ワンナイト・ミラージュ


 魔女戦争以降、バラムガーデンには、以前にも増して依頼が寄せられるようになった。

 経営の大部分を担っていたマスター・ノーグを失ったバラムガーデンにとって、それは彼の支配から解放されたことを意味するが、同時に、大きな組織を扱うにあたり、金銭的な問題への対応力にぽっかりと大きな穴を空けてしまったことにもなる。
元々、ノーグはその卓越した経営力を買われて、学園長シド・クレイマーに雇われる形でバラムガーデンの運営に関わっていたのだ。
結局、彼の思想によって、また母体が大きく成長したことにより、必要経費が増すにつれて、ガーデンと言う場所が持つ存在意義が歪められていくことになったのだが、その功罪は置いておくとして、人財としては非常に貴重な存在だったのは間違いない。

 マスター・ノーグとその影響下にあったマスター派教師がいなくなり、更に学園長が実質的に隠居した格好になっている為、現在のバラムガーデンは、その多くが魔女戦争の立役者となった指揮官スコール・レオンハートを中心とした運営が為されている。
まだまだ年若い彼らをサポートする為、事務処理を始めとして、バックヤードと言える部分を担うのは、ガーデンの内紛とも言える、学園長派とマスター派の対立抗争を経て尚、バラムガーデンに残った大人たちである。
これには隠居姿勢を取っているシドのことも含まれ、功績や肩書こそ華々しくも、どうしても若輩の扱いを受けるスコールでは足りない部分を引き受けるべく、社会的に公の場に顔を出すこともあった。

 とは言え、現場の大部分を少年少女たちが受け持っていることは確かである。
バラムガーデンに寄せられる依頼の内容や、それを誰に割り振るかと言うのも、スコールを始めとして、補佐官と言うポジションに就いているキスティスや、保護観察の管理下としてバラムガーデンに戻ったサイファーが考えている。
同時に、依頼の急増に対して、どうしても足りなくなる人員の確保や、スケジュールの調整も、主にこの面々が引き受けていた。

 この三人は、バラムガーデンに寄せられる依頼の殆どを、一度は目に通している。
お陰でどんな依頼が来ているのか、魔女戦争の立役者を擁するバラムガーデンに対し、世界が何を期待しているのかを感じ取ることが出来た。

 現状の世界情勢が影響していることもあり、依頼の多くは、魔物退治か要人護衛の類だ。
どちらも“月の涙”の影響が色濃いエスタからの要望が多く、報酬額も悪くない為、優先度は高い。
しかしそればかりを贔屓にする訳にも行かないし、任務内容によって個人の適正と、スケジュール調整も必要となる。
特に魔物退治については、エスタ大陸の原生種にしろ、月から来た魔物にしろ、要注意であることに変わりはない為、回せる人員が限られていた。

 そんな中に寄越されたとある依頼に、スコール、キスティス、サイファーの三人は唸っていた。
全員が眉間の皺を三割増しにして囲むデスクには、昨日付けのメールで届いた依頼をプリントアウトした紙がある。
紙には、こう書かれていた。


『求:重要参考人確保。
概要:ガルバディア国内で指名手配中の犯罪集団との繋がりを持つ、ドールの投資家ロイエンタールの捕縛。
備考:対象は非常に狡猾で用心深く、ガルバディア公安に対して強く警戒心を持っており、ガルバディア軍による補足は困難と判断。また、対象はドール、ガルバディアともに多くの支持者を有している為、捕縛は秘密裏に行い、拘束次第ガルバディア軍への引き渡しを求める』


 なんとも面倒な、と言う心が、この場にいる三名の共通の思いだ。
ただでさえ、ガルバディアの軍部や政府絡みの案件は、厄介なものが多いと言うのに。

 依頼にその対象として綴られる、ロイエンタール氏と言うのは、ドールの有名な投資家だ。
ドールにある高級ホテルを経営し、ガルバディアにもその同様のサービスを始めると、これが当たった。
今ではデリングシティに複数のホテルを持ち、高級層をターゲットにした、貴金属系の店のオーナーも努めている。
経済に関わる仕事をしている者なら、誰もが一度は耳にしたことがあると言う大物だ。

 しかし、彼の金回りが良くなったのは、此処数年の話である。
経済誌などで取り上げられたインタビューによれば、長年コツコツとやって来た報いだよ、と言っていたそうだが、実は裏で違法な取引を幾つも重ね、犯罪者集団に資金援助していると言うのが、ガルバディア軍からの情報だった。
氏の大成はその見返りとして齎されたもので、現在こそ確かにホテルやアクセサリーショップはブランド化して客も多いが、氏の資金援助により、犯罪が助長されていることも事実。
しかし多額の投資によって得た支持も高く、近い内にドールの政治にも食い込むのではないか、その際には是非ともバックアップを───と謳う声も多い。
だから、『秘密裏に捕縛と引き渡しを』と言うのが、ガルバディアから寄越された依頼に綴られているのだ。

 デスクに座っているスコールは、傷の走る額に手を押し当てて、はあああ、と溜息を吐いた。


「受けない訳にもいかない、か……」


 依頼の内容ゆえか、報酬額は破格の数字が掲示されている。
作戦によって必要となる諸々の経費を引いても、十分釣りが来るだろう。
ならばいっそ、その分を上乗せしても構わないかも知れない。
───依頼の完遂が上手く行けば、と言う前提ではあるが。

 しかし、依頼対象は警戒心が強いことが注意要綱として書いてある。
それも内密に処理しなくてはならないので、派遣できる人員の数は極最小に絞らなければならず、必然的に作戦の種類も狭まってしまう。

 キスティスが小さく唸り、腕を組んで言った。


「少し調べたんだけど、このロイエンタール氏は、世界でも指折りの富豪よ。この人の投資を受けて事業が成功した人もいるし、支持している人も多いわ」
「ってことは、捕まったなんて話が漏れれば大騒ぎ。犯罪者集団と繋がりがあるとなれば尚更だ。マスコミは飛びついて報道するだろうが、それを見た世論が何を言い出すかは判らねえな。今のガルバディアじゃ、分が悪いのはそっちだろうぜ」


 サイファーの言葉に、スコールも同感だと頷く。

 以前のガルバディアであれば、ビンザー・デリングの独裁政治と、それに擁護されて助長した軍部の圧政で、批判の声など一蹴しただろう。
そうした時代のツケを今正に払わされているガルバディア政府にとって、世論の声と言うのは、他国にも増して慎重に対処しなければならない。
下手をすれば、他国の経済界の重鎮に対し、ガルバディア政府が嘗ての横暴の如く、難癖をつけて捕縛したのだと言われ兼ねない。
本人の捕縛から、繋がりのある犯罪集団を締め上げ、それらの証拠を揃え切るまで、一連の情報は何処にも洩らせないのだ。
ガルバディアの警察機構が直々に動いて、ロイエンタール氏を捕獲することが難しいと言うのは、そう言う事情もあった。

 それでいて、自国の膝元にあるガルバディアガーデンではなく、バラムガーデンに依頼を寄越すと言うのは、SeeDが直に属するのがバラムガーデンのみと言う構造もあるのだろうが、


(トカゲの尻尾きり、だろうな)


 仮に、この依頼を請け、SeeDがそれを失敗してしまったとして、或いは対象が捕縛されるような事態になったと、情報が漏れたとして。
ガルバディア政府は、知らぬ存ぜぬを貫いてしまえば、事件に対して無関係を主張できるのだ。
バラムガーデンが依頼であることを公表したとしても、依頼が捏造されたものだとでも言って、ガルバディア側から肯定するものが出てこなければ、傍目に真相は判らない。
寧ろ、金を貰えば依頼を選ばない傭兵集団の方が、聊か厳しい見られ方をするかも知れない。

 ガルバディアガーデンとは、魔女暗殺の依頼から、ひと悶着あったスコールである。
個人の胸中としては、七面倒くさい上、使い捨てにされるのは気に食わない。
だが、当該人物をこのまま放置しておくのは、ガーデンにとっても良くないだろう。

 マスター・ノーグと言うスポンサーがない上、トラビアガーデンの復興の為、折々に多額の支出が必要となる今、破格の報酬額の依頼は断りにくい。
更に言えば、ロイエンタール氏が政治家なんてものになった暁には、バラムガーデンにその護衛依頼が寄せられる場合もあるだろう。
傭兵としては、報酬が出れば確かに仕事は引き受けるが、とは言え犯罪者の肉の壁にされる羽目になるのは避けたい。
対象の資金が豊富であることを考えると、新たな上客になる可能性もある反面、犯罪者集団との繋がりにより、其方に加担させられる羽目になることも、十分に予測ができる。
いずれにせよ、将来的な危険性も含め、この芽は放置できなかった。


「……作戦を立てよう。少人数で出来るものを」
「了解。ターゲットの近日の予定を調べてみるわ。サイファー、貴方は犯罪集団の方を確認してみて」
「仕方ねえ、直近の護衛でも洗ってみるか」


 請けるとなれば、必要なのは情報だ。
キスティスとサイファーは、囲んでいたスコールのデスクを離れ、自分の持ち場へ。
それぞれ端末を立ち上げて、各自の持つ情報網から、作戦に有用となる情報を洗い出していく。

 その間にスコールは、二人の手を埋めていた仕事を浚って、片付けておくことにした。




 念の為、件の人物が本当に犯罪者集団と関与しているのかどうか、サイファーが調べてみた所、これは黒であった。
ロイエンタール氏は、表向きには起業家として成功した後、ドールの貧困層に向けた慈善活動のフォローアップをしており、そう言った面でも彼の支持者は増えているのだが、それは“表の顔”と言うやつだ。
裏では複数の犯罪集団との癒着があり、サイファーが調べた所、直近の護衛などは其処から寄越された用心棒と判った。

 氏と犯罪集団は中々に親密な間柄らしい。
ロイエンタール氏は、ガルバディア方面に出かける時には、必ず護衛をつける。
人員はその時々によってバラついてはいるが、真っ当なセキュリティを雇うより安いのか、傍にいるのは専ら前科者の類のようだ。
と言う事は、彼の身に何かあれば、その護衛から母体の集団にもすぐに連絡が飛ぶ筈。

 そうなると────


「まずは、その護衛からターゲットを引き離す必要があるな」


 作戦会議の時間を取って、そう言ったスコールに、キスティスも頷いた。


「ターゲットは今月20日から24日まで、パーティに出席する為にデリングシティに向かうわ。ガルバディア政府への引き渡しを迅速に行う為には、此処が一番だけど」
「デリングシティはあそこで悪さしてる連中にとっちゃ庭だ。何処で覗き見してるか判らねえぞ」
「そうだけど、正式に企画された社交パーティの会場なら、警備もそれなりに配置されるわ。少なくとも、ドレスコードを守る気のない連中は門前払いよ。場の空気を損ねるから、マナーのなってない人もね。ターゲットに同行できる護衛の人員が限られるわ」
「ま、確かにゾロゾロと連れ歩くことは出来ないだろうな」
「中での振る舞いは、此方も気を付けないといけないけどね」


 社交界やそのパーティと言うのは、華やかに見えて、人を見る目が肥えた者が集まり、腹の探り合いも行われる場所だ。
その場にそぐわない行動を取った者は、悪目立ちするのは勿論、度が過ぎれば両脇を抱えられて強制退場させられる。
ターゲットに近付く前にそんな事になっては、依頼も作戦もあったものではない。

 キスティスが、パーティに使われる予定で押さえられている、ホールの見取り図を見せた。
ガルバディアにはよく見られる、一昔前の時代の古風な建築様式に則って建てられたそれは、複数のホールを持っている。
その中でも一番大きな大ホールを貸し切ってのパーティだ。
立食形式ではあるそうだが、ガルバディアだけでなく、他国の富豪や大手企業の社長等も参加するとあって、中々の規模である。
となれば、セキュリティも相応に信頼のおける所から出さねばなるまい。
キスティスの言う通り、見た目も明らかなならず者は、お呼びでないと言う事になる。

 そして当然、依頼を請けて派遣されるSeeDにも、その場の対応は相応しく求められる。


「ドレスコードか……用意する分にはどうにでもなるが、武器の持ち込みは出来ないから、応戦に支障のない者を選んだ方が良いな」


 呟くスコールに、そうね、とキスティスは頷いて、


「それから、何を名目にして参加するか、ね。現場警備の依頼でも来ていれば使い易かったんだけど、生憎それはなし。どのみち、会場の規模が大きいから、派遣人数が確保できるか怪しい所はあったけど───それはともかく。流石に、SeeDをSeeDとして参加せられる類ではないのよね」
「狸親父なら、ガーデン組織代表、とでも言って入れそうだけどな。そうすりゃ、SeeDが一人、代表者警護の為に並んでても違和感はないだろう」
「理屈は、そうね。でもターゲットの警戒心が強いのよ。SeeDだと判っていて、傍に近寄らせて貰えるかどうか。第一、代表者警護で来ているSeeDが、その代表者から離れて声をかけてくるなんて、怪しいでしょう」
「確かにな」
「学園長にも作戦を織り込み済みで行動して貰う案も、ないことはないけど。万が一、騒ぎになった時の危険を考えるとね……」


 現在、バラムガーデンはスコールを筆頭としたSeeDが首脳陣となって運営されているが、隠居状態のシド・クレイマー学園長の存在は、今でも決して小さくはないのだ。
危険を伴う作戦に彼を同行させるのは、彼自身に生徒たちのような戦闘能力がある訳でもない為、あらゆる意味でSeeDにも負担が大きい。
余程他に考えられる作戦がない、と言うレベルでなければ、安易に選べない手段ではあった。

 見取り図を見る限り、表から裏まで、出入り口は多いので、侵入経路自体は困らないだろう。
とは言え、当然それらに警備はつくだろうから、いっそ堂々と正面から入れるように偽装を整えた方が、中で行動し易いかも知れない。


「ターゲットを護衛から離す為に、誰か一人。その間、他の警備の目を誤魔化すのに一人。最低二人として、パーティの参加者を装って入るか」


 準備に方々からの根回しも必要になる為、聊か手間である。
しかし、ターゲットの捕縛を公にしたくないガルバディアを揺さぶれば、警備の情報も手に入れることが出来るだろう。

 問題は、誰を行かせるか。
ターゲットに警戒されないことを前提すると、一般人には顔を知られていない者が良い。


「つまり、指揮官様はお留守番ってワケだ」
「“戦犯”のあんたもな」


 “魔女戦争の英雄”として、その終結から間もなく、スコールの名は一気に知れ渡った。
エスタが開国した折には、大統領直々に警護依頼を寄越された事もあり、その演説の生放送の際、傍に控えている姿が電波放送に乗り、顔も知られた。
そして、指揮官と言う肩書を持ってはいるが、安楽椅子を良しとしない性格───単に人手不足もあるが───なので、現場にも赴く。
要人警護や、危険度の高い魔物討伐の際、派遣されたSeeDの指揮も取る為、スコールの顔は否が応にも売れたのだ。

 そんなスコールとは対照的に、“戦犯”の肩書を吊られたサイファーも、ガルバディアではよく知られた顔である。
ガルバディア軍部の暴走の折、軍部がサイファーに最高権限を与えていた事や、実際にその指示で軍が動いていた事から、当時の“指揮官権限”が誰にあったのかは、兵士の末端まで知れ渡っていた。
魔女戦争終結に伴い、ようやくその負債を背負う段になったガルバディア政府は、当時の責任をサイファーに着せようとしたが、結局はその責任を問う前に、バラムガーデン側が彼を確保し、今に至る。
ガルバディア国民にとって、故ビンザー・デリング大統領と違い、直接相対する機会もなかったサイファーのことは、大した興味もないらしいが、軍や政府にとってはそうではない。
指名手配されている訳ではない為、サイファーがデリングシティの大通りを闊歩しても騒ぎになる事はないが、随所でその顔を見付ける兵士が苦々しい顔をしているのも事実であった。

 今回の作戦の性質上、ターゲットを捕縛するまで、SeeDはそうと悟られないように装わなければならない。
顔を見ればすぐに出自が割れるスコールとサイファーは、最初からこの選択肢には挙げられなかった。

 ────と、スコールもサイファーも、共に思っていたのだが、


「いえ、待って。いっそのこと、貴方たちに行って貰おうかしら。ある意味、一番の盲点だと思うのよね」


 全く良いことを思いついた、とばかりの顔で言うキスティスに、「はあ?」と聊か間の抜けた声が重なった。





 古式ゆかしい、とでも言えば、少しは面白く見えるだろうか。

 いや、面白く見えることに、なんら救いは感じないし、滑稽なことを開き直って楽しめるような性格もしていない。
どちらかと言えば、悪目立ちするような真似はしたくないと思うし、他者からやたらと注目を浴びるのも好きではない。
そして今現在、衆目の視線を集めるようなことは、絶対にあってはならない。

 溶け込まなければならないのだ。
ドレスに着飾った女たち、頭のてっぺんから爪先まで皺のないスーツで整えた男たち、無粋な足音を立てずに滑るように人の隙間を縫って行くボーイたち。
それを壁と一体になって眺めていられる立場、役割と言うのが、どんなに楽だったか。
その只中に入って行って、似合いもしないぎこちのない笑顔で頬を引き攣らせながら、淑女のように振る舞わなければならないなんて。

 ───高い天井の真ん中で、きらきらと豪奢なシャンデリアが輝いている。
それを囲む小さなシャンデリアたちも、単体で十分に見栄えがする程に立派だった。
寧ろ、それを天井に敷き詰めている時点で、華美な方にバランスが偏って、少々けばけばしく見える気もする。
外観は石材を積み上げた、旧時代を思わせる建築様式をしているのに、中身はその反動のように派手だ。
ある意味、ガルバディアらしい、デリングシティらしい造りなのかも知れない。

 其処に集まっているのは、ガルバディアの経済界で名を連ねるお歴々だ。
新聞やテレビ、経済紙で見るような顔ぶれが並び、にこやかにグラスを交わしながら、腹の探り合いをしている。

 そんな場所に加わらなければならないと言うだけでも、神経を使うと言うのに、今のスコ─ルにとっては、覚束ない足元の方がもっと厄介だ。
ヒールが高いと言うだけでも歩き難いものだと言うのに、その踵が線のように細いのがまた難しい。
重心を何処に持って行けば真っ直ぐに立っていられるのか、どうやってその姿勢を保てば良いのか、其処からして謎だ。

 だからスコールは、ずっとサイファーの腕に捕まっている。
そうでもしないと、一歩二歩進んだだけで転びそうになるのだ。
必死にそうはなるまいとバランスを保っていることを、サイファーも理解しているので、しがみつく重みを今ばかりは揶揄うこともしない。


「……っく……ぐ……っ」
「声出すなよ。バレるぞ」
「……わ、かって、いる……っ」


 縋るスコールの人知れぬ戦いを、唯一知るサイファーだが、露骨に支える手を増やす訳にも行かない。
何せ傍目には、華やかなパーティの場に相応しい、紳士淑女を演じなくてはならないのだから。

 今、サイファーとスコールは、ドールの投資家ロインタール氏を極秘裏に確保する為、デリングシティのとある社交パーティに参席している。
本来、招かれた者だけが入ることが出来るパーティであったが、ガルバディア政府および軍部の協力を取り付け、招待状と身分を偽装して潜入した。
偽装された招待状のお陰で、正面から堂々と入ることが出来、会場内の何処かにいるであろう、ターゲットを探す段まで来ている。

 その為に二人は、普段と全く違う装いで、全く別人として、この会場へとやって来た。

 スコールはいつも無造作に垂らしている前髪を横に流し、ダークブラウンの髪に淡い水色の花飾りをして、整った面立ちを表にしている。
そうなると必然的に目立つことになる額の傷は、ファンデーションを厚塗りして隠し、今だけはすっきりと綺麗な皮膚に見えていた。
目元には薄紫色のアイシャドウが引かれ、白い頬も、その白磁ぶりを損なわない程度に、血色を補うチークが乗せられていた。
小さな唇には赤い紅を差し、首に黒のチョーカー、その身に纏っているのは、オフショルダーのマーメイドドレス。
肩には柔らかな毛並みのショールを羽織り、イブニンググローブを嵌めている。
細身でくびれのあるシルエットラインは、キスティスとシュウが二人がかりでコルセットを限界まで絞ってくれた賜物であった。

 サイファーは、いつもオールバックに上げている金糸の髪を、自然な形に遊ばせている。
前髪を持ち上げてセットしている為、普段から特に隠してもいない傷を見せる形だが、此方もスコール同様、メイクで綺麗に消されていた。
それだけでも、平時のサイファーを知る者にとっては、目を疑うほどに印象が違うだろう。
体格の良さは、スポーツによるものだとでも言えば、将来性も含めて有望株であることを感じさせるに違いない。
横柄にも取れる態度やその雰囲気はすっかり形を潜め、崩すことなくタキシードを着込み、傍らの女性───スコールのことだ───をエスコートする姿は、精悍で落ち着きのある青年に見えた。

 今の所、入館の際にサイファーがボディチェックをされた位で、怪しまれている様子はない。
本来、ガルバディアでは名も顔も知られた二人だが、入念な偽装工作とメイク技術のお陰で、正体もバレていない。

 だが、この偽装工作は長くは持たない。
主には、スコールの立ち振る舞いに、いつか限界が来るのが見えていたからだ。


「……足、きつ……」
「ずっと爪先立ちしてるようなもんだろうしな。おい、階段だぞ。スカート踏むなよ」
「エスカレーター……」
「そんなもんねえよ。諦めろ」


 二人の前に現れた、総数8段の階段。
フロアを上がる為ではなく、ホールを魅せる為にデザイン的に設けられた階段を、スコールは破壊したくなる程恨めしく思った。

 高いヒールを履いた状態で、その爪先以外は見えない程に長いスカートの裾を、ほんの少しだけ持ち上げる。
雑な持ち上げ方にならないよう、控えめに。
反対側の手は、しっかり、がっしりと、サイファーの腕を掴んだまま、スコールはゆっくりと階段を上った。


「エスコートの形としちゃ正しくねえな。手を引くくらいが良いんだろうが」


 サイファーがぼやくように小声で言った。
しかし、スコールはそんな呟きなど聞き留める余裕もなく、階段を踏み外さないよう、スカートを踏まないよう、足元に細心の注意を注いでいる。
捕まる手は完全にサイファー頼りで、絶対に離すな、と籠る力が切実に命じていた。

 普段ならば気にも留めない階段を、スコールはなんとか登り切った。
それだけで、彼はうんざりとした表情で、


「帰りたい……」
「早ぇよ。まだ始まってもねえだろ」
「ヒール、もう嫌だ。きついし痛いし食い込むし。なんで女子はこんなのを履いていられるんだ……」
「帰ったらセンセーにでも聞いてみな。後ろが閊える、行くぞ」


 会場入りした後続に睨まれる前に、サイファーはスコールの手を引いて歩き出した。
スコールはしっかりとサイファーに捕まって、その足を追う。
ぴったりと密着して離れないその様子は、傍目には、特別仲の良い紳士淑女が仲睦まじくしているように見える───のかも知れない。

 まずはターゲットの捜索を、と思ったサイファーだったが、傍らの相棒の足も限界だろう。
壁際に綺麗に並べられた椅子を見付けて、サイファーはスコールを其処へ誘導した。

 ようやく腰を落ち着かせることを許されたスコールが、はあ、と深く溜息を吐く。
サイファーは近くにいたボーイを呼んで、水を貰った。
華やかな会場の盛況ぶりに、人酔いしたパートナーを気遣う格好で、スコールにミネラルウォーターのグラスを差し出す。


「取り合えず飲んどけ」
「ああ……」
「ちゃんと両手で持て。いつもの調子は厳禁だぞ」
「……判ってる」


 差し出したグラスを、スコールは言われた通り、両手できちんと受け取った。
女らしく、淑女らしく、とスコールは努めて意識しながら、グラスに口先をつける。
こくり、と水を飲み込むと、首にはめたチョーカーの裏側に喉仏が当たる感触がした。

 煽った所で大した量もない水を、スコールは数回に分けて飲み干した。
サイファーはスコールの前に片膝をつく格好で屈み、視線だけは周囲を伺いながら、


「会場入りは成功、特に疑われはしなかった。衣装選びとメイクに気合入れてくれたセンセーたちには感謝だな」
「お陰で俺は苦しい。なんでこんなにきつく締めるんだ、碌に動けやしない……」
「しょうがねえだろ、女に見えなきゃいけなかったんだから。その衣装で違和感がないように仕上げたんだろ」
「大体、なんでこの服なんだ。ドレスって、もっと色々あるだろう。体型を隠せそうなものとか」
「お前の雰囲気に合うのを見繕ってくれたんだろ。よく似合ってるぜ?」
「あんたは馬子にも衣装だな」


 忌々しげに睨むスコールに、サイファーは得意げに鼻を鳴らしてやる。
スコールにとっては、俺は女装なのに、と腹立たしいものだったが、手を出す気にもならない。
悲鳴を上げたくなる程に締め付けられたコルセットのお陰で、とにかく余計な動きはしたくないのだ。

 サイファーはスコールの頬にかかる横髪を、爪を整えた指でそっと払う。
そのまま髪を耳にかけて、するりとスコールの頬を撫でた。
優しく柔らかいその仕草に、スコールは近い距離でにやにやと笑っている男の顔を胡乱に睨み、


「あんた、面白がってるだろう」
「そりゃあな。楽しまなくちゃ損だろ」
「真面目に任務をしろよ」
「やってるよ。慣れないパーティで、気分が悪くなっちまった恋人を、優しく気遣う紳士に見えるだろ?」


 言いながらサイファーは、スコールの右手を取り、グローブに包まれた手の甲に唇を寄せる。
キスが触れるか触れないか、そんな所で口元に弧を浮かべるサイファーに、スコールはショールを羽織った肩を竦め、


「悪ガキが背伸びしてるようにしか見えない」
「素直じゃねえな」


 緩く捕まれていた手で、スコールはサイファーの手を払った。
なんとも素っ気のない反応だが、サイファーは気にした様子もない。

 空になったグラスをボーイに返し、行くぞ、とサイファーが言った。
スコールはスカートの裾に注意しながら立ち上がると、腕を差し出したサイファーに、グローブに包んだ手を絡める。

 まずはターゲットを探さねば、と二人は自然な所作を務めながら、ホールの中を歩いて回る。
注意深く目だけを動かして周囲を見渡せば、事前に聞いていた通り、政財界の大物があちこちにいる。
スコールが要人警護の任務で就いた覚えのある顔も、ちらほらと確認できた。


(あの辺りには近付かない方が良いな)


 任務で顔を合わせていると、否応にも相手が此方の顔を覚えている事が多い。
対象が“魔女戦争の英雄”ともなれば、向こうにとってはそれは印象深いものだから仕方がない。
だからこそ、こういった変装して潜入する任務と言うのは、基本的にスコールは外されるのだ。
任務や作戦に支障を来す可能性のある人選は、本来、外した上で決めるものだった。

 それなのに今回に限って、世界的にも顔が知られたスコールとサイファーが選ばれたのか。
それはキスティス曰く、


『二人とも、顔が知られ過ぎているから、こういう任務はしないでしょう。それが普通だと思うわ。でも、だからこそ、よ。まさかこんな所に来る訳がない、って言う思い込みがあるから、警戒対象としての目は緩む。傷を隠せば尚更、二人ともそれがトレードマークみたいな所もあるもの。顔つきがちょっと似てるって言う位じゃ、貴方たちだと見做される事もないと思うわ。二人とも、いつも似たような格好か、スコールはSeeD服くらいだから、全く違う格好をすれば、案外判らないものよ。今回のターゲットは警戒心が強い上、デリングシティの裏社会との繋がりがあって、もしかしたら戦闘も起きるかも知れない。最少人数で潜入した上で、そう言う危険性も考慮して選ぶなら、貴方たちほど心配のない人選はないもの。勿論、目立たないように、見た目はしっかり整えさせて貰うけどね』


 ───とのことで、彼女はてきぱきと準備と手続きを終えてしまった。
無論、スコールもサイファーも黙ってそれを受け入れた訳ではなく、潜入任務として選ぶならもっと地味な人選をすべきであるとか、気に入らないことがあったらすぐに暴れるような相棒は御免だとか、色々と言う事は言ったのだが、キスティスは全く意に介さなかった。
スコールはどうにか他の人材はいないかと探したが、生憎、適正のあるSeeDのスケジュールは埋まっている。
作戦として利用するパーティの日付は決まっているから、其処の確保が出来なければ、どうしようもない。
そして、スコールもサイファーも、丁度良いことに、その日付の予定がぽっかりと空いていたのであった。

 そんな訳でスコールとサイファーが今回の任務を引き受ける事になったのだが、実際に現場に入ると、やはりスコールは余分に神経を尖らせざるを得ない。
“スコール”を知っている元依頼人が、ざっと見回っただけでも、四、五人はいるのだ。
そう言った人々に、顔を観察されることは避けたい。

 そしてサイファーの方は、髪型と服装を整えて、確かに普段の俺様な雰囲気はすっかり消えたが、女装しているスコールと違って、メイクの類はほとんどしていないのだ。
目つきを和らげる為、少しばかり色を差したらしいが、スコールから見るとすっぴんと変わりない。
額の傷がないのが大きな違い、と言う位で、後はスコールが見慣れたサイファーの顔だ。

 スコールは、慣れないヒールで鈍足になるパートナーに歩調を合わせ、ゆっくりと歩くサイファーを見た。


(此処まで誰にも疑われていないらしいのが、不思議な位だ)


 スコールから見ると、何処からどう見ても、此処にいるのはサイファーだ。
前髪を遊ばせているのと、綺麗な額が違和感を呼ぶが、目の形や瞳の色や、鼻や唇の形は、いつも見ているそれと変わらない。
これで此処に至るまで、誰もサイファーのことを怪しんでいる様子がないのが不思議だった。

 と、じっと見つめるスコールの視線に気付いたサイファーが、口角を緩く上げてスコールに笑いかける。


「どうかしたか?マイ・ハニー」


 それは甘く蕩けるような声色で、耳元で聞けば黄色い声を上げる女もいただろう。
優しい笑みを浮かべて囁いたとあれば、それは恋人同士の甘い戯れを呼んだに違いない。

 が、それを至近距離───およそ五センチ弱の距離で見ることになったスコールの背中には、ぞわぞわと鳥肌が立っていた。
目の前の男の腕に捕まる手が、ぎゅうっと骨まで軋まんばかりの力を籠める。
サイファーもそれを感じ取ったのだろう、くく、と喉が笑っている。


「また人酔いしたか、ベイブ。こう言う所は慣れないからな」
「あんた……っ」


 悪ふざけだ、とスコールは眉尻を吊り上げるが、サイファーの指がそんなスコールの唇に指先で触れる。


「冷たいことを言うなら、その可愛い口は閉じておいてくれると有難いな。どうも此処は蒸し暑い。冷たく甘い蜜に誘われる虫ってのは、あちこちにいるんだぜ」
(黙ってろってことか。バレるから)
「必要なものがあるなら、俺が全部取ってきてやるさ。其処できらきら光ってる、お星様もついでにな」


 そう言ってサイファーは、天井に吊り下げられているシャンデリアを指差す。
見ろ、と声なく示すそれに促される形で顔を上げれば、なんとも人工的で華美な星が、きらきらと揺れている。
その眩しい光の向こう側に、微かに見える、小さなカメラの存在。

 監視カメラが天井に設置されている。
恐らくは、この広い大ホール全体を見渡し、記録できるものが、随所に存在していると考えて良いだろう。


「慣れない場所だが、今日ばかりは、紳士淑女らしく振舞おうじゃないか」


 目立つ行動を取るな、とサイファーは釘を指している。
スコールはそう受け取った。

 スコールは一つ溜息を吐いて、改めてサイファーの腕に自分の腕を絡めた。
あの手のセキュリティ道具は、最初から計算の内ではあるが、よりにもよって女装させられた所為で、意識が散漫になっていた。
良くない、とスコールは自分の風体への諦めと共に、気持ちを入れ替える。

 パートナーに身を寄せて、“らしく”振る舞うことにしたスコールに、サイファーもそれで良いと頷いた。

 ホールの中は何処も人で埋め尽くされ、中々ターゲットが見付からない。
ひょっとして来ていないのか、とも思ったが、よくよく耳を欹ててみると、ターゲットであるロイエンタール氏の名が零れ聞こえる。
ご挨拶をしたのだけれど、と言う淑女の声が聞こえて、どうやら来ていることは確実らしい、と判った。

 見付からねえな、とサイファーが小さな声で呟いた。


(今、ホールにはいないのかも知れない)
(だが見た奴はいるようだぜ)
(少し情報収集してみよう。俺は喋れないから、あんたに任せた)
(仕方ねえな)


 とうに変声期を終えているスコールの声は、どう誤魔化しても女声のようにはならない。
人と会話をするのなら、サイファーが引き受けるしかない。

 サイファーはぐるりと辺りを見回して、話が出来そうな人間を探す。
複数人のグループの所に入るよりは、一人で酒でも飲んでいる、ガードの緩そうな人間が良い。

 選んだのは、料理の並ぶテーブルの前で、のんびりと食事を楽しんでいる小太りの男だった。


「失礼、紳士。少し宜しいですか」
「うん?何かな、初めて見る顔のようだけど」


 歳は五十は数えるだろうか、顔の年輪は二人がよく知る育て親を彷彿とさせた。
身長は低く、頭はサイファーの胸の高さにある。
体格が横に広いこともあって、遠目に見た時にはもっと小柄に見えていた。
スーツはオーダーメイドだろう、ゆとりのある体系に見合った身幅で仕立てられており、袖口からは金色の時計がちらちらと覗いている。

 サイファーは普段の顔から考えられない程、穏やかで人当たりの良い笑顔を浮かべ、


「初めてパーティに参加したんです。一通りの学は収めて来たつもりですが、こう言った場所の経験がないので、良ければ色々と教えては頂けませんか。見た所、お優しい方に見えましたので、是非とも貴方にお願いしたく。勿論、貴方のご都合が良ければのことではあるのですが」
「ああ、うん。良いよ、若いのに勤勉だね」


 サイファーの言葉に、男は分かり易く機嫌を良くして、ぷっくりと出た腹を揺らしながらうんうんと頷いた。

 何から知りたいのかな、と尋ねる男に、サイファーは細かな所をひとつひとつ尋ね、男がそれに答えると、如何にも恭しく謝辞を述べる。
サイファーが随分と丁寧に感謝を述べ、次の知識を欲しがるので、男は気分良く喋ってくれた。
それを見下ろすサイファーは、表情こそ変わらず笑顔を作っているが、目の奥は笑っていない。
必要なのは情報なのだと、割り切っている顔だ。

 そんなサイファーの横顔を眺めながら、スコールは、


(こいつ、ちゃんとそう言う喋り方出来たのか……)


 スコールにこの場にそぐわない言動は慎め、と釘を指した男の振る舞いは、成程、社交界のパーティ会場にきちんと合わせてある。
平時は歯に衣着せぬ振る舞いしか見ていないスコールにとって、少々珍しいものを見た気分になった。


(まあ一応、成績は優秀な奴だし。必要なことは出来るんだよな。なんで万年候補生なんだか……命令違反するからか)


 実力の高さとは裏腹に、SeeD試験の結果は振るわなかったサイファー。
卒業までにはSeeD資格を取得させないといけないのに、未だに彼はその話に乗り気ではない。
それは“戦犯”の更生を条件にサイファーをガーデンへと連れ戻したスコールにとって、頭の痛い話であった。
────それはともかく。

 サイファーが順調におだててやったお陰で、小太りの男は随分と機嫌を良くしていた。
男はボーイを呼んで、サイファーとスコールにカクテルを奨める。


「このカクテルが私はお奨めでね。甘くてくちどけが良いから、女性も気に入ってくれると思うよ。さあ、どうぞ」


 ボーイのトレイから受け取った二杯のグラスを、男が差し出す。
ちらとサイファーが此方を見て、スコールも言わんとしていることを理解する。
この場でこれを受け取らない訳にはいかない、と。


「では、失礼して」
「……」


 サイファーがグラスを受け取り、スコールも彼の手から自分の分を受け取る。
スコールはカクテルを奨めてくれた男に、ぺこりと小さく礼をして、カクテルをそっと口に運んだ。


(……う)


 口元に近付けた瞬間、鼻を抜けてきた、アルコール特有の匂い。
思わず眉間に皺が寄りそうになるのを、スコールは努めて堪え、舌先で液体を舐める程度に嗜む。

 サイファーはと言うと、カクテルを半分ほど飲んだところで、「美味しいカクテルですね」と言った。
其処からは、グラスを口元には持って行くものの、大きくは傾けない。
ほとんど飲むふりをしているようなものだ。
その傍ら、サイファーはホールのあちこちに見える有名人の顔を示して、どこそこの誰それですよね、と男に確認して場を繋いだ後、


「そう言えば、今日はドールからも有名な方が来られていると聞きました。貴方はお会いになられましたか?」


 サイファーが尋ねると、男は彼が示す者が誰なのか直ぐに見当をつけ、


「ああ、ドールの資産家のロイエンタール氏だね。私はね、彼とはちょっと職種が違うもんだから、見かけた程度だよ。会いたいの?」
「将来、父が経営しているホテルを継ぐ予定なのです。後学の為に、沢山のホテルサービスを経営している、氏とお話が出来ればと思いまして」
「若いのに偉いねえ。私が君くらいの頃は、親の仕事を継ぐなんてことは考えていなかった。まあ、結局は同じ仕事に就いているんだけどね。あ、ロイエンタール氏は多分、主催者の所にでも行っているんじゃないかな。そろそろ主催の挨拶があるから、多分、その時は近くにいる筈だよ」


 男は腕の時計を見ながら言った。
そうですか、とサイファーは無難に返す。

 ホールの奥から、ワッと声が聞こえたのはその時だった。
パーティ客の視線が其方へと集まりっているのを見て、小太りの男が「始まったよ」と言った。
このパーティの主催による挨拶だ。


(ターゲットがいるかも知れない)
(行くぞ。取り合えず、確認だ)


 スコールとサイファーは顔を見合わせ、視線だけでそう頷き合った。

 サイファーは小太りの男に短く礼を言い、スコールを伴ってその場を離れる。
マイクスピーカーのスイッチが入って、主催者と思しき男のスピーチが始まった。
多くの来客はそれを聞いているが、中にはどうでも良いと思っているのか、慣れている故か、特に気にせず酒や料理を摘まんでいる者もいる。
サイファーとスコールは、半分以上残ったままだったカクテルをボーイに返し、人だかりの出来ているスピーチ場へと向かった。

 主催と思しき、顎髭を蓄えた男が、ホールの中央で喋っている。
内容は、魔女戦争終結から今日における、ガルバディア───その首都であるデリングシティが如何に苦境にあるか、それをどうやって乗り越えていくかと言うものだったが、スコールとサイファーには至極どうでも良い。
それより、二人の視線は、主催の男を囲む形で並んでいる、来賓扱いの面々に向いていた。

 スコールは写真で確認したターゲットの顔を思い出しながら、並ぶ者達を見渡し、


(主催の右隣、二番目。ターゲット)


 掴んでいるサイファーの腕に、指先でトントンと合図を送る。
其処には事前に写真で確認した通り、五十半ばと思しき、豊かな口髭を蓄えた男が立っている。

 サイファーの視線は、示した場所を確かめた後、スコールを見て、後方へ。
この後の作戦の打ち合わせの為、一旦離れるぞ、と言う事だ。

 傍目には人の集まりに酔ったスコールを介抱する体で、二人はホールの横にあるバルコニーへと移動した。
夜の風通しを求めてか、二人以外にもちらほらと人の影がある。
それらから出来るだけ距離を取って、スコールはバルコニーの欄干に寄り掛かった。


「さて、此処からだ。秘密裏にって事だからな」


 スコールの隣で、サイファーも欄干に背を預け、潜めた声で言った。


「ホールの隅に小奇麗にした悪人面がいたな。匂いが滲んでる。あれが、とは決まってないが、まあ此処に来た金持ちの用心棒なのは間違いないだろうな」
「他に警備もいるし、天井には監視カメラ。ホール内は論外。確保するなら、個室だな」


 この建物には、大中小のホールの他にも、少人数で使える小部屋が幾つかある。
ホールからほど近い場所にある部屋は、今日はパーティの為のバックヤードとして使われているものもあるが、離れている場所は空いていることが確認できていた。

 他人の目がない個室ならば、確保した上で、ガルバディア軍に連絡し、その場で引き渡しにも利用できる。
問題は、どうやってターゲットを其処に誘導するか、だ。


「古今東西、お決まりのやり方と言えば、色仕掛けだな」
「絶対嫌だ」


 定番の作戦を提案するサイファーに、スコールはきっぱりと返した。
他人にはとても見せられない渋面を浮かべるスコールに、サイファーはやれやれと肩を竦め、


「任務だぞ、個人感情は捨てろよ」
「……理由があれば良いな?喋れば男だとバレるのに、どうやってターゲットを誑かせって言うんだ。それとも、あんたが色仕掛けしに行くか?」
「野郎が野郎を誘ってどうする」
「判らないぞ、そう言う性癖かも知れないだろ。今のあんただったら、その手の奴には気に入られるだろう。安心しろ、自信を持て」
「そりゃあ俺が最高の色男だって話か?」
「ああ、そうだな。だからあんたが行ってくると良い。俺はその辺で適当に時間を潰してる」


 楽な仕事だ、と言うスコールに、サイファーは普段と違う形の前髪をかき上げる。
満更でもない、と言う機嫌を良くしたサイファーの表情に、スコールは冷めた目を向けるばかりであった。


「お前にそうまで言われるのは悪い気はしないけどな。残念ながらターゲットが好きなのは女だよ。お前が行った方が靡く」
「だから喋れないって言ってる」
「喋らなくたって誘う方法はあるだろ。ちょっと色目使って、それっぽい仕草でお誘いしてやれば良い。結構好色家らしいから、食いつきは易いと思うぜ」
「嬉しくもない情報だな。あんた、恋人をケダモノの生贄にするのか。酷いパートナーだ」
「先にそれをしに行けって俺に言ったのはお前だろうが」


 如何にも傷付きました、と涙を拭うような仕草までしてみせるスコールに、サイファーは面白がっているなと確信しつつ返す。

 意味のない戯れを交わして、スコールはひとつ溜息を吐く。
結局の所、今の自分たちは任務に来ている訳で、それを遂行する為には、手段に感情の是非などどうでも良いのだ。
何が一番効率的で成功率が高いのか、吟味するのはそれのみ。
だからスコールも、自分がこの場で何をするべきかは判っている───判っているが嫌なのは、どうやっても面倒くさい工程を省くことが出来ないからだ。


「……仕方ない。場所だけ決めよう。何処にする」
「東の二階、階段横の部屋はどうだ。今回のパーティ中は空き部屋になってる。ホールからは十分遠い。ガ兵も外から上って来れるだろうし、引き渡しにも使えるだろ」
「庭の方の掃除は任せた。派手な騒ぎにするなよ」
「じゃあボヤでも起こすか。その辺の連中から煙草でも貰うかな」


 ターゲットの誘導はスコール、警備員向けの陽動はサイファーと言う役割で、此処からは動く。
つまりは、別行動になる訳で。


「お前、俺がいなくて真面に歩けるんだろうな?」


 顔を近付けてにやりと笑うサイファーの言葉に、スコールは眉根を寄せて、大きな溜息を漏らす。


「どうにかする」
「裾踏んで転ぶなよ?」
「判ってる」
「タイミングは?」
「さっき主催のスピーチがあって、それからゲストのスピーチの筈だ。それが終わったら、一時間後にダンスタイムだが、ターゲットは踊りは得意じゃない、と公式に言っている。だから、パーティ会場からいなくなっていても、それ程騒ぎにはならないだろう。雇いの用心棒以外は」
「それは俺の仕事だな。飼い主が動けば、追ってそいつも動くだろう。片付けておく」
「ああ、任せた。────と、言う訳だから、」


 各自の仕事が決まった所で、スコールはぐっと右手を握る。

 思い切り振り上げたその手で、スコールはサイファーの頬を張る。
ぱしん、と乾いた音がバルコニーに響き渡った。
何事、とバルコニーで過ごしていた人々の視線が集まり、スコールはマーメイドドレスの裾を持ちながら、如何にも怒っていますと言う足取りでサイファーの下を離れる。

 サイファーは、恐らくしっかりと痕が残っているであろう頬に手を当てながら、


「我儘なのも可愛いもんだよ、キティ」


 一人ホールへと戻るパートナーを、さも仕方がないと言う表情を浮かべて見送る男の目元は、傍目には酷く甘ったるいものに映っていた。