ビブリスの糸


 スコールは余り外遊びは好きではない。
元々大人しい性格であること、屋内でお絵描きや読書をしている方が好きだし、何より、本人が運動と言うものに小さくはない苦手意識があった。
早く走るのはその方法が判らなくて、幾ら一所懸命に走ってもサイファーやゼル達に置いて行かれるし、ボールは怖いから飛んで来るそれをキャッチするなんてとても出来ない。
顔面キャッチで泣いてしまった事なんて、もう何度あったか。
だからスコールは、誰かに外遊びを誘われても、余りそれについて行く事はしなかった。

 しかし、ティーダが来てからは少し変わった。

 ティーダはスコールとは正反対に、外遊びが好きで、特にボールを追いかけるのが楽しいと言う。
元々、ティーダはブリッツボールと言う競技が国全体で盛んなザナルカンドと言う所からやって来た。
ボールとは物心が付く前から親しむ位に、その競技は人々の生活に浸透している。
また、ティーダは父親がブリッツボールの“キング”と呼ばれる程に有名であるから、幼子が意識するしないに関わらず、それに携わるものに囲まれて育ったのである。

 本能のようにボールを追いかけるのが好きなティーダであるが、やはり一緒に遊ぶ相手は欲しいものだ。
レオンハート兄弟の下に預けられた当初、ティーダは専らレオンを遊び相手に選んでいたが、レオンにはアルバイト等、日々の生活を支える為にやる事がある。
また、余りにティーダがレオンに甘える為に、今までその席を独り占めで来ていたスコールが、「お兄ちゃんを取られる」と感じて、兄弟間では一つ事件が起きた位だ。
結局はその事件を切っ掛けに、ティーダとスコールもより距離を縮めるに至る。
それからティーダは、忙しいレオンと、それを助ける形で此方も忙しいエルオーネに甘えるのを止め、スコールと一緒によく遊ぶようになった。

 スコールとティーダの好きな遊び方と言うのは、全く正反対のものではあったが、お互いが譲り合う形で馴染んで行った。
昨日は外遊び、それなら今日は家の中でお絵描き、じゃあ明日は外でボール遊び……と言った具合だ。
その内に、スコールはティーダから、走る為のコツやボール遊びの楽しさと言うものを教わった。
兄や姉なら、スコールが怖がるならやめようか、と折れる所を、ティーダは「オレも一緒にやるから!」とスコールに挑戦を促すのだ。
何かと怖がりなスコールにとって、その垣根を超えるのは中々勇気のいる事だったが、“一緒に楽しく遊びたい”と言うティーダが根気強く後押しした事も手伝って、少しずつアクティブな遊びへの苦手意識を克服しつつある。

 そのお陰で、最近のスコールは、ティーダの外遊びへの誘いにも抵抗がなくなって来ている。
お絵描きや読書の方が好きなのは変わらないが、ティーダと一緒に外で遊ぶ事に喜びを感じる様にもなっていた。

 ───とは言え、人見知りについては相変わらずなので、ティーダ以外のクラスメイトと遊ぶことは少ない。
今年からゼルがバラムガーデンに入学して来たので、彼とはティーダも交えて話をする事もあるが、彼ら二人が夢中になって遊び出すと、やはりスコールがついていくのは少し疲れてしまう。
そうなるとスコールは、ちょっと休みたい、と言って、彼らが遊んでいるのを眺めるようになった。
それでも十分、スコールにとっては楽しい事だ。

 今日もティーダとゼルに誘われ、グラウンドの端でボール遊びをしていたスコールだったが、照り付ける太陽から降り注ぐ暑さも重なって、途中で休憩したいと言った。
ティーダ達にとってはよくある事で、判った、と軽い返事。
また遊ぶ気になれば参加するつもりで、スコールはグラウンドの端にある木陰のベンチで休む事にした。


(ティーダもゼルも、暑くないのかなあ)


 そよそよと心地良い木陰で、ヒリヒリとする火照った腕を摩りながら、スコールは陽向でボールを投げ合ってるティーダ達を眺める。
二人ともスコールが相手の時は投げる力を加減してくれるのだが、スコールが抜けた今なら遠慮なしと、速球の応酬が始まっていた。
ティーダもゼルも、そのボールを受け止めたレオンから「凄いな」と褒められたことがある。
そうしてはしゃぎ喜ぶ幼馴染を見ては、スコールは羨ましく思っていた。
しかし運動が苦手で、ボール遊びも下手な自分では、そう言った事で兄姉に褒めて貰える事はないだろうと諦めていたのだが、


(……もっと体育が上手になったら、僕もお兄ちゃん達に褒めて貰えるかな?)


 レオンは昔から運動神経が良かった。
昔、ゼルが夢中になっていたTボードも、子供達と一緒に練習して、誰よりも上手くなっていた。
エルオーネも案外とアクティブな所があって、スコールは木登りを教えて貰った事がある。
その時、スコールは幹にしがみついて掴まっているのが精一杯で、1ミリと登れなくて泣いてしまったのだが、高く伸びた木をすいすいと上って行くエルオーネを見た時は、とても楽しそうで憧れたものだった。

 兄も姉もそんな具合だから、スコールは“運動が得意”と言うことに強い憧れを持っていた。
ティーダやゼルも足が早くて、すごいなあ、とスコールはいつも思う。
置いて行かれてばかりで、皆の背中を一所懸命に追い駆けるしかないスコールだが、一度で良いから、ティーダや皆と並んで走ってみたい。

 ベンチに深く座っている所為で、浮いている足をぷらぷらと前後に振ってみる。
右、左、右、左、と揺れる足は、どうやったら地面の上で早く動いてくれるのだろう。
ティーダに聞いて色々試してみたりもするけれど、感覚的に早く走れるティーダには、“こうやって走ると良い”と言うアドバイスが難しいらしい。
こうだよ、と身振り手振りで教えてはくれるのだが、スコールには彼が言わんとする理屈が全く分からなくて、中々上達してはくれないのであった。


(……お兄ちゃんに聞いてみようかなぁ)


 レオンも昔から足が速かった。
いつも丁寧に勉強を教えてくれるレオンなら、どうやったら足が速くなるのかも説明してくれるかも知れない。
今まではスコールに運動そのものが苦手意識が強く、どんなに頑張っても皆に置いて行かれたと言う経験もあり、教えてくれると言う機会があっても自ら避けていたのだが、最近は少し気持ちが変わってきていた。

 またぷらぷらと足を振っていると、俯いた視線の中に、人の足が映った。
黒の長くて薄い靴下───ストッキングと言うのだが、スコールはその名前を知らない───に、足元は踵が細くて尖った靴。
同じような靴を、ママ先生が綺麗におめかしをしている時に履いているのを見た事がある。
その足がじっとスコールの方を向いたまま動かないのを見て、スコールはそうっと顔を上げてみる。

 其処には、スコールの知らない、一人の女性が立っていた。


「こんにちは」
「……こんにちは……」


 薄らと甘い紫色に染められた瞼を抱き、長い睫毛をひらひらと光らせた目元が、スコールを映して細められる。
知らない人だ、とスコールの体はかっちりと固くなった。
それでも、挨拶はされたから返さないとと、小さな口をぽそぽそと動かす。

 女性はベンチに座っているスコールの前で膝を追った。
目線の高さがスコールと合い、恐らくは子供を安心させるつもりでそうしたのだろうが、他人の視線が苦手なスコールには余り効果はない。
スコールは揺らしていた足を寄せて、ベンチの上で三角座りになって縮こまった。


「そんなに怖がらないで。取って食べたりしないから」
「……」


 にっこりと女性は笑って見せるが、スコールの表情は硬いままだ。
蒼の瞳はグラウンドで遊んでいるティーダとゼルをちらちらと見る。
気付いてくれないかな、と願うが、少し距離がある所為か、二人ともスコールの方を見る事はなかった。

 知らない人と話をしてはいけません、とスコールは兄姉は勿論、ママ先生からも口酸っぱく言われている。
だから自分からは喋らないようにと、スコールは口を噤んでいたのだが、


「お兄ちゃんとそっくりねぇ」
「……お兄ちゃん、知ってるの?」


 女性の口から出てきた言葉に、幼い子供はつるりと反応した。
そんなスコールを見て、女性は益々笑みを深める。


「ええ。私、高等部の先生をしていてね、レオンハート君ともよくお話するのよ」
「お兄ちゃんの先生…?」


 オウム返し気味に言ったスコールに、女性はそうよと頷いた。


「それでねぇ、お兄ちゃんには私、とてもよくして貰っているの。授業の準備のお手伝いをして貰ったり、ね」
「ふぅん……」


 レオンが教員の手伝いをしている所は、スコールもよく見ている。
沢山のプリントや、重そうな分厚い本の山を抱えて、1階の廊下を歩いているのを見るからだ。
それで両手が埋まって、エレベーターのボタンを押すのも難儀しそうなレオンを見て、スコールが代わりにボタンを押した事もある。
それ位には、スコールにとっても、見慣れた光景であった。

 その高等部の先生が、どうして自分に話しかけて来るのだろう。
スコールとレオンが兄弟と言う事は、隠してもいないので色々な人が知っているようだったが、それで先生からスコールがわざわざ声をかけて来る事は少ない。
もしもレオンに用事があるなら、まだ幼いスコールより、兄弟の間にいるエルオーネに伝えた方が確実だからだ。
そうとスコールが知っている訳ではなかったが、それでも自分に話しかけて来る大人が珍しいのは確かである。
なんだろう、となんとなく緊張を感じて肩を固くしていると、


「でね、いつもお手伝いして貰うから、レオンハート君にお礼をしなくちゃって思ったの。それで、彼の好きな物をあげようと思うんだけど、ぼく、何か知ってる?」
「え……、えっと……」


 双眸を細めていても大きいと判る瞳が、じっとスコールを見詰めている。
どうにもそれが落ち着かなくて、スコールは俯いていった。

 訊かれたことには答えないと───とスコールは考える。
えっと、ええっと、と口籠る様子のスコールを、女性は笑みを湛えた表情で変わらずじっと見詰めていた。
その視線が、どうしてか、


(……なんか、こわい……)


 見られているだけなのに、怖いと思う。
それはスコールにとって、他人を前にした時には珍しい事ではないのだが、その中でもじんわりと染み込んで来るような怖さがある。
兄の先生のようだけれど、スコールにとっては知らない人だし、本当に答えても大丈夫なんだろうかとも思う。

 どう答えて良いのか、そもそも答えて良いのかと迷い続けていると、


「スコール!」


 呼ぶ声がして顔を上げると、ボールを持ったティーダが此方に駆け寄っていた。
遊んでいたゼルも一緒だ。
それを見た瞬間、スコールはベンチの端から飛び降りて、二人の下へと駆け寄った。


「ティーダ!」
「どしたの。あれ、誰?」


 スコールは直ぐにティーダの後ろに逃げ込んだ。
シャツをぎゅうっと掴んで身を寄せて来るスコールに、ティーダは首を傾げつつ、ベンチ前にしゃがんでいる女性を見る。


「あんた誰?」
「スコールになんか用?」


 女性に向かって訊ねるティーダに、ゼルも重ねる。
女性はスコールに向けていたものと同じ、にっこりと笑みを浮かべ、


「その子のお兄ちゃんの先生よ」
「レオン?」
「そう。お兄ちゃんの事で聞きたい事があってね、ちょっとお話していたの。君達は、その子のお友達?」
「うん」
「じゃあ、お兄ちゃんの事も知ってる?」


 質問して来る女性の言葉に、ティーダとゼルは顔を見合わせた。

 スコールとレオンが兄弟と言うことはよく知られている話だが、最近はティーダも其処に加わっている事も、またよく知られている。
これは元々レオンハート家の環境が特殊である事や、ティーダもまた同様に特殊な経緯でレオンの下で暮らすようになったからだ。
年長者であるレオンも含め、子供ばかりと言う彼等の生活環境については、教員たちの間でも広く共有されている───筈なのだが。

 ティーダはくるっと女性に背を向けて、自分の背中にくっつき虫になっていたスコールを見る。
ゼルも二人と顔を近付け、ひそひそと小さな声で話し合いを始めた。


「あれって本当に先生?オレ、見た事ないよ。ゼルは?」
「オレも知らない。スコールは?」
「……知らない」
「なんか先生っぽくなくない?」
「お兄ちゃんのクラスの先生なんて判んないよ」
「スコール、何の話してたの?」
「お兄ちゃんの好きなもの知らない?って」
「レオン兄の好きなもの?どうするんだ、それ」
「お兄ちゃんに渡したいんだって。いつもお手伝いしてるから」
「お礼?」
「そう言ってた」


 三人は顔を見合わせ、それぞれ首を傾げる。
レオンがよく教員の手伝いで忙しくしている事は確かだが、それに対し、お礼を、と言う人は初めて見た。
それもわざわざスコールの所に来て、その相談のような事をしてくるなんて。
今までになかった珍事に、子供達は不思議に思うばかり。

 そんな子供たちの秘密の遣り取りを、女性教師は退屈そうに眺めている。
スコール達がちらりとその佇まいを覗いてみると、女性は腕に嵌めた時計を見て、その文字盤を指先でコツコツとノックしていた。
その顔には眉間に皺が寄っていて、苛々としているのが判る。

 ぎゅ、とスコールの手がティーダのシャツの袖を握る。
それを見たティーダとゼルも、互いの顔を見合わせて、うん、と頷きあった。
すっかり萎縮している様子のスコールに替わって、ティーダが女性の方へと振り返る。


「レオンの好きなもの知りたいの?」
「ええ、そうよ」


 ティーダが声をかけると、女性はころりと表情を変えた。
スコールに声をかけてきた時と同じ、柔らかい表情になっている。


「レオンは、えーと……甘いもの!クッキーとか、ケーキとか好きだよ」
「あら、そうなの。ちょっと意外ね。他には何かある?」
「他?え、えーと……」
「本だよな。レオン兄、昔からよく本読んでた。な、スコール」
「!う、うん」


 ゼルに話を振られて、スコールは慌てて頷いた。
ゼルの言った事は嘘ではない。
レオンが小さな暇潰しにと文字ばかりの本を読んでいる姿はよく見ていた。

 女性は「そう。そうなの」とと何かを確かめ、吟味するように呟いて、子供達に背を向けた。
そのまま立ち去ってしまう女性を見送る形になった後、彼女の姿が校舎へと消えてから、ようやく三人はほっと息を吐く。


「は〜、やっと行った!なんかすげー緊張した」
「オレも。高等部って、あんな先生いるんだな」


 毎日見ている自分のクラスの担任とは違う、見るからに大人な女性と言うのは、スコールは勿論、ティーダやゼルにとっても初めて見たも同然だ。
綺麗な女性と言うのは、ママ先生にも当て嵌まるが、子供達を安心させてくれる雰囲気を持っている彼女とは、まとう空気が全く違う。
スコールは彼女に「食べない」と言われたが、全くその不安は払拭されていなかった。


「なんか、怖かった……」
「うん。先生なんだし、悪い人じゃないと思うけど…」
「後でレオンに言う?どうする?」
「んん……」


 ティーダの言葉に、スコールは唇を尖らせて悩んだ。
あちらから声をかけてきた事や、ガーデン内ではあるが、知らない人に声をかけられたと言うのは、一言伝えておいた方が良い気がする。
それに、女性はレオンの事を知りたがっているようだった。
それがなんとなく、スコールにとっては嫌な感覚がして堪らない。


「…お兄ちゃんに言う」
「判った」
「そうだな、その方が良いよ。レオン兄に何かあったらオレも嫌だし」


 頷くゼルにも促される気持ちで、スコールはその言葉に頷いた。
大好きな兄に何か危ない事が起きるのは、スコールもティーダも絶対に嫌だ。
ガーデンの先生が、生徒であるレオンに何か悪いことをするとは思えなかったが、幼い少年達は本能的に“何か”を感じ取っていたのかも知れない。

 グラウンドの向こうで昼休憩の部活練習に精を出していた生徒達が、ぱらぱらと帰ろうとしているのを見て、三人も教室へと戻る事にした。



 アルバイトがない日であっても、レオンが暇な訳ではない。
授業時間の差の関係で、一足先に帰った妹弟が待つ家に帰り、夕飯の準備をしなくてはいけないからだ。
最近は妹が一人でキッチンに立ち、四人分の食事を用意するのも日常になって来たが、やはり人手は多い方が良い。
スコールとティーダも手伝いに積極的だが、エルオーネ曰く、まだまだ危なっかしくてキッチンを任せる気にはなれない、とのこと。
レオンもそれは同じ気持ちなので、出来れば自分が早く帰ってエルオーネの手を助けた方が良い、と思う。

 しかし、教員のヘルプの声は、大抵レオンの都合とは別に寄越されるものだ。
ちょっとだけだから、これだけで終わるから、と言って山のようなプリントを渡されたり、教科の準備室で教材を探す手伝いを頼まれたりと、これが案外と時間を取られる。
それでも、家庭背景からの配慮をされている身としては、余り断れないのが現実であった。

 今日のレオンは、担任に頼まれて、明日のホームルームに使うプリントのコピーを行っていた。
枚数が多いプリントであった為、やっていると中々に時間を食う。
おまけに、途中でコピー機が紙詰まりを起こし、それを直すのにもまた手間を取られてしまった。
元々が古いコピー機なので、紙詰まりも最早いつもの事、レオンもそれを直すのは慣れたものだったが、やはり起これば溜息が出てしまう。


(先生たちも不便に感じてるようだし、買い直したりはしないのかな。……シド先生もママ先生も、商売っ気のない人だから、あまり余裕はないのかも)


 教員たちから度々聞いてしまう事のある、コピー機の古さの問題。
ガーデンを開校した時、知り合いの伝手から譲って貰ったものだとシド先生は言っていた。
詰まる所、かなりの年代物と言うことになる訳で、今時のコピー機に比べると印刷速度も遅いと言うし、教員の多くは、最新式とは言わずとも、最近の型落ち程度のものが欲しいと望んでいる。

 バラムガーデンは年を追うごとに生徒数が増えている。
数年前まで続いていたガルバディア〜エスタ間の戦争により、レオンのような親を喪った子供、或いは親に見放された子供と言うのは世界的に見て少なくない。
戦争と言うのは子供が親を喪う最たる理由とされているが、それ以外でも、貧困や劣悪な環境が原因で、大人の庇護を喪った子供の存在は珍しくなかった。
元々そう言う子供達を受け入れる孤児院をしていたクレイマー夫妻は、子供達が等しく勉学を受ける機会を得て、より良い未来を得られる事が出来るようにと言う願いを込めて、バラムガーデンを設立している。
この為、子供を受け入れる事に積極的なのだが、入学金を初めとして、ガーデンで過ごすに必要となる金銭的な問題を解決できない子供が多いのは致し方のない事だった。
口減らしではないが、親が子供の面倒を十分に見られない為に、ガーデンへと預けると言う事例もあると言う。
シド・クレイマーは、そう言った子供達を全てとは言えずとも、出来るだけ多く助けたいと、可能な限り間口を広げていた。

 エスタの突然の沈黙と言う形で、ガルバディア〜エスタ間の戦争は終結を迎えたが、戦争中に軍事国家として大きくなったガルバディアは、軍部が大きな力を持っている事により、内政がかなり不安定になっているらしい。
戦争中に家族を失った人々への慰労と言うのも真面な話が出ていないようで、生活においてかなりの格差があるそうだ。
そのような環境で子供を育てるのは厳しい、ましてや学業なんて───と言う家庭は少なくないようで、そんな子供を少しでも健全な生活が送れるように(同時に、子供の手を放すことで親が労働や生活環境を改善させる目的もあるのだろう)、バラムガーデンの門を叩く者は後を絶たない。

 こう言った背景を踏まえて、バラムガーデンの特殊性をテレビメディア等で発信する事により、世界の人々は“ガーデン”と言う施設のことを知った。
そして、同様の事情を抱えた者や、子供の未来を想う人々により、子供達はガーデンへとやって来るのである。

 こうしてバラムガーデンの生徒は増えて行く訳だが、反面、本来ならそれに伴い得られる筈の入学金や学業資金と言うものに、“一部免除”と言う形の措置を取る事により、運営の資金繰りが厳しくなると言う事情もあった。
増える生徒に対し、食堂を大きくしたり、寮棟の新設を急いだり、授業に使う教材を整えるのにも金は要る。
勿論、雇用した教員への給料も忘れてはいけない。
これらを遣り繰りしながらガーデンは運営されているが、中々厳しい現実に直面する事も珍しくはないようで、クレイマー夫妻が色々と奔走している事を、レオンは少なからず知っていた。

 ───やっとプリントのコピーが終わると、レオンは山になったプリントを抱えて、教員室を後にした。
エレベーターで三階の高等部の教室フロアに移動し、適当に空いていた教室を見付けて、場所を借りる事にする。


「えーと……全部で一人5枚か。取り敢えず、それぞれ分けて……」


 5枚のプリントは、1枚ずつ印刷しており、ページ毎の束が出来ている。
それらを学習パネルの上に1ページずつ並べて、その上から一枚ずつ取って十字の形に重ね置いて行く。
1冊ずつに揃え終わったら、ホッチキスで留めて、明日の配布用のプリント束の完成だ。

 西日で少し眩しい位に感じられる無人の教室と言うのは、何処かノスタルジックだった。
プリントを捲る音と、それが終わればホッチキスのパチン、パチン、と言う音だけが木霊する。
グラウンドの方から部活に励む生徒の声が聞こえて、それもこの場の雰囲気作りの一つになっているように感じられた。

 全てのプリントを整えて、最後にまとめたそれを立てて、端を揃える。
やっと終わった、とレオンが一つ息を吐いた時だった。


「いたいた、レオンハート君。こんな所にいたのね」


 からりと教室の扉を開けると同時に聞こえた声。
余り耳馴染はなかったが、聞き覚えのある声だった。
誰だろうと振り返ってみて、思わず傷の奔る眉間に僅かな皺が浮かぶ。
ネヴィア・オルフラクトだ。


(俺を探していた?)


 先のネヴィアの台詞から、レオンはそれを読み取った。
訝しむ表情を浮かべるレオンを気にせず、ネヴィアは扉を閉める。


「ちょっと用事があってね、探してたのよ」
「はあ……あの、用事って何ですか?大分遅くなったので、今日もそろそろ帰らないといけないんですが」
「今日もアルバイト?」
「今日は────」


 そうではないです、と正直に言ってしまう事に、レオンは躊躇いを感じた。
嘘を吐くのは苦手だし、余り気持ちの良いものではなかったが、レオンの脳裏に、友人からの忠告が浮かぶ。
気を付けろ、と口酸っぱく言ったエッジの険しい顔に、レオンははたと今自分が置かれている環境に気付いた。


(……これは……不味いのか?)


 エッジの言葉を丸ごと本気で受け取っている訳ではなかったが、彼が本気でレオンに危険シグナルを送っていたのは確かである。
レオンとしても、妙な揶揄いをされるのは臨む所ではないし、男子寮の噂も件もある。
“ネヴィア・オルフラクトと二人きり”と言うのは、如何にも危ないシチュエーションに思えた。

 レオンは席を立つと、プリント束を手に出口へと向かう。
しかし、其処にはネヴィア・オルフラクトが立っていた。


「今日は、その……アルバイトはないですけど、弟達が待っているので」
「それなのにお手伝い?」
「色々、免除をして貰っていますから」
「それじゃあ、私のお手伝いも少しお願いして良いかしら?」


 そう言って、胸元を強調するように腕をを組んで見せるネヴィア。
レオンは、彼女が閉じた扉を片手で開けて、自分のクラスの教室へと向かう。
当然のように、ネヴィアはその後をついて来た。


「時間を取らない事なら、少しは手伝えると思いますが、もう大分遅くなってしまったので、出来れば早めに帰りたいんです。弟達はまだ小さいし、二人いるから、妹だけで面倒を見ながら夕飯の準備をするのは大変だし」
「ああ、弟さんね。あの小さくて可愛い子」
「……会ったんですか?」


 寝耳に水だと、レオンは思わず立ち止まった。
振り返ったレオンを見て、ネヴィアは黒子のある口元に手を当てて、大きな瞳をうっそりと細める。


「お昼にね、ちょっとお話したの。素直で可愛い子ね」
「……ありがとうございます」


 一応、と言う気持ちで、レオンは謝辞を述べた。
しかし、頭の中は、人見知りが激しい弟への心配で一杯だ。
その時、スコールは一人だったのだろうか、怖くはなかっただろうか。
ネヴィアが乱暴な事をする人ではなくとも、他人と言うのはスコールにとって緊張させるものだから、何か嫌な思いをしていないと良いのだが、と気になってしまう。
弟の気質をよく理解している故に、兄として心配にならない訳がなかった。

 しかし、ネヴィアから見たスコールの印象は、悪いものではないらしい。


「昼休憩に外のベンチに座っているのが見えたから、声をかけてみたの。ほら、最近暑いでしょう。木陰ではあったんだけど、熱中症になっていたら大変だから、確認がてらね」
「はあ……そうでしたか」
「一人だったら屋内に連れて行った方が良いかなと思ったんだけど、お友達も一緒だったみたい」


 “お友達”───ティーダの事だろうか。
最近は、ゼルが同じクラスに入ってきたとかで、彼とも話をする事があるらしい。
ティーダとゼルも打ち解けたようで、授業中など、三人で班になる事もあると言う。

 と、癖のように弟のことを考えている間に、レオンは自分の教室へと着いていた。
両手が塞がったレオンに替わり、ネヴィアが教室の扉を開ける。
ちらと彼女を見れば、「どうぞ」と言うように笑顔が此方を見ていた。
また形に則るような謝辞を述べて、レオンは教室に入り、教卓へと向かう。

 プリントは明日の朝のホームルームで使うと言っていたから、教卓の上に置いておけば良いだろう。
中々の重さになっているプリント束を教卓に置き、ふう、とレオンは一息吐いた。

 と、それと同じタイミングで、からから、ぴしゃり、と扉の閉まる音がした。
その方向───教室の出入口の方を見ると、窓の向こうで海へと沈みゆく夕闇の中、くっきりとシルエットになって映し出されるネヴィアの姿がある。
組んだ腕と、右手は頬杖にして、じっと此方を見詰める眸を見た瞬間、ぞ、としたものがレオンの背中に走った。

 レオンの脳裏に、エッジの言葉が蘇る。


『気を付けろよ、お前も狙われてる口だから』


 それを聞いた時にはまさかと思ったし、どうして自分がと思った。
ネヴィアの噂や、そうでなくとも男子生徒を分かり易く揶揄ってばかりいるから、その“狙う”と言う意味はレオンにも判っている。
しかし、その手の話に積極的な生徒や、大人の付き合いが出来る教職員ではなく、全く興味のない自分にどうしてその食指が向くのか、レオンは全く実感が沸いていなかった。

 だが、理解する。
理由などは相変わらず判らないが、ネヴィアの眸は明らかにそれを意識していた。
例えて言うなら、大好物の蛙を前にした蛇のような、赤い口紅をなぞる舌の動きが尚更それを彷彿とさせる。


(不味い。多分、これは不味い。エッジ───すまない、言っていたのに)


 一足先にネヴィアの危険性を察知した友人からの忠告。
頷きながらも、何処か他人事であった事が、レオンの失敗だった。

 とにかく、此処から出なくては。
その必要性を悟ったレオンに、ネヴィアは猫のように柔らかくした声で言った。


「レオンハート君って、意外な所があるのね」
「……何の事ですか」
「甘いものが好きって聞いたの。ケーキとか、クッキーとか」


 誰から聞いたのか、と問いかけて、レオンは辞めた。
先のスコールの話から鑑みるに、恐らくその時だろう。
ティーダも一緒にいたなら、彼か。
どちらであるかはレオンには問題ではなかったが、レオンが甘いものが好きだとは、彼らも余り思ってはいまい。
恐らく、咄嗟の嘘だったのだ。
しかしネヴィアはそうとは考えていないようで、


「大人っぽく振る舞っているけど、結構可愛い所があるのね、ケーキが美味しいカフェを知ってるんだけど、一緒にどうかしら?」
「…そんな一人の生徒を贔屓するような事をするのは、問題になるんじゃないんですか?」
「別にレオンハート君だけに言ってる訳じゃないわ。コール君も誘った事はあるもの。焼きもちさんな恋人が傍にいたから、怒られちゃったけど」


 くすくすと楽しそうに言うネヴィアに、レオンは絡まれた友人をつくづく不憫に思う。
きっとその時ネヴィアは、ロックの傍に恋人───レイチェルがいるのを理解している上で誘ったのだ。
ロックがその時どんな反応をしたのか、レオンには想像するにも判らなかったが、色々とデリケートな年頃の男女を揶揄うには格好のネタになったのだろう。
ロックがネヴィアを避けたがるようになったのも無理はない。


「女の子にも声はかけるし、レオンハート君だけじゃないわよ。ああ、そうだ、弟さんも一緒にどうかしら。あれ位の子も、甘いものは好きでしょう?」
「…そう言って頂けるのは嬉しいですが、気持ちだけで十分です」


 言いながらレオンは、教卓を離れ、自分の席へと向かう。
ゆっくりと近付いて来るネヴィアから距離を取りたかったし、出入口への道を塞ぐ彼女から逃げるルートが欲しかった。
忘れ物がないか、確認する為に探る振りをして、ネヴィアの様子を伺う。


「レオンハート君は、ご両親がいないのよねぇ」
「……」
「どんな人だったの?」
「……あまり覚えていません。小さかったので」


 両親の話は、誰に聞かれても特に抵抗なく答えていたレオンであったが、今この時に限っては言いたくないと思った。
これ以上聞かれる事も拒否する意味でそう答えると、ネヴィアは「そう」とだけ言った。

 教卓前に立っているネヴィアを見て、レオンは眉間に皺を酔えながら言う。


「あの、手伝いを頼みたいと仰っていましたけど。急ぎのものでないのであれば、帰っても良いですか」
「あら。せっかちね」
(あんたが全然その話を切り出さないから……)


 まるでレオンの方が悪いような言い方だ。
しかし、此方はこの時間まで残っている事自体が既に不本意であって、出来れば早く帰宅したいと思っている。
街へと向かうバスもそろそろ到着する頃だし、これを逃せばまた帰宅が延びてしまう。
それは避けたかった。

 本当に手伝いたい事とやらがあるのなら、早くそれを言って欲しかったし、ただレオンを引き留める為の言い訳であったなら、さっさと解放して欲しい。
そう思うレオンにとって、いやに余裕を持ったネヴィアの態度は、少々癪に触って来る所があった。

 眉間に皺を浮かべるレオンの下へ、ネヴィアはゆっくりと近付いて来る。


「明日の授業で使うものを運びたいんだけど、私一人じゃ少し重くて。もう遅い時間だから、皆帰ってしまっただろうと思って諦めていたんだけど、レオンハート君はまだいるって聞いたから、お願いしようかなって。社会科の資料室にあるものだから、ちょっと一緒に来てくれる?」


 ネヴィアの言葉に、レオンは首の後ろがちりちりとするのを感じた。
まるで虫の報せだ。
脳裏に浮かぶ友人も、「行くなよ」と言っているような気がしたが、


(……断り辛い)


 自身の立場も含め、頼みの内容が内容だ。
今日に限ってアルバイトも入っていないし、既に遅い時間までこうして校舎に残っている。
この教室にプリントを運び終わった後、距離を縮める事を避けて行動していた自分を、今更になって後悔する。
こんな事ならぐずぐずせずに出て行くべきだったし、頼み事の話も聞かなければ良かった。


「……重いものなら、他にも手があった方が良いのでは。教員室に行って誰か呼んできます」
「大丈夫よ。レオンハート君がいれば十分だと思うわ」


 せめてもの抵抗に、これ以上二人きりになるのは回避したいと提案するレオンだったが、ネヴィアは笑みを浮かべて躱す。
こうなってはもう腹を括るしか───と思っていたレオンの鞄から、携帯電話が音を鳴らす。


「すみません。ちょっと」
「ええ、良いわよ」


 短い断りと許可を貰って、レオンは携帯電話を取り出す。
着信はエルオーネからだった。
通話ボタンを押して耳に当てる。


『もしもし、レオン?』
「ああ。どうした?」
『まだガーデン?』
「ああ」
『まだ帰れない?』
「いや」
『じゃあ、帰りに買い物頼んでも良い?パスタに使うクリームソースのストックがなかったの。缶詰のやつ、三つくらい』
「ああ、判った」


 よろしくね、と言ってエルオーネは通話を切った。
接続の切れた携帯電話を鞄に戻し、これに乗ってレオンはこの場を去ってしまおうと決める。


「すみません、家族からでした。弟が熱っぽいと言っているので、今日は失礼します」


 ありきたりな嘘を吐きながら、追及されない内にとレオンは逃げる事にした───のだが、鞄を持つレオンの腕を、指の長い手が捕まえる。


「!」
「大丈夫よ、熱くらいなら」


 振り返ったレオンの直ぐ目の前に、ネヴィアは立っていた。
手首に俄かに指が強く食い込む感触がして、レオンの頭の中で警鐘が鳴る。
理屈や本能、その全てで、“不味い”とレオンは理解した。

 ネヴィアは仄暗さを宿した、赤みの混じった灰色の瞳をレオンに近付け、薄らと笑う。


「子供の熱なんて、よくある事でしょう?」
「貴方にとってはその程度のことでも、俺にとっては違います」


 他人事にしても余りに自分勝手な言い様に、レオンは腕を掴んでいるネヴィアの手を振り払った。
しかし、ネヴィアは懲りずにレオンの腕を掴み、更に体を近付けて来て、レオンの躰を学習パネルと挟む形で拘束する。
露骨に身を寄せようとするネヴィアの行動に、レオンは反射的に腕を使って押し返そうとするが、その腕がネヴィアの豊満な胸に沈み、


「あっ」
「……!」


 わざとらしく声を上げたネヴィアに、レオンの顔に思わず血が上る。
ネヴィアはそんなレオンを見てくすりと笑い、身を守ろうとする少年の腕に、これ見よがしに胸元を押し付けて来た。


「初心なのねぇ」
「っ揶揄わないで下さい!」
「良いわあ、そんな顔もするのね。いつもつれない反応ばかりだから新鮮」


 そう言って、紅色の唇に舌を這わせるネヴィアに、レオンはロックが彼女をとことん忌避したがる理由を悟った。
此方が嫌がれば嫌がる程、ネヴィアの興を煽るのだ。
おまけにネヴィアは、程好く遊んで上手く躱せるものよりも、今のレオンのように、立場や性格を含めて強く押し返せない者を掌で転がす事を楽しんでいる。
本当に性格が悪い。

 ネヴィアの手がレオンの頬に触れ、頬から唇へと向かうラインを撫でて行く。
指先が摘まむようにレオンの下唇を擽った。


「女の子にも人気があるようだけど、恋人はいないんですってね。でも、女の子も一緒に住んでるんですってね?その子とは良い仲じゃないの?」
「エルは妹です!変な想像をしないで下さい」
「妹だって女の子よ。ああ、でも、弟さんは小さいものねえ。一緒に暮らしてるんじゃ、そういう事は、したくてもやっぱり難しいわよね」


 そう言いながら、腕を掴んでいたネヴィアの手が離れ、レオンの腰を撫でた。
ぞお、とした感覚がレオンの足の爪先から頭の天辺まで駆け抜ける。

 ぐ、とレオンの躰が強く圧されて、その背中が学習パネルの上に乗せられた。
天井を見上げる格好になったレオンの胸に、ネヴィアが覆いかぶさるように胸を重ねて来る。


「経験は、まだ?」
「な……」
「あら、赤くなっちゃって。そうなの、ふふ。甘いものが好きなんですってね。大丈夫、きっと気に入るわよ」
「な…にを、」
「だから貴方も頂戴ね」


 明らかに主語を抜いた言葉でも、レオンはネヴィアの問いの意味を理解した。
ずっとそれを匂わせた事を囁いて来るのだから無理もない。
その瞬間の反応が、またネヴィアの興奮を呼んだようで、灰色の瞳がまるでサキュバスでも彷彿とさせるように悦を宿す。


「美味しそう」


 嘯いて近付いて来る顔は、大きな瞳に長い睫毛を抱き、鮮やかな色の唇も艶やかで、大人の色香を惜しげもなく醸し出している。
マスカラで飾られた瞼が閉じては開く度に、鱗粉でも撒いているかのような幻惑を見せた。

 しかし、レオンにとってはそのどれもが恐ろしく、近付く唇がゆっくりと開く様は、まるで捕食者が餓えているかのようだった。


「────!!」


 どんっ、とレオンの腕が強くネヴィアの躰を押し退ける。
相手が教員であり女性である事も忘れ、そんな事よりも身を守らなければならないと、自己防衛の本能が優先された。
力の加減をしなかった一押しはネヴィアにとって予想外のものだったようで、彼女は後ろへと蹈鞴を踏んで、背後にあった学習パネルの背面に背をぶつけた。


「失礼します!!」


 ぶつけた痛みにネヴィアが顔を顰めるのも見ずに、レオンはいつの間にか落としていた足元の鞄を掴んで、教室の出口へと走った。
そのままエレベーターホールまで向かったレオンだったが、その到着を待つ気にもならず、普段は殆ど使われていない傍の階段を駆け下りる。
一階へと降りた後は、立ち止まらずにエントランスホール、カードリーダーを走り抜けて、校門前のバス停に辿り着く。
直ぐにバスが来てくれたのは、レオンにとって僥倖であった。

 放課後をバラムの街で楽しんだ生徒達と入れ違いに、レオンはバスへと乗り込む。
扉が閉まり、走り出した車内を一巡、二巡と視線を巡らせて、件の人物がいない事に心の底から安堵した。


(……買い物、して帰らないと)


 ぼんやりとそんな事を考えて、レオンはバスが街に着くまでの間、微かに意識を手放した。