レイニーブルーの向こう側 SAMPLE  2 


 近付くにつれて、雨のカーテンに隠れ勝ちだった少年のシルエットがはっきりと浮かび上がって来る。
ジャケットから覗く腕が細く、厚みが足りないのを見て、華奢そうだな、とクラウドは思う。
色の白さも相俟って病的にも見えたが、不健康と言う程悪い色ではなさそうだ。
単純に血の気が薄いのだろう。
俯いている為に、長い前髪が目元を覆っており、少年の貌は殆ど見えない。
だが、唇は微かに蒼くなって見えた。
若しかしたら、降り続ける雨で体が冷えているのかも知れない。

 縮こまるように寄せた足元に、スポーツバッグが置かれている。
シルエットからの印象で、部活に精を出すようなスポーツマンには見えない。
バッグは大きく、家出少年が服やら何やらを詰め込んで持ち出すには十分な容量がありそうだったが、中央部分が大きく凹んでいるのを見るに、中身は余り詰まっていないようだ。

 少年の膝上に置かれた手元が光っている。
携帯電話の液晶画面のバックライトだった。
指は動いていないので、操作してはいないが、センサーが反応しているのか、バックライトは消えなかった。


(親に連絡するのを迷っている、とか。ありそうだな)


 思い切って家出をしたが、結局行く当てがなく、親に連絡して迎えに来て貰おうか悩んでいる、と言うのは想像がし易かった。
クラウドも嘗て似たような経緯を踏んだからだ。
あの時は恥ずかしかった、と思いつつ、クラウドはバス停の屋根の下へと到着した。


(さて……)


 此処まで来てしまったが、次はどうしたものだろう。
足の向くままに来たが、何をしようとも、何を言おうとも考えていなかった。
そもそも、この少年に声をかけても良いものだろうか。
昨今は困った様子の子供に善意で声をかけるだけで、防犯ブザーが鳴り響く時代である。
目の前にいるのは小さな子供ではないが、同様の事が起こらないとは言えない。
そのリスクを背負ってまで、家出(と思しき)少年に声をかける意味はあるのだろうか。

 そんな事を考えていると、ゆら、と少年の頭が微かに揺れた。
石のように動かなかった体がふるりと震えたのが見えて、寒いんだな、そうだろうな、とクラウドは思った。
いつからこのバス停にいるのか知らないが、雨のお陰で気温はすっかり下がり、秋の宵と言って相違ない。
そんな気温の中、制服のジャケットを着ているとは言え、夏仕様の薄手の布地では防寒にはなるまい。
よくよく見れば肩は薄らと濡れているし、スラックスの裾も水が染みている。
早く帰って着替えないと、風邪を引いてしまうだろう。

 タオルか何か買って来ようか。
そんな事を考えていると、また少年の頭が揺れる。
何かを振り切るように首を左右に振った後、少年は顔を上げた。
陰に隠れていた顔が露わになると、クラウドはその面を見て目を瞠る。

 蒼灰色の瞳と、桜色の唇。
少年の人形めいた整った主立ちと合わさって、やや作り物めいて見えたが、瞳の奥にはゆらゆらと憂いの感情が滲んでいる。
首や手と同じく、頬は白くて陶器のようだ。
いや、幽霊か。
両足は靴の爪先まできちんとあるので、生きている人間である事は判っていたが、余りにも儚い印象に見えてクラウドはそんなことを考えていた。
放って置くと自殺でもしに行きそうな程、少年は生の活力と言うものが感じられなかったのだ。

 その少年の瞳が、ゆっくりと動く。
濁りのない、深い海の底でしか見られない、透き通った蒼い宝石のような瞳だ。
其処にバス停の正面にあるカフェバーのネオンライトがちかちかと反射している。
だがそれよりもクラウドの目を引いたのは、双眸に挟まれた眉間に走る、大きな斜め傷だ。
人と向かい合えば間違いなく目についてしまう場所にある、鋭利な刃物で切り裂かれたようなその傷は、皮膚が繋がり再生した痕跡だった。
見る限りでは余りアクティブでもなく、大人しそうな優等生と言った雰囲気の少年が、どうしてそんな場所に大きな傷を作ったのか───と沸いた疑問に意識が傾いていると、クラウドを捉えた少年の瞳がぎゅう、と顰められる。


「………」
(……これは、睨まれている───よな?)


 少年は薄い唇を真一文字に噤んでいたが、クラウドは「なんだよ?」と言う少年の声を聞いた気がした。
見知らぬ人間が傍らに立ち尽くし、じっと自分を見詰めているのだから、そんな事も言いたくなるし、渋い顔も出るだろう。

 取り敢えず、クラウドは少年の前を横切って、並ぶ椅子の反対側の端に座った。
此処ならクラウドが腕を伸ばしても、少年の体に届く事はない。
濡れた傘を閉じて、コツコツと先端を地面に当てて水気を落としていると、横から突き刺さる視線があった。
どうやら、警戒心は常識的には持っているらしい。


(その割に、此処を離れようともしないと言う事は、容易く移動する当てもないと言う事か。いや、雨の所為もあるか……)


 数時間前の土砂降りに比べればマシにはなったが、まだ雨量は多い。
見た所、少年は傘を持っていなかった。
鞄の中に折り畳み傘でも入っているかも知れないが、取り出そうとする様子はない。
ただクラウドを警戒し、睨んでいるだけだ。

 何と声をかけたものかと考えたクラウドだったが、既に少年には警戒心を持たれている。
一挙手一投足を見逃すまいと睨み付けている目を見れば、クラウドがどんなに趣向を凝らしたユニークな発言をしても、顔を顰めるだけだろう。
ヤバい奴に捕まった、位は思われるかも知れない。
そう思えば、回りくどい言葉は無意味だと開き直った。

 ふう、と一つ息を吐くのは、クラウドとて決して見知らぬ人間と喋るのが得意ではないと言う気持ちの表れだ。
が、それだけでこの少年の存在を見て見ぬふりをするには、既に物理的な距離が近い。


「一人か?」
「!」


 前置きも何もかもを飛ばして、クラウドは端的に訪ねた。
それが自分へ向けられた言葉である事は、少年も察したらしく、驚いたように目を丸くして僅かに身を退く。
椅子に座ったままで逃げる距離などないが、少しでも危険から体を逃がそうとしているのが判る。

 クラウドは視線は正面へ、二つ向こうの隣に座っている少年の顔は見ないまま、じっと反応を待った。
少年は足元に置いていたバッグに手を伸ばし、物音を立てないように、ゆっくりとバッグを持ち上げる。
何かあれば直ぐに逃げられるように、或いは防御が出来るようにだろうか。
その様子を、クラウドは向かい合ったカフェバーのガラス窓から眺めつつ、


「驚かせて悪かったな。ずっと此処にいるように見えたから、何処か具合でも悪いのかと思ったんだ」
「……」
「此処の路線は、もう最終が出てしまったし、待っていても次のバスは来ないぞ。迎えの当てがあるなら良いが、そうでないならタクシーを呼んだ方が良い」
「……」
「学生服がこんな所にいて、警察にでも見つかったら、色々と面倒だぞ」


 家に帰った方が良いぞ、とクラウドは言わなかった。
こんな場所でじっとしている少年が、帰れと言われて素直に帰るとも思えなかったからだ。
だから家出少年か否かは聞かず、暗に厄介事を避けたいなら、帰るか身を隠せる場所に移動した方が良い、と促してみる。

 少年はクラウドを睨んだまま、ぐっと唇を噛んでいる。
余計なお世話だ、とでも言い返してくるかと思ったが、少年は何も言わなかった。
蒼の瞳がまた俯いて、何とも言い難い表情を浮かべている。


(これは、単純な家出云々より、込み入った事情がありそうだな)


 感情を堪え、抑え込んでいるような少年の表情を見て、クラウドはそう考えた。




----レイニーブルーの向こう側 p18〜p20