私がよく知るその顔で


 自分の記憶が欠けているのだろうという事は、なんとなく感じていた。

 深い場所にあるものを思い出そうとすると、妙に霞がかることや、知っているような知らないような、けれど感じる“何か”が頭を過ぎること。
夢に見るように酷く曖昧な、輪郭が掴めないものを見かける度に、手を伸ばさずにはいられなくなること。
そう言ったものが積もり積もっていったこと。
そして、同じ世界から来たと思われる少年少女達が、揃って自分のことを知っていたと言うこと。
理由を上げればきりのない話で、あれも、これも、ひょっとしたらそれも、と考え至る要素は幾らでもあった。

 けれど、こんなに大事なことまで覚えていなかったなんて。
自分の体が、恐らくは肉体的な全盛期になっていることから、記憶もそれ相応になっていたことは、理解できる。
ある意味、それは仕方のない話とも言えた。
この体の頃の自分にとって、全ての記憶は未来のものが大半で、思い出すという以前に、未だ経験していない時分だったのだ。
少年少女の話す、元の世界の出来事について、“違ってはいないけど違う”気がしていたのも無理はない。
彼等の現在は、自分にとっての未来の話で、事象が形や指すものを変えるほど、長い時間が経っていたなんて、思いもよらなかった。

 だからと言って、こんなことまで忘れていたのかと、ああ馬鹿だなと思わずにはいられない。
自分はいつだって、大事なことは、取り返しがつかなくなってから気付くのだ。
それを厭と言うほど味わって来た筈なのに、そんなことまで忘れていたから、本当に鈍い。
あの子がどれ程、不器用な口を開いては噤み、見えない他人の頭の中と言うものを想像しては、心を押し殺していたかも知らないで。

 この世界には、それなりに早い内にやって来た。
自分もそうだし、彼もそうだった筈だ。
お陰で長い時間を一緒に過ごせたのだが、その間、彼はどれ程の言葉をその小さな口の中で留めていただろう。
元の世界でさえ、こんなにも長い時間を一緒に過ごしたことはない。
それでも、案外と素直で繊細な性格をしていることは知っている。
そんな彼にとって、自分ばかりが全てを覚えていて、何も知らない過去の姿をした男がいることは、どんなに神経を尖らせてしまったことだろう。

 同じ世界から来た、彼の仲間たちとも、色々な話をした。
その時、彼は大抵、同じ席についていた。
彼の気質を思えばそれは珍しい位の話なのだが、全てを覚えているからこそ、彼にとってはそう言う場面に気を抜けなかったのだろう。
自分と少年少女の間には、本来ならば長い長い時間の隔たりがあり、時代を思えば、逢う筈もない。
それなのに相対してしまった“過去”と“未来”は、何を切っ掛けに元の世界の何処に影響するのか判らないから、少年少女と会話をする度にぽろりぽろりと零れる齟齬に、彼は随分と胃を痛くしていたのではないだろうか。

 そして幼い神々の闘争の世界に喚ばれてから、いつの間にか随分と長い時間が経って、ようやく記憶を取り戻した。
魔女が取り込んでいた記憶と意思は、光になって降り注ぎ、記憶の泡を次から次へと浮上させる。
そしていつかも感じた、喪失の痛みを思い出して、零れそうになる涙を寸での所で堪えた。
ああそうか、あいつは、と思い出したその時、仲間達を見回した少年が「おかえり」と言ったから、此処は痛みに泣く所ではない、と気付いたのだ。
若しも此処で涙なんて零したら、思い出したくなかったんじゃないかなんて、彼に思わせてしまうかも知れない。
確かに、それは自分にとって何年経っても薄れることのない痛みではあるけれど、いつかのそれを否定すれば、あの科学都市での彼との出逢いも否定することになる。
大人が残してしまった沢山の宿題を、まだ未成熟なその背中に押し付けてしまった責任と、その重圧の中でも真っ直ぐ立っていた彼等の想いは、決してなかったことにしてはならない。

 それから、それから。
次から次へと蘇る記憶に、ああ、俺は本当になんで忘れていたんだろうと、苦い笑みを零れるのは止められなかった。





 久しぶりに乗る飛空艇は、相も変わらず賑やかだ。

 光の羅針盤を頼りに随分とあちこちを歩いたけれど、羅針盤は方角こそ示してはくれるが、その先に道がないことも少なくない。
多少の山道や浅い川なら何とでもなるが、高い崖や、大型の水棲生物が獲物を待ち構えている河なんて、とても無理だ。
幾らかはクジャの手を借り、彼の魔力で運んで貰う事もあったが、曰く「僕一人ならともかく、この人数を運ぶのは疲れるよ」とのことで、余り何度も甘える訳にもいかなかった。
同行していたのがクジャ、サイファー、雷神、風神と言う面子であったから、多少の無茶に目を瞑れる位には突き進めたが、危険を伴う道なら冷静に回り道が提案される。
その回り道でよくよく道に迷っては、クジャが高場に登って進める方向を再確認する、と言う手間も発生していた。

 しかし飛空艇に乗れば、空は方角へと一直線に飛べる。
空を駆る魔物は折々に襲って来たが、今となっては随分な大所帯だ。
見張りや舵手、整備担当を持ち回りにして、各人が休む時間を確保することが出来る。
大人数であるだけに、その管理を引き受ける格好になった面々は大変だろうと思うが、何処も彼処も不安定なこの世界で、この飛空艇の中だけは安心できる場所だ。
野宿の日々に耐えられないほど繊細なつもりはないが、さりとてベッドで眠れる幸運は、やはり手放し難いものであった。

 戦禍の痕の残る街で、魔女と繰り広げた戦いの傷は、治療が得意な面々のお陰ですっかり癒された。
後は気力体力の回復に専念と、以前と似たような部屋割りで、しばしの休息。
ラグナも以前と同じく、ジェクトやサッズ、ガラフと言った、若者曰く「渋い面子」と過ごしていた。
其処で記憶が戻ったことを祝われると同時に、ラグナの記憶が肉体年齢から十七年後のものであることを知った一同は、「急に老け込んだのはその所為か」と驚きまじりに冗談めかして笑ってくれた。
老けたつもりはないんだけど、とラグナは言ったが、若者達に比べれば年の功と言うのか、ガラフは「判るものじゃよ、重ねた経験と時間の重みと言うものはな」と言った。

 記憶が戻った祝いだと、ジェクトが主導で酒の席が用意された。
そんな大袈裟なとラグナは苦笑いしたが、ユウナの父だと言う友人のブラスカ曰く、理由は何でも良いんだよ、とのこと。
長く離れていた仲間が無事に合流できたのだから、その喜びを共有したいだけなのだと。
ついで、離れている間に加わった新たな仲間について、簡単ながら相応の自己紹介も兼ねた訳だ。
飛空艇に戻れたばかりで、まだ疲れているだろうから無理はしなくて良いよとも言われたが、折角なので参加させて貰うことにした。

 しかし、元々酒にはそれ程強くない。
若い頃はペースも考えずに飲んで、あっという間に酔いを回し、旧友達に運ばれて、気付けば朝なんてことも珍しくなかった。
年を重ねる内に、飲み方と言うものを多少なりと覚えはしたが、代わりに余り杯を重ねることはなくなった。
落ち着いて酒を味わう余裕が出来たとも言えるのかも知れないが、ともかく、酒豪なジェクトと同じペースではもう飲めそうにない。
剛毅な飲み方に付き合って、あっという間に目を回すというのは、そう遠くない日の出来事であったが、なんとも懐かしく思ってしまう位には、もう出来ない飲み方であった。

 そうしてしばらくぶりの酒を楽しませて貰った後、ラグナは賑やかな内に退散させて貰った。
相変わらずの楽しい酒は美味かったが、余り飲んでいると、後で怒られる羽目になりそうだ。
深酒をする度、身内に怒られたり呆れられたりする仲間を見ているから───ラグナも以前はその場で正座させられることも儘あった───、今日の所はこの辺でと思ったのだ。
そう言った所で、まあ良いか、と開き直る図太さが萎んだ辺りは、やはり昔とは違うのだなと、自分の意識の違いを感じる。

 とは言え、酒は気持ちの良い所で回っていて、すぐに寝床に戻る気にもならなかった。
頭が少しふわふわとしている気がしたから、酔い覚ましに少し風に当たろうと甲板に上がる。
若しも魔物の襲撃があったら、酔っ払いは邪魔になるだろうから退散するつもりだったが、幸いにも夜の空は静かだった。
持ち回りの見張りに起きている者の他は、ラグナのように、ちょっと夜風に当たろうと上がって来た者がいる程度。

 ラグナは甲板の縁に寄り掛かり、ふう、と一つ息を吐いた。


「うーん、良い風だな」


 空の天候は何処も不安定な世界とは言え、静かな夜の澄んだ空気、その向こうから吹く風は心地良い。
元の世界では、飛空艇よりもロケットが身近にあったが、それも搭乗者はコールドスリープされての射出だから、空を行く中で外の景色を眺めることは難しい。
宇宙空間は空気がないから、其処で過ごす基地は当然ながら隙間なく囲われているし、其処から外へ出る時は、宇宙服がなくてはならなかった。
こうやって走る機体の甲板に出て、吹く風に身を晒すなんて出来ないだろうから、案外と貴重な体験をしているのかも知れない。


(つっても、飛空艇自体はうちでは作れるだろうし。定期便の運行計画も整備しないといけなかった筈だし。そう言う時、こんな風に外が眺められるのを作るって言うのも、悪くないよなあ)


 思いながら、縁に乗せた両腕に顎を乗せる。
そうして視界の端に見えた自分の手には、指抜きグローブが嵌めてあった。

 グローブを外して手のひらを観察してみると、その皮膚には厚みがあり、マシンガンを握る為の癖がついているのが判る。
親指の付け根の肉の硬さ、人差し指の関節の曲がり癖、握って開いてと繰り返して伝わる腕の筋肉の感触。
マシンガンを持つこと自体、記憶の中ではもう随分と離れていた筈なのに、この世界で過ごした時間に限っては、つい十時間程度前に新鮮な記憶がある。
本当に、自分の体が若返った状態にあるのだと、ラグナはしみじみとした気分で感じていた。


「なーんか、変な感じだな」


 それは誰に対したものでもなく、沸き上がる感覚をただ単に口にした、ラグナにとってはよくある独り言だったのだが、


「何がだ?」


 背中にかけられた声に、ラグナはぱちりと瞬きしながら振り返る。
と、其処には、夜の月あかりに冴え冴えとした光を反射させる、愛しい蒼灰色の宝石があった。

 スコール・レオンハート────バラムガーデンに属する傭兵部隊SeeDの指揮官にして、魔女戦争の英雄。
随分な肩書きを背負ったその実、本質的にはまだまだ幼さの残る少年は、ラグナにとって、他に変えようのない唯一無二の愛しい存在。

 ラグナが彼とこうして顔を合わせたのは、数時間ぶりの話であった。


「よう。体はもう大丈夫か?」
「……ああ」


 ラグナの言葉に、スコールは短く答えた。

 彼は魔女との戦いを終え、飛空艇へと乗船してからは、部屋割りで当てがわれた場所で休息を取っていた。
彼が最も心配していた、仲間が一人も欠けずに済んだことは勿論のこと、皆の記憶が戻ったと言う安堵もあって、緊張に張りつめていた糸がぷつりと切れたのだ。
久しぶりの安全な場所でもあったし、傭兵として教育を受けてきた少年少女も流石に疲労は大きかったらしく、各々で十分な休息に数時間分を費やしていた。

 そうして数時間ぶりに見たスコールの顔色が、いつもと変わらぬものだと判って、ラグナもほっと安心した。
が、スコールの方はと言うと、訝し気に眉間に皺を寄せて、じっと此方を見つめている。


「………」
「ん?」


 もの言いたげな空気がじんわりと滲み出ているのを感じて、ラグナはことんと首を傾げた。
どうした、と言葉ではなく仕草で尋ねるラグナに、スコールの青灰色の瞳が少しばかり落ち着きなく彷徨って、


「さっき。変な感じだと言っていたけど」
「ああ。うん、まあ、ちょっとな。頭の中は全部判ってるんだけど、体がこうだから、ちょっと感覚がなーって思ってさ」


 グローブを外していた手をひらひらと振りながらラグナは言った。

 頭の中は一気に年月が経たものになっているのに、体は全盛期のまま。
だから妙に体が軽くて、全速力で走っても簡単には息が切れないし、高い場所から飛び降りたり、ぶら下がったりと言うアクロバティックな動きも出来る。
マシンガンを撃った時の反動に肩が痺れることもなく、指は当たり前の仕事のように引き金を引く事が出来る。
身を守る為の武器は、小型化したお陰で持ち歩けるようになってはいたけれど、実際にそれを使う場面と言うのは、随分前のことが最後だった筈だ。
トリガーに指をかける感覚は久しぶりの筈なのに、体はまだそれを当たり前にした頃のものだから、意識と感覚にズレがある気がした。

 それは戦う場面においては聊か問題がある気もしたが、今この場面で突き詰めなければならない程でもない。
明日には少し体を慣らすくらいのことはした方が良い気もするが、今この時、じっと伺うように此方を見詰める少年の前で吐露する話でもないだろうと思った。


「大した事じゃないから、大丈夫だよ。別にどっか悪い訳じゃないしな」
「……そうなのか」
「うん。寧ろ体が軽いから楽なんだよ。いやー、若かったんだな、俺って」


 弾んだ声でそう言ってやれば、スコールには楽観的に見えたのだろう、呆れたように眉間に皺が寄っている。
だが、心配事は必要ないと言うことは伝わったのか、一つ息を吐くのみであった。


「……記憶」
「うん?」
「……戻ったんだよな」
「うん」
「………」


 スコールの問にラグナが頷くと、蒼の瞳が足元を見る。
噤んだ唇が真一文字に引き絞られて、一回、二回と開閉を繰り返した。
それが、踏み込む勇気をかき集めている時の仕草だと気付いて、ラグナは眉尻を下げて笑みを浮かべる。


「全部ちゃんと思い出してるよ、スコール」
「……全部……」


 告げた言葉を反芻したスコールに、ああこの言葉では足りなかった、とラグナも気付く。

 ラグナは縁に寄りかからせていた体を起こして、立ち尽くすスコールの前へと近付いた。
スコールは俯き加減のまま、近付く男の気配は感じ取っているようだが、まだ顔を上げることは出来ないらしい。
そんなスコールの頬へと手を伸ばし、指先をするりと滑らせるようにして其処を撫で、


「ほら、こっち向いてみな」
「……」


 促すラグナに、スコールはしばし足元を見つめたままだったが、やがてゆっくりと頭が起きる。
長い睫に飾られて、夜の空から差し込む月明かりを反射させるブルーグレイが、まだ不安そうにラグナを映し出す。
ラグナは真っ直ぐにその瞳を見詰めながら、ゆっくりと顔を近付けると、色の薄い唇に、己のそれを押し当てた。

 近付く内に何をされるかは判ったのだろう、スコールの肩は判り易く強張っていたが、彼は逃げようとはしなかった。
待ち望んでたようにじっと其処に留まり続けた唇を、ラグナが柔く吸ってやると、スコールはゆるゆると隙間を晒す。
其処を舌先で軽くノックしてやると、恐々と開いた唇の奥から、スコールの舌がそうっと絡みついてきた。


「ん……あ……」


 顔を覗かせた舌を甘く食んで吸うと、ピクッ、とスコールの体が震える。
緊張に握り締められていたスコールの手が、そろりと持ち上がって、ラグナの服の端を握っていた。

 久しぶりに触れた其処は、記憶の隅から掘り起こせる感覚に比べて、かさついている。
少し切れた痕の感触もあって、今日という日まで随分と苦労と緊張が重ねられたのだろうということが判る。
その原因の半分ほどは自分にあるのだろうと、労いと詫びの気持ちで唇の傷跡を舐めていたラグナであったが、飛空艇のエンジン音の向こうから、幾らかの人の気配がする。
スコールもそれが聞こえていたのだろう、服を握る手が、それを訴えるように緩く引っ張った。

 心地良い感触に名残惜しいものを感じながら、ゆっくりと唇を離す。
解放した少年の唇の隙間から、はあっ、と熱の籠った吐息が漏れたのが判った。


「……ラ、グナ……」
「これで判ったろ?“全部”だって」
「……ん」


 スコールは小さく頷いて、恥ずかしがるように視線を逸らした。

 ラグナとスコールは、元の世界で、父親と息子と言う関係を構築している真っ最中だった。
理解のある仲間たちのお陰で、その為の時間というものは、多くはないが確保されていて、遠く離れた国でそれぞれの生活を過ごしながらも、それなりの頻度で顔を合わせることが出来ている。
その間に、元よりラグナにとって特別な存在であったスコールの存在は、一層手放し難いものになり、大人の狡さでもって手元に閉じ込めておきたくなる程のものになった。
そしてスコールの方も、今更になって現れた“父親”と言うものを受け入れるよりも先に、“ラグナ”と言う存在に染められていた。
対外的には不器用に“父子”を探りながら、ひとたび建前の皮を剥けば、それ以上に芯から溶け合うことを望む間柄。
とても人には言えない関係であることを知りながら、隠れるように熱を注ぎ注がれる時間は、今更手放せるものではなかった。

 だが、二人がそう言った関係を持つに至ったのは、元の世界の時間で言えば、そう遠い話ではない。
魔女アルティミシアとの時間を越えた戦いを終え、戦後処理とも言える慌ただしさが続き、ラグナ自身の覚悟と、スコールの決意が決まって、ようやく二人は正面から相対した。
それからも決して短くはない時間があってのことなのだ。
魔女戦争の顛末については、少年少女たちも、ラグナ自身も思い出すことが出来たが、“その後のこと”が何処まで戻っているのかは、傍目のスコールに判るものではなかった。

 それをようやく確認することが出来て、スコールはやっと全ての懸念から解放された。
いつぶりかと言う口付けの残る感触に、羞恥心から口元を隠しているスコールだったが、言葉にし切れない安堵の胸中は、お喋りな瞳が具に語っている。
そうとは自覚のないであろう少年に、ラグナはくすりと笑みを浮かべながら、柔い濃茶色の髪をくしゃりと撫でた。


「頑張ってくれたよな。ずっと」
「……別に、必要なことをやってただけだ」


 ラグナの労いに、スコールの言葉は相変わらず素っ気ない。
しかし、撫でる手を露骨に振り払わないのが、今の彼の胸中を何より示していた。

 指の隙間から零れるダークブラウンを見詰めながら、ラグナはそれを抱き寄せたくて堪らなかった。
この世界の理が書き換えられる前に、それなりに長い時間を一緒に過ごしていた筈だが、こうやって触れるのは初めてに近い。
ラグナはその事に気付きながら、しかし目の前にある細身に触れたのは、久しぶりながらにまだ記憶に鮮やかなことでもあった。


「……な、スコール」
「……」


 名前を呼ぶと、スコールの瞳が此方を向いた。
なんだ、と無言で先を促す少年に、ラグナは少しばかりの気恥ずかしさと、狡さを自覚しながら囁く。


「久しぶりに、お前に触っても良いか?俺の方から、ちゃんと」
「……!」


 耳元に触れる吐息に、スコールがばっと逃げるように半身を引いた。
それがいつまでも消えない初心さから来る反射反応であることは知っているから、ラグナはスコールの腕を掴んで捕まえる。
スコールはと言えば、耳元に久しぶりに感じた感触に、ぞくぞくとした感覚が痕残りのように滲んでいた。

 半歩を引いた状態で固まるスコールに、ラグナの方から一歩寄せると、少年はそれ以上は逃げようとはしない。
もとより本気で逃げる筈もなく、久しぶりのキスを交わして煽られた熱も然り、彼がラグナを突き放せる筈もないのだ。
そういう事をしないように、出来ないように、ラグナが大事に大事に絡め取ってきたのだから。

 はく、とスコールの唇が音を忘れて開閉した後、ブルーグレイは湧き上がる羞恥心を奥へと押し殺しながら、ごくごく小さく頷いた。