私を知らない貴方を知りたい
オペラオムニア(第二部)設定


 この世界でその姿を見付けた時から、気になってはいたのだ。
自分がよく知る彼とは違う、けれど決して違う人ではない、彼を。

 秩序の女神を名乗る、何処か信用し難い拙さを感じさせる女神によって、この世界へと召喚されてから幾何か後。
“リターナー”と言う組織名を呼称して動く烏合の中にスコールが身を置く事にしたのは、単独で動くよりも遥かに利があると踏んだからだ。
本来自分が存在するのとは違う世界に召喚され、右も左も判らない今、最も重要なのは精度の高い情報を得る事である。
異なる世界から召喚された者達の内、女神の言動に聊かの疑念を持つ者同士で繋がった組織───と言うよりも規模で言えばグループか───は、基本は女神が求めたように、イミテーションの駆逐や魔物退治をして世界の歪の穴を閉じる行動を取りつつ、この世界の“神”を名乗る女神と対となる男神の情報を独自に精査する事を活動の指針としていた。
それ以外は基本的には自由行動であり、その場その場で自身で判断し、必要であれば情報の共有を行う、と言うものになっていた。

 スコールがこの世界へと喚ばれたのは、比較的早い段階であったらしく、スコールが属するグループにも、当初はあまり人数もなかった。
それは独自行動の末に合流した、ウォーリア・オブ・ライトを一行のリーダーとするグループも同様だ。
スコールがこの一行に出逢った時点で、彼らの人数は十人を数えていない頃で、まだこの世界のあらましについても判らない者が殆どだった。
メンバー内容も理由にあるだろうが、何処かお気楽なムードも否めなかったし、“神々の使い”と言う立場にあったモーグリが基本常に同行している事がスコールにとっては引っ掛かった。
モーグリは一向に向かう標を与えていたようだが、スコールはどうにもそれが“誘導”染みているように見えて、先の女神への疑心も含め、可惜に信用する気になれなかったのだ。
しかし、幸か不幸か、モーグリ率いるウォーリア・オブ・ライトの一行は、良く言えば人の好い者が多いようで、モーグリの事をそれ程疑ってはいないようだった。
一部は女神の何処か頼りなさを感じる言動に引っ掛かりを感じているようだったが、全体の雰囲気と言うものか、余りそれも表には出していなかった。
だが、モーグリや女神の言葉を信じる信じないに関わらず、行動の指標があるのは確かに行動への難易度を下げる事も出来、女子供の姿も見られるこのグループが団体行動を取るには、丁度良い条件だったのかも知れない。

 その後、モーグリがこの世界に悪影響を及ぼす“黒の意思”に取り付かれていた事が判明し、これを退ける事に成功し、モーグリは正気を取り戻した。
しかし、“黒の意思”が齎した世界への影響は大きく、何やらこの世界の根幹にまで問題は食い込んでいるらしい。
元の世界へ戻る為にも、この世界を正しい形に修復させなければならない事が判り、一行の旅はまだまだ終わりそうにない。

 その過程で、一行の規模は大きく膨らんで行った。
元々は女神と男神の、競争意識か、意地の張り合いにも似た対峙で繰り返されていた、新たな戦士達の召喚。
召喚された戦士達はそれぞれの思考で行動し、スコールが与する一行に入った者もいれば、逆に世界を崩壊させようと歪を広げていく者もいた。
何処にも属さず行動する者もいたり、何を考えているのか判らない者がいたり、神々は何を思ってあれを召喚したのか、と疑問も沸こうと言うものだ。
思えば、あれはあれで、神々も必死だったのかも知れない。
今現在、二人の神は自身が持ち得る筈の権能すら“黒の意思”に侵食された状態にあると言う。
この世界が、本来在る筈の姿から大きく逸れ始めた時から、某かの因子が歯車を狂わせていた事は確かな事実なのだから。

 ともかく、そうして増えて行く戦士の多くを、一行は一人ずつ加えて行き、今ではかなりの大所帯となっている。
当初は敵対関係にもあったと言える者も、───その中身は各自によって大きく異なる所はあるが───呉越同舟の環境にあった。
生まれた世界、身分、年齢、性別、種族と、てんで統一性のない一行は、必要な時以外は飛空艇での移動と生活が中心となっていた。
行動の指針は相変わらずモーグリが示すものに則り、各地に現れる歪を封じて行きながら、この世界の力の根幹となるものを探す。
そもそも目指すものが、眼に見えるのか否かも判らないので、途方もない話のようにも思えるが、それを果たさなければ自分達は元の世界に戻れないし、この世界の崩壊が他の世界への滅亡にも繋がると言うのなら、やるしかない。
多くの戦士はそう考えており、だからこそ、この大規模な呉越同舟が罷り通っているのだろう。

 スコールと同じ世界から召喚された者も、随分と増えた。
スコールが一行に合流した時には、ラグナとゼルのみだったのが、今はアーヴァイン、セルフィ、キスティス、更にはリノアまでもが、この世界に召喚された。
サイファー、雷神、風神の三人は、一行とは道を違えていたが、結局は合流している。
更に今ではアルティミシアまでもが力を貸し合う仲だ。
魔女アルティミシアについては、スコール達の間で密かに───と言っても、あちらは気付いているのだろうが───監視を続けている状態だが、一応は表立った波風を立てるつもりはないらしい。

 アルティミシアの事は置いておくとして、スコールにとって、このメンバーが揃ったのは嬉しい事だった。
当初、一行に加わっているラグナとゼルを見て、漏れそうになった溜息を堪えるのに苦労した。
しかも、どうやらラグナは若い頃の記憶しかなく、ゼルは“ラグナと知り合いである”と言う事を知らない。
ゼルがラグナについて知っているのは、『古い映画に出演していた』と言う事のみだ。
つまりゼルは、スコールが知っている“今のラグナ”を知らないと言う事。
更にゼルを捕まえて幾つか確かめてみると、彼の記憶の大部分が欠けている事が解った。
スコールや自分を含めた班メンバーと共に、魔女アルティミシアと戦った事も、そして彼女を斃した事も、彼は知らなかったのだ。
ラグナの方もスコールにとっては面倒な状態で、年齢的には27歳───ジャーナリストを名乗っていた頃の記憶まで。
彼が自身をジャーナリストと称していたのは、恐らく、行方不明になったエルオーネを探して小さな村を発った後のこと。
つまり、この世界に召喚されたラグナは、スコールが生まれる前の彼なのだ。
映画に出演した記憶はあるが、ゼルの『古い映画』と言う言葉と、つい最近撮影をしたばかりと言う彼の話は、食い違いがあるようで、どちらも事実であった。
ゼルやスコールにとっては随分昔の古い映画だが、27歳のラグナにとっては、まだ編集すら済んでいない新作映画なのだ。
この認識と時間のズレと言うのは、ゼルとラグナが会話をする度にポロポロと零れて来る為、スコールはその度に頭を痛めていた。
此処にセルフィが加わるようになってからは尚更である。

 その後、アーヴァインやキスティスが一行に加わり、スコールの心情的には大分楽になった。
観察眼が鋭く、情報の整理整頓に慣れつつ、教員として振る舞っていたキスティスは、自分の記憶が不自然に欠けた所がある事に早い段階で気付いた。
その後、スコールやアーヴァインを交えて自分の状態を再確認してからは、余りその辺りの事に敏感ではないゼルやセルフィの様子を見守りつつ、自身の状態についても様子見を続けているようだ。
アーヴァインが全ての記憶を持ち得て召喚されていた事は、スコールにとって幸運だった。
何かと周りに気を配る事に長け、サイファーに“ヘタレ”と呼ばれながらも、彼が存外と肝が据わった人物である事をスコールは知っている。
彼は元の世界でも、唯一、全ての記憶を持ちながら、それを忘れた幼馴染達の中で、自分の道を選んでいたのだ。
それを知っているから、この世界に来てから、アーヴァインが自分と同じ記憶を有して来てくれた事は、何よりもスコールの安堵に繋がったと言って良い。

 リノアの事は、正直な事を言えば、複雑だ。
彼女もまた、全ての記憶を持ち、戦う為の力───イデアより継承されてしまった魔女の力を持って召喚されていた。
だが、リノア自身は“戦うこと”に決して前向きではない。
彼女はそう言う世界とは関係ない場所に身を置いていても可笑しくない人物で、それを精一杯に奮い立たせて戦場に立っていたのだ。
だからスコールは彼女を巻き込みたくなかったのだけれど、召喚された彼女は、はっきりとした意思を持ってスコールを見てくれた。
だからスコールは、私も頑張るよ、と言った彼女を守ろうと誓う。
魔女である彼女の、騎士として。

 こうして現在、スコールの仲間達は、その半分がすべての記憶を持ち、もう半分───サイファー達を含めると、半分以上になる───が欠落のある状態にあった。
ラグナはアーヴァインがよくよく確認した所、どうやら後者に当たるらしい。
ラグナの記憶は27歳前後のものとして見て良いが、どうも至る所に虫食いがあるようだった。
彼にとっては近い過去である筈の、“彼女”と過ごした日々すら、ラグナははっきりと思い出せないと言うのだ。
ただ、“彼女たち”と過ごした日々は、取り出せなくても彼の柔らかい部分に染み込んでいるのだろう、“夢”のように呟いては懐かしそうに目を細める姿も、時折、見られていた。

 ───つまり。
つまり、だ。
スコールにとって“現在の記憶”又は“過去の話”に当たるものは、ラグナにとって“未来の出来事”なのだ。
同じ世界で召喚されていながら、こう言った時間のズレがある例は、他にも確認されている。
ライトニングとセラの姉妹や、バッツ達とガラフのように、召喚された時間のタイミングが違うだけでなく、その生死すらも覆されるような環境が、この世界では散見されていた。
宿敵たちとの再邂逅もその一つであると言えよう。
しかし、スコール達とラグナのように、記憶の違いだけでなく、その間に17年と言う長い年月が横たわっている例は少なかった。

 だからスコールは、自分の言動に嫌が応にも気を遣わなければならなかったのだ。
スコールにとって知っている事も、ラグナにとっては知らない事で、自分が下手な言動をして、ラグナの今後の行動が変わるような事をしてはならない。
若しもこの世界でラグナを喪う事があれば、この時代のラグナがいなくなってしまったら、スコールの存在そのものも危うくなり、もしかしたら元の世界にもその影響は及ぶかも知れない。
スコールが元の世界に戻ったその時、ラグナと言う人が過去に既に亡くなっていた、なんてことに歴史が書き変わっている可能性も、皆無ではないのだ。
その危惧が杞憂であると言う保証もない今、スコールは自分の存在が彼に要らぬ影響とならないように、出来るだけ距離を置いておこうと思っていた。

 思っていたのだ。
だが、それを安易を許してくれる人物ではなかった事も、スコールは程なく知る事になる。




 大所帯での共同生活と言うのは、決して慣れていない訳ではない。
バラムガーデンでは生徒の半分以上は寮住まいだったし、SeeD資格を得られるまでは、他の生徒達と一部空間を共有する造りで生活をする。
他人の気配がする生活環境と言うのは、ガーデンで日々を過ごしていた少年少女達にとっては、当たり前のものであった。
故にSeeDになったら一人部屋が貰える、と言うのも、資格を取得する為のモチベーションとして使われる事も儘あったりしたものだ。

 だが、慣れている事と、苦がない事は別物だ。
人の気配がどうしても苦手な者はいるし、静かに過ごしたいのに隣の騒音が……と言うトラブルもある。
特にスコールは一人静かに過ごしたい性質だったから、共有空間については仕方がないにしても、プライベート空間は出来るだけ周りからの侵食は防ぎたいと思う。
スコールの細やかな願いであった。

 だが、こうも大所帯での生活では、それも無理からん話。
ガーデンでは出来るだけ同年齢の者で固められるので、個々人の差異はありつつも、一応の配慮が出来る年齢になれば、夜間の騒々しさ等は落ち着くものであった。
しかし、この飛空艇の中で暮らしているのは、年齢も価値観もバラバラな者達ばかり。
まだ10歳にもならない、文字通りの子供もいれば、良く言えば豪放磊落な大人、自由奔放な大人もいて、一人の賑々しさから芋蔓式にボリュームが増して行くのも珍しくなかった。
静寂を好むのはスコールだけではないが、当然、真逆の賑やかし好きもいる訳で、必然的にその気配は何処にいても伝わるものであった。
そう言った喧騒から離れるには、一時、飛空艇そのものから離れるのは一番確実だった。

 とある島に確認された歪を閉じた後、一行はしばしの休息時間を作る事にした。
島には物理的な攻撃の効かない魔物が多かった為、魔法が得意な人員を主な探索メンバーとして組んだのだが、その中には女子供も多く、大人の目から見て、探索自体も慎重にならざるを得なかったのだ。
結果として歪の発見まで時間を用いる事になったのだが、お陰で深い傷を負った者も出ずに済んだ。
それなら次の歪に早く───と言う声もあったのだが、魔力は大きく消費すると回復まで時間がかかる。
最近は空を飛ぶ魔物の徘徊も多くなり、飛空艇の甲板で戦闘になる事も少なくない。
一応の安全が確保されたこの島で、今回の主力となってくれたメンバーの回復が終わるまで待とう、と決まったのだ。

 探索班のメンバーは日替わりで交代しており、スコールもその内の一部を引き受けた。
とは言え、今回の主力となった面々に比べれば、然して疲労も大きくはない。
どちらかと言えば、休憩時間となった空き時間を持て余している方だった。
一応、艇内で本でも読んで過ごそうかとも思ったのだが、何故かじゃれついて来るバッツやジタンであったり、その勢いに便乗するように懐かれてしまったらしいビビやエーコと言った子供たちなどに話しかけられる。
それ自体は、特に相手が子供では邪険にするのも気が引けて、かと言って体の良い言い訳も上手くないスコールは、また誰かに捕まる前にと飛空艇の外へとこっそり逃れたのであった。

 今回一行が立ち寄った島は、外周が浜で囲まれ、中央に行くに従って海抜が上がり、山の形を作っていた。
この山が案外と曲者で、遠目に見ると緑が多い印象なのだが、実際は崖だらけになっていた。
歪の発見までに時間がかかったのは、メンバーへの配慮もあるが、こう行った地形条件も理由がある。
道らしい道などなく、本当に崖を上らなくてはならない場面も多かった為、そのルートを見付けるのも一苦労だったのだ。

 飛空艇が下りたのは、浜辺の一角だ。
スコールは寄せては返す波の音を横に聞きながら、夕暮れの海岸を歩いていた。
魔物が絶対に出ない安全圏、と言う程ではないが、この辺りなら出現する魔物は可愛い程度だ。
スコールの操る疑似魔法でも追い払えるので、こうして浜辺を散歩する位は、目くじらを立てる者はいないだろう。


(久しぶりに一人になったな)


 大所帯になるに連れ、どうしても一人の時間と言うものは削られていく。
それは致し方のない事で、現状として一人になるデメリットの方が大きいから、自分だけ我儘で離れる訳にもいかないのも、頭では理解している。
しかし、元々が静寂を好む気質であるスコールにとって、賑やかと言うのは時に疲労感も誘ってしまうのだ。
仲間達の多くは気の良い者ばかりであるが、それの心地良さと、プライベートタイムを保持する安楽さとは、全くの別物なのである。

 ざ、ざ、と波の音を聞きながら、少しだけ懐かしい気持ちになる。
バラムの島では、近いようで遠い場所にあった波音。
これを毎日聞いていたのは、移動要塞として起動したガーデンが、操作不能になって海を漂い続けていた時の事だ。
そんな事まで思い出してしまうのは、波の音に郷愁でも誘われたのだろうか。

 らしくもない───とその口元が微かに笑みを浮かべた時だった。


「スコール!」


 背中に降りかかってきた呼ぶ声に、思わず肩が跳ねた。
ドッドッと煩く弾む心臓に、さっさと鎮まれと唇を引き結ぶ。

 さくさくと細かな浜砂を踏む音が近付いて来る。
転びかけたような声が聞こえて、はあ、とスコールは溜息を吐いた。
眉間に深い皺を刻んで振り返れば、思った通り、長い黒髪の男───ラグナが此方に向かって歩いて来ている。


「……なんだ」
「いやー、何って程のこともねえんだけど」


 頭を掻きながらやって来るラグナは、眉尻を下げてへらりと笑っている。
その仕種はスコールにとってよく見たもので、やはり重ねた年齢は違えど、その根幹はスコールが良く知る“彼”と変わらない事が判る。


「ちょっと上で風に当たってたら、お前が歩いて行くのが見えたからさ。ほら、この辺、あんまり強い魔物がいないって言っても、一人はやっぱり危ないだろ」
「俺は其処まで子供じゃないし、弱くもない。余計な心配だ」
「ああ、うん。だろうなあとも思ったんだけど」


 からからと笑いながら、ラグナはスコールの言葉に頷いた。
いつの間にやら大所帯となり、年齢の幅もかなり広い一行の中で、確かにスコールは若輩の部類だ。
しかし、エーコ、ビビ、パロム、ポロムと言った子供ほど幼くはないし、傭兵として経験も知識もある。
一人で行動するに辺り、責任と自戒はきちんと持っているのだ。

 顔を顰めて睨むように見つめるスコールに、ラグナは「だよなぁ〜」となんとなく歯切れの悪い声。
判っているのに、とも感じられるその声に、スコールの眉間には益々皺が寄る。


「…黙って出たのは悪かった。誰にも言わなかったのも確かだし」


 報告・連絡・相談は、団体行動に置いて重要なことだ。
束の間の散歩とは言え、誰にも言わず、ふらりと出たのは確かに不用意な事だったかも知れない。
某か咎められる前に、それを詫びておくと、ラグナはああ、と声を上げ、


「いや、いやいや。そりゃ別に良いんだ、スコールだしな。ふら〜っと考えなしの行動はしないだろうってのも判ってるつもりだ」
「……」


 ラグナの言葉に、蒼の瞳が怪訝に顰められる。
それはラグナにも見えたようで、


「この大所帯だからなぁ、艇の中だと、何処に行っても賑やかだ。楽しいけどな。でもほら、ちょっと一人で考え事したいなって時とか、あるもんだろうしさ。プライベートな時間ってのは欲しいもんだよな」
「……」


 そう思うのなら、何故追って来たのか。
追ってくるまでは仕方がないとしても、声をかけずにいると言う方法もあるだろう───ラグナがそうやって姿を隠していつまで尾行をしていられるかは謎だが。


「でも、その、うーん。なんだろうなぁ」
「……」


 頭を掻きながら言葉を探すラグナに、スコールは黙ったまま続くものを待った。
待ちながら、随分と気長になったな、と思う。
聊かテンポが悪いと感じるこの会話に、焦燥に似た苛立ちを感じなくなったのは、いつからだっただろう。
そんな事を考えながら、スコールは存外と暢気な気分で、えーとえーと、と視線を彷徨わせる男を眺めていた。

 そのまま何分が発ったのか、潮騒を聞いている所為か体感時間はゆっくりとしていて、正確な所は判らない。
それ位の時間をかけて、ラグナは腕を組み、眉間にスコールに敗けず劣らずの皺を寄せて、橙色に染まった空を仰いだ後、


「うーん。違うな」
「……は?」


 ようやく出てきたラグナの言葉に顔を顰めるスコールだったが、ラグナのそれは独り言だった。
ラグナは、うんうん、と自分の中で何かを納得させるように頷いて、ようやくスコールを見る。


「色々理由考えてみたけど、うん、やっぱり……スコールが気になったんだよな。多分、それだけだ」


 そう言って笑うラグナの顔は、スコールが見慣れている“ラグナ”とよく似ている。
目尻の皺の数や、口元の周りの豊齢線など、異なる所も確かにあるのだけれど、顔のパーツがその動き方は殆ど変わらない。
口にする言葉も、何時であったか聞いたものと同じで、やはり時代は違えど此処にいるのは“ラグナ”なのだと感じる。

 じわ、と胸の奥が寂しさに似た熱を宿していた。
まるでホームシックのような広がりに、スコールは反射的に眉根を寄せる。
と、それが目の前の男には、少々の不興を買ったように見えたらしく、


「悪い悪い。ちゃんと理由もないのに、追っかけられたらちょっとイヤだよな」
「………別に」


 ラグナの言葉に、いつもと変わらない一言を返しながら、


(…あんたのそう言う所は、慣れてる)


 目の前の“ラグナ”には決して言えないことを思いながら、スコールはついと背中を向ける。
自分が今、どんな表情をしているのか、スコールにはよく判らなかった。
この男は妙な所で聡いような、確信を突いて来るような事を指摘するから、下手な真似をして琴線を刺激する事は避けなくては。
そんな事を考えながら口元に手を遣れば、僅かに端が緩んでいるのが判って、顔を背けたのは正解だった。


「…少し歩いて来るだけだ。直に戻る」
「んん。一人で大丈夫か?」
「子供じゃない。さっきも言った」
「ああ、そうだった、そうだった」


 悪いな、と背中に投げられる詫びに、別に謝られる程の事じゃない、とスコールは思う。
過剰に心配されるのは、傭兵になるべくして育ったスコールにとって、聊か矜持が疼かない訳ではなかったが、ラグナが此方を過小評価して心配している訳ではない事も知っている。

 浜辺を飛空艇から離れる方向へと歩いて行くスコールの背中に、じっと届く視線がある。
それがずっと続いた後、さく、さく、と細かな砂土を踏む音が、少し離れた場所から聞こえてきた。
一定の距離を保って続く足音の主が、何を考えているのか、スコールには判らない。
いつも賑やかな筈の持ち主から、構ってと言わんばかりの声が発せられないと言うのは、反ってスコールには余計に気になるものではあったが、下手なボロを出すのが嫌で、スコールは自分から彼を呼ばない事に決めた。

 足元の砂に小石が多く混じるようになった頃、辺りには大きな岩が点々と散らばっていた。
寄せては返す波で少しずつ削れて行ったのだろう、海側に向かう表面が綺麗なカーブを描いている岩々。
リナール海岸にも似たような場所があった、と思いながら、スコールはその一つに腰を下ろした。
数メートル離れてついて来ていた足音が、一度迷うように止まったが、結局はまた歩き出す。

 ラグナがスコールの隣に来る間に、スコールはガンブレードを取り出していた。
シリンダーを回し、パーツの感触を確かめるスコールに、ラグナはぽりぽりと頭を掻きながら、しばらくぶりに声をかける。


「結構、使い込んであるなぁ、それ」
「……まあな」
「でも手入れは綺麗にしてあるな」


 まじまじとスコールの手元を覗き込むラグナ。
スコールはどうしても意識しそうになるその視線を、極力意識の範疇から追い出しながら、懐から取り出したメンテナンス道具でパーツを分解させて行く。

 こんな所でメンテナンスを始めて、パーツの一つでも砂の中に落としたら大変だ。
そんな事は判っていたが、暇な時間を潰す手段となると、スコールにとってはこれが一番だった。
暇を持て余しては簡易的なメンテナンスをするお陰で、飛空艇の上で魔物に襲われる事があっても、スコールは即時応戦する事が出来る。
その反面、メンテナンスをする度に見付ける小さな不具合や、ネジや留め具の不調など、この世界で取り換えが難しいものを見付けるので、少々歯痒い所もある。

 黙々とパーツを外しては組み立ててと繰り返すスコールを、ラグナはしばし眺めていたが、その内自分も手持無沙汰を感じたのか、スコールの後ろに座ってマシンガンを取り出した。
背中合わせにした少年を真似するように、マシンガンの具合を確かめる。


「あ〜、なんか引っ掛かるな……」


 不具合を見付けて呟いたラグナを、スコールは肩越しに見た。

 この世界では、様々な武器を目にする事が出来る。
スコールの仲間達も使う、ナックルや鞭、銃と言った類は、近い科学力を有した異世界でも存在していた。
ガンブレードも、全く同じではないが、似たような構造設計を施された武器が存在している。
その中で、機械構造を有した武器は、その構造の詳細は各世界の理論に依存しているのでまちまちではあったが、総じて定期的なメンテナンス作業が必要とされていた(そうしなくてはいけない、と言う持ち主の意識が影響している可能性もあるが)。

 だからスコールは懐に簡易メンテナンス用の道具を持ち歩くようにしているのだが、ラグナはそうではないらしい。
いや、今だからそれを手元に置いていないのか。
ふらりと飛空艇を降りたスコールを追って来ただけなのだから、このメンテナンス作業は彼にとって予定になかった事なのだ。

 スコールは少し思案したが、うーん、と唸る後ろの気配の方が気になった。
丁度手に持っていた油差しを、ラグナが見えるように横合いから出して見せる。


「ん?」
「……使え。錆なら厳しいが、滑りを直す位は出来る」
「良いのか?お前のだろ?」
「…戻って使った分返してくれれば良い」
「はは、了解。ありがとさん」


 ちょっとだけ貰うよ、と言って、ラグナは油差しを受け取った。
スコールはなんとなく、その手の動きを、こっそりと観察する。

 ラグナの手付きは慣れたものだった。
安全ロックはしっかりとかけた状態で、構造の隙間に油を差していく。
一つ差しては、銃を構えて敵を打つ動作を試し、十分となればまた次を確認する。
その仕種は、スコールにとって初めて見るものだった。


(……あっちじゃ、もう銃は持ってなかったからな)


 スコールがよく知る“ラグナ”は、もう戦場での現役を退いて久しい。
魔女アデルを宇宙へと打ち上げた後も、エスタ国内では色々とあったようで、それが落ち着くまでは銃を持っていたらしい。
しかし、祀り上げられる形で今の地位となってからは、例え有事であっても自らが前線に立つ事はない。
立ってはいけない、と言うのが正しい表現だろう。
一国を治める大統領なんてものに成り、其処にいる事を多くの人間に望まれている者が、戦場に立つ事など誰も望みはしない。
精々、護身用にと誂えられた拳銃を持っている程度だ。

 だから銃のメンテナンスをするラグナと言うのは、スコールにとって新鮮なものだった。
少し爪先の荒れた指が、存外と几帳面に触れてパーツの具合を確かめている。
そうした姿そのものは、飛空艇の中でも折々に見る機会があったが、スコールがこんなにも近い距離で彼の手元を見たのは初めての事だ。


(……あんたの周り、いつも賑やかだからな……)


 本人の賑やかし振りも然る事ながら、ラグナはよく人の輪の中にいる。
表も裏も明け透けな人格は、何処の世界でも老若男女問わずに人を惹きつけて已まない。
嘗ての“彼”との道中を、友人たちが毎日の楽しみにしていた理由も判るだろう。
それ位に、ラグナの人望と言うものは、沢山の人を引き寄せるのだ。

 また、スコ─ルが気心の知れた元々の仲間達と過ごす事が比較的多いように、ラグナもラグナで接し易い人々とのグループの中にいる事が多い。
特には、年齢が近い事、同じ武器を持っている事、この世界で目覚めてから一緒にいる時間が長い事とあって、サッズと何やら談議している所が目撃される。
他にも、普段の賑やかさや、意外とマメに相手をしてくれるとあってか、エーコを始めとした幼い子供達にもよく懐かれていた。
かと思ったら、ジェクトやヤン、ガラフと言った面々とも話し込んでいたり、バッツやジタンと一緒に何か仕掛けていたりと、本当に交流関係の幅が広い。
そんな中であるから、余り積極的に近付くまいとしているスコールが、彼と静かに向き合う時間など取れる訳もない。
ましてや、こんな風に喧騒から切り離された場所で、スコールがじっくりとラグナを観察する機会など在る筈もなかったのだ。


(……まあ、それは向こうでも似たようなものか)


 スコールの脳裏に浮かぶ“彼”もまた、いつでも忙しかった。
公務があるのは勿論のこと、プライベートな時間であっても、急に仕事に関する連絡が入るのも珍しくない。
ようやくの時間が取れたからと、これから熱を共有しようと言う段になって、急に鳴り響く電話の音を何度恨んだか知れない。
真っ最中に呼び出され、お互いに中途半端な状態で急ぎ仕事に向かった事だってある。
そんな出来事の後は、奪われた時間を取り戻すように、疲れている彼に対して駄々を捏ねた事もあった。


(……何を思い出しているんだ、俺は)


 自分の思考が酷く不埒な方向に走り出した事に気付いて、スコールは膝を抱えて蹲る。
背中越しの男は、少年のその様子には気付いていないようで、黙々と愛銃の具合を確かめていた。
注意力が散漫なようでいて、スイッチが入ると没頭するラグナの性質に、少しだけ感謝する。

 ふう、とスコールはこっそりと息を吐く。
溜息でもあったし、ラグナに自分の状態を気付かれていない安堵でもあった。
その傍ら、こうしてまんじりともしていないのは自分だけなのだと言う、少しの妬ましさも抱いてしまう。


(……仕方のない事だ。あんたは、俺を知らないんだから)


 元の世界で、自分とスコールがそんな関係であった事を、背後にいる男は知らない。
彼の時間は、スコールが生まれる前のものでしかないのだ。
些細な仕草が幾ら“今の彼”と重なるものであっても、それはスコールが一方的に知っているだけであって、此処にいるラグナにとって、スコール達は初めて出会った人間なのだから。

 それでも、スコールは彼の温もりを知っている。
あの腕に抱き締められて与えられる、熱の感触を知っている。
誰かと体温を共有する安心感をスコールに教えてくれたのは、他の誰でもない“彼”なのだ。
此処に呼ばれた時間は違えど、其処にいるのが確かに“ラグナ”であると感じる度に、スコールは思わずそれを求めそうになる。


(だけど、今位は……)


 ちらりと後ろを見遣れば、マシンガンを構えるポーズを取っているラグナがいる。
そんな姿も、スコールは此処に来てから初めて見た。
的を外すまいと真っ直ぐ敵を睨む横顔は、スコールが知る姿と年齢の違いもあってか、獲物を見付けた猛禽類に似ている。

 その背に、スコールは背中を押し付けた。
「おっ?」と少し引っ繰り返った声がして、スコールの項を長い髪がくすぐる。
不自然に強張った背中の筋肉に、彼が戸惑っているのがよく判った。


「えーと……スコールくん?」
「……」
「ひょっとしてお疲れだったのか?」
「……」
「おーい。……う〜ん」


 別段、疲れている訳でも、寝ている訳でもなかったが、スコールはわざと答えなかった。
反応のないスコールに、どうしたもんか、と悩む声が聞こえるが、それも無視する。

 ───飛空艇に帰れば、どうせすぐに他の人達に取られるのだ。
サッズか、エーコか、ジェクトか、或いはもっと他の誰か知らないが、この世界では誰もがラグナを構いたがる。
そう言う人なのだから仕方がない。
そして、今こんな風にボロを出してしまいそうになるから、スコールは出来るだけ彼と距離を保っておかなくてはいけないのだ。

 だからそれまで、ほんの束の間。
覚えのある温もりをもう少し感じていたくて、スコールは海の夕色が消えるまでの間、寝た振りを続けるのだった。