[ウォルスコ]過日に馳せた想いの丈に
記念日と言うものを、大事にしたがる人間がいると言うことは、知っていた。
今のスコールにとっては自分の誕生日ですらそれほど特別には思わないのだが、ことに父がそう言ったものをよくよく気にする人なのだ。
元々そう言う気質だと言うのもあるが、恐らくは、スコールが子供の時、誕生日を初めとして、様々な行事ごとを喜んでいたと言う思い出があるからだろう。
もうそんな子供じゃない、とスコールは思うのだが、誕生日プレゼントだとか、受験に合格した祝いだとか、入学祝だとか、それに必要なものを探し回る父は、存外と楽しそうで、其処に水を差すのは聊か憚られた。
幼い頃のように、無邪気に喜んで見せられない息子に、どうしてそんなにも、と思う事はある。
だが、差し出されたものを受け取った時、ほっと嬉しそうな表情を浮かべる父を見ていると、彼が飽きない間は付き合っても良い、とは思っていた。
そして子供の頃のスコールも、幼いなりに、父に喜んでほしくて、そう言った行事にあやかることもあった。
まだあの頃は素直だったと自分でも自覚があるので、お絵描きだとか、手作りの金メダルだとか、肩叩き券だとか───子供が一人で準備ができる範囲など知れているから、そう言うものばかりだったと記憶しているが、父はそれを随分と喜んだ。
息子からの贈り物を、大事にするよ、と言った彼は、その言葉通り、今でも幼いスコールが贈った手作りの品々を手元に残している。
経年劣化だって激しいだろうに、絵の具なんて変色もするのに、彼は大事に大事にしまい込んでいた。
スコールにしてみると、朧な記憶に思い出した品々は、照れ臭いのと恥ずかしいのと、あまりに稚拙なので処分してしまいたいのだが、黙って片付けてしまったら、父はきっと悲しむだろう。
だから、自分に見えない所にある分は仕方ないと割り切って、敢えて触れないようにしている。
成長するにつれ、こうした行事ごとへの関心は、スコールの中で薄れて行った。
年始にやってくる父の誕生日については、この時期に開いているケーキ屋を探して2ピースの誕生日ケーキを買い、年末までに確保して置いたプレゼントを渡しているが、それ位のことだ。
世には『某の日』と名を付けて、毎日のように色々な記念日が制定されているそうだが、ほぼほぼスコールにとっては関係のない話であった。
だが、今年からそれも少し変わった。
スコールにとって、唯一無二と言える、心を寄せる相手が出来たのだ。
父ラグナの海外での仕事が増加し、家に帰れる時間が減るにつれ、事実上の独り暮らしと言う生活になったのは、高校一年生になって間もない頃。
小さな子供ではないのだとスコールは問題のないつもりでいたのだが、どうにも過保護な所があるラグナである。
既に一ヵ月の半分も帰るのが精々と言う状態だったのを、ラグナは痛く心配し、自分が母国に不在の間、スコールの幼馴染であるウォーリアの下へと預けたいと言い出した。
判り易く子供扱いされているとスコールは反発したのだが、「だって最近って物騒だろ」と真剣に弱り切った顔で言う父親の後ろでは、正しく一人暮らしの学生を狙った窃盗事件が起きていた。
それなりにセキュリティの固い住まいではあるものの、それでも決して油断はできないのが世の常だ。
“一人にならない”と言うのは、安全を確保する上で十分に有効なことであり、未成年ならば尚のこと、大人の介添えがあることは大きな意味と、犯罪者への牽制として抑止力になる。
だからラグナは、大事な大事な一人息子を、最も信頼できる人物の下へと預けたのだ。
ウォーリアの方はと言えば、スコールよりも8つ年上で、既に社会人として働いている。
スコールは「急に転がり込むなんて迷惑だろ」と言ったが、ラグナはスコールに話す前に、既に彼と話をつけていた。
彼は迷う素振りもなく、あの真っ直ぐな眼差しで「引き受けよう」と言ったそうだ。
そうしてスコールとウォーリアの同居生活は始まった。
父が帰ってくる時は実家に戻るので、ウォーリアの居宅で過ごすのは、月の半分ほどであるが、二人の距離を縮めるには十分な時間が持てた。
元々スコールにとって、ウォーリアと言う存在は特別なのだ。
幼年の頃から、歳の離れた兄のように慕いながら、憧れに混じって無自覚の恋情があり、それが同居生活の中で急速に花開いて行った。
その生活はスコールにとって、時に息苦しく悩みの元ともなっていたが、ウォーリアがスコールの感情を全て受け止めてくれた事で、無事に昇華されることとなる。
不安症のきらいがあるスコールは、様々に過ぎる思いに自ら振り回されることも多いが、何よりもウォーリアが絶対の自信と信頼を持って、年下の恋人を包み込んでくれるのだ。
お陰で、最近はようやく、恋人と共に過ごせる時間と言うものを、スコールは受け止められるようになってきた。
だから少しだけ、特別な日と言うものを作って、意識しても良いかも知れない、と思ったのだ。
それはスコールにとって細やかな思い付きでしかなく、今後繰り返していくかも判らないものだったが、今年くらいは、と。
恋人同士と言う関係になってから、いつの間にか一年が過ぎようとしていたから、折角だから、と。
(……はしゃいでたな、俺)
人気のないリビングのソファに、項垂れるように座って、溜息と共に独り言ちた。
カレンダーの日付に、気付かれないようにと、ごくごく小さくつけた点の印。
色の薄い水色のマーカーで、近付かなければ判らないようにと描いたそれは、スコールだけが覚えていれば良いものだった。
だからそんな判り難い印にしたのだが、そんな事をするのも、今日と言う日を待ちわびるように浮かれていた自分を象徴しているように見えた。
その印がついた日から、三日が過ぎた今日、恋人宅で過ごす時間は酷く静かだ。
いる筈の家主はおらず、間借り的に同居している自分だけがいる空間は、実家で過ごす一人暮らし同然の日々と変わらない。
けれども、本来はそんな予定ではなかったのだ。
少なくとも、カレンダーの日付にマーカーのインクを乗せた時には。
(……そろそろ帰ってくる。飯を作ろう)
家主であり、恋人であるウォーリアは、三日前の朝、出張に行った。
それは急な連絡から決まったことで、病欠の同僚に代わって、席を埋めねばならない為のピンチヒッター。
彼がマーカーの印を、その意味を知らない以上は無理もなく、スコールも伝えるつもりはなかったから、優先すべき事柄で予定が上塗りされてしまうのは仕方がない。
だが、真面目な彼がそれを受け取ったことを聞いた時、スコールは自分が判り易く拗ねた顔をしていた自覚がある。
「すまない」と謝罪とともに頬に触れた手と、彼のアイスブルーの瞳に映る自分の顔の酷さに、喉まで出かかった我儘を飲み込むのが精一杯だった。
そして三日前、まさにマーカーに印がついたその日に、彼は家を空けた。
残ったスコールは、父も帰ってくる予定はないし、実家に帰った所で結局は一人であるから、束の間の一人暮らし再来だ。
たった三日、されど三日のその時間は、もうあと少しで終わるだろう。
帰って来た彼を迎える為にも、いつものように、夕飯を作っておかないと、とようやく重い腰を上げた。
スコールが来るまで、コーヒーを淹れる時くらいしか使われることがなかったと言うキッチン。
今ではすっかり生活臭のある其処で、いつものように料理の仕込みを始める。
(いつも通りの飯で良いよな、もう。どうせ大した日じゃないんだから)
三日前は、少しだけ張り切った食事でも用意しようかと思っていた。
特別に金をかけるようなことはないけれど、厚みのある肉を買っても良いなとか、時間がかかる煮込みものに手間暇をかけても良いなとか、そんな風に。
けれども、何もかもがご破算となり、印の日付も過ぎた今、スコールはすっかり冷静である。
寧ろ冷めてしまったと言っても過言ではなく、今改めて浮つく気にもならなくて、取り敢えず日常へ戻る為の準備をするのが精々であった。
仕事と遠方への往復で、きっと疲れて帰ってくるであろうウォーリアに、せめて温かいものを用意しておきたい。
スープ系で良いだろうか、腹の減り具合が判らないから、具は肉と野菜と織り交ぜて、出す時にどれくらい食べられるかを確認するのが良いだろう。
慣れた手で野菜を刻み、スープの出汁にしながら火を通す傍ら、挽肉にスパイスを混ぜて、一口サイズの肉団子を作っていく。
多めの油で肉団子の表面を焼いた後、スープの具に加えて、弱火でじっくりコトコトと煮込んだ。
実の所、こうしてスコールがキッチンに立つのは、二日ぶりのことだ。
一人で食べる為だけに食事を作ると言う労力をこなす気にはならなかったし、咎める者もいないから、小さなコンビニ弁当で十分だった。
朝はパン一つとインスタントのコーヒーで済ませ、昼については食べていない。
元々、自分自身が食事にこだわりがある訳ではなく、一食程度は抜いても問題ないタイプだ。
同居人が───父にしろ、恋人にしろ───心配するから、きっちり三食、食べられる程度に食べている、と言うのがスコールの食への意識である。
それに加え、恋人が向かいにいない、と言う環境での食事がどうにも落ち着かなくて、然程に食欲も沸かなかった。
でも、今日はもう日常に戻らねば。
今日の昼も食べていない、なんてことが恋人に知られたら、きっと困った顔をさせるに違いない。
彼はスコールを滅多に叱る事はなかったが、その代わり、なんと言ったら良いものか、と言った風に眉尻を下げる事があった。
傍目にはあまり表情が変わっていないように見えるそうだが、付き合いが長く、彼をよく知っているスコールにはすぐ判る。
ああ、困らせている───と悟った瞬間、スコールの心は急速に申し訳なさで萎むものであった。
(綺麗な顔してる癖に、あんな表情するから、すごく悪いことをしてるような気分になるんだよな……)
くつくつと煮込んだ鍋をくるりと掻き混ぜながら、スコールは思う。
元より自分の我儘が顔に出るのが原因であることは判っているが、あの顔であの表情はずるい、と。
メインのスープに、サラダの新しい作り置きも出来て、あとは予約時間に米が焚ければ良い。
あとは帰ってくるのを待つだけ、とキッチンの片付けも終えて、水気のある手をタオルで拭いていると、帰宅の合図に玄関の鍵が鳴る音を聞いた。
(帰って来た)
浮つく気持ちなどとうに萎えた癖に、急にそわりと足が動いた。
急ぐようにキッチンを出て、玄関へと向かえば、靴を脱いでいるスーツ姿の恋人───ウォーリアがいる。
「おかえり」
「ああ、ただいま」
普段から無精にしている銀色の髪が、今日はすこしばかり草臥れている。
疲れていると判る眦が、此方を映した一瞬、柔らかく細められたのを見て、スコールは少し嬉しくなった。
床に置かれていたウォーリアの鞄を拾って、いつものように、彼の上着も脱がせようとした時だ。
「スコール」
「なんだ」
「これを君に」
そう言ってウォーリアは、上着のポケットから小さな箱を取り出した。
シンプルな紺色で、ウォーリアの大きな手には収まるサイズのそれは、控えめで上質な光沢を帯びている。
恐らくはジュエリーボックスと思われるが、唐突に差し出された箱に、スコールはぽかんと立ち尽くした。
ウォーリアは、口を半開きにしているスコールの手を取り、そっと箱を其処に重ねる。
手のひらに触れたものの感触に、ようやくスコールがそれを握ると、ウォーリアの唇が優しく緩んだ。
「これ……なんだ?」
ぴったりと口を閉じている箱を見つめて問うスコールに、ウォーリアは三日ぶりの恋人の頬を撫でながら、
「指輪だ」
「は?」
「君が好むものとは趣が違うと思うが、良ければ受け取って欲しい」
突然の出来事に、益々目を丸くするスコールを、ウォーリアは細めた瞳でじっと見つめている。
平時、その顔の整いようも相俟って、目力の強さに他者を圧倒することが多いウォーリアだが、スコールを見つめる眼差しはいつも優しくて慈愛に溢れている。
それがスコールには、未だに気恥ずかしさを誘うものがあるのだが、今この時ばかりは、そんなことに意識を攫われる余裕もなかった。
スコールがそうっと箱の蓋を持ち上げてみると、贈り主の言葉通り、飾り気のないシンプルなシルバーの指輪が納められていた。
よくよく見ると刻印が施され、スコールとウォーリアの名がイニシャルで彫られている。
一切の曇りのない銀色の光沢は、その指輪がとても品質の良いものであることを示していた。
「……これ……」
「本当は、三日前に渡そうと思っていたのだが」
「……三日前?」
「あの日、朝か、帰った時にこれを君に渡そうと思って、鞄の中に入れたままにしていた。結局それが出来ずに、持って行ってしまっていたから、帰ったらまず先に渡さねばと思っていたのだ」
そう言えば、とスコールは朧な記憶を辿ってみる。
その日は、朝から慌ただしかった。
緊急の代理として仕事に向かわなければならないと決まったのは、前日の夜のことで、ウォーリアはものの数時間で出張に必要な物事を整えなければならなかった。
出発の時間も迫り、とにかく忘れ物がないことだけを、二人で再三に確認して、ようやく彼は家を出る。
あの時、家を出ようとする直前に、ウォーリアが何か物言いたげな顔をしていたような気がしたが、それより仕事を遅らせる方が良くないと、強引に背中を押し出した。
ウォーリアは玄関を出ると、既にマンションの下に止まっていたタクシーを見付け、急いで降りて行った。
だから、こんなものをウォーリアが持っていたなんて、スコールは全く知らなかったし、思いもしていなかった。
そう言った経緯があって、今此処に至るのだと言うウォーリアに、スコールは、
「……そう、か。いや、それよりあんた、三日前って」
突然のプレゼントが、どうして今この時に渡されたのか、それは判った。
だが、そもそも、ウォーリアが何故これを用意したのか、と言う点が不明瞭なままである。
スコールの脳裏に、カレンダーにつけていた密やかな印が浮かぶ。
けれど、その日は何か判り易いことがあった訳ではなく、ただ自分が勝手に意識をしていただけのもの。
きっと他の誰も気にしはしないと、スコールはそう思っていたのだが、
「一年前のあの日、君は私に自分の気持ちを伝えてくれた。だから今度は、私が君に伝えたいと思ったのだ。私にとってあの日はとても特別なものになったから、今度は君に、その喜びを感じてくれたらと」
ウォーリアの言葉に、スコールの瞳が徐々に大きくなって行く。
そんな彼の前では、ウォーリアが眉尻を下げ、「結局、酷く遅くなってしまったのだが…」と申し訳なさそうに呟いているが、それは殆ど聞こえなかった。
ばくばくと鳴る心臓の音が煩い。
ああ、こんな事ならちゃんとやる気を出して、あの日の本来の予定のように、もっと豪華な夕飯にすれば良かった。
浮つく気持ちが冷めていた自分に、何をやっていたのだと手のひら返しをしながら、スコールは目の前の男に抱き着いた。
スーツ越しにも分かる熱い胸板に顔を埋め、真っ赤になった顔を隠す少年を、ウォーリアはくすりと笑って、その背に腕を回す。
「スコール。私の気持ちを、受け取って貰えるだろうか」
問う声は、きっと敢えてのことではなく、真摯に聞いているのだろう。
指輪はスコールの趣味とは違うし、本来の予定からもズレているしと、ウォーリアにとってもきっと予定は滅茶苦茶になっているのだ。
それでも渡したいと、スコールに想いを伝えたいと、愚直なほどに真っ直ぐな眼差しに、スコールは胸の奥と一緒に目尻まで熱くなる。
問いの返事は、音に出来そうになかったから、無音と唇に乗せて明け渡した。
1月8日だったので。
諸事で書く時間が取れなくて完全に遅刻ですが、やっぱり書きたかったので書いた。
スコールは記念日と言うものは意識するほど意識しなくちゃいけなくなるので面倒臭い、ウォーリアは人の記念日ならば相手を尊重する気持ちで意識するけど自分個人のことには特別性を持たない。
と言う二人だった訳ですが、晴れて恋人同士になれた日のことは、思い返すとやっぱり特別だと意識するようになって、某かこっそり準備したりしてると私が楽しい。