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2019年10月

フォームお返事(9月28日)

  • 2019/10/10 22:25
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[ジェクレオ]王はすべてを手に入れる

  • 2019/10/08 22:05
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最初に水と言うものに触れたのがいつだったのか、ジェクトは思い出すことが出来ない。
随分と遠い日の話になるのだから無理もないし、若しかしたら記憶する以前の事だったのかも知れない。
どちらにしろ、理由となりそうな事は思い付かなくなって久しいのだが、それでも水に触れる時の感覚と言うのは、初めて得た時のものと一分の代わりもない事だけは確信を持って言えた。
その確信に確固たる理由はないけれど。

地球と言う場所に生きている限り、そこには重力の存在が必ず在る。
重力の過多を判断する為、基準となった1Gと言う数字は、特に意識しなければ何と言う事もない話であるが、案外と生き物の体に負荷を齎す。
だから動物は体を支える為に四つ足となり、鳥は飛ぶ為に体を軽量化させるか、重量を支える為の翼とそれを動かす筋肉を発達させた。
人間は後ろ足だけで立つ為に背骨を太くし、背筋を鍛え、骨盤も大きくなった。
これらの進化の形は、今現在も生き物に等しく降りかかる重力に対抗する為のものである。
それは日々の生活の中で、絶えず刺激され、反発する為に力を使って体を動かす事で、維持されているものだった。
だから宇宙飛行士のように、一年や二年と言う長い時間を重力から解放された場所で生活いていると、戻って来た時には碌に体が動かせない、と言う事もあるのだそうだ。

この星で生きている限り、重力から逃れる事は出来ない────のだが、水の中は話が別だ。
水の中では浮力があり、其処にあるものは抵抗しなければ等しく浮かび漂う事が出来る。
重い石材は沈むものであるが、それでも地上の半分程度の力で持ち上げる事も可能であるから、水の中と言うのは疑似的な無重力空間として、宇宙飛行士の訓練場として使われる事もあると言う。
水の中では人間は息も出来ないので、そう言う意味では近い環境と言えるのかも知れない。

ジェクトは、水の中に入った時の浮遊感が好きだった。
若い頃から体格には恵まれていたので、重い筋肉が付きやすく、水の中では他者よりも深く沈んでしまう傾向があるのだが、かと言って何処までも沈む訳でもない。
重力から離れ、浮力に持ち上げられた躰は、地上を歩く時よりも軽く感じられた。
それが細やかな解放感にも似て、ジェクトは其処でならありとあらゆる事が出来るような気がしていた。
勿論、肺呼吸の生き物であるが故に不自由も後を絶たないのだが、それはそれとして、地上とは違う世界で過ごせる一時は至福の時間でもあった。

そんな思い入れがあるから、ジェクトが水から離れられないのは決まっていたのだろう。
水に関わるスポーツをあれこれと試し、最終的には水球に行き付いたが、他のスポーツも嫌いではない。
最後に水球が残ったのは、偶々それをしていた時に評価が上がり、プロスポーツ団からスカウトを受けたからだ。
当時は学生気分も抜けていなかったから、合わなければ辞めれば良いとか、他の競技でも少なからず評価は貰っていたから、そっちに鞍替えしても良いと思っていた。
結局は存外と性に合ったので、今では“キング”の異名を冠する程の実力となっている。
そのお陰で妻と出逢い、息子に恵まれた。
妻とは早くに死に別れてしまったが、スター選手として破格の契約金を貰っているお陰で、息子を育てるのもなんとかなった────近所の家族には随分と世話をかけて貰ったが。

水に触れているお陰で、今のジェクトがある。
あの自由な世界で生きて来たから、ジェクトは自分の力を信じる事が出来たし、迷った時にも立ち止まらないで済んだ。
最近、息子が自分と同じ道を進もうとしている事には、色々と思う事はあるが、それも嫌な事ばかりではない。
俺の息子なんだ、当然だと思うのも本音で、剥き出しの対抗心で睨む海の青を見る度に、まだまだヒヨッコだと笑いながら、早く此処まで上ってこいとも思っている。
この自由な水の世界で、息子と向き合う事が出来たら、きっと倖せだ。

そしてつい最近、もう一つ、倖せの種は増えた。
まだ誰にも秘密の種ではあるけれど、手放さないようにしたいと思うものが。




ジェクトの練習は、始まりと終わりに決まった流れを作っている。
始まりは、入念な準備運動をした後、地上でボールを使ってリフティングをし、入水したら先ずは50メートルプールを一往復、それから水の中でボールを使って今日の体の感触を確かめる。
終わる時には、10分程水面に浮いて一心地した後、プールを三往復し、プールから上がったら呼吸を整えてからシャワーを浴びる。
練習メニューとは関係なく行っているこれは、ジェクトがプロプレイヤーになってから間もなく始まり、定着させたものだった。
古株の仲間内から、そろそろ年齢的に無理が来てるんじゃないか、と揶揄われる事もあるが、まだまだだとジェクトは言ってやる。
ともかく、これを始めなければジェクトのコンディションは仕上がらないし、終わりにしなければ収まりが悪いのだ。

今日もチームでの練習が終わった後、ジェクトはいつものように最後の締めを行っていた。
スタート時には体が温まっていた事、練習後の休息を挟んだ事で最高のキックで始められるのだが、時間が立つと段々と体は重くなる。
しかし、ジェクトの泳ぐスピードは落ちてはいなかった。
このままのコンディションを維持し続ける事が出来れば、四日後の試合でも良い動きが出来るだろう。
そう言った確認も含めて、ジェクトは最後の往復路で気を抜かないように努めていた。

大きく伸ばした手がタッチ板を叩き、ジェクトは顔を上げた。
水の音がなくなった世界は随分と静かで、仲間達はもうとっくに引き上げたのだと言う事が判る。
少しばかり苦しくなった肺を、はっ、はっ、と短い呼吸を繰り返して宥めつつ、水泳キャップを脱ぎ捨てて、水と一緒に落ちて来る前髪を掻き揚げていると、ふっとジェクトの頭上に影が落ちた。


「終わったな。お疲れ様」
「……おう」


シンプルな労いの言葉をかけてきたのは、レオンだった。
濃茶色の髪と、蒼い瞳と、額に走る大きな傷が印象的なこの青年は、シャツとGパンと言うラフな格好で、飛び込み台から此方を覗き込んでいる。
いつもは下ろしている長い髪は、湿気を嫌ってかアップに括り、ポニーテールにされていた。
手にはクリップボードを持ち、手首にはストラップを括り付けたタイマーがある。

ジェクトがプールサイドに向かって水を掻くと、レオンの足がそれについて来た。
疲労感で重くなった躰を持ち上げ、水から出ると、ベンチに置いていた筈のタオルが差し出される。


「サンキュ」
「ああ。水は、後で良いか?」
「ん」


受け取ったタオルで頭を拭きながら、ジェクトは一番近いベンチへと向かう。
水から上がって重力を受けた体が、妙に重いのはいつもの事だ。
疲労しているのだから当然だし、浮力から解き放たれれば、こうなるのが自然の摂理と言うもの。

どすっ、とベンチに腰を下ろしたジェクトに、レオンは持っていたクリップボードを見ながら言った。


「調子は良いようだな」
「当然」
「これだけ仕上がってるんだから、試合前にティーダと喧嘩をしないでくれよ」
「ンな事しねえよ。それに、その程度で試合に影響は出さねえよ」
「さて、どうだか。あんた、意外と顔に出るんだぞ」


家庭事情に釘を刺す青年に、ジェクトは唇を尖らせる。

現在、ジェクトの息子であるティーダは、反抗期の真っ盛りである。
元々父に対して何かと対抗心を持ち易い子供ではあったが、思春期を迎えてそれが激しくなりつつあった。
ジェクトもジェクトで、どうにも息子には意地の悪い言動をしてしまうので、盛大な親子喧嘩が頻繁に勃発する。
その息子はレオンの弟と幼馴染で、家族ぐるみの付き合いをしているので、その喧嘩の仲裁に入る事も多い。
そして、レオンの仕事は、ジェクトのマネージャーであった。
何かと自己管理の意識が低いジェクトについて回り、栄養管理にスケジュール管理、所属団体との契約の交渉などを行っている。
練習メニューについても彼がチェックしているので、必然的にジェクトの事を観察する事になり、ジェクト自身よりも彼についてよく知っていると言って良い。
そんなレオンが指摘する事なら、その通りなのだろう────が、息子に関する話だけは、素直に受け取る事が出来ないのであった。

拗ねた顔をするジェクトを、レオンはくすくすと楽しそうに眺めている。
何がそんなに面白いんだか、とジェクトが頭を掻けば、聡いレオンはしっかり胸中を読んだらしい。
いやすまない、と笑った事を詫びつつ、


「まあ、顔には出るが、確かに試合にはそれ程影響させた事はないな。その辺りは流石だ」
「そりゃあ当然だ。俺様はキングなんだからよ。ヒヨッコがピーチクパーチクしてるからって、無様な真似はしねえさ」
「そのヒヨッコだが、再来週から地区大会の予選が始まるそうだ。スコールが応援に行くと言っていたから、俺も時間が取れそうだし同行するつもりだが、あんたはどうする?」


ヒヨッコ───ジェクトの息子であるティーダは、高校生になってから水球部に入った。
目覚ましい活躍でレギュラーをもぎ取り、エースとなった彼は、今は業界内では注目の若手プレイヤーである。
とは言え、其処には“ジェクトの息子”と言う色眼鏡も多分に有り、まだまだ幼い彼は、その評価に振り回されている所もある。
少し前から、その評価こそをバネにするように、一層競技に打ち込むようになったようだが、ジェクトから見ればまだ甘い所があった。
その評価はジェクトも同意見であるが、


「……俺ぁ行かねえよ。地区大会なんぞで、俺が行く必要もねえだろ」
「発奮にはなるんじゃないか?」
「そんな事でやる気出す位なら、普段から同じようにやりゃあ良い。第一、地区大会だろ?そんなもん、当たり前に勝てねえようなら、俺に勝つなんざ百万年早い」


ジェクトの言葉は厳しく、親としては冷たくも聞こえるものであった。
しかし、その言葉の裏側を、レオンは正しく理解している。
それこそ、ジェクト自身が認めようとしない、素直になれない心の奥底まで。

ティーダはまだまだ青い果実であるから、期待もあれば、逆に辛い評価を受ける事も多い。
彼自身が成熟し切っていない事や、良い意味でも悪い意味でも、素直過ぎる性格もあり、メディアの格好の的にされている。
面白半分に書き立てる者もいるから、嘗て同様の目に遭った経験を持つ父からすれば、息子がどんなに苦い虫を噛み潰しているか、想像できるのだろう。
だが、そうした厳しい環境の中でも、彼に光るものがあるのも確かだ。
ジェクトもそれを見抜いているから、いつか来る日への期待を込めて、もっと上を目指せと言うのである。
お前は絶対に此処まで来れる男だから、と。

────それに、とジェクトは更に付け足す。


「今は俺が応援に行くより、スコールが行く方が、あいつも気合が入るだろ」
「……確かに、それはありそうだな」


ジェクトの言葉に、レオンは少し寂しそうに、けれども喜びを滲ませながら頷く。
少し前から、ティーダとレオンの弟スコールが恋人同士の関係に収まった事を、二人は当人たちから聞かずとも察していた。
それぞれの身内への気まずさか、思春期のデリケートさ故か、彼等から打ち明けられるのは当分先だろう。
それまでは、知らぬ存ぜぬの体をしていようと、保護者二人は決めている。

だからジェクトが気にする事は、再来週の息子の試合ではなく、四日後の自分の試合だ。
応援に行くにしろ行かないにしろ、キングとして父として、勝って見せつけてやらねばなるまい。
その為にも、パフォーマンスは最高に仕上げておかなければ。

ふう、と一つ息を吐いて、ジェクトは重みを増した腰を持ち上げた。


「着替えるわ」
「ああ。じゃあ此処も閉めないと────」


借りている鍵を返すべく、出口に向かおうと背を向けるレオン。
その腰を、太い腕がぐっと抱き寄せて、レオンは目を丸くした。

ジェクトの逞しい胸にレオンの頬が寄せられる。
硬い、と思っていると、腰を抱いていたジェクトの手が下へ降りて、悪戯をした。
かっとレオンの顔が赤くなり、潜めた声がジェクトを咎める。


「ジェクト……!」
「判ってるよ」
「判ってな……っ!」


叱るレオンに、こんな所でする気はない、と言いながら、ジェクトはレオンの項を噛む。
引き締まった尻を、大きな手が包むように鷲掴んで、ふにふにと指が食い込むのが判った。
ぞくぞくとした感覚がレオンの背を奔り、はあっ、と唇から熱の籠った吐息が漏れる。
それを見下ろす赤い瞳に、じわりと獣の気配が滲んだ。

が、ばんっ、と固いものがジェクトの顔を打つ。
レオンが持っていた、クリップボードの裏面だった。


「……ってーな、オイ」
「自業自得だ」
「別に此処でおっぱじめやしねえよ。ただ後で───」
「後もない」


じろりと睨み、もう一発打つかと振り被るレオンに、ジェクトは大人しく引き下がった。
尻を揉んでいた手が離れると、レオンはほうっと息を吐きつつ、ジェクトから距離を取る。
その顔は怒りながらも紅潮しており、体の奥からはじくじくとした欲が沸き上がって来る。
だが、今それに身を任せる訳には行かないのだ。


「……試合が終わるまではナシだ」
「終わった後なら良いのか?」
「…わざと聞いているだろう、あんた」


レオンの言葉に、ジェクトは肯定も否定もしない。
口端を上げてにやにやと笑う男に、レオンは溜息を吐いて、呆れたように頭を振る。
そんな仕草をしながらも、レオンのまた駄目とは言わない辺りに、彼の甘さが現れていた。

恋人を置いて行く歩調で歩き出したレオンに、ジェクトは肩を竦めて、大人しくその後ろをついて行く。
その間に濡れた体を軽く拭いて、通路へのドアを潜ると、レオンは忘れ物がないかをしっかりと確かめてから扉を閉めた。
鍵をかけるその旋毛を見下ろしつつ、ジェクトは訊ねる。


「おい、レオン」
「なんだ」
「試合、勝ったらちょいとご褒美くれよ」
「……ご褒美?」


唐突なジェクトの言葉に、レオンは首を傾げて顔を上げる。
一体何が欲しいんだ、と素直に訪ねようとして、レオンは見下ろす瞳が抱くものに気付いた。
じわ、とレオンの頬に赤みが増したのを見て、ジェクトは満足げに口角を上げる。

バカじゃないか、と呟くレオンに、ジェクトはくつくつと笑いながら、濃茶色の髪をくしゃくしゃと撫でた。





10月8日と言う事でジェクレオ。

ジェクトのサポートをしているレオンと言う関係性にとても滾る。
全幅の信頼をお互いに抱きつつ、恋慕や愛情も一緒くたに向けあっている二人。
ご褒美なんて何が欲しいんだも何も明らかだし、試合を勝つ事をレオンは信じて疑っていなくて、その上で結局駄目とは言わない。

17歳な息子/弟と違ったアダルティな雰囲気も遠慮なく描けるので書いててとても楽しい。

[ティスコ]水面の夢人

  • 2019/10/08 22:00
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水の中の浮遊感が、ティーダは好きだ。
冷たくも暖かな水の中で、ふわふわと漂ったり、泳いだり。
体にかかる水圧で少し重くなった筋肉を、しっかりと動かして透明なカーテンを押し広げると、ふぅわりと前に進める。

そう言う体感が好きと言うのもあるが、多分それよりも前に、水の中から見た空が綺麗だったのが幼心に強く残った。
その世界をいつまでも見ていたくて、水中ゴーグル越しのゆらゆらと揺れる空をずっと見ていたら、存外と長く潜り続けていたようで、父親には溺れたと思われたらしい。
無理やりに水膜の向こうへと引き上げられた瞬間、いつも自分を泣かせてばかりの父親が、青い顔をしていたのが不思議だった。
次いで、空を堪能していた所を邪魔されたので怒ったら、心配してやったってのに、と愚痴が零れたのを覚えている。
今にして思えば、確かに溺れていたと考える方が自然な位に潜り続けていたので、父の焦りは真っ当なものであったと判るが、当時の自分はそんな事は考えもしなかった程、水と言うものの恐ろしさを知らなかったのだ。

そんな始まりで水に親しんだティーダは、小学校に上がる頃には、夏のプール授業が好きで好きで堪らなくなっていた。
どうしてプール授業は夏しかないのか、春だって秋だって冬だってすれば良いのに、と何度も思った。
成長するに連れ、いや他の季節はまだしも冬は駄目だ、凍え死ぬ、と理解するようになったが、他校のプールが屋内プールでいつだって使えると聞いた時には、心底羨ましかったものだ(そう言う所でも、プール授業は夏だけなのだが)。
だから中学校に進む時、屋内プールが整備されている所が良いと父に強請った。
其処なら年中通してプール授業がある────と言う訳ではないのだが、大抵、そう言う所は水泳に関する部活も盛んで、入部すれば水に触れ合う機会は増える。
候補にした私立の学校は、ティーダの成績では少し難度の高いもので、父からも無理だ無理だと散々言われたが、父への反発心と、成績優秀な幼馴染の助力のお陰で、ティーダは無事に志望校へと合格した。
入学したティーダは早速水泳部へと入り、めきめきと頭角を現し、中学三年生になる頃には、スポーツ特待生として推薦が貰える程になっていた。

推薦で入った高校でも、ティーダの水への執着は衰えない。
だから直ぐに水泳部に入ろうと思ったし、あちらもティーダの名前は聞き及んでいたから、それを期待していたようだった。
しかし、入部届を出そうとした矢先、プールで水球部が活動しているのを見て、急遽気持ちが変わった。

ティーダの父、ジェクトは水球のプロスポーツ選手だ。
幼い頃からティーダは、意識するしないに関わらず、その背中を見て来た。
試合があれば幼馴染一家と共に応援をしに行く習慣があって、両家共に母が逝去してしまった今でも、それは続いている。
家のリビングのDVDラックには、ジェクトが出た試合の記録が全て残されているし、公式に発売されているベストプレイ集なんて物もある。
試合が多いシーズンになれば家にいないし、シーズン前でも調整やら練習やらで海外にいる事も多く、幼い頃のティーダは余り父と接した記憶がない。
記憶はないが、その背中は確かにいつでもティーダの目の前にあって、壁のように聳え立っていた。

半ば興味本位であったとは言え、水泳から水球に鞍替えする意味を、判っていなかった訳ではない。
父が歩んだ道を、その背中を、真っ直ぐに追い駆ける事になるのだ。
それは、なんとなく其処に壁がある、と思いながらも、その脇道を選んで歩いていた時とは話が違う。
なんとなくと言う意識の中で見ていた背中を、真っ直ぐに見据える度に、その大きさと高さが判るようになってくる。
余りに大き過ぎるその背中は、それを追い駆けなければならない息子にとって、目標になると同時に、自分を踏み潰す重石にもなり得るものだ。
その上、父は世界的に名の知れたプレイヤーであるから、『ならば息子もきっと』と色眼鏡で見て来る輩は絶対にいる。
思春期故の反発心も勿論、父ではなく自分を見て評価して欲しい、と思うティーダにとって、こうした世間の目は非常に息苦しくなるものであった。
それを判っていたから、ジェクトはきっと、息子を水と親しませることはしても、水球と言う自分のフィールドに引っ張り込もうとはしなかったのだろう。
だが、ティーダが自らその道を選ぶと言うのであれば、話は別だ。
若くしてキングの名を欲しいままにした父親は、出ようと必死に藻掻く杭を、ぐいぐいと押さえ付けて来る。
そうする事で、ティーダが益々成長している事を願って。

────当面の所、父親の想いは凡そ反映される形になっている。
そして最近、ティーダにはもう一つ、充実している事がある。



基礎体力がやや低く、スタミナが最後まで持たない事が、ティーダの課題となっていた。
これは水泳をしていた頃からの課題で、瞬発力はあっても、それが長く持たないのと言う評価が常について回っている。
克服するべく毎日のように走り込みをしたり、プールを泳いだりと繰り返しているが、中々思うようにはステータスが伸びない。
このままは良くない、と言う焦りもあったが、さりとて焦っただけではどうにもならないのも事実。
今はとにかく、真面目にコツコツと、体を作り上げていくしかないのだ。

プールを端から端まで泳いで、三往復した所で、ティーダは水から顔を上げた。
はー、はー、と息を切らして、壁に寄り掛かる。
今日の部活の予定になっていた、部員同士の練習試合をした後なので、疲れているのは確かだ。
それでも、もう少し息が切れない位には余裕を作りたい、と思う。

息を整えていると、つんつん、とキャップ越しに頭を突かれる感覚があった。
見上げると、一年生の時に一緒にレギュラーを獲得した友人────ゼルが飛び込み台の上から此方を見下ろしていた。


「ゼル」
「もうそろそろ終わりだってよ。上がって着替えた方が良いぜ」
「判った」
「それから、あっち」


頷いたティーダがプールサイドの梯子に向かおうとすると、ゼルがそれとは反対方向を指差した。
首を巡らせて示された方を見てみると、プールサイドの隅の隅、壁に近い所に所在なさげに立ち尽くしている少年がいる。
ティーダの幼馴染で恋人の、スコールだった。


「スコール!」


喜色満面で恋人の名を呼んで、ティーダは思い切り手を振った。
するとスコールは、ティーダを見付けて一瞬口元を綻ばせたが、はっとした顔になると目を逸らしてしまった。
スコールの反応としてはいつもの事だ。

ティーダは気にせず、急いで水を掻き分けて梯子に辿り着き上ると、速足でスコールの下へ向かう。
ぺたぺたと裸足の足音を立てながら、走ってはいないが駆け寄るティーダの尻に、ぶんぶんと振れる尻尾を見たのは、一人二人の話ではあるまい。


「スコール」
「……煩い。聞こえてる」
「嬉しくてつい」
「……」


キャップ帽を取りながら近付いて来るティーダの言葉に、スコールは胡乱な目で睨む。
が、その頬はほんのりと赤く、怒っていると言うよりは、恥ずかしがっているのだと言う事が見て取れた。

スコールが立っている直ぐ傍らには、プラスチック製のプール用ベンチが並んでいる。
其処は部活をしている生徒が、タオルや水筒や、マネージャーの記録用シートを置く場所になっていた。
ティーダのタオルも其処に放ってあり、スコールはティーダの髪からぽたぽたと滴り落ちる水を見て、おもむろにティーダのそれを掴んで差し出す。
ありがと、と受け取って頭に乗せたティーダは、がしがしと髪を拭き終えると、タオルを肩へと引っ掻けた。


「中まで入って来るなんて珍しいな。いつも上にいるのに」
「ゼルが、どうせだからこっちで待てと。……部外者は入れるもんじゃないだろ」
「まあ良いじゃん。初めてじゃないんだし、皆スコールの事は知ってるし」


ティーダの言葉に、だから嫌なんだ、とスコールは口の中で呟いた。
他人に聞こえる事のないそれに、ティーダが気付く筈もなく、どうかしたかと首を傾げる幼馴染に、別に、と返すのみであった。

スコールはこの学校の生徒であるが、水球部でもないし、水泳部でもない。
プールに来る用事と言えば、精々ティーダの部活終わりを待っている時位で、それだってプールサイドではなく、二階の観客席にいるのが常であった。
今日もスコールはそうしていたのだが、クラスメイトのゼルに見付かり、下に降りて待てば良い、その方がティーダも早く終わると思うから、と促された。
泳いでいる時のティーダの集中力は群を抜いており、時には周りの様子も見ずに、時間の経過を忘れて熱中してしまう。
そうなると誰かに指摘をされない限り、部活の時間一杯まで使ってしまう。
秋口になって落日が早くなりつつあるので、出来れば冷たい風が吹かない内に撤収しろ、と言われているのだが、どうしても忘れてしまうのだ。
しかし、恋人が迎えに来ていると気付けば、余り待たせるのも忍びないと適当な所で切り上げる事も考える。
結局、今日のティーダは、プールサイドに降りたスコールの存在に気付かず、ずっと水の中の住人だった訳だが。


「待たせちゃった?ごめんな」
「……別に。いつもの事だ」
「直ぐ着替えるから」
「……ん」


小さく頷くスコールに、ティーダは笑いかけて、踵を返した。

急ぎ足でプールを後にし、体を拭いて、水球部の部室兼ロッカーへと走る。
途中で先にプールを上がっていた仲間達を何人か追い越して、逸るティーダの様子に背景を察したか、急げ急げと囃し立てる声があった。
部室に着くとこれまたティーダは大急ぎで着換えを済ませ、お疲れ様の挨拶もそこそこに出て行く。
普段はもっとゆっくりと着替えたり、部室で仲間達と雑談をしたりもするのだが、今日はそう言う訳には行かない。
何せ大事な大事な恋人を待たせているのだから。

プール棟の外に出ると、入り口の横の柱にスコールが寄りかかって待っていた。
肩に担いだ鞄を揺らしながら駆け寄ると、音に気付いたスコールが顔を上げる。


「お待たせ」
「待った」
「ごめんって」


詫びるティーダを尻目に、良いさ別に、と言って、スコールは柱から背中を離す。
歩き出したスコールの隣にティーダも並んだ。


「…本当に、水の中にいる時だけは、集中力が高いな」
「やっぱり水の中って気持ち良くてさ。つい夢中になっちゃって」
「そんなに良いものか」
「凄く。スコールも、ちょっとだけ、入ってみる?」
「……嫌だ」


ティーダの言葉に、スコールは判り易く顔を顰めた。
けんもほろろのその態度には、幼い頃のトラウマが滲んでいる。

物心がついて間もない頃、スコールは家族旅行に行った海で溺れた事があると言う。
幼児だったので浮き輪は持っていた筈だが、何かの拍子に零れ落ちてしまい、パニックになっている間に沈んで行った。
その時、深く暗くて冷たい水の底から、光を湛えた空が遠くなって行くのを見ていた。
息が出来なくて苦しくなり、遠くなる空が段々と黒く塗り潰される感覚は、幼い心に深い傷となって残っている。

その時分にはまだティーダとは家族包みの付き合いまではしていなかったので、ティーダは話でしか聞いていない。
けれど水泳に親しんでいる内に、溺れた事も全くない訳ではなかったから、スコールが感じたのであろう恐怖の断片は想像する事が出来た。
一番最初の水との出会いが、そんなに怖い体験だったら、トラウマになるのも無理はない。
それから十何年と経ち、文武両道で知られるスコールが、水泳だけはどうしても出来なくて、夏のプール授業を全て見学にするのも、仕方のない事だろう。

けれどティーダは、それもまた勿体ないとも思ってしまう。


「綺麗なんだけどなぁ。水の中から見た空って」


幼いティーダを魅了した、澄んだ青空と、ゆらゆらと揺れる水面を見上げたあの光景を思い出しながら呟く。
きらきらと乱反射する光の粒が眩しくて、けれどティーダは目が離せなかった。

でも、ともティーダは理解していた。


「仕方ないよな。俺も溺れた事あるけど、あれってむちゃくちゃ怖いし」
「……」


校門へと歩きながら、スコールが俯く。
長い前髪に目元を隠されつつも、尖った口元が悔しそうに見えて、ティーダは濃茶色の髪をくしゃくしゃと撫でた。

────泳ぐことに恐怖を抱いているスコールだが、水の世界に全く興味がない訳ではなかった。
幼馴染が水の世界で活き活きとしている姿を見ているから、其処にあるのは冷たくて怖い物だけではないと言うのも、多少、判ってはいる。
自分が知らない世界で、恋人がどんな世界を見ているのか、共有してみたいと言う気持ちもあった。
けれど、大きくて広くて深い水の中に入ろうとすると、幼い恐怖が蘇って動けなくなる。
中学生の時、課外授業のボートにだって乗れなかったのだから、スコールの水への恐怖は根深いものだった。

頭を撫でていたティーダの手が離れると、スコールは手櫛で乱れた髪を直しながら言った。


「……別に良いんだ。泳げなくても、生きていけない訳じゃないし」
「ま、そっスね」
「…俺は、あんたが泳いでるのを見れれば、それで良い」


スコールの言葉に、ティーダは喜びと少しの寂しさが同居するのを自覚する。
恋人と一緒の世界を見たいと思うのは、ティーダも同じだった。
けれど水が怖いと言う恋人に、その恐怖を強引に切り開けと言うのも酷な事だ。

話題を変えよう、とティーダは頭を切り替えた。
今日は嬉しいニュースが一つあるのだから、それで後は楽しい話をしよう、と。


「スコール、スコール。俺、次の大会、レギュラーだって」
「良かったじゃないか」
「うん。スコール、応援しに来てくれるよな?」


確かめるティーダに、スコールは直ぐに頷いた。
やった、と抱き着いて来るティーダに、スコールの体がよろよろと傾く。

中学校の水泳部にいた頃から、スコールはティーダが出場する大会には必ず応援に駆け付ける。
区域や地方の予選大会は勿論、都心で行われる事になる全国大会にも、スコールは可能な限り見に来てくれた。
余り声を上げるタイプではないので、ティーダの名を呼んで大々的に応援コールをしてくれる訳ではないのだが、スコールが見に来てくれている、と言う事が大事なのだ。
今年は恋人同士になって初めての大会であるし、ティーダも益々気合が乗っている。
スコールが応援に来てくれるのなら、是非とも勝って報告したい、と言う気持ちもあった。



絶対勝つから、絶対見に来てくれよ、と言うティーダに、スコールは判っていると頷く。
そんな事を言わなくたって、スコールは必ずティーダの応援に行くつもりだ。
水の中にいるティーダは活き活きとしていて、スコールはそれを見るのが好きなのだから。

きらきら輝くマリンブルーが、自分を見付けて手を振る瞬間。
ああ、この水にだけは溺れていたいと、スコールが密かに願っている事を、ティーダは知らない。





10月8日と言う事でティスコ!

違う世界で生きてるティーダがきらきらしてるのを見てるのが好きなスコール。
ティーダは、スコールとも同じ世界を共有したいなあと思っているけど、無理強いはしたくない。いつか一緒に見れたら良いし、その時自分が大好きな世界を案内できたら良いなって思ってる。

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