[ロクスコ]始まりの前に 1
スコール in FF6
酒場や食堂と言うのは何処の街であれ、多くはそれなりに栄えている。
場末の、と言う枕詞がつくような場所でも、飯が食えて酒が飲めて、情報を手に入れることが出来るとあれば、人の気配は絶えないものだ。
提供されるものの味が多少いまいちであっても、高級宿でないのだから仕方がない、と諦めもする。
ただ、利用する人間が多いからと言って、安心できる店であるとは限らない。
荒くれ者が店主を差し置いて我が物顔をしている所や、テーブルの下どころか堂々と怪しい一物がやり取りされているようなら、其処は無法地帯である。
そこでしか得られないような情報を求めている時でもないのなら、さっさと軒を潜り直した方が良い。
ロックにとって酒場と言うのは、飯を食うのも勿論だが、情報を集める為の第一の場所だった。
時間を潰すように適当に頼んだ酒を傾けながら、全身を耳にして、周囲の客が零す様々な情報を仕入れる。
求める情報は、根本を言えば宝石財宝のものを求めてはいるが、現在は少し違う趣のものを目的としていた。
現在、この世界の大半を牛耳っているのは、皇帝ガストラが治める、ガストラ帝国である。
古に失われた筈の魔法の力、それを人工的に注入した兵士や、機械技術へと組み込んだ魔導技術を駆使し、世界そのものを手中に納めんとしている。
それ故にあちこちで無辜の民が血を流し、この非道な行いに反旗を翻さんと、幾人かの指導者のもと、地下組織リターナーは結成された。
帝国の行いに思うものあれば、と彼の大国と戦う意思を持つ者が集まるこの組織に、ロックも身を置いている。
仕事としては、トレジャーハンターとして生きるうちに身に着けた身軽さや、各国各都市にある情報網と人脈を利用した、組織と其処に与した人々とのパイプ役を引き受けている。
港町ニケアの食堂で、ロックはチーズを肴にエールを傾けていた。
サーベル山脈の奥に人目憚り作られたリターナーの組織本部で得た情報を元に、これから船でサウスフィガロへと向かう。
それから砂漠に構えるフィガロ城に立ち寄り、国王エドガーに諸々の下準備が整っていることを伝えたら、そのまま更に北上する予定だ。
砂漠の北には高山があり、その麓に炭鉱都市ナルシェがある。
この炭鉱から、先達て氷漬けの幻獣が発見されたと言うこと、それを狙ってか帝国兵が動いている節があると言う情報が入った。
ナルシェは自治力が強い為、現在は帝国に降ることも、リターナーに与することもないが、こうなってくると少々話が変わって来る。
一昔前より、幻獣の力を研究することにより、魔導技術を会得した帝国が、もしも氷漬けの幻獣ともどもナルシェを力づくで降せば、かの大国は更なる危険を増す。
ナルシェが降ることなくとも、幻獣だけでも手に入れれば、帝国にとっては釣りが来るだろう。
今回の件に関して、ナルシェがどう動くか、それに対して帝国がどのような手を打ってくるか、ロックはそれらの情報を持ち帰る役目を任され───その任務に向かう為、船の出港を待っている所である。
リターナーが手に入れた、ナルシェの氷漬けの幻獣の噂は、この町にも届いていた。
ナルシェとニケアは、地図の直線距離で言えばそう遠くはないが、その間にはサーベル山脈が跨っており、そう簡単に人も情報も渡ることはない。
しかし、交易によって人と物が海の向こうから頻繁に出入りする場所であるから、旅商人なり何なりと、新しい噂話には事欠かない。
そんなニケアにまで氷漬けの幻獣の噂が届いているのなら、間違いなく、ガストラ帝国もこれを聞き留めているだろう。
帝国が支配する南の大陸から、この大陸の北方山岳地帯にあるナルシェまでは、随分と時間がかかる筈───なのだが、彼の国は魔導技術により推進力の高い船を持っている。
ロックは、その帝国よりも早く、ナルシェに辿り着いて、状況を把握しなくてはならなかった。
港町ニケアの食堂は、波止場の近くにある。
船の出港を知らせる鐘が鳴り響き、その回数を数えて、ロックは目当ての船が次の出港番だと悟る。
そろそろ支払いを済ませて、船着き場に向かって置いた方が良いだろう。
懐の財布袋を取り出して、チーズと酒代を置いて席を立つ。
ご馳走さん、とマスターに声をかければ、マスターはちらと此方だけを見て、瞑目して会釈した。
宿を出れば、すぐ其処に市場が立っている。
林檎のひとつでも買って、船旅の供にでもしようか。
此処からでも見える果物屋の軒先で、品物を選ぶ時間くらいは許される筈だと、ロックは其方に足を向けた。
果物屋には瑞々しい果実が並び、売り子の女性が愛想良くロックに声をかけて来る。
良い色合いのものを二つ見繕って貰って、言い値の値段に素直に金貨を取り出そうとした時だった。
「てめぇ!もう一遍言ってみやがれ!」
怒鳴る声に市場の人々の声が集まった。
当然、ロックも自然とその視線を追い、道の真ん中を塞いでいる巨漢の背を見付けた。
人が多い港町、其処には穏やかな人間ばかりでなく、荒っぽい連中と言うのも幾らでもいる。
ならず者、酔っ払い、当たり屋───大体はそんな所で、街の人々からも煙たがられているものだ。
案の定、今の声の主もそれのようで、果物屋の売り子も眉を顰めていそいそと店の奥に隠れるように引っ込んでしまう。
軒を連ねる他の商店の主人たちも、苦々しい表情を浮かべながら、障らぬが吉と思っているようだった。
ロックは林檎の代金を果物屋の籠に置いて、道端沿いに歩き出す。
巨漢の背中の向こうにいるのは誰なのか、ちょっと覗いてみたくなったのだ。
遠目に見る限り、あれだけの怒声に対して、恐慌しているような声が聞こえてこない。
こういう場合、声が出せない程に怯えているか、全く動じていないかのどちらかだと思うのだが、前者なら少し割り込んでも良いし、後者なら好きにさせれば良い。
別段、正義感が強い訳ではなかったが、もしも小さな子供や老人が理不尽にされているのなら、無視する訳にもいかないだろう、と思う程度には世話焼きなのであった。
さて、どうだ───とロックが男の陰の向こうを覗き込んで見ると、其処には一人の青年が立っている。
真っ直ぐに両の足で立ち、その膝が震えている訳でもないようだが、人間は恐怖心がピークになると身動ぎひとつも出来なくなる場合もある。
顔くらいは見れないか、とロックがもう半歩動いてみると、
「あんたの体が大きすぎて、道が塞がれていて通れない。退いてくれ。それだけだ」
よく通る低い声だった。
それは怯えに震えている訳でもなく、何処までも淡々として、やや冷たい印象すらある。
それを向けられた巨漢は、丸太程もありそうな腕をわなわなと震わせていた。
「バカにしやがって。大層なモンぶら下げてるからって、偉そうにしてんじゃねえぞ!」
「そう言うつもりはない。ただあんたが道を塞いでいることで、随分周りも迷惑してるようだから、公共の場を不当に占拠する行動はやめた方が良い」
「うるせぇ!!俺に命令するんじゃねえ!!」
巨漢の腕が頭上へと振り上げられ、青年へと打ちおろされる。
筋骨隆々とした、まるでビッグベアのような腕がうなりを上げて襲い掛かるのを見て、街人たちが思わず悲鳴を上げた。
しかし、その拳は一瞬のうちに宙を掻き、男の足の裏が空の方へと見て回る。
体躯は綺麗な一回転をして、巨漢の背中がずしんと重い音を鳴らして地面に沈んだ。
重い体を打ち付けられた地面の石畳が割れる程の衝撃に、巨漢の男の意識は綺麗に飛んで失せたのだった。
しん、と静まり返ること数秒。
静寂の中で最初に動いたのは、巨漢の男に絡まれ、それを投げ飛ばした青年本人だった。
青年はきょろりと辺りを見回して、市場の視線を独り占めしていることに気付くと、眉間に手を当てて「しまった……」と小さく呟いた。
それから、じっと見つめるロックの視線に気付いたか、なんとも言い難い苦い表情を浮かべ、
「……確認したいんだが、此処で正当防衛は成立するものか?」
問う声は、先の冷たい声とは違い、不安───と言うよりも、面倒を嫌う気配が漂っている。
そうして目を合わせたロックは、宝石のように深い海の底に似た蒼色の珍しさに目を奪われていた。
そのまましばらく黙して立ち尽くすロックに、おい、と青年がもう一度声をかける。
目を合わせた状態だったので、ロックはそれが自分を呼んでいるのだと一拍遅れて気付いた。
「あ。ああ、えーと。一応、成立するんじゃないか?先に手を出したのはこいつなんだし」
ロックは地面に大の字で伸びている巨漢を見て、肩を竦めて言った。
事の始まりはどちらに切っ掛けがあったか知らないが、少なくとも、殴りかかったのは男の方だ。
青年はそれに対して防衛反応を示したのだから、これならフィガロでもドマでも、罪に問われる程のことにはなるまい。
寧ろ、往来を塞いで市場の人々に迷惑をかけ、挙句当たり屋も同然に青年に絡んだ巨漢の方が、お縄にされることだろう。
「まあ、そうでなくても、誰もお前を責めやしないさ。だろ?」
「あっ?あ、そう、そうだな」
ロックが適当に近くにいた店の主に声をかけてみると、主は突然のことに目を丸くしながら、なんとか頷いた。
「そいつにはこの辺りの連中、皆が迷惑してたんだ。けど腕っぷしも立つもんだから、下手に文句も言えなくてな。ぶん投げてくれて、随分精々したよ」
「だってさ」
店主の言葉を聞いた青年が、ほ、と安堵したように小さく息を吐く。
「それなら、良かった。……一応、真面な治安秩序のある町だったか……」
青年のその言葉は、後半は独り言めいていた。
ロックは青年の井出達をまじまじと眺めてみる。
濃茶色の髪は何処にでも見るような色合いで、蒼灰色の瞳は珍しいものの、青目と考えればこれもまた珍しくはない。
では装備はと言うと、これがロックには少々不思議な代物だった。
首元に白い毛並みを携えた上着は、裾が随分と短く、脇腹の位置で断ち切られている。
その上着の素材が、布にしては表面の繊維の筋が見えないし、革を鞣したにしては光沢が強すぎて、どちらとも言えない。
その下に着ているシャツは、柔らかい皺を作っているが、しっかりとした厚みがあり、亜麻とも苧麻とも違う。
ズボンはすっきりと細く、青年が全体的に線の細いシルエットをしていることが分かる。
全体的に白と黒のモノトーンに、腰に巻かれた三本のベルトが赤い補色効果を担っている他は、地味な印象を与えている。
しかし其処で異彩を放つのが、青年の腰に携えられた代物だ。
腰のベルトに無理やり留めるようにして吊るされている、ボロ布に包まれたもの。
左の腰に提げるように携帯されているそれを、ロックは剣だ、と判断した。
鞘を喪った剣を急場しのぎに布で覆うと言うのは、用立てるもののない傭兵や冒険者がやることではあったからだ。
しかし、奇妙なのは柄の形で、布からはみ出て見えるそれには鍔がなく、握りは刀身に対して直角に近い角度で曲がっている。
世には奇抜な形状をした武器があるものだが、あの刀身の長さでこの角度の柄と言うのは、随分と扱い難そうに見える。
その割に、刀身を隠す布は厳重に巻かれていて、その真価を隠そうとしているかのようだ。
ロックが青年を観察している間に、市場はいつもの賑々しさを取り戻していた。
気絶したままの巨漢は、ニケアの自治組織であろう若者たちがお縄にして運んで行き、後には少々抉れた地面があるだけ。
巨漢を討伐せしめた青年はと言うと、若者たちから事情聴取に二、三の質問をされたのみであった。
それから彼はぽつんと立ち尽くしていたのだが(そのお陰でロックは彼を存分に観察できた)、蒼灰色がつとロックへと向けられて、
「……少し、良いか」
「ん?俺か?」
声を掛けられ、ロックが自分を指差して言うと、青年は頷いた。
ロックは港からまだ鐘が聞こえないことだけ確かめて、青年の下へと近付く。
距離にして1メートル程度の所で、青年はロックに言った。
「その……この町の名前を聞きたい」
「名前?」
「……色々道に迷って、ついさっき、此処に着いたんだ。初めて来た場所だし、位置の確認もしたい」
青年の言葉に、つまりは迷子か、とロックは思った。
「ニケアだよ。位置は───地図は持ってるか?世界地図でも、この辺の近郊のでも良いんだけど」
「……多分、ない」
「多分?」
「……」
返ってきた言葉に、ロックは妙なものを感じて首を傾げる。
その反応を見た青年は、気まずい様子で唇を噤んだ。
俯き加減に足元を見つめるその顔が、何処か所在なさげに見えると同時に、ロックの小さくはない記憶の痣を擦る。
「……お前、何処から来たんだ?」
「………」
率直に問うロックに、青年は答えなかった。
引き結んだ唇の奥で歯が噛まれ、両の手が何かを堪えるように強く握り締められる。
目立つ傷の走る眉間には深い皺が刻まれて、息苦しそうな表情が浮かんでいた。
青年の沈黙は、時間にすれば短いものだった。
だが、彼にとっては随分と長く、思案していたのではないだろうか。
ようやく口を開いた青年は、微かに震える唇で、「……判らない」とだけ答えるのが精一杯だった。