続く縁の交錯点


 スピラ大陸には、エボンと言う宗教が広く信仰されている。
その範囲はほぼ大陸の全土に行き渡っており、人々の生活と密接に繋がっていた。
それは人々の祈りの形は勿論、挨拶の仕方、日々の過ごし方や習慣、年間行事にも影響している。

 エボン宗が持つ戒律の中で、最も有名なことは何かと言えば、“機械禁止”に他ならない。

 今から五百年余り昔、スピラ大陸は世界でも指折りの機械技術が発展していた場所だったと言う。
それはあらゆる分野において当時の最高峰と言われるほどのもので、無人兵器の開発・運用・軍事増産まで至っていたと伝えられていた。
しかし、この無人兵器の誕生によって、スピラ大陸にあった国々の戦争が起こる。
スピラ大陸の歴史において、“機械戦争の時代”と括られるその時期、無人兵器や遠距離通信操作、更には自動駆動の運用まで為されていたと言う。
しかし、これにより人々はより激しく争い合い、機械の力を他国よりも一歩でも先へ行こうと実験を繰り返す中で、安全装置を意図的に解除したものや、そもそもリミッターを定めないものと言った、危険極まりない代物が誕生して行く。
遂にはこれらが戦場で暴走し、敵味方の関係なく掃討する上、創造主である人間にも牙を剥いた。
機械対機械の形を挺していた筈の戦争は、いつしか機械対人間と取って代わり、人々は無慈悲に命を屠り続ける無数の機械との戦いを強いられることとなる。
悪手だったのは、機械が機械を作るシステムが完成されており、その大本を制圧しない限り、機械は無限に増産され続け、人間すらも飲み込めるほどの暴力的な戦力を有するに至っていたことだ。
皮肉なことに、人間が機械によって殲滅される可能性が形になったことで、嘗て争い合っていた国同士が手を取り合い、機械を制圧せしめることが出来た。
───これが、現在のスピラ大陸が、広く大きな範囲で一国として現在に至る、最初の土台と言われている。

 エボン宗が興り、広く布教されるようになったのが、丁度この“機械戦争の時代”の終局頃である。
戦争によって機械そのものが人々の間で強く忌避されると同時に、それを禁止し、当時既に旧時代のものと括られていた、世界において中世期とも言われる頃の暮らし方を推奨したのが、エボン宗だったのだ。
機械との争いで疲弊し、荒れた大地で今一度生きる術を探す人々にとって、(よすが)となって流布されるにつれて、スピラ大陸のほぼ全土に拡がったのである。

 機械から平和を勝ち得た人々は、エボン宗の教えに則り、長く機械との接触を避けて来た。
戦争を終えた直後の時代には、それ以前にも当たり前に家庭にあった生活家電すら避けられたと言う。
陸路はチョコボの騎乗、それの引く馬車が主要な交通手段となり、現在もこの環境は変わっていない。
当時には、大陸に帰属する周辺の島々との行き来に使う船すら、ガレー船や帆船、小さなものなら魯と言ったものが重用され、人々の生活に大きな制限を齎していた。

 それから五百年と言う歳月の間、スピラの人々は、エボン宗の教えに殉じて生活している。
しかし、時代の移り変わりと、外大陸・諸外国との交流が増えるにつれ、機械を徹底的に避けると言うことは難しくなっていた。
戦争によって疲弊した生活水準は、時間とともに人口の増加も伴って回復し、現在では機械戦争勃発以前のものと同等になっている。
その生活を支える為にも、生活の利便性として、幾許かの機械の利用は不可欠だったのだ。

 現在、スピラ大陸では、機械の利用はエボン宗の管理の下、限定された環境でのみ認められている。
生活家電はその土地土地によって必要最低限とされる基準が個別に設けられ、冷蔵庫やコンロ、オーブンレンジなどは、エボン宗の認可によって販売・所有が管理される。
工事作業に使う大型駆動の機械や、港で荷下ろし作業を行うクレーンなども、稼働時間や設置場所等、定められた時間と区域に則り、事前申請の上で使うことになっている。

 スピラ大陸の住人にとっては、こうした制限は当たり前のことであり、個々人の考えは置くとして、機械禁止の不便と言うのも慣れたものである。
しかし、他国からやって来る人々にとってはそうではない。

 スピラ大陸は、世界的なスポーツとして注目されている、ブリッツボールの発祥地である。
そもそもはスピラ大陸内で始まり、機械戦争の時代の後、娯楽を求めた人々の心を捉えて以来、大陸の各地でチームが編成されるほどに隆盛した。
スピラ大陸が諸外国との交流を重ねるにつれ、ブリッツボールは次第に外国まで普及する。
現在は北のトラビア大陸にある機械都市ザナルカンドで最も盛んなスポーツとなったが、発祥地であるスピラ大陸でも、世界大会が行われるほど篤く親しまれていた。

 このブリッツボールを切っ掛けに、海外から沢山の人々が足を運ぶ。
世界大会、国対抗の交流試合、国の内外問わずぶつかりあう学生チームを対象とした大会も、スピラ大陸の都市ルカで開催される。
大陸南部の海際にあることで、港もあるルカは、シーズン期には渡来した選手と観光客でごった返しているものだ。

 そんなルカを訪れた人々が最初にぶつかる難問が、エボン宗による機械管理の制限であった。

 この現代において、機械に一度も触れずに死ぬ者など、まずいない。
そう言っても過言ではない程、機械技術と言うのは、なんらかの形で人々の生活に染み付いていた。
個人的に自然崇拝を掲げるものですら、その家には冷蔵庫がある。
土地の事情で地に機械を配置することが難しいイヴァリース大陸でも、飛空艇がごく当たり前の移動手段として利用されている。
人間は便利なものは利用したいし、一度触れれば、その快適さから逃れることは出来ないのだ。
一度、徹底的に機械を忌避した歴史を辿ったスピラ大陸ですら、そうなのだから。

 とは言え、である。
スピラ大陸は、一国としてその名を掲げることは滅多にないが、環境としてはエボン宗が総括する宗教国家だ。
国際的な場面では、エボン宗の老師が主賓として立つこともあり、実質、エボン宗の治める国と言って良い。
この為、スピラ大陸はその全土に渡って、エボン宗が定めた規則・戒律を、他国で言う法律として解釈・運用する。
当然、外国人もスピラ大陸にその足を置いている間は、これに従って過ごさなくてはならない。

 まずは、携帯電話である。
現在、通信機器として普遍的に利用されているこの機械は、スピラ大陸においてほとんど利用できない。
人々の連絡手段として、若者ならば当たり前に持っている道具だが、スピラ大陸到着早々に取り上げられることはないものの、使用許可が成されている場所はかなり制限される。
そもそも、通信網がないに等しい為、都市部にいる間なら電波はあるものの、街を離れればそれも届かない為、単なる精密機械の入れ物と化す。
通信が常時必要とされる職種に就いている者ですら、スピラ大陸はそれが儘ならない環境である為、此処に限っては別途の手段を講じなくてはならなかった。

 世の中には様々な物質や魔法成分を分析する為の専門的な機械があるが、これも制限を受ける。
スピラ大陸は長い歴史を持つ地である為、遺跡の類も少なくなく、これを研究したい学者は多いのだが、如何せん、その研究に必要な道具の持ち込みが厳しい。
事前申請した上で、それでも許可が下りるかはエボン宗次第、と言う状態だ。
エボン宗がどういった基準で機械の利用の可不可を精査しているのかは公表されていないから、過去の申請データを参考にしてはいるが、その時にならなければ分からない、と言うことも多かった。
この為、研究の為にスピラ大陸を訪れる者は、肌身でその異質を感じ取る才能を持つ者を手配する。
機械ならば制限を受けるが、同等の性能を有する人ならば制限されない───と言うことだ。

 レオンが籍を置くミッドガル社のSEEDは、この性能を有している者が多く在籍している。
かく言うレオンと、そのパートナーであるクラウドもそうだ。
レオンは契約しているG.Fとの繋がりが密接であり、G.Fでなければ感じ取ることが難しいものを、彼らを経由して知ることが出来る。
クラウドも契約しているG.Fとの影響と、彼自身が持っている体質によって、自然界に漂っている魔力やエネルギーの微妙な差異を感じ取ることが可能なのだ。

 だが、この性能を有しているものの中には、感知するものに対して過剰すぎる反応を示してしまう者もいる。
クラウドはこれに該当し、スピラ大陸の全土に渡って、土地特有の気配と言うものを感じるのか、仕事で足を踏み入れるのも疎む。
特にエボン宗の総本山と言える、スピラ大陸の首都ベベルのことは厭っており、レオンが此処で警備任務等に就く際には、止む無く仕事から外すこともあった。

 この為、レオンがスピラ大陸に赴く時は、余程の理由と会社からの強制命令でもなければ、クラウドが不在であることは多い。
それでもレオンは、数少ないSランクSEEDとして、他に派遣されたSEEDたちの指示やまとめ役も任されているのが常である。
だから全くの一人、と言うことは滅多にないのだが、今回はその“滅多にないパターン”となった。

 バラムの街の港から、定期便に乗って、スピラ大陸のルカに渡る。
現在、ブリッツボールはシーズンオフとあって、ルカは少々閑散としていた。
普段、大きな大会や式典行事が行われる時に、警護任務として派遣されることが多いので、静かな──と言っても、バラムの街より賑々しいのだが──ルカと言うのは少々新鮮だ。
帰る時には、家族の為に土産をのんびりと探しても良いかも知れない。
そんな事を思いつつ、レオンは事前に手配して置いたチョコボを借りて、今回の目的地まで一路走った。

 機械の利用が全面的に禁止されている為か、スピラ大陸と言うのは大きな開発がかかっている場所も少なく、自然の形がそのまま残っている場所が多い。
大陸の最南端に位置するルカから、自然豊かなその地をチョコボに乗って移動すると、中々に時間がかかる。
何せ、時速40〜50qを出す車でノンストップで走っても、一日はかかるであろう距離を、チョコボで移動するのだ。
燃料を積んでいれば文句を言わずに走り続けることが出来る車と違い、チョコボは休憩が必要になるし、餌も欲しがる。
これで地面が真っ直ぐに平らならもう少し早く進むことが出来るのかも知れないが、剥き出しの土の道は、天候によっては容易く悪路と化す。
チョコボだからこそ押し通れる、飛んで跨げる、と言うのはあるが、とは言えそもそもの速度に限界があるのだ。
が、それでも人の足で歩いて進むよりは、遥かに快適で速いと言える。

 大陸中央からやや北に位置する、青い光を放つ木々に覆われたマカラーニャの森を抜けると、次に目にするのは、広大なナギ平原だ。
嘗ては機械戦争で最も激しい衝突が繰り返され、機械も人も凄惨な光景があったと言う。
その時の戦闘により、地形が変化したり、地割れすらもあったと言われているが、今現在は動物、魔獣、魔物が暮らす、何処にでもある、ただただ広い平原だ。

 変わった所と言えば、ナギ平原の北側──地図で言うと、スピラ大陸最北の霊峰ガガゼト山を背にする位置に、これもまた大きな建造物があることだろうか。
この建造物は、スピラガーデンである。

 ガーデンと言うと、レオンも嘗て在籍し、十九歳の時に卒業したバラムガーデンだが、これを含めてガーデンは世界に四校ある。
このうち、最も歴史が新しく、在校生の数が多いのが、スピラガーデンであった。
また、スピラガーデンの運営はエボン宗に委託されており、スピラ大陸の若者たちが入寮している為、四校の中でも特に土地独特の授業が多いとされる。

 レオンは、遠くからでもよく判る巨大なスピラガーデンを横目に見ながら、ナギ平原を横断した。
向かうのは更に北、しかし此処まで来れば目と鼻の先だ。
ガガゼト山の裾野が、レオンの今回の目的地であった。

 真っ直ぐに進めばガガゼト山の山門が見える手前で、レオンはチョコボの手綱を引いた。
山麓への道を狭める崖を左手に見ながら走って行くと、丘陵の向こうにぽつぽつと建物が見えて来る。
いくつかからは生活の煙が立ち上り、近付くにつれて肉を燻す匂いや、葉や草を煮立たせる匂いが空気に混じって感じ取れた。
建物には独特の文様を象った意匠が目につき、暮らす人々の服装にもその文様が施されている。
規模としては集落、村と言った所だった。

 レオンは過去にも一度、この村に来た事がある。
滅多に来訪客など訪れない場所にあるからか、村人たちが不思議そうに此方を見ているのが判った。

 チョコボを下りたレオンが手綱を引いて辺りを見回していると、一人の少年が駆け寄って来る。


「こんにちは。ええと、レオン・レオンハートさんですか?」


 利発な喋り方で挨拶をした少年に、レオンは「ああ」と頷いた。
少年は安堵した様子で笑みを浮かべ、


「若様からお話は伺っておりますので、ご案内いたします。チョコボも屋敷の方でお預かりしますので、此方へどうぞ」


 人懐こい表情で言った少年に促されて、レオンは歩く足を再開させる。

 村の中は何処も質素なものであったが、少年に案内された先には、屋敷と言って差し支えのない、大きな木造の建物が鎮座していた。
入り口に文様を象った垂れ幕が誂えられ、その立派な佇まいと共に、此処がこの村を治める者の住む場所だと言うことが判る。
少年の話では、建物の裏の方には厩舎があるとのことで、チョコボは其方で預かってくれるらしい。
仕事を終えれば帰る足として必要になるから、それまで面倒を見て貰うのだ。


「それじゃあ、宜しく頼む」
「はい。では、レオンさんは其方の玄関から───」


 中へどうぞ、と少年が言おうとした時だった。
ちり、とした感覚がレオンの首の後ろを掠めて、レオンの手が本能で武器を取る。
右手に持っていたガンブレードケースを盾に構えると、ギィン、と金属がケースの表面を削り取る音が響いた。

 目を丸くする少年の首根っこを掴み、後方へと投げ飛ばすように放る。
雑な扱いになったが、この場は勘弁して貰おう。

 レオンは、ガンブレードケースの向こうにある影に向かって、蹴りを放った。
ケースを回り込む形で振り上げられた足は、しかして宙を掻き、足首に細長いものがくるりと巻き付けられる。
引き絞られると同時に足が体ごと持って行かれて、レオンは舌を打った。
不自然な体勢を強いられる体を、体幹に物を言わせて無理やりに捩じり、逆足で影の顎を狙った。
が、それもまた躱されるが、足を引っ張っていたものが解け、レオンは空の手で地面を押して体を起こし直すことに成功する。

 数舜の間に舞い上がった土埃が、霊山の尾根から吹き下ろす風に攫われる。
煙の向こうで腰を低く身構えている人物を見て、レオンの眦が微かに笑みに尖った。


「随分な挨拶だ」
「俺とお前の仲だからな」


 返ってきた言葉には、レオンと同じ、笑みが混じっていた。

 銀色の逆立った髪、明度の高い紫電色の瞳。
纏う衣は外套のように背を覆う長さだが、それが素早い身のこなしに合わせて猫の尻尾のように動くから、まるで見る者に幻覚を誘う。
口元は顎下から鼻までを覆面に隠していた。
眦は尖り、強気な三白眼は見る者を威圧していたが、レオンはそれが存外と人懐こく忙しく表情を変えることを知っている。

 レオンにとっては、よく知る男だ。
久しぶりに見る顔ではあるが、彼の根幹を作ったであろう時代、レオンは時間と場所を共に過ごした。
だから、問答無用に襲って来た今の出来事も、竹馬の友への文字通りの挨拶であることも、よく判っている。

 レオンが盾の代わりにしていたガンブレードケースを下げると、銀髪の男も構えていた腕を下ろし、左手に持っていた短刀を腰の鞘へと納める。
それを見て、レオンは手元のケースの表面を見て眉根を寄せた。


「ケースに傷があるんだが。修理費は出してくれるのか?エッジ」
「天下のSランクSEED様なら、そんなものふんだくらなくたって十分持ってるだろ?」


 レオンの言葉に、エッジは両の手のひらを空に向けながら、けろりとした顔で言った。
概ね予想通りの反応に、同級生は相変わらずのようだと、レオンは呆れ半分に安心した。


「変わってないようで何よりだ」
「お前もな。物騒な事件によく首突っ込んでる割に、元気で良かったよ」
「別に首を突っ込んでるんじゃなくて、仕事をしているだけだぞ」


 好んで厄介に飛び込んでいるような言われ方は、レオンとして本位ではない。
あくまで仕事の派遣によるものだと訂正するレオンだったが、エッジは口元の覆面を外しながら、「どうだかねえ」と苦笑している。


「お前、昔から抜けてる所あるし、お人好しだからな。あと家族が絡むと色々すっぽ抜けるから。そういや、チビや嬢ちゃんたちは元気してんのか?お前がいないと泣いてたりしただろ」
「エルはトラビアガーデンに留学、スコールもティーダも、もう十七だ。俺もSEEDになってからそこそこ経ったし、俺が傍にいなくても、ちゃんと生活してるさ」
「そりゃ寂しいこった」


 エッジの揶揄う言葉に、レオンの唇が尖る。
古い友人の含みのある言葉に、どういう意味だ、とレオンが募ろうとした時だ。


「若ー!大事な客人を相手に不意打ちを企てるとは、なんたる無礼をしておるのですか!」
「ゲッ、じい!」


 屋敷の玄関口が大きな音を立てて開き、同時に響き渡るしゃがれ気味の大音量に、エッジが分かり易く慄いた。

 レオンが玄関を見ると、白い髭を蓄えた老人が、かんかんに目を吊り上げて此方を───と言うより、エッジを睨んでいる。
正しく沸騰したばかりと言う真っ赤な顔に、血圧は大丈夫だろうか、とレオンはひっそりと思った。


「若!大事な客人をもてなすと仰るから、何をしに行くのかと思ったら。ツキノワから報告を聞いて、じいはひっくり返りましたぞ!」
「そりゃ危ねえな。腰は大丈夫だったか?」
「そのような気遣いを申されるならば、斯様な愚行は金輪際おやめ頂きたい!お客人に怪我でもさせたら、どのように責を取るおつもりですか!」
「レオンだぜ?そんな事にゃならねえって。俺も加減は弁えてるよ」


 平然として返すエッジに、じいと呼ばれた老爺は益々眉を吊り上げる。


「そんな問題ではないのですぞ!」
「大丈夫だって。それよか、ほれ、案内案内。レオンに今回の話、ちゃんと説明しとかねえと。俺はあっちの方見て来るから、宜しくな!」


 そう言い終えるや否や、エッジはくるりと踵を返し、脱兎の早さで走り出した。
あっと言う間に見えなくなるその背中に、益々早くなったな、とレオンが思っている間に、「若ぁー!」と老爺の怒りの声が響き渡って行った。

 エッジの姿が見えなくなるには数秒で十分だった。
昔から本気で走れば、誰も追いつくことが出来ない、そんな健脚を誇るエッジだ。
時空魔法を使ってもはて追い付けるかと言う彼を、なんとしてでも捕まえようと言うのなら、事前に罠でも仕掛けておくしかない。
それも、目も耳も勘も良いエッジに気付かれないような、入念で解りにくい罠を。

 そんなエッジと、日々追いかけっこをしている状態の老人に、レオンは苦笑しながら声をかける。


「大丈夫ですか」
「はあ、はあ……ああ、申し訳ない。ご足労頂いたと言うのに、全く、ご無礼を……」


 深々と頭を下げる老人に、レオンは「いえ」と労うしかない。


「彼の事は、知らない仲ではありませんから。私の方は大丈夫です」
「あい、すみませぬ。若には重々と聞かせます故……では、件については此方で、御屋形様から話を頂けます。奥へどうぞ」


 玄関を開け、中へと促す老人に、レオンは会釈して敷居を跨いだ。




 エドワード・ジュラルダイン───“エッジ”の呼び名で通っている彼は、レオンがバラムガーデンに在籍していた頃の同級生だった。
バラムガーデン開校から間もなく籍を置いたレオンから、遅れること一年で彼は入学し、以降はレオンが十九歳で卒業資格を取得するまで、学び舎を共に過ごしている。

 エッジの出身はスピラ大陸に古くから在る、エブラーナと呼ばれる部族の集落であった。
機械戦争の時代以前から、その集落はガガゼト山の麓に位置し、山麓にある古い遺跡の守り人として住み暮らしてきた。
永らく古式ゆかしい生活をしていた部族であったが、今代の長であるエッジの父親は、現在のスピラ大陸の在り方が少しずつ変化していること、世界的に見れば更に別の価値観や環境があることを鑑みて、息子の知見を広める為、エッジを故郷から遠く離れたバラム島に開校したガーデンへと入学させた経緯がある。

 以後、エッジは大学部の二年生までバラムガーデンに籍を置き、卒業資格を取った後、故郷へと帰った。
それからは部族の次期長としての鍛錬修行をしながら、昔からの守り人としての務めを果たしつつ、スピラ大陸の緩やかな変化に対応するべく、スピラ大陸にある都市街との繋がりを築く為に奔走していると言う。
今は長である父親が現役である為、「若」と呼ばれる立場にあるが、心身ともに長として相応しくなったと父から認められれば、その時点で世代交代も十分あり得る、とのこと。

 バラムガーデンに在籍していた経験のお陰で、エッジはエブラーナの集落の中でも、ひとつ飛び抜けて異彩である。
特には、スピラ大陸の人々にとって、機械と言うのは個人の感情はどうあれ出来るだけ忌避する傾向があるが、エッジはそれに触れることに抵抗がない。
元々、新しい物好きで好奇心が旺盛であったから、抵抗感そのものが薄いのもあるが、利便の良いものを生活に導入する提案を立てることに否やがなかった。
そして、学生時代に培った繋がりと言うのも豊富で、機械や通信技術の制限によって土地柄に閉塞的になり易いスピラ大陸にあって、“外”との繋がりは存外と深い。
集落の中だけでは解決することが難しい物事に当たった際、人脈を辿って外から専門家を呼ぶことも出来る程、エッジの柔軟性や交友関係と言うものは重宝されていた。

 レオンがエブラーナの集落に呼ばれたのも、そんなエッジとの繋がりが今も続いているからだ。

 集落の長の屋敷には、過去に村に訪れた時に、上がらせて貰った。
その時は友人のよしみと言うことで、一泊の宿として一部屋を借り、エッジとは久しぶりの再会であったこともあって、少々遅い時間まで雑談をしていた。
あれは今から、二年ほど前の話だった筈だ。

 微かな記憶の片隅に残っていた光景と、屋敷内の光景は然したる違いはない。
石畳を土台にした建物は、壁も床も木材で、人々は其処にイグサと言う草を編んだ敷物を置き、座布団や足の短いテーブルを誂える。
霊峰ガガゼトから吹き下ろす北風でよく冷える土地であるから、暖を取る手段として、囲炉裏が重宝されていた。
水はガガゼト山の雪解け水を井戸から汲んでいるので、自然の濾過装置が存分に働き、ミネラル豊富な水を得ることが出来る。
場所柄として機械は勿論、それの動力源となる電気設備と言うのは殆どないのだが、食糧の保存は氷室があるので問題ないのだと言う。
元々が辺境と言って差し支えない場所に集落を作り、知恵を絞って連綿と生活を紡いできた部族だ。
エッジの影響もあり、そもそもエボン宗を信仰している訳ではない為、機械技術への忌避感は少ない方だが、機械の恩恵がなくても生活できる環境が整えられていた。

 レオンも幼い頃は随分な田舎で過ごしていたが、それでも機械技術は当たり前に身近にあった。
台所まわりは勿論のこと、ラジオもあったし、部屋の明かりも電灯だった。
しかし、この集落では夜になると蝋燭や行灯、外なら篝火が頼りだと言う。
不便じゃないんだろうか、とレオンは思うこともあり、実際、エッジはバラムガーデン卒業後に実家に帰ってきた時には、環境の違いを肌身で実感したと言う。
培ってきた伝統や歴史を否定するつもりはないが、使えるものは使うべきだ、と言ったエッジは、部族の新しい生活の形を模索している真っ最中だ。

 此方でお待ちください、と通された客間に荷を置き、束の間の休息に座布団を借りて、レオンはそんなことを考えていた。
客間の壁には大きな丸窓が設けられ、格子柄の組み合わせで額縁に見立てたその向こうには、小さな山水庭を見ることが出来る。
前に泊まらせて貰った部屋とは別だな、と思っていると、戸口の柱がコツコツとノックされた。

 振り返ると、「失礼」とひとつ断りの後で、紙張りの扉が横に引いて開かれる。
その向こうに立っていたのは、鷲鼻に口髭を生やし、角ばった輪郭をした、壮年の男性だった。
迫力で言えばレオンにとってはジェクトの方があるように思えたが、醸し出す雰囲気は、彼よりも重く威厳を感じられる。
この人が一族の長であると、レオンは初めてその姿を見た時から、感じ取ることが出来た。

 レオンは直ぐに居住まいを正し、背筋を伸ばした。
長はそんなレオンに、柔く唇を綻ばせ、


「そう固くならなくて良い。君は倅の友人だ」
「ありがとうございます。しかし、今日は仕事を貰っていますから。依頼主の前で横着した格好をする訳にはいきません」


 気遣いを受け取りつつ、レオンは姿勢を崩さないように意識する。

 長が客間に入ると、直ぐにお付きであろう長身の男も続いた。
お付きの男は備えられていた座布団を取り、レオンの前に主の席を作る。
長が其処に腰を下ろすと、お付きの男はひとつ頭を下げて、直ぐに退室した。

 胡坐に座った長の、息子とよく似た切れ長の目がレオンを映す。


「茶も出さずにすまないな」
「いえ」
「それでは、早速で悪いが、其方に依頼した件について詳しく話そうか」


 言いながら、長は懐から数枚の紙を取り出した。
二人の間で拡げられたそれには、スピラ大陸の北部──ガガゼト山からナギ平原の地図が、尺度の違いごとに描かれている。

 レオンは地図を一度見下ろした後、長の顔へと視線を戻し、


「社から受け取った任務概要からは、ガガゼト山の麓にある、古い遺構の調査を……と聞いています。この辺りの遺構となると───浅学ながら、やはり機械戦争時代の土壙墓でしょうか」


 レオンの言葉に、長は小さく頷いた。

 機械戦争の時代、ナギ平原は特に戦場として絶え間ない衝突が繰り返された場所だ。
様々な兵器開発により、圧倒的なエネルギーで暴力を振るう機械によって、地形が損なわれるほどの壊滅的なダメージを受けた場所も少なくない。
場所によっては、古の時代に存在していたであろう、遺跡群も被害を受けた痕跡が残っている。

 機械戦争の全盛期には、戦場は無人兵器ばかりが争い合っていたと言うが、その前後──機械技術の隆盛前と、無人兵器の暴走後──はヒトもその戦場に立っていた。
戦場には破壊された機械の残骸だけでなく、兵士の躯が無数に横たわり、それらは大型の機械に踏み潰され、ナギ平原の周辺に生息する魔物に食い荒らされた。
あまりに惨たらしい光景だが、当時の人々に死者を入念に弔う余裕はない。
辛うじて回収された躯はナギ平原の北部にある崖から捨てられ、崖底で山と積まれた遺骸は、また其処に生息する魔物の餌となったと言う。

 そして機械戦争時代の末期、人々が機械との争いを制し、新たな生活を立て直すことに努めて、更に時間が経った後。
ようやく人々は、機械戦争時代の犠牲となった人々を弔う為に動き始めた。
その活動のうちのひとつが、ナギ平原北部の崖から捨てられた人々を正式に弔う為に、墓が作られたというものだ。

 元々、其処には機械戦争時代以前から在る、古い遺跡があった。
墓を作る場所を探す為にも、遺跡には調査が入ったのだが、其処は当時すでに魔物の巣窟と化していた。
更に機械戦争の時代、犠牲者の躯を食べた魔物たちが、死者の魂と交じり合い、死霊(アンデッド)となって遺跡の全域に渡って取り憑いていたのである。
これを見た当時のスピラの人々は、死霊(アンデッド)を機械戦争の犠牲者の無念の霊魂として捉え、遺跡そのものを人々の墓として扱うことにしたのだ。

 その後、遺跡はそのままに、其処を中心として土が掘られ、周辺で見付かった人骨を埋葬し、遺跡も含めた一帯が機械戦争の犠牲者の土壙墓となった。
埋葬は数十年に渡って調査とともに行われ、公的な働きとしては既に終えたものの、今現在も付近の土を掘り起こせば、古い時代の人骨や遺品と思しきものが見付かると言う。

 長は並べた地図のうち、最も縮尺の小さいものをレオンに見せた。
それには、ガガゼト山とナギ平原の間にある山門の傍から、横に逸れる形で伸びている道がある。
長の指がそれを辿り、また別の地図に繋いで、ナギ平原北部の崖下を指した。


「君の予想の通り、此処が件の墓とした遺跡の入り口だ。君にはこの中の調査を頼みたい」
「それは───部外者の私が立ち入って良いものなのですか?」


 墓としても、遺跡としても、この一帯はスピラ大陸の人々にとって、余所者に無用に触れられたくない場所だ。
レオンもそれを理解している。
歴史学者の遺跡調査の為の発掘でさえ、勝手に行って良い場所ではない筈、とレオンが眉根を寄せると、


「調査の許可については、既にエボンから得ている。問題はない」


 事前に必要となる根回しについては、この一帯の遺跡の守り人を勤めて来たエブラーナの部族として、既に済ませていると言う。
調査の為に現地人の監視として付き添いは必要で、当地にあるものの破壊や持ち帰りは許されない、との注釈付きであった。

 レオンは地図を見詰めて眉根を寄せた。
認可があることは、仕事を果たすにあたって幸いだが、そうまでして部外者の手が必要な事態が起きている、と言うことにも聞こえる。


「……何が起きているのか、状況をお聞かせ願えますか。一帯が墓として祀られているとは言え、此処は元々、魔物の棲息も多く、機械戦争時代の頃から死霊(アンデッド)は棲みついていました。その上で、死霊(アンデッド)については、彼らを犠牲者の無念の魂として捉えていることから、退治については否定的な考えであると聞きます。その為、慰霊式典の際にも、人々は遺跡現地には近付かず、ナギ平原の方から献花を行う仕組みになっていると」
「ああ、その通りだ。それは今現在も変わっていない。今年催された式典の際にも、ナギ平原から花が送られた。我々エブラーナの民も、その式典には私を含め、数名が参列している。元々魔物も多く危険の多い場所であるから、エボンの老師も可惜に近付く事はない」
「……それが何故、遺跡の内部の調査を、私に?」


 墓としても、遺跡としても、人々が無暗に触れて良い場所ではない。
そう定められている筈の場所に、公的な調査団でも、考古学に知識のある学者でもない、レオン一人がミッドガル社から派遣された。
SEEDであるレオンが専門としているのは、戦闘を主とした警護や討伐であって、遺跡調査など全くの畑違いだ。

 その理由について、長が口を開いたと同時に、客間の戸が開けられた。


「その死霊(アンデッド)が、遺跡の外に出て来てるんだよ」


 眦を釣り上げてそう言ったのは、エッジだった。

 エッジは、長とレオンが向かい合って挟んでいる、地図を車座の中心にする形で腰を下ろす。
胡坐をかいたエッジは、地図の遺跡の入り口から、ガガゼト山の山門のある地点まで、指差しに山道を登って示した。


「遺跡の洞窟から、この山道の入り口まで。近頃は山門の辺りでも見ることがある。これまでに、遺跡からはみ出て来た魔物は何度も確認したし、そういうのは退治もしてきた。だが、死霊(アンデッド)がこっちまで来たことはなかったんだ」


 エッジの言葉に、レオンの眉根が寄せられる。
前例のないことが起きると言うのは、自然界のことであっても、やはり何某かの変化か異常の兆しであると考えられた。


「……その死霊(アンデッド)は、ガガゼト山から下りて来たものだと言う可能性もあるのでは?」


 スピラ大陸の最北端を占める、霊峰ガガゼト───其処は古くから、スピラ大陸に住まう人々にとって、縁の深いものだ。
山頂近くには、神話の時代に建立されたと言われる、古い寺院遺跡がある。
この為、エボン宗にとっても、ガガゼト山は聖域として崇められており、参拝と言う形でかの地を訪れる者は多い。

 しかし、スピラ大陸の北部には、海を挟んでさらに北に位置する、トラビア大陸からの強烈な寒気団が当たる。
この為、ガガゼト山を擁する山脈には万年雪が積もり、その頂にある寺院を訪れる為の道程は、非常に過酷なものであった。
また、魔物や獰猛な魔獣の棲息地でもあり、山道の道中に命を落とす者は後を絶たなかったと言う。

 今でこそ参拝に向かう人には、ガードと呼ばれる護衛がつくことが決められており、その為にエボン宗も僧兵を派遣している他、霊峰ガガゼトを守護することを勤めとする部族として、ロンゾ族が麓に里を形成している。
これにより、魔物との遭遇による死亡は激減したが、大きく人の手が入ることのない山道は雪深く、案内があっても滑落事故や吹雪による遭難は聞く話であった。

 こうした人々の生活と、霊峰と呼ばれるほどに大気中の魔力値も高い場所であることが重なり、ガガゼト山にも死霊(アンデッド)は生じ易かった。
それが山麓まで降りて来る、と言うのは、十分に考えられることだ。

 レオンの指摘に、エッジも長も頷くが、


「その可能性は俺たちも考えた。山麓にいるロンゾ族にも、最近で山の方から死霊(アンデッド)は降りて来たかって聞きに行ったさ。ガガゼト山のことなら、俺たちよりあいつらの方が詳しいからな」
「結果としては、空振りだ。数として皆無ではないが、山から下りて来た死霊(アンデッド)は、人々に害を成すことのないよう、ロンゾ族が発見次第退治している。欠かさず見回りをしている彼らのことだ、少なくとも山門付近で見逃すことはないだろう。それからロンゾ族にも協力して貰って、山門付近に現われる死霊(アンデッド)が何処からやって来るのか、注視して貰った。その報告の結果が、この遺跡洞窟から現れている、と言うものだったのだ」


 父子の口を揃えての回答に、レオンはそれならば疑いようもない、と納得せざるを得なかった。
古くからの一族の掟に厳格なロンゾ族が、ガガゼト山周辺の異変に関して、嘘を吐く理由もない。
エッジたちが聞いた彼らの報告は、間違いなく事実だろう。


「問題は、異変が起きているのがナギ平原に隣接しているこの位置だってことだ。ガガゼト山側に何か起きてるなら、ロンゾ族に調査を頼めば良いんだが、こっち側となるとそうもいかない。あいつらはあくまでガガゼト山の守りが務めだからな」


 頑固なんだから、とエッジが苦い口調で呟くと、長の目がじろりと息子を睨む。
滅多なこと言うな、と咎める視線だったが、エッジは涼しい顔で黙するのみであった。

 やれやれ、と長は溜息を漏らしつつ、改めてレオンへと向き直る。


「ロンゾ族の報告も受けて、此方も務めとして件の遺跡の調査を行った。だが、元々が規模の大きな遺跡であったものを、埋葬の為に掘り進んだこともあって、中は複雑な迷路になっている。それ自体は、エブラーナの者にとって問題はないのだが……見回った限りでは、異常が起きているようには見えなくてな」
「……目で見える所では、と言うことですね?」


 長の言葉に、レオンが確かめる形で言えば、長は頷く。


「ガガゼト山の寺院然り、この辺りの遺跡の多くは、魔力的な影響の高い場所であることが多い。我々もそれは理解している。しかし、この環境に変化が起こっているとしても、それが大きな現象を起こしていない限りは、我々も気付くことが難しい」
「うち単独だと、魔力探知に優れた奴って言うのが足りないんだよな。かと言って、此処じゃそう言うものを調べる機械も使えない」
「そう言う戒律だからな。エブラーナはエボンを信仰している訳ではないが、どうしても影響は考えざるを得ない」
「隠して調達しても良いけど、バレた時が面倒だろ。況してや、精度の高いものでってなると、それなりに立派なものを用意しなきゃいけない。流石に其処まで俺もアテはなくてさ」


 エッジ自身が機械を頼ることに抵抗はなくとも、風土がそれを許さない。
スピラ大陸に住む部族の中には、進んで機械技術を取り入れ利用しているものもあるが、その部族はエボン宗から強く忌み嫌われており、一般市民からも疎まれている。
それを飲み込んだ上で生きる道を選ぶのでなければ、ある程度は多数寄りの考えに迎合する必要があるのだ。

 だからエッジたちエブラーナの人々は、機械に頼らない方法で、遺跡の状態を調べる手段を探す必要があった。
其処でエッジが思いついたのが、個人の伝手を使って、旧知の友人に頼むと言うものだったのだ。


「機械のアテはなかったが、人のアテならあるなと思ってよ。どうにかお前に来て貰ったってわけ。お前なら、魔物がいるような遺跡でも心配ないし、遺跡に対して妙な真似することもないからな」
「すまないな、レオン君。倅がこう言うので、此方も乗らせて貰うことにしたんだ。報酬としては大した額にならないとは思うが、きちんと支払う。手を貸して貰えると有難い」


 よろしく頼む、と頭を下げる長に、レオンも応える形で「ありがとうございます」と頭を下げる。


「私で力になれることがあるのでしたら、出来る限り、尽力しましょう」
「ありがとう」


 感謝に右手を差し出す長に、レオンはそれを握り返した。
それから、此方も必要だろうか、と友人の方を見ると、紫電の瞳は胡乱に細められる。
ひらひらと手を振るエッジは、必要ない、と示すので、レオンは目を合わせるに留めた。

 それじゃあ、と立ち上がったのはエッジだ。


「遺跡に向かう前に、ちょいと顔合わせをしておこうぜ」
「顔合わせ?」
「流石に場所に詳しくない奴を一人で行かせる訳にゃいかないし。現場の遺跡がそもそもどういうものなのか、お前も知っておいた方が良いだろ。墓としてじゃなくてな」
「歴史建造物として、か。確かに、そう言う話は聞いたことがないな」
「だろ?その辺の専門家もちゃんと呼んである。それと、お前には関係ないことではあるけど、スピラの慣習として必要な人間もいるんだ。行ってから揉めるようなことがないように、意識の擦り合わせはしておいた方が後が楽だろ」


 スピラ大陸は、長い歴史を持ち、エボン宗と言う宗教が大きな影響を持つ地である。
レオンは仕事でスピラ大陸を訪れる機会は多いが、とは言え、大半はルカやベベルと言った都市になるし、その間は専ら仕事をしているので、現地の人々と深い交流をすることは少ない。
だから、エボン宗と言う宗教を身近としている人々にとって、寺院を始めとした遺跡の類が、どういったものとして認識されているのかは、よく知らないのも確かである。


(確かに、現地の人からその辺りのことを詳しく聞いて置いた方が良いか。儀礼を大事にする慣習もあるし、立ち入るのなら、何某かの儀式が必要になる場合だってあるし。何しろ、行くのは墓だ。スピラの人々にとっては先人が埋葬されている訳だから、失礼に当たることがあると良くない)


 SEEDとして、時には遺跡に住み着いた魔物討伐、或いは学者団の歴史調査に同行することは多い。
その際、霊験あらたかな場所に踏み入れる際には、事前に現地を統治・管理する者から、特定の儀式を受けるようにと指示されることもあった。
古くからそうしたならわしの下、現地の人々に大切にされてきた場所に入るのだから、敬意と感謝を持ってそれに準じるべきであると、レオンは思っている。

 長に挨拶をして、レオンはエッジと共に客間を出た。
こっちだ、と廊下を進むエッジの足は、どうやら玄関へ向かっている。

 外へ出て、更にエッジが向かうのは、屋敷の裏手だ。
この屋敷は集落の一番奥に建っており、裏側は切り立った崖がある。
其処には束ねた藁をまとめて杭に括りつけた案山子や、不揃いな太い竹がこれもまた束にして転がされていた。
集落の足元は短い草が地面を覆っているが、此処は所々に草が剥げたように土が見えている部分がある。
此処がエッジの日々の修練場として使われていることを、レオンは以前に来た時に教えて貰った。

 その修行場の向こうにある崖の傍で、遠く広がるナギ平原の景色を眺めている人物が二人。
一人は青色のバンダナを頭に巻き、腰にダガーを差した青年。
もう一人は、長い翠髪を尻尾のように背中の位置で結んだ、細身の女性だった。
女性の方は、初めて相対するに近いシルエットだったが、レオンは思い当たる琴線があった。

 足音を頼りにしたか、青年の方が振り返る。
レオンが思った通り、ヘイゼルカラーの目がレオンを映し、よう、と青年の右手が上がった。


「久しぶりだな、レオン。仕事の話は時々貰うけど、こうやって顔合わせるのは、どれくらい振りだっけ」
「元気そうだな、ロック。前に会ったのは……一年以上は経っているか。不思議なものだな、声はもう少し聴いているのに」


 バンダナの青年の名は、ロック・コール。
エッジと同じく、レオンがバラムガーデンに在籍していた頃、学び舎を共にした同級生である。

 ロックはエッジから更に遅れて半年後、卒業資格を取得し、その後はバラム島からも離れている。
職業としては当人は「冒険家」と自称しているが、食う種としては、世界各地にある珍しい動植物の発見や採集を行い、それを研究職の学者の下へ届けることで報酬を得ているそうだ。
ロックは採取物の傍ら、各地にある遺跡・秘跡の調査も独自に行っており、世界各地に点在する様々な部族の歴史にも通じている。
その知識は本だけに頼らず、現地に赴いて、遺跡の守り人などの現地の人々との交流を重ね、信頼を得るに連れて蓄えられたものも多く、これのお陰で各所に顔が利くこともあった。
レオンはロックがそうした人脈を持ったと知って以来、仕事に関して史跡の類に向かう仕事が入った際には、注意点や配慮するべきことはあるか、とロックに訊ねるようにしている。

 ───成程、確かに専門家だ、とレオンは思った。
スピラ大陸にある史跡を調べる為の事前知識を請う相手として、これほど頼りになる人物はいない。
レオンがそう考える程、ロックの歴史遺物に関する知識と言うのは、飛び抜けて優秀だった。

 それから此方は、とレオンはロックの隣に立っていた、翠髪の女性に視線を移す。
髪色とよく似たエメラルドグリーンの瞳がレオンを見て、爛々と興奮したように耀いていた。


「君は───リディア、か?」
「はい!はじめまして、レオンさん」


 ぺこりと頭を下げる女性の反応を見て、やはり、とレオンの唇が緩んだ。

 と、そんなレオンの肩を、後ろから伸びた手がぐいっと引っ張る。
エッジであった。


「おい、レオン。お前、知り合いなのか?」


 覆面をして顔半分を隠しているエッジだが、その顔が何処か焦ったように紅潮しているように見えて、レオンは首を傾げつつ、


「ああ、いや。知り合いと言う程ではないんだが、何度か顔を見たことがある」
「何処で」
「エルが送って来る写真だ。いつだったか、テレビ電話もしたことがあったな。多分その時も、一緒に映っていた筈だ」
「……エルって言うと、嬢ちゃんだよな。お前の妹の」
「ああ」


 同じ学び舎で過ごした仲であるから、レオンの家族贔屓は、エッジもロックもよく知っていることだ。
エルオーネは勿論、スコールのこともティーダのことも、彼らはよく知っている。
ロックもまた、懐かしい友の家族の名を久しぶりに聞いて、「元気にしてるんだな」と言った。

 そして、リディアにとってはより身近に聞く、友人の名であった。


「エルオーネと仲良くさせて貰っています。お世話になってます」
「いや、此方こそ、妹と親しくしてくれてありがとう。しかし、こんな所で逢うとは思わなかった」
「エボンから、今回は私が同行するようにと言われていて……足手まといにならないように頑張ります。それにしても、エッジが、宛になる人を呼んだから大丈夫って言ってたんですけど、レオンさんだとは思いませんでした」


 意外な所での邂逅に、レオンも驚いたよ、と答えれば、リディアは嬉しそうにクスクスと笑った。
それからリディアは、レオンの隣でなんとも神妙な顔をしているエッジを見上げ、


「エッジがレオンさんと知り合いだったなんて。エブラーナの人が、外の人を頼ることなんて滅多にないと思うけど、一体何処で知り合ったの?」
「ん、あ、あー……別に大したことじゃねえよ」


 純な疑問を尋ねるリディアに、エッジはがしがしと頭を掻きながら言った。


「昔、昔な。親父に世の中を勉強して来いってバラムガーデンに入学させられたから。その時に同期だったんだよ」
「高等部の頃だな。クラスも同じだったんだ。お陰で楽しかった」
「そーかい。ま、俺も色々と面白いとこ見せて貰ったな」


 エッジとレオンの言葉に、へえ、とリディアの目が輝いた。
その隣では、ロックもまたしみじみとした表情を浮かべている。


「大体エッジが何か仕出かして、レオンが席が近いもんだから、エドワードは何処に行った!って先生に詰め寄られてたな。よく悪戯してたからさ」
「そんな所でも子供っぽいことしてたの?」
「……若気だよ、若気の至り。仕掛ける時は相手と空気も選んだし」
「そう言う問題でもないと思うがな……」


 呆れた表情を浮かべるリディアと、学生時代を思い出して眉尻を下げるレオン。
エッジは益々拗ねた顔をして、じろりとロックを睨んだ。


「大人しくする時はしてただろ。それに、俺がやった訳じゃないことまで、俺の所為にされたこともあったし。よく調べもしねえで、俺が答案用紙を盗んだとか。冤罪って分かっても謝りもしなかったんだから、ちょいと仕返しくらいしたくもなるだろ」
「確かにその件は濡れ衣だったけど、そもそも普段からそう言う悪戯をするからだろ?」
「物盗むような性質の悪いことはしてねえよ」
「カエルを引き出しに仕込むのと質が違うのは確かだな……」


 学生時代、レオンがよくよく目にしたエッジの悪戯と言うのは、大抵が教員の机の引き出しにセミの抜け殻を入れるとか、教室の出入口に開けたら落下する小物を仕込んだとか、そう言うものだった。
テストの答案を隠した、と教員から目尻を釣り上げ連行されたこともあるが、それに関して彼自身が潔白だったのは確かだ。

 と、レオン達にとって、こうした話は既に過去のことではあるが、話を始めて聞くリディアにしてみれば、呆れた表情も浮かぶと言うものだ。


「あんまり人を困らせるようなことしたら駄目よ、エッジ」
「……判ってるよ。もうやらねえよ」
「お付きのおじいさんを困らせてるの、聞いてるのよ」
「………」


 じっと見つめるリディアの瞳に、咎めるものがあるのは見間違いではあるまい。
エッジも流石に気まずいようで、切れ長の目がうろうろと逃げるように彷徨った。


「お、俺の昔の話は良いだろ!それより、仕事だ仕事。天下のSランクSEEDがやっとこさ来てくれたんだから、話はさっさと済ませようぜ」


 空気を無理やりにぬぐい取るように声を大きくするエッジに、リディアは困った子供を見るような目を向けている。
その傍ら、レオンとロックも顔を見合わせて肩を竦め、


「そうだな、実際、レオンは忙しい訳だし。今回はどれくらい時間が取れるんだ?」
「スピラだからな。往復と不測の事態があった時の余分として、派遣期間としては延べ一週間……余裕を持って此処に滞在できるのは、三日───いや四日かな」
「じゃあ出発は明日の方が良い。場所の足場が結構暗くて、夜になると何も見えないレベルなんだ。今回の件、多少は聞いたかと思うけど、死霊(アンデッド)がウロウロしてるような場所だから、遅い時間に探索するような場所じゃない」


 タイムリミットがあることを思えば、何事も早期に動くのが良いものではあるが、急いても事を仕損じる。
現地の状況に明るい者がそう言うのなら、とレオンは「了解した」と頷いた。
その隣で、エッジも頷き、


「じゃあ皆、今日はうちの屋敷で寝りゃあ良い。リディアも、あー、泊まるだろ?ベベルの実家戻っても良いけどよ、明日の朝にまた此処に来るってのも、ナンだろ?」


 エッジの提案に、リディアは少し考える様子を見せてから、


「そうね……エッジが良いなら、そうさせて貰おうかな。レオンさんとも、色々話がしてみたいし。エルのこととか。良いですか?」
「ああ、それは俺も嬉しいよ。エルが向こうで楽しそうにしているのは本人からよく聞くけど、人からの話と言うのは、中々聞ける機会もないし」


 スコールのことは一緒に暮らしているし、ティーダの存在もあり、友達が家にやって来ることも儘ある。
だからそう言う時に、スコールがガーデンで誰とどんな風に過ごしているのか伺えるのだが、離れた地にいる妹について聞けるのは、存外とありそうでない機会であった。
普段からこまめに連絡しているので、元気にしていることは判っているが、どんな学生生活を送っているのか、知ることが出来るのは嬉しかった。

 レオンの言葉に、リディアも嬉しそうに目を細める。
それをエッジがなんとも複雑な心地をした表情で見つめ、それらを一歩離れた場所で見るロックは、中々複雑な状況になってるなあ、と他人事に思うのであった。