籠ノ鳥 5-1


 期末試験を終え、燃え尽きた生徒達を横目に、日々は過ぎる。
そうしている間に、スコールが通う高校は、冬休みを迎えた。

 冬休み前の終業式が終わると、生徒達は先ず冬休みの予定について、親しい友人達と輪になって話し始める。
年末年始の過ごし方、親戚家族からお年玉を幾ら貰えるかとその使い道について、アルバイトに精を出すと言う者もいる。
課題を計画的に、或いは一日目二日目でさっさと済ませて後は遊ぼう、と言う者もいるが、果たしてその内の何割が予定通りに課題を終わらせる事が出来るだろうか。
休みの初めは意気込んでいても、いざ課題を広げるとやる気が起こらなくなったり、友達との約束やら何やらと言う誘惑に負け、最終日前になって慌てて取り組むと言う姿は、いつの時代でも変わらない。
望むべくは、勉強にも遊びにも有意義な冬休みであるが、これがそう簡単に実らないもの。
とは言え、待ちに待った長期休暇である事は確かで、生徒の多くは───少数が補習授業に捕まっているのは見ない振りをして───無事にそれが迎えられた事を喜んでいた。

 だが、中には冬休みを憂う稀有な生徒もいる。
その理由は、学校が休みになるのは良いのだが、仲の良い友達と毎日逢ってお喋りが出来ないとか、年末年始にやって来るアクの強い親戚のおじさんと顔を合わせるのが嫌だとか、そんなものだ。

 ティーダとスコールも、そんな冬休みを憂う生徒の一部だった。
扱いが面倒な親戚が逢いに来る、と言う憂鬱など、二人にとっては可愛いものだと思う。
嫌いな親戚が家に来ると言っても、冬休みを丸々一緒に過ごす訳ではあるまい。
環境によってはそれもあるかも知れないが、何処かに遊びに行くとか、勉強すると言って自室に篭るなど、回避策はある。
だが、ティーダとスコールはそうではない。


「あー……これから毎日、親父の顔見なきゃいけないのかよ…」


 放課後に頻繁に通っている内に、いつの間にか常連のように顔馴染みになっていた喫茶店の片隅で、ティーダがうんざりとした表情で言った。
隣でコーラフロートを飲んでいたジタンが、ストローから口を放す。


「ティーダのとこの親父さんって、今はシーズンオフなんだよな」
「うん」
「シーズンになったら、また海外に行くんだろ。親父さんが所属してる所って、いつからシーズンになるんだ?」
「オフ自体、結構長いんスよ。シーズン自体が始まるのは、確か四月だか五月だか……それ位」
「親父さん、それまでずっとこっちにいるのか?」


 冬だと言うのに、何故かメニューにあったカキ氷を食べながらヴァンが訊ねた。
ティーダが思い切り顔を顰める。


「流石にそれはないっスよ。適当な所であっちに言って、自主トレとかしないといけないだろうし。冬休みが終わる位には、向こうに行ってるんじゃないかな。親父は怠け者だから、本当に自主トレしてるのかも怪しいけど」


 メロンソーダのグラスに挿したストローの先を噛みながら、ティーダは苦々しい貌で言った。


「どうせなら、年末くらいに向こうに帰れば良いのに」
「良いじゃん、正月くらいこっちでゆっくりさせれば」
「今月頭に帰って来てから、毎日ビール飲んでグータラしてるっスよ。もう十分だって。……あ、でも正月前に向こうに行ったら、お年玉貰えない」
「それは欲しいんだな……」
「だって大事な臨時収入っスよ! 今月、親父がビール買いまくる所為で、家計に大ダメージ喰らって、俺の小遣い分も削ってるんスから。しばらくはスコールがうちに泊まってたから、ちょっと楽になったけど。…そりゃ、稼いでるのは親父だけどさ。だからって親父の好きにされると、なんか腹立つ」
「金の管理してるのは、実質、お前だもんなぁ」
「親父さん、あっちでの生活費とかどうしてるんだ?」
「聞いた話じゃ、クラブチームのサポートがあるみたいっス。だから、向こうじゃ食べる所も住む所も困らないって。遊びに行くのはプライベートだから、勿論それは自腹になるけど。それで、時々馬鹿みたいな金額がスッ飛んでってる事あるんだよなー……何やってんだ、あの馬鹿野郎って思う」
「まあ、その辺は、ほら。海外だからな。なんか色々、こっちと付き合い方とか、基準が違うんだろ」


 そう言う事にして置こうぜ、と言うジタンに、ティーダは溜息を吐く。
見るからに憂鬱そうな表情をしているティーダを、じっと見詰めていたヴァンが首を傾げながら言った。


「ティーダってさ。親父さんの事、嫌いなのか?」


 ───その場に、沈黙の蚊帳が下りた。
ティーダとジタン、隣に座っているスコールと、三対の視線を向けられたヴァンは、何故自分が視線を集めているのか判らない様子で、不思議そうな顔できょろきょろと三人を見回す。

 カラン、とメロンソーダの中で氷が音を鳴らした。


「……ヴァン。お前、確かティーダとは二年目の付き合いだよな」
「うん」
「…一年でも、二年でも良いが……あんた、本気で気付いていなかったのか?」
「何が?」
「ティーダと親父さんの事だよ。何かってーとティーダは愚痴ってるし、親子喧嘩もするじゃないか。オレ達が一緒にいる時は、あんまり派手な喧嘩はしないみたいだけど」
「それは見てたけど。でも、嫌いじゃなくたって喧嘩くらいする事はあるんじゃないのか? 俺もたまにだけど、兄さんと口喧嘩する事あるぞ。スコールもこの間、レオンと喧嘩してただろ」
「……あれは……」
「いや、うん。確かに、オレもクジャと揉める事は多いけど…」


 そう言う問題じゃなくて、とジタンは言うが、ヴァンは首を捻るばかりだ。
そんなヴァンを見て、呆けていたティーダが訊ねた。


「訊いて良いっスか。ヴァンは俺と親父が仲が良いって見えてたの?」
「そう言う訳でもないけど、ティーダは親父さんが好きなんだなって思った事はある」
「いやいやいや! そんなの気持ち悪いっス!」


 全力で首を横に振るティーダに、声が大きい、とスコールは顔を顰めた。
しかし、店員は特に気にした様子はなく、黙々と仕事を続けている。

 鳥肌でも立ったのか、ティーダは両腕を摩る。


「俺が親父を好きとか、有り得ないっスよ」
「え? そうか?」
「此処は逆にヴァンに聞いてみよう。なんでお前は、ティーダが親父さんの事を好きだと思ってるって思ったんだ?」


 スコールに負けず劣らずの眉間の皺を刻むティーダに代わり、ジタンが二人の間を取り成すように提案した。
ヴァンはかなり溶けて水シロップになったカキ氷をさくさくと崩しながら、うーん、と少しの間考えて、


「前にテレビ見てたら、海外のサッカーニュースか何かで、親父さんが映ってさ。なんとなく見てたら、走り方とかボールの蹴り方とか、プレイの仕方って言うのかな。そう言うのがティーダとよく似てるなーって思って。ティーダが親父さんを真似してるのかと思ったんだ。ティーダがサッカーを始めたのって、親父さんを追い越す為だって言ってたし。親父さんみたいな凄いサッカー選手になりたいって事だと思って。だから、親父さんの事が本当は凄く好きなんだと思ってた」


 違うの? と言わんばかりに首を傾げるヴァンを、三人の友人はぽかんとした表情で見詰めていた。

 さく、さく、と氷の山を崩す小さな音。
食べるよりも、氷を溶かしてシロップを飲むつもりなのか、ヴァンはマイペースにスプーンストローを抜き差ししている。
その場には再びの沈黙が訪れたが、成る程、とジタンが小さく呟いた事を切っ掛けに、時間が動き出す。


「つまり、ティーダは、口じゃ親父さんに色々言うけど、実は親父さんに憧れている、と。ヴァンにはそう見えた訳だ」
「……案外、意味不明でもなかったな」
「意味不明っス! なんで納得してるんスか、二人とも」


 当の本人が全力で否定を主張するが、スコールとジタンは、ヴァンの説明に説得力のようなものを感じていた。


「絶対違う。絶対有り得ないっス」
「でも実際、ヴァンの言った通り、お前のサッカーのプレイスタイルって親父さんと近いとこあるよな」
「……近くない」
「そう言えば、ティーダの家に海外のスポーツ雑誌が色々あったが、あれはジェクトが載ってる奴か?」
「親父がうちに送りつけて来るんスよ。自慢する為に」
「見て腹立つなら、捨てりゃ良いんじゃね? でもなきゃ、古本屋に売るとか」
「DVDラックに、ジェクトが出た試合の中継放送を録画した奴が入っていた。試合日と相手チームの名前も全部メモしてあった」
「ほ、本はまとめてから売った方が良いだろ。バラバラに持って行くと面倒臭いし。DVDは、親父が出た奴だけじゃないし、他の試合も色々見てるし。親父より凄い選手なんか幾らでもいるし。全部、研究の為っス」
「あれ〜? なんか必死じゃね? 照れてんのかぁ?」
「だーかーらぁ! 違うって!」


 顔を真っ赤にして叫ぶティーダに、ジタンがけらけらと笑い出した。
明らかに揶揄っているジタンに、ティーダは益々顔を赤くして、首を絞めるように掴んで小柄な彼をゆさゆさと揺さぶる。
そんな二人の正面に座るスコールとヴァンは、顔を見合わせ、


「な? ティーダ、親父さんの事、好きだろ?」
「……可能性は否定出来なくなったな」
「ゼロっスよ、そんな可能性!」


 こじ付けだ、と言うティーダに、スコールとヴァンは揃って肩を竦める。

 まあ落ち付けよ、とジタンがティーダを宥めた。
店の中なのだから、これ以上騒ぐのは良くない、と正論を言われ、ティーダは渋々ジタンの首から手を離す。
興奮を鎮めるように冷たいメロンソーダを飲んで、ティーダは深々と溜息を吐いた。


「もう親父の話は良いっス……」
「そーだな。ティーダがまた沸騰しちまうから」
「……はあ。皆して俺で遊ぶなよ」
「俺、遊んでないけど」
「…俺も別に」
「あっ、お前らずるい。オレだけ悪者かよ」


 ジタンの言葉に、ヴァンはきょとんと首を傾げる。
彼は思った事を思ったままに口にしただけなので、事の引き金を引いた自覚もないのだろう。
でも、こっちは───とジタンがスコールを睨む。
スコールは空色の視線など気付かない振りをして、口元の笑みを誤魔化すようにコーヒーを口に含んだ。

 その様子を見ていたティーダが、ぽつりと呟く。


「スコールは最近、調子良さそうっスね」
「……?」


 唐突な言葉に、今度はスコールが首を傾げた。
ティーダの話の意図が見えずに沈黙していると、隣に座っていたヴァンが、じっと此方の顔を覗き込んでくる。
まじまじと観察するように見詰められて、スコールは眉根を寄せてヴァンを睨んだ。
が、此方も青灰色の瞳に滲む不機嫌な色など受け流して、


「うん。前みたいに、死にそうな顔はしなくなったよな」
「ああ、そう言えばそうだよな。飯もちゃんと食ってるし」
「ちょっと前まで、今にも死んじゃいそうな顔してたけど。もう平気そうっスね」


 ヴァン、ジタン、ティーダと、続いた言葉と綻ぶ笑顔に、スコールは睨むのを止めた。
蒼い瞳が手元のコーヒーに落とされる。


「……心配かけて、悪かったな」


 俯いたまま言ったスコールに、ティーダがむず痒そうに、ジタンが嬉しそうに笑う。
ヴァンがぐりぐりとスコールの濃茶色の髪を撫でた。
止めろ、と言いつつ、スコールはヴァンの手を甘受する。

 確かに彼等の言う通り、スコールの顔色は良くなった。
日焼けが出来ない体質の所為か、どうしても肌は白いままで、健康的とは言い難い印象ではあるものの、青白くも見えていた頬には赤みが差している。
休みがちだった体育や、集中力が散漫していた授業も、少しずつ調子を取り戻した。
期末テストも全教科で八十点から九十点以上。
成績の急激な低下について、心配していたクラス担任もようやく安心した貌を浮かべていた。

 自分の事で一喜一憂してくれる友人達の存在が、スコールには心から有難かった。
それを素直に口にする事が出来ない自分が、時折悔しくなる事もあるが、ティーダ達はそんなスコールの性格も理解してくれている。
悪かった、と謝るのも、言い方を変えれば"ありがとう"と同じ意味なのだと知っていた。

 ヴァンの手が頭から離れて、スコールは乱れた髪を手櫛で直す。


「スコールの元気がなかったのって、やっぱりレオンとの喧嘩が原因だったのか?」


 カキ氷のシロップ水を掻き回しながら、ヴァンが訊ねた。
スコールは表情を変えず、小さな声で答える。


「まあ……そんな所だな」
「良かったっスね、あの時レオンが迎えに来てくれて」
「…ああ」


 ティーダの言葉に、スコールは抑揚のない声で頷いた。
やっぱりかあ、とティーダが眉尻を下げる。

 ジタンがアイスの溶けたコーラフロートをストローでぐるぐると掻き回しながら、首を捻る。


「喧嘩が原因っつっても、スコールの顔色が悪かったのって、もっと前からじゃなかったか?」
「そうだっけ。…あ、ほら、恋人が出来たのがその頃だったんじゃないスか? で、色々積もり積もって喧嘩、みたいな」
「……そんな所だな」


 ティーダの推測に、スコールは小さな声で肯定して、コーヒーを飲み干した。


「早く相談してくれりゃ良かったのに。恋愛絡みの悩みなら、この恋愛マスタージタン様にお任せだぜ」
「自分の恋愛で悩むんだったらともかく、兄貴の恋愛絡みってなったら、流石に人には相談し難いんじゃないか? 俺も兄さんに恋人が出来たってなって、それって多分、良い事だと思うんだよな。だから嬉しいって思うけど、やっぱり複雑な気分にもなりそうだし」
「そっか。ヴァンのとこも兄ちゃんと仲良いし、兄ちゃんが取られるって気分になりそうって、ヴァンも言ってたっスね」


 自分が恋愛で悩む事があれば、確かに、ジタンに相談するだろう。
恋愛事でなくとも、彼は漢気溢れる性格で、友の悩みも自分の事のように考えてくれる筈だ。

 とは言え、自分の家庭事情の悩み───それも、二十歳を越した独り身の兄に恋人が出来た事で悩んでいるなど、十七歳で自立心も強い青少年には、例え気心の知れた友人が相手とはいえ、言い出し難い。
喜ばしい話であるとも思うから、尚更だ。
ティーダのように日頃から父と喧嘩をして愚痴を零していたり、ジタンのように兄と日常的に口喧嘩をしては妹に怒られたと判り易く落ち込んだ姿を見せたりしていれば、少しは話し易かったかも知れない。
しかし、スコールとヴァンの兄弟仲は非常に良く、喧嘩自体が滅多に起こらないし、稀に喧嘩をしても、兄が寛容的で弟に多分に甘い所為か、その喧嘩も滅多に尾を引かない。
更に、スコールは滅多に自分の内心を口に出す事がない為、余計に相談し辛いものだろう。


「まあ、原因が何にしてもさ。仲直り出来たのは良かったよな」
「喧嘩もして良かったんじゃないっスか?」
「そうかもな。ずーっと悶々してると、スコールもレオンも辛かっただろうし」
「何より、終わった事だしな」


 良かった良かった、と言うジタンに、ティーダとヴァンが頷く。
スコールも何も言わないまま、ほっとしたように笑う三人の顔を見詰めていた。

 ティーダとジタンのジュースグラスが空になる。
その時には、ヴァンもカキ氷のシロップ水を飲み干していた。
そろそろ出よう、と促すジタンに倣って、四人はそれぞれに支払いを済ませて、喫茶店を後にした。

 木枯らしが吹きつけて、四人の身体から体温を奪う。
少年達は暖を求めるように身を寄せ合って、団子になって歩き出した。
スコールは鞄に入れていたマフラーを首に巻き、ティーダもブレザーの中に来ているパーカーのフロントジッパーを一番上まで上げる。
ジタンとヴァンも開いていたブレザーの前を閉じて、ポケットに手を入れた。


「おー、寒寒っ。早くゲーセン行こうぜ」
「スコール、大丈夫っスか?」
「……ん」
「顔が赤いから、大丈夫だろ。もう青くならないもんな」
「寒いから赤くなってんじゃねえの? 真っ青になってるよりはマシだけど」
「…寒いのは、寒い。でも、問題ない」
「ならOKっスね。早くゲーセン行こ!」


 スコールの体調不良が続く間、ティーダのゲームセンター通いは形を潜めていた。
放課後になると、体調不良のスコールを家の近くまで送って行っていたからだ。
ヴァンとジタンもスコールに付き添っていた為、放課後に遊ぶ事は少なくなっていた。

 休日にゲームセンターに遊びに行く事はあったが、やはり放課後の解放感の中で遊ぶ時とは、楽しさが違う。
四人揃って遊ぶと言う事も久しぶりだったので、ティーダはおおいにはしゃいでいた。


「やっぱり皆で行くのが楽しいっスね」
「だなー。特にティーダは、スコールの事が大好きだもんなー」
「当たり前っス!」
「…おい、抱き着くな。重い」


 ティーダがスコールの肩を抱いて、こつん、と頭をぶつけてくる。
夏ならば暑苦しいと拒否する所だが、寒空の下でも体温の高いティーダの温もりは、スコールに暖を齎してくれるので、好きにさせる。

 ヴァンは両手に息を吐き当てながら、指先の寒さを誤魔化しながら言った。


「ティーダとスコールって、なんか、凄く仲良いよな。付き合い長いの?」
「んーと、確か……」
「……そうでもない」


 ヴァンの質問に、ティーダが眉間に皺を寄せて首を捻る傍らで、スコールが端的に答えた。
それを聞いて、ジタンが首を傾げる。


「あれ? 前にティーダが、小学生の時から友達だったって言ってなかったか?」
「あ。それ、俺も聞いた気がする」


 嘘吐いた? と二対の瞳がティーダを見る。
ティーダは慌てて首を横に振った。


「嘘じゃないっスよ! スコールとは、小学生の時に一緒だったんだから。遊んだ事もあるし」
「………」
「スコールぅう! 覚えてないんスか!?」


 首を捻るスコールを、ティーダががくがくと肩を揺さぶる。
思い出すからちょっと離せ、と言うと、ティーダは揺さぶるのを止めたが、肩を掴む手は離れない。


「小学生の……」
「五年生くらいでさ、クラスは別々だったけど、休憩時間とか放課後とか、いつも二人で遊んでたじゃん。中学は、スコールが私立に行っちゃったから、バラバラになっちゃったけど」
「ああ……うん。そう、だった…気がする」


 ティーダの言葉に促されるように、少しずつスコールの記憶が浮上して行く。
今よりも幼いティーダの顔が浮かんで、それが毎日のように泣いては笑ってと忙しなく変わっていた事も思い出す。

 当時のスコールは、親しく過ごせる友達と言ったら、ティーダしかいなかった。
今は天真爛漫で皆に好かれるティーダも、涙腺が緩く引っ込み思案で、スコール以外に親しく話せる友達はいなかった。
その所為か、小学六年生の時、学区内の公立中学に進むティーダは、スコールが学区外にある有名私立中学へと進学すると聞いて、寂しいと言っては泣いて嫌がったものだった。


「…あんた、いつも泣いてたな」
「それ、スコールにだけは言われたくないんスけど」


 幼少の記憶を思い起こして呟いたスコールに、ティーダが眉根を寄せて言い返す。
二人のその言葉を聞いて、すかさずジタンが食い付いた。


「何? 泣いてた? どういう事、どういう事?」
「二人とも泣き虫だったって事か?」
「違う!」


 きらきらと目を輝かせたジタンの後ろで言ったヴァンに、スコールとティーダの顔が蒼くなり、同時に叫ぶ。


「俺は泣き虫なんかじゃないっスよ。スコールはいつも泣いてたけど」
「泣いてない。あんたの方だ」
「いや、絶対にスコールの方」
「俺じゃない」
「俺でもないっスよ」
「まーまーまーまー。二人とも泣き虫だったって事で良いだろ」
「良くない」
「全然良くない!」


 仲裁するように割り込んだジタンの台詞に、スコールとティーダの叫びが再び飛んだ。
ジタンは睨む二人から逃げ、ヴァンの影に隠れる。
流れでスコールとティーダがヴァンを睨んだが、ヴァンはけろりとした顔で、「寒いから早く行こうぜ」と言ってゲームセンターに向かって歩き出した。

 スコールとティーダは顔を見合わせ、揃って溜息を吐く。
心なしか気まずい空気になって、二人は目を互いに目を逸らして、ヴァンの後を追った。

 アーケード街に入ると、立ち並ぶビルと、道に沿って続く屋根のお陰で、寒風から解放される。
スコールは口元まで覆っていたマフラーを緩めて、ふう、と呼吸を一つ。
その隣を歩いていたティーダも、パーカーのジッパーを胸元まで下ろす。
そのまま、ジッパーの金具を指先で遊ばせながら、口を開いた。


「スコールさ」


 前を歩くヴァンとジタンには聞こえない声だった。
スコールが視線だけを隣に寄越すと、ティーダも視線だけをスコールへ寄越し、


「去年、高校で俺と逢った時、俺の事判ってなかったよな」
「……ああ」
「小学校の卒業式で別れたきりだったし、あの時は思い出して貰えなくても仕方ないかって思ってたんだけど……あの時からずっと、スコールは高校で俺と初めて逢ったって思ってた?」
「……」


 スコールの沈黙は肯定であると、ティーダは思っている。

 はあ、とティーダが大きな溜息を吐いた。
それが自分の所為であろうとは判っているのだが、露骨な落胆の反応に、無意識にスコールの眉間に皺が寄る。


「まあ、仕方ないか。俺も高校で初めてスコールを見付けた時、あのスコールだって思わなかったもん」
「…その話、ヴァンとジタンに言うなよ」
「言わないっスよ。俺も地雷だし」


 小学生の頃、ティーダはよく泣いていた。
些細な事でよく泣いて、父親のジェクトに呆れられていた。
そのジェクトがティーダを一番泣かせていたのだが、それを置いても、ティーダは悲しい事や悔しい事があると、我慢し切れずに声を上げて泣いたものだった。
今現在の、太陽のように明るく笑うティーダを見ていると、あの頃の彼は何処に行ったのだろうと思えて来る。

 それはスコールにも当て嵌まる事だ。
今でこそ文武両道で通っているスコールだが、幼い頃は体が弱く、学校を休む事も多かった。
引っ込み思案でいつも教室の隅で小さくなっていて、人見知りが激しく、話し掛けられても返事をする事すら出来ない。
いつも漠然とした不安と寂しさがあって、些細な事で泣き出したものだった。

 スコールにとってもティーダにとっても、小学生の頃の自分の記憶は、所謂"黒歴史"であった。
大人になれば笑って流せるような記憶でも、若干十七歳で、まだ幼年期を過去として割り切るには、近すぎる記憶である。
特に思春期で、良くも悪くも自分の姿を理想像に近付けようと四苦八苦する少年達にとっては、出来れば掘り起こしたくない記憶であった。


「あのさ。今言うのも、何だけど。スコールが俺の事……昔の事を思い出さなかったの、仕方なかったかも」


 ティーダの呟きに、スコールは隣を歩く彼を見た。
あれだけ思い出してくれと言っていたのに、どうして突然、とスコールが首を傾げていると、


「ほら。スコール、よく苛められてたから」


 眉尻を下げた表情で、声を潜めてティーダは言った。
その言葉を聞いて、スコールの記憶が深淵から浮き上がってくる。

 幼い頃のスコールは、同級生や上級生からよく苛められていた。
大人しい性格で、引っ込み思案で直ぐ些細な事で泣いていたスコールは、ガキ大将気質な子供に標的にされ易かった。
苛めは日に日にエスカレートし、靴や教科書を隠されるだけでなく、体育の授業中にわざと転ばされて怪我をした事もあった。
放課後に、複数で寄って集って叩かれた事もある。
明らかに可笑しな怪我をしているのに、「先生に告げ口したらもっと苛める」と言われ、誰にも頼る事が出来なくなった。
その当時、父ラグナは仕事の拠点を海外に移す為に忙しく、家には殆ど帰っていなかった。
レオンとは、その当時から顔を見合わせた記憶もない。
その為、スコールが苛めに遭っている事を知っている者は一人もおらず、スコールはティーダと出逢うまで、一人きりで辛い日々を過ごさなければならなかった。

 ティーダと出逢えた事で、スコールは少しずつ明るくなって行った。
しかし、胸の内の寂しさが消える事はなく、苛めもなくならなかった。
それ所か、スコールと仲良くなったティーダも苛められるようになってしまった。
息子とその友達が苛められていると知ったジェクトが、スコールの保護者代わりも兼ねて校長室に乗り込んで直談判した事で、ようやく二人への苛めはなくなった。
しかし、教師の視ていない所では、遊びに誘わない、並んでいる時にわざと足を踏む、呼んでも聞こえない振りをする───と言う陰湿な苛めは続いており、スコールとティーダは小学校を卒業するまで、寄り添うように二人で学校生活を送っていた。

 スコールが私立中学に進学すると聞いた時、ティーダが泣いて嫌がったのはその為だ。
唯一、気心が知れた友達と離れ離れになってしまうのが辛かった。
だが、スコールがその事をティーダに打ち明けた時には、卒業式が目前まで迫っており、スコールは私立中学へ進学する準備も済ませていた。


「……悪かった」
「へ?」


 スコールの詫びの言葉に、今度はティーダが首を傾げる。
何が、と問うティーダに、スコールはマフラーで口元を隠しながら答える。


「俺も、少し思い出した。中学が別になるって、あんたに中々言えなかった。あんたは、中学でも一緒にいられるって信じてたのに、裏切ったみたいだったから……」


 スコールの脳裏には、幼いティーダの笑顔と泣き顔が同時に浮かんでいた。
笑顔は、スコールと同じ中学校に進んで、二人の友情が変わらず続く事を心から願い、期待しているもの。
泣き顔は、スコールが「一緒に行けない」と打ち明けた時、ショックで声を上げて泣いていた時のものだ。

 小学生最後の冬の終わり頃、ティーダはよく中学生になったらこうしよう、あれをしよう、とスコールに話して聞かせていた。
スコールはそれを黙って聞いていたが、その時には既に中学受験も終わり、合格発表も終わっており、私立進学校に進む事が決まっていた。
早くティーダに言わなければ、と思ったのだが、未来を想像して楽しそうに笑うティーダに、伝える事が出来なかった。
ティーダが入学する公立の中学校には、自分達を苛めていた子供達も入学する。
仲の良い友達がいたからこそ、陰湿な苛めに遭っても耐えていられたのだ。
それが一人きりで放り出されるのだと知ったら、ティーダがどんなに傷付くか。
唯一の友達を自分が泣かせてしまう事が怖くて、中々打ち明けられず、ようやく伝えられたのは、卒業式の前日だった。

 もっと早く言えば良かった、と今更ながら思いながら、マフラーの中で自嘲を漏らす。


(昔も今も、同じ事をしている。まるで成長してないな…)


 兄に何をされているのか、誰にも話さずに隠し続けて、逃げ場所を失くした、現在。
唯一の友達を傷付けたくなくて、最後の最後でようやく打ち明けたけれど、結局泣かせてしまった過去。
どちらも、ずるずると現実から逃げ続けた後で、一番最悪の結果に行き着いている。

 ぐっ、と肩を強く引っ張られて、スコールは蹈鞴を踏んだ。
金色が視界の端で光る。
ティーダがスコールの肩を組んで笑っていた。


「もう良いっスよ。そりゃ、あの時は散々泣いたけど、もう昔の事なんだし。俺もあの頃、スコールの気持ち考えないで好き勝手に色んな事喋ってて。苛められてた事だって、俺だってあんまり思い出したくないし。だから、もうこの件は言いっこなしにしよう」
「……ん」


 スコールが小さく頷くと、こつん、とティーダの額がスコールにの額に当てられる。
冬の気温の所為で、触れ合う場所は冷たかった。

 スコールにとって、何よりも救いであるのは、今、隣にティーダがいてくれる事だ。
最後の最後で友達を裏切り、ティーダを置いて私立中学に入学したスコールは、彼にしてみれば、一人で逃げたように思われても可笑しくない。
その上、スコールは小学生の頃の記憶を、その時共に過ごしたティーダの事を、全て忘れていたのだ。
これだけ酷い仕打ちをしたスコールを、ティーダは今も友と呼んでくれている。
スコールは、胸の奥で温かいものが生まれるのを感じていた。

 おーい、と遠くから呼ぶ声がした。
スコールが顔を上げると、ゲームセンターの前でヴァンとジタンが手を振っている。
いつの間にか、すっかり置いて行かれていたらしい。

 行こう、とティーダがスコールの手を引いた。
その手を緩く握り返しながら、ふと、思い出す。
ティーダと出逢うよりも、更に昔、誰かがこうして手を握ってくれていた。
その手を握っていると、とても安心した事だけは今でも覚えているのだけれど。


(……あれは……)


 あれは、誰の手だったのだろう───?


†† ††   †† ††



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