合わせ水鏡の景色
第2部後半


 どうしてあんたは───と、一片と思いもしなかったと言えば嘘になる。
自分が覚えていない遠い記憶の出来事まで、自分よりも遥かに鮮明に覚えているサイファーが、あれ程の死闘を演じた“魔女戦争”の顛末を、一から全て抜け落ちているなんて。
自分ばかりが覚えている、と言う虚しさと言うものを、スコールは初めて突き付けられたような気がした。

 しかし、それが女神の権能によるもの、つまりは他者の勝手な介入の所為だと知れてからは、諦めのようなものにも行き付いた。

 この世界のあらましからして、“戦士の休息”を目的として生み出された事から、女神はそこに召喚された戦士達の悲しみや憎しみ、負の感情の源となるものを消していたとか。
記憶を勝手に消される、と言う行為は、スコール達にとって、決して簡単に流して良い話ではない。
何故なら、ジャンクションと言う力を使って戦闘力を底上げしているスコール達にとって、その力の代償に記憶を喪う事を避けられないからだ。
その為に、スコールやその幼馴染の多くは、嘗て幼い日を共にした間柄だと言う事を長らく忘れていたし、きっとその他にも、日々の日常の中でぽつりぽつりと抜け落ちている事はあるのだ。
思い出は取り出せなくなっているだけで、切っ掛けがあれば取り出せる───と言う者もいるけれど、では切っ掛けがなければどうなるか。
思い出さない、思い出す事もないまま、それは永劫忘れられているのだ。
忘れた事さえも忘れたままで。
それは、失われた事と何ら変わりない事ではないだろうか。

 しかし、女神の権能に可惜に文句を言ってもどうしようもない。
既にこの世界の神々は、何処いずこから生み出された別のエネルギーによって、自身の権能を侵食されている。
女神に頼んで、彼女が奪った記憶を還して貰う、と言うのは出来なかった。
失われた記憶は、この世界のあちこちに散らばっているらしく、時には物に、時には意思を目覚めさせたイミテーションに、託すように潜められている。
スコール達がその記憶を取り戻すには、それらを見付け、触れなければいけなかった。

 ならば、サイファーが落とした記憶も、この世界の何処かにあるのだろうか。
これまでの経験から、スコールはそう考えているが、今の所、それらしいものが見付かる様子はない。
この世界は存外と広く、飛空艇を使って何日も飛ばしていても、世界を一周する事すら出来ていない。
そんな広大な場所で、目当てのものがピンポイントで上手く見付かる訳もない。
意思の力が強く影響を持つこの世界であれば、出て来い、と思えば出て来るのかも知れないが、この件に関してスコールが求めているのは、自分ではなくサイファーの記憶である。
此処が怪しい所だった。
サイファーの記憶が欲しいのなら、サイファーが己の記憶を喚ぶのが一番効果がありそうだが、当の本人はそんな気は更々ないらしい。

 そもそも、“魔女戦争”の記憶が丸ごと抜け落ちている為に、彼の記憶はティンバーでの出来事すらも存在していないようだった。
だから彼は、アルティミシアの甘言に加担して、一時、彼女の騎士として振る舞っていた。
元の世界で、彼が魔女イデアの騎士として、その番犬を務めていた時のように。
結局、アルティミシアが彼を使い捨ての道具のように扱った事で、サイファーは彼女にほとほと愛想が尽きたらしく、その後はスコール達と行動を共にするようになった。
後に何の気紛れか策略か、アルティミシアもスコール達一行と共闘の線を張るようにはなるのだが、振り回された事にご立腹なのだろう、もうサイファーの方から彼女に近付く様子もない。
アルティミシアの行動については、“魔女戦争”の顛末の記憶を有しているスコール、リノア、アーヴァインでの監視を続ける事で、今の所は一段落している。

 ───サイファーの記憶のことであるが。
彼の記憶はどうやら、スコール達がSeeD試験に合格した所までが確認できており、ティンバーでのテレビ局の事件は知らないようだった。
その場面にいた訳ではなかったが、後に発表されたテロリストの処刑のニュースをスコール伝いに聞いた筈の雷神と風神にも確認してみた所、此方もそういった出来事があったとすら覚えていないようだった。
二人とはスコール達も知らない仲ではないが、かと言ってサイファーのように親しい仲だった訳でもないので、あまり踏み込んでの確認はしていない。
が、ともかく、風紀委員が三人揃って───正しくは、二人はサイファーについて行く形で───アルティミシアに一時与していた事を思えば、彼等が魔女アルティミシアと言うものについてほぼ知らなかった、と言うのは確かだろう。

 と言う事は、サイファーの記憶は、スコールとは半年ほどズレている事になる。
スコールは、やはりG.Fの影響と言うものがあるから、何らかの記憶の剥落の可能性は否めなかったが、リノアとの出会い、サイファーとの三度に渡る死闘、時間遡航と言った自分自身の旅の軌跡をしっかりと覚えていた。
そして、“魔女戦争”の後、戦犯となったサイファーを見つけ出し、殴り合いの末に連れ帰り、更生期間として彼をバラムガーデンに縫い留める事に成功したのも。
相変わらず気に入らない事があれば銀刃を向けあう間柄でありつつ、他の誰とも共有できない、互いの熱を奥の底まで交え合う仲になったと言う事も。
スコールは覚えているが、サイファーは全く知らないのだ。
しかし、どういう訳だか、それともずっと覚えていたが億尾にも出していなかっただけなのか、幼馴染の面々に対しては“幼馴染”であることは判っているし、リノアやアーヴァインがスコール達と共に行動をしている事にも噛み付いて来る事はなかった。
“魔女戦争”の記憶がない筈なのに、と不自然には思うのだが、こう言った“記憶”と“現実の人間関係”の温度に差がある事は、サイファー以外にも珍しくない。

 ジャンクションと言う力への執着の差か、一体何が理由なのか、スコールには判らないが、普段のサイファーはG.Fとの接続を切っている事が多い。
だからなのか、サイファーは細かい事をよく覚えている。
石の家にいた頃、スコールがおねしょをしていただとか、ニンジンとピーマンが食べられなくてこっそり義姉に食べて貰っていたとか、彼女がいなくなってからは仕方がないからサイファーがそれを引き継いでいたとか。
いつも雑談の中で放り込まれるその話は、大抵、スコールを辱めてやろうと言う目的で、スコール本人が本当かどうかも明確に断言できない所を突いてくるから、良い迷惑だと思っていた。
今でもそれは変わらないし、ラグナやバッツを始めとした面々の前で、これ見よがしに「あいつこんなだったんだぜ」等と吹聴して回るのが腹立たしい。またそれにラグナが変にわくわくと食い付き、「他には?」等と掘ろうとするのだから、スコールは堪ったものではなかった。
だから、サイファーだけが覚えている、と言う事にスコールは甚だ辟易していたのだが、立場が逆転した今現在、スコールは少しばかりやきもきした気持ちを持て余している。



 賑やかな話を遠目に見ながら、スコールは一つ溜息を吐いた。
視線の先では、サイファーがゼルを揶揄い、憤慨するゼルをアーヴァインが宥め、キスティスが二人を諫めている。
風神と雷神はいつものようにサイファーの後ろにいて、雷神は楽しそうに、風神は少し退屈そうな顔をしていた。

 サイファー達が合流して以来、よく見る光景だ。
和やかと言えばそうで、飛空艇での移動で暇を持て余している所で見る分には、心休まる光景───と言えなくもない。

 しかし、スコールはどうしても溜息が漏れてしまう。
サイファーを交え、幼馴染の面々がわいわいと賑やかに過ごしているのは、“魔女戦争”を終えたバラムガーデンでもよく見る光景だった。
指揮官である自分がいて、補佐官を任せたキスティスがいて、監視対象兼補佐官に任命したサイファーがいて。
幼馴染の面々が報告や雑談にとやってきて、リノアも偶に其処に加わる。
サイファー程ではないが、彼の取り巻きとして一緒にいたことから、此方も更生期間として猶予を貰っている形になっている風紀委員二名も、社会奉仕を名目とした任務から戻って来ては、サイファーの下を訪れていた。
そう言う光景をスコールは鮮明に覚えているから、似たような景色が揃う度に、つい溜息が漏れてしまう。
あんなにも同じ景色なのに、アーヴァインとリノアを除いて、記憶を共有している人はいないのだ───と。


(……アーヴァインの奴は、よく平気な顔をしていられたな)


 つくづく、嘗て全ての思い出を有していながら、誰一人としてそれに触れる事もなく、石の家の記憶を忘れられて過ごしていた、アーヴァインの精神力に感歎する。
その上、自分の育ての母を殺せと言われて、彼は確かに真っ直ぐに彼女を撃った。
結果としてそれは魔女の力に阻まれたが、あの時の彼が酷い板挟みの状態であった事を思うと、よく正確に狙えたものだと思う。
思えば、直前の彼の酷い震えと言うのは、当時口にしていた以上の理由があったのではないだろうか。
引き金を引いた瞬間、彼が何を思っていたのかは、スコールは分からない。
訊いた事もなかったし、なんとなく、アーヴァインは聞かれたくないだろうと思った。

 しかし、そんな彼のお陰で、今のスコールは随分と楽をさせて貰っている。
彼が合流するまで、同じ世界から召喚された者の中で、全てを覚えていたのはスコールだけだったのだ。
おまけにラグナも昔の姿と記憶で召喚されていたし、ゼルとの会話で生じる時間軸のギャップなようなものを誤魔化すのが大変だった。
そんなスコールにとって、飄々としながら、上手く会話の方向舵を手繰ることが出来るアーヴァインの存在は、非常に助かるものだったのだ。

 とは言え、アーヴァインが出来るのは、其処までのこと。
サイファーとスコールの間柄は、彼もリノアも知っている事だが、可惜に他人が踏み込んで良いものでもないと判っている。
況してや、サイファーとスコールは、恋人同士である以前に、真剣を持ち出しての決闘まがいをやる仲なのだ。
「藪をつついてキマイラブレインに噛まれたくないよ」と言ったアーヴァインの気持ちは判るので、こんな所まで彼やリノアに甘える訳には行かない。


(それに……あいつとはそれゝゝだけじゃなかったから)


 重力に従って垂らしていた手を、スコールは緩く握る。
知らず詰めていた息を、意識してゆっくりと吐き出した。
それを吐き切って少し肩が楽になった所で、


「スコール」


 呼ぶ声に顔を上げると、リノアだった。
彼女の後ろの方では、相変わらずゼルが声を上げては、サイファーが子供を相手にするように往なしている。
どちらも本気ではないから出来る遣り取りだ。
やっぱり平和だな、とスコールは思う。

 リノアはスコールの横に立って、彼が見ているものを倣って見た。
蒼の瞳がじっと見つめているものを、リノアはしっかりと理解している。


「気になる?」
「……別に」


 気になるか、心配か───と、そう訊ねたリノアに、スコールはいつもの言葉を返した。
素直じゃないなあ、と言う呟きが聞こえたが、この上なく素直な気持ちだとスコールは思う。


「……気にしてどうにかなるものでもないだろ。記憶の光を見付けない事には、どうにもならないようだし」
「それはそうだけど。でもさ、やっぱりちょっと寂しいじゃん。私は、スコールが一緒に旅した事とか、迎えに来てくれた事とか、忘れちゃってたら、やっぱり寂しいな」


 此方も素直に気持ちを話してくれるリノアに、スコールは口を噤む。
確かに、あの出来事をリノアが忘れていたとしたら、スコールも心に穴が空いたような気持ちは否めない。
意識のない彼女を背負って、F.H.の線路をずっと歩いた事や、宇宙まで行って彼女を目覚めさせようとした、我儘な言い方をすれば、スコールが“そこまでのことをしたのに”、それに至る顛末をリノアがすっかり忘れていたら、若しかしたら腹立たしさすら感じたかも知れない。

 けれど、スコールにとって、それはリノアが対象であったらの話だ。
サイファーと熱を共有する仲にあっても、リノアが何よりも大切な人である事は変わっていない。
寧ろサイファーよりも大事だ、と言っても良い位だ。
これはスコールが天邪鬼だとか言う事ではなくて、真綿に包むように大事にするにはサイファーは鋭すぎるし、昔より落ち着いたとは言え、相変わらずのガキ大将気質である。
あれを大事に大事にしまいこめ、なんて、しまわれる方が大人しくしている訳がない。
そう言う人間だと理解しているから、スコールはサイファーを大切にしよう、とは余り思わなかった。


(でも、まあ。俺ばかりが覚えていて、腹が立つのはある。戦犯処刑したがる各国より先に、あんたを捕まえて連れ戻すのが、どれだけ大変だったと思ってるんだ)


 それはスコールの意地のようなものだった。
“魔女戦争”の終結直後、ガルバディアが世界規模で行った暴走振りの責任を誰が取るかと言う論点で、サイファーは槍玉に上げられた。
当時、雷神と風神と共に行方を晦ましていた彼を、ガルバディアを始めとした各国が山狩りの勢いで探していたのを、スコールは誰よりも先に目星をつけて回収に赴いた。
どうやらサイファーの方もその予想はしていたようで、二人は再会するなり、いつかの決闘を彷彿とさせる勢いで剣を交えた。
スコールが勝てば彼をガーデンへ、サイファーが勝てばまた行方を晦ませる。
それは二人の意地とプライドのぶつかり合いで、結果として、スコールに軍配が上がる事になり、仕方なくサイファーはガーデンへ戻る事となった。
その後、スコールとサイファーは勿論のこと、その周りを固めているバラムガーデンの主要メンバーで、サイファーがガーデン卒業又は放校となる二十歳まで、更生期間としてガーデンが監視保護する事を国際的に認めさせる為、方々に走り回る事となる。


(……苦労したんだぞ。それを覚えていないって言うのは、やっぱりムカつく)


バラムガーデン擁するSeeDの指揮官として、使える力は余す所なく使った。
一応、シドやラグナと言った、此方に理解のある大人もいたので、その点は楽だったのだろう。
が、とにかく誰かに責任を押し付け、それを処断する事で政府の威信を回復させたいガルバディアと遣り取りをするのは胃が痛かった。
リノアからの繋がりで、カーウェイ大佐に進言を頼む手もあったが、余り多方面に借りを作るのは、今後のバラムガーデンの運営として望ましくない。
スコールは周囲からの助言を貰いながら、交渉としてはあくまでも対等な立場として、ガルバディア側の意見を抑え込み、渋々に戦犯サイファー処刑の主張を退けたのであった。

 それだけの苦労をして連れ戻したから、サイファーもスコールが秘めている気持ちに気付いたのだ。
スコール自身が、何故自分がそんなにもサイファーを繋ぎ止める事に必死だったのか、自覚がなかった事には後々腹を抱えて笑っていたが。
「壮絶なプロポーズだ」などと嘯いて、悪くはないと言った近付けて来る彼の顔を、スコールは覚えている。
それから交えた熱が、生まれて初めて感じる程に熱くて溶けそうだったのも、忘れられる訳がなかった。


(……なのにあんたは、覚えていない)


 サイファーは“魔女戦争”に関する記憶だけでなく、その後の記憶もすっかりない。
だから自分とスコールがライバル以上の関係になっている事も、スコールからサイファーに確かな恋情がある事も、今のサイファーは知らないのだ。

 だからリノアは、時々、スコールのことが心配になるらしい。
今でも自分の気持ちを吐き出す事を苦手としているスコールが、ぐるぐると渦巻く感情に押し流されていないかと、こうして声をかけて来る。


「……言っちゃう?」
「何を」
「サイファー、スコールと恋人同士になったんだよって」
「どうせ揶揄ってると思うのがオチだろ」
「んー、そうなんだろうなぁ。私はあんまり知らないけど、二人、仲が良かった訳じゃないもんね」
「……ああ」


 言いながらリノアは、スコールの顔に手を伸ばす。
細い指が眉間を奔る傷に触れて、


「これ、サイファーがつけたんだよね」
「ああ」
「サイファーのはスコールが」
「ああ」
「仲良いよね〜」
「……話、聞いてたか?」
「聞いてる聞いてる。早くサイファーの記憶、戻ると良いね。サイファーだけのじゃなくて、皆もね」


 傷に触れた後、リノアはスコールの目元にかかる前髪で遊びながらそう言った。
なんとなく話の腰がずれたような気はしたが、まあ良いか、とスコールも流す。

 その傍ら、スコールはリノアの言葉を頭の仲で繰り返していた。
若しも、彼女が言うように、自分達の今現在の間柄のことを話したら、サイファーはどんな顔をするだろう。
あの頃の自分達の温度からして、吐く位はするかも知れない、と思う。
それはショックかも───と思った後で、そうでもないな、と思い直した。


(あの頃はそんなものだったし。俺も多分そうだった)


 この男と恋人同士になる奴の気が知れない、そんな事も考えていたような気がする。
何せあの頃のサイファーと言ったら、何をするにも苛烈で止まれなかったから、スコールは随分と痛い目を見させられたものだ。
それは訓練の時の話に限らず、持て余した熱を吐き出す為の行為でも、同じこと。

 ……そんな経緯がある事は、流石にリノアにもアーヴァインにも、話せるものではなかった。



 飛空艇で過ごす夜は、賑やかしの子供達がほとんど眠っている事もあって、静かなものだ。
艇内のエンジン音が振動を通して響いて来る以外は、所々の部屋で話し声がする位。
とは言え、最近はズーやエイビスと言った怪鳥のような魔物や、空を飛ぶ攻撃機も襲ってくる事がある為、襲撃時に即応戦できるようにと、数名がローテーションで不寝番を与っている。

 スコールも空の月が下方へと傾き始めた頃まで、見張り役を務めていた。
甲板で小型の竜の魔物が不時着気味に襲って来たが、追い払えば後は何事もなく過ごせたので、平穏なものだろう。

 そろそろ交代の時間か、と傾きゆく月を見上げていると、


「スコール。交代だもんよ」


 特徴的な語尾にスコールが振り向けば、思った通り、棍を肩に担いだ雷神が立っている。


「ああ。後は任せた」
「任されたもんよ!」


 雷神とはサイファーを間にして顔を合わせるばかりであったから、なんとなくスコールは彼に目の仇にされていたような気がしないでもなかったが、雷神自身は非常に素直で人懐こい性格だ。
先の魔女との一件で、スコール達がいたからこそサイファーが魔女との踏ん切りをつけた一面もあり、またお互いに何か恨み合っていた訳でもないので、なんでもない挨拶の会話を交わす程度には馴染んでいる。

 見張りの場を譲った後、スコールは甲板から艇内へと降りて行った。
ふあ、と漏れる欠伸に、流石に眠気があるなと首の後ろを掻いていると、カツン、と自分のものではない足音が聞こえた。
顔を上げて前を見れば、見慣れた金糸と、暗がりになった通路でも浮き上がる、幅広の白いコートがあった。


「……サイファー」


 飛空艇の通路は、ガーデンのように広くはない。
其処を占領するように仁王立ちをしているサイファーは、判り易く通せんぼをしていた。
明らかにスコールに対して進路妨害をしているその様子に、スコールは聊か面倒臭い空気を感じ取る。

 必然的、条件反射のように眉間に皺を寄せるスコールに、サイファーはずんずんと近付いて来ると、ずいっと顔を寄せて言った。


「スコール。お前、忘れてねえだろうな?」
「何がだ。ちゃんと前後を説明してから言え」


 答えようがない、とサイファーの藪から棒な言葉にスコールが睨み返してやると、彼は続けた。


「俺とお前の仲、だ」


 明確にはせず、お前だけに判る事だと、サイファーはそう言う含みで言った。
その瞬間、どきりとスコールの胸が跳ねたが、


(……“前の”仲、だな)


 自分とサイファーの記憶が錯誤した状態にある事を思い出し、スコールはすぐに思考を切り替える。
それでも、反射的に頬が一瞬熱くなったのは誤魔化せず、それもしっかりサイファーには見られていた。


「ヤるぞ、スコール」
「……デリカシーってもんがないのか、あんたは」
「お前相手にそんなモンいるか」


 ロマンチックの欠片もない、と呟くスコールだったが、確かにあの頃の自分達にそんな物は要らなかった。
あっても寧ろ寒々しいだけだったし、一度悪ふざけにサイファーが睦言なんて囁いた時には、はっきりと「気持ち悪い」と返してやった覚えもある。

 つくづく、温度差が激しい。
そんな事を思いながら、スコールは何処かへと向かおうとしているサイファーの後を追う。


(何処に行くんだ?部屋じゃないよな。皆いるし、流石にそれはない)


 元の世界であれば、あの頃であれ、最近のことであれ、交わるのはどちらかの部屋だった。
以前はお互いに共有部屋での生活中であったから、下手な噂が立たないように、声を潜めたり、部屋を出るタイミングや、共有空間の人の気配を伺ったりとしていたが、それ以外の場所はもっと勝手が悪かったので、部屋以外でする事はなかった。
例外があるとすれば、野外訓練で二人きりになった時位か。
最近のことで言うと、正SeeDである事に加え、指揮官と言う立場があるのでスコールは一人部屋だし、サイファーは戦犯と言う肩書上、誰かと同居させても面倒が起きるのが目に見えていたので、スコールの隣室と言う場所を与えてある。
どちらにせよ、人目を気にしないで良いのは、そう言うプライベート空間に限られていた。
だが、この異世界の飛空艇で、そう言う場所はないに等しい。

 前を歩くサイファーの歩調には迷いがないし、事を誘って来たのは彼の方だから、何処か目星をつけているのだろうか。
スコールがそう考えている間に、サイファーはある部屋の扉に手をかけた。
サイファーが入って行った其処を覗き込むと、寝床だけは他の部屋と同じように整えられているが、使われた形跡のない部屋だった。
まだ仲間が増えるかも知れないと、念の為に空けたままにしている、幾つかある空き部屋の内の一つだろう。


(……まあ、妥当か)


 扉には申し訳程度の閂錠ではあるが備えられている。
ベッドは限りのあるスペースを極力活用させる為、窮屈な三段ベッドが三方の壁に沿って囲うように備えられていた。
とても此処で交わりなど出来る筈もないので、やるなら真ん中の床だろう。
スコールがそう思った通り、サイファーは適当にベッドからシーツを掴んで、床の上に広げた。
彼も堅くて冷たい鉄板の上に直に転がるのは御免だったのだろう。

 サイファーがコートを脱いで、投げるようにベッドの端に引っ掛けた。
剥き出しの腕に浮かぶ筋肉の形に、あれに抱かれるのは久しぶりだと思い出す。
途端、どくん、と心臓が逸り始めて、スコールは自分の躰が熱を持つのを自覚した。
────が、サイファーにしてみると、それは全く見えないようで、


「何突っ立ってんだ。さっさと脱いで準備しろ」
「……」


 急かすサイファーの言葉に、スコールは分かり易く溜息を吐いた。
最近の記憶を持っていないサイファーにとって、これはあくまで“処理”なのだ。
その温度差に、聊か虚しさに似たものを感じつつ、とは言え久しぶりあの熱を感じられるなら吝かではないのも本音である。
その本心は顔に出さないように努めながら、スコールはジャケットを脱いだ。