クラウドの脳裏にも、いつかの熱の感触が過ってしまった。


「……じゃあ、始めようか」


 クラウドは意識的な無表情のままで言った。
その様子が取り繕ったように見えてか、青年がくつくつと喉で笑っている。

 スコールは手元のカードを眺めながら、言った。


「俺が勝てば、あんたも俺の言う事を聞くんだな?」
「……そうだな」


 クラウドが短く答えると、スコールは「そうか」と言った。
その口元が少しばかり楽しそうに歪んでいるように見えるのは、気の所為ではないのだろう。
男娼とこんな賭けをして、負けた暁に何を要求されるのか、冷静に考えると少々怖いなと今更思う。


(まあ、負けなければ良いか)


 クラウドも決して強いとは言わないが、初心者に負けるほど、この手の勝負に弱いとも思っていない。
勝ったらどうするか、と言うのは、今のクラウドにとって然程気になる問題でもなかった。
どちらか───主にはスコールが───暇潰しに飽きるまで、束の間の娯楽を楽しむくらいで良いだろう、と。




 勝負は三本、二本取れば勝ちになる。
ドローとなればその試合は無効として、いちから勝負を再開させることにした。

 まず一戦は、スコールの勝利となった。
これはクラウドも意識した忖度の勝負であったと言って良い。
スコールは初心者だし、カードを選ぶ手もゆっくりで、クラウドも見守る気分で戦っていた。

 二戦目はクラウドが勝ち、スコールもカードの扱いに慣れてきた。
三本目は本気で行くぞ、と言うクラウドに、スコールも「じゃあ俺もそうしよう」と言った。

 そしてその言葉通り、スコールは本気を出してきた。
それまでの凡庸的なカード選びだったものが、クラウドに考える暇を与えまいとするかのように、取捨選択が早い。
陣地のランクアップに有用なものを早期のターンで配置し、パワー増減の効果を持つものを活用し、自身のカードは強化、クラウドのカードはダウンさせて消滅を誘い、上書きや消滅の効果を使って自分のポイントへ奪い取る。
カードの中には、消滅させたカードの枚数分、パワーアップする効果を持つものもあった。
それもしっかりと有効活用し、且つこのタイプのカードがクラウドのデッキで排除されないように、計算されて設置される。

 結果、勝利レーンにポイントを加算すると言うハンデなど全く必要のないレベルで、スコールが勝利を収めた。

 完膚なきまでに叩きのめされて、クラウドは唖然とした。
三本目の勝負が始まった時から、これまでとは目に見えて違う動きをするスコールに違和感はあったが、まるで人が変わったかのようなカード捌きだった。
途中からは完全に盤上を支配され、クラウドはスコールがデッキを使い切る───最早必要のないポイントまで稼ぎに稼ぐ様子を見ているしかなかったほどだ。

 三つのレーンを完全制覇され、項垂れるクラウドの前で、スコールがくすくす、くすくすと笑っている。
そうも無邪気に笑えたのかと、感心する余裕はクラウドには残っていない。


「……おい……」
「ん?」


 クラウドが声をなんとか絞り出すと、スコールは笑いが収まらない様子で首を傾げて見せる。
ミッドガルで彼を買っていた時には、一度も見た事のない仕草だ。
余程機嫌が良いのだろうが、クラウドはそんなスコールを胡乱な目で睨んだ。


「お前、初心者じゃないだろう」
「まあな」


 クラウドの言葉に、スコールはけろりと答えた。
悪びれる様子もなく、ボードに置いたままだったカードの一枚を取って、口元を隠して見せる。


「そもそも、こいつの経験がないなんて言ってない」
「興味ないって言ってただろう」
「言ったか?そんなこと」
「……」
「どっちにしろ、やったことがないと言った覚えはないな」


 確かに、思い返してみれば、スコールがこのゲームそのものを未経験だとは言っていない。


「だが、俺の説明を聞いていただろう」
「あんたが勝手に喋ってたんだろ」
「知っていたならそう言えば……」
「それじゃあんたが油断してくれない」


 つまりスコールは、クラウドとカードバウトをするにあたり、自身が有利に勝負を運べるように、ずっと演技をしていたのだ。
クイーンズ・ブラッドと言うゲームそのものに触れたことがないかのように振る舞い、自分を初心者だとクラウドに思い込ませ、忖度含めた油断を誘う。
実際、そのお陰でクラウドは三本勝負の一本をスコールに譲り渡した節もあった。
そして最後の勝負になって、化けの皮を自ら剥いだのだ。


「三本目、あんたが本気を出すって言ったからな。大会の優勝者に本気を出されたら、初心者ぶってちゃ勝てないだろ」
「……」
「鼻持ちならない客に散々付き合ってやってて良かった。お陰であんたの面白い顔が見れた」


 そう言ってスコールは、至極機嫌が良いとばかりに笑った。
まるで悪戯が成功した子供のような、無邪気な表情だ。


「さてと。それじゃ、約束は果たして貰うぞ」


 忘れたとは言わせない、と蒼灰色の瞳がクラウドを見る。
クラウドが苦い表情を浮かべるのは当然だった。


「……ハンデ、絶対にいらなかっただろう」
「そんなことはない。二本目はあんたが勝ったし」
「全部コントロールしていたとしか思えない」


 一本目のスコールの勝利も、二本目のクラウドの勝利も、あれは真っ当な結果だったのだろうか。
今のクラウドにしてみれば、猫を被ったスコールが、全てを掌握していたとしか考えられなかった。


「そんなことが出来る奴がいたら、プロのバウターか、何処かのカジノで食っていけるだろ。買い被り過ぎだ」


 スコールは呆れたように言うが、どうだか、とクラウドは目を細めた。
船上大会で戦った者の中にも、恐らくプロを自負していた者はいたように思うが、此処まで強い相手がいただろうか。
船上で企画的に開催されたカード大会に、どれほどの強者が集まるのかは、クラウドにも判るものではなかったが、こんな場所にこんなダークホースがいるとは思わなかった。

 せめてハンデを渡さなければ、と思ったクラウドだったが、そうだったとしても、三本目の勝負は圧倒的だった。
ぐうの根も出ない完封だったし、今から思い返しても、何処で切り崩せたか全く浮かばない。
スコールのカード捌きの変貌ぶりに圧倒されていたのも確かだが、戦術的にも、彼の方がクラウドよりも遥かに上級者であったのも事実だ。

 くすくす、くすくすとまだ笑い声が聞こえている。
ちらとを其方を見れば、スコールも視線に気付いたようで、ついっと明後日の方向を向いた。
しかし、手のカードで隠した口元が緩んでいるのは、見えなくても明らかだった。

 ───はあ、とクラウドは深々と溜息を吐く。


「……仕方がない。負けは負けだ」
「なんだ。悪あがきしないのか」
「難癖つけたらやり直してくれるのか?」
「断る。もう油断してくれないだろう。まあ、賭けもなしでただバウトしろって言うなら、やっても良いけど」


 スコールはそう言いながら、盤上のカードを集めてシャッフルする。
鼻歌でも歌い出しそうに見えるのは、クラウドの被害妄想ではあるまい。

 ともかく、とクラウドは腹を括る。


「賭けはお前の勝ちだな……」


 ハンデをかける代償として、賭けを言い出したのもクラウドだ。
ハンデについて、姦計に嵌められたことは否めないが、勝負の駆け引きと言うのは、始まる前から始まっている。
其処までクラウドが見抜けなかったのが悪いのだ。
腑に落ちないものは幾つもあるが、初心者相手と警戒していなかったのはクラウドの落ち度である。

 不承不承に負けを認めるクラウドに、スコールは混ぜ終えたカードの端を揃えながら言った。


「じゃあ、そうだな────」


 新しい玩具を手に入れたような顔を浮かべる青年に、クラウドはじんわりと嫌な予感を感じていたが、この段で既に逃げる術はなかった。