[クラレオ]お楽しみは不憫の後で
間の悪いこともあるものだ、と両手に抱えた荷袋を見ながら思う。
今日と言う日を当人が楽しみにしていたかはともかく、ちょっとした宛くらいにはしていただろうに、よりにもよって今朝から熱を出すとは。
熱を出したら大人しく休め、と言う方針の部署であるので、無理をさせる必要がなかったのは幸いだが、同僚たちが持ち寄った品々は、残念ながら彼ら自身の手で本人に渡すことは出来なかった。
渡した時の反応を見たかった、と言う人はいるが、かと言って、体調不良の人間の下に、大人数が押しかけるのも良くない。
代表として、彼を良く知る人物としてレオンに任されることになったのは、当然と言うべきか、仕方ないと言うべきか、ともあれ自然な流れではあったのだろう。
鉄筋コンクリート製の四階建アパートの一番上の奥に、クラウドは住んでいる。
簡素な打ちっぱなしの外観をした其処は、外見は中々に年季が入っているが、中は人が出入りするごとに清掃修復され、必要であれば設備も見直されるらしく、壁の厚みもあって住人にとっては随分快適なのだとか。
唯一クラウドが愚痴を垂れる事と言えば、エレベーターが設置されていないことで、最奥に住んでいる人間にとってはそれだけが不便とのこと。
それでも周辺環境や日当たりの立地条件などが良く、要所への交通アクセスも悪くないので、物件としては人気がある。
階段を四階まで上がり切ったレオンは、成程、これは疲れている時には堪える、と思う。
幾ら若い年齢であると言っても、一日の就労を終えた後にこれは面倒だろう。
自宅のマンションにエレベーターがあることの有難みを、レオンは此処に来る度に感じている。
一番奥の扉の前で、レオンは鞄の中からシリンダー錠の鍵を取り出した。
それを鍵穴に差す前に、一応のチャイムを鳴らして置く。
半々の確率で予想していた通り、中からの応答はなく、まあ仕方ないなと思いながら、鍵を玄関の穴に差し込んでがちゃりと回した。
玄関ドアを開けると、中は薄暗い。
足元を見ると、見覚えのある靴が散らかるようにして残っていたから、家主が出掛けている訳ではなさそうだ。
レオンはドアを閉めると、知った位置にある電気のスイッチを手探りに探し、壁についているそれをパチリと押す。
辺りが明るくなると、短い廊下の横についている簡素なキッチンに、空のペットボトルが三本転がっていた。
内側に水滴が付着しているそれを見て、洗っている訳ではないことと、放置されてそれ程間がないことを読み取る。
「邪魔するぞ、クラウド」
一応の断りを入れてから、レオンは靴を脱いだ。
キッチン向こうのドアを開ければ、家主が日々を暮らす居住室がある。
其処も真っ暗になっていて、レオンはドアの傍にあるスイッチを切り替えた。
天井の電気が明々と照り、雑然とした部屋の中で、角隅にあるベッドにこんもりとした山が出来ているのを見付ける。
「クラウド」
シーツに潜り込んでいる人物の名を呼べば、唸るような声が聞こえた。
それはしばらくうごうごとベッドの上で身じろいだ後、胡乱な目をしてのっそりと起き上がった。
「……あんたか」
「返事がなかったから勝手に入ったぞ」
「……ん」
家主の断りを待たずに入った事を告げれば、クラウドは気にした風もない。
それよりも、赤い顔で顰めた顔をしている辺りに、彼の体調が中々良くないことが読み取れる。
レオンは両腕に抱えていた荷物を一旦下ろした。
「皆からの誕生日プレゼントを持って来たんだが、今日はそれ所じゃなさそうだな」
「……くそ。なんだって今日なんだ……」
「日頃の不摂生かもな。食事と薬はちゃんと摂ったのか?」
「……薬は飲んだ。飯は食ってない」
「ちゃんと食え、治すにもエネルギーが必要だろう。食欲は?」
「……腹が減った感じはあるけど、作るのが面倒だ……」
起き上っているのも体が重いのだろう、クラウドはベッドに大の字で転がる。
その顔が、普段の色白さとは正反対に紅潮しているのを見て、レオンはやれやれと近付いた。
赤いクラウドの額に手を当て、自分の体温と比べてみると、中々の発熱をしていることが判る。
「高いな。薬を飲んだのはいつだ?」
「……忘れた」
「朝か昼か。夕方か?」
「あー……多分昼……?」
「それならもう五時間以上は経ってるな。飯を食っていないなら作ってやる。それから薬だ」
レオンは上着を脱ぐと、ハンガーにそれをかけて、部屋を出た。
キッチンにある冷蔵庫を開けてみると、大方の予想通り、中身は殆ど入っていない。
料理の類に全く才能がないクラウドは、専らコンビニ弁当とインスタント食品、そして外食暮らしである。
電子レンジで温めて食べられる米を見付け、鍋にそれと水を入れてしばらく煮込む。
その間に、他に何かないかと探っていると、インスタントのスープ各種が入った箱を見付けた。
顆粒で入っているそれを鍋に入れ、軽くかき混ぜながら、塩と胡椒で味を調える。
卵でもあれば入れる所だったが、冷蔵庫にそれらしきものは見付からなかった。
出来上がったコンソメ入りの粥を丼皿に移し、部屋へと戻ると、クラウドが起き上がっている。
体は怠くても、寝転がっていることに飽きたのか、彼はレオンが持って来た紙袋───同僚たちからの誕生日プレゼントを覗き込んでいた。
「クラウド、飯だ。一日何も食べてないんだろう、これ位は入れておけ」
「……どうも」
自分で準備をするのは億劫だったが、食欲がない訳ではないのだろう。
レオンがテーブルに置いた粥に、クラウドは直ぐに手を付けた。
今日一日、クラウドはとにかく、寝て過ごしていたと言う。
熱のピークは朝が最も高かったそうで、会社に休む旨を連絡した後は、薬を飲む以外の活動はほとんどしていない。
昼を過ぎた頃には空っぽの胃が主張してきたが、熱が下がっていなかった事もあり、食事の準備の為に起き上がる気になれなかった。
水分だけは欠かさず摂るように心掛けていたが、胃に入れたのはそれだけだ。
そんなクラウドにとって、レオンが作った粥は、丸一日ぶりのまともな食事である。
クラウドは丼一杯に注がれた粥を、綺麗さっぱりに平らげた。
「ふう……」
「それだけ食えるなら大丈夫そうだな。ほら、薬だ」
常備薬を差し出したレオンに、クラウドは水と一緒にそれを受け取った。
一息にそれを飲み干したクラドは、心なしかすっきりとした表情で、ベッドの端に寄り掛かる。
レオンは空になった食器を洗う為、一旦席を立った。
部屋とキッチンの間のドアは開けたまま、キッチン周りの片付けを始める。
水の流れる音の傍ら、クラウドが深々と溜息を吐いていた。
「全く、散々だ。今日は色々得が出来た筈なのに」
「まあ、そうだな。皆の事だから、プレゼントだけじゃなくて、飯に行って驕るくらいは予定にあっただろうし」
「振替は効くのか?」
「さあな。治ったら自分で聞いてみろ」
言いながらレオンは、まあ応じてくれるだろうな、と思っていた。
誕生日に熱を出して、一番うんざりとしているのはクラウドだろうし、職場の仲間たちも、クラウドの誕生日を口実にしつつ皆で飲みに行くのを楽しみにしていたのだ。
今日の所はこうした結果になってしまったが、楽しみを取り戻すことに厭を唱える者はいないだろう。
都合の擦り合わせさえ出来れば、多くはまた集まってくれる筈だ。
洗い物を終えたレオンは、部屋に戻ると、床に置いていた自分の荷物を取った。
「じゃあ、俺は帰る。もう寝飽きただろうが、熱が下がるまでは大人しくしていろよ」
「ちょっと待て」
そのまま返す踵で出て行こうとするレオンの服を、クラウドの手がしっかと捕まえる。
なんだ、とレオンが眉根を寄せながら振り返れば、判りやすく不満そうな顔が此方を見ていた。
「熱を出している恋人を置いて、そうもさっさと帰るのか、あんたは」
「伝染されたくはないからな。お前も俺がいない方が大人しく寝るだろう」
「病人だぞ。誕生日だぞ。もう少し構え、優しくしろ」
「おいこら、まとわりつくな」
服端だけでは物足りないと言わんばかりに、クラウドの腕がレオンの腰に回って来る。
厄介な甘え癖を発揮して来たな、と胡乱に目を細めるレオンだが、見下ろした男の額は赤い。
それだけでなく、捕まって寄り掛かって来る全身が火照った熱を持っているのが感じ取れた。
今日がクラウドの誕生日で、その当人が不運にも熱を出してしまっているのは事実だ。
そう考えると、如何にレオンとて、あまり素っ気なくも出来ない。
はあ、と溜息を吐いて、レオンは持っていた荷物を再び床へ下ろした。
「全く……判ったから離せ、ベッドに戻れ。ぶり返したら俺の責任になるだろう」
「そうしたら、あんたは責任を取ってくれるだろうから、それもありだな」
「……確信犯に付き合ってやる義理はない」
図太いことを言ってくれる男に、レオンは力づくで張り付く腕を剥がした。
肩を押してベッドへと押し戻すと、クラウドは渋々と布団へ戻る。
レオンも諦めに似た気分を抱きつつ、クラウドが寝転んだベッドの端へと腰を下ろす。
動いた所為で体の熱感が上がったのか、クラウドは唸るようにして枕に顔を埋めている。
そうも具合が悪いのなら、駄々を捏ねずに大人しくしていれば良いものを、と思うレオンであったが、
(……病気になると弱気になる、とは言うな。こいつにそんな柔な神経があるとも思ってないが……)
普段のことを思えば、クラウドがそうも繊細な気質であるかと言えば、少なくともレオンから見る限りは否である。
だがそれも、それを感じさせない程に普段が健康そのものであるから、と言われればそうだ。
滅多に体調を崩さない人間程、稀に熱のひとつも出ようものなら、精神的な所から参ることもある。
慣れない体調不良と言うものに、ともすれば過剰なほどに不安が募る───と言うのは、理解できない話でもなかった。
そう考えると、やはり、このまま放っておくのも聊か気が引けて来る。
また、普段は図々しいほどに抜け抜けとしてくる様子を見ている所為か、判りやすく弱っていると、此方も少々調子が狂う。
レオンは、ベッドに突っ伏しているクラウドの金色の髪に手を置いて、ぽんぽんと撫でてやった。
クラウドはしばらくそれを享受した後、首だけ動かしてレオンの方を見る。
「……優しいな。誕生日だからか?」
「お前が優しくしろと言ったんだろう。……まあ、そんな日にこんな熱を出している奴に、多少の同情はしているかもな」
そう言ってレオンが手を引こうとすると、その手をクラウドが掴んだ。
もう少し、と言わんばかりに、レオンの手は彼の頭へと戻される。
仕方なくレオンは、何処となくヒヨコを連想させるクラウドの金色の鶏冠頭をくしゃくしゃと撫でる。
クラウドはその心地良さに目を細めながら、ベッドの横に置いたプレゼントの紙袋を見た。
「あれ、あんたからのも入ってるのか」
「いや。良いものが見付からなかったから、俺から渡す物はない」
問いにレオンが答えると、碧の瞳がじとりと湿気を持って此方を見た。
拗ねたと判る表情に、存外と自分が期待されていたらしいことを知る。
「恋人の誕生日なのに……俺だってあんたに用意してるんだぞ」
後に控えるレオンの誕生日を引き合いに出して唇を尖らせるクラウドに、やれやれ、とレオンは息をひとつ。
「それは殊勝な事だが……適当なものを渡されても嬉しくないだろう、お前は」
「物に因る。別にネタ物でも面白ければ構わないし」
「そう言うのはザックスやユフィを宛にしてくれ。俺にそんな引き出しはない」
「まあ、確かにあんたがそう言うものを用意したら、誰の入れ知恵かと思うだろうな」
大喜利には向いてない、と言うクラウドに、レオンは肩を竦める。
───それで、と話を元に戻した。
「物は用意できそうになかったから、代わりに、偶には色々応じてやろうかと思っていたんだ」
「……色々って?」
「言葉の通りだな」
見上げる碧が判り易い期待で見上げるのを、レオンは否定しなかった。
事ばかりは曖昧に、好きに想像すれば良い、と言う態度は、暗に“なんでも”と示しているに等しい。
爛々とした碧が興奮したように起き上ってきたが、レオンはその後頭部を押さえてベッドへ潰し戻した。
「だが、この有様じゃあな」
「なんでもしてくれるなら、今からでも」
「今からか。それだと、病人の世話ならしてやるが、それで消費しても良いのか?」
「……そいつは勿体ない」
レオンにとって、今日のクラウドは病人なのだ。
熱も下がり切っていない、朝から調子の悪い人間を相手に、レオンはその身体を酷使させるつもりもない。
看病してくれと希望するなら応じても良いが、それを今日と言う日の特別特権に使って良いものか。
その特権の希少価値と言うものを、クラウドもよくよく知っているから、迂闊に消費する気にはならなかった。
クラウドはベッドに伏せた格好で、ふう、と諦めの一区切りに息を吐いた。
体がごろりと転がって、ベッド端に座ったレオンに密着して来る。
腰に腕が絡みついて、しっかりと捕まえて来るのを、レオンは好きにさせていた。
「今日の所は、このまま面倒を看てやる。病人だからな」
「……嬉しいことだな。で、今日貰える筈だったあんたからのプレゼントは、後でまた貰えるのか」
「そうだな。ちゃんと風邪が治ったら」
「いつでも良いのか」
「仕事に支障が出ない範囲にしろよ」
それなら好きな時にすれば良い、と言うレオンの背中に、ぐりぐりとクラウドの頭が押し付けられる。
いつになく甘えたな仕草を繰り返すのもやはり体調不良の所為だろう。
その様子に自分が絆されている所があるのも否定は出来ないな、とレオンは思う。
しばらくの静寂の内に、クラウドはうつらうつらとし始めていた。
空っぽだった胃袋にもエネルギー源が入り、薬も効いてきて、熱の感覚も多少は収まったのか、頬は相変わらず赤みが強いものの、唸るような様子はない。
その癖、レオンにしがみついたままの腕は解かれる気配がなかった。
今日はこのまま此処で寝るしかないか、とレオンは今夜の寝床に諦めを持ちつつ、
(……俺も飯を食って置けば良かったな。このままだと動けない)
そもそもレオンは、クラウドに最低限の世話をしたら帰るつもりだったのだ。
だから自分の腹が空っぽの状態なのも気にしていなかったのだが、このままだと、それを宥めることも出来ない。
しかし、腰に絡む腕はしっかりとした力でレオンを捕まえていて、当分は離れそうになかった。
無理に解かせようとすると、駄々を捏ねる子供のように、より強い力がかかって来る。
はあ、とレオンは何度目かの溜息を吐いて、くっつき虫の頭をぽんぽんと撫でてやった。
それだけで何処か満足そうに眦が和らぐ恋人に、まあ良いか、と思う事にしたのだった。
クラウドの誕生日と言うことで、クラレオ。
うちのレオンは基本的にクラウドに対してドライですが、なんだかんだ優しくしてしまう所もあるので、そう言うのが見たいなぁとか思いまして。
現パロならKH世界よりも優しくし易いかな、とか思ったんですが、やっぱりドライ。でも甘いと言う感じに。
そして誕生日に風邪っぴきな不運なクラウドですが、後日にしっかり貰えるもの貰って堪能するので結果オーライで。