サイト更新には乗らない短いSS置き場

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[けものびと]きれいきれいはむずかしい

  • 2025/05/27 21:05
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



バスルームへと連れ戻されたスコールは、きょろきょろと落ち着かない様子を辺りを見回していた。
ラグナはそんなスコールの背中を撫でて宥めながら、もう一度金ダライに湯を張る。

湯の温度は、人間であるラグナからすると、湯気が立たない程度に温い。
これでレオンは気持ちが良さそうにしていたので、過度に熱い冷たいと言うことはない筈だ。
とは言え、あまり長く浸からせていると濡れた体の体温も下がってしまうだろうし、何より、スコールがレオンのように大人しくしてくれているとも限らない。
先にシャンプーを泡立てておこう、とラグナは小さな手桶にも湯を入れて、其処にシャンプーを注いだ。

下準備を済ませ、よし、とラグナはスコールを抱き上げた。
ぱちり、と目を丸くしたスコールと目が合った途端、


「ぎゃぁうう!」
「おっとっと」


嫌な予感を感じたか、体を捻ってラグナから逃げようと試みるスコール。
しかし此処で取り落としてしまっては、スコールはタライの中に落ちてしまう。
ラグナも身を捩りながら、逃げようとするスコールの身体を追うようにして彼を捕まえ続けた。

じたばたと暴れるスコールが、ラグナの服に前足を引っ掛けると、そのまま体を上ろうとする。
獣人としては子供とは言え、やはり“ライオン”モデルの生まれは伊達ではなく、存外と大きな肉球を携えた手足がラグナの肩に重みを乗せた。
ラグナの首元にスコールの身体が擦り付けられ、抜けた毛がラグナの喉元に張り付く。


「うお、お、重いなぁ、スコール」
「ぎゃう、ぎゃうぅ!」
「大丈夫だよ、怖くない。お風呂だから気持ち良いんだよ」


ラグナの肩に上半身を乗せ、抗議の声を上げるスコール。
ラグナはそんな仔ライオンの背中をぽんぽんと撫でてあやした。

ぐぅう、と唸る声が聞こえるが、スコールは其処でじっと留まっている。
脇に両手を差し込むようにして、掬うように持ち上げてやると、スコールは存外と素直に運ばれた。
不機嫌そうに顰められた蒼灰色がじっと見つめて来るので、ラグナは笑みを浮かべて目を合わせる。


「さっき、レオンが入ってるの見てたろ?気持ち良さそうだったよな~」
「ぐぅうぅ……」
「ちょっとだけ。ほんのちょーっと。足の先っぽからな」


小さな子供に言い聞かせるように声をかけながら、ラグナはそっとスコールを下ろしていく。
宙を掻いていたスコールの右足が、つんと水面に触れて、ぴっと持ち上がった。
ひくひくと鼻頭を動かして、緊張している様子のスコールであったが、次に左足がついた時には、今度は逃げなかった。


「うん、良い子良い子。スコールは良い子だな」
「ぐぅ、ぎゅぅう……ぐぁうぅ」


喉元を擽ってあやすラグナに、スコールは不満げな声を漏らしている。
やっぱり長引かせない方が良いな、とラグナは判断した。

そうと決まれば、早速スコールの身体を洗わなくては。
ラグナはスコールの背中を撫でてあやしながら、右手で掬った湯をかけて行く。


「うう、あうぅう。うぁぁあうう」
「冷たいか?」
「ううぅ、うぅうう。ぐぁうぅ」
「やっぱ濡れるのが好きじゃないかなぁ」


言いながらラグナは、手桶の泡を手に掬う。
スポンジがあった方が良かったな、と思いつつ、ラグナは泡シャンプーをスコールの背中に乗せた。

マッサージでもしてやれば、少しは気持ち良いと思うだろうか、とラグナは両手でスコールの身体をわしわしと撫でてやる。
背中や脇、首元を、柔い加減で撫でて揉んでと繰り返す。
一緒に泡が塗り広げられて行き、泡に掬われて抜けた毛が、湯舟の中でぷかぷかと浮かんでいる。
このままくまなく洗わせてくれると有難いものなのだが、


「あうぅ、がうぅぅ……!ぐぅぅ、うぅぁああう!」


スコールの鳴き声は段々と大きくなって行き、風呂場全体の反響もあってよく響く。
湯舟の中でじっとしている所を見るに、彼からすれば精一杯に我慢しているのだろう。

この辺が限界だな、とラグナがスコールの身体の泡を洗い落とそうと、手桶に新しい湯を張っていた時だった。


「───うぅ!───あうぅ!」
「ん?レオン?」


バスルームの閉じた戸口の向こうから、大きな鳴き声がする。
曇りガラスの向こうに、小さな影のようなものが駆け寄って来たかと思うと、ドン、と言う音が響いた。

バスルームの戸は、折れ戸になっていて、浴室の中へと折れ開くようになっている。
その構造をレオンが理解していたかは不明だが、彼は上手くその中心───凸方向へと折れる支点の部分に体当たりしたらしい。
弟の為の突進を受けた戸がガチャッと開くと、右側に出来た隙間を見付けたレオンが、体を押し入れるようにして飛び込んできた。


「がぁうう!」


ばしゃん、とレオンの体を受け止めた湯が飛び跳ねる。
つい先程、一足先にシャンプーを終え、タオルで乾かしたレオンの体は、また見事にびしょ濡れになった。
ついでに飛び跳ねた水飛沫は、開いたままになっていた戸口の向こうまで跳んでいて、クッションフロアの床に泡の水溜まりが出来ている。

───ああ、とラグナは思わず空を仰いだ。
バリケードを用意するか、鍵をかけておくんだったなあ、と悔やむ。
しかし、それはそれで、レオンが諦めずに体当たりし続けて来たかも知れない、とも思った。

小さな湯舟の中で、レオンとスコールはぐるぐると喉を鳴らしながら、頭を擦り付け合っている。
兄は弟を見付けてその無事に喜び、弟は兄が来てくれたことに安堵したようだ。
風呂を怖がらなかったレオンは勿論、スコールも鳴く事をやめて、顔を舐める兄に甘えて、落ち着いていた。


「がう。がうぅ」
「んるぅ……」


スコールがすりすりとレオンに身を寄せて甘えると、泡がレオンの体にも付着する。
レオンはそれを気にする様子はなく、興奮しきっていた弟を宥めることに終始していた。

そんな二人の遣り取りを見て、ラグナは濡れた髪を掻き上げながら苦笑する。


「しゃーねえ。レオンがいた方が、スコールも落ち着くみたいだからな」
「ぐぅ……」


ラグナがスコールを頭を撫でれば、彼は大人しくその手を受け入れる。
尻尾がゆらりと揺れて、心地よさそうに円らな瞳が細められた。

最早レオンの体を洗う必要はなかったが、どうせ濡れてしまったのだ。
ラグナは開き直って、スコールの体の泡と、レオンの体を一緒に湯で流す。
湯が背にかけられる度、スコールはまた鳴き声を上げたが、レオンがそんな弟を宥め透かすように身を寄せた。
そうしているとスコールは大人しいもので、時折鼻をひくつかせて鳴く程度だ。
スコールが落ち着かなかったのは、初めての入浴ということもそうだが、兄の姿が見えないのが不安だったのかも知れない。

スコールの泡をすっかり流し、ラグナはレオンの体を拭く時に使ったバスタオルを取った。
もう一枚あった方が良いなあ、と思いながら、一先ずは滴る水を簡単に吸い取るべく、スコールの身体を包んで吹く。
此方は湯と違って恐怖心を刺激しないようで、スコールは自分から濡れた身体を擦り付けて体を拭きに来ていた。
そしてレオンの体も拭いた後、ラグナは二人を抱き上げて、脱衣所の濡れた床を見ない振りにしつつ、リビングへと移動した。

リビングで二人の体を改めて清潔なタオルで丹念に拭いた後、ラグナはキッチンへ向かう。
濡れた服を着替えるだとか、脱衣所の床だとか気掛かりはあるが、頑張った二人にご褒美をあげるのを忘れてはいけない。
冷蔵庫から取り出したタッパーを温めていると、旨味の気配を感じたのか、レオンが足元にやって来ていた。


「鼻が良いなぁ。スコールはどした?」
「ぐぁう」
「おっ」


ラグナがスコールの様子を訪ねると、レオンはくるりと振り返る。
その視線の先を追うと、キッチンスペースの入り口に体を半分隠し、覗き込むように此方を見ているスコールがいた。
警戒しつつも、匂いの誘惑に鼻をふんふんと鳴らしているスコールに、ラグナはくすりと笑う。


「初めてのお風呂、お疲れさん。頑張ったから、特別におやつにしような」
「がぁう」
「がうぅ」


ラグナが運んできた器を見て、二人の頭の上で丸い耳がピンと立つ。
これでレオンだけでなく、スコールにとっても、今日一日が嫌な記憶だけで終わらないと良いのだが。

兄弟がおやつを楽しんでいる間に、ラグナは服を着替え、濡れたものは洗濯機に放り込む。
スイッチを押して回り始めたそれを尻目に、泡水溜まりの床を拭き、排水溝に集まっていた抜け毛を拾う。
水を含んだタオルは、取り合えずバスルームの乾燥にかけることにした。
抜け毛が絡まっているのは判っていたが、これを洗濯機に入れても良いものか判らない。
夜に風呂に入った時にでも、手洗いしてみるとしよう。

思い付く限りの片付けを終えて、ラグナはふらふらとリビングへと戻った。


「ふい~……終わってからも大変なもんだ……」


中々の重労働だ、とラグナは重くなった肩を揉む。
何か冷たいものでも飲んで一服しようかとも思ったが、準備をするのが面倒だった。
取り合えず中腰続きで草臥れてしまった足腰を休ませたくて、ソファへと向かう。

ソファには既にレオンとスコールがいて、彼らはタオルケットを枕にして丸くなっていた。
二人の舌がちょろりと零れ出ているのが見えて、ああ、とラグナは小さく笑う。
きっと毛繕いをし合っていたのだろうに、疲れて寝落ちてしまったのだ。

ラグナは身を寄せ合う二人の傍に座って、丸みのある頬を撫でる。


「……そうだなあ。一番疲れたのは、きっとお前たちだよな」


呟くと、ひく、とレオンの鼻先が震えて、蒼の瞳が薄らと覗く。


「……ぐぅ……?」
「なんでもないよ。おやすみ、レオン。スコールも」
「……んぐ……」


名前を呼べば、二人は丸い可愛らしい耳を小さく動かす。

ふくふくと呼吸に上下する腹を、指の背でそっと撫でてみた。
抜け毛は随分と落ち着いたようで、ふわふわと舞う毛も、一先ずはなくなったようだ。
これなら、しばらくは鼻むず痒さに悩まされることもないだろう。

ラグナは眠る二人の仔ライオンたちが冷えることのないように、タオルケットをもう一枚、寝室から持って来た。
柔らかな布地の中で、レオンとスコールはすぅすぅと寝息を立てている。
その穏やかな寝顔をじっと見つめて、ラグナはなんとも温かい充足感を感じていた。





換毛期からのお風呂チャレンジでした。

レオンはラグナの手で洗われるのが気持ち良かった模様。元々そんなに怖がらないので、ラグナがしてくれることなら大体受け入れられる。
初めてなのでこんな調子ですが、スコールはバッツとジタンの所で遊びながら訓練したら、大人しく出来るようになると思います。
その内、三人で一緒に風呂に入ることも出来るようになるかも知れない?

[けものびと]きれいきれい

  • 2025/05/27 21:00
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



朝からくしゃみが止まらない。
風邪でもひいたのかとラグナは思ったが、その割には体は頗る元気である。
よくある寒気だとか、節々の痛みだとか、喉が痛むとか、そう言ったことはない。
ただただくしゃみが止まらなくて、鼻から水気が出て儘ならない。

花粉症にでもなったのだろうか。
しかし、ラグナは昔からその手のことには無縁で、昨年もこの時期にこういった症状に見舞われてはいなかった。

とは言っても、加齢であるとか、体のバイオリズムだかメカニズムの変化だかで、ある時突然それに罹るようになった、と言う話もなくはない。
或いは、環境の変化が理由である場合もあるのだとか。
住居を移しただとか、新しい職場になったとか、そう言うものも体の影響は少なからずあるもので、そう言った所から免疫力の増減も起こり得る。
昨年までは季節ごとに広大なサバンナや、生い茂るジャングル地帯を巡っていたから、そう言った場所に赴くと言う意味でも、防疫意識は高かった。
それが現在では専ら都市部の真ん中で、人間にとって全く快適な環境で過ごしているから、気の緩みも含めて、何某かに罹り易くなっている所は、あるかも知れない。

これは良くないぞ、とラグナは独り言ちた。
体調と言うのはその日その時の環境と状態でも変わるものだが、気の緩みと言うものは良くない。
以前は一人で気儘に過ごし、休日に二日酔いにでもなれば一日死に体であっても然して問題はなかったが、今はそうではないのだ。
面倒を見ている二人の仔ライオンを思えばこそ、ラグナはより体調には気を付けなければならない。
小さな子供であることはいざ知らず、彼らはヒトのようでヒトではない、獣人の子供なのだから。
加えて言えば、彼らは生態研究が広く進んではいない、希少な“ライオン”モデルである。
本来ならば広大なサバンナの弱肉強食の世界で生き、その幼さ故に、傷なり病なりで命を落としていた可能性もある彼らは、大都会の真ん中で暮らすにあたっても、判らないことが多い。
生態研究の一例と言う特例中の特例をもぎ取ったラグナは、彼らと共に暮らす生活を守る為にも、より一層の用心を払わなくてはならないのだ。

以前、ラグナが一日、風邪をひいて寝込んでしまったことがある。
人間が持ってしまった病原体と言うものが、その類に耐性があるかも判らない二人の為、ラグナは友人たちの手を借りて、一日自分を隔離した。
しかし仔ライオン達は、根気良く続けた学習の甲斐あって人を傷つけることはしないものの、基本的にラグナにのみ懐いている。
家ではいつも一緒に過ごしている筈のラグナが、一枚ドアを挟んだ寝所に閉じこもったことで、随分と不安になったのか、どうにかしてラグナの下に行こうとしていた。
それの制止を任せた旧友たちが随分と奮闘してくれたお陰で、ラグナは一日じっくり休んで風邪を治すことが出来たが、ああしたことはそう何度も起こって良いものではない。
幼い二人を思った以上に不安にさせてしまったことは勿論、忙しい旧友たちに無理を言って援けて貰ったこともあって、ラグナはあれ以来、体調管理にはより気を付けるようになった。

しかし、それでもバイオリズムと言うのは思う通りにはならない。
今日一日で数えて五回目になるくしゃみをして、ラグナはそんなことを思う。


「うーん、どうしたもんかな」


ずぴ、と鼻を啜りながら、ラグナは眉根を下げて呟いた。

病院に行った方が良いだろうかと思うが、それにしては体に目立った異変と言うものがないのだ。
熱を測ってみると平均体温が表示され、喉は乾燥感はあるがイガイガのような違和感はない。
病院に行くとなると、ラグナは家を空けることになる。
同居している獣人の子供たちは、ラグナの不在にもすっかり慣れて、大人しく留守番をしていることは十分に可能だった。
しかし、この状態で病院に行った所で、大した意味もなさそうで、ラグナはどうしたものかと悩んでいた。

ソファに座って、鼻を啜って唸るラグナの足元に、とんっと押しつけられるようにくっついてくる体重がある。
足元を見遣れば、ラグナの膝元に捕まるように後ろ脚で立っている獣人の子供───レオンがいる。


「がぁう」
「うん。どした、レオン。スコールも一緒か」


ラグナは、レオンの頭をわしわしと撫でながら、その後ろをついて来ている弟ライオン───スコールを見る。
嬉しそうに目を細めるレオンを満足するまであやしてから、スコールに「おいで」と右手のひらを見せてやれば、スコールはとことこと近付いて来た。
手のひらに頭を押し付けて来るスコールに、ラグナは優しくその頭頂部を撫でてやる。

ラグナが撫でる手を離すと、スコールがぶるぶると頭を振る仕草を見せる。
そんな弟を宥めるように、レオンがスコールの毛繕いを始めた。
兄に毛繕いされるのはスコールも心地が良いようで、くすぐったそうに目を細め、身を委ねるようにその場に伏せる。

仲の良い兄弟の様子に、ラグナの頬が緩む。
────と、そこでまた、


「は…へ……へっくしゅ!」


堪えようとして出来なかった、中々にボリュームの大きなくしゃみに、レオンとスコールが目を見開いてラグナを見る。
蒼色の瞳が丸々と大きく瞠って此方を見つめていることに気付いて、ラグナは鼻を啜りながら謝った。


「ごめんごめん、びっくりさせたな。ただのくしゃみなんだけど……」


じいい、と二対の瞳はラグナを見詰めて離さない。
耳をピンと立たせている子供たちを、ラグナはぽんぽんと撫でてあやした。


「はあ……やっぱり、一応病院行ってみるかなあ。ずーっと鼻がムズムズしてるもんなあ」


花粉症とて、侮るのは良くない。
鼻詰まりから始まって、頭痛だとか、喉の痛みだとか、他の症状まで及ぶことはあるのだ。
何にせよ用心するに越したことはない。

と、思ったラグナの視界に、ふわふわとしたものが飛んでいるのが目についた。
薄く細く絡んだそれは、よくよく目を凝らして見ると、視界のあちらこちらで舞うように浮いている。
其処からまた更に目を凝らすと、床の其処此処にそれらは落ちていて、空調の微量な風を受けるとまたふわふわと浮かんで落ちてを繰り返していた。

一度そういうものがあると気付いたからだろうか。
ラグナが今座っているソファのカバーにも、似たようなものが付着している。
それをおもむろに伸ばした手で一つまみし、鼻先近くまで持ってきて、まじまじと見つめているところへ、


「───っぷし!」
「お」


足元で聞こえたのは、レオンのくしゃみだった。
見れば、レオンはぶるぶると体ごと頭を震わせていたのだが、そこからふわふわとしたものが飛んでいる。
するとその隣で毛繕いに身を委ねていたスコールも、寝転んだ格好のまま、「ぷしゅん!」とくしゃみをした。

ああ、成程、とラグナは納得した。
ラグナのくしゃみと鼻水の原因も、恐らくこれだろう。
成程、時期を考えれば、多くの動物にはこういった現象が起きる時期であった。

────換毛期だ。




家庭でよく飼育される犬猫は勿論として、皮膚を毛で覆われた動物の多くには、換毛期が存在する。
冬から春、夏へ、或いは秋から冬へと気温の変化が大きくなる頃に、来る環境に合わせるて、毛が抜け替わるのだ。
毛は自然に抜け落ちてしまうものも多いが、毛同士が絡まって溜まりのように体に付着していることも少なくない。
それはペットならばブラッシングやトリミングで綺麗に取られ、野生動物ならば、木や地面に体を擦り付けて取り払うと言った行動で賄うものもいる。

サバンナで暮らすライオンにも、換毛期はある。
オスの鬣を除けば長い毛が少ないので目立たないが、人間の新陳代謝による抜け毛があるように、彼らも体毛の生え代わりは起きている。
そして、それは動物の特徴を色濃く残す、獣人も同様であった。

ラグナはまずブラシを持ってきて、二人の背中を撫でてみた。
二人が互いをこまめに毛繕いしているので、ブラッシングアイテムとして頻繁に使う必要はなかったのだが、コミュニケーションツールとして使っていることが多かった。
ブラシで撫でられるのは二人も気に入っているようで、大人しく身を委ねてくれる。
それで少しばかり丹念に体を撫でていると、中々の体毛を梳き取ることが出来た。
これを放置しているのは、毛繕いで出る抜け毛の量にも影響するので、なんとかした方が良さそうだ。

毎日丹念にブラッシングを施せば、彼らの毛並みもいずれ綺麗になるだろう。
しかし、冬の名残の体毛は案外とふわふわとしていて、梳けば梳くだけ空気中に舞い散ってしまう。
その度に、ラグナは勿論、レオンもスコールもくしゃみが止まらなくなってしまって、段々とブラッシングどころではなくなっていた。
これは“ライオン“モデルと言う獣人種でありながら、異例に室内暮らしで過ごしていると言う環境故に起きていることかも知れない。

───そんな訳で、ラグナは獣人専門の相談役をしているバッツと、同じく獣人と生活しているセフィロスに相談し、彼らの為のシャンプーを用意した。

手に入れたのは、猫科モデルの獣人の為のシャンプーである。
レオンとスコールは“ライオン”だが、一応、ライオンも猫科の範疇だ。
希少で野生下にあることが自然とも言える“ライオン”モデル用のアイテムなどまずないし、まだ彼らが子供であることも加味して、安全性としてもこれが妥当ではないかと提案された。
物自体が需要も限られている所為か、値段としては決して安価ではなかったが、安全を優先してのことだ。

人との生活に慣れた獣人ならば、風呂に入ったり、体を自分で洗ったりと言うことも可能らしい。
セフィロスと生活している“犬”モデルのザックスは、元々水遊びが好きという性質もあって、風呂に入るのも気に入っている。
“猿”モデルのジタンはもっと器用で、ヒト言語での意思の疎通が可能なことと同様、人間と遜色変わらないほどに道具を扱うことも出来るそうだが、これもやはり訓練次第で差が出るそうだ。
ザックスとは違う犬種モデルであるクラウドは、風呂自体があまり好きではないようだが、訓練のお陰で、大人しく浸かっていることは出来るとか。

ヒト社会の中で生活することに慣れた獣人でも、その形は色々なのだ。

ラグナはシャンプーを買った時に、一緒に大きな金ダライも購入した。
バスルームの洗い場になんとか収まったそれに湯を張り、二人を呼ぶ。


「レオン、スコール。こっちおいで」


名前を呼ぶと、二人は四つ足でラグナの下まで駆け寄ってきた。
身を寄せて来るレオンと、その後ろでじっと此方を見つめるスコールを、ラグナは柔く撫でてやる。


「初めてのことだからなあ。怖くないと良いんだけど」
「がぅ?」
「ぐぅ……?」


ラグナはまず、首を傾げているレオンを抱き上げた。
スコールはと言うと、風呂場に呼ばれたが初めてのことだからだろう、訝しむように此方を見詰めている。

腕に抱いたレオンを、まずは足元から、ゆっくりと湯舟に下ろしていく。
元々水場を怖がることのないレオンは、足元が濡れた時はぴくりと尻尾をあげて反応したが、其処から先は大人しかった。
温かい湯の感触を不思議がるように、きょろきょろと首を巡らせたり、濡れた前足を舐めてみたり。

そんなレオンの後を追って、スコールもバスルームに入ってきた。
兄が落ち着いている金ダライの周りを、うろうろ、ぐるぐると周っているスコール。
タライの縁に鼻先を近付け、ふんふんと鼻を鳴らして嗅ぎまわり、馴染みのない匂いに眉根を寄せる。

ラグナは湯で濡れた指先をスコールの顔の傍に寄せた。
見知った手のひらを見付けたスコールは、其方に鼻を寄せて、くんくんと匂いを嗅いで、ぺろりとそれを舐める。


「よしよし。怖くない、怖くない。入ってみるか?」


ラグナはスコールの視線が自分の手を追うのを確認しながら、湯舟をぱしゃぱしゃと鳴らしてみた。
しかしスコールはじっと見つめているばかりで、動かなくなってしまう。


「見てるか?」
「……」
「レオンは……落ち着いてるみたいだし。じゃ、スコールは其処で待っててな」


ラグナは濡れていない手でスコールの首元をくすぐった。
警戒心が際立っているのか、喉は鳴らず、尻尾だけがゆらりと揺れた。

さて、とラグナは手のひらで湯を掬って、レオンの背中にかけてみる。
レオンは此処が危険な場所ではないと判ったのか、湯舟の中でもぞもぞと動き始めていた。
立ってみたり、座って見たり、伏せて腹をすっかり浸して見たり。
顔が濡れるのはやはり嫌なようだが、ラグナの濡れた手が触れるのは厭わなかった。

レオンの体が濡れて、毛並みが心なしか萎んで見える。
此処でラグナは、シャンプーを取り出した。


「一応、ちょっとくらいは舐めたりしても大丈夫らしいけど……レオン、気を付けような。あとでちゃんと全部綺麗にしてやるから」
「がぁう」


ラグナの言葉に、返事をするようにレオンは鳴いた。

先ずはタライの中で泡立てたシャンプーを、レオンの背中につけていく。
レオンは泡の違和感は気にならないのか、じっと大人しく過ごしていた。
背中から後ろ脚へ、下半身を泡で覆い、優しく揉むように塗り広げ、腹は圧迫しないように気を付ける。
ラグナは額に珠粒の汗を浮かせながら、努めて優しく、丁寧に、レオンの体を洗って行った。

兄の体が白い泡に包まれていく様子を、スコールは目を丸くして見詰めている。
抜けた毛と泡が混じってい浮いている湯舟に鼻を寄せ、くんくんと鼻を鳴らしては、大きく首を捻る様子が、ラグナには可愛らしくもおかしかった。


「大丈夫だぞー、レオン。スコールもな。これ、気持ち良いことだからさ」
「ぐるぅ……」


ラグナはレオンの首元を泡立て擽りながら言った。
レオンは目を細めて、リラックスした様子でラグナに身を委ねている。

顔回りは、目や口、鼻に泡が流れないように、ほんの少しだけ洗った。
元々、ごく限られたタイミングで外遊びをする以外では、専ら屋内暮らしの二人である。
兄弟でよく毛繕いもしているし、今日の風呂では、体の抜け毛が粗方落ち着いてくれれば、それで良し、とラグナは思うことにした。


「───よし。そろそろ流すぞ」


体を撫で擦るラグナの手が離れると、レオンはきょとんと見上げて来た。
もう終わりなのか、と少しばかり残念そうに見える。
ラグナはレオンの喉をくすぐって、手で掬った湯でレオンの体の泡を流した。

それだけでは泡は流し切れないし、タライに張った湯もすっかり泡だらけになっていたので、普段使っている手桶で新しい湯を張った。
真っ新な湯でレオンの体を洗い流すと、すっきりとした毛並みが彼の体のラインに沿って流れているのが目に見える。

すると、────ぶるぶるぶるっ!とレオンは大きく全身を震わせた。


「うわぶっ!」


たっぷりと水分を含んだ毛が一斉に瞬いたものだから、水玉が一気に飛び散ってラグナを襲う。

一拍開ければ、ラグナは見事にびしょ濡れになっていた。
大してレオンはと言うと、湯舟に浸かったままの足元を除いて、毛並が起きて、心持ちすっきりとした表情をしている。


「がうぅ」
「おっ」


湯舟でじっとしていることに飽いたか、もう動いて良いと思ったのか。
レオンはラグナの腹にどんっと頭を押し付けて、すりすりと顔を擦り付ける。
水気が散ったとは言え、まだ十分に濡れているレオンに腹を圧されて、ラグナは苦笑するしかない。


「はあ、すっげぇ。大変なんだなあ、お前らを綺麗にするのって」


ラグナは濡れたバスルームの床に座った格好で、レオンの頭を撫でる。

ラグナは用意して置いたバスタオルを広げて、濡れたレオンの体を包み込んだ。
ふわふわとしたバスタオルに、じゃれるように噛みついて来るレオンを叱りながら、足元までしっかりと拭いてやる。
遊びたがる子供を宥めている気分だった。

本当は此処からドライヤーを使って毛の根本まで乾かしてやるのが良いらしいが、普通の家猫でもドライヤーを嫌がる個体は多いと言う。
レオンはどうか判らないが、どちらにせよ、今日は彼も随分と疲れたようで、欠伸が漏れている。
十分に体の水分を拭き取った後は、冷えないように包んでバスルームから連れ出した。

濡れた足元が床に水溜まりを作るのは、後で頑張って掃除をするとして。
その気力が残るかなと思いつつ、ラグナはレオンをソファへと下ろし、余分な毛が流れ落ちてすっきりとしたその身体を撫でた。


「うん、綺麗になった。頑張ってくれてありがとな、レオン」
「ぐるるぅ……」
「頑張ったご褒美、用意してるんだけど……うーん、眠そうだな」


頬を撫でるラグナに、レオンの喉が小さく鳴った。
それから間もなく、レオンはソファの真ん中で丸くなり、すぅ、すぅ、と寝息を立て始める。
ラグナはソファの端に丸めていたタオルケットで、レオンの体を冷えないようにと包んでやった。

ふう、とラグナは一息吐いて、後ろをついて来ていたもう一匹に振り返る。
ぱちりと目が合った蒼い宝石は、ソファで丸くなっている兄のことが気掛かりなのだろう。
そわそわとした様子のスコールに、おいで、と手を伸ばせば、のろのろと近付いてきてくれた。

ラグナがスコールを抱き上げると、スコールはソファの上にいる兄を見た。
首を伸ばして鼻先を寄せようとする彼の頭を撫でて、よいしょ、とラグナは立ち上がる。


「次はお前の番なんだけど……お前、怖がり屋だからなあ」
「ぐぁう」
「ちゃっちゃと出来るかな。上手いやり方が見付かると良いけど」


どう工夫をしたものか。
思案しながら、兄を呼ぶように喉を鳴らすスコールの背を撫でて宥めつつ、ラグナは再びバスルームへ向かった。






[バツスコ]あなたの為に旋律を

  • 2025/05/08 21:00
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



ぽっかりと空いた歪を見付けたのは、バッツと二人で探索をしていた時のこと。
元々、この辺りには次元のゆがみの影響が届き易く、その所為か、イミテーションも頻繁に沸いて来ることが確認されていた。
そんな所だから、突然に歪が現れると言うのは珍しくもないが、かと言って気にしない訳にもいかない。
この歪が、混沌の大陸の何処かに繋がっていたりすると、混沌の神の影響が及ぶのは勿論、混沌の戦士たちの使い勝手の良い通り道にされる可能性もある。
入った先の空間が行き止まりになっているのならまだ良いが、それも中に入って調べてみないと判らないことだ。
若しもイミテーションの巣窟となっているのなら、それが外へと出て来ない内に、掃討しておく必要もある。

そうして中に飛び込んでみると、思っていた以上に、其処は綺麗に整えられていた。
イミテーションがいるかも知れない、と言う警戒をまるでとんだ杞憂とでも言うように、其処には人の気配や影はおろか、物が動いている様子さえない。
景色は何処かの大劇場か大ホールで、数えきれない程の観客席が整列し、最奥にはステージがあった。
ステージの緞帳は上げられており、中央には艶のあるグランドピアノが設置されている。
まるでこれからコンサートプログラムが始まるかのような状態だったが、ピアニストは勿論、観客も、導線を誘導するスタッフの姿もなかった。


「随分立派な場所だなあ」


バッツが言いながら、緩やかなスロープになっている通路を下りていく。
スコールは周囲を警戒しながらついて行った。

ホールの天井には立派なシャンデリアがあり、煌々とした明るさが一定を保っている所から、どうやら光源は電気のようだ。
と言うことは、スコールやクラウド、ティーダのような、機械の文明レベルが高い場所と言うことになるが、それ以上の事は判らない。
客席の椅子は木製かと思ったが、どうやら金属を塗装し、木材に見立てているだけらしい。
座面と背宛には凝った刺繍模様が施された布が使われていた。
素材から見る文明レベルの高さとは裏腹に、ホール全体の雰囲気はクラシックな様式でまとめられており、随分と金がかかっているように見える。

辺りを見回すバッツは、これだけ大きなホールを見た事がなかったようで、ぽかんと口が空いている。


「何処の世界の劇場だろうなぁ」
「……さあな」
「うーん。ちょっとステージの方も調べてみるか」


バッツは小走りにステージまで駆け寄って、身長とほぼ同じ高さになっている壇上へと登った。
スコールはその近くにあった階段を使い、バッツの後に続く。

ホールの広さに見合って、ステージも随分と大きい。
それなりに立派な吹奏楽団も十分に取り込めそうな広さに、今はグランドピアノがひとつだけ。
単独のピアノコンサートならこういう光景もあるのだろうが、スコールには随分とうすら寂しい光景に見えた。
コンサートならばありそうな、場を華やかに彩る為の花だとか、或いは何某かのモニュメントだとか、そう言ったものが一切置かれていないからだろう。
これだけ広いステージにぽつんと置かれたグランドピアノは、まるで片付け損ねた、置き去りに忘れられた代物のようだった。

バッツはそのピアノに近付くと、おや、と首を傾げた。


「なんだ、これ」
「何かあったのか」


ステージを見渡していたスコールが尋ねると、バッツは右手を挙げた。
今まで空であった筈のその手には、小さな紙切れが一枚。
二つ折りにしたそれは、四方5センチ程度の大きさだった。


「鍵盤の蓋に置かれてた」
「……?」


明らかに不審な置物に、スコールの眉間に皺が寄る。
たかが紙切れ一枚ではあるが、魔法系のトラップと言うのは、こういうものを触媒にして発動のキーが記されていることもあるのだ。

バッツはしげしげと紙切れを眺めていたが、持っていても何も起きないことを確認してから、折り畳まれたそれを開いてみた。
するとそこには、流麗な走り文字で、短い一分が綴られている。


「“私を弾いて!”……なんだこりゃ」


バッツが読み上げた言葉に、スコールの眉間の皺は益々深くなった。
どういう意味だ、と無言に問うスコールへ、バッツは紙切れを見せる。
其処には確かに、バッツが読み上げた通りの言葉が書かれていた。


「私を、って多分こいつの事だよな」
「……普通のピアノは文字を書いたり、自分の意思を主張したりはしない」
「そうなんだけど。此処に置いてあったからさ、文章の意図としてはそうかなって」


顔を顰めたスコールの言葉に、バッツは苦笑しながら言った。


「うーん。弾いてみようか」
「迂闊なことをするな。このピアノ自体が何かのトラップかも知れない」
「でも、見た感じは何もないだろ?」
「ピアノの内部構造は複雑だ。中に何か仕掛けられていたらどうするんだ」
「大丈夫だよ。きっと、この世界と一緒に紛れ込んできただけだ。そんなのしょっちゅうだろ?」
「……物が紛れ込んでくることはあるが、こんなメモがあるのは可笑しいだろ」
「それも子供の落書きみたいなもんだって」


確かに、歪の中で色々と珍しいものを見付けることは珍しくない。
ちょっとした利便性のありそうな道具であったり、食糧なども、安全を確認した上で持ち帰ることもあった。
その際、恐らく道具の持ち主が残したのであろうメモであったり、子供の落書きだったり、どう見ても重要度の高い報告書類であったり、そう言うものを見付ける事もある。
大抵はそれ以上の意味を成さないものなので、用途のありそうなもの以外はそのままにしていた。
持ち出したものについては、世界の制約を受けてか、歪を出た時点で消えてしまうものも儘あるが、大抵は拠点まで持ち帰っても特に問題は起きていない。

それにしたって、とスコールは如何にも意味深な走り書きのメモを見遣る。
もしもこれが、小さな子供が出入りできるような場所だとか、学校の音楽教室の類なら、子供の悪戯だと思うことが出来ただろう。
だが、こうも立派な大ホールのステージで、しかも大人でなければ書けないような書体で、妙なメモがこれ見よがしに鍵盤の蓋へ置かれていると言うのは、怪しさ満点ではないか。

スコールはそう思うのだが、バッツは気にせず、鍵盤の蓋を開けた。
その瞬間に魔物の牙でも飛び出してくるのでは、とスコールは思ったのだが、何のこともなく、其処には綺麗な白黒の鍵盤が並んでいる。

バッツは手始めに、目の前の鍵盤を適当に押した。
ぽーん、と綺麗なドの音が鳴り、空気に振動を与えながらゆっくりと消えていく。


「音はちゃんと出るみたいだな」
「……おい、バッツ」
「何処か出ないかもだけど……いや、ステージに置いてるくらいだから、ちゃんと調律はしてそうだな。埃なんかもないし」
「………」


バッツは適当に鍵盤を押しながら、音の響き具合を確かめている。
ピアノは見た限りでも綺麗に磨かれた艶があり、音も曇りなく、歪みも感じられなかった。
観客席が裕に二千は下るまいと言う立派なホールに置くなら、バッツの言う通り、きちんと整えられていなくてはなるまい。

バッツはピアノの前に置いてあった椅子を引き、其処に座ると、両手を鍵盤に添えた。
手指を弾ませながら、ぽん、ぽん、ぽん、と適当に和音を押して遊ぶ。


「うん、問題なさそうだ」


ピアノは相変わらず、大人しく其処に鎮座して、バッツの指の通りに音を鳴らしている。

それでもスコールは、油断しないように努めて警戒していた。
こうして何事もないと思った瞬間、がばりと動き出すような彫像だとか石像だとかに遭遇したのは、一度や二度ではないのだから。
若しかしたらピアノは囮で、観客席の方が一気に動き出すかも知れない、と言う所まで考えている。

しかしバッツはと言うと、鼻歌を鳴らしながら、それに合わせてピアノを弾き始めている。
始めは鼻歌と同じ音を、段々と右手、左手、鼻歌と違う旋律を奏でていた。


(……器用な奴だな……)


バッツと言う男は多芸で、技術も知識も、雑多にその体に詰め込まれている。
理屈的な部分では、科学技術やその履修の利便に長けたスコールやクラウドの方が高い部分はあるが、バッツの場合、生粋の旅人として実施で学び得た知識が多い。
技術については言わずもがなで、旅の中で実際にその身に沁み込ませたものが多かった。
そして、彼の世界の理として、“智慧の結晶”とも言えるクリスタルが齎した力によって、より様々な分野の知識を有しているのだと言う。


(そう言えば、踊ったり歌ったりもしていた。じゃあ、楽器も弾けるものなのか)


仲間たちと酒の宴で盛り上がった時、バッツは気楽に踊りも歌も披露する。
踊りは一人で出来るものから、パートナーを要するもの、団体で囲み踊るものまで選ばない。
歌もまた、メロディに乗せて口遊むものは勿論のこと、詠み聞かせる詩歌も得意だった。
センスに関してはその時のテンションに任せていることもあってか、評価は人と気分によってまちまちだが、その場ですぐに即興できる、と言うのは中々できるものではないだろう。

バッツが奏でる音楽は、スコールには耳馴染みもないものばかりだ。
スコールが知っている音楽と言ったら、ガーデンの授業で習ったものが精々で、後は恐らく、世俗で流れている流行の歌を聞きかじったくらいのもの。
それも大してメロディも歌詞も思い出せないから、きっと興味を持って聞いていた訳でもないのだろう。
テレビコマーシャルやラジオで耳に入ったものが、なんとなく印象に残ったに過ぎない。
それらと比べると、バッツの弾いている音楽は、少し民族的な音運びがあって、素朴な印象があった。

───一頻りピアノを弾き終えて、ふう、とバッツは顔を上げた。


「何もなさそうだな。このメモ、やっぱりただの悪戯なんだよ」
「……迷惑な悪戯だ」


バッツが見付けた“私を弾いて”と書かれた紙切れ。
誰が置いたのか、そもそも本当にこの世界で、このピアノを指しての言葉なのか、判った事は何もない。
ピアノは相変わらず其処に鎮座していて、勝手に動くことも、鍵盤を鳴らすこともなかった。
ずっと警戒していたスコールからすれば、無駄に神経を尖らせて、徒労したようなものだ。

はあ、と溜息を吐くスコールに、バッツは苦笑しながら言った。


「そう拗ねるなって。そうだ、折角だからちょっと休憩して行こう」
「こんな所で……」
「良いだろ、椅子も一杯あるしさ」


確かに、バッツの言う通り、観客席は二千とある。
ステージに一番近い最前列だけで、三十席程度はあるだろうか。
その中の中央位置、ピアノをほぼ真正面に捉えられる席を、バッツが指差した。


「スコール、其処座って」
「……どうして」
「お客さんになって貰うからだよ」


ピアノの椅子に座ったまま言ったバッツに、スコールはぱちりと瞬きをひとつ。
虚を突かれた表情で見つめる少年へ、バッツは歯を見せて笑った。


「リクエストあったら聞くぞ。タイトルなんか言われても、スコールの世界の曲は判んないから、欲しい雰囲気でって感じになるけど」
「……それは、……別に」
「なんでも良いか?静かな感じとか、賑やかなのとか、色々あるぞ」


バッツの言葉に、スコールは、そもそも弾いてくれなんて言ってない、と眉根を寄せる。
この空間の危険性が今の所はないと言う点は判ったのだから、用は済んだ訳だし、さっさと歪を脱出して、見回りを再開した方が良い。
スコールはそう思っているのだが、バッツはピアノ前の椅子に座ったまま、まだ立つ気はないようだ。

スコールはしばらく渋い表情を浮かべていたが、動じる様子なく見返してくるバッツに、結局根負けした。
何度目かの溜息を漏らして、くるりと背を向け、ステージを下りていく。
その背中に、バッツが声をかけた。


「リクエストはー?」
「煩くない奴ならなんでも良い」


諦念もあってぶっきらぼうになったスコールの答えに、バッツは「了解」と言った。

スコールがバッツの指定した椅子に座ると、少し頭を上へと傾けることで、ピアノ演奏者の顔が見える。
よくよく考えると、この距離から何某かのステージを観覧すると言うのは、中々贅沢なことなのかも知れない。
更に言えば、これだけ沢山の観客席があるホールに、観客は自分一人。
大ホールを自分一人の為に貸し切りにすると言うのは、現実にはどれだけの金額が必要なのか考えれば、先ず普通に経験できることではないだろう。

そして、たった一人の観客の為だけに、ステージの上でグランドピアノの音が鳴る。


(……さっきと違う曲だ)


素朴で、何処か子供の遊び心も感じる所があった、先ほどまでのバッツの演奏。
それと比べると、今バッツの指が奏でているのは、柔らかな音調と、流れるように穏やかな旋律。
聞く者の鼓膜にゆっくりと染み渡るように音を通し、凪の水面に微かな波紋を生み出すような、静かで透き通った音楽だった。

普段は自由が信条の如く、気儘に駆け出していくような男の指から、こんなにも嫋やかな音が奏でられると言うのが不思議でならない。
目を閉じれば、この音に身を委ねるようにして、緩やかに眠ることさえ出来そうだった。



演奏を終えたバッツに、「何を弾いたんだ」と尋ねても、彼は「なんだっけなあ」と曖昧に言った。
なんとなく頭に浮かんだ曲を弾いたと言うその真意を、スコールはそれ以上問うこともしない。

だから、バッツが奏でたその曲が、恋人に愛を伝える為の小夜曲であることも、知ることはなかった。





5月8日と言うことでバツスコ。
バッツってピアノマスターなんだよな~って思いまして。
スコールの為だけにピアノを弾いてるバッツが浮かんだのでした。

ゲーム内で徐々にバッツのピアノが上手くなって行く様子が結構好きでした。遊び心ですね。
クリスタルの力も影響はありそうだし、吟遊詩人は歌うし、踊り子は踊るし、竪琴は武器だしで、音楽ネタに事欠かないバッツですが、ピアノについては行く先でピアノを触って覚えて行った感じ。地道な努力。

[16/シドクラ]清明の芽



新入生代表の挨拶を任された、と家族に報告した時、父は頬を綻ばせ、弟はすごいと喜んでくれた。
母はいつもと変わらない表情で、「恥のないようになさい」と言って、クライヴは背筋を伸ばして「はい」と答えた。

中学生の間、クライヴは努めて優良な生徒であるように過ごしたと思う。
勉強は勿論のこと、生徒会役員としても精力的に役割をこなし、三年生の時には生徒会長に任命された。
部活動は時間が取れそうになかったので入ることは叶わなかったが、生徒会として色々な所に顔を出す機会があり、其処から縁もあって、運動部には助っ人と言う形で一時的に数に入れて貰うことがあった。
お陰で各部で何が求められているのか、何が悩みとなっているかを直に聞くことが出来たのは、クライヴにとって知見が拡がる縁となった。
生徒会役員であるから、と言うのもあったが、教師の手伝いをすることも多く、大人からの信頼も少なからず得ることが出来ていた。
クライヴにとって、それらは自然的にやっていた事でもあるが、そうあれと望まれている自分を知っていたからでもある。

由緒代々続く、ロズフィールド家の嫡男に生まれた者として、相応しい人間であれ。
それが物心がつく頃から耳にしていた言葉で、特に母はその点において厳しい目を向けていた。
体の弱い弟が生まれると、母の情は其方に傾向し、クライヴのことはそれ以前よりも構わなくなったが、放逐されている訳でもない。
また、遡れば、父もクライヴ同様に家を継ぐ者として、背筋を律して生きて来たと聞く。
そんな両親を見て育ったクライヴであるから、自身も彼らの顔に泥を塗ることのないよう、立派な人間になろうと努力するのは、当然の帰結であったのだ。

まだ生地の固い感触がする制服に身を包み、春休みの間に考えた、挨拶文をしたためた原稿用紙を、真新しい鞄に入れて家を出る。
入学式で行われる挨拶の際の段取りを確かめる為、クライヴは他の新入生よりも少し早い時間に学校へ到着した。
歴史の長い学校とあってか、門扉は少し古めかしく重々しい黒鉄の様相をしており、さながら城門のようである。
在校生は既に教室で授業が始まっているようで、校舎の窓が所々開け放たれていた。
初めて見る校舎やグラウンドの景色を、クライヴは落ち着きなく見回しながら、新入生入り口として案内板が立てられた玄関へと向かう。

玄関前には、数人の大人───教師と思しき人が立っている。
若年からベテランと分かる人が混じって話をしていたが、その内の一人がクライヴを見付け、


「お。新入生か?」


無精な髭を生やした男性がそう言ったのが聞こえて、クライヴはその場で背筋を伸ばして頭を下げた。
それから小走りで玄関前へと近付くと、教師たちは、クライヴを見付けた男に「じゃあよろしく」と言って散って行く。

残った男性教師は、玄関奥へとクライヴを促しながら、改めて確認に言った。


「新入生代表だな?念の為、名前を頼む」
「クライヴ・ロズフィールドです。よろしくお願いします」


もう一度、クライヴはぺこりと頭を下げる。
きちんと腰を曲げて、綺麗な角度で挨拶をするクライヴに、教師はおう、と手を挙げた。


「俺はシドルファス・テラモーン。担当科目は化学だ。ま、よろしくな」
「はい」


自己紹介と共に、テラモーンの右手が差し出される。
握手だと気付いて、クライヴもすぐにそれに応じた。
節のある手がしっかりとクライヴの手を握った瞬間、ふわりとクライヴの鼻腔に独特の苦みの匂いが届く。

嗅ぎ慣れない匂いのそれに、一体なんの匂いだろう、と頭の隅に思いつつ、クライヴは「こっちだ」と歩き出したテラモーンの後に続いた。


「現場に行く前に、クラス表を見て置いた方が良いだろう」


そう言ったテラモーンが向かったのは、生徒用の昇降口だ。
この学校では、昇降口は複数あり、生徒数が多いこともあって、学年ごとに使い分けられていると言う。
クライヴが案内され、今クラス表が張り出されている場所が、新一年生の利用する昇降口だそうだ。
新入生は今日に限っては玄関口から入るが、明日からはこの昇降口を利用することになる。

四枚の大きな模造紙に印刷されたクラス表に、ずらりと生徒の名が順に綴られている。
クライヴはざっとそれを見渡して、自分のクラスを確認した。
「確認できました」と言うと、テラモーンは頷いて、今度は入学式の会場となる講堂へと向かう。

校舎の一階には教職員室の他、校長室や保健室、事務室が並んでおり、教室は二階から上にあるようで、人の気配は少なかった。
あと一時間もすれば始まる入学式の為、教師が右へ左へと忙しくしているが、それ位のものだ。

校舎から伸びる渡り廊下を辿って、辿り着いた講堂は、厳粛な雰囲気に包まれていた。
まだ誰も座っていない沢山に椅子の間で、数人の教師が、何かを確かめるように会話をしている。
クライヴはそれを横目に見ながら、時折教師たちの視線が此方に向くのを感じつつ、テラモーンに続いてステージの壇上へと上がった。

ステージの中央には、マイクスピーカーを備えた教壇が置かれている。


「挨拶は其処でやって貰うことになってる。原稿は代表者が持参することになったと聞いてるが───」
「はい」


クライヴは肩に下げた鞄の口を開け、クリアファイルに挟んだ原稿用紙を取り出す。
中学校の卒業式後、新入生代表の選出の連絡を受けてから、母校の教員に添削を協力して貰い、書き上げたものだ。
テラモーンに内容を見せる必要があるかと尋ねてみると、彼は顎に手を当てて考える仕草をして、


「まあ確認する必要はないんだが……リハーサルするついでに、ちょっと聞かせて貰おうか。練習もした方が、ぶっつけよりは緊張しなくて済むだろう」
「リハーサル、ですか」
「式の流れも確認して置いた方が、いつ出番が来るかって肩肘張らんで良い。取り合えず、あっちの一番前にでも座って、其処からだ」


テラモーンがステージ前に並ぶ椅子を指差したので、クライヴは壇上から下りた。
無難に一番前の端に座ると、テラモーンは懐から取り出したプリントを開いて、


「あーと……新入生が入場したら、校長の挨拶があって。諸々やって───新入生代表は、来賓の紹介の後になる」
「はい」
「“新入生代表挨拶”で名前を呼ばれたら、席を立ってステージに上がれば良い」
「分かりました」


クライヴの返事に、テラモーンは「じゃあ始めるぞ」と言った。
プログラムを読み上げるアナウンスに則って、クライヴの名が呼ばれる。
すっくと立ち上がる瞬間、俄かに緊張の鼓動が跳ねるのを、クライヴは努めて平静を保つようにと心がけた。




リハーサルを行ったのは、クライヴにとって幸いであった。
本番は独特の緊張感があり、沢山の眼が此方を見ていると言う事実が、クライヴの息を詰まらせる。
ステージを下りて自分の席に戻った時には、どっと疲れがやって来て、クライヴには珍しく、椅子の背凭れに深く埋まったくらいである。
それでも、リハーサルの時にテラモーンはささやかにアドバイスしてくれたし、お陰で本番はスムーズな流れで出番を終えることが出来た。

晴れの入学式が無事に終わると、新入生は教員に先導されて、自分のクラスの教室へと戻る。
教室では早速めいめいと交流が始まっており、座った席に近い所同士で自己紹介をしたり、中学以前からの付き合いであろう面々がグループを形成していた。
クライヴはと言うと、代表挨拶を無事に終えたと言う安堵で、しばし自分の席で休んでいた。
しばらくするとクラス担当の教師がやってきて、明日以降の授業日程や、校内の案内図や諸注意事項の説明等が行われる。

頒布物等が行き渡ると、新入生としての一日は終わり、生徒は教室外で待っていた保護者とともに帰宅することになる。
クライヴもその流れに則って、家路につこうと今日限りの出入口となる、校舎の玄関へ向かっていると、


「クライヴ・ロズフィールド」


名前を呼ばれて振り返ると、数時間前に見た顔が其処にあった。
クライヴは今日の大役を終えて休息モードに入ってしまった頭をどうにか動かして、その人物の名前を思い出す。


「テラモーン先生」


今日一日の流れを説明し、アドバイスをくれた人の名だ。
間違えないようにと頭の中で再三確認してから名を呼ぶと、テラモーンは苦笑するように口端を上げて、


「シドで良い。その方が短くて簡単だしな」
「えっと……はい。シド先生」


目上の人間を、下の名前、それも略称で呼ぶことにクライヴは少々抵抗が過ったが、当人からそう呼んで良いと言うのだ。
当人なりの生徒への配慮かも知れない、ならばそれを無碍に断るのも良くないだろうと、クライヴは慣れない感覚を堪えて呼んでみる。
するとテラモーン───シドは満足げに目尻を和らげた。


「代表のお勤めご苦労さん。上手くやれたじゃないか」
「そうですか?ちょっと、詰まった所があって……もう少し綺麗に読めたら良かったんですけど」


シドの言葉はクライヴにとって有難いものだったが、とは言え、クライヴは少々心残りな部分があった。
挨拶の全文のうち、僅かな所ではあるが、読み詰まってしまった所があったのだ。

しかしシドは、「そうかねぇ」と言って頭を掻く仕草をして、


「聞いてる分には、何も問題なかったと思うぞ。俺が今までに聞いた挨拶の中じゃ、一番だ」
「ありがとうございます」


そう褒めちぎられても、クライヴはなんと返して良いかよく判らない。
けれども、折角の言葉を否定するのも悪い。
シドがそう言ってくれるのなら、その言葉は素直に受け取ろうと、クライヴは感謝を述べた。
それを受けたシドがなんとも言えない笑みが浮かべるのを見て、クライヴはことんと首を傾げる。

───さて、とシドが気を取り直すように言った。


「新入生はもう帰るもんだと思うが、お前さんとこの親御さんはどうした?外にいるのか?」


多くの生徒の保護者は、入学式後のホームルームの間に、教室の外に迎えに集まっていたが、中には玄関外のグラウンドで待っていた者もいる。
玄関口までクライヴが一人で来たと言うことは、とシドはそう思っていたようだが、クライヴは小さく首を横に振った。


「自分の両親は、今日は来ていません。うちは小さい弟がいるもので、目を離す訳にいかなくて」
「両親の両方ともか?」


クライヴの言葉に、シドが微かに眉根を潜める。

息子の高校入学式、それも新入生代表の挨拶を任されたとなれば、門出の晴れ舞台だ。
当人は勿論、保護者にとっても緊張も一入に迎えるものだろう、と言うシドの想像は外れてはいないのだろう。
一般的に言えば、母親だけでもその姿を見届けようと列席する事が多いに違いない。

ただ、クライヴの環境が、そうした普通の感覚とは聊か異なることを、彼は知らないのだ。


「弟は体が弱くて、今朝も熱を出していたんです。母はそれで付きっ切りで。父は、仕事が忙しくて」
「……」
「父は、最初は来てくれる予定ではあったんですが……緊急のことだったので、仕方なく」


こう言ったことは、クライヴにとって珍しくはない。
入学式、参観日、運動会───保護者の列席が希望される場に、両親の姿はない。
父はクライヴが生まれた時から仕事に忙殺され、それでも時間を捻出しようとしてはくれるが、如何せん、どうにもならない事は多かった。
弟ジョシュアの体調も、日々分からないもので、毎日の薬が手放せないし、急に熱を出すことも少なくない。
母は弟に強く愛情を注いでいるから、彼に何かあれば、付きっ切りになるのは常のことだ。
寂しくないのかと問われれば、そんな気持ちが全くないとは言えなかったが、我儘を言っても彼らを困らせてしまう。
それで両親が冷えた空気になれば、ジョシュアもそれを感じ取り、歯痒い表情をさせることになる。
それはクライヴの望むことではない。

クライヴの言葉を聞いて、シドはなんとも言えない表情を浮かべている。
じっと見つめるヘイゼルの瞳は、物言いたげであったが、其処に何の言葉があるのか、クライヴには読み取れない。
なんとなく、心配されているような気配だけは感じられて、クライヴは努めて笑顔を浮かべて言った。


「両親には、見て貰えなかったけど。シド先生のお陰で、代表の挨拶をやり切ることが出来ました。ありがとうございました」


朝にそうしたように、クライヴは腰を曲げて深く頭を下げて感謝を述べる。

今朝、一人で家を出る時にも、父からは参列ができないことに、「すまない」と詫びを貰った。
新入生代表の挨拶に選ばれて、それをやり遂げる姿を、見て欲しかった───入念に準備をしている間、そう思っていたことは否めないが、こればかりは仕方がない。
クライヴは密かな我儘を押し殺して、せめてきちんと役目を果たせたと言う報告が出来るように努めよう、と気持ちを切り替えた。
結局、肝心な場面でクライヴは読み閊えてしまったが、シドからは問題はなかったと言って貰えた。
今日はこれを糧に、両親への報告をしようと思っている。

自分なりに十分と思うまで感謝に頭を下げて、ようやくクライヴは顔を上げた。
と、そのタイミングで、ぽん、とクライヴの頭に何かが乗せられる。
そのまま、頭の上のもの───どうやら人の手だ───は、くしゃくしゃとクライヴの髪を掻き撫ぜた。


「うあ、」
「成程な。お前さん、一人で随分、頑張ってた訳だ」
「あ、あの。別に、そんな、」


当惑するクライヴに構わず、存外と大きな手は、遠慮なしにクライヴの髪を乱していた。
今朝、綺麗に撫でつけて整えた髪が、無造作なハネを作って行く。

ようやくクライヴが自由になった時、黒髪は奔放な遊びをあちこちに残していた。
きっちりと上から下まで乱すことなく着込んだ制服姿なのに、髪の毛だけが元気になっている。
アンバランスなその状態で、目を丸くしたまま固まっている少年に、シドはにっと笑いかけ、


「お疲れさん。今日は胸張って帰りな。お前は十分、よくやったよ」
「え……あ」


さっきまでクライヴの頭にあった手が、トン、とクライヴの胸を突く。
その感触と同時に、シドの言葉がすとんと身の内に落ちていく感触があった。


「じゃあ、気を付けて帰れよ。一人なんだから、尚更な」
「は、い」


ひらりと手を挙げて別れの挨拶とするシドに、クライヴはぽかんとした顔のまま、辛うじて返事をする。
踵を返して廊下を向こうへと去って行く背中を、少年はじっと見つめながら、自分の頭に手を遣った。





新生活が始まっていますね、と言う時期なので、15歳クライヴと若シドで学パロをやってみた。
多分シドは三十路前後。授業が分かりやすい、生徒とよく話をしてくれて相談ごとにも乗ってくれる、と言うことで人気が高い先生。
15歳クライヴは優等生タイプだろうと思っています。そんなクライヴに、周りは良くも悪くも信頼をしていて、「彼なら一人でも大丈夫だろう」って言う距離感。クライヴ自身もそうあろうとしている。
なので周りから、余程でなければ無理に回りが手を出さなくても良いだろう、ってなっているクライヴに、普通の子供と同じように褒めたり注意したりするシドがいたら良いな─って思いました。

後にクライヴも教師になって、シドの元教え子として同じ学校で教鞭取ることになったら良いじゃんって言う妄想。

[カイスコ]スタイリングはお気に召すまま

  • 2025/04/08 21:00
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



カインが他人の手で長い髪を遊ばれるのは、実の所、初めてではない。
主には親友とその恋人に、「ちょっと触らせて」と言う始まりから、「こんなに長いのなら色々な髪型が出来そうね」と言う話になり、無邪気な淑女の手で色々と飾られる機会があった。
無骨な男を飾り付けるくらいなら、自身の髪に髪飾りを挿す方がよほど有意義であろうに、何が楽しかったのやら。
親友の方はと言うと、明らかにカインの胸中は判っているだろうに、恋人の好きなように任せて、カインが花やら蝶の髪留めやらで盛られていくのを眺めていた。
そしてカインの飾りつけが終わると、淑女は次に親友の方を飾りつけしたがり、その時になって親友はようやく慌てる訳だが、カインにしてみれば良い気味である。
結局、妙齢の淑女を差し置いて、無骨な男二人の髪が華やかに彩られた。
男二人はなんとも言えない顔をするしかなかったが、淑女は大層満足したようだったので、まあ良いか、と失笑するしかなかったのは、良い思い出───なのかも知れない。

そんな事を考えている間にも、カインの髪は慣れた手付きで結わえられていく。

平時、大した手入れもしていない金色の髪を梳いているのは、ユウナの櫛だ。
木製の少し古びた櫛は、彼女が元の世界で親しんでいた私物らしく、此方の世界ではモーグリショップに偶々並んでいたのを見付けて買い戻したのだとか。
その櫛を手にカインの髪を整えているのは、ティファだった。
敵を前にすれば、握り締めたその拳で相手を粉砕せんばかりのパワーを持つ手は、今は随分と優しい手付きを見せている。
料理を得意としていることもあり、戦闘スタイルとは裏腹に家庭的な側面を持つティファである。
人の髪の手入れもお手の物なのか、存外と細い指は、丁寧に金糸の絡まりを解き、櫛を通して艶やかな髪を整えている。

親友とは違い、癖のないカインの髪の毛は、満遍なく梳き終えると真っ直ぐに背中に落ちる。
ティファが持っていた櫛を、傍らでじっと見守っていたユウナに返した。
だが、髪を梳き終わっても、カインはまだこの場から離れることは出来ない。
寧ろ女性陣の本気はこれからだ、と言うことを、カインは遠い経験則で知っていた。


「毛が細いからかな。すごく綺麗に整ったね」
「良いなあ。私、すぐに絡まって、寝癖とかついちゃうんです」
「ユウナの髪は柔らかいものね。カインのはもうちょっと、固い感じがする。でも細いから、こう、するっと滑るのね」


ティファの手がカインの髪を一房掬う。
毛先を緩く持ち上げて行くと、硬質な髪の毛の束は、ティファの指から逃げるように梳き落ちた。


「これだから兜をそのまま被っても絡まらないのかしら」
「……さあな」


感心したように言うティファに、カインは溜息交じりに言った。

自分の髪質など知ったこともないが、確かに、兜を脱ぐ時に引っかかりが少ないのは助かっている。
そうでなければ、長い髪など邪魔にしかならないから、適当に切って捨てていただろう。
……過去にそうしようとした時には、随分と必死な顔で反対してきた二人がいたことは、カインと他当事者だけが知る出来事であった。

ティファとユウナは、一頻り髪を眺めた後、よし、と意気込んだ表情を浮かべる。


「じゃあ、どんな髪型にしようかな」
「三つ編みはどうですか?この長さなら出来そうだし、カインさん、似合うと思うんです」


ユウナの無邪気な提案に、カインは眉間の皺を深くするが、背中側に立っている女性二人は気付かない。
ティファが「良いわね」と言うものだから、話は決まった。


「輪ゴムかリボンが欲しいかな」
「髪留めに出来るものですね。私、取って来ます」
「私の部屋にもあると思うわ。机の引き出しにあるから、開けて良いよ」
「はい」


ユウナは弾んだ足取りでリビングダイニングを出て行った。
それと入れ違いになって、一人の少年が、ユウナの開けた扉の隙間からするりと部屋に入ってきた。

濃茶色の短い髪に、モノクロで整えた衣服。
額に特徴的な傷のある、蒼灰色の瞳を持った、細身の少年───スコールだ。

スコールはユウナが駆けていくのを見送る形か目で追った後、首を傾げながらダイニングに入り、其処にあるものを見て目を丸くした。
鎧を脱いで布服に身を包んだカインが、ダイニングテーブルの椅子の一脚に座り、ティファに髪を結わせているのだ。
何とも奇妙な光景に鉢合わせてしまった彼の気持ちを、カインはなんとなく察する。
変な所に来た、そして、長居をしたらきっと面倒に巻き込まれる……と、そんな所だろう。

驚きか混乱か、戸口で固まっているスコールに、ティファが髪を触りながら気付き、


「あ、スコール。どうしたの?」
「……いや……その……水を、貰いに来た」


いつも通りの顔で用向きを尋ねるティファに、スコールはぎくしゃくとしながら、なんとか答える。


「お水ね。ちょっと待ってね」
「……自分でするから問題ない」
「そう?うん、良いか、スコールならつまみ食いもしないもの」


ダイニングの奥にあるキッチンには、ティファが夕飯の為に仕込んだ鍋が鎮座している。
食べ盛りの中には、これを無邪気につまみ食いして行く悪童もいるのだが、スコールはその点は心配いらない方だ。
どうぞ、とキッチンへの進入を咎めないティファに、スコールはそそくさとした足で目的の元へと逃げ込んでいった。

廊下へのドアが開いて、ユウナが戻ってきた。
喜色一杯の表情を浮かべた彼女の腕には、ある限りを持って来たのだろう、様々な色や模様のヘアアクセサリーが抱えられている。


「選び切れなくて、皆持ってきちゃいました」
「良いね。じゃあユウナ、カインに似合いそうなものを選んで」
「……男に似合うものなぞないだろう」


女性二人の無邪気なやり取りに、カインは言わずにいられなかったが、ユウナは「そんなことないですよ!」と目を輝かせる。


「カインさん、リボンが似合うと思うんです。金髪だから、こっちはちょっと抑え目の色にして……」
「この紺に銀のラインが入っているのが良いんじゃないかな。ラインが細いから、派手にはならないし」
「良いですね。華やかだけど落ち着いた色合いです。あと、結び目にはこれを合わせて───」


三つ編みに組んだカインの髪に、ティファが選んだ紺のリボンが結ばれる。
綺麗な蝶結びにされたリボンの結び目に、ユウナが小さな緑色のストーンを宛がった。
こっちかな、こっちが良いかな、と数種の石を比べて悩むユウナだが、カインにはそれらの石の違いと言うものが判らない。
魔力を帯びている様子もないから、本当に髪を飾る為だけのアイテムなのだろう。

きゃっきゃと楽しそうな女性陣は、まだまだ飽きてくれそうにない。
カインはそれにされるがままに任せつつ、いつになったら終わるだろうかと、ひっそり溜息を吐いていた。

と、じんわりとした視線を感じて、カインは目だけでその方向を見遣る。
キッチンの戸口を背にした位置に、相変わらず神妙な面持ちをしたスコールが立っていた。
蒼灰色の瞳は、女性陣の玩具になっている竜騎士に対して、少々哀れみの空気を混じらせている。
長引きそうな女性陣の戯れに付き合わされる格好のカインに、同情めいたものを抱きつつも、触れはするまいと遠巻きに済ませようとしているのが判った。

判ったので、カインも彼の存在には触れてやるまいとしていたのだが、


「あ、スコールさん」
「!」


ユウナのオッドアイがばっちりとスコールを映して、嬉しそうな声が名を呼ぶ。
呼ばれた当人は、しまった、とばかりに肩を竦ませていたが、幸いと言うべきか、ユウナはそれに気付いた様子はなく、とたとたとスコールの下へ駆け寄った。


「カインさんの髪を触らせて貰っていたんです。スコールさんもどうですか?」
「い、や……良い。結構だ」


楽しい気持ちからか、いつになく溌剌と話しかけて来るユウナに、スコールは半身を引きつつ辞退を述べる。
そんなスコールに、ユウナは至極残念そうに眉尻を下げていたが、ふと、


「そう言えば……スコールさん、前髪、邪魔じゃないですか?」
「……いや、別に……」


ユウナの言葉に、スコールは眉間に皺を寄せつつ半歩下がる。
嫌な予感を感じた、と言う彼の勘は、決して外れてはいまい。
だが、それならユウナとティファが此処にいる間は、キッチンに隠れている方が無難だったに違いない。

ユウナの言葉を聞いてか、ティファが「そうよね」と言った。


「スコールの髪、目元にかかって来てるもの。目に刺さったりするんじゃないかな?」


言いながら、ティファはカインの三つ編みを結ったリボンに、ユウナが選んでいた石を飾り付ける。
結んだリボンの紐に挟み入れて固定した薄緑色の石が、照明の光を反射させて柔く閃いた。

これで良し、とカインの出来に納得したティファは、すぐさまテーブルに置いていた髪留めのひとつを取って、スコールの下へ。


「スコール、ちょっと前髪を上げるね」
「な、おい、待て」
「留めるだけよ、大丈夫。変な事しないから」


小さな子供を宥めるように言うティファの手には、銀色のシンプルなヘアピン。

ティファはスコールの前髪を横に流し、ピンを通して固定させた。
柔らかな濃茶色の前髪は、いつもスコールの目元に薄くカーテンを作っていたが、それがなくなると蒼灰色の稀有な色味がくっきりと主張する。
額の傷も隠されなくなり、額が広く見えるようになったからか、雰囲気や輪郭の割に、幼い顔立ちが其処にあった。

スコールの目元がすっきりと確認できるようになって、よし、とティファが満足げに頷く。


「うん。スコールは髪が茶色だから、白とか黄色みたいなのが良いかなとも思ってたんだけど。こういうシンプルなのも良いね」
「似合ってます、スコールさん」
「スコールの前髪、いつも気になっていたのよね。目に入ったりしそうだなって。そのヘアピン、似合ってるからあげるね。好きに使って」
「……」


楽しそうなティファとユウナに、スコールの唇は真一文字に紡がれている。
蒼の瞳が言いたいことが幾らもありそうだったが、辛辣な物言いが時折見られるスコールでも、この状況で女性を相手にそれを吐く事は憚られるようだ。
それが正しい、と長らく椅子に座って人形に徹していたカインは思う。

ただいま、と言う声が廊下の方から聞こえて来た。
探索か哨戒に言っていた者が帰ってきたのだろう。
何やら誰かいないかと呼ぶ声があって、逼迫した声ではないものの、どうも手がいるらしい様子に、ティファとユウナが仲間たちを迎えに行った。
残ったのは、無言で立ち尽くす少年と、ようやく動くことを許されたカインのみ。


「やれやれ。何故女と言うのは、他人の髪を触りたがるんだかな」
「……」
「お前は運が良かったぞ、スコール。それひとつで済んだんだから」
「……」


カインの言葉に、スコールから言葉の反応はなかった。
代わりに、じろりと蒼の瞳が睨んでくる。
しかし、自分以上に髪を遊ばれたカインの様相を見てか、スコールは呆れか諦めを混じらせた深い溜息を漏らすのみであった。

スコールの左手が髪に留められたヘアピンに触れる。
好きに使えと言ったって、と尖らせた唇がありありと胸中を語っていた。


「……どうしろって言うんだ、こんなもの。似合いもしないのに」
「そうか。案外、お前に合っているように見えるがな」
「……あんたの方こそ、よく似合ってる」


カインの言葉に、スコールはじとりと湿った目で睨みながら言い返す。
わかり易い皮肉の遣り取りに、カインは肩を竦めた。

スコールは剥れた表情のまま、手探りでヘアピンを外そうと格闘している。
結局、髪の毛を滑らせる形でやや強引に外すと、傷んだ髪の生え際を指で摩って宥めた。
はあ、と何度目かの溜息を零しながら、スコールは前髪をいつも通りの形に手櫛で直す。
そうすると、さっきまではっきりと晒されていた蒼灰色の宝玉が、途端に隠れるように前髪の奥に引っ込んでしまう。

カインは徐に手を伸ばして、スコールの前髪を指で寄せた。
突然のことにスコールはぱちりと目を丸くして、額を滑るカインの指にされるがままになる。


「何、」


スコールは鬱陶しそうにカインの手を払おうとするが、カインは意に介さなかった。

額の傷が露わになり、長い睫毛を携えて、困惑の様子を滲ませる蒼灰色が訝しそうにカインを見上げる。
そうしてカインは、海の底のように深い蒼の瞳が、存外と丸く幼い形をしていることを知った。

だからどう、と言う訳でもない。
だが、なんとなくカインは満足した気分になって、スコールの前髪を抑えていた手を離す。
柔らかな髪は多少の癖がついたが、直ぐに元の形に戻って、またスコールの目色に翳を落として隠した。

帰還した仲間たちが、腹を空かせてダイニングへとやって来る。
夜には早いが、それでも構わないだろうとティファがキッチンへ向かったので、今日は少し早い夕食になりそうだ。
手伝える者が手を挙げてティファの下へ行く傍ら、その手の事に疎い面々は、邪魔をしないようにダイニングで食卓が整うのを待つ。
その間に他の仲間たちも揃ってくるだろうから、リビングダイニングの静寂は、もうとんと帰っては来るまい。

バッツとジタンが、立ち尽くしたスコールを見付けて声をかける。
どうしたよ、と尋ねる声に、スコールは当惑した表情のまま、「……別に何も」とだけ答えたのだった。





4月8日と言うことでカイスコ。
金髪を色々いじられているカインの所に居合わせてしまったスコール、が浮かんだもので。
012のタイミングだとスコールは随分ツンツンしている頃なので、あまりカインとは話をしなさそう。
なのでお互いそんなによく知らないんだけど、どっちも人との距離感がややバグってる所ありそうで(カインの方が大人なので平時は適当な距離取ってそう)、一瞬急に近かったみたいな時があったら良いなと。

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