[ロクスコ]始まりの前に 2
何処から来て、何処に行こうとしていたのかも判らないのだと、青年は言った。
目が覚めた時には見知らぬ森の中にいて、どうしてそんな所にいたのかも判らない。
名前だけは、持ち物の中からそれらしいものを見付けたそうだ───其処には“Squall”と記述されていたので、一先ず、それを名として使うことに決めたらしい。
後は腰に携えているものが近くに転がっていて、森の中には野生動物や魔物がいた為、それを獲物として持って行くことにした。
奇妙な形をしたその武器の使い方については、どうやら体が知っているようなので、自分と無関係と言う訳ではないらしい。
だが、判ったことと言えばそれが精々であった。
とにかく情報が欲しいと、森の中を当て所もなく彷徨って、見付けた川を下ってニケアの街に辿り着いた。
街並みはどれだけ見回っても覚えがなく、記憶の琴線も震えない。
懐にあった財布と思しき袋に入っていた紙幣は、市場で出して見ると怪訝な顔をされた為、使える代物ではないと理解した。
森の中でも飲まず食わずに過ごしていた為、腹は限界で、そろそろ何か入れて宥めたいが、金がないので買い物が出来ない。
どうしたものかと途方に暮れて彷徨っていた所へ、道を塞いだ件の巨漢とぶつかった。
それ自体は詫びはしたのだが、「口で詫びてるだけじゃ誠意がねえな」だの、「謝罪するなら態度ってのがあるだろ」だのとにやけた顔で言うから、まず道を塞いでいたのは其方だと言ったのが、男の不興を買った。
後はロックが見ていた通りの流れで、腕に物を言わせて屈服させようとした巨漢を、青年の方がカウンターで投げ飛ばした、と言う決着だ。
ロックは青年を連れて市場を離れ、港の一角に連れて行った。
ウミネコの声が聞こえる其処で、先ほど市場の果物屋で買った林檎をひとつ、青年に差し出す。
「ほら、やるよ。腹減ってるだろ」
「……」
「別に何も入ってないし、腐ってもいないよ。さっき其処で買ったばっかりだ」
林檎を訝し気に見つめる青年に、ロックは苦笑しながら言った。
蒼の瞳には分かり易く警戒心が浮かんでいるが、空き腹も辛いのだろう、迷うように揺れている。
ややもしてから、青年はそろりと腕を持ち上げて、色鮮やかな赤い林檎を受け取った。
ロックは船止めに腰を下ろして、うーん、と小さく唸る。
「記憶喪失、か」
「……」
「自分の名前もはっきり判らないってのは、きついよなぁ」
青年は何も言わなかった。
右手に納められた林檎をじっと見つめるだけの彼が、何を考えているのかは、ロックにも判らない。
ただ、自分のことさえも判らないことに、漠然とした不安と焦燥を抱いていることは想像がつく。
そうやって、何も思い出せない事実に混乱し、憔悴した人を、ロックは嘗て見たことがあったから。
とは言え、見ず知らずの青年の詳細について、ロックが幾ら考えた所で判ることもない。
ロックが出来ることと言ったら、この青年が行けそうな場所について教えること位だ。
「この町は見ての通りの港町だ。この港から出る船にのれば、もうちょっと大きなサウスフィガロって言う街に着く。街の名前に聞き覚えは?」
「……ない」
「じゃあ、フィガロの人間でもないってことかな。後は、別の大陸になるんだけど、ドマとか、ツェンとか」
「……判らない」
「ふぅん……その辺りでもない、となると───」
有力な国の名前を挙げてみるが、何処も空振り。
そうなると残るは、ガストラ帝国が挙がって来る。
もしもこの青年がガストラ帝国の関係者だった場合、リターナーに与しているロックとは、敵対関係とする位置になる。
リターナー本部に近い場所にあるニケアで、帝国関係者が紛れ込んでいると言うのは、正直、歓迎されない話だ。
帝国としても、対抗組織があることは悟っている気配があるから、下手に尻尾を出す真似をすると、強襲される恐れがある。
“記憶喪失”が嘘なら、無害を装って組織に近付こうとするスパイとも考えられるのだ。
どう反応するか、と言う観察を強く意識して、ロックは青年に訊ねてみた。
「ガストラって国はどうだ?南の大陸じゃ、一番大きい国だ」
「……判らない」
「ベクタって街は?」
「……それも」
判らない、と青年は言って、俯いた。
林檎を握る右手が微かに力んで、浮かぶ震えを押し殺しているように見える。
それは、自身の胸中にある不安や恐れを、必死に隠そうとしている仕草のようだった。
(全部判らない、か。こっちとしても、これはなんとも言えないな……)
受け答えの様子を見る分には、“記憶喪失”と言う青年の言葉は事実に見える。
青年が、オペラ劇場で名演を馳せるような舞台俳優ならば話は違ってくるが、生憎、ロックに其方の可能性までは捌き切れなかった。
しゃり、と小さく林檎を齧る音が聞こえた。
ちらを見遣れば、青年が瑞々しい林檎を少しずつ齧っている。
一口食べれば、警戒も形無しとなったか、しゃく、しゃく、と瑞々しい果肉を食べ続けた。
空の胃袋に果汁の味が沁みるのか、時々、ほうっと息を吐く様子が見える。
そうすると、冷たくも見えていた横顔が随分と幼い印象に変わって、瞳に燈る不安げな様子も重なって、ロックは彼を放っておくのは悪いことのような気がしていた。
(……魔物とは戦えるようだし、さっきのこともあるから、まずまず腕は立つ。金はない。行く当てもない。本人の出所が不透明な所さえ目を瞑れば、まあ、条件は悪くない)
そう考えながら、やはり一番は、“記憶喪失”であることがロックの意識を引いた。
「何処にも行く所がないなら、お前、しばらく俺と一緒に来てみるか?」
「……は?」
ロックの提案に、青年は一拍開けた後、眉根を寄せて顔を上げた。
何を言っているんだ、と訝しむ表情に、ロックはそう可笑しなことは言ってないと思うけどな、と笑う。
「この港町を見ても何も思い出さなかったなら、これ以上此処にいても仕方がないだろ?でもお前は船に乗る金は持ってない。その辺で仕事を探せば飯代くらいは稼げるけど、船代となるとな。もうちょっと入用になるから、暇がかかる。気長に頑張るなら止めないけど」
「……」
ロックの言葉に、青年は眉間の皺を深めている。
手許の齧りかけの林檎を見て、自分の腹の具合を考えているのだろうか。
ロックは続けた。
「俺はこれから船で行った先で用事があるんだ。その為にちょっと軍資金もあるから、お前一人の船代は其処から出せる。飯代もまあ、立派なものじゃなくても良ければ、食わせてやれる」
「……其処までして俺を船に乗せる理由はなんだ?正体不明の記憶喪失者に世話を焼く、あんたに何のメリットがある?」
硬質な声で問う青年に、意外と警戒心が強いな、とロックは思った。
いや、確かに青年の言う通り、出逢ったばかりので、出自も曖昧な人間に施すには、余りにも破格な話だ。
彼にしてみれば、余りにも話が旨すぎて、実は奴隷船にでも乗せられるんじゃないか、と疑うのも無理はないか。
ロックも逆の立場であれば、見ず知らずの人間が此処までしてくれると言えば、まず裏があると考えるに違いない。
ロックは何処まで言って良いもんかな、と頭を掻いて、
「お前が何処の誰なのかは、この際聞かない。お前も判らない訳だしな。その上で、ちょっと傭兵みたいなことでも請け負ってくれると有難い」
「……傭兵」
青年が、小さな声で単語を反芻する。
空の手が何かを確かめるように、腰に携えた獲物の柄に触れた。
「武器を持ってるし、さっきはデカい男を一人、軽々投げ飛ばした。それなりに腕に覚えはあるんじゃないか。記憶がなくても、体がああ言う動きを覚えているって位には」
「……判らない。覚えていない」
ロックの言葉を、詰問と受け取ったか、青年は頑なな声で、何度となく連ねた言葉を繰り返した。
ロックもそれには頷き、青年の主張を受け止める。
「仕事柄、俺はあちこち行くことが多いんだ。人と逢う機会も多い。それについて来てくれたら、その内、お前を知ってる人に行き会うかも知れない。保証はないけどさ、この町でじっとしているよりは有効的だと思うぞ」
「………」
「どうやらこの辺の地理も判らないようだし。何処に何があるのか判らないまま、ふらふら当てもなく行くよりは、行先がはっきり分かって案内人がいる方が便利だろ?」
「……それは……そうだけど」
「それで、タダって言うのも反ってお前には心証が悪そうだ。だったら傭兵、食客、そんな感覚で同行してくれれば良い。生憎、相場の傭兵代を出せるほど余裕がある訳じゃないんだけど、飯宿の面倒くらいなら引き受けられる。目的の所に行くまで、面倒な魔物がいる洞窟も通らなきゃいけないし、今後のことを考えると、腕の立つ人間は歓迎したいんだ。もっと言うと、他に取られる前に、うちで確保しておきたいって所もある」
「……」
ロックの提案に、青年は腕を組んで思案している。
その難し気な表情を見詰めながら、ロックは眉尻を下げて苦笑した。
「まあ、そう言う打算も、事実あるんだけど……やっぱり、何も覚えてないって言う奴のことは、俺としちゃ放ってはおけないんだ」
途方に暮れた横顔、ふとした瞬間に覗く不安の瞳。
目の前にあるそれは、ロックが過去に見たものに比べれば、驚くほど落ち着いている。
それを思えば、庇護など必要ないだろうとも思えるが、やはり、疼く傷がロックを急き立たせる。
このまま放っておいて良いのか、と。
これはごく私的な感情であると、ロック自身も理解していた。
二度と取り戻せないものを、今一度、取り戻す方法はないかと、眉唾な話に一縷の望みを託して生きている。
その軛から湧き出て来る物を抑える方法を、ロックは知らない。
フィガロ城に着いたら呆れられるんだろうなあ、と既知の国王の顔が浮かぶのが判った。
「───それで、どうだ?お前にも俺にも、悪い話じゃないとは思う」
「……」
訝しむ瞳は相変わらずロックへと向けられており、提案者の真意を図っているように見えた。
しばらく、青年の沈黙は続いた。
何度も眉間の皺を深くしながら、ともすれば途方に暮れた横顔が覗く。
見知らぬ土地で手探りに自分自身の行方を捜す労力と、掲示された手段に対するメリットと不安要素を計算しているのだろう。
ロックは、船の鐘が鳴るまでなら待てるかな、と思っていたが、存外と早く、青年は答えを出した。
「……しばらく、あんたに同行させて貰う」
「ああ」
「……世話になる」
小さく会釈するように首を垂れる仕草をした青年に、ロックは「律儀な奴だな」と笑った。
そうと決まれば、船の手配をもう一人分、澄ませなくては。
サウスフィガロ行きの旗を掲げた船は、概ね荷積みが終わりつつあるようで、船上では乗組員が出港の準備を始めている所だった。
今のうちなら間に合う、とロックは船止めから腰を上げる。
行こう、と船に向かって歩き出したロックの後を、青年がついて来る。
ロックはそれを肩越しに見遣りながら、
「じゃあ、えーと、名前は……」
「スコールだ。多分」
「ああ、うん。じゃあスコール、当分宜しく」
端的に告げられた名前を、ロックは口の感触を確かめる為に一度呼んだ。
青年───スコールはそれに応答の代わりに頷く。
船への乗船手続きを済ませ、ロックはスコールと共にサウスフィガロ行きの船に乗る。
蒸気を上げて海を走り出した船を、驚いた表情で見上げているスコールを、ロックは意外と幼いのかも知れない、と思いながら見つめていた。
6月8日と言うことでロクスコだと言い張る。
Ⅵの世界に迷い込んじゃったスコールがふと浮かびまして。
現代っ子な文明レベルのスコールにしてみたら、中世のようでスチームパンクなⅥの世界は中々奇天烈に映りそう。
自分の常識感覚が通用しなくて途方に暮れてるのを拾われたりしないかなーとか。
異世界に迷い込んだ時のトラブルだったり、G.F.の影響だったりで記憶喪失になってたら、ロックは放置できない。ゲーム開始時にも記憶喪失のティナを保護したし。過去を引き摺り続けてる男だから、“記憶喪失”に関しては相手問わずに結構過敏だと思う。