ヴィオラ
オフ本[ペルシカ]その後の話


 昼日中は熱く、夜になると一気に冷え込むのが、フリオニールが生まれ育った砂漠の国と言うものだった。
空気は一年を通して乾燥しており、雨など年に数度降るかどうか。

 大陸の丁度真ん中に位置する場所にあるその国は、元々は小さなオアシスを中心とした集落だったものが、各国の交通の要所として利用されるようになり、交易地として栄えて行ったと言う。
砂漠越えは決して人々にとって楽なものではなかったが、大陸の反対側へと渡るに辺り、外周を大きく回るよりも遥かに効率の良いルートであり、故に利用する者も多かった。
その為、大陸全土を巻き込んだ戦乱期になると、敵国の移動・補給ルートを潰す目的で、砂漠の街は度々戦禍に巻き込まれた。
自然物資は勿論、砂漠と言う過酷な環境故に、農作物の自給が難しい国民は、どうしても他国から交易で齎されるものに依存せざるを得ない。
砂漠の街の時の長は、その都度、各国の顔色を伺いながら、腰を低くして愛想を振りまく必要があった。
しかし、そのままでは、いつまでも砂漠の街はそれ以上の発展をする事が出来ない。
即ち、永遠に他国に依存し、従い、ともすれば己の命を他人に握られ続けると言う環境に甘んじなければならないと言う事だ。

 それを脱却したのは、今から三百年ほど前だと言う。
長はその時から国の王として先導に立ち、豊国強兵を目指した。
交易ルートとして発展した街の特製を活かし、各国で生産される武具防具は勿論、それを作る為の技術も大金を使って買い、自国での生産を目指した。
瞬く間に国は強くなって行き、それを警戒し始めた各国との戦争も起きた。
それらを武力で捩じ伏せた砂漠の国は、更にその勢力を強めて行き、大陸一の武力国家となる。

 それ以来、砂漠の国はより強く、より固く、その地盤を強固なものへと踏みしめて行く。
其処には、戦争により死んだ、数えきれない人々の亡骸があった。
砂漠の国で生まれ死んだ者、戦争により他の地で死んだ者、砂漠の砂に埋もれていった異邦人、砂漠に想い人を奪われ恨みながら死んだ敵国者───あらゆる躯の上に、砂漠の国は立ち続けている。

 しかし、当代マティウス国王となってから、砂漠の国は変わった。
突然の父王の崩御により、長男であった彼は、自身の兄弟と共に砂漠の国を新たに盛り立てている。
各国から常に睨まれている状態であった武力国家の剣を置き、現在、世界中で通じている国家間の友好を前提とした協力体制への参加を決めた。
歴史の中で培ってきた武具防具の生産技術、砂漠の国にある歴史研究の材料等を交渉の糧とし、新たな国造りが始まった。
それは、暴虐王と名高かった父王の威を払い、半ば遅れていた時代への適応を、ようやっと始めたと言う事であった。

 フリオニールは、当代国王の異母兄弟である。
前王である父は、複数の側室を抱えており、次兄レオンハルトと長女マリアの兄妹、三兄スコットとその弟ゴードンの兄弟の母はそれぞれ正式に側室として迎えられているが、フリオニールは違う。
フルオニールの母は城仕えの使用人として奉仕しており、その時に国王との関係を持った。
望んだものか、望まざるものだったのかは判らない。
何れにせよ、これによりフリオニールは生まれた訳だが、母は生前、息子が王の血を継いでいる事を終ぞ話さなかった。
フリオニールが自身のルーツを知ったのは、母の死後、突然家に城の者達が現れた時だ。
なんでも、亡き母の遺言として、決して裕福ではなかった環境もあり、遺された息子が食うに困る事のないようにと、父親に密に陳情していたのだとか。
其処からフリオニールは城へと上がり、レオンハルト達と“兄弟”として邂逅する。
王城など全く違う世界の話、城下町でごく普通の一般人として暮らしていたフリオニールにとっては、目まぐるしい変化だった。
急に王子なんて言われても───と戸惑うフリオニールであったが、レオンハルトやマリアが深く慮ってくれたお陰で、今現在はその出自に疑問や不安を覚える事はない。

 長兄であり国王となったマティウスとフリオニールの関係は、決して穏やかではない。
元々の気質が正反対と言う事や、そもそもマティウスが誰に対しても尊大な態度を取る所、知略謀略を得意とした性格であるなど、とかく素直過ぎるきらいがあるフリオニールを聊か莫迦にする態度も目立ち、どうしてもフリオニールは彼に対して反発を覚える。
これはフリオニールが悪い訳ではないが、マティウスの方も特別フリオニールに対してのみ辛辣なのではなく、誰に対してもそう言う事をする人間なのだ。
二人の相性は根から悪く、顔を合わせた所でにこやかに談笑をする訳もなく、公衆の面前だろうと皮肉を言うマティウスに、フリオニールが噛み付くのが毎度の事となっていた位だ。

 とは言え、砂漠の国がマティウス新王の下、新たな体制となるに当たり、王の采配は絶対である。
彼の命令により、フリオニールは親善大使の一人として、バラムと言う国に派遣される事になった。
目的は、これまでの砂漠の国の歴史で、度々侵略戦争を起こしてきたことへの詫び状をバラム国王に渡す為。
バラム国は長らく永世中立国として立場を保ち続けており、各国との不偏的パイプを持ちその調停役を務めると共に、戦乱の中で焼け出された難民を受け入れて来た。
砂漠の国が直接バラム国と事を構えた事はなかったが、戦を是としていた国にとって、バラム国が様々な形で影響を齎していたのは確かである。

 こうしてフリオニールは、生まれて初めて砂漠の地を発ち、緑豊かなバラムの国へと踏み入れる。
そして其処で、嘗て遠く見送った人との再会を果たしたのであった。




 鳥の声で目を覚まし、起き上がってみると、柔らかな日差しが差し込んでいる。
人より少し敏感なフリオニールの鼻に、潮の混じった匂いが届いた。
その感覚にも、大分慣れて来ている。

 窓の向こうには、生い茂る木々の隙間から、柔らかな木洩れ日が降り注いでいる。
故郷の城の裏庭と同じ、けれどもあそこにある木よりも幹枝は大きく広がり、葉も一枚一枚が大きくて、風が吹くとこすれ合う音が鳴った。
ざざ、ざざ、と絶えず木々が揺れる音が、何処にいても聞こえると言うのは、まだ少し不思議な感覚がする。

 着換えを済ませた所で、コンコン、と部屋のドアがノックされた。
はい、と返事をしながらドアを開けに行くと、女給が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
お食事をお持ちしました、と鈴のような声で告げると、台車に乗せていた朝食を部屋の中へと運び込む。
焼きたての匂いを漂わせるパンに、すり潰して団子にした魚肉の団子が入ったスープ、そして彩りのある野菜サラダ。
故郷とは全く違う趣の朝食は、フリオニールは聊か量が足りなかったりするのだが、健康的と言えばそうなのかも知れない。


「ありがとう」
「いえ。では、ごゆっくりどうぞ」


 女給はぺこりと頭を下げて、客間を後にした。

 一人でテーブルに着き、朝食を食べ始める。
自分以外に人がいないので、マナー云々を気にしなくて良いのは楽だ。
城での生活よりも、街で育ち暮らしていたので、フリオニールはどうしてもフォーマルマナーと言うものが苦手である。
しかし、親善大使として派遣されている以上、やはり人前ではしっかりしないと───と言う意識はあった。
だから人前での食事はついつい肩を張って緊張してしまうフリオニールだが、せめて朝食位は気楽に食べたい。
そんな気持ちもあるものだから、朝はこうして部屋食で済ませて貰えるのは、非常に有り難い話であった。


(さてと、今日は……どうしようかな)


 スープを口に運びながら、フリオニールは考える。

 フリオニールの親善大使としての役割は、このバラム国についてよくよく知る事にある。
砂漠の国は、出るにも入るにも色々と難しい条件が多い立地である事や、それでも大きく栄えていた事もあり、あまり人が外へと出て行かない傾向があった。
マティウス下の新体制となってもそれは直ぐには変わりはしない。
昔のように、交易地としての発展も続いているから、他国の文化が少なからず流入して来る事はあったが、自国の若者が積極的に他国に赴き、より深くそれを吸収しようとする、と言う事には消極的だった。

 其処で、フリオニールが派遣されるに至ったのだ。
砂漠の国の王弟の中で、同世代の若者達と距離が近く、その人柄が多くの人に支持されているのがフリオニールである。
王子と知られた後も、度々下町を訪れては、行き付けの酒場で飲んでいる姿も目撃されており、気安く声を掛けられる事も多かった。
これも、学者や貴族、大臣といった者達に支持されているマティウスとは正反対の傾向である。
だからこそ新王マティウスは、砂漠の国の次世代に新たな風を呼ぶには、フリオニールが手本となるのが適していると判じたのだろう。

 そんな訳で、のんびりと朝を迎えるフリオニールだが、その肩に乗せられた役割は決して軽くはない。
この国でフリオニールが見せる振る舞いが、バラム引いてはその他の国からも見た、砂漠の国の鑑と映るのである。
だからフリオニールは、正しい品位を持って、この国の多くの人と交流を持たなくてはならなかった。

 昨日はこの国を守る兵士の訓練に参加させて貰い、その前は城下町へと繰り出した。
初めてこの地に来た時、城内の案内をしてくれた兵士に教えて貰った花茶の店にも行き、その不思議な花の作り方を教わった。
その他にも、図書室を借りてこの国の歴史を調べてみたり、城仕えの人々の子供たちが中庭で遊んでいるのを眺めてみたり。
この国の女王が手ずから整えていると言う、庭園の手入れも手伝わせて貰った。
あれは楽しかったな、と思うフリオニールの脳裏には、一緒に手入れに精を出した人物の顔が浮かんでいる。


(……今日もいるかな?)


 思い出したら、その人の顔が見たくなった。
大抵、彼は一日を其処で過ごしているそうだから、行けば高確率で会える。


(今日は目立った予定もないし。ちょっと行ってみるか)


 考えている間に、すっかり空になった食器を綺麗にまとめて、フリオニールは席を立った。
この国に来てから、護身用程度にしか役割を持ってはいない剣を腰に据え、先ずは幼馴染を迎えに行こうと、客間を後にした。



 フリオニールが家族と呼ぶのは、死んだ母と、異母兄弟である中で特に気を配ってくれていたレオンハルトとマリア、そしてガイと言う青年である。

 ガイはフリオニールが城に上がって間もない頃、砂漠で倒れているのを見付け、放っておけずに連れて帰った大柄な男だった。
彼は中々数奇な人生の持ち主で、生まれて間もなく森の中に捨てられたが、なんと動物に拾われて育てられたと言う。
その類稀なる出自の為に、ガイは人買いに攫われ、見世物として方々を巡ったそうだが、当時のガイはただただ故郷に戻りたいと思っていた。
やがて見世物としての生活から逃げ出す事には成功したものの、帰りたい森が何処にあるのかも判らず、その当時は人の言葉も碌に判らなかったので、当てもなく彷徨うしかなかった。
そうして砂漠へと迷い込み、精も根も尽き果てて倒れていた所を、フリオニールが見つけたのだ。

 ガイが故郷と言う山森が何処なのか、結局誰にも判っていない。
帰りたいとガイが言っても、何処に送れば良いのか判らないままだったから、仕方ないと言う気持ちもありつつ、フリオニールはガイの面倒を見た。
その甲斐あってか、いつしかガイはフリオニールにすっかり懐き、まるで兄か親を慕うような顔で、後をついて来る。
当然、フリオニールが無碍に出来る筈もなく、フリオニールはガイが砂漠の国で、自分の傍で暮らせるようにと取り計らい(レオンハルトやマリアにも随分と手伝って貰った)、人よりも動物と一緒の方が安心できる彼の為、厩舎の一角に彼の寝床を用意した。
以後、ガイはフリオニールの家族として───他者から見ると、風変わりな従者か護衛に見えることもあるらしい───共に暮らすようになった。

 そのガイは、親善大使として派遣されたフリオニールから、一月ほど遅れてバラム国へと到着した。
元々は一緒に派遣される筈だったのだが、諸々の事情で遅れたのだ。
彼を後から一人で来させる事について、フリオニールは少々心配だったりしたのだが、無事に彼はフリオニールに追い付いている。

 バラム国に来てからも、ガイは相変わらず、城内で寝る事はしない。
初めはフリオニールも彼の様子が気になったので、眼に届く場所にいるようにと見守っていたのだが、予想はしていたものの、ベッドの感触や、睡眠を穏やかにする為の香水の香りなどが、反ってガイには落ち着かなかったようで、早い内に彼の寝床を整える事にした。
場所は農耕馬が過ごしている厩舎の隣にあった東屋で、其処をガイの寝所として使わせて欲しいとバラム国王シド・クレイマーに頼んだ時は、流石に彼も目を丸くしていた。
親善大使の付き人と言えば、彼等にとっては、ガイも勿論客分である。
「お客様をそんな所には……」と困った顔をされてしまったが、ガイにとっては其処こそが落ち着ける場所だったのだ。
何故そんな所を好むのかと、そう言う説明から入り、また場所が場所であること、どうしても警備の面として当分の見張りは必要となると言う条件の下、ガイはようやく安心して眠れる寝床を貰う事が出来た。

 その東屋に向かったフリオニールを、建物が見える距離の所で、大きな人影が出迎える。
大柄な体躯にあってゆっくりとした歩調で近付いて来るのが、ガイである。


「ガイ!」
「フリオニール。おはよう」
「ああ、おはよう」


 駆け寄ったフリオニールを、ガイは嬉しそうに目深の双眸を細めて迎えた。


「朝飯は食ったか?」
「食べた。ここの木の実は、皆美味しい」
「食が進んでるようで良かったよ。昼は一緒に食べような」
「この前の魚、美味かった。また食べられる?」
「ああ、煮た奴だっけ。どうかな、でも頼んでみよう。今日は無理でも、また食べられたら良いな」


 フリオニールの言葉に、ガイは嬉しそうに頷いた。
そんな彼を伴って、フリオニールは踵を返し、城への道を戻る。

 城内へと戻ると、フリオニールの足は真っ直ぐに、庭園へと向かっていた。
隙間の時間があるとほぼ毎日のように通っているので、道順はすっかり頭に入っている。
今日はどんな花を観察できるだろう、知る事が出来るだろうと、そう考えるフリオニールの足は軽い。
それは後ろをついて歩く幼馴染にも気付かれていた。


「フリオニール。楽しそう」
「そうかな」


 ガイの言葉に返してやれば、堀の深い顔がこくりと頷く。
自覚はあったので、フリオニールは少しの照れ臭さに顔を赤らめつつ、笑顔を浮かべた。

 バラム国は国土全体に森林が広がっており、豊かな土壌が育まれているお陰で、沢山の動植物が生息している。
自然域にあるものだけでもかなりの種類がある中、人の手に及ぶ場所は、更に種類数を増やしていた。
と言うのも、国王シド・クレイマーの妻であるイデア・クレイマー王妃が植物に造詣の深い人物で、国内外にある様々な花を取り寄せて育てているのだとか。
特に、王城内にある庭園は、彼女が慈しみ育てた花々で整えられており、城仕えの兵士や女給にとっては細やかな自慢となっているそうな。

 フリオニールは、バラム国に来て以来、頻繁にこの庭園に足を運ぶ。
砂漠の国で生まれ育ったフリオニールにとって、其処は見た事がない花々に溢れた、まるで楽園のような場所だった。
そう感じるのは、種類の多さに圧倒されたからだけではなく、此処なら人目を気にせず花に夢中になれる、と言う所が大きい。

 庭園の出入口を警護している兵士に「ご苦労様」と声をかけると、兵士は敬礼のポーズを取った。
その表情は普段はフリオニールに笑いかけてくれたりするのだが、今日は少し真面目に固い。
誰かいるんだな、とフリオニールは察した。

 広々とした庭園には、数十種類もの花が植えられており、季節ごとに景観の趣を変えて魅せてくれると言う。
今はバラム国は秋と冬の中間にあるらしく、秋の花が終わりを見せる傍ら、冬に向けて実が栄養を蓄えてぷっくりと膨らみつつあった。
さて今日はどの花の世話をすれば良いかな、と右へ左へとフリオニールが視線を忙しなくしていると、


「おっ、フリオニールじゃん」


 後ろから聞こえた声に、フリオニールとガイが振り返れば、金髪の少年が立っていた。
太陽を透かしたような金糸に、空を思わせるスカイブルーの瞳、そして何より特徴的なのは、背中の方でゆらりと揺れる金色の尻尾だ。
古くから大陸の北の方に遊牧民としての営みをしている一族の特徴を持ったその少年の名は、ジタンと言う。
フリオニールから見て、彼の頭の位置は胸の当たりにあって、随分と小柄な身長である。
その小柄さに見合って、彼が軽業師のような技を楽々と熟す事を、フリオニールはよく知っていた。

 ジタンは、大きな壺のようなものを両腕で抱え持っていた。
落とさないようにと気を付けてか、何度も抱え直すその仕種を見て、大変そうだな、とフリオニールは思う。


「それ、重そうだな。持とうか?」
「ああ、いやいや、大丈夫だよ。どうせすぐ其処までだしな」


 そう言って歩き出したジタンが、フリオニールとガイの横を通り過ぎる。
二人もそれを追う形で、庭園の通路をのんびりと歩く足を再開させた。

 ジタンがいると言う事は、フリオニールが目当てにしている人物も、此処にいると言う事だろう。
俄かに胸の奥で鼓動が弾むのを聞きながら、フリオニールはきょろきょろと辺りを見渡して、件の影を探す。
程無くして、その目当ては見付かった。


「スコール、肥料持ってきたぜ」


 そう言ってジタンが小走りに向かう先には、濃茶色の髪の少年と、それよりも少し明るい髪色をした青年がしゃがんでいる。
二人は顔を上げてジタンを見付けると、揃って曲げていた膝を伸ばした。


「今日のは追肥だっけ?」
「ああ。そろそろサルフィリウムが咲く頃だから、その前に済ませておきたい」
「了解。そうだ、フリオニールが来てるぜ」


 ジタンは濃茶色の髪の少年に、肥料が入った壺を渡しながら、フリオニールの来訪を伝えた。
すると少年が此方を見て、オアシスの底のような、深い蒼色の瞳がフリオニールを捉える。
その瞬間、とくん、とフリオニールの胸の奥で鼓動が鳴った。


「おはよう、スコール。今日も早いな」
「……ん」


 片手を上げるフリオニールに、スコールの反応は小さかった。
素っ気ないと言えばそうであったが、フリオニールは彼から返事の声が聞こえて来ると言うのがとても嬉しい。
嘗ての時は、彼の顔も滅多に見る事は叶わず、声は終ぞ聞く事もなかったのだから。

 スコールの隣に立っていた青年も、褐色の瞳を朗らかに緩ませて、「よっ」と片手を上げる。
フリオニールが同じように返せば、青年───バッツは人懐こい表情を浮かべて見せた。
それからフリオニールの後ろをついて歩くガイにも、バッツは気安い空気でひらひらと手を振り、朝の挨拶を送る。
するとガイも、一見すると強面の顔を子供のようにくしゃりと崩した。

 スコールがジタンの持ってきた壺を石畳の地面に置き、傍に置いていた麻袋を広げる。
スコップを使って壺の中の肥料を掬い、麻袋の中に移していく。
十杯程度を移し終えると、スコールはそれをスコップと一緒にジタンに渡した。
ジタンは心得ているようで、じゃあ向こうから、と通路の端へと駆けてゆき、花壇の中に入って麻袋の口を広げる。

 ジタンが肥料を撒き始めたのを見て、バッツが言った。


「じゃあ、おれ達はあっちの木、剪定しようか」
「ああ」


 あっち、とバッツが指差した先に、スコールが歩き出す。
バッツは当然それについて行き、フリオニールとガイも倣って彼の後ろをついて歩いた。


「今日は何をするんだ?」


 歩きながらフリオニールが訊ねると、スコールがちらりと肩越しに此方を見て、


「アウスタリスの剪定をする」
「あそこにある奴だよ。フリオニール達も知ってる筈だ」


 端的に目的を述べたスコールに続いて、バッツが向かう先にある植物を指して言う。
はて、とフリオニールが指されたものを見ていると、心なしか見覚えのある葉の形が見えて来た。
その正体に気付いたのは、ガイである。


「マルベリーの木」
「ああ、成程。道理で見た事があると思った」


 ガイの言葉に、フリオニールはようやく合点がいった。
スコール達が今日の作業の目当てにしている植物は、フリオニールが砂漠の城でよく見ていたものと同じ木だったのだ。

 フリオニールが生まれ育った砂漠の地は、元々がオアシスであったことを始まりとして栄えて行った。
この為、国王が住まう城を初めとして、街の各所に井戸が点在している。
水脈は街の地下深くで広く枝分かれしており、時折、こんな所に水気が、と言う場所も稀に現れた。
水気は必ずしも水そのものが地表に現れて来る訳ではなく、地下深くに流れる水が運んで来る栄養分を元手に、植物が深く根を張って成長する、と言う事例もある。
それが城の小さな裏庭にも現れており、フリオニールやガイ、マリアと言った限られた若者達の、細やかな憩いの場として定着していた。
特にガイは自然豊かなその環境が落ち着くようで、日がな一日を此処で小動物たちと共に過ごす事も多い。
其処にガイがマルベリーと呼んだ木の実をつける木があり、ちょっとした小腹を満たすのに丁度良くて摘んでいたから、彼はよくよくその特徴を覚えていたのだろう。

 マルベリーの木の下に来ると、スコールは早速作業を始めた。
まずは状態の確認と、幹に触れながら、ぐるぐるとその周りを回って、木の状態を観察する。


「状態は良いな」
「でも枝の伸びが早いな〜。やっぱり若い木は元気なんだ」
「ああ。上に伸びてる所を切った方が良い」


 スコールの言葉にバッツが頷き、腰に提げていた長柄の鋏を握る。
刃に被せていた革製のカバーを外すと、よいしょ、と腕を伸ばして木の上部の枝を切り始めた。


「うーん、一番上の方までは届かないな」
「貸してくれ、バッツ」
「ん?」


 背伸びをし、腕を目一杯に伸ばしても、届かない所まで成長している木枝に、バッツがどうしようかなと呟いたのを聞いて、フリオニールが手を挙げる。
言われた通り、バッツは高枝切り鋏をフリオニールに差し出す。


「ガイ」
「ん」


 フリオニールがガイを呼べば、幼馴染は判っているとすぐに屈んでくれた。
フリオニールがその肩に乗ると、ガイがすっくと立ちあがる。
巨漢と言って申し分ないガイの肩に乗ると、フリオニールの目線の高さは二メートル以上になって、この庭園の景色が端から端まで一望できる程だ。

 フリオニールが手を伸ばしたので、バッツがその手に鋏を預ける。
高い場所から更にフリオニールが腕を伸ばしてやれば、鋏の刃はしっかりとマルベリーの木の天辺に届いた。


「ええと……これか?」
「もう少し下から。枝の分かれ目の傍が良い」
「よっ……」


 スコールの指示に合わせ、鋏の位置を調整して、「ここか?」とフリオニールは改めて確認した。
「ああ」と短い返事があったのを聞いて、鋏の枝を持つ手に力を籠める。
鋏は若干の抵抗感を伝えた後、ぱちん、と枝を断ち切った。

 ばさ、と切った枝葉がフリオニールの顔に落ちて来る。


「うっぷ」
「フリオニール、大丈夫?」
「あ、ああ」


 顔に乗った枝葉を払い除けるフリオニール。
そのまま地面へ落ちた枝をバッツが拾い、ひらひらと遊ばせながらくすくすと笑う。
その気配にフリオニールは頬を赤らめつつ、次の枝に鋏を伸ばす。


「上の方は一通り切ってしまって良いのか?」
「ああ」
「じゃあ、えーっと……この辺かな」


 ぱちん、ぱちん、と鋏の鳴る音が続く。
その間、ガイはじっと辛抱強く待ち続け、フリオニールの剪定作業が終わるまで動かなかった。
その傍ら、フリオニールが「もうちょっと右に」等と伝えると、一歩、一歩と少しずつずれて、丁度良い場所を探す。

 慣れた様子で連携して作業をしている二人に、見上げるバッツがスコールに言った。


「助かるなあ。脚立持って来ても良いけど、おれ、あれ苦手だからな」
「…あんたの高所恐怖症は仕方ないだろ」


 バッツは幼い頃の出来事が原因で、高所恐怖症なのだ。
足元がしっかりとした場所なら、景色を望む分には嫌いではないようだが、落下防止の柵がない高台などは苦手だと言う。
木登り位なら平気、下を見なければ怖くない、と彼は言うが、木の剪定作業で使う脚立は、幾ら平坦な地面に置いてもやはりある程度不安定さはあるもので、出来れば使いたくないのだとか。

 上部の剪定が一通り済んで、フリオニールはガイの肩から降りた。
借りていた鋏をバッツに返すと、バッツは腕を伸ばして届く高さにある枝を切り始める。


「冬前だし、そんなに一杯切らなくて良いよな?」
「ああ」
「じゃあ、うーん、こっちらへんの長い奴を切って……」
「バッツ、そっちの枝は今年実が出来た所だ。切るなら其処」
「此処?」


 バッツが鋏を右の枝へと寄せると、スコールが頷いた。
ぱちん、と鋏が閉じて、切られた枝が横枝に引っ掛かる。
バッツは鋏の先でそれを引っ掛けて、地面へと落とした。

 スコールが枝を拾い、その切断面をじっと見つめる。
よくよく睨むようにも見えるその表情に、フリオニールは何をしているのかと訊ねてみた。


「スコール、其処に何かあるのか?」
「……芯の状態を確認してる」
「ああ、病気になってないかって事だな」


 フリオニールの言葉に、スコールからの反応はない。
違う、と修正する言葉がなかったので、恐らく正解なのだろう。
スコールはしばらく枝を見つめた後、ふむ、と枝を持った手を下ろした。
問題なし、と言う事だ。

 フリオニールはガイと並んで、広く枝葉を伸ばしているマルベリーの木を見上げた。


「マルベリー……えっと、こっちではアウスタリスだっけ。こんなに大きな木になるんだな。うちの城にあるのは、此処まで高くは伸びていなかったから、少し驚いた」


 マルベリーの木は、フリオニールが切り落とした一番高い所では、三メートルを越える高さにまでなっていた。
木としては低木に属するものではあるが、フリオニールが故郷で見ていた同種の木は、二メートルを少しと言う程度だっただろうか。
だから巨漢のガイにとっては、丁度良い高さに木の実が生っており、小腹を満たすのに良いデザートになっていたのである。

 スコールは腰に提げていた布袋を広げると、その中に地面に落ちた枝葉を拾って入れていく。
フリオニールとガイもそれに倣って、バッツが切り落とした枝を拾い集めて行った。
その傍ら、スコールが淡々とした口調で話す。


「アウスタリスはそれなりに強い木だから、自生は難しくないようだけど、あんたの国は砂漠だろう。気候が違えば、生育状態にも差はあるんじゃないか」
「確かに、そうだな。あっちで色々育てて、やっぱり砂漠じゃ色んな植物は育ち難いんだって思ってたけど、こっちに来てもっと実感したよ。同じ花でも、同じ木でも、こんなに育ち方が違うんだから」


 フリオニールは、剪定が済んですっきりとしたシルエットになったマルベリーの木を見上げてそう言った。


「やっぱり、適した場所で育つのが良いものなんだろうな。水も栄養も沢山あって、そうすると土が肥えて。綺麗な花も沢山ついて」


 言いながら、フリオニールの紅い瞳は、広い庭園をぐるりと見渡す。

 故郷で見て来た、幼馴染達と共に過ごしていた城の、公然の秘密にも似た裏庭も、フリオニールにとっては大事な場所だ。
其処に染み出た水脈を頼りに、小動物たちが何処かから運んできた種が芽吹き、いつの間にか砂の地面を埋め尽くす位の緑が育った。
あまり草花に関心を持つ人がいなかったから、ガイが見つけ、フリオニールやマリアが度々足を運んでいなかったら、あの小さなオアシスは、知らない間に何かの倉庫の増設にでも使われていたかも知れない。
今はマリアが一人で世話をしているであろう、フリオニールが置いた鉢植えの花たちも、そこで息をする機会はなかったのかも。
そう思うと、あの小さなオアシスは、嘗て幼かった少年少女たちにとって、得難い空間だったのだと言える。

 しかし、緑豊かなバラムの地に来て、やはり植物はこういった豊かな土壌を好むのだとフリオニールは実感する。
砂漠の地で、フリオニールがひっそりと自室で育てていた花々は、中々蕾もつけてくれない事が少なくなかったのだが、それがこの庭園では誇らしげに咲き誇っているのだ。
柔らかな土に根を張り、清らかな水をふんだんに吸い、腹一杯に栄養を採れるからこそ、花々は美しく開くのだと。

 ───と、フリオニールは思うのだが、それをじっと見つめる視線があった。
穴が空きそうな程に見られているのが分かって、フリオニールが振り返ってみると、蒼の瞳とばちりと合う。


「あ。え、と」
「……」


 目が合った、と思わず固まるフリオニールを見て、スコールはすいと視線を外してしまう。
見えなくなった蒼の瞳に、ああ、とフリオニールの胸中で寂しい声が漏れてしまった。

 スコールとバッツが落とした枝を拾い終えた所で、たったったっ、と石畳を走る軽い足音が聞こえて来た。
花に肥料を撒いていたジタンだ。


「追肥作業終わり!そっちはどうだ?」
「こっちも終わったよ。フリオニールとガイが手伝ってくれてさ、お陰で上の方もすっきりだ」
「手が多いと仕事が早く済むから良いな。助かるよ」
「いや、別に、そんなに言われる程の事でもないよ」


 ジタンとバッツに感謝の意を述べられて、フリオニールは顔を赤くした。


「俺にとっては嬉しいんだ。こうやって土いじりとか、植物の世話とか、遠慮なく出来るから」
「ああ、あっちでは花好きだって隠してたんだっけ。別にそんな恥ずかしい話でもないとは思うけどなー。まあ、風潮ってあるしな」


 ジタンの言葉に、フリオニールは眉尻を下げて頷いた。

 フリオニールが育った砂漠の国で、男が植物に入れ込んでいる事は少ない。
花を愛でて慈しむのは女性の嗜みであり、男性はその筋を研究する学者ならともかく、多くは深い関心を持ってはいなかった。
兵士として日々剣の鍛錬に勤しむ男が、女性のように花を愛でている、と言うのは、聊か公言し辛い空気があったのは確かである。
だからフリオニールが植物を育てる事に関心を持っていると言うのは、ガイやマリア、レオンハルトと言った、ごくごく身内の者しか知らない事だった。

 しかし、バラムの国では、その緑豊かな環境もあってか、男女ともに様々な植物に造詣が深い。
王妃が手ずから庭園の世話をすると言うことは勿論、時には夫である国王シドもそれを手伝う事もあるのだとか。
また、街にも植物を使った飾りが多く見受けられ、それを受け持つ職人は男女共に多いと言う。
こうした国全体の背景もあり、皆が花を愛で育てることが広く浸透しているのだそうだ。

 お陰でフリオニールは、バラム国に来てから、目一杯に植物との触れ合いを楽しめている。
これまでは、砂漠の地と言う、環境としてはやはり特殊と言わざるを得ない地で、ほぼ独学で植物と触れ合うしか出来なかった彼にとって、この環境の変化は大きかった。


「こっちは、植物に詳しい人も多いだろう。色んな話も聞けて、勉強にもなるから、楽しくて」


 そう言ったフリオニールは、まだ少し恥ずかしそうに赤らんではいるが、柔らかくて朗らかだった。
初めての異国での生活を、彼は存分に楽しんでいるのだ。
勿論、本来の役割を忘れた訳ではないが、その中でも楽しめるものがあるのは、フリオニールにとって良い刺激になっている。

 そんなフリオニールに、ジタンがくつくつと笑いながら言った。


「満喫してんなぁ。あんまり土いじりばっかりしてると、剣の方が鈍っちまったりするんじゃね?」
「それはちょっと心配ではあるんだよな……レオンハルトもいないから、訓練をする相手もいなくて。バラムの兵士達とも特訓させて貰う事はあるんだけど、何と言うか、皆遠慮している感じがあって……」
「お前の実力で腰が引いてるんじゃないか?まあ、ここの奴等にしてみれば、一応お前は王族の来客だからな。うっかり怪我させちゃどうなるかって、気にするもんだろ」


 ジタンの言葉は最もだろう。
故郷では王子でありつつも、立場的にはほとんど近衛兵と同等の扱いであったフリオニールにとって、剣の訓練は日課で欠かせないものだった。
その時、不在でなければ義兄であるレオンハルトが勝負相手をしてくれていたのだが、遠いこの地では流石にそれは望めない。

 よいしょ、と声が上がって、バッツが枝葉の詰まった革袋を担ぎ上げる。
彼が持っていた高枝切狭はスコールが持ち、カバーをつけて腰に提げていた。
それを見たジタンが、そうだ、と手を打つ。


「フリオニールの剣の相手なら、バッツが良いんじゃないか。結構良い相手になるだろ」
「え?何?なんの話?」


 落とした枝葉の掃除に集中していたからだろう、バッツは突然自分の名を呼ばれてきょとんと目を丸くした。
ジタンはフリオニールの腰の剣をぽんぽんと叩いて、


「これだよ、これ。フリオニールの剣の相手。特訓相手がいなくて困ってるんだってさ」
「困ってるって程じゃ……でも、バッツが相手をしてくれるなら、俺は嬉しいな。ほら、前にやった時は、手加減されていたようだったし」
「えー、そんな事ないけどな」


 フリオニールの言葉に、バッツは心外だなぁ、と言う表情を浮かべる。
真面目にやってたよ、とバッツは言ったが、フリオニールはとんでもない、と思う。

 砂漠の国で、ちょっとした話の流れから、フリオニールとバッツは勝負をした事がある。
模擬戦の形ではあったが、フリオニールはバッツの型に嵌らない動きに翻弄された。
しかし、その場ではバッツは自身を一介の旅芸人、武器の扱いは旅の護身の為と言っており、勝負も結局はフリオニールが勝った。
それも、フリオニールの勝利が自然に見える形で。
それが出来るのは、バッツに相当の実力があっての事だ。

 あの時の事を思い出したら、改めて勝負がしたくなってきた。
紅い瞳が爛々と輝き始めたフリオニールに、バッツはうーんと唸り、


「木剣でも良いか?流石に交流に来てる客に怪我させる訳にいかないし、おれも痛いのは嫌だし」
「ああ。勝負じゃない、訓練だしな。早速で悪いんだが、明日の朝でも良いか?」
「フリオは元気だなぁ。おれはいつでも良いよ───って思ったけど、朝飯の後でも良いか?起き抜けはやっぱり頭動かなくて」


 バッツの時間指定に、勿論、とフリオニールは頷いた。
そのタイミングなら、兵士達も訓練をしている者がいるだろうし、フリオニールも訓練場を使わせて貰える。
朝食の後なら、良い腹ごなしにもなるだろう。

 日々の楽しみが増えた、と嬉しそうなフリオニールに、じぃっとまた視線が突き刺さる。
なんとなく感覚的に覚えた、その視線の主を想像しながらフリオニールがちらりと見遣れば、思った通り、キトゥン・ブルーが此方を見ていた。

 フリオニールが見ている事に気付いていないのか、今度のスコールは視線を逸らさない。
蒼の瞳が、何処か物言いたげにしているように見えたが、フリオニールはその中身を読み取るのは難しかった。


(なんだろう。もう少し、スコールが何を言いたいのか、判ったら良いんだけどな)


 また目を逸らされない内に、フリオニールはそっと視界をずらした。
それでもやはり、首の後ろ辺りに感じる視線は中々消えず、フリオニールは其処を手で摩る。


(もっとスコールのことを知れたら、判るようになるんだろうか。バッツやジタンみたいに)


 フリオニールがバラム国に来て数ヵ月。
共に過ごした時間としては、まだまだ短いと言えるだろう。
そんなフリオニールが、幼い頃からその傍で過ごしてきたバッツや、二年と言う時間を近しい距離で共有していたジタンと同じように、スコールのことを読み取れないのは無理もない。
ガイとフリオニールが、合図一つとなく阿吽の呼吸で動けるのも、長年の信頼があってこそ。
言葉なくても伝わる関係と言うのは、一朝一夕で築けるものではないのだ。

 今日の庭園での作業はこれで終わりになるようで、スコールはバッツとジタンを連れて、城内へと入って行く。
フリオニールもまた、それを追って、ガイと共に庭園を後にした。



 ガイと共に厩舎へ行くと言うフリオニールと別れて、スコールはバッツとジタンと共に、自分の部屋へと向かっていた。
庭園を後にする頃から、終始無言で歩いているスコールの背に、ぽいっと投げかけれたのはバッツの言葉だ。


「言えば良いのに。俺も一緒に訓練したいって」


 ぴたり、とスコールの足が止まる。
半歩後ろを歩いていたバッツの方へ、ゆっくりと振り返ったスコールの目元は、胡乱に窄められていた。
分かり易く不機嫌を物語るその表情は、眉間に走る消えない傷もあって、仏頂面を通り越して少々怖くも見える顔をしていたが、幼い頃からスコールを知っているバッツにとっては、そう恐ろしいものではないと判る。
また二年の時間を共に過ごしたジタンにとっても、それは同様であった。


「だよなぁ。そりゃあバッツの相手を提案したのはオレだけど、スコールだって一緒にやって良いんだぜ」
「……別に」


 ジタンの言葉に、スコールはそんな気はないと言う反応を見せる。
しかし、彼のまとう拗ねた子供のような雰囲気が、その本音を判る者には駄々洩れにさせていた。

 スコールの進む歩調が速くなって、バッツとジタンを置いて行こうとする勢いだ。
その態度が何よりも判り易いと言うのに、どうも彼はその事に気付いていない。
そんな抜けきらない幼さに、連れの二人は顔を見合わせて肩を竦めた。

 スコールの後を追いながら、バッツが言う。


「いつもおれの相手ばっかりじゃ飽きるだろ?」
「別に」
「偶には他の人ともやってみないと。良い勉強になるぞ」
「あんたがいれば良い。あんたより強い奴なんかいないんだから」
「そう言ってくれるのは嬉しいけどなぁ」


 スコールは頑なだ。
拗ねた分、余計に意固地になっている所はあるだろう。

 普段、スコールの剣の訓練の相手をしているのはバッツだ。
それは彼が15歳で剣を持つ事を許されてから、ずっと続いている事だった。
確かにバッツもそれなりに腕に覚えはあるつもりだが、自分は色々と悪い癖もあって、型に嵌らない剣技はそれを半ば誤魔化す目的で身に付けた所がある。
それが相手慣れない敵には効果的にもなるのだが、かと言ってそればかりを相手取っていれば、やはり目は慣れるし、自然と癖から来る隙も判るようになる。
だが、剣の腕を磨きたいと、強くなりたいと思うのなら、バッツ以外の相手も必要だ。
この世には、バッツが使えない剣術を操る者がごまんといるのだから。

 ───と、そう言った理屈はスコールも判っている筈なのだが、如何せん、彼は極端な人見知りである。
生まれた頃から持っていたその性質は、幼少期の経験もあって、より強固なものになってしまった。
限られた人以外との接触を極端に避けて来た事もあり、新たな人との交流と言うものは、何をするにも消極的になってしまうのだ。

 そんなスコールにとって、フリオニールとの交流は良い兆しだとバッツは思っている。
だからこれを機会に、もっと色々と見聞を広め、意識するものを増やして行くのが良いだろう。
スコールと言う少年をずっと見続け、守り続けて来たからこそ、バッツはこの機会を逃したくなかった。


「一緒にやろう、スコール。前はおれしかフリオの相手を出来なかったけど、今は違うだろ?色々気にしなくて良いんだから」
「……」


 バッツの誘いに、スコールが微かに俯く。
蒼の瞳がちらりと肩越しに二人を見て、興味がない訳じゃない、と言っているのが聞こえた。


「真剣の勝負じゃないから物足りない、なんて言ってられないと思うぞ。一撃が結構重いんだ。あれを受け止めるのは、スコールにも良い勉強になると思う」
「……あんただってバカ力だろ」
「おれの力の使い方と、フリオの剣の使い方は違うよ。ほら、その辺もさ、打ち合って見れば判るって」
「寧ろ打ち合わなきゃ判んないって事だなー」


 ゆらりと尻尾を揺らして、ジタンも援護射撃をした。
そう言われると、スコールもうずうずとしてきたのか、唸るように小さく息を零し、


「……気が向いたら」
「うんうん。それで良いよ」


 まだ逡巡があるのだろう、それでも一応は前向きと取れるスコールの返事に、バッツは朗らかに笑って、自分よりも少し高い位置にある濃茶色の髪をくしゃくしゃと撫でた。
スコールは貌を顰めてその手を払い、乱れた髪を手櫛で直す。
気難しい少年が、少し機嫌を持ち直してくれたのを感じて、ジタンはよしよしと頷いた。