籠ノ鳥 2-4


 もう嫌だ、もう無理───と、くぐもった悲鳴が響くのを無視して、どれ程の時間が経っただろうか。
何度も絶頂を迎えた後、スコールはぷつりと意識を手放した。
揺さぶっても秘奥を抉っても、それきりスコールは反応を示さず、目覚める事もない。
死んだのか、と一瞬思ったが、呼吸音が正常なリズムで聞こえていたので、杞憂で済んだ。

 レオンは気を失ったスコールを風呂場へ運び、清めると、自分の部屋のベッドへと寝かせた。
スコールの部屋のベッドは、激しい性交でぐちゃぐちゃに汚れており、とてもではないが寝所としては使えない。

 スコールには、自分が着ていたワイシャツを羽織らせた。
気遣いではない。
風邪でも引かれては、周囲を誤魔化す手間もかかるし、面倒が増えてしまうからだ。

 一人でシャワーを浴び直した後、レオンはジーンズだけを履いて、ベッドの傍で床に座った。
背中をベッド縁に預け、煙草に火を点ける。
すぐ傍らで眠る弟の顔を一瞥し、天井を仰ぐと、咥えた煙草からゆらゆらと立ち昇る紫煙が、逃げ場のない空間に留まって彷徨っているのが見えた。


(────消えない)


 ジジ、と燃えて行く煙草の先端を見詰め、レオンは思った。

 消えない。
あれだけ激しく、苛立ちの元凶とも言えるスコールを凌辱したのに、腹の奥の燻りが消えない。
しかし、もうスコールを起こしてまで犯そうとは思わない。
長い時間に渡る性交で、自分も何度もスコールの中に欲望を吐き出しているし、全身の倦怠感もある。
立場としてスコールの方が負担が大きいのは確かだが、レオンとて疲れていない訳ではなかった。
だからもう一度セックスをしようとは思わなかったが、燻る苛立ちはレオンの胸中をじりじりと焼き、焦燥に似た衝動が生み出されつつある。

 窓のカーテンの隙間からは、微かに白い光が差しこんでいた。
暗闇に慣れた目で時計を見ると、明け方の頃だった。


(……もう寝ない方が良いな)


 今日もレオンは出社しなければならない。
平時、他の社員よりも出来るだけ早く出勤するように勤めており、そのリズムを崩した事のないレオンだが、今の状態のまま眠ってしまえば寝坊は確実だ。
このまま不眠で出勤して、適当な空き時間を見付けて仮眠を取る方が良いだろう。

 とは言え、出勤までにまだ些かの時間が残っているのは確かだ。
それまで、このまんじりともしない苛立ちを持て余すしかないのか───と思っていると、デスクに置いていた携帯電話のバックライトが、着信を知らせる色に点滅していた。

 携帯電話を回収して、元の位置に戻ったレオンは、着信履歴を確認すると、直ぐに発信ボタンを押した。
耳に当てると、四回のコールの後、通話が繋がる。


『もしもし』
「もしもし。レオンです。キロスさん? 夜分にすみません」
『いや、構わないよ』


 着信を残していた電話の相手は、キロスと言う名の男だった。
彼はレオンとスコールの父であるラグナの旧友であり、現在は右腕として父と共に海外の本社に勤務している。
レオンも幼い頃から彼を知っており、会社運営に関して勝手の判らない事が起きた時は、父よりも彼を当てにし、相談する事も多い。


『夜と言っても、此方はまだ十時だ。君の方こそ、其方はまだ朝にもなっていない時間じゃないのか?』
「ええ。でも、目が覚めたので。今の内ならまだ連絡も付き易いかと思ったので、電話しようと思いました」
『ああ、すまない。ありがとう』


 ラグナ達は地球の裏側にいるので、レオン達が暮らす時間から、十時間近くの時差がある。
此方が昼ならあちらは夜中、と言った具合なので、親子の語らいをする為の時間確保も難しく、都合を合わせる為に何度もメールで連絡を取り合うのだ。

 親子の語らいであれば、緊急の用件と言う訳でもないので、互いの時間の空きを見付けて電話をすれば良い。
レオンもラグナもそのつもりで考えていた。
だから、事前メールの遣り取りなしで電話の着信が残された時は、急ぎの案件の相談か、不測の事態が起きた事を示していると言っても良い。


「それで───何かあったんですか。例えば、父さんが大事なキャッシュカードを落としたとか」
『それは実に彼らしい失敗だが、安心したまえ、此方は何も問題はないよ。今回電話をしたのは、寧ろ、君達の事が心配になってね。嫌なものを目にしたものだから』


 通話の向こうで声を潜めたキロスの言葉に、レオンは眉根を寄せた。


「……嫌なもの?」
『ああ。昨日、社長宛てのメールに、送信元不明のものが届いてね。気は進まなかったが、ウィルスの類は検知出来なかったので、念の為に開いてみたんだ。そうしたら、スコール君が……強姦されている写真が添付されていてね』


 微かに言葉を迷うように口を噤んだキロスだったが、オブラートに包む方法など見付からなかったのだろう、潜めた声で端的に言った。

 レオンは動揺してはいなかった。
自分宛てのメールに同様のものが送られていたのだから、父の下に送られていても不思議はない。

 レオンは短い沈黙の後、言った。


「俺の所にも、送られて来ました。多分、同じものだと思います。スコールが、沢山の男に、押さえ付けられている……」


 震えるレオンの声に、キロスが言わなくて良い、と遮る。
溺愛している弟のあられもない姿を見て、兄が困惑しない訳がない。
キロスはきっとそう考えている。
レオンはそれを否定する事なく、キロスに言われるがまま、口を噤んだ。


『嫌なものを思い出させてすまない。きっと合成だろうとは思うのだが、それにしては、ね……』


 あの生々しい画像は、陳腐な合成や映し出せるものではないだろう。
狂言と言うには凄惨過ぎる光景で、瞳の光を失い、意識があるのかすら判らない状態で打ち捨てられた少年の姿は、余りにも痛ましいものであった。

 電話の向こうで、息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す音が聞こえる。
キロスは声を潜めたまま、レオンに尋ねた。


『此処数日で、スコール君に変わった事はなかったか? 君なら、彼の変化にも気付く事が出来ると思うのだが』
「…判りません。一週間ほど、家には帰れなかったもので。何かあったら、直ぐに俺に連絡するようには言い聞かせているんですが」
『……そうか。君、今は会社に?』
「いえ、昨晩やっと帰れたんです。メールの事もあったし、どうしているのか気になっていたし。出迎えてくれた時には、いつもと特に変わった所はなかったと思うんですが」


 答えながら、スコールは背後で眠る弟を見遣る。
スコールはベッドの中で丸くなり、寝返りは愚か、身動ぎ一つしないまま、昏々と眠り続けている。


『あれが単なる合成で、君達にも何もなかったのなら、それで構わないのだが……』


 若しも画像に映っていたものが事実だとするなら、スコールは隠そうとするだろう。
男が男に、それも集団で強姦されるなど、口にした所で信じる者は早々いない。
何より、潔癖なきらいのある思春期の少年が、自らその体験を他者に話せる訳がなかった。
───だからスコールは、未だに自分が兄に暴行同然に犯されている事を、誰にも打ち明ける事が出来ずにいる。


『レオン君。君を支社長として任命した私が言う言葉ではないとは思うが、出来るだけ、スコール君に目を配ってやってくれないか。忙しいとは思うのだが、スコール君の傍にいるのは君だけだ』
「……はい」
『我々もスコール君と話が出来る時間が作れるように努力する。しかし、スコール君は君を誰よりも信頼していると思う。何か事件があって、打ち明ける事があるとしたら、それはきっと君に話すと思うんだ』
「……だと、良いんですけど。最近の高校生は気難しいですから」
『大丈夫だよ、レオン君。君達がどんなに仲が良いのか、私達は知っている。ラグナも君を信頼している。だから、胸を張りたまえ』


 キロスの言葉に、ありがとうございます、と言いながら、レオンの口元は笑っていた。
励まされる喜びへの笑みではない。
自分が吐き続けている嘘が、こんな場面でも疑われない事が、酷く滑稽に思えてならなかった。

 指に挟んでいた煙草が、半分の長さになっていた。
結局幾らも吸わなかったな、と思いながら、灰皿に押し付ける。


『それじゃあ、朝早くにすまなかったな。そろそろ切るよ』
「はい───あ、ちょっと待って下さい」


 レオンは新しい煙草を箱から取り出しながら、通話を切り上げようとするキロスを呼び止めた。
何かな、と問い掛けるキロスに、レオンは火のついていない煙草を指先で遊ばせながら訊ねる。


「メール、父さんは見たんですか」
『……いいや。見たのは、私とウォードだけだ。彼には見せていないし、話してもいないよ』
「じゃあ、これからも内緒にしてくれませんか。父さんがこの事を聞いたら、あの画像が本物でも偽物でも、大騒ぎになりそうだから。それと、警察への相談も考えないで欲しいんです」
『それは……』


 警察へ助力を仰げば、画像が真実か嘘か判別するのは、それ程難しくはあるまい。
真実であれば勿論の事、偽物ならば悪質な嫌がらせとして犯人を捕まえなければならない。
放って置けば、今後も同じ事が繰り返されるかもしれないのだ。

 画像の真偽を除いても、メールの送信元は確かめなければなるまい。
レオンの所に届けられたメールの送信元は、偽装されていた。
父へと送られたメールも同様だったのだろう、だから送信元が不明だとキロスは言ったのだ。
送信元が何を目的として画像を送りつけて来たのかを知る為にも、放置する訳には行かない。

 口籠るキロスの内心を、レオンは直ぐに読み取る事が出来た。
レオンは畳みかけるように、口止めの理由を話す。


「若しも、あの画像が本当だったら、警察が画像解析をした後、きっとスコールに話を聞きに来ると思うんです。スコール自身が自分の身に起きた事を受け止められない、自分で誰かに相談が出来ない内に、この事が他人に知られたと判ったら、きっと傷付く。偽装アドレスの事は俺も気になりますが、それはクラウドに解析させるように言ってあります。だから、警察への相談は待って下さい。少しスコールの様子を見て、明らかに不審な点が見られたら、俺からスコールに聞きます。その時スコールが話してくれたら、スコールとちゃんと相談してから、警察に届出を出します。だからそれまで、この事は何処にも漏らさないで欲しいんです」


 画像の内容は酷いものであるし、偽装アドレスに関しても見逃す事は出来ない。
しかし、今はそれよりも、傷を必死に隠そうとしているかも知れない弟を、可惜に刺激するような真似をしたくない。

 レオンはスコールに甘い───それが父とその旧友達の共通の認識だ。
思春期になって気難しい年頃になった弟を、いつも一歩離れた所で見守り、弟の意思を尊重する。
父からして息子達に甘いのだから、兄は兄として、弟に時には厳しく接した方が良いよ、とキロスに言われても、レオンのスコールへの態度は以前甘いままだった。
少なくとも、彼等が知る限りでは。

 通話の向こうで、小さく溜息が聞こえた。
微かに柔らかなその音は、子供の駄々を見逃す親のようだ。


『判ったよ、レオン君。父上にもまだ話していない事だし、下手に事を荒立てれば、良からぬ輩に付け入る隙を与え兼ねない。スコール君を傷付けるのは、私達も本意ではないし、君の気持ちも理解できる』
「ありがとう、キロスさん。偽装アドレスについては、何か判ったら俺からキロスさんにメールします」
『了解した。クラウド君の腕なら心配は要らないだろうが、君自身もどうか気を付けて。スコール君は勿論、君の身にも良からぬ事が起きたら、今度こそラグナが黙っていないだろうからね』
「はい」
『スコール君の事を宜しく』
「勿論。スコールは、俺の弟ですから」


 それでは───と別れの挨拶をして、通話は切れた。
耳に宛てていた携帯電話を放した所で、またキーバックライトが光っている事に気付く。
今度は、クラウドからの着信だった。
こんな時間に寄越すなよ、と思いながら時計を見ると、キロスと話をしている間にそれなりの時間が経っていたようで、いつも出社準備を始める時間になっていた。

 通話ボタンを押してもう一度耳に当てる。


「なんだ」
『件の画像に映っていた連中の特定が全員終了。データはあんたのPCに送った』


 レオンは腰を上げると、デスクに設置しているデスクトップパソコンを立ち上げた。
手の中で遊ばせていた煙草に火を点け、煙を昇らせながら時間を潰し、ようやく立ち上がりの読み込みが終わると、メールソフトを開く。

 三つの新着メールをまとめて開くと、一人一人の個人写真を添付した個人情報のデータが表示された。
顔、名前、年齢、住所、家族構成等々が全て事細かく記されている。
中には学歴・職歴まで具に見て来たかのように記載されており、明らかにプライバシー保護に反する内容まで手を広げているものもある。
少しやり過ぎだな、と思いつつ、レオンはデータをまとめた男───クラウドを咎めるつもりはない。
彼のこうした"裏側"の手腕も含め、レオンは彼の才を買っているのだ。


『大体の事は全部まとめた筈だ。説明が必要な所があったら、後で会社で聞いてくれ。判ってる所は答える』
「ああ。ご苦労だった」
『本当にな。まあ、個人の特定はともかくとして、連中が何の目的であんたの弟に手を出したのかは、割と直ぐに判ったが』
「……そのようだな」


 クラウドの言葉に、レオンは十人近いデータの中の共通項を眺めて頷く。
其処には、嘗て『エスタ』と競合していた某会社の名前が書かれていた。

 某会社は、『エスタ』が起業した頃、同時期で起業した会社であった。
もう何十年も昔の話になる。
それが、『エスタ』社長にラグナが就任してまもなく、急成長する『エスタ』とは正反対に、利益にマイナス値が続くようになった。
同業他社ではよくある話で、早い話が某会社は『エスタ』との競争に敗北したのである。
それでも長く続いた歴史が会社を存続させ続けていたのだが、レオンが『エスタ』の支社長となって間もなく、倒産する運びとなった。
これを知ったラグナは、競合他社とは言え長い付き合いだからと、『エスタ』の傘下に入らないかと持ちかけた。
良くも悪くも他人を疑う事を知らない父であるから、彼にとっては純粋な好意のつもりだったのだろう。
路頭に迷う某会社の社員達を不憫に思ったのもあるかも知れない。
しかし、これに某会社の社長が反発し、結局会社は倒産、代わりに古株の役員だけを引き抜いて、新しい事業を立ち上げたと言う。
ラグナはレオンと相談し、切り捨てられた形となった末端社員達を、『エスタ』で再雇用する事にした。
会社経営としては、その後も『エスタ』は業績を伸ばしたが、某会社は鳴かず飛ばずが続いている。
起業当時よりも社員は増えたが、ブラックさながらの経営で、とても真っ当な会社とは言えないようだ。

 『エスタ』と長らく競争状態にあった為か、某会社の社長は、ラグナとレオンに対して憎悪にも似た感情を抱いている。
父子のお陰で自分達が敗北に追いやられた、とも考えているのを、レオンは人伝に聞いていた。
────スコールが彼等に襲われたのも、恐らく、その辺りが理由だろう。
ラグナとレオンが溺愛する彼を凌辱し、その様を二人に見せつける事で、心理的ダメージを与えて復讐するつもりだったのだ。

 この件で一番哀れなのは、会社とは何の関係もないスコールだろう。
レオンの予想通り、彼は理不尽な他人の復讐に巻き込まれただけだった。


『それにしても、意外だったな』


 ふあ、と欠伸を漏らしながら、クラウドが言った。
レオンは煙草の煙を吐き出して、「何が」と訊ねる。


『あんたが、スコールの事であんなにキレるとは思わなかった。嫌いなんだろう、弟の事』


 クラウドの言葉を、レオンは否定しなかった。
それがレオンの本音だった。

 レオンがスコールの存在を疎んでいる事を、クラウドは知っている。
雁字搦めの環境の中で、言われるがままにレールを歩むしかなかった自分と違い、自由な道を自由に選んで進む事が出来る弟。
対外的に"理想の兄"を演じつつ、実際は日常的な挨拶さえも交わす事がない程、兄弟仲が冷え切っている事は、実際に何度か護衛としてレオンの家に上がった時に目の当たりにしていた。
学校から帰宅した所へ、偶然居合わせた兄とクラウドに対し、スコールの対応は冷ややかなものだった。
最初は人見知りな性格なのだろうと思ったが、他人に対してはともかく、兄とすら目を合わせない、会話も交わさないのは不自然だ。
しかしレオンも、そんなスコールを咎める事はなく、目を合わせようとしない。
クラウドが知っている限り、二人が交わした会話と言うのは、「明日は帰らない」「判った」と言う程度のものしかなかった。
何度か繰り返し見ている内に、二人の間には絶対的な溝がある事に気付くと、レオンがマスメディアに向けて見せる"兄"の貌が、偶像である事に気付いた。

 気付いたからと言って、クラウドはレオンの嘘を暴くつもりはない。
クラウドにとってレオンは護衛対象であり、雇い主だ。
ボディガードとしては勿論、秘書としてのポジションも───殆ど形だけのものではあるが───与えられ、給料も貰っている。
その関係があればクラウドは十分だったから、レオンが何処でどう振る舞おうと、どうでも良い事であった。
増してや家庭環境など、他人が口出しする事でもない。

 クラウドのそんな姿勢を、レオンは気に入っている。
そして、そんな性格の男だからこそ、レオンは兄弟仲の真実を隠していない。


『偽装アドレスをバラすのは、当たり前だけど。犯人全員を特定しろと言うとは思わなかったな。精々、首謀者一人を吊るし上げる程度かと思っていた。そうすれば、後は芋蔓式か、そうでなくとも二度と馬鹿な真似はしないだろうからな』
「……ああ。そう言う手段もあったか」
『なんだ、頭が回ってなかったのか。あんた、沸騰すると案外大事な所が抜け落ちるからな。気を付けろよ』


 忠告か皮肉か、或いはその両方だろう、クラウドの言葉にレオンは判ったと適当に返事を返して置いた。


『全員に報復してやらないと気が済まなかったんだな』
「……報復、ね」


 クラウドの言葉を、レオンは小さく反芻した。
しばらくその意味とクラウドの思考を噛み砕いた後、くく、とレオンの喉が鳴る。


「お前、何か勘違いしていないか」
『は?』


 報復。
復讐。
仕返し。
どの言葉を使おうと同じ事だが、レオンの胸中にはどれも当て嵌まらない。


「お前の考えはこんな所だろう? 普段、仲が良いとは言えない兄弟でも、弟が悲惨な目に遭わされたら、やはり兄として怒りを覚えるものなんだ───と」
『……まあ、そんな所だが』


 違うのか、と問うクラウドに、レオンの唇が笑みに歪む。

 レオンは、ベッドで眠り続けているスコールへと視線を移した。
スコールは最初にベッドに下ろした後、小さく丸く蹲って以来、ぴくりとも動かない。
まるで天敵に見付かるまいとする小動物のようだ。
実際、"あの日"からスコールは、レオンに対して常に畏怖を抱いており、レオンが家に帰って来る日は息を殺して物音一つ建てないように息を殺していた。
見付かれば自分がどんな目に遭うのか理解している彼は、現実から逃げた夢の中でさえ、兄の気配に怯え続けているのだろう。

 沈黙したレオンに焦れて、クラウドがレオンを呼んだ。


『おい、レオン』
「……まあ、お前に言うような事でもないな」
『この期に及んでそれか』
「逆に訊くが、聞きたいのか」
『別に。あんたが弟を実際にどう思っているかなんて、俺には興味ない。俺はあんたに言われた仕事をして、あんたは仕事に変な影響を出さないでくれれば、それで十分だ』
「なら、もう良いな。切るぞ」


 元々、クラウドの要件は、個人データを添付したメールをパソコンに送ったと言う、それだけのものだ。
メールで済ませれば良いものを、何故電話にしたのかは判らないが、大方、眠気で携帯電話のメールを打つのが面倒だったのだろう。

 通話の切れた携帯電話を耳から話して、レオンはベッドへと近付いた。
疲労困憊で眠りについたスコールは、身を守ろうとするように縮こまっているが、近付く男の気配には気付いていない。
意識はないのに、眉間の皺は深く寄せられているのを見るに、夢見は余り良くないようだ。


(別に、怒った訳じゃない。スコールにも、あの連中にも)


 あの画像が合成などと言う陳腐なものではない事は、直ぐに判った。
同時に、彼が自ら望んで男達に躯を差し出した訳ではない事も判っていた。

 スコールは他人に触れられる事を極端に嫌う。
疎む兄は勿論の事、滅多に家に帰ってこない父に対しても同様だ。
幼い頃、母の愛情を受ける事が出来なかった弊害なのか、単に生来の人見知りが直りようがなかったのか、レオンには判らなかったが、どうでも良い。
ともかく、そんなスコールが、一時の快感欲しさに自らの体を売るような真似をしないのは確かだった。

 ───であれば。
あの凄惨な画像は、スコールが見知らぬ男達に無理やり組み敷かれ、無理やり犯された、れっきとした強姦の場面だ。
スコールは慰められる事はあっても、責められる謂れは無い。

 それでも、レオンは赦せなかった。
自分以外の男に犯されたスコールも、彼を汚した男達も。
その理由を、レオンは理解している。

 レオンの脳裏に、キロスに向けた自分の言葉が思い出される。
弟を傷付けない為に、可惜に刺激するような真似はしないでくれと言った。
彼はその言葉を疑わなかった。
だが実際には、レオンはスコールの真新しい傷を抉り、その上を塗り潰すように更に深く傷付けている。


「スコール」


 目覚める様子のない弟の名を呼んで、レオンはベッドに乗った。
ぎしり、とスプリングが煩い音を鳴らしたが、スコールは目を開けない。
生まれたばかりの仔猫とよく似た色の瞳は、瞼の裏に隠されて、きっとレオンが部屋を出て行くまで目覚める事はないだろう。

 スコールの手が、ベッドシーツを握り締めていた。
小さく震えるその手に、自分の手を重ねれば、ビクッ、と意識はないのに怯えたように細い肩が跳ねる。

 レオンはそっとスコールの耳元に顔を近付けた。
レオンの濃茶色の髪がさらりと落ちて、涙の痕を残す白い頬を撫でる。
ともすれば触れそうな程の距離で、レオンは囁いた。


「覚えておけ。お前を傷付けて良いのも、汚して良いのも、俺だけだ」


 重ねた手の傍ら───細い手首に、手枷の後が鬱血になって残っている。
それを目にしたレオンの唇が、歪んだ笑みに形を変えた。



◇◆◇◆   ◇◆◇◆



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