無垢に染め色


 街ではランドマークとして知られる巨大な複合施設の上層フロアで、パーティは催された。
立食形式でカジュアルな場であると聞いてはいたが、とは言え、其処に集まった顔ぶれは、クライヴも見聞きした事のある有名人ばかりだ。
一般によくよく顔の知られた芸能関係の文化人は勿論、大手企業の会長だとか社長だとか、政界にも通じる人物だとか。
昔、父がきっちりとした格好で出掛けていた時は、こういう場所に赴いていたのだろうかと、クライヴは何処か非現実的な場所にいる気分を抱いていた。

 パーティを催しているのは、世界的な大手ブランドのアパレルメーカーの会長だと言う。
クライヴもそのメーカーの名は知っているが、会長の顔については初めて見た。
始まって早々に、その会長本人がシドの下へやってきて、親し気に握手をしていたものだから、クライヴは驚いた。
身を置かせて貰っているクライヴから見て、シドの会社と言うのは、決して大手メーカーと並べる程に大きな会社ではないのだ。
一体何処でどう繋がったのか、クライヴには少々不思議な所だが、しかしシドも良い年齢であるし、色々な所に顔が利くのかも知れない。

 グラスを片手に、シドの下にはひっきりなしに人が来る。
他愛のない挨拶をして終わることが殆どだが、中には隣に付き従うように立っている青年────クライヴに興味を示す者もいた。
「彼が、あの?」とシドに問う者も多く、成程、これが自分に興味を持っていると言う類の人か、とクライヴも把握する。
そう言った手合いは、「よろしく」と言って握手を求められれば応じたが、実家のあれこれを聞かれる事については、無難に「離れて久しいので」と流すに留めた。
元より、ロズフィールド家のことについて、殆ど出た切りになっているクライヴから言えることがある筈もない。
不用意に下手な事を言って、家族や叔父に迷惑を被るのは、クライヴの望まないことであった。

 シドはパーティそのものに長居するつもりはない、と言っていた。
あくまで友人の顔を立てる為と、クライヴに関して、集まってくる群衆を諦めさせる為に来たに過ぎない。
とは言え、始まって早々に退出できるものでもないから、一時間程度は付き合え、とクライヴに言った。

 物珍しさにクライヴ目当てに集まってくる者は後を絶たない。
シドが珍しく部下を連れて来た、その部下はあのロズフィールド家の者だと言う。
それならば一目、可能であれば懇意になれないかと、判り易い下心の見える顔もあった。
クライヴはと言うと、父や叔父、弟もこういう世界を見ているのだろうか、と頭の隅に考えつつ、どう無難にやり過ごすかを顔に出さずに捻り出している。

 慣れない場である事は確かで、この場所にシドがいると言う事は、クライヴにとって安心できるものだった。
明らかに答えにくい、かと言ってやり過ごすにも難しい質問を投げて来る者がいると、シドが横から攫って行く。
シドにしてみれば、部下のプライベートに他人が手を突っ込んでいるようなものだ。
クライヴを連れて来た責任として、その位の事はやってやる、と彼は言っていた。

 飲み物も料理も用意されてはいたが、人がいつまでも絶えないので、クライヴは食事を摂る余裕もない。
手元のグラスを少しずつ飲んで、乾き気味な喉を誤魔化すのが精々だ。
慣れない場所と言う事もあり、流石に疲れて来たなと思っていると、


「酔ったか?」


 隣から聞こえた声に、クライヴはひとつ溜息を吐いて、


「そうかも知れない。人が多すぎて」


 アルコールには強い質だ。
手元のグラスで揺れる透明な液体は、それ程強いものではないし、このペースなら酔う事はないだろう。
しかし、去っては次がやって来る人の波と、この場に不相応にならないようにと頭を巡らせながら会話をするのは、思っていた以上に疲れを誘う。

 取り繕いの表情も崩れつつあるクライヴに、シドは苦笑しながら前を見て言った。


「もうちょっと我慢しろ。次が最後で良いだろう」
「最後?パーティの時間はまだあるんだろう」


 この束の間の社交の場が開かれてから、シドの言った“一時間程度”は過ぎた頃だが、パーティの時間はまだ半分過ぎたかどうかだ。
此方をちらちらと見ながら、いつ話しかけようかと探っている視線も感じるし、まだまだこの流れは終わりそうにない。
───と、クライヴは思っているのだが、シドは違うのだろうか。

 クライヴが小さく首を傾げていると、一人の男が此方へ近付いて来る。
黒い髪に彫の深い顔立ち、髭は無精にも見えるが不格好にはならず、貫禄を醸し出し、光沢のある黒のスーツに、青いシャツを着た男。
ネクタイには銀のピンを挿し、曇りなく磨かれた靴の先まで、隙なく誂えられたその男の名を、クライヴも知っていた。


(確か────バルナバス・ザルム。こんな所にいる人なのか)


 ロズフィールド家が古くから代々続く血筋から、様々な企業を起こし、昔と変わらぬ経営を続けているとすれば、この男はそれと対局の形にいる。
時期としてはクライヴが生まれて間もない頃、たった一人で企業し、現在は産業用機械のメーカーとして世界的な地位にあった。

 こんな所で顔を見る事になるとは、とクライヴは純粋に驚いていた。
噂に聞いた程度ではあるが、彼はこの手の交流の場には滅多に顔を出さないとか。
人と話す時には、専ら常に傍に控えている、秘書の男が代弁すると聞いている。

 そんな男が、秘書ともに目の前にやって来て、此方を見て足を止めたのだから、クライヴは益々驚いた。
その傍ら、シドはいつもの表情で、


「よう」
「……」


 気安い挨拶に、返事はなかった。
バルナバスは翠の目を軽く伏せただけで、それが彼にとっては挨拶だったのだろう、シドも納得している様子だ。

 バルナバスの目は、すぐにクライヴの方へと向いた。


「それが例の、か」
「お約束通り、連れて来たからな」


 クライヴが聞いていた噂と違い、直に会話を始めるシドとバルナバス。
バルナバスの後ろに控えている秘書の男は、表情を変える事もせず、主の背中を守るように、じっと其処に佇んでいるのみだ。
つまり、この二人───シドとバルナバスは、直の会話を交わせるほどに親しい間柄と言うことだろうか、とクライヴは思った。

 バルナバスの伏目がちの瞳が、じいっとクライヴを観察する。
頭の天辺から足の爪先まで、定めるようによくよく眺められて、クライヴは緊張を覚えた。
気安い雰囲気をいつも醸し出しているシドと違い、真っ黒なスーツに隙なく身を包んだこの男からは、クライヴの知る仕事姿の父親とも違う、厳格な空気を感じさせる。

 そんなバルナバスの後ろに控えるように立っている男は、つるりと陶器のように青白い肌に、それを引き立たせるように艶やかな白銀色の髪をしている。
緩いウェーブのかかった髪は、項のあたりで無造作に結ばれていた。
装いは白のジャケットに青みがかったグレーのスラックス、首元には薄水色のネクタイがある。
バルナバス程ではないものの、隙のない装いとなっている。

 手に持ったグラスの存在も忘れるほど、硬くなっている様子のクライヴに、シドは気付いていた。


「バルナバス。ちょっと加減してやってくれ、こいつはこう言う所自体が慣れてないんだ」
「ロズフィールド家の者なら、この程度のものは茶飯事だろう」
「言っただろう。実家を離れて随分経ってるし、今はうちの一社員だ。お前が一目会ってみたいなんて言わなければ、連れて来る事もなかったさ」


 シドのその言葉に、この男が事の発端だったのか、とクライヴは悟った。
大抵のことは躱して済ませるシドだが、目の前の人物の言う事は、可惜に流す訳にはいかなかったのだろう。
相手の大きさを思えば、シドのその判断も無理もないのかも知れない。

 シドに窘められたバルナバスだったが、その視線は全く動じず、クライヴを眺めている。
相手の重鎮さを思うと、クライヴも背格好を正さない訳にはいかなかった。
身が締まる気持ちで首元に手を遣ったが、其処にネクタイがない事に気付いて、結局は手持無沙汰に下ろす。


「ええ、と。クライヴ・ロズフィールドです。初めてお目にかかります」


 一先ずは形式的にも挨拶だろう、とクライヴは名乗る。
バルナバスは微かに双眸を細め、


「……バルナバス・ザルム。貴君の名は友人から耳にしている」
「ありがとうございます」


 友人───つまりはシドの事だろうか、とクライヴがちらと隣に視線をやると、シドはなんとも言い難い表情で頭を掻いている。


「お前に“友人”なんて言われると、こそばゆいな」
「同感だ。どう言えば良い?」
「あー……知人かな。付き合いが古いのは確かだし」
「では、今後はそう形象するとしよう」
「お堅いんだか素直なんだか、相変わらず分からんね、お前さんは」


 肩を竦めるシドに、バルナバスからの反応はない。
翠の眼は、それが満足するまでクライヴをじっくりと観察していた。
隙間も許さない程に観察されて、クライヴは今更ながら、変な格好になっていないよな、と気にかかった。

 服は結局、今日に合わせて誂えたものを、シドの言うに合わせたコーディネートにしてある。
黒のジャケットにスラックスを揃え、足元は真新しい革靴。
カジュアルにして良いと言われたので、シャツもあの日に買ったワインレッドのもので、ネクタイはなく、首元には、これもまたシドが見繕ったネックレスを身に着けている。
ネックレスは渋みのある銀色の台に、赤紫色の石が飾られていた。
会場に合わせた服装としては、それほど違和感はない筈だ。
パーティ会場の人々の格好を見る限り、ドレッシーに整えながらも、ジャケットの下は各々にラフなものを着ており、全体的にもカジュアルな雰囲気がある。
どちらかと言えば、バルナバスを始め、ネクタイを締めている人物の方が、少々硬く見える位だった。

 クライヴが意識的に背筋を伸ばしてから、五分は経っただろうか。
鋭さも醸し出していた翠の瞳が、す、と瞼の裏に伏せられて、次の時にはシドへと向けられていた。


「お前の誂えか」
「こう言う所に合うものを持ってなかったからな。折角だから、一通り」


 シドの言葉を受けて、またバルナバスの目はクライヴへ。
こうも人にまじまじと見られると言うのは、中々ないことだ。
クライヴは緩みかけていた背中をもう一度伸ばして、針の穴まで覗くかのように観察するバルナバスの気が済むのを待った。


「こいつに似合うように揃えたんだよ。悪くないだろ?」
「……他人の趣味に口を挟むつもりはない。お前が満足しているのなら良いのではないか。当人の意思はどうか知らないが」
「こいつも別に不満はないさ。だろう?」


 シドの声が突然こちらを向いたので、クライヴは、え、と目を丸くして、


「不満───は、特には、ないです。今回の事は急な話だったので、少々驚きましたが、準備にも付き合ってくれましたし」
「こっちの都合で引っ張り出したからな、それ位はするさ」


 最初に話をされた時の戸惑いを、今更ながらに思い出しつつ、それでも特に不満不服はないのだと言うクライヴに、シドが小さく笑みを浮かべて言った。

 さて、とシドは手元の空のグラスを手近なテーブルに返し、クライヴの手からもグラスを取る。


「良い時間だ、俺達はそろそろお暇しよう。肝心の奴に挨拶も済んだ事だしな」
「良いのか。パーティだってまだ続くのに、途中退席なんて」
「話は先に主催に通してあるから問題ない。クライヴ、先に荷物を回収して、外でタクシーを捕まえておいてくれ。俺は主催に挨拶が済んだら行く」


 パーティの開始前、荷物を預けたクロークの引き取り番号の札をポケットから取り出して、シドはそう指示した。
この場に慣れていないクライヴにしてみれば、シドがそう言うのならそうしよう、と言う以外に選べる選択肢もない。
分かった、と頷いて番号札を受け取った。

 常にシドの傍にいたクライヴが、一人離れた事で、ぽつぽつと声をかける者がいたが、此方は既に退席の予定だ。
当たり障りなく挨拶を返しながら、露骨な早足にはならないように気を付けて、出口へと向かう。
こう言った所は、経験が少ないとは言え、幼少の頃に父や叔父の下である程度の作法を習ったのが幸いであった。

 ────クライヴが会場を出て行くのを見送ってから、シドも退席の為、挨拶の必要な主催の姿を探す。
このタイミングなら恐らく、と大まかなあたりを考えながら会場内を見渡していると、


「……お前にああ言った趣味があるとは、意外だった」


 聞こえた声に首を巡らせれば、旧知の男────バルナバスが、クライヴの去った方向を向いたまま立っている。
その後ろでは、此方もシドにとっては見慣れた顔が、常と変わらぬ澄ました表情を浮かべている。
主従ともども、感情の読み取りにくい顔をしているのは、長い付き合いで判り切った事であった。

 そろそろ煙草が欲しい、とシドは懐に収めてありつつも、昨今の禁煙環境の広がりもあって、恋しいそれに手が伸びるの堪えながら、先のバルナバスの台詞に返す。


「俺の趣味が入ってるのは否定しないが、ちゃんとあいつの雰囲気に合わせたよ。悪目立ちはしてないだろう」


 今日のクライヴは、この明るい雰囲気のパーティの場で言えば、大人しい方だ。
ベーシックな色からは外してはいるものの、身に着けている色と言ったら、黒と赤のみ。
シドは、もう少し歌舞いたものを用いても良かったか、とも思うが、クライヴの持つ雰囲気は、どちらかと言えばクラシカルな方が合うだろう。
着用した本人が堂々と佇んでいれば、それだけで十分見栄えがする筈だ。

 クライヴ自身は、場の雰囲気に加え、衣装の持つ風合いにも馴染みがなかったからか、終始落ち着かない様子があった。
当分遠退いている実家の影を、来場客からちらほらと醸されるのも、彼にとっては少々ばつの悪い所もあったのかも知れない。
それでもおどおどと情けない風には映らないのは、場数の経験はなくとも、こうした場面での姿勢の悪さは、侮られる要因にしかならないと知っているからだろう。
緊張した様子が表情の端から伺えつつも、背筋だけはしっかりと伸ばしていたので、元の体格の良さも手伝って、悪印象にはなっていない。

 と、シドは今日のクライヴの井出達にそこそこ満足しているのだが、バルナバスが見ていたのはそれとも違う所だったらしい。


「あれは無知だな。無垢とも言うが。お前の選んだものを、疑いもせずに身に着けている」


 バルナバスの言葉は、直接的だ。
本人の前でそれを言わなかったのは、彼にしては温情と言って良いのだろう、とシドは考える。


「元々はお坊ちゃんだ。社会に出てから直ぐ、良くない所に捕まった。今、真っ当に勉強してる所だよ」
「お前が手本では偏るぞ。無垢を良い事に、染めようとしているだろう」
「そうまであいつは真っ白じゃないさ」


 結構頑固だしな、と呟きつつ、シドは踵を返す。


「じゃあ俺も行く。次はもう少し気安い酒が飲みたいもんだ」


 ゆっくり話をするのなら、その時に。
言外のシドの要望に、バルナバスからの応答はなかったが、少なくとも、次はもう少し腰を落ち着けて他愛のない話が出来る席にはなるだろう。
それが半年以上は先になるのもよくある事だ。
後ろに控えていた銀髪の秘書が此方を一瞥し、薄らと切れ長の眦を細めたのを見れば、此方の意図が伝わったことは十分に分かった。

 主催の人物を見付けて挨拶をし、誰かに捕まる前に足早に会場を出る。
賑々しかった空気は壁の向こうに遠退いて、静かなエレベーターを降りて外へ出ると、すぐ其処にクライヴが停めたタクシーと共に待っていた。