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2018年10月
保育園に預けている、年の離れた弟を迎えに行くと、其処はいつもよりも少し風景が違っていた。
沢山の人が集まる空間を苦手としているスコールの為、保育園はこじんまりとした所を選んだ。
小さいとは言っても、常時20人以上は子供の姿があるのだが、人口密度の高い都内に構えられた施設としては、細やかなものだ。
昨今、何処の保育園も人数枠は埋まっているもので、この保育園も例に漏れず常に満席状態だったのだが、当時2歳だったスコールは運良く空きに滑り込む事が出来た。
気難しく、環境の変化に中々馴染めないタイプなので心配は尽きなかったが、幸いにも友達も出来、保育士からも「楽しそうにしてますよ」と言う言葉が貰えた。
実際に迎えに来た事を秘密にして、こっそり様子を伺っていた事もあったのだが、同じ年の子供とお絵描きをしていたり、本を読んでいたりと、のんびりと過ごしている。
それを見てレオンもようやく、これなら大丈夫、と安心した。
入園してから3年が経ち、5歳になった今でも、スコールは同じ保育園に通っている。
レオンの仕事が忙しくなるに連れ、迎えに行ける時間が遅くなり、寂しい思いもさせているのだろうとは思うが、こればかりは調整が難しい。
出来る限り早く上がれるように、定時の早い部署に移して貰おうか、とも考えているのだが、上司がレオンの仕事ぶりを痛く気に入ってくれているようで、手放したがらないのが現実だった。
それならいっそ人手を増やしてくれれば良いのに、と思うのだが、今時は何処も人手不足で、そう簡単に人の派遣が出来ないらしい。
何よりも弟を大事にしたいレオンにとっては、歯痒い事だ。
今日もレオンは定時を過ぎて、ようやく会社を出る事が出来た。
時刻は午後7時を過ぎており、秋も深まる今の季節では、空は完全に夜と呼ばれる色になっている。
職場の直近の駅から電車に飛び乗って、保育園の最寄の駅で降りてからは、全速力の毎日だ。
幼い弟と自分と言う二人暮らしの生活であるから、延長保育に頼らざるを得ないのは仕方のない事であるが、しかし甘えん坊の弟に寂しい思いをさせているのは事実だから、せめて出来るだけ早く彼を迎えに行きたかった。
そうしてようやく到着した保育園は、見慣れた景色とは少し様相が変わっている。
園の門柱には、星マークの大きなシールが貼られている他、カボチャやコウモリのカットイラストがラミネートされて飾られている。
前に来た時には見なかったそれらに、おや、と思いながら中に入ると、園舎もまた少し趣が変わっていた。
小さなグラウンドと園舎を直接結んでいる周り廊下の窓越しに、沢山の小さなカボチャが並んでいる。
カボチャには様々な顔がマジックペンで描かれており、子供達の作品である事が一目で判った。
スコールが作ったカボチャはどれかな、と横目に眺めつつ、レオンは園舎へと入る。
「こんばんわ。遅くなりました、レオンハートです」
「ああ、お兄さん。お疲れ様です」
タイミングよく園舎の玄関を通りがかったのは、恰幅の良い体型をした男性───保育園の延長であるシド・クレイマーだった。
シドはにこりと穏やかな笑みを浮かべ、「直ぐに呼んできますね」と言って遊戯室へと向かう。
弟のスコールは、1分と待たない内にやって来た。
ぱたぱたと軽い足音を立てながら、廊下の向こうから駆けて来る弟を見て、レオンはくすりと笑う。
「お兄ちゃん!」
「遅くなってごめんな、スコール」
両手を一杯に広げて駆け寄ってきた弟を、レオンも両腕を拡げて抱きとめる。
ぎゅうっと目一杯抱き着いて来るスコールの頭を撫でれば、その濃茶色の髪に乗っている三角帽子がずるっと傾いた。
一頻り抱き締めて体を離すと、レオンはスコールの格好をしげしげと眺めた。
黒い三角帽子と、黒いマントに、右手には星のついた棒を持っている。
この棒は魔法のスティックかな、と思いつつ、
「随分可愛いな、スコール。魔法使いになったみたいだ」
「そうだよ。ぼく、まほう使いになったの!」
兄の言葉に、スコールが嬉しそうに言う。
格好から入ってなりきっているのだろう、スコールは見て見て、と言ってマントを広げて見せる。
ファッションショーのようにくるくると回った後、握ったステッキを振り翳して、後ろに立って眺めていたシドに向かって魔法を放つ。
「えいっ!ブリザドー!」
「わぁ~っ、寒いですよ、スコール」
「えへへ」
ステッキからあたかも魔法が放たれたかのように、シドは寒がるリアクションをして見せる。
それを見たスコールが満足そうに笑うのを見て、シドもまた笑顔を浮かべた。
楽しそうな弟の様子に、レオンもくすくすと笑みが漏らしながら、小さな魔法使いを抱き上げる。
ふわぁ、と浮遊感にスコールが声を上げるが、兄の腕の温もりを感じると、嬉しそうに頬を寄せる。
柔らかなマシュマロのような頬の感触をレオンが楽しんでいると、遊戯室からスコールの鞄を持った女性───イデア・クレイマーがやって来た。
「スコール、忘れ物よ」
「あっ。僕のカバン!忘れてた」
「おやおや。お兄さんのお迎えをずっと待っていましたからねぇ、急いで出てきちゃったんですね」
「すみません、ママ先生」
「いいえ。はい、スコール、落とさないようにね」
イデアに手ずから鞄を肩にかけられて、スコールは落とさないようにと両手でしっかり鞄を抱える。
忘れ物がないかを改めて確認した後、レオンはスコールを抱いたまま、園舎を後にした。
またね、と手を振るイデア達に、スコールがステッキを持った手をぶんぶんと振って見せる。
どちらかと言うと何に対しても反応が控えめなスコールにしては、大きなリアクションであると言えるだろう。
どうやら、今日は随分と機嫌が良いらしい。
レオンとスコールが二人で暮らしているマンションは、此処から電車で二駅移動しなければならない。
この格好のままでも良いかな、と手作り感たっぷりの衣装に身を包んでいるスコールを見て考えるが、特に大きな荷物がある訳でもないので大丈夫だろうと思う事にした。
思い返してみれば、仕事場から駅へ向かうまでの道中にも、似たような格好をした子供や、変わった服装をした大人を見た気がする。
そして今日が10月最後の日────最近定着して来たハロウィーンと言う祭りの日だと気付くと、スコールの魔法使いの衣装もそう可笑しく見られる事もないだろう。
人通りの多い駅前まで来ると、スコールは注目の的だった。
三角帽子に黒いマントに星のステッキ、そしてお気に入りのライオンのバッグを持った幼子は、道行く人々の心を射止めて已まない。
年の離れた兄に抱かれ、ちょこんと良い子で納まっている様子も、愛らしく見えるのだろう。
普段のスコールなら、其処まで注目されていると、恥ずかしがって兄に抱き着いて隠れたがるものなのだが、今日は機嫌が良いので全く気にならないらしく、楽しそうにレオンに話しかけて来る。
「あのね、今日ね。皆で色んなカッコして、商店街に行ったんだよ。そしたらね、お店のおじさんもおばさんも、色んなカッコしてたの」
「へえ、どんな格好だったんだ?」
「えーっとね、オオカミさんでしょ、ネコさんでしょ。僕と同じまほう使いもいたよ。あと、顔に一杯ケガしてる人」
スコールの言葉に、フランケンシュタインかな、とレオンが考えていると、
「なんかね、ケガじゃなくて透明人間なんだって言ってた。透明って見えないんでしょ?でも、僕も皆も見えてるんだよ。透明じゃないの」
ああそっちだったか、とレオンは理解した。
透明人間が全身に包帯を巻いている、と言うのはよくあるコスチュームだ。
しかし、幼い子供達には“透明人間”をモデルにする包帯男のイメージが繋がらず、単純に“顔に沢山の包帯を巻いた人”にしか見えなかったらしい。
レオンは、変だなあ、と首を傾けて考え込んでいるスコールを落とさないように抱え直しながら言った。
「透明になったら、皆とお喋り出来ないからじゃないかな。見えていれば、沢山話が出来るだろう?」
「そっか。見えてなかったら、呼んでも気付いてくれないもんね。そしたら、お菓子も貰えなかったかも」
「お菓子を貰ったのか?」
「うん!あのね、一杯貰ったんだよ」
そう言いながら、スコールは肩にかけていた鞄の蓋を開ける。
レオンはホームに入って来た電車に乗り込み、反対側のドアに寄り掛かって、「みてみて!」と言うスコールの鞄を覗き込む。
朝には必要な荷物のみを入れていた筈の鞄の中は、色とりどりのお菓子袋で一杯になっていた。
市販品の個包装をバラして、数種類のものを一つの袋に纏めてあったり、小袋のスナック菓子であったり、中には手作りの菓子と思しきものもある。
小さなカプセルフィギュアが入った食玩や、一昔前の駄菓子屋でよく見るラインナップもあった。
恐らく、商店街の大人達が、子供達の為に思い思いに用意してくれていたのだろう。
今日のスコールが終始機嫌が良いのも、このお陰に違いない。
「沢山貰ったな。一気に食べると虫歯になってしまうから、少しずつにするんだぞ」
「うん。あのね、これね、トリックオアトリート!って言ったら貰えたんだよ。今日だけ使える特別なまほうなんだって」
それは凄い魔法だな、とレオンが言うと、スコールは嬉しそうに頷いた。
「こうやってねー……えいっ。トリックオアトリート!」
くるくると星のステッキを回して、スコールはレオンに向かって魔法をかけた。
突然の事───と言っても大方の予想は出来ていたが───に、レオンはぱちりと目を丸くするが、きらきらと期待に満ちた蒼の瞳に見詰められ、くすりと笑う。
レオンは腕に抱いていたスコールを床に降ろして、ごそごそと服のポケットを探る。
何かめぼしいものはないかと探すレオンの指先に触れたものがあって、そう言えば、と思い出した。
ポケットから出て来たのは、仕事中に同僚から貰った飴玉だ。
仕事の労いにと貰ったものだったが、あの時食べなくて良かったな、と思いつつ、スコールの手に転がしてやる。
「ほら、スコール。お前の好きなイチゴ味だ」
「わーい!」
大好きなイチゴ味の飴を貰って、スコールは喜び一杯で兄に抱き着く。
丁度良く電車が駅に到着したので、レオンはもう一度スコールを抱き上げて降車した。
駅の外へと向かう道すがらに、スコールは飴の包装を開けていた。
小さな口の中に飴を入れて、ころころと舌の上で転がしている。
ゆっくり溶けて行くイチゴ味の感触が楽しいようで、スコールは幸せそうに丸い頬を赤らめた。
「えへへ。まほーつかいってすごいね、お菓子いっぱい貰えるんだね。僕、ずっとまほう使いでいたいなあ」
そう言ってスコールは、星のステッキを揺らす。
何処かで聞いた事があるような呪文を唱えては、空に向かって魔法を放つ仕草を見せた。
ぽすん、とスコールの頭がレオンの肩に乗せられる。
甘えモードになった弟に、レオンが伝わる体温に口元を緩めていると、
「ねえ、お兄ちゃん。僕が色んなまほうが使えたら、お兄ちゃんのお手伝いも一杯出来るようになるかな?」
そう言って、スコールの小さな手が、レオンの服の端を握る。
兄弟二人の生活で、幼い自分が余り兄の力になる事が出来ないのを、スコールは理解していた。
自分で出来る事は頑張るように心がけてはいるけれど、甘えたい気持ちは誤魔化せないし、怖い事があれば守ってくれる兄の存在を呼ばずにはいられない。
レオンはそんな弟の事を無碍にする事はないけれど、幼いなりに兄の力になりたいと願うスコールにとっては、歯痒いものであった。
それまでの楽しそうな様子とは違い、真剣な声で言ったスコールに、レオンの表情が柔らかくなる。
抱き着く弟の背中をぽんぽんと撫でて、レオンは歩きながら囁いた。
「お前には、いつも助けて貰ってるよ」
「……ほんと?」
「ああ。ご飯の準備も、片付けも。買い物も、荷物を持ってくれるし」
「僕、お兄ちゃんのお手伝い、出来てる?」
顔を上げて確かめようとするスコールに、レオンははっきりと頷いて見せる。
途端、ぱああ、とスコールの表情が明るくなった。
「えへへ」
魔法のステッキを握り締めて、嬉しそうに笑うスコール。
その笑顔が、兄に幸せを齎す一番の魔法である事を、小さな魔法使いは知らない。
ハロウィンと言う事で、小さな魔法使いな子スコ。
お兄ちゃんにとっては、其処にいてくれるだけで幸せにしてくれる、唯一無二の魔法使いです。
「お前、ほんと声出さねえなあ」
その呟きは独り言の音に近かったが、自分を指している言葉も聞こえたので、レオンは俯せていた顔を上げる。
背中と腰と、あまり口では言えない場所が痛い。
何度か回数を重ねる内に、体は行為自体に慣れては来ているが、やはり本来は受け入れる器官ではない訳だから、負担がかかるのは否めなかった。
相手───ジェクトもそれは理解してくれているので、出来る限り解したりとレオンの負担を軽減しようとしてくれるのだが、やはり辛いものは辛い。
其処には、ジェクトの身体的特徴にそもそもの無理がある、と言うのもあったりするのだが、それを言い出せば行為そのものが出来なくなってしまいそうで、それはレオンが嫌だった。
あまり他者と深い繋がりを持つ事なく、家族以外とは触れ合う事も少なかったレオンが、唯一、ジェクトだけは体温と鼓動を直に感じたいと思うのだ。
「どうしてもやらなきゃいけねえ事でもねえだろ」と気遣ってくれる気持ちは嬉しいのだが、それとは別に、繋がりたいのもレオンの本音なのだから。
ベッドに寝転んでいるレオンの隣で、ジェクトは端に座ってペットボトルの水を開けていた。
一口飲んだそれを、飲むか、と差し出されて、レオンは受け取りながら起き上がる。
ずきずきと痛む腰を庇いながら、ベッドヘッドに寄り掛かり、ペットボトルに口をつけた。
常温の部屋に出しっぱなしにしていたが、まだほんのりと冷たさが残っており、喉を通って行く水の感触が心地良い。
ふう、と一息を吐いたレオンは、ジェクトにペットボトルを返しながら、ええと、と先のジェクトの呟きを思い出す。
「俺が声を出さない、と言うのは────その。やっぱり、セックスの時の話か?」
つい先程まで、二人は熱を共有していた。
体はまだその名残を残しており、ジェクトの広く大きな背中を見ていると、レオンはそれにしがみついた時の事を思い出してしまう。
それを心の奥に隠しながら、話の続きを促すと、ジェクトは考えるようにがしがしと頭を掻いて、
「あー……まあ、そのつもりだったが、他の事もそうだったな」
「そんなに俺は声を出していないか?」
「俺にしてみりゃあな。そう言う生活もしてないってのもあるだろうけどよ」
確かに、レオンは生活の中で声を荒げる必要は少ない。
同居している弟は、子供の頃から聞き分けが良かった所があるので、声を大きくして注意しなければならない事は殆どなかった。
父と喧嘩をする事もほぼなく、仕事についても───余程切羽詰まってでもいなければ───普通の声量で事足りている。
偶にむしゃくしゃして大きな声を出したくなる、と言う事もないではないが、幼い頃からそう言う生活が環境として整っていた所為か、意識して声量を上げると言うのは聊か難しい所があった。
仕事が上手くいかない、自分の所為ではない事に振り回されるなどでフラストレーションがたまり、稀に声を上げたくなる時もあるのだが、結局は飲み込むのが常であった。
ジェクトはペットボトールをサイドテーブルに戻し、どさ、とベッドに倒れた。
丁度頭の位置にレオンの足があり、膝枕の形になる。
シーツ越しに感じるジェクトの頭の重みに、少しむず痒いものを感じなら、レオンはジェクトの顔を見下ろす。
「確かに、最近あまり大きな声を出してはいないな」
「最近、ねぇ。ガキの頃から、お前は静かだった気がするけどな。うちのガキみたいに煩くても敵わねえけどよ」
「はは、ティーダは確かに元気だな。よく隣から声が聞こえるぞ。あんたの声と一緒に」
「聞かねえ振りしてくれよ」
「無理だな。隣家で親子喧嘩ともなれば、尚更無視する訳には行かないだろう。ティーダも直にこっちに来るし」
隣家で毎日のように勃発する親子喧嘩は、レオンとその家族にとっても最早慣れたものではあるが、かと言って聞こえない振りは難しい。
ジェクトもその息子ティーダも揃って声が大きく、防音処理までしていないマンションでは、どうしたって喧嘩の内容が筒抜けなのだ。
口喧嘩をした後は、ティーダがレオン一家の家に来て、同級生の弟に泣きつくのもパターンであった。
そうして弟スコールがティーダを宥めている間に、レオンはジェクトの下に行って、息子の言い様に腹を立てつつも受け流せない大人げなさに落ち込むジェクトを宥めるのだ。
そんな生活をしているのに、隣家の騒ぎを聞こえない事にしてくれと言うのは無茶だ。
くすくすと笑いながら言うレオンに、ジェクトはばつの悪い表情を浮かべ、「悪かったよ……」と目を伏せる。
「そっちの家の問題は、今は良いとして」
「そうしてくれ」
「声を出さない、か。でも必要な時は、そこそこ声は出てると思うんだが」
「ああ、全く出せないって訳じゃないんだろうしよ。けど、セックスの時は本当に声出さねえよな」
「そう…か……?」
改めて話に戻るように、ジェクトは最初に指していた時のタイミングをはっきりと指定して言った。
その時の事となると、レオンはいまいち判然とせず、首を傾げるしかない。
「家でヤってる時は、抑えねえといけないって仕方ねえと思うけどよ。今日みてえに家じゃなくて外でも、堪えてるだろ。お前も色々大変っつうか、無理してる所あるだろうし、歯ぁ食い縛ってる所もあるんだろうが。痛いでも苦しいでも声に出せば、少しは楽になるんじゃねえかと思ってよ。……ま、俺が言える話じゃねえけどな」
無理させてるのは俺なんだし、と言うジェクトに、そんな事は、とレオンは言った。
しかし、体の負担が中々辛い事は確かで、これは嘘で誤魔化せるものではないとレオンも判っている。
始めの頃は涙が出そうな程に痛かったし、我慢しすぎて唇を噛んで血が出た事もある。
今でも挿入時の苦しさは変わらず、息を堪えて耐えなければならない瞬間もあり、それがジェクトには少々心苦しい所があった。
「歯ぁ食い縛って我慢する事も良いが、発散しちまった方が楽になる事もあるもんだからよ」
「まあ……そうだな……でも、俺には難しそうだ」
自分がつい口を噤んでしまう、歯を食い縛ってしまう癖がある事を、レオンは少なからず自覚している。
それは幼い頃、母を亡くしてから、父を支える為、弟を守る為にと、自分自身がしっかりしなければと言う想いから重ねて来た行為だった。
泣けば父を困らせる、弟が怖がってしまう、と何時でも恐怖や不安に対して身構え、耐えて来た。
レオンが大きな声を出す事自体が自発的に行えないのは、そう言った経験の積み重ねもあるのだろう。
ずっと続けて来たその行為は、最早レオンの一部となって染み付いており、それを破る事をするのは、二十歳を越えた今のレオンには少し難しそうだった。
子供の頃から、大人になっても続いている癖なのだ。
すれば楽になる、と言う事であっても、簡単に出来る事ではないと言うのは、ジェクトも理解できる。
そうでなくとも、セックスの時の自分の声と言うのは、まるで自分のものではないかのように上擦った音をしていて、レオンは自分で聞いていられなかった。
性的刺激によって反応して声を上げると言うのは、その事を露わにしているようにも思えて、ジェクトがそう言う意図をもって触れていると判ってはいても、恥ずかしくて堪らない。
セックスの時に殊更声を上げる事を我慢しようとしてしまうのは、そう言った気持ちも大きい。
眉尻を下げて弱った顔をする青年に、ジェクトは手を伸ばし、横髪のかかる頬に触れた。
「其処までマジになんなって。妙に真面目な話になっちまったが、俺ぁ単にヤってる時のお前の声がもっと聞けりゃあなって思っただけなんだからよ」
「……あんたな。真面目に考えた俺の時間を返してくれ」
露骨に即物的な恋人の言葉に、レオンは眉尻を吊り上げて、頬に触れた手を抓ってやる。
いてて、と嫌がってみせるジェクトだが、レオンの手を振り払う事はしなかった。
代わりに、宥めるように太い指先が頬をくすぐって、レオンの下唇に触れる。
「怒んなって。楽にしてやりてえなって思ってるのはマジなんだから」
「じゃあ、もう少し手加減を覚えてくれると助かるんだが?」
「目一杯努力してるぜ。後はお前が俺を煽るからだろ」
「覚えのない話だ」
「自覚してくれや。今でも結構堪えてんだぞ?」
言いながら、ジェクトはレオンの下唇を摘まんだ。
少しカサついた感触のある指先に、レオンはちろりと舌を出して押し付けた。
指先に触れる弾力のある感触と、下から見上げる青年の艶を孕んだ表情に、ジェクトがにやりと笑う。
「お前、確信犯はもっと性質が悪ぃぞ」
「さて何の事だか」
ジェクトの表情を真似るように、レオンもにやりと笑ってやる。
この野郎、とジェクトが呟いて、がばっと起き上がり、大きな手がレオンの頭を掴む。
わしっと熊のような大きな手に捕まったと思ったら、ジェクトの厚い唇がレオンのそれと重ねられた。
貪るように深くなっていく口付けに、レオンは抵抗せず、されるがままに受け入れる。
頭を掴んでいた手が改まったように後頭部に添えられると、レオンもジェクトの首へと腕を絡めた。
唾液が咥内で溶け合うのを感じながら、レオンはゆっくりと目を閉じる。
尚も深くなる口付けに甘えながら、レオンが体の力を抜くと、とさり、と背中がベッドへと落とされた。
段々と息苦しさに意識がふわふわとし始めた所で、ジェクトはレオンを開放する。
はあ……っ、と熱を孕んだ呼気を零しながら息を吸い込んで、レオンの閉じていた瞼が緩く持ち上がる。
見下ろす男の赤い瞳が、再び湧き上がった情欲を隠そうともしないのを見て、レオンの体もまた熱が蘇るのを感じつつ、
「……声は、出した方が良いか?」
訊ねてみるレオンに、ジェクトは虚を突かれたように一瞬目を丸くした。
が、直ぐににやりと笑って、
「いや。いつもの通りで良いぜ」
「良いのか」
「我慢できずに出てる声ってのも、結構乙なもんでよ」
そう言いながら首筋に歯を立てる男に、悪趣味な、とレオンは言った。
ジェクトはくつくつと喉で笑うだけで、そのまま愛撫を始める。
それを振り払おうとも思わないのだから、悪趣味なのは自分も同じか、とレオンはこっそりと頬を緩めた。
10月8日から遅刻でジェクレオ!
つい我慢してしまうレオンと、我慢してる様子を眺めるのも嫌いじゃないし、我慢できなくなって出てしまった声もお気に入りなジェクト。
他愛ない話もしながら大人の雰囲気でいちゃついて欲しい。
「スコールって、声出さないよな」
そう言ったティーダの表情が、拗ねた子供のように見えて、スコールは眉根を寄せた。
本当は今直ぐにでも寝落ちてしまいたかったが、呟きが独り言の音とは違った事に気付いてしまったので、虫をする訳でにはいかない。
体の冷えを嫌ってシーツを独り占めする事を代価に、スコールは重い体を引き摺るように起こして、スコールはティーダと向き合う。
「…何の話だ?」
「セックスの時の話」
シーツに包まりながら訊ねるスコールに、ティーダは拗ねた表情のまま言った。
こんなタイミングで言い出すのだから、そうだろうとは思っていたが、とスコールの眉根に更に皺が深くなる。
────セックスの時、スコールは余り声を出さない。
環境が環境であるから、隣の部屋や、同じ屋根の下で過ごす仲間達の気配を気にしての事もあるから、それは仕方がないとティーダも思っている。
けれど仲間が誰も屋敷にいない時や、二人で探索に出て野宿をしている時など、人目を気にしなくて良い時ですらスコールは声を出すまいとしていた。
スコールが普段から口数が少ない、無駄な会話を嫌う事は判っている。
セックスの時でも無駄なお喋りをしろ、等とはティーダも言うつもりはないし、そんな事をしたら折角の雰囲気が台無しだ(雰囲気なんてあってないようなものだとスコールは思っているが)。
だからティーダも、平時は賑やかし担当と憚らない口を出来る限り噤んで(緊張している所為も含めて)、熱を共有し合う事も夢中になる。
そうして言葉少なに熱くなって溶け合って、一つになる感覚だけを追い求めるのが、ティーダとスコールのセックスだ。
だが、ティーダは其処に些細ではあるが不満を持っていた。
「俺さ。スコールの声、もっと聞きたい」
「……必要ないだろう」
「あるって!めちゃくちゃあるって!」
真剣な顔で要望を訴えるティーダに、スコールは苦い表情で突っぱねた。
しかしティーダは今こそ理解を求めねばならないとばかりに、齧り付く勢いで押し迫ってきた。
近い距離感に反射的に体を逃がしつつ、スコールは嫌な予感を感じつつ、尋ねる。
「何でそんなに必要だと思うんだ?」
「だって声が聴けたら、スコールが感じてるって判るから」
「このっ!」
嫌な予感が的中した、とスコールは傍らの枕をティーダの顔に投げつけた。
顔面に枕を受けたティーダだが、そんなものは気にせず「真面目に言ってるんスよ!」とスコールに顔を近付けて来る。
「スコール、いっつも口噛んでて、痛いんだか気持ち良いんだか見てて判らないんだもん。声出してくれたら、もっとちゃんと判るのに。だから、」
「断る。拒否する」
「なんでぇ!良いじゃないっスか、声出す位。痛いんだったら、そっちの方が楽になるって言うし。いや、痛くないようには、頑張るけど。でも最初の方とか、どうにもなんない感じの時とかさ」
男同士でのセックスなのだから、何かと無理が伴うのは致し方のない事だ。
初めての時などは二人揃って未知の事ばかりだったから、受け入れる側のスコールの負担は勿論、ティーダも厳しい所は多々あった。
元の世界ならば膨大な情報網があるお陰で、この手の調べ物にも困らなかっただろうが、生憎神々の闘争の世界にそう言った便利な道具はない。
なんとなく聞いた事のある事を試したり、潤滑剤の代わりに使えそうなものを探したりと、試行錯誤は続いた。
その末に、最近ようやく、多少の余裕を持っての情交が出来るようになったのだが、それ故なのか、最中の相手の事も見る事が増えていた。
口付け合い、触れ合い、そうした心地良さを感じる事が出来るようになったのは良い事だ。
反面、ふとした時の表情や様子、体の強張り等も感じ取れるようになって、ティーダはそうした所から感じたものが不満となって蓄積していた。
「セックスするの、俺は出来るのが嬉しいし、気持ち良いけど。スコールはどうなのかなって思ってさ。最初の頃とか、めちゃくちゃキツそうな感じだったし……」
「……まあな」
ティーダの言葉に頷きつつ、今もキツいけど、とは飲み込んだ。
そればかりは体の都合と言うもので、付き合わねばならない事だと、スコールは既に割り切っている。
ただ、痛みなく済む方法があるのならその方が良い、と言うのも本音であった。
「スコール、最初の頃はやっぱり痛いとか苦しいって顔してて。今もそんな感じの顔してるから、あんまり気持ち良くなれてないんじゃないかと思って」
「………」
「声も我慢してるし、たまに聞こえるけどやっぱり苦しそうって言うか……」
抱き締めて、熱を共有して、刺激を受ければやがては吐き出される。
ティーダの体はそれで充足感を得る事は不可能ではないが、どうしても心は恋人の様子が気になって引っ掛かりを覚えてしまうものだった。
ティーダはスコールの事が好きだ。
同じ気持ちを共有し、体温を共有する事が出来て、それをスコールが赦してくれる事も嬉しいと思う。
だがそれだけでは自分ばかりが喜んでいるだけで、大好きな相手の事を蔑ろにしてはいけない。
スコールにも喜んで欲しい、気持ち良くなって欲しい、満足して欲しい────ティーダはそう思っていた。
「俺がスコールの事もっとよく判ってれば良いんだとは思うんだけどさ」
「……それは、別に…義務ではないだろう、そんなものは」
恋人とは言え他人なのだから、感覚の共有は出来ない。
だからスコールがセックスの時にどんな状態なのか、ティーダが目で見て判らないのも無理はない、とスコールは言う。
────と言うよりも、万が一にも感覚の共有なんてものが可能であったら、スコールはあらゆる理由でティーダとセックスなんて出来ない、と思っている。
しかし、ティーダの方ではそうではないようで、
「俺、やっぱり鈍いから、言ってくれないと判んない事多くて……」
「…それで、俺に声を出せと?……何処で感じているか逐一言えと?」
「えっ!?そ、其処までは言ってないっスよ!」
「当たり前だ、真に受けるな!」
嫌味混じりの言葉に、本気で慌てたリアクションをするティーダに、スコールは余計な事を言ったと火が出る顔を誤魔化すように声を大きくした。
その後で今が夜である事、隣の部屋の住人の事を思い出し、口を噤んで俯く。
ティーダも気まずげに赤らんだ顔で、視線を右往左往と泳がせつつ、気を取り直して言った。
「だから、えーと……声がもうちょっと聞けたら、判り易くて、その……俺が安心するって言うか……」
「………」
「……ごめん、俺の事ばっかりだよな……」
しゅん、と子犬が耳を垂れるように落ち込むティーダ。
スコールは眉根を寄せつつそれを横目に見て、立てた膝に押し付けた口元を尖らせていた。
(……そんなに俺は判り難いのか)
確かに、行為の最中に色々な事を押し殺し隠している所はある。
性的刺激を得ている事も出来れば隠したいし、刺激による反応なんて恥ずかしくて堪らない。
しかし、そうしたものを与えているのがティーダだと言う事は、スコールとて嫌な訳ではないのだ。
根本的に他人の体温、触れ合う事が苦手だと自覚している自分が、彼に触れられる事に限っては当て嵌まらない。
それだけスコールにとって、ティーダの存在は特別だと言う事だ。
だから反応だの声だのと言う事は置いておいて、その“特別に許している事”で、ティーダに自分の状態と言うものを理解して欲しいと思う。
(判るだろう。判れよ。……判ってくれ)
しかし、それはスコールの我儘だ。
ストレートに表現できない、それをする事を恥ずかしいと思う自分の事を棚に上げて、言わなくても判って欲しいと駄々を捏ねている。
俯き、黙ったままのスコールを、ティーダはじっと見詰めていた。
スコールが思考の海に沈んでいる時は、ぐるぐると回る沢山の感情を整えようとして上手く出来ない時だ。
それが判らない程、ティーダもスコールの事が判らない訳ではないし、同じように考え込んで出口を見失い事も少なくない。
それだけに、スコールを酷く思い悩ませてしまっている事も理解出来てしまった。
「……ごめん、スコール。俺の我儘で困らせて」
「……別に。困っては、いない」
「…そっか。ありがと」
そう言って、ティーダはスコールの米神に鼻先を寄せた。
子犬か子猫が甘えるように、掠めるだけのキスをしたティーダに、スコールがゆっくりと顔を上げる。
青にゆらゆらと揺れる蒼が映り込んで、ティーダはにっかりと笑って見せた。
「スコールはそのまんまで良いよ。俺がちゃんと出来るように頑張るから」
「……お前一人で頑張るようなものでもないだろ」
自分が何とかすれば良い、と思ってくれるティーダは優しい。
それに甘えられたらスコールはどんなに楽だろうと思うけれど、結局の所、それでは擦れ違いは繰り返されるだけだろう。
何より、ティーダ一人に何もかも背負わせる事を、スコール自身も良しとは出来ない。
スコールもティーダに気持ち良くなって欲しいと思っているのだから。
「声、は…ともかく。お前とするのは、嫌いじゃないから……」
「ほんと?」
「……ん」
「じゃあ、気持ち良い事もある?」
今だとばかりに直球で訊ねて来るティーダに、聞くのかそれを、とスコールは口を噤む。
此処まで言ったのだから判るだろう、とスコールは何度目か知れずに思ったが、問うティーダの表情は真剣だ。
じぃっと見つめるマリンブルーの瞳は、答えが欲しいと真っ直ぐに訴えていた。
触れ合った感触を忘れていない体が、じわりと熱を持つのが判る。
今だけこの感覚が目の前の相手にそっくりそのまま伝われば良いのに、そうすれば言葉で伝える必要もないだろうに、と思う。
しかし、そんな都合の良い奇跡が起こる筈もなければ、目の前の恋人が引き下がってくれる事もなく、スコールは小さな声で答えるしかないのだった。
10月8日と言う事で、いちゃいちゃ初々しいティスコ。
始まるとそれぞれ自分の事に必死になってしまうけど、相手もちゃんと気持ち良くなって欲しくて手探り中な二人とか可愛いなって思いました。