それは尾花か幻か


 エッジがガーデン中でオバケの話が持ち切りだと言うので、レオンが意識して耳を欹ててみると、成程確かに、其処此処でそんな話題が交わされていた。
噂好きの生徒は勿論、怖がりな生徒や、訓練施設にまだ入れない筈の初等部まで噂は広がっている。
となると、エルオーネやスコール、ティーダも、聞いた事があるかも知れない。

 オバケの噂に対して、ガーデンの教員たちは、誰かの悪戯だろうと結論付けている。
が、どちらかと言うとそれは、面白がって近付きたがる度胸試し紛いのことをする生徒たちへの方便なのだろう。
お前達が期待するようなものではないのだから不用意に近付くな、と。
実際の所、そんな注意を聞くのは、最初から噂に興味がないか、見付かった時の罰則を嫌う生徒くらいのものだが。

 オバケの噂は日に日に目撃例が増えているそうだが、その正体は依然として掴めていない。
それが一層、新たな“ガーデン七不思議”の一つとして現実性を深めているのかも知れない。
光源もないような場所に突如として現れ、それなりの大きさで視認される筈なのに、人が近付くとふっと消えてしまう。
隠遁系の魔法を得意とする魔獣は世にいない訳ではないが、それにしては光ったり消えたりと行動に一貫性もなく、明確な姿形も判っていないから、益々正体はオバケではないかと言われる訳だ。

 そのオバケの正体を確かめる為、レオンの級友たちも動き出した。
エッジとロックは、どちらも夜目の効く性質である。
身軽なので、訓練施設に生い茂る木々の上だったり、さらにその上の訓練施設の構造体である鉄骨であったり、地上に限らず行動範囲が広い。
夜間に出現すると言うオバケに対し、普通に近付かなくても、それを見付けられる可能性は高いのだ────が。


「くそ〜、全然出て来ねえ」
「三日張って空振りだ。場所はあってる筈だけどなぁ」


 悔しそうに唸るエッジと、情報をもう一度確かめているロック。
レオンはその隣で、開いていた教科書から顔を上げた。


「オバケ、なんて言われてるんだろう。霊感のある奴じゃないと見えないんじゃないか」


 レオンのその言葉は冗談だった。
オバケだなんてものを信じている訳ではないし(弟たちがそれを言う時には、はっきりと否定はしないが)、目撃例が増えているとは言え、どうやら人の接近を強く警戒しているようだと言うのは、なんとなく伺える。
噂が長引き拡がるに連れ、少なくない生徒が度胸試しに行っていることを考えると、件の正体も人の気配に敏感になっていても可笑しくあるまい。
見に行ったけど見れなかった、と言う話もあるし、エッジやロックがそう言うパターンに嵌っても無理はないだろう。

 そんな友人達を慰め交じり、冗談交じりに宥めたレオンであったが、その一言がエッジの顔を上げさせた。


「霊感か。その線もあるよな」
「そうかぁ?いやまあ、噂も確かにオバケだって言ってるけど、それは噂の話だし。それよりはまだ幽霊系レイスって言われた方が俺は納得できるけど」


 幽霊系レイスとは、魔物の一種の区分けで、物理的な肉体を持たない死霊アンデッドの一つとして分類されている魔物のことだ。
逆に肉体を持ち、魂を持たないものは、ゾンビ系として分けられている。
どちらにも共通して言えるのは、それぞれ肉体もしくは魂を持たないが故、生物としての“死”の輪から解き放たれていると言う事。
その憐れな存在をこの世から解放するには、肉体また魂の保持に注がれている魔力エネルギーが枯渇するか、ゾンビ系の場合は肉体を粉々にする必要があった。

 ロックとしては、正体の如何はともかくとしても、魔物と言われるなら納得だと言う。
目撃情報の数から見て、霊感のあるなしが振るいになっているとは考え難い気がしたのだ。
これが魔物の幽霊系レイスなら、霊感の素質とは関係なく見えるものだし、それでいて肉体がない為に存在としては聊か不安定であるから、ふっと消えてしまうと言うのも───なんとなく───理解できる。

 が、エッジはそれにも首を横に振った。


「奴等が発光するなんて話、俺は聞いた事ないぜ」
「なんか、いただろ、人魂連れてるような奴がさ」
「……確かに本で見たことはあるが、そう言うのは大体、何か恨みと言うか、攻撃意識がある危険な魔物じゃなかったか?それだと近付いた生徒から被害の話がありそうだが……」
「うーん……」


 腕を組んで考えるロックだが、やはり答えは出て来ない。
ロックもエッジも、件の発光体を見付けることすら出来ていないのだ。


「やっぱり、とにかく一度本物を見ない事には判んねえな」
「今日も行くのか」
「そりゃあ勿論。こう言う訳の判らないものは、はっきり正体突き留めておかないと、不安になる奴だって出て来るだろ。今の所は怪我したような奴もいないけど、いつそうなるかも判らないんだし」
「って言ってるけど、エッジが興味あるだけだろ?」
「否定はしねえかな」


 笑うエッジに、ロックは肩を竦め、レオンは溜息を吐いた。

 だが、エッジの言うように、早く件の正体が突き止められるのは、悪いことではないのだろう。


(訓練施設は、中等部生も使う。エルオーネも行くはずだ。もし危険なものだとしたら、エルも危ない目に遭うかもしれない……噂もこう言うのは好きじゃないし、余り話が拡がると怖がるかもしれないな)


 家族の身に危険が及ぶことは、レオンは絶対に避けたい。
初等部の弟たちは、訓練施設に入る事は出来ないので大丈夫だとは思うが、エルオーネは戦闘訓練の授業がある。
そして、今は目撃例が訓練施設の奥に限られているから、恐らくはそれ以上の行動範囲はないのであろうと思われるが、いつ大きく動き出さないとも限らない。

 ガーデンの大人としては、噂が尾鰭背鰭で面白おかしくなる前に、片付けてしまいたい筈だ。
でなければ、好奇心旺盛な生徒たちが、次から次へと度胸試しをしに行ってしまう。
発光体にしろ、訓練施設の某かにしろ、悪い事故が起きる前に、収束して欲しい筈だ。

 そう考えていたレオンに、エッジがずいと顔を近付け、


「なあ、レオン。お前、放課後に時間作れないか?お前って霊感ありそうだし、光の正体も気になるだろ?」


 エッジの言葉に、レオンはぱちりと目を丸くした後、眉間に皺を寄せた。


「俺は噂に興味ないぞ。霊感だなんて、その手の物だって見たこともない。第一、放課後はアルバイトもあるから、いつまでもガーデンには残れない」
「夜は?」
「バイトが終われば帰る。エル達だけにしておける訳ないだろう」
「過保護だな。まあ、お前のとこって大人もいないし、実際、嬢ちゃんやチビだけにしとくのも難か」


 レオンが家族を優先順位の不動の一位にしている事は、少し親しい人間なら誰でも知っていることだ。
兄弟家族だけで過ごしていることを思えば、彼が妹弟に対して過保護気味になるのも無理はない。

 やれやれ、とエッジは肩を竦め、


「じゃあ今日も俺達だけで行くか」
「そうだな。ちょっと別のルートから行ってみよう。上から見た時、使えそうな足場があったんだよ」
「何処だ?」


 早速今夜の作戦会議に入る友人達に、よく意欲が続くものだとレオンはこっそりと感心するのであった。



 高等部に在籍するレオンの授業が終わる頃には、ガーデンの校舎内は大分静かになっている。
幼年クラスや初等部は昼頃に、中等部もその後に授業を終えているので、生徒の大半は校舎を離れ、それぞれの放課後を過ごしているからだ。
スコール、ティーダ、エルオーネもとうに授業を終え、バラムの街で買い出しも済ませ、家へと帰っている。

 レオンは授業が終わると、教員に呼び止められて某か雑事を任されたりしない限りは、すぐに家に帰るようにしている。
エルオーネと一緒に家族の夕飯の下拵えをし、それからアルバイトに行く為だ。
最近はスコールは勿論、ティーダもよく手伝ってくれるから、エルオーネはレオンに「急いで帰らなくでも大丈夫だよ」と言ってくれるが、最早このルーティンはレオンの癖なのだ。
家族が無事に家に帰っていることを確かめてから、アルバイトに行く───それがレオンにとって一番安心するのである。

 バス停からの道を急ぎ足で抜けて、自宅に着く。
キッチンで野菜を刻む音がしたので、覗き込んでみると、思った通り、三人がそれぞれ仕事をしていた。
ただいま、おかえり、の挨拶の後、レオンは荷物を置いて、自身もキッチンに入る。


「今日の夕飯は?」
「ちょっと寒かったし、温かいものにしようかと思って。じゃがいものグラタンと、人参ときのこのスープ。あとサラダも」
「じゃあホワイトソースを作るか」


 エルオーネの献立予定を聞いて、レオンは早速小さな手鍋を取り出した。
シンクではスコールとティーダが葉物を千切ってサラダの準備をしている。

 とろみの付いて行くホワイトソースが焦げないように、木べらでゆっくりと掻き混ぜていると、「そう言えばさあ」とティーダが言った。


「今日、ガーデンで面白い話聞いたよ」
「なあに?」


 エルオーネがタマネギの皮を剥きながら先を促す。
ティーダの隣では、スコールがむぅと眉をハの字にしていたが、ティーダは朗らかに言った。


「オバケの話聞いたんだ!」
「オバケ?」


 レオンがまさかと鸚鵡返しをすると、その予想は当たっていた。


「なんかね、訓練施設にオバケが出るんだって」
「ゼルがね、中等部の人から聞いたんだって」


 ティーダに重ねて、スコールがその情報源について言った。

 ゼルと言うのは、バラムガーデンが設立される以前、まだクレイマー夫妻の孤児院が経営されていた頃、レオンたちと共に夫妻の世話になっていた子供の名前だ。
ガーデンが設立される前に、バラムに住むディンと言う夫妻の元に引き取られている。
そしてガーデンが出来た後は、開校と共に入学したレオンたちとは少し遅れて入った。
スコールやティーダとは同い年であるから、今でもスコールとは交流も多く、よく一緒に遊んでいる。

 そのゼルが、図書室で本を読んでいる時に、中等部と思しき生徒が噂話をしているのを聞いたと言う。
なんでも最近、訓練施設にオバケが出るとかで、施設を使った授業が中止になったとか。


「授業が中止に?そうなのか?」


 レオンがエルオーネに訊ねると、彼女は苦笑いをして小さく頷いた。


「攻撃系魔法の実習が予定されてたんだけど、急になくなって。原因がその噂の所為かは判らないけど。私はああいうの得意じゃないから、授業がなくなったのは正直、ラッキーだったなって思ってはいるんだけどね」


 中等部からカリキュラムに入る戦闘訓練であるが、エルオーネはそれ自体が余り得意ではない。
最低限の点数は取れるように努力はしているが、武器を持って戦う、魔物を相手にする、と言うのは、やはり苦手意識が勝つようだ。
こう言う生徒は決して少なくはないので、戦闘に関しては実技と座学でそれぞれ単位が取れるように調整はされているようだが、サボって良いものでもない。
だからガーデン側の都合で訓練施設の使用が中止になり、実技内容の授業が座学へと切り替えられるのは、其方での単位取得を当てにしているエルオーネにとっては幸いだった。


「オバケの噂なら、中等部でもよく聞くの。変な所に光があるとか、授業の記録用の録画映像の中に、変なノイズが入るとか。気味悪がってる子も多くて、授業の時に見学する子もいたし……」


 エルオーネの言葉に、ティーダはオバケの噂を本当だと思ったらしく、きらきらと目を輝かせて言った。


「そんなに色んな話があるなら、ホントにオバケいるんだよ。すごいな、オレ、オバケ見てみたい!」
「ええ……いやだよ、オバケがいるなんて。中等部になったら、僕らもあそこに入らなきゃいけないんでしょ?」


 好奇心一杯の表情のティーダとは対照的に、スコールは不安げだ。
二人が訓練施設を使えるようになるまでには、あと三年は必要になるが、若しもそれまでオバケが住み着いていたとしたら。
スコールは想像するだけで怖いようで、やだやだと首を横に振った。


「ねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんはあそこをよく使うんでしょ?」
「授業があるからな。その為に整えられた場所だし」
「オバケ、本当にいる?お兄ちゃんは見たことある?」
「いや、俺はそう言うのは全く見ていないぞ」
「でもオバケいるって皆言ってるよ!」
「それは、俺も最近聞いてはいるが……」
「うう〜……バトルの授業って怖そうだし、やなのに……オバケも出るなんてもっとやだ……」


 スコールは今から泣き出しそうな顔をして、訴えるように兄を見た。
そうお願いをされても、授業はあるだろうしと、レオンは眉尻を下げるしかない。

 と、授業内容については仕方がないとしても、


(オバケの話は、確かにそう言われると放って置けるものでもないな)


 友人達から噂について聞いた時には、眉唾物と言う印象もあって、深く気にしていなかった。
だが、こうして妹弟たちから聞くと、あまり長く放置しておくのも良くない、と思えて来る。

 エルオーネの授業が中止になったのは、何もオバケの噂の所為だけではないと思うが、今ガーデン中で噂されていることを思うと、誰もが関連性を疑うだろう。
中でそれと思しきものが暴れているとか、その存在の影響を受けた既存の魔物の行動が変化しているだとか、それが生徒に予想外の害を及ぼす可能性もあるのだから。

 初等部のスコールとティーダがオバケに遭遇することはないとしても、件の発光体がいつまでも訓練施設のみに留まっているとも限らない。
また、好奇心旺盛な生徒が、ルールを破って訓練施設に入ろうとするのも、決して皆無な訳ではないのだ。
規則を破れば罰が下されるが、バレなければ大丈夫、そのスリルが楽しい、等と挑もうとする者も後を絶たない。
そうして幼い生徒に事故が起これば、それは悲しいものになってしまうに違いないと言うのに。


(……ティーダやスコールが、自分達だけで訓練施設に入ろうとするような事は、ないとは思うけど。万が一を思うと怖いな。噂がもっと広がったら、どうなるか。エルの授業もある訳だし)


 色々と考えれば考える程、“もしも”“まさか”は尽きない。
弟達が危険な行動を取る可能性も、妹が何かに巻き込まれる可能性も、ゼロではないのだ。
レオン自身も、訓練施設を使った授業は週の半分ほどの頻度で時間が取られているから、これも影響があるだろう。

 オバケの存在を怖がるスコールと、噂の真偽はともかくとして不安はあるのだろうエルオーネの表情に、何とかなると良いが、と思うレオン。
と、そんなレオンよりも先に、ティーダがぎゅっと拳を握って言った。


「オバケなんて怖くないって。出てもオレがやっつけるもん!」
「ティーダが?」
「正体だってオレが確かめるよ。それで、オバケかオバケじゃないか判れば、エル姉ももう怖くないでしょ?」
「それは、判んないよりは判った方が怖くはないけど。待って、ティーダ、オバケに会いに行くつもりなの?」


 勢いの良い少年の様子に、エルオーネがはっと気付く。
慌てて確かめてみると、ティーダはやはり力強い表情を浮かべ、


「会えたら会う!会ってみたいし」
「だ、ダメダメ!そんな危ないこと」
「今すぐ行ったりしないよ、中等部になってから!あ、でもやっぱり早い方が良いよな。うー、レオン、オレ訓練施設に入っちゃダメ?」
「ティーダ、それは……」
「いつが良いとか、そう言う事じゃなくって。訓練施設にも入っちゃ駄目だし、オバケに会うのが駄目なの!」


 弟への心配、オバケと言う未知への恐怖に、エルオーネは顔を真っ赤にしてティーダを止める。
大事な家族で、人から預かっている子供に、危ないことなどさせられない。
しかし姉の心弟知らず、寧ろ姉を想うからこそオバケの正体を突き止めなければと思っているのだろう、ティーダは「大丈夫だよ!」と言い張って聞かない。

 反対するエルオーネと、それを説得しようとするティーダ。
スコールはその間に挟まれて、おろおろと二人を交互に見回している。
その内に助けを求めるようにブルーグレイが兄を見て、どうしよう、と訴えた。
当然、レオンとしてはティーダの気持ちは嬉しくとも応援できる話でもなく、エルオーネと同意見で、やんわりと幼子の勢いを挫く方を選ぶのだった。

 一頻り騒がしい遣り取りをした後で、キッチンは夕飯づくりを再開させる。
レオンはホワイトソースが完成した所で、アルバイトに行く時間になった。
行ってらっしゃい、と見送ってくれる家族に手を振り、暗くなりつつある街路を歩きながら、ふと考える。


(やっぱり、オバケの正体と言うか、早いうちに噂が収束してくれるのが良いんだろうな。皆の安心の為にも)


 そうしないと、待ちきれなくなったティーダが、本当にオバケを探しに行こうとしそうだ。
かと言って自分に出来ることなんて、と思うレオンだが、脳裏には毎日のように件の噂の真相を確かめようとしている友人達の顔が浮かんだ。