[8親子]キープアウトの理由は秘密
コーヒーブレイクをしようとキッチンに行ったら、末っ子と娘に「入っちゃだめ!」と怒られてしまった。
だめだめ、入らないで、見ないで、とぐいぐいと押し出す力に、おやおやと思いながら後ろ足を数歩。
その時、キッチンの奥からは、ほんのりと甘い香りが漂っていた。
仕方がないので自室に戻り、休憩のつもりで途中にしていたパソコンの前に座り直す。
しかしどうにも集中できなくて、なんでも良いから摘まみたいなあ、と思っていると、ノックが聞こえた。
寂しがり屋の末っ子がいつでも入って来れるように、部屋のドアは滅多に鍵をかけていない。
今日も相変わらず鍵は開けたままだったから、「開いてるよー」と返事をすると、ドアを開けたのは長男だった。
「コーヒー、持って来たよ。俺が淹れたから、味はちょっと判らないけど」
「お。ありがとう、レオン」
気の利く息子の手には、コーヒーとクッキーを乗せたトレイがある。
パソコンの置いてあるテーブルの端にそれを置いて貰って、早速コーヒーに口をつけた。
普段、妻が淹れてくれるコーヒーに比べると、それは少しばかり苦味が強かったが、
「うん、美味いよ。レオンは何でも上手に出来るなぁ」
褒めちぎる父の言葉に、思春期なレオンは少しばかり恥ずかしそうに眉尻を下げて苦笑する。
ラグナはそんな息子の顔も気にはせず、淹れたてのコーヒーの香りと味を楽しんでいた。
「さっきキッチンに皆いたみたいだけど、何かしてるのか?」
「ああ───まあ、うん。色々と」
雑談の気持ちで言ったラグナに対し、レオンの返事は少しばかり拙い。
なんでも判り易く、はっきりと返事をしてくれるしっかり者の長男にしては珍しい反応だ。
レオンは閉じた部屋のドアを見遣って、ふむ、と口元に指を宛てている。
何かを考えている時の仕草だと、ラグナは彼の考え事が住むのを、クッキーを齧りながらのんびりと待つ。
クッキーは妻が子供たちの為に、週に一度は焼いてくれるもので、練り込まれたアーモンドの風味が美味しい。
残り二枚をさっさと食べてしまうのは勿体無いなと、コーヒーの当てにのんびり食べようと思う。
「……父さん」
「ん?」
「今日の仕事は忙しいか?」
「其処まででもないよ。どした、なんか用事ある?何処か行きたいなら、車は出せるよ」
年始のこの時期、いつも子供たちが遊びに行くような遊戯施設は、大抵、休みの看板を掲げている。
昨今は早い内に店が開くことも多いものだが、もう後一日くらいはしないと、平常の運営体制には戻らないだろう。
だからこそのんびりと休める人もいるものの、元気のあり余った子供たちにとっては、家で過ごすことに飽きてしまうのも儘あること。
ちょっと離れた場所にある運動公園なら、時期に限らず遊べるし、ラグナの気分転換も兼ねて、ちょっとドライブに出掛けるのも良いだろう。
と、ラグナは思ったのだが、レオンは緩く首を横に振った。
いや、そう言う訳じゃないんだ。ただ、その───」
レオンは少し言い難そうに言い淀み、言葉を探して視線を彷徨わせる。
が、結局は遠回しな言い方に意味はないと思い、一番判り易く言った。
「悪いけど、今日はキッチンとリビングには来ないで欲しいんだ。俺達が入って良いって言うまで」
「んん?」
息子の申し出に、ラグナはことんと首を傾げた。
レウァール家にとって、キッチンは一家の生活の中心である母レインの城である。
其処に在るのは、設備も道具も、レインがこだわって選んだものばかりだから、物によってはお触り禁止のアイテムもあったりする。
とは言え、基本的に躾の良い子供たち────母の手伝いに慣れたレオンは勿論、追ってそれを援けるエルオーネ、兄姉の真似事が楽しい年頃のスコールと、彼等が台所ものものを勝手にあれこれと触ることは先ずない。
そしてラグナはと言うと、台所には妻お気に入りの茶器が多くあることを知っているから、コーヒーを自分で淹れる時以外に、其処に入ることはなかった。
反対にリビングはと言うと、一家の憩いの場所として、其処にはいつも人の気配が絶えなかった。
子供達は既にそれぞれの部屋があるのだが、自分の部屋で勉強に集中することがあるレオンは別にして、エルオーネはまだまだ見守る目がないと宿題に手を付けない事が多い為、リビングで勉強道具を拡げていることが多い。
スコールは寂しがり屋で、一人で過ごすことが苦手だから、必ず誰かがいるであろうリビングにいた。
そしてラグナも、持ち帰った仕事に集中すると言う時を除けば、リビングで子供達と一緒にテレビを見たり、ゲームをしたり。
キッチンはともかく、リビングに入らないでくれと言うのは、中々珍しいお願いだ。
「入らないでくれって言うなら、そりゃあ構わないけど。なんで?」
「なんでと言われると、俺からはちょっと……」
純な疑問を訊ねてみれば、レオンはまた眉尻を下げて言い淀む。
弱り切った表情を浮かべる長男であったが、その表情は困ってはいるものの、切羽詰まっている程でもない。
ただ少しばかり、言い難い、或いはあまり言いたくない、と言う雰囲気が滲んでいる。
ラグナが首を傾げていると、コンコン、とドアをノックする音がした。
ラグナが「はーい」と返事をすると、ドアノブがカチャッと回って、開いた隙間からくりくりとした蒼灰色がそぉっと覗き込んで来た。
「おっ、スコール。どした?」
「……」
顔半分を覗かせる末っ子は、もじもじとした様子で此方を見ている。
円らな瞳が忙しなく動いて、どうやら父と兄とを交互に見ているようだった。
物言いたげなその様子に、ラグナは何度目か首を傾げていたが、兄の方は弟の視線の意味を察したらしく、
「ああ、すぐ戻るよ」
「うん」
兄の言葉を聞いて、末っ子はほっとした表情を浮かべる。
スコールはきょとんとしている父の顔を見ると、ひらひらと手を振って、ぱたんとドアを閉めた。
ぱたぱたと小さな足音が聞こえなくなってから、さて、とレオンが軽く伸びをする。
「じゃあ、俺も戻るよ」
「戻るって、キッチン?」
「ああ」
「何してるんだ?さっきも皆いた気がするけど」
どうやら今日のラグナはキッチンに立ち入り禁止令が出ているようだが、ついさっき、コーヒーを求めて入った時には、其処には家族皆が揃っていた。
キッチンの主であるレインは勿論、ラグナを其処から追い出したエルオーネとスコール、そして今こうして向き合っているレオンも。
皆がいるのに自分は入っちゃ駄目なんて、となんとなく寂しくなって拗ねた顔を作る父に、レオンはまた困ったように眉尻を下げて苦笑を浮かべる。
「何と言われても。秘密だから言えないんだ」
「秘密?」
「ああ。秘密」
そう言って肩を竦めるレオンの眼は、秘密があると明かす事で、これ以上の質問は勘弁して欲しい、と訴えている。
「キッチンが終わったら、次はリビングなんだ」
「次?」
「全部終わったら、ちゃんと呼ぶよ」
「うーん」
「順調なら夕方には終わると思う」
「夕方……」
「晩ご飯は作らないといけないし。だから多分、それまでだと思うんだ」
何をしている、とレオンは決して言わなかった。
なんとなく、そう言う風に妹や弟と約束しているのだろうな、とラグナは感じ取る。
まだまだ幼い二人に比べると、よくよく周りを見て気遣いの出来る兄だから、“何か”を楽しんでいる妹弟の邪魔をしたくはないのだろう。
その為に、少々仲間外れにする事を許して欲しい、と妻とよく似たお喋りな瞳は言った。
皆が一所に集まっているのに、自分は其処に行ってはいけない、というのはラグナにとってなんとも寂しいものだが、“何か”を精一杯に隠そうとしている子供達の気持ちを無碍には出来ない。
何より、今ばかりは仲間外れになってはいるが、母も傍にいるようだし、彼等のことだ。
決して悪いことを企むようなことはしないと信じているから、ラグナもまあ良いか、と思うことにした。
「行っても大丈夫になったら、呼んでくれるんだよな」
「ああ」
「判った。じゃあそれまで、此処でお仕事頑張ってるよ」
「ありがとう。コーヒーのお代わり、あった方が良いか?」
「いや、大丈夫。そんなに長くやるつもりもなかったからさ」
仕事は締め切りがあるからと手を付けたが、幸いにも、明日明後日までに仕上げなければならない程に急いではいない。
今日の内に出来ることも限られていたものだし、それだけ済ませて置けば良い。
後は、夕方までどうやって時間を潰すか、そんな平和な悩みが追加されただけだ。
父の言葉に、レオンは「そうか」と言って、今度こそ部屋を出ていく。
ドアを開けると、中々帰って来ない彼に焦れたのか、兄の名を呼ぶ妹弟の声が聞こえた。
「レオン、早く。生クリームが溶けちゃう」
「お兄ちゃん、お母さんがチョコペンのチョコ、準備できたって」
「悪い、今戻るよ」
レオンが返事をすると、スコールとエルオーネの「早くね」と言う声があった。
恐らくは、その声もラグナは聞かない方が良かったのだろう。
しかし高くてよく通る子供達の声は、部屋の奥にいたラグナの耳にもしっかり届いてしまっていた。
(生クリームと、チョコ)
子供達にとっては、大好きなおやつだ。
レインはよくそれらを使って、見た目も華やかなデザート作り、子供達の目と舌を虜にしている。
とは言え、おやつを楽しむ為に皆がキッチンに集まると言うのもないだろう。
それなら子供達はリビングにいるだろうし、ラグナだけ仲間外れにされる事もない筈。
何してるんだろうなあ、とラグナがパソコンに向き直ろうとして、その前に目に入ったのは、壁掛けのカレンダーだ。
三日前に新しくなった月別カレンダーの、今日を差す日付が、まるでラグナを導くように目に留まる。
ぱち、ぱち、ぱち、とまるでパズルのピースが嵌るように、ラグナの頭の中で、情報が一つの形を成していく。
「─────あ」
思わず零れた声は、ドアを目る間際の息子の耳に届いたらしい。
振り返ったラグナが見たのは、人差し指を口元に宛て、小さく笑う息子の顔だった。
静かな部屋に一人残されて、ラグナは頬が判り易く緩むのを堪ええられない。
きっと気付かない方が、思い出さない方が良かったのだろうと思うが、判ってしまったものは仕方がなかった。
ならばせめて、何も思い出していない事にして、次に子供達が呼びに来るのを待つとしよう。
そして子供達が一所懸命に準備してくれたものを見て、目一杯に驚いて喜んでやろうと心に決めた。
レオンが淹れてくれた少し苦いコーヒーを飲みながら、頭が冴えてしまったのはこれの所為なのかな、と笑った。
ラグナ誕生日おめでとう、と言うことでうちの8親子ファミリーで。
ラグナが自室で仕事に勤しんでいる間に、皆でケーキとおめでとうパーティの準備をしている訳です。
その真っ最中にラグナがキッチンにやって来たので、ケーキを焼いてた子供達が大慌てして、「入っちゃダメ!」になったんですね。
なんだかんだで察しちゃったラグナですが、どんなことをしてくれるのか、どんなケーキを頑張って作ってくれているのかは知らないので、楽しみに待ってる。