花あわいの形
スコール誕生日記念(2025)


 普段ならば、ラグナが一人で行動することは少ない。
と言うのも、仲間の多くが、彼が筋金入りの方向音痴であることは知っているから、諸々の安全の為にも同行者がいた方が良い、とされているからだ。
ラグナも仲間が一緒にいてくれることは頼もしいし、話相手がいるのは嬉しいものだから、どうしても単独でやりたいことがある、と言った出来事でもない限りは、一人に拘ることもない。

 しかし、この世界は不安定なものだ。
歪の中は勿論のこと、外の山野の最中でも、急に周囲の様相が様変わりすることは頻繁に起こる。
その際、共に行動していた筈の仲間と散り散りにされてしまうことも少なくなく、こうなると、一人で歩き回ることを余儀なくされてしまうものであった。

 今正に、ラグナはその状況にあった。

 ラグナは三日前から、セシル、カイン、ジェクトと言ったメンバーで、北の大陸───混沌の陣営地であるエリアの探索に出ている。
敵の領地とも言える其処は、秩序の聖域の近辺よりも不安定で、イミテーションの数も多い。
此方もチームを組んで行動するのが定石だったが、一際赤く輝く、混沌の侵食を受けた歪の調査をしていた最中のことだ。
其処はライフストリームと呼ばれる、大きなエネルギーが常に流動している場所で、時に足元が唐突に崩壊することもあるような空間だ。
そこを巣のように犇めいていたイミテーションとの戦闘中、周囲のエネルギーが突然の活性化を見せると同時に、空間全体が大きくぶれた。
眩暈を起こすほどのハレーションの中で数回瞬きをした隙に、ラグナは見知らぬ土地へと放り出されていたのである。

 其処は数秒前の世界とは真逆に、穏やかな森の中だった。
所々に野兎や野リスの気配がある程度で、危険性が伺えそうな獣の姿は見られない。
イミテーションの影も形も見当たらず、この世界が闘争の神々が司るそれであるのか、何処かの世界の断片かも判然としなかった。
だが、空が高く晴れているのが木々の隙間から見えたことから、恐らく、何処かの断片だ、とラグナは判断した。

 となれば、この空間の出口を見付けなくてはならない。
ライフストリームに比べれば安定している場所のようだが、かと言って、帰れなくては意味がない。


(そろそろ帰る予定だったしな〜。じゃないと、誕生日パーティに間に合わなくなっちまう)


 ラグナは茂みを掻き分けながら、道なき道を歩く。
足元が急くように前へ出るのは、今後の予定が詰まっているからだ。

 今日から三日ないし四日のうちに、兼ねてから計画していた、フリオニールの誕生日を祝うパーティが催される。
それを踏まえて、一行は混沌の大陸の探索に赴いた筈だった。
出来るだけ皆集まって祝いたい、と言うバッツ並びに若い面々の要望に、年上陣は時に溜息と苦笑を交えながら応じて、それぞれの探索や哨戒、素材集めのスケジュールも調整されている。

 北の大地から秩序の聖域に戻るまでには、急いだとしても二日はかかる。
探索も一区切りして、先の歪の解放が終わったら、帰路へ出発する予定だった。
そうすれば、帰途で多少のトラブルがある程度なら間に合わせることが出来るだろう───と言う皮算用だ。
不測の事態は幾らでも考えられたが、とりもあえず、この予定で行って戻ろう、と決まっていた。


(多分まだ大丈夫だとは思うけど、出口が見付からねえと流石に困るぞ。早く戻って、プレゼントも準備しなきゃいけないのに)


 バッツが提案をし、フリオニールの誕生日祝いを皆でやると決めた日から、秩序の戦士たちは折々にその準備を整えてきた。
日々の生活の隙間時間を見付け、食事のメニューやレシピを考案したり、フリオニールが気に入りそうなアイテムを探したり。
その輪の中には、バッツから話を聞いたスコールの姿が見られることもあった。

 此処しばらくの秩序の聖域で見られた仲間それぞれの行動を思い出して、ラグナはくつりと笑う。

 スコールは、ささやかながらパーティの準備に勤しむ仲間たちを見る度、なんとも言い難い表情で溜息を吐いている。
カインやライトニングと稀に目を合わせては、物言いたげな表情を浮かべていることもあった。
彼にしてみれば、下らないことに時間を取るな、と言いたいのかも知れない。
しかし、今の所、そう言われたメンバーもいないようで、準備に勤しむ仲間たちに水を差す気もないらしい。
そしてパーティの計画がフリオニールに秘密なことも判っており、バッツ達に請われて、フリオニールの目が仲間たちから離れるように誘導することもあった。


(手伝わないからな、って言ってたような気がするけど、結局手伝ってくれるんだから、意外と付き合いが良いんだよなぁ)


 律儀だな、と思いつつ、存外と頼まれると断れない性質なのかも知れない、とも思う。
愚痴を零す表情をしつつ、フリオニールを伴って屋敷を出掛けて行く背中を、ラグナは何度か目撃した。

 その傍ら、スコールの為にも、こっそりと準備をしている仲間がいることは、気付かれていないようだ。
少なくとも、ラグナの目からはそう見える。


(ジタンとバッツが作ってる物も、何回か見たみたいだけど、気にしてない感じだったな)


 事の発端であるバッツと、彼に誘われたジタンは、フリオニールだけでなく、スコールの誕生日も祝うつもりでいる。
その準備の様子を、彼らはスコールの目に就く場所で堂々と行っていることがあるのだが、どうやら『皆でフリオニールの誕生日を祝う』と言うことが隠れ蓑になって、自分もその対象であることは気付いていないらしい。
サプライズを計画している側としては、有難い勘違いなので、最後までそのままにしておくつもりだろう。

 麗らかな木漏れ日を齎す木々の下を歩き続け、掻き分けた茂みの向こう側が、ぱっと開けた。
晴れ渡る空の下、緩やかな丘陵が続く視界は、何処か牧歌的で懐かしさを感じさせる。
特に際立つものもない、視線を遮るのは遠く遠くの山の連なりのみで、何処からともなくトンビの鳴き声が聞こえていた。

 景色としては悪くない。
寧ろ、穏やかで涼しい風も吹いて、弁当でも持ってピクニックに来るには最適と言えるだろう。
しかし、とラグナは頭を掻いた。


「うーん。何処だろうなあ、此処は」


 まるで戦いとは縁のなさそうな場所だ。
何処かの世界の断片ではあるのだろうが、果たしてそれが何処なのか。
そして、この広がる長閑な光景の、一体何処に、この空間からの脱出口があるのか。
怪しいものがあるなら幾らでも疑えるのだが、あまりにも何もない光景だから、ラグナは反って途方に暮れる。


「まあ、取り合えず行ってみるか」


 何もないとは言っても、真っ暗闇が視界を覆い尽くしている訳ではない。
グランドカバーのように地面を敷き詰める青い草いきれに、野花がちらほらと咲いている。
空は所々に千切れた白い雲が浮かび、時折飛び立つ鳥の影が見えた。
慎重を期するものが反って混乱しそうな光景は、ラグナの足を止める理由にはならない。

 イミテーションの姿も見当たらないが、一応の体に、右手はマシンガンを握った。
構えもせずに右肩に担ぐようにして歩くラグナの足元は、草土に覆われていて柔らかい。

 しばらく行くと、遠目にぽつりぽつりと建物が見えてきた。
白い石の壁に赤い屋根と、古い御伽噺に登場するような風体のそれは、見る限りでは家屋のようだ。
しかし、闘争の世界に引っ張って来られる異世界の断片は、往々にして人がいない。
家屋であるからと言って、住人と鉢合わせするようなことはないだろう。


(っつっても、何か使えるものがあるかも知んねえし。あの中に歪の穴があるかもだし。ちょっと覗いてみるか)


 此処まで歩いてきたが、見えた家屋以外には変わったものもない。
そして相変わらず、歪の出口と思しきものも見付からなかった。

 一番近くにあった建物まで真っ直ぐに進む。
家屋の傍には、井戸、農具や薪が並べられた東屋、何もいない犬小屋のようなものがあった。
何処かの田舎だったのかな、とラグナは来た道を振り返りながら思う。

 自分の世界がどういうものだったのか、ラグナはあまり具体的に思い出せない。
ただ、こうも自然豊かな光景と言うのは、あまり馴染みはなかった───筈だ。
見たことがない訳でもなかったが、身近なものではなく、自分自身はもっと人工的なものが多い場所にいたのではないか、と感じる。
そして、右手に持つものがしっくりと手のひらに馴染んでいる所からして、あまり平和な場所だった訳でもなさそうだ、とも。

 しかし、不思議なもので、この光景は何処か郷愁を誘う。
それが思い出せない深淵にある記憶の所為なのか、嘗ては野山で暮らしていた筈の人間が持ち得る原風景への憧れなのかは判らなかった。


「……でも、ま、今はこっちだな」


 景色は幾らでも眺めていられそうだったが、生憎と今後のスケジュールは詰まり気味だ。
此処も何処かの歪の中であるのだろうし、脱出口の発見は早い方が良い。
何せ、どんなに安定した空間に見えても、何の拍子に歪み始めるのか判らないのだから。

 ラグナは家屋の玄関口と思しきドアに近付いた。
人の気配は感じられなかったが、これもまた一応の体に、木製のドアをノックしてみる。


「こんちわー。誰かいるかぁ?」


 硬いノック音と共に、軽々とした声で呼びかけてみるが、凡その予想通り、反応はない。
ふむ、と顎に指当てして考える仕草をしたラグナだったが、間もなくその指はドアノブへとかけられた。

 ギ、と蝶番が軋んだ音を立て、ドアが内側へと押し開く。


「お、開いた。お邪魔しまーす」


 誰に対する断りでもなかったが、ラグナは声をかけながらドアを大きく開ける。

 中は思った通りに無人であり、しかし、生活の匂いはそこかしこに漂っていた。
灰の落ちた竈門に、濡れた形跡を残した石造りのシンク、水の入った甕壺もある。
台所の傍にはダイニングテーブルが設置され、椅子が四脚───そのうち一つは子供用と思しきサイズだった。
テーブルの上には子供の落書きと思しき紙絵とクレヨンが散らばっている。

 小さな田舎に暮らす、四人家族の家───そんな所だろうか。

 建物は広くはなく、ダイニングの向こうには、手狭そうなリビングがある。
テレビや空調と言った家電製品が見当たらず、台所にも冷蔵庫やコンロがなかったから、どうやら電気は通っていないようだ。
天井を見ると、蝋燭を抱いた吊り下げランプが静かに垂れている。
今は昼なので、自然光が窓から入って明るいが、夜になれば灯火を頼ることになるのだろう。
流石に、そんな時間帯になる前には、此処を脱出しておきたいところだ。

 リビングを見渡していると、窓辺に並ぶ写真立てが目に留まった。
いや、手に取ってみると、それは写真ではなく、手書きの肖像画だ。


(写真技術もない世界、ってことかな)


 描かれているのは、二人の男女と、その女性の腕に抱かれた小さな赤ん坊だ。
誕生日の記念に、この家屋の持ち主が描いて貰ったものなのかも知れない。
其処にある人物の顔は、ラグナの全く知らない人だったが、皆口元が緩やかに弧を描いており、幸せそうな家族像に見えた。

 肖像画は他にも立てられている。
一人の子供が成長していく顔がひとつひとつに描かれ、隅には日付と思しき数字が記されていた。
どうやら、一年ごとに、ほぼ同じ日に肖像画は足されているようで、子供の成長記録ともなっているようだ。
若しかしたら、この日付のいずれかが、この主役の誕生日だったのかも知れない。


「……っと、早く帰って準備しなきゃいけねえんだった」


 何の気なしに見付けた肖像画を、存外とじっくりと眺めていたラグナは、はたと我に返った。
持っていた肖像画を元の位置に戻して、いそいそと家を出る。


「此処に出口はなかったな。他にも家が何軒か見えるし、ノミ潰しに行ってみっか」


 方針を敢えて声に出して、進む足を促すラグナ。
その背に、言葉の間違いを指摘する同行者は、今はいない。

 後にした家から、近い家を見定めて、其方に向かう事にする。
その傍ら頭の中は、未だ決め兼ねている、仲間へのプレゼントのことを考えていた。


(何が良いのか悩んでる間に、もうすぐになっちまったからなあ。此処から脱出して、そのまんま帰るとしても、探せる時間が残ってねえか。帰り道にモーグリのとこに行って、何か良いもんないか探すしかないかな)


 本当は、この探索に来る前に、目星くらいはつけておきたかった。
しかし、中々これと言うものが見付からなくて、決定打がないまま今日に至っている。


(フリオニールに渡すモンも中々決まらないけど、スコールがなぁ……)


 脳裏に浮かぶ、二人の青年。

 フリオニールには、他の仲間たちからもプレゼントがあるだろうから、出来れば被らないようにしたい。
気の良い青年なので、仲間からの贈り物なら、何でも喜んでくれそうなのは幸いだ。
身に着けるものでも、食べ物やちょっとした趣向品でも、受け取ってくれそうだと思える。

 しかしスコールの方はそうは行かない。
バッツとジタンがその気であるので、ラグナもならば自分も彼のプレゼントを考えてみようと思ったのだが、中々に難しい。


「うーん、どうせなら喜んでくれそうってか、気に入ってくれそうなものが良いよな。でもって、そこそこインパクトのある奴───でも、でっかいモンは邪魔になっちまうかなぁ」


 呟きながら、空想を広げるように思案するラグナであったか、相変わらず決定的なものは見付からない。
そもそも、この世界で手に入るものと言うのも限られる。
何かを自分で作る、手作り品も一考してみたが、そう言ったものに手を付ける時間もない。

 とにかく、早くこの空間を脱出し、急ぎモーグリショップへ向かわなくては。
そう思いながら、歩いていたラグナの目に、ふと翠の野を飾る小さな色が止まった。


(色んな花が咲いてるな)


 こんな風景は、随分と久しぶりに見る。
この世界は、歪によって様々な世界の断片と繋がることがあり、時には緑豊かな森林であったり、田畑が広がっていたりと言うこともあるが、こうも垢抜けない景色と言うのは珍しい。

 なんとなしに立ち止まって、遠く広がる景色を見つめていたラグナだったが、ふと脳裏に、見たばかりの絵が浮かんだ。

 つい今し方、後にしたばかりの家にあった、家族の肖像画。
それと並んでいた、一家の愛し子の成長記録。
其処に描かれていた子供は、頬をふくふくと丸ませて、健康的に育っていた。
何処かの美術館に飾られるような、何某の巨匠が描いたようなものではなく、ただただ子供の一時を記録と記憶に残す為に描かれたのであろう、それ。
其処で頬を赤くして笑っていた幼子の頭には、小さな白花の冠が飾られていた。


「……花か。花。うん」


 ぽつりと零れた呟きに、誘発されるようにラグナは頷く。


「贈り物って言えば花ってのも、定番だよな」


 花は人生を豊かにする、と誰かが言っていた。
いや、何かで読んだのだったか。
ともかく、ラグナの頭にはそんな言葉が浮かんでいた。


「そういや、フリオニールは花が好きだっけな」


 いつであったか、ラグナが見付けて拾った花───“のばら”をフリオニールは今も大事に持っている。
根付いていた訳ではなく、切り花のようになっていたのに、萎れもしないのは不思議なものだが、お陰でいつでも眺めることが出来た。
ラグナの前でも、時折取り出してはじっと眺めている事があるから、余程気に入っているのだろう。
ラグナはそう思っている。

 ラグナは家屋へと向かう方向から逸れて、白い花々が群生している袂に近付いた。
距離を縮めてよくよく見ると、其処は白い花の他にも、黄や青、桃の花が散らばるように綻んでいる。
屈んでその花の茎に触れてみると、細いがしっかりと瑞々しい筋の感触があった。
闘争の世界にも花が咲く場所はあるが、多くは過酷な環境に耐えられる強い種のようで、こうした豊かな土壌故に育つことが出来た柔らかさとは違っていた。

 うーん、とラグナは茎を指で辿りながら考える。


「取ったら枯れちまうかな。でも、フリオの“のばら”も全然平気だしなぁ」


 試しに、とラグナは一本の花の茎をぷちりと折った。
まじまじと顔を寄せて覗き込んで見るが、植物として、何処にも変わった所はない。
これがフリオニールの“のばら”のように、萎れず枯れず、このまま瑞々しくいてくれるのかは判らなかった。

 花はこの空間に限らず、様々な世界の断片で見る機会がある。
それは大抵、一期一会の風景で、同じものに二度会うと言う機会は先ずなかった。
この穏やかで牧歌的な景色に咲く、小さな沢山の花たちも、此処を脱出してしまえば、もう出逢うことはないのだろう。

 なんとなく、ラグナは此処から離れ難かった。
のんびりしている暇がある訳でなく、予定を思えば早く脱出しなければと思うのだが、どうにも鈍い。
風に揺れる小さな花々を見ていると、何かが胸の奥からゆるゆると浮かんで来るような感覚があった。
それが、急がなくてはと言うラグナの気持ちを、ほんの少しだけ宥めているようにも思える。

 家屋で見た、白い花冠を被って笑う子供の肖像画が頭に浮かぶ。
其処で笑う子供の顔は、ラグナの知らないものだったが、何処かで見たことがあるような気がした。
綺麗な形に整えられた花冠を被り、高く晴れた空の下、あちこちに小さな花々が咲く真ん中で、無邪気に笑う声があった。
……そんな景色をラグナは見た事がないのだが、そう言う景色が頭の中に、浮かんでは消える。

 花を見ると、頬が綻ぶ。
花を贈ると、笑顔が見れる。
その感覚は、光の中に霞む靄を見ているようで、しっかりとした輪郭が辿れない。
それでも、其処には確かに喜びがあったのだと、ラグナは確信していた。


「……うん。よし。ちょっとだけ、粘ってみっか」


 幸いにも、此処には人の気配は勿論、闘争の気配もない。
自分以外に存在しているのは、遠くに飛び行く鳥の影と、風に揺れる小さな花々だけ。

 ラグナは腰を下ろして、目の前にある花に手を伸ばした。