一週間前から、天気予報は迫る寒波の気配を報じていた。
近年稀に見る程の大寒波であり、その前哨のように短時間で積雪が観測された地域もある。
ウォーリアが恋人と共に過ごす都心部でも、その波は例外なく押し寄せており、寒風吹きすさぶ日々が続いていた。
そこに更に追い打ちを喰らわすかのように、今日明日と重ねて更に気温が冷え込むと言う。
寒がりな年下の恋人は、その天気予報を見て、勘弁してくれ、と項垂れていた。
こうした予報は見事に的中し、今朝ウォーリアが出勤の電車に乗った時には、雪花が街にチラついていた。
同じ電車に乗り合わせた部活始めの学生達が、勘弁してくれよ、と愚痴っていたのが耳に残っている。
空は分厚い雲に覆われ、陽の恩恵など望む事すら烏滸がましいと言わんばかりの冷たいコンクリートジャングルは、其処に暮らす人々全てに試練を齎す。
ウォーリアは余り温寒に神経を尖らせる性質ではないが、そんなウォーリアでも今朝の冷え込みは応えた。
幸い、仕事は屋内の業務であるから、暖房が効いている所にいればどうと言うことはないのだが、昼食にビル外の店に行くのも腰が重くなる程だ。
仕事の合間に、誰かが言っていた事だが、今日は全く気温が上がらないとのこと。
寧ろ日が落ちる時間になれば、更に気温は落ち込み、ひょっとしたら明日には積雪が確認されるかも知れない。
電車が動くか怪しいぞ、と言う言葉に、一同は明日分の仕事を前倒しにする事になった。
もしかしたら明後日も、と言い出したのは誰だったか。
だが、都市部の交通網と言うものは、一度麻痺してしまうと、波及する影響が大きいだけに、復旧も遅れてしまう可能性は否めない。
出来るだけ業務に余裕を持たせて置こう、と言う上司の言葉に、ウォーリアも最もだと思った。
────そのお陰で、退社が予定から大幅に遅れてしまったのは、少々計算ミスだった。
帰宅が遅れそうだと言うことは、それが見えた時に恋人に連絡を済ませたのだが、定時から二時間が過ぎてようやくの解放だ。
帰宅ラッシュの満員電車を避けれたのは幸いだが、いつも夕飯を作って待ってくれている恋人には、悪い事をしてしまったと思う。
天気予報の言う通り、朝よりも更に寒くなった街を急ぐ足で通り抜け、気持ち人が少ない電車に乗り込んだ。
人の熱が少ない所為か、電車の中は暖房が就いているのに妙に寒く感じられる。
最寄り駅に着いたら、駅外の自動販売機かコンビニで、ホットの缶コーヒーでも買おうか。
普段、ウォーリアの帰路は真っ直ぐなものなのだが、今日はそんな事を考える位に、冷え込みが強烈だったのだ。
それでも、帰れば恋人が温かなシチューを作って待ってくれていると思うと、やはり真っ直ぐに変えるべきだ、とも思った。
そんな事を考えながら、ウォーリアは駅の改札を潜り、冷気の滑り込む出入口の傍に佇む少年を見て、目を丸くする。
「スコール?」
思わずその名を口にすれば、人気の少ない駅構内の中では存外と響いたようで、恋人───スコールが顔を上げる。
いつも黒を基調にした服を着ている少年は、今日もいつも通り、黒ずくめだった。
だが、その様相が平時とは少々、いや随分と異なっている。
彼が気に入っているファー付きのジャケットを筆頭に、彼の細身の体躯を強調するような、スタイリッシュな服装を好むスコールだが、今日は随分と丸っこい。
寒さが本格化し、外で過ごす時間が長い日に限って袖を通される厚手のダウンジャケットと、その襟元にはマフラーが巻かれている。
マフラーの上からダウンを着ているのは、襟元や首の隙間から入って来る冷気への対策だろう。
ダウンのポケットに入れていた手には、厚手の手袋。
ボトムは見慣れたスキニージーンズではなく、少しゆとりのあるストレートパンツを穿き、腰にはストールが巻かれていた。
頭には、一ヵ月前に様子を見に来た父が買って来たと言う、耳当てとポンポンのついたニットの帽子。
父から贈られたものと言う気恥ずかしさもあり、趣味じゃない、と言っていた筈のアイテムだ。
彼らしからぬシルエットに、一瞬見間違いかと思ったウォーリアだったが、あの蒼の瞳を間違える事は絶対にない。
近付けば、帽子で押さえられた前髪の隙間から、寒さに宛てられて少々不機嫌になった瞳に迎えられる。
「……遅い」
「すまない」
拗ねた口調のスコールの言葉に、ウォーリアは飾らず詫びた。
それにスコールは小さく頷いた後、じっとウォーリアを見詰める。
ウォーリアはそれを見返しながら、彼を見付けた時からの疑問を口にした。
「スコール、何故君が此処に?家にいるとばかり思っていたが、何か用事でもあったのか」
「……別に、そう言う訳でもないけど……」
ウォーリアの問いに、スコールは小さな声で呟きながら、ダウンジャケットの前を開ける。
上から半分の所までジッパーを下ろして、内側に手を突っ込み、紺色の布を取り出した。
丸まっていた布を解くと、それは去年スコールと揃いで買ったウォーリアのマフラーで、スコールはそれをウォーリアの首へと引っ掻ける。
「あんたの事だから、どうせ碌な防寒しないで仕事に行ったんだろうと思ったんだ。今日はコートだけじゃ冷えるだろうから、ちゃんと防寒して学校行けって、俺に言ったのはあんたの癖に」
言いながらスコールは、ぐるぐるとウォーリアの首にマフラーを巻いて行く。
ウォーリアはそれを受け止めながら、確かに今朝、家を出る前に眠気眼で見送ってくれた彼にそんな事を言った、と思い出す。
その割に、ウォーリアは薄着であった。
スーツの上に冬用のロングコートを着てはいるものの、防寒用の装備と言ったらその程度だ。
インナーにはスコールが買って揃えたウォーム素材ではあるが、ビジネスバッグを持つ手は素手である。
何の為に買ったマフラーだ、とぼやくスコールに、確かに最もな意見だ、とウォーリアも思った。
マフラーを巻き終わったスコールは、また懐に手を入れて、ごそごそと中を探る。
「……しまった」
「どうかしたのか」
「…あんたの手袋、忘れたみたいだ」
失敗した、と呟くスコールは、心底悔しい顔をしている。
だがウォーリアは、首元を覆う温もりだけで十分だと言った。
「私はこれで十分だ。わざわざありがとう、スコール」
スコールが巻いてくれたマフラーは、彼が懐に入れてくれていた事もあり、その熱を分け与えられてとても暖かい。
その温もりは勿論のこと、基本的に寒さを嫌うスコールが、この寒空の中を迎えに来てくれたと言うことが、ウォーリアは何よりも嬉しかった。
手袋一つをスコールが忘れたことなど、ウォーリアには大した事ではない───のだが、スコールにとってはそうではなかった。
スコールはマフラーに埋めた唇を尖らせて、じぃっとウォーリアを見詰める。
その瞳がウォーリアの足の天辺から爪先までまじまじと見て、ビジネスバッグを持つ手に止まった。
「……十分な訳ないだろ」
そう言って、スコールは自分の右手の手袋を外した。
「これ、使え」
「それでは君が寒いだろう」
「あんたの今の状態の方が、見ていて寒い。良いから使え」
ずい、とウォーリアの胸元に押し付けられる、黒の手袋。
外側は合皮、内側はボアになっている手袋は、確かに身に付ければ暖かいだろう。
しかし受け取ってはスコールが、と言うウォーリアだが、蒼の瞳がじろりと剣呑を帯びた。
譲る気のない意思を其処に見て、ウォーリアは根負けした形で、スコールの右手袋を受け取る。
受け取ったので着けない訳にもいくまいと、ウォーリアは手袋に手を入れる。
今の今までスコールが使っていたものだから、其処にはしっかりと体温が残っていた。
暖かいな、と思っていると、ウォーリアの左手からビジネスバッグが取り上げられる。
「スコール?」
突然の恋人の行動に、ウォーリアが不思議に思って名を呼ぶが、スコールは答えない。
その代わりに、スコールは既になった手でウォーリアの空になった左手を掴むと、自分の手ごとダウンジャケットのポケットに突っ込んだ。
ごく狭い小さな空間の中で、スコールの手がウォーリアの手を掴んでいる。
ウォーリアがそれを認識するまで、彼はしばしの時間を要した。
その間にスコールの指がウォーリアの指と絡み合い、ポケットの中で握り締める。
「冷た……」
「すまない」
零れたスコールの言葉に、ウォーリアはポケットから手を抜こうとした。
しかしスコールの手は、握ったウォーリアの手を離そうとしない。
それ所か蒼い瞳がまたじろりとウォーリアを睨んで、
「……仕方がないから、これで行く」
「確かに私は暖かいが、君は」
「帰るぞ」
ウォーリアが言い終わる前に、スコールはポケットに入れた手をそのままに駅の外へと向かう。
引っ張られる形でウォーリアもそれを追い、隣に並んで歩き出した。
出入口に扉もない駅であるが、建物の中にいる限りは、風からは守られる。
その恩恵から一歩外に出ただけで、冷たい風がウォーリアとスコールの頬を叩いた。
もこもこに着膨れしていても寒さが身に染みるのだろう、スコールが眉根を寄せて唸る声が聞こえる。
ポケットの中で、ウォーリアの手を握るスコールの手が、寒さに堪えんと力が入るのが伝わった。
ウォーリアはその横顔を見詰めながら言った。
「スコール」
「……ん」
「君は、ずっとあそこにいたのか?」
「……知らない」
自分のことを聞かれたと言うのに、スコールの答えははっきりとしなかった。
意図的にぼかしているのは判ったが、ウォーリアはそうか、と返しただけで、それ以上は問い詰めない。
ウォーリアの隣を歩くスコールは、噴き荒む風に当てられて、鼻先が赤くなっている。
それが今から赤くなった訳ではなく、駅でウォーリアがその姿を見付けた時から色付いている事に、ウォーリアは気付いていた。
ウォーリアの仕事が終わる時間や、何時の電車で帰って来るかなど、彼には判らなかった筈だ。
一体スコールはいつからあの場所でウォーリアの帰りを待っていたのだろう。
昼日中でさえ吹雪いていた今日、陽が落ちてから一層寒くなった空の下で、彼はどんな気持ちで過ごしていたのだろう。
もう少し早く帰って来れたら良かったのに、と思うウォーリアだったが、その傍ら、
(……暖かい)
恋人の手で巻かれたマフラーと、ポケットの中で繋がる手。
彼が与えてくれる温もりが愛しくて、ウォーリアの口元は知らず緩むのであった。
1月8日と言うことでウォルスコ!
寒い!と言うことで寒空の下でいちゃいちゃして貰いました。あと着膨れスコールは可愛いと思います。
寒いの大嫌いだから外に出るのも億劫だったスコールだけど、家にウォーリアの防寒具が一通り残ってるのを見て溜息吐きながら出て来たんだと思います。
新たな年を迎えて間もなく訪れる大統領の誕生日を、エスタの国民は毎年欠かさず祝ってくれる。
異国からやって来て救世主となり、そのまま国の柱となる事になった男を、皆は英雄と呼び、盛大なセレモニーを行うことが恒例行事となっていた。
それが定着するようになった頃、流石に何年も続けば皆も飽きるだろうし、そもそも自分は担がれた人間なのだから、直にこの座には相応しい人間が座る事になるだろうと思い、だからそれまでは祝ってくれる人々の厚意は受け取ろうと拒否をする事なく過ごしていたのだが───まさか17年も経った今になっても、変わらず祝ってくれるとは、なんとも面映ゆいものである。
これまでは鎖国していたと言う環境もあって、セレモニーは国民だけで行われるものであった。
質素ではないがそれ程派手な訳でもなく、街のあちこちに大統領の生誕日を祝う文字が流れ、この一年間の大統領の活動足跡を集めたVTRがテレビに流れ、各区域を取りまとめる市長から挨拶が贈られ……と言った具合。
また、各区域でそれぞれに推され作られている最新の機械も、特別なロットナンバ─とサインを刻印して、誕生日プレゼントとして寄贈された。
その他、国民の間では、ショップがセールを始め、本日限りの特別メニューがレストランに並び、大統領から感謝の式辞が伝えられる。
────始まりの頃は、そんなにも大々的ではなかったと思うのだが、やはり重ねていく内に規模は大きくなって行くものである。
さて、今年であるが、今回の大統領生誕セレモニーは、これまでとは赴きが変わった。
17年ぶりに開国したエスタが迎える、初めてのラグナ大統領のバースディである。
更には宇宙に打ち上げていたアデルと言う存在そのものが遂に消滅し、本当の意味での“魔女戦争”が終わったのだと言う。
その経緯を世界に向けても発信する目的もあって、エスタは国を開いた訳だが、と言うことは、外側からもエスタを見る目が17年ぶりに集まって来ると言うことでもある。
これまで内々で過ごしていたエスタが、外との交流に向き合う流れが始まったのだ。
この為、今年のセレモニーには、初めて国外からの来賓と言うものが招かれた。
先の“魔女戦争”で先駆を切ったと言うバラムガーデンからは学園長が、嘗ての敵国として相対していたガルバディアとは今後の友好を願ってカーウェイ大佐が。
最も注目が集まったのはその二人だが、ドールやその他の国からもゲストを招いている。
来賓は大統領官邸へ訪れると、パーティ会場として整えられた大会議場に集められた。
其処でそれぞれがラグナに向けて、生誕と開国の祝いの言葉を述べ、ラグナもそれに応える形で謝辞を述べた。
その様子はエスタのテレビには勿論、改修された衛星電波を利用して全世界に向けて、生中継が行われた。
また、エスタの街には、時の国となったエスタに新年から観光にやって来た異邦人の姿もあり、エアステーション周りでエスタのテレビ局が取材を行っていたりと、これまでとは随分と変わる年になる事が、街のあちこちから醸し出されていた。
────初めての来賓を招いてのパーティは、祝辞と感謝を述べる間こそ、例年以上の厳戒態勢で厳粛な空気があったものの、それが終わると少しばかり緩んだ。
生中継が終わる前、感謝の言葉を終えたラグナが壇上から降りようとした所で、盛大に足を攣ったのが皆の笑いを誘ったのだ。
ラグナはウォードに支えられながら、「情けねぇな~」と言って顔を赤らめたが、それが飾らない人柄らしく素直に受け止められるのがラグナの最たる長所だろう。
生中継は和やかな空気に包まれて終わり、その名残がパーティにも良い形で影響を与えた。
それからは、施政者が集まった時によくある、腹の探り合いもありつつも、大きな問題は起きないまま祝宴は過ぎた。
色々と初めて尽くしとなったセレモニーで、中で働いている者にとっては大変な事であったに違いないが、平和に終わった事も含め、良かったと手を叩いて良いだろう。
パーティは最後に街の郊外で上げられた花火を見収めた所でお開きとなった。
ラグナは用意されたホテルへと向かう来賓を一人一人見送って、ようやく“大統領”としての今日の責務を終える。
「っは~、終わった終わった。何事もなくて良かったぜ」
「ああ、そうだね。君達もお疲れ様」
一日ぶりに背中を伸ばし、少々固くなった肩を回して腰を叩くラグナの横で、同調しながらキロスが官邸玄関の扉左右に立っていた二人を見る。
ラグナも一拍遅れて二人───SeeD服に身を包んだゼルとキスティスを見回して、改めて感謝を述べた。
「うん、お疲れ様。悪いな、新年早々にこんな仕事頼んじまって」
「いいえ、有難う御座います。いつもご贔屓にして頂いてますし」
「パーティも最後まで何事もなかったし。良かったですよ、ホント」
笑顔で応えるキスティスとゼルに、ラグナも笑みが零れる。
その傍ら、ラグナはどうしても頭の隅に浮かぶ顔を忘れられなかったが、それを口にするのは自分の我儘だと飲み込んだ。
リニアモーターの車が音もなく玄関前に到着し、キロスがドアを開ける。
いつの間にか補佐官としての仕草がすっかり板についた友人に苦笑しつつ、ラグナは促されるままに車に乗り込んだ。
運転席にはウォードが座っており、彼は窓の向こうにいる年若い傭兵たちに笑みを浮かべて手を振る。
キスティスとゼルは直ぐにSeeD式の敬礼をして、お疲れ様でした、と言った。
それから車にキロスが乗り込み、発進した車が門扉を潜って曲がるまで、二人が敬礼の姿勢を崩す事はなかった。
すっかり古い付き合いになった三人だけの空間で、ラグナはもう一度伸びをする。
ぱきぱき、と背中の骨が軋むのを感じて、歳だなぁヤだなぁ、等と思っていると、
「お疲れ様、ラグナ君。今年も無事に祝えて良かった」
「おう、ありがとさん。まー、でもやっぱり、恥ずかしいっつーかなんつーか。別にこんなに派手にしなくても良いのになぁ。良い年だしさ」
「だからこそ、と言う所もあるのだろうがね。皆も楽しみにしている所もあるから、今回はナシで、とはいかないだろう。特に今年は色々と変わらねばならない所もあったから」
「うーん、ま、そーだなぁ。そうなんだよなぁ。……ま、ともかく無事に終わったから、いっか」
今日一日を思い出し、頭の中で例年の光景と比べれば、違う所がよく際立つ。
その意味を考えると───と言うのは、やはり担がれたとは言え、17年間と言う時間が培った責任と言うものが、今もラグナに染み付いているからだろう。
だが、今日ばかりはもうその時間も終わりで良い筈だ。
セレモニーは終わったし、後は私邸に反って寝るだけ。
そう思うと、一日の疲れと言うものが一気に押し寄せて来て、欠伸が漏れる。
あちこちに大統領の誕生日を祝うイルミネーションが流れる中、車は何事もなく走り、ラグナがプライベートを過ごす私邸へと到着した。
セキュリティの堅いゲートを潜り、玄関に横付けされた車のドアが開いて、ラグナが下りようとすると、
「では、ラグナ。残り少ない時間だが、良い誕生日を過ごしてくれ」
旧友の言葉にラグナが振り返ると、笑みを浮かべたキロスとウォードの顔がある。
ラグナはその言葉を受け取って、へにゃっと笑い、
「おう、ありがとさん。つっても、もう寝るだけだけどな~」
時計はまだ天辺には回っていない筈だが、街の半分はそろそろ眠ろうと言う頃だ。
パーティで一日中を拘束され、来賓がいる手前崩す訳には行かないと精一杯整えていた訳だから、体は勿論気持ちの方もそこそこ疲れている。
昔はこの時間から街に繰り出して飲んだりしたけどなぁ、といつか友人たちと過ごした夜更けの街を思い出しながら頭を掻いていたラグナであったが、
「寝るだけ、ね」
「……」
くすりと笑うキロスの呟きと、その後に続くウォードの視線。
黒い瞳が「それも悪くはないだろうがな」と言っているのが聞こえて、ラグナはことんと首を傾げた。
友人たちの言葉に含みのある雰囲気に、「なんだよ?」とストレートに訪ねたラグナであったが、ウォードは肩を竦めるのみ。
キロスはさっさとドアを閉めてしまい、窓の向こうで手を振る。
そのまま車は走り出し、ラグナは置き去りにされたような気分で、しばしぽかんと立ち尽くすのであった。
なんだったんだと頭を掻いたラグナだが、玄関先で呆然としていても仕方がない。
明日には雪が降るかも知れない、と天気予報で言われていた通り、寒さに芯が入って来た夜風に当たり続けるのは辛いし、さっさと風呂に入って寝てしまおうと、玄関の鍵を開ける。
キ、と蝶番が音を立てて、廊下の灯りが外へと零れる。
と同時に、扉一枚向こうにあった影がラグナの前に落ちて来て、え、とラグナは目を丸くした。
「────スコール?」
見慣れた広い廊下を背に佇む、見慣れた黒のシルエット。
白いファーのついたジャケットと、白いシャツ、首元には銀色に光る獅子のネックレス。
遠いあの日に愛した色を受け継いだ、ダークブラウンの髪と、深い深い蒼の輝石。
今日は見る事が叶わなかった筈のものが其処にあって、ラグナはまたぽかんと立ち尽くした。
どうして、の言葉すら出て来ないラグナに、スコールは聊か気まずそうに視線を逸らしながら、
「……お帰り。……あと、……おめでとう」
言ってスコールは、蚊の鳴くような小さな声で、一応言うだけ言っておこうと思って、と付け足した。
お喋りな瞳の代わりに、赤い頬と耳が、彼の胸中を具に表しているが、ラグナはそれを見ている余裕はなかった。
「え、あ。お、おう、ただいま。と、ありがとう?」
「……」
「ええと。あれ、なんでいるんだ?」
「……」
「今日は確か、別の仕事入ってるって聞いたと、思うんだけど」
判り易く戸惑うラグナの問いに、スコールは口を噤んでいる。
───今日の大統領の生誕セレモニーは、経験不足が露呈して間もないエスタの軍だけでは心許無いと、バラムガーデンを筆頭として、傭兵やセキュリティ会社に警備を依頼を出していた。
各国の要人が多く集まるとあって、それは当然の準備だろう。
バラムガーデンからはシド・クレイマーが来賓としてやって来るし、その警護も含め、出来れば其処にスコールがいてくれたら、とラグナは思っていたのだが、折悪く危険度の高い魔物の退治が入ったとかで、スコールは其方に駆り出された。
だからキスティスとゼルがやって来たのだ。
そう言ったことは決して珍しい事ではないのだが、今回に限っては、ちょっと残念だったな、と言う思いがラグナの胸に浮かんでいた。
だからスコールがどうして今日のエスタにいるのか、と訊ねるラグナの疑問はごく普通のことだ。
が、少し気難しい年頃の少年にとっては、ラグナのその困惑振りが少々穿った形に見えたようで、
「……俺が此処にいたら駄目なのか」
「いやいやいや!そう言う事じゃないけど。めっちゃくちゃ嬉しい!けど、今日は来れないって思ってたから。びっくりして」
「……」
拗ねた口調のスコールの言葉を、ラグナはぶんぶんと首を横に振って否定した。
そんなラグナを見て、スコールは小さく息を吐いてから、言った。
「……仕事は終わらせて来た」
「そ、なのか」
「……それで、セレモニーが終わるまでには間に合わないだろうけど、……今日中にはまだ、間に合うんじゃないかと思って、……来た」
そう言ったスコールは、相変わらず視線を逸らしたままだったが、前髪の隙間から蒼の瞳が覗き見えた。
恥ずかしそうに、けれど少し何処か楽しそうな色は、まるで悪戯が成功したような、普段はあまり見せない雰囲気を滲ませている。
今日と言う時間が終わるまで、あと二時間は切っているだろう。
それでも“今日”に間に合って良かったと、スコールの言葉の代わりにお喋りな瞳が言っていた。
その傍ら、ラグナがよくよく見てみると、スコールの赤らんだ頬に薄く擦れた傷の後があって、ジャケットも所々が汚れている。
魔物討伐の任務を終えて、そのままの足でエスタに来たのか。
スコールの直前の任務地が何処かをラグナが知る由はないが、それでも“間に合うかも”と疲れているだろうに足を延ばしてくれたことが、ラグナは無性に嬉しかった。
胸がぽかぽかと温かくなる感覚に、ラグナが相貌を細めていると、
「……それに、……その、……」
「ん?」
言い淀む様子で中々口が開き切らないスコールに、ラグナがことんと首を傾げる。
口を開いては閉じるを繰り返した後で、スコールはやっぱり俯き加減のまま、視線だけをラグナに寄越して、
「……官邸に行ったら、あんたはセレモニーやってて、俺がやるのは“大統領の警護”だろう。でも、此処なら、あんたは一応、“あんた”だし。俺も今日は任務で来てる訳じゃないし。……此処なら、“俺”が“あんた”を祝えるんじゃないかと、思って………」
だから敢えて、エスタに来て、いつものように大統領官邸には向かわずに、真っ直ぐに私邸に来た。
門扉と玄関のセキュリティは、キロスとウォードに先に連絡をつけたら、都合をつけてくれたから勝手に入った。
それはほんの数十分前の話なので、直にラグナが私邸に帰るからとキロスから聞いていたから、それからずっと此処で待っていたとスコールは言う。
成程確かにその通りで、廊下の隅にはスコールの荷物と思しきものが、愛用のガンブレードケースと共に置かれていた。
疲れているだろうに、わざわざ来て、こんな所で帰りを待っていてくれたのか。
そう思ったら、ラグナはもう辛抱堪らなくなって、細い体に覆い被さるように抱き締める。
「ちょ…、ラグナっ」
「すっげー嬉しい。ありがとな、スコール」
「……べ、つに……俺は……何も」
ただ来ただけ、と言うスコールに、ラグナは小さく首を横に振った。
スキンシップに不慣れな少年を、強く強く抱きしめると、少し抵抗するように身を捩るのが伝わる。
それでも離すまいと、背中に回した腕に力を込めていると、鼻先を押し付けた首筋から汗の匂いがした。
一頻り細い体を抱き締めて、取り敢えずラグナは満足した。
肩口に埋めていた顔をあげると、なんともむず痒くて仕方がないと言う顔をしたスコールと目が合う。
距離の近さもまた、スコールにとっては苦手な所なのだろうが、誕生日だからか振り払われない事に、ラグナは存分に甘える事にした。
「なあ、この誕生日プレゼント、直ぐにいなくなったりしないよな?」
「誰が誕生日プレゼントだ……」
俺は物じゃない、と小さく呟いて、スコールは一つ溜息を吐いてから、
「…帰るのは明後日。明日は何もないから、あんたの好きにしたら良い。……俺はそれに付き合うから」
そう言ったスコールの手が、離れようとしないラグナの腕に重なる。
ほんのりと赤い頬が、見詰める蒼が熱を灯している事に気付いて、ラグナはもう一度スコールを抱き締めた。
ラグナ誕生日おめでとう!
会いたいけど仕方ないかあからの駆けつけて来てくれたスコールでした。
明日はフリーらしいので、今夜からプレゼントを堪能すると良いよ。