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2020年08月
全てを溶かして行くような熱の中で、意識がふわふわと揺れる。
知らず息を詰めていたのだと自覚した直後、体が我慢の限界に至って、熱い中に己の欲を吐き出した。
震えながら伸縮して締まる感触があって、ああ、と感嘆の息が漏れる。
それからしばらくの間、クラウドは肩で息をしていた。
組み敷いた男も、ぼんやりと天井を見上げて、意識が宙に浮いているのが判る。
少しずつ呼吸が落ち着いてきた所で、クラウドはゆっくりと体を起こした。
中に埋めていたものを抜いて、流石に喉が渇いたな、と現実的な思考が過ぎる。
けれどベッドから出てしまうのは勿体なくて、どうしたものかと、特に決める気のない取り留めのない気持ちで過ごしていると、下の気配がごそりと動いた。
ベッドに沈む年上の男───レオンは、深く体を沈めたまま、目元にかかる前髪を掻き揚げた。
濃茶色の髪がシーツの波の中で無造作に散らばって、何とも扇情的な光景を作り出している。
その髪をくしゃくしゃと掻きながら、レオンの蒼の瞳がふと彷徨う。
何かを探すように、ベッドの横に向かって眼球が動いているのを見て、恐らくは彼も喉が渇いているのだろうとクラウドは思った。
クラウドの手で散々喘がされたのだから無理もない話だ。
一応、甲斐性くらいは見せるべきか、でも、とクラウドがベッドを抜け出す事に対し、ぐずぐずと過ごしていると、
「……ん、」
レオンの視線がある一点を留めて、何かに気付いた声を漏らす。
クラウドもそれには気付いていたが、別段、自分に関わるものではないだろうと気にしなかった。
ベッドの端を握っていたレオンの手が、ふらりと持ち上がって、クラウドの顔に触れる。
形の良い指先が、つう、と目元を擽ったのを感じて、くすぐったいなと思った後、
「クラウド」
「なん────」
呼ばれたので返事をしようとして、それが途中で塞がれた。
視界を埋める濃茶色のカーテンに、クラウドは何が起きたのか判らなかった。
口で呼吸が出来ない事は数瞬の後に理解して、それから直ぐ目の前に長い睫毛がある事に気付く。
蒼の瞳は瞼の裏側に隠れていて見えなかった。
それでも、自分がキスをしている───されている事は、遅蒔きに理解が追い付いて、取り敢えず鼻で呼吸をする。
唇の隙間をくすぐられる感触があったので、口を開いてみると、するりと艶めかしいものが滑り込んでくる。
舌に絡み付く弾力のある感触を、応える形で絡め返すと、下りた瞼がぴくりと震えるのが見えた。
「ん…ん……っ」
ちゅ、ちゅく、と咥内で音が聞こえる。
クラウドの口の中で唾液が絡まり合い、二人分の粘液が混じり溶けていく。
クラウドが頭の位置を下げると、口付けがより深く交わった。
頬に添えられていた手が首へと移動して、クラウドの頭を抱くように包み込む。
いつになく情熱的だと思いながら、クラウドもレオンの頬を撫で、指先で耳の裏側をくすぐりながら、レオンの味を堪能した。
いつもの事を思えば長い交わりになったキスを終え、唇が解放された時には、クラウドの咥内は唾液で溢れていた。
レオンのそれも混じっているのを飲み込むが、口端からは溢れたものがとろりと糸を引いている。
手の甲で拭って、皮膚にはりついた液を舌で舐めた。
「……どうした。随分積極的なようだが」
「不満か」
「そうは言ってない。だが、自分からしてくる事なんてないだろう。何考えてる?」
何を企んでいる?と言うニュアンスで問えば、レオンは心外だとばかりに眉尻を下げて見せた。
それはそれは、わざとらしく。
「酷い言い草だな。祝ってやったのに」
「祝い?」
何の話だとクラウドが問い直すと、レオンは目線だけで答えを寄越した。
横へと向いたその視線を負い、クラウドが首を巡らせれば、デスクがあって、其処には日付表示付きのデジタル時計がある。
時刻は日付が変わったばかりで、それから5分が経った所。
いつもの流れを思えば、2回目を終えて、そろそろ寝かせろとレオンが寝る体勢に入ろうとする頃だ。
今日もそんな感じになるだろうとクラウドは予想していたのだが、今日は少々勝手が違うらしい。
その理由を、どうして、と考えてから、先のレオンの“祝い”の意味を知る。
「ああ。俺の誕生日か」
「そう言う事だ」
やっと思い出したクラウドに、レオンはやれやれと肩を竦める。
祝い損になる所だったと宣い、
「俺からのプレゼントだ。嬉しいだろう?」
「随分安上がりのプレゼントだ」
「金に余裕なんてないからな。貰えるだけ有り難いと思え」
はっきりと言い返してくれるレオンに、そいつはどうも、と今度はクラウドが肩を竦めた。
ぎしりとベッドが軋む音がして、レオンが身動ぎをする。
覆い被さっていたクラウドが体を起こすと、よっこらせ、と重怠さを隠さずにレオンも起き上がる。
レオンは腰を庇いながら座る姿勢になって、ベッドヘッドに寄り掛かった。
「今日はユフィが張り切ってたからな。何か仕掛けて来るだろうから、それもちゃんと有り難く受け取れ」
「イタズラの類じゃないなら、貰っても良いがな」
「其処は───まあ、大丈夫だろう。一応、お前の誕生日だし」
仕掛けて来ないだろうとは言わないレオンに、クラウドは今日は心構えをして過ごした方が良いと知る。
そして、それはそれとして、恐らくはちゃんとそれなりの準備もしてくれているのだろう年下の幼馴染に、気の良い奴だと笑みも零れる。
恐らくは、こういった行事的な事を理由に、皆で賑やかにしたいと言うのが本音なのだろうが、それでも目的はクラウドの祝いなのだ。
今日は何処にも出掛けずに、街をパトロールして、夜まで暇を潰すとしよう。
今日の予定が大雑把に決まった所で、クラウドはベッド上で休むレオンへと視線を戻す。
寒さを嫌って手繰り寄せたシーツを腰に巻き、まだ滲む汗を鬱陶しそうに拭っているレオン。
均整の取れた体が、窓から滑り込む月明かりに照らし出されているのを見て、クラウドはまだ残っている身体の熱が蘇るのを自覚した。
「おい、レオン」
「なんだ」
「続き」
「……まだするのか」
疲れたんだが、と言うレオンに、クラウドは猛った自分を見せてやる。
判り易く昂っているその姿に、レオンは呆れたように溜息を吐いた。
クラウドがレオンの肩を掴むと、蒼の瞳が此方へと向けられる。
疲れていると言う気持ちはありありと映し出されていたが、クラウドは構わずに唇を重ねた。
判り切っていたのだろう、レオンは叱る事も振り払う事もせず、クラウドのさせたいように任せる。
唇を割って舌を侵入させれば、応じる形でレオンの舌が差し出されたので、遠慮なく絡め取って啜った。
「ん、ふ……」
「んん、」
「ふ……ん、む…あ……っ」
キスをしながら、レオンの首筋から鎖骨へ、指を滑らせてやる。
唇と唇の隙間から、甘い音が零れたのを聞いて、彼の体もまだ熱を残しているのだと言う事が判った。
先のキスのお返しに、たっぷりと彼の唇を味わって、クラウドはレオンを開放した。
はあ、とレオンが天井を仰いで、肺の酸素を入れ替える。
その体を引き倒す形でベッドにまた横たえて、クラウドはその上に覆い被さった。
「俺が貰ったプレゼントだ。俺の好きにして良いな?」
「……加減くらいは考えろ」
にやりと笑みを浮かべた男の顔に、レオンは溜息を吐きながら言った。
飴をやり過ぎたなと呟く声があったが、もう遅い。
貰ったものを今更逃がす気のないクラウドは、落ちてきた果実を遠慮なく食らう事に集中するのだった。
クラウド誕生日おめでとう!と言う事でいつもの流れです。
明け方くらいまで張り切って、後で怒られるけど特に反省はしないのもいつも通り。
モーグリショップに変わった商品が入荷したと聞いて、バッツが見に行こうと言い出した。
賑やか組はそれに勿論の如く便乗し、次いで丁度モーグリショップに用があり、向かおうとしていたクラウドが捕まった。
スコールは時間を持て余して読書をしていた所を見付かり、連行宜しく引きずり出される羽目になった。
モーグリが何を入荷したなど、スコールにとっては大して興味のない話だ。
闘争に当たって有効に使える物ならともかく、しかし大抵はそう言うものとは全く関係のない代物である事が多いから、スコールにとっては“どうでも良い”で済まされる。
それなのに、どうして自分まで同行しなければいけないのかと、漏れる溜息は隠さない。
隠さないが、バッツは勿論、ジタンもティーダもそれを気にする事はなく、暇潰しだと思ってさ、と宣ってくれる。
秩序の戦士達の拠点である地点から、程近い位置にショップを構えたモーグリは、お得意様向けにと言って、一風変わった商品を仕入れて来る事がある。
その多くは、一帯何処から迷い込んだのか、誰かの世界の貴重品であったりする。
凶暴な魔物が番をする秘境に眠るお宝だとか、何十トンと言う土を掘り返してほんの数グラムしか採取できない鉱石だとか、ロットナンバー0000の遊園地の景品だとか言う具合だ。
お宝はその内容により、鉱石は上手く加工する事が出来れば有用な魔力ブースターになるのでまだ良いが、フィギュアだとかゲームソフトだとかは、この世界では文字通り無用の長物である。
しかし、元の世界でレア品だと言われていると、収集欲が沸く者もいるようで、それなりにモーグリの儲けにはなっているようだ。
今回もどうせそう言う類なのだろうと、スコールは予想を立てていた。
かくしてそれは遠からず正解しており、バッツに急かされて商品を持ってきたモーグリを見て、やっぱりな、と思う。
「今日の日付と、時間が判って、お知らせ機能もついてる、便利なハイテク時計クポ!」
「へえ~、日付も判る時計なんて凄いな!」
「凄いっスか?」
モーグリが持ってきたのは、デジタル表示の電子時計だった。
時間の横に日付が表示され、上面と側面に小さなボタンが幾つもあり、恐らく色々な補助機能が付属しているのだろうと想像できる。
食い付くバッツの隣で、ティーダが判り易くがっかりした顔をしている。
技術の進んだ世界から来たティーダには、この程度の事は大して驚くような機能でもないのだ。
スコールとクラウドも同様であったが、バッツとジタンは違った。
「日付が判るものなんて、おれの世界にはなかったよ。ティーダは違うのか?」
「これ位の機械だったら、割と何処にでもあったっスね」
「ジタンは?」
「オレは初めて見たな。絡繰り仕掛けの時計はあるけど、これはそう言うのじゃなさそうだし」
電子機器が当たり前に流通している世界と言うのは限られている。
ジタンの世界では、絡繰り仕掛けが組み込まれた大型駆動の機械は存在しているが、それを使える国は限られており、一般市民が気楽に使えるものでもなかったそうだ。
バッツは機械と言うものが古くに失われた代物で、ごく一部の国がその技術を太古より継承していたそうだが、これもまた一般的な話ではない。
どちらにせよ、彼等にとっての機械と言うのは、歯車やバネが組み合わさって大きな力を生むもので、電気エネルギーを元とした精密機器とは全くの別物だ。
バッツが時計を手に取り、側面のボタンをカチカチを押して遊んでいる。
ボタンが押される度に、前面のパネルの表示形式が変わり、カレンダー表示からメモ機能まで使う事が出来る。
メモ機能がついているとあって、文字も短いながら打ち込めるようだ。
文字を打つには少々使い勝手は悪そうだが、アイコン表示と併用すれば、上手く扱えるかも知れない。
電子端末が比較的広く普及されていた世界から来たスコールにとっては、この程度はハイテクと言う程のものでもない。
とは言え、決して大きくはない、掌大より少し大きい程度の胴体に、これだけの機能を詰め込めていると言うのは、滅多にない代物のようにも思えた。
あれば便利かもな、とスコールが思っている間に、バッツはこの時計を買うかどうかを悩み始める。
「うーん、どうするかな。時計は一応、あるしなあ」
「色々メモを記録できるって言うのは、便利そうだし、使えそうだけどな。場所も取らないし」
「バッツの部屋に置いたらどうっスか?これ、目覚ましもついてるみたいだから、寝坊防止に良いっスよ」
「おれそんなに寝坊してないぞ!寝坊ならクラウドの方だろ」
「確かに。クラウド、お前はどうだ?」
「………ん?」
わいわいと賑やかな一角から離れ、他の棚の商品を見ていたクラウドに声がかかる。
自分の用事で此処に来たクラウドは、目当ての品を探すことに集中していたようで、賑やか組の会話は聞こえていなかった。
何の話だ、訊ねるクラウドに、バッツは時計を見せる。
「これこれ。色々お知らせ機能ついてるみたいだし、便利そうだから、どうかなって思ってさ」
「たま~に寝坊する事あるし、遅刻防止にどうだ?」
バッツに便乗して薦めるジタンの表情には、にやにやと揶揄う含みがある。
クラウドの寝坊、遅刻の理由を匂わせているその表情に、クラウドは肩を竦めて見せるのみとした。
時計などクラウドにとってはあっても無くても良いものだが、まあ取り敢えず見てみるか、とバッツ達の輪へ近付く。
バッツの手から時計を受け取り、ボタンを押して機能を確かめる。
やはりクラウドにとっては、ハイテクと言う程のものではないが、だが便利そうである事は判った。
カチ、カチ、とボタンを押している内に、パネルに表示されるものが一周して元に戻る。
シンプルに時計と日付だけが掲示されたのを見て、ん、とクラウドは其処に映った数字に気付いた。
「8月11日……」
「ん?何かあるんスか?」
「いや。俺の誕生日だなと思って」
それだけだと言うクラウドは、本当にそれを言っただけだった。
忘れていた事をふっと思い出した、と言うだけのもの。
だが、それを聞いて黙っていないのが、商魂逞しいモーグリである。
「クポポ!お客さん、お誕生日クポ?じゃあ特別にお安くしてあげるクポよ!」
「ほう?それはこの時計だけじゃなく、店の商品全てと見て良いのか?」
「クポッ!?ぜ、全部はちょっと……あっ、でもでも、一杯お買い物してくれれば、その分お得にするクポ~!」
このチャンスを逃すまいと、モーグリはすぐさま客の要望に呼応した。
売りたい商品があるとは言え、それを選ぶかどうかは客の自由。
それに固執するよりも、客の求めるものに応じて臨機応変に、客にお得感を与えつつ自身もしっかり利益を出すのが最も良い流れである。
と、クラウドとモーグリのそんな遣り取りを見ていた仲間達も、その流れへと参加した。
「クラウド、誕生日だったのか」
「この日付が正しいならな」
「なんでも良いじゃん、正しいって事で。誕生日って事で!」
「じゃあクラウドのプレゼント買わなきゃな!」
ティーダの言葉に、いいねえ、とジタンとバッツも頷く。
それを見れば、更なる商売のチャンスだとモーグリが判り易く跳ねて喜んだ。
わいわいとクラウドへの誕生日プレゼントを物色するバッツ、ジタン、ティーダ。
スコールは少し離れた場所でそれを眺め、まだしばらく帰れそうにないな、と溜息を吐く。
引き摺って来られた身としては、早く用を済ませて帰りたい、と言うのが本音であるのだが、それはそれとして、頭の片隅に引っ掛かるものはあった。
(誕生日……)
スコールとクラウドは、恋人と言う関係にある。
恋人の誕生日と言うのなら、某か祝うことを考えた方が良いのだろうか。
しかし、元来人づきあいが苦手であり、それに基く行事的な物事に対して、スコールは経験も思い入れもさっぱりであった。
バッツ、ジタン、ティーダの三人は、あれはどうだ、これはどうかと楽しそうにクラウドへのプレゼントを探している。
その間にクラウドは自分の買い物を───ちゃっかり誕生日割引を使って───済ませ、壁の花と化しているスコールの元へと向かう。
「……必要なものは揃ったのか」
「ああ。お前は、ずっとそうしてるが、何か必要なものはないのか?今なら俺の割引が使えるぞ」
「…特に何も。あいつらに無理やり連れて来られただけだ」
来ようと思って来た訳ではないから、どちらかと言えばさっさと帰って解放されたい。
それが本音であったが、勝手に帰るのは流石に角が立つ気がして、バッツ達の気が済むのを待つしかないだろう。
クラウドはスコールの隣に立って、壁に寄り掛かった。
めいめい楽し気な仲間達を見守る碧眼は、何処か上機嫌に見える。
不意に気付いた誕生日が嬉しい───と言うよりは、自分の為にあれこれと頭を捻る仲間達の様子が面白いのかも知れない。
微笑ましささえ感じさせるその瞳に、なんだかスコールは居た堪れない気分になった。
(…やっぱり、何か……)
仲間達がクラウドへの誕生祝を選んでいるのに、曲りなりにも“恋人”である自分が、此処で何もしていないと言うのはどうなのだろう。
なんとなくそんな、罪悪感のような意識がじわじわと芽生えて来て、スコールは落ち着かなくなった。
コツ、コツ、とスコールの足元が小さく床を鳴らす。
傍目には、中々帰れない苛立ちのように見える仕草だが、スコールの気持ちは全く違う所にある。
隣に佇む男をちらりと見遣って、喉の奥が詰まるものを感じながら、どうにか口を開いて、
「……クラウド」
「ん?」
「……あんた、何か…欲しいものは」
言葉が尻に行くほどに、スコールの声は小さくなった。
「え?」と此方を振り向いたクラウドに、スコールはさっと目を逸らす。
やっぱり余計な事をした、と苦い表情で、スコールはポーションが並ぶ棚を睨む。
背けられたスコールの顔を、クラウドはじっと見つめる。
思わぬ言葉についつい目を丸くしてしまったクラウドだったが、スコールの言った事はちゃんと聞こえていた。
偶然思い出しただけの、それも正しいか判らない自分の誕生日なんて、わざわざ気にして貰えるとは思っていなかったのだ。
プレゼント探しを始めた仲間達に触発された所もありそうだが、理由は何であるにせよ、恥ずかしがり屋の恋人がきっと精一杯の勇気で踏み込んでくれた事に、クラウドは自然と唇が緩む。
そっぽを向いたまま戻って来ないスコールの、赤くなった耳を見詰めながらクラウドは言った。
「……そうだな。もし良ければで良いんだが」
「……」
クラウドの声に、ぴく、とスコールの頭が揺れる。
それから、ゆっくりと蒼の瞳が此方へと戻されて、クラウドはそれをじっと見つめながら、彼だけに聞こえる声で言った。
「お前が欲しいな」
「………!!」
仲間達に聞こえないように、潜めた声で囁かれた願い。
その言葉の意味を、スコールは正確に理解して、沸騰よろしく顔が熱くなる。
何を言ってるんだ、あんたは馬鹿か、と声を上げようとして、ティーダの「これこれ!どうっスかね」と駆け寄ってくる声がスコールを制止した。
商品棚に陳列された中にあった、獣をモチーフにしたシルバーアクセサリーを見せるティーダ。
クラウドは差し出されたそれを手に取って、しげしげと眺めてみて、
「ああ。中々良いな」
「よし!俺、これに決まり!」
クラウドも気に入ったと笑みを向けてやれば、ティーダはガッツポーズをして、会計へと向かう。
バッツとジタンも悩みつつ、この辺が良いかなあ、と目星をつけ始めていた。
商魂逞しいモーグリに、これもどうか、あれもどうかと薦められているティーダ。
それはまたの機会にと流しつつ、財布を取り出すティーダを見ていたクラウドだったが、さて此方はどうなったと隣を見遣る。
其処には、声をあげるタイミングを逸し、相変わらず赤い顔で俯いているスコールがいる。
付き合うようになってから、平時の大人びた雰囲気とは違い、存外初心なスコールの姿に、クラウドはくつりと笑みを漏らす。
割と本気ではあったが、それでも大人の余裕と寛容として、「冗談だ」と逃げ道を差し出そうとした所で、スコールが顔をあげる。
「……」
「ん?」
「………」
蒼がじっとクラウドを見詰めていた。
鼻の頭まで赤くなっているスコールに、どうした、とクラウドが首を傾げると、
「……別に」
「?」
「……好きにしたら、良い」
ぽつり、ぽつりと、零すように紡がれた言葉。
その意味が、先の自分の願いに対する返事であると、数秒の時間を要してからクラウドは気付いた。
スコールは直ぐにまたそっぽを向いて、クラウドからは、赤くなった耳と首しか見えない。
きっと今頃、彼の頭の中では、羞恥心と後悔と、他にも色々な感情がごちゃ混ぜになっているのだろう。
そんな恋人の姿に、何よりのプレゼントだ、とクラウドは声に出さずに感謝を告げた。
クラウド誕生日おめでとう!
今夜はきっとスコールの方からクラウドの部屋に来てくれるんだと思います。
心地良さと充足感で、頭が真っ白になって行く。
熱の籠った声が名前を呼ぶのを耳元で聞いて、首の後ろにぞくぞくとしたものが奔るのを感じた。
それは決して嫌悪感ではなく、寧ろ逆の性質のものだ。
身を委ねる事に恐怖に似たものを感じていたのは初めの頃だけの話で、今はそれを感じると、来た、と思って体が期待に震えてしまう。
覆い被さる躰の重みを感じながら、直ぐ其処にある頭に腕を回してしがみ付く。
力加減が出来なくて、とにかく名前を呼びながらそれに掴まっている事しか出来なかった。
指の隙間から零れ落ちて行く髪を擦りながら、スコールは無我夢中で縋る。
勝手に出て行く高い声を、自分のものだと認識するのには、何故だか酷く労が要る。
その後はしばらく躰が強張って、短い呼吸を繰り返した後、ようやく全身から力が抜けた。
そうなってしまうと今度は指一本と動かせない。
何処か靄がかかったような視界の中で、スコールは覆い被さる男がゆっくりと体を起こすのを見ていた。
隙間がないほど触れ合っていた肌が離れて、溶け合っていた熱が遠ざかる。
それが無性に寂しく思えて、捕まえようと腕を伸ばせば、心得た手がその手を柔く握ってくれた。
ああ、と安心した気持ちで息を吐きながら、体を起こした男を見詰めていると、彼は一つ息を吐いて天井を仰ぐ。
詰め込み続けた空気を肺から追い出して、代わりに新鮮な酸素を取り込んだ後、かくんと頭が下を向いた。
そうして目元に掛かる長い髪を厭うように、スコールと繋いだ手とは逆の手が持ち上がり、目元から額にかけて髪を上へと掻き上げる。
鬣のように流れる濃茶色の髪を見詰めて、スコールはほうっと熱の籠った息を零した。
体を起こす事も儘ならないスコールを、レオンは丁寧に介抱して、またベッドへと戻る。
ベッドシーツも綺麗なそれに整え直し、清潔な寝床を作ってから、レオンはスコールを其処に横たえた。
肌触りの良いシーツの感触に頬を埋めるスコール。
レオンもその隣に横になって、気怠い様子の恋人の体を抱き寄せた。
まぐわい合っての夜と言うのは、長いようで短いようで、不思議だった。
最初にベッドに入ってから、肌を重ねている間は、あっという間に時間が過ぎていく。
終わって緩やかなに過ごしていれば、今度は一分一秒が長く感じられた。
それなのに、眼を閉じて眠ってしまえば、一瞬のうちに数時間が過ぎて朝になってしまう。
その朝を出来るだけ後に伸ばしてしまいたくて、スコールはまだ眠りたくないと思っていた。
向かい合って横になっているから、二人の距離はとても近くて、暗がりの中でもスコールはレオンの顔を視認できていた。
とうに見慣れた顔をじっと見つめて、徐に腕を持ち上げ、頬にかかる横髪を摘まんでみる。
毛の流れに沿って指を滑らせながら、スコールはその毛先が自分の頬を掠める時の事を考えていた。
(……くすぐったいんだよな)
体を重ね合わせて、唇と唇を交わらせている時。
レオンの横髪がスコールの頬を滑る度、その感触にスコールは肩が震えてしまう。
それを知られると、レオンは宥めるようにもう一度キスをして、ゆっくりとスコールの唇を吸ってくれた。
怖いんじゃなくてくすぐったいだけなんだと、別に宥める必要も、慰める必要もないのだとスコールは思っているけれど、彼に与えられるキスは心地が良いから、黙っていつも受け止めている。
そんな事を考えながらレオンの髪に触れていると、瞳を隠していた瞼がゆっくりと持ち上がる。
寝てはいないと判っていたから、特に驚く事も気にする事もなく、スコールは摘まんでいた髪を指先にくるりと巻いて遊んでいた。
柔らかな蒼はその様子を視界の端に捉えると、くすりと笑みを浮かべてスコールを見る。
「楽しいか?」
「……まあ」
それなりに、と返して、スコールはレオンの耳の後ろへと手を持って行く。
レイヤーの入った髪の隙間に手を入れると、柔らかな髪の感触が指の隙間をするすると擦り抜けた。
ライオンの鬣ってこんな感触なんだろうか、知らない生き物の知らない感触を思い描きながら撫でていると、
「鬱陶しいか?」
「……何が?」
訊ねるレオンに、スコールは訊ね返す。
いや、とレオンは零してから、続けた。
「長いと色々、な。好きで伸ばしているんだが、自分でも邪魔に思う事は時々あるし」
「……」
「お前から見てどうなんだろうと、ちょっと思って」
そう言ってレオンは、髪に触れるスコールの腕に手を滑らせる。
自分の後ろ髪に埋もれる形になっているスコールの手を探り宛て、すり、と手の甲に指先を当てる。
骨の隙間をくすぐるように辿られるのを感じながら、スコールはゆるゆると首を横に振った。
「別に……邪魔とか、そう言うのは、ない」
「そうか」
スコールの言葉に、レオンは目を伏せて唇を綻ばせた。
それが心なしか安堵しているような表情に見えたのは、スコールの気の所為だろうか。
詳しい事は、訊いて良いのか判らないので、スコールには洋と知れない事だった。
それでも、レオンの長い髪は、スコールにとって厭うものではない。
覆い被さられている時、長い髪がカーテンのように周囲の視界を遮ってくれるのを、スコールは彼の世界に閉じ込められているように思えて、こっそりと気に入っていた。
「まあ……くすぐったいと思う時は、多いけど」
その事実だけは伝えておくと、くすりとレオンが笑う。
「悪いな」
「……別に」
「次からセックスする時は髪を結んでおこうか?」
冗談めかした顔で言ったレオンに、スコールは彼が髪を結んでいる時の事を思い出してみる。
長く伸ばしたレオンは髪は、平時は流れに任せるままだが、時々結われている事もある。
それは食事当番としてキッチンに立っている時であったり、風呂上がりの熱を逃がす為に首回りを開けたい時であったりだ。
大抵は首の後ろで簡単にまとめているだけなのだが、時々、変わった髪型をしている時もあった。
そう言う時は女性陣におねだりされて遊ばれている名残で、半日程度はそのままにしている。
髪を結い上げていると、首元がすっきりとしているお陰か、普段と違ったシルエットになる。
普段は鬣のように見える横顔や後ろ姿が、首筋が晒される事で無防備に見えるのか、隠されているものが見えている事が人の悪戯心を刺激するのか、賑やか組に何やら襲撃される場面も見る事があった。
それをちゃっかり躱して流してしまう当たりは、大人の余裕のなせる技か。
────セックスの時にも、髪を結んでいたら、そんな風に見える事もあるのだろうか。
そんな事を考えながら、スコールは指に絡む柔らかな髪を撫でながら、
「……いや」
「うん?
「…このままで良い」
そう言ってスコールは、レオンの胸に顔を寄せた。
胸板に鼻先を埋めながら、体の下敷きにしていた腕も伸ばして、レオンの首に絡める。
抱くようにレオンの後頭部に腕を回して身を寄せれば、手首に柔らかな髪がくすぐった。
「良いのか。構わないんだぞ、遠慮しなくても」
「遠慮はしてない。あんたの髪、嫌いじゃないから。このままで良い」
絡む髪の感触を楽しむように、スコールはレオンの髪を手櫛で梳く。
癖が付き易いレオンの髪は、後処理の為にシャワーを浴びた後、しっかりと乾かさずに布団に戻った所為で、もう寝癖がついている。
それを動物が毛繕いをするように、スコールは丁寧に梳いて解して行った。
───こうやって誰かの髪をじっくりと触るのは、初めての事ではないだろうか。
自身の履歴を振り返りつつ、先ず己から始める行動ではないなと分析しながら、スコールは柔い髪の感触を堪能する。
髪の流れに逆らうように、下から上へと掬い上げるように指を通した後で、乱した流れを撫でて直す。
何度もそれを繰り返していると、ふふ、と小さく笑う声が聞こえた。
「楽しいか?」
「……まあ」
それなりに、とついさっきも交わした遣り取りと、全く同じ言葉を交わす。
そうか、とレオンは笑みを交えて言って、スコールの背を抱いていた手を滑らせた。
「…気持ち良いな」
「……そうなのか」
「ああ。それに、少し懐かしい。誰かに頭を撫でられるのも、随分久しぶりだしな」
レオンの言葉に、そうだろうな、とスコールは思った。
時折女性陣に髪を遊ばれている時を覗けば、レオンが誰かに髪を───頭を触らせる事は先ずない。
その必要がないからと言うのもあるのだが、見た目の話として、彼より背が高い者、或いは年上の者がいないからと言う事も挙げられる。
自分は撫でられるより撫でる側であるのが、レオンにとっては当たり前の認識なのだろう。
レオンの手がスコールの後頭部に添えられて、自分と同じ色をした髪をそっと撫でる。
二人でしばらくの間、互いの髪に触っていた。
何をするでもなく、言葉を交わすでもなく、ただただ梳いて撫でてを繰り返す。
スコールは首の後ろがくすぐったいような気がして、レオンも同じ感覚なのだろうか、と考えた。
指の隙間を通り抜けていく髪を捕まえるように、緩く手を握る形にしてみれば、手の中でくしゃりと毛先が絡む。
すると後頭部でレオンが同じように髪を緩く握って、けれど短い髪はレオンの手の中にそれほど納まりはせず、するりと指の隙間を逃げて行った。
無心でレオンの髪に触れていたスコールの頬に、大きな手が添えられる。
つきさっきまで、自分の髪を撫でていた手。
それに誘われるままにスコールが少し目線を動かすと、酷く近い距離に、柔らかな笑みを湛えた男の顔がある。
「スコール」
名前を呼ばれて、呼び返そうとした唇が、レオンのそれで塞がれた。
ゆっくりと深くなっていく口付けの中で、レオンの手は頬から耳の後ろへ、後頭部へと添えられて行く。
「ん、…んん……」
舌をくすぐられる感覚に、ぞくりとしたものがスコールの首の後ろを走った。
その形跡を辿るように、レオンの指が項に触れる。
耳の奥で唾液の交わる音を聞きながら、スコールはレオンの後頭部を抱く手に力を込めた。
長い髪を弄るように掻き乱しながら、もっと、と強請る。
レオンは呼吸の為に一度唇を離した後、はあ、とスコールが一呼吸するのを確かめてから、またキスをした。
深く深く交わって行く中で、レオンが身を起こして、スコールの上へと覆い被さる。
薄く開いたスコールの視界に、薄暗がりの中で流れる髪の毛先のシルエットが見えた。
顔の横から流れ落ちた髪の毛が、スコールの頬を、首元をくすぐって行く。
「ふ…、あ……っ」
「は……っ」
互いの味をたっぷりと堪能して、レオンはスコールを開放する。
仰向けになっていたスコールは、レオンの首に腕を回して縋る格好のまま、天井を仰いではふはふと足りなくなった酸素を懸命に取り込んだ。
落ち着いたスコールが正面を見上げると、じっと見つめる蒼の瞳とぶつかった。
其処に再びの熱が灯っているのを見て、明日も早いんじゃなかったのか、と思ったが、体が熱いのはスコールも同じだ。
しっかりと引き締まった腰に、するりと膝を摺り寄せれば、悪戯な肢体に判り易くレオンが興奮するのが伝わった。
「……レオン」
「もう一度だけ、な」
「……ん」
一度で本当に終わるのか、とは聞かなかった。
夢中になったら、どちらも終われないだろうし、その頃には口約束など忘れている。
それより今は、目の前にある熱が欲しい。
また重ねられ行く唇を、スコールは夢現に堕ちる心地良さの中で受け止めた。
何度目か、顔をくすぐる髪の毛の感触に、じわりと燻る熱が燃え上がるのを自覚する。
指に絡む長い髪を掬いながら、もっと深く、もっと来てと急かしてやれば、レオンの手もスコールの髪をそっと撫でた。
それが我慢の利かない子供を宥めているようで、少し癪に障る気もしたが、撫でる指先の感触は相変わらず気持ちが良い。
でもどうせなら熱を煽って欲しい───と、スコールは情事の最中を思い出させるように、指の隙間で散らばる髪を緩く握って引っ張った。
『レオンの髪の毛を触るスコール』のリクエストを頂きました。
スコールからレオンの髪を触る時ってあまりなさそうなので、どういうシチュエーションかな~と思った末に、やっぱりいちゃいちゃしてる時だね!という結論。
夢中になってしがみついた時、髪を掴んでしまってるって言うのが好きです。
肌を重ね合わせた後に、スコールが起きている事は珍しい。
大抵は疲れ切って意識を飛ばし、それでクラウドがようやく終わってくれるからだ。
出来ればそれより早めに終わって欲しい、と思っていたりするのだが、最中は快感と愛しい人に抱かれていると言う心地良さで、そんな事は忘れている。
寧ろクラウドにしてみれば、スコールがもっともっとと求めて離さないから、彼が意識を飛ばすまで終わる事が出来ない───と言う所なのだが、そんな事はスコールに自覚はないのだった。
今日はクラウドも疲れていたから、スコールが二回、クラウドが一回果てた所で終わった。
とは言え疲れている事は変わりなく、スコールはクラウドに抱えられてシャワーを済ませ、また抱えられて部屋へと戻った。
仲間達に見付かるのは嫌だから自分で歩く、とスコールは言ったのだが、下肢の違和感に幾らも立ってはいられず、結局クラウドに身を預けている。
部屋に戻ってからは二人とも寝る体勢で、ベッドでのんびりと横になっていた。
壁を向いていないとどうにも落ち着かないスコールを、クラウドは背中から覆うように身を寄せて抱き締めている。
スコールの腹に回された手が時折撫でる仕草をして、くすぐったさにスコールの体が微かに震えた。
正直睡魔を妨げるので止めて欲しい、と思っていたりするのだが、ちらりと後ろの引っ付き虫を覗き見れば、柔らかな光を宿した魔晄の瞳があった。
目が合うと何処か嬉しそうに笑うので、スコールはなんともむず痒い気分で、諦めるようにクラウドに好きにさせている。
その内に腹を撫でる手は、段々と心地良いものになってきた。
何か悪戯をする訳でもないし、何より、背中に感じられる恋人の体温が安心感を誘う。
このまま眠れるかも知れない、とスコールは白い壁を見詰めながら思っていた。
ぼんやりと霞が滲み始めた意識の中で、スコールの投げ出されていた手がシーツの上を滑る。
腹を抱いた手にスコールの手が重ねられると、ぴく、と指先が反応したのが判った。
その指を軽く摘まんでやると、背後で俄かに戸惑う気配があったが、逃げる事はなく、どちらかと言えば此方の様子を伺っているような雰囲気が醸し出される。
警戒と言う程尖ったものはなかったが、動向を気にしているのは隠されなかった。
(……指、太い)
指先で摘まんだ、クラウドの指。
その人差し指の形をなぞるように辿って、ゴツゴツとした骨の感触を覚る。
以前の闘争を終えて、元の世界で二年と言う歳月を過ごしていたと言うクラウド。
新たな世界で彼と再会した時には、急に彼が遠い存在になったようで戸惑っていたものだった。
だが、こうして肌を重ね合わせている内に、年齢を重ねているとしても、彼が自分の知る恋人と本当に同一人物であると感じる事で、少しずつスコールの蟠りは解けて行った。
こうやって指先一つを摘まんで、あの頃にも感じた感触と変わらない事に笑みを零す位に、スコールの気持ちには余裕がある。
平時はスコールと同じように手袋をしているから、クラウドの手が晒されている事は殆ど無い。
直にその感触に触れる機会は、恋人のスコールと言えど、案外と少なかった。
こうやって褥の中で緩やかな時間を過ごせる間柄だからこそ、だ。
(……爪、少し欠けてる)
スコールはクラウドの指を辿り、その先端で少し伸びた爪が不自然に欠けている事に気付いた。
彼の振り回す武器は、長さも重量もあるから、薙ぐだけで結構な遠心力が働く。
時にはその物理法則に逆らった扱いをする時もあるから、手全体に大きな負荷がかかる事もあるだろう。
爪が微かに欠けているのは、そんな戦い方の表れなのかも知れない。
腹に触れていた手をそっと剥がしてみると、クラウドは抵抗しなかった。
スコールは横になった体勢のまま、布団の中を覗き込んでみる。
スコールの手に掴まれたクラウドの手が、たらんと力なく垂れて、時々落ち着きなさそうに指先がぴく、ぴく、と動いた。
その手に右手を合わせ絡める。
思いも寄らない事だったのか、背後で息をのむ気配があって、同時に鼓動の音が忙しくなった。
そんなに驚く事か、と何処か面白いものを見た気分になって、スコールはこっそりと笑いながら、クラウドの手を握り締める。
(大きい。あと、固い)
スコールとクラウドの身長には、対して差はない。
スコールの方がほんの数センチ高いようだが、手の大きさはクラウドの方が大きいようだった。
そう感じる位に、クラウドの手は厚みがあるのだ。
それから、重ね合わせた事でよく判るのが、皮膚の厚みだ。
少しざらついた皮膚は、固い感触に覆われていて、剣胼胝のある場所などは特に顕著である。
その手が自分の体をゆっくりと撫でる時の事を思い出し、まだ最中の感覚の残る場所がひくりと疼く。
背後の恋人にそれを知られるまいと頭を振ると、クラウドはきょとんと首を傾げたが、スコールがそれに気付く事はなかった。
もう一度掌を握ると、今度はそうっと握り返された。
柔らかく弱い力で、とても大剣を振り回しているとは思えないような、優しい握り方。
壊れ物を扱うような丁寧さに、そんなに軟じゃない、とスコールは思うのだが、大事にされていると言う事が実感できるのは嫌いではなかった。
(でも。手首、よく痕が付くんだよな。やってる最中はあまり加減してくれないし)
ちらりとスコールが布団の中の自分の腕を見るが、暗がりなので皮膚の色は判らない。
しかし、繋がっている最中、何度かその腕を掴まれた事を思い出し、多分痕にはなっている、と思う。
明日の朝までそれが残っているかは判らない。
手首に痕が着くのは、人に見られそうで嫌なのだが、しかしスコールは最中にクラウドの手を振り払う事はしない。
自分よりも僅かに大きな手に掴まれ、ベッドに縫い留められる瞬間、その力強さで、それ位に彼が自分を求めてくれているのだと言う事が実感できる。
それと同時に、肌の上を滑るゴツゴツとした手の感触も、スコールを虜にして已まなかった。
スコールは握った手を揉むように、指先の力の入り抜きを繰り返す。
にぎ、にぎ、と一定のリズムを握り開きをするスコールを、クラウドは好きにさせていた。
(……指の隙間、ゴツゴツしてる。やっぱり骨が太い)
指の隙間に順に差し込んでいた手を少し動かして、スコールの人差し指が、クラウドの人差し指と中指の間に入る。
親指と人差し指で、クラウドの人差し指を摘まんで、付け根を摩ってみた。
指と掌の骨が繋がっている所を見付けると、親指で其処を何度も擦り、ゴツゴツとした感触を確かめていると、
「……スコール」
「……ん」
名を呼ぶ声が聞こえて、まだ起きていた、とスコールは思った。
スコールは観察する手を止めずに返事だけ投げると、背後で少し唸るような音が零れる。
「その、くすぐったいんだが」
「……」
クラウドの言葉に、スコールも流石に探る指を止めた。
肩越しに後ろを見遣れば、心なしか恥ずかしそうな、照れくさそうな顔をして、眼を逸らしている恋人がいる。
スコールは少し考えた後、まあ良いか、と思う事にした。
「別に良いだろう。変な事をしてる訳じゃないし」
「いや、うん。それはそうなんだけどな」
「あんた、明日は出るんだろう。気にせず寝れば良い」
「ああ」
「俺もその内寝る」
「……ああ」
好きにしたら良い、と言うスコールに、クラウドは鈍いながらも頷いた。
そうだな、と呟くクラウドの声は、何処か上の空だったが、スコールは気にしなかった。
さて、とスコールは改めた気分で、またクラウドの手を触る。
絡め合わせていた手を離して、掌の皺の形を重ね合わせてみた。
もう少しよく見たいなと思って、掴んだ手を目線の高さまで持って行く。
見易くした所で、スコールは指先でクラウドの掌の皺をゆっくりとなぞり始めた。
(ここは長い。こっちは……なんか、途切れてるな)
手相などスコールは知らないから、クラウドの掌が示す運命云々と言うものはさっぱり判らない。
なんとなく苦労していそうだな、とは思うが、詳細を聞く事はしなかった。
そう言えば、クラウドは元の世界で二年を過ごしているから、見た目も色々と変わった所があるのだが、この掌も変わっていたりするのだろうか。
以前の闘争の中、何度となく体を繋げる度、この掌も握り合ったように思うのだが、その頃とは違うものが此処にはあるのか。
そう考えると、スコールの知らないクラウドがこの手の中にいると言う事になるのか。
決して知り得ないそれを感じて、俄かにスコールの胸に寂しさのようなものが去来するが、同時にそれだけの時間が重ねられても自分の事を忘れずにいてくれたクラウドへの愛しさも増した。
もう一度、そっと、掌を絡めあわせて握る。
その感覚を感じ取ったのだろう、クラウドも何も言わず、スコールの手を握り返した。
(……クラウド……)
心の中で名前を呼びながら、スコールはその手を引き寄せる。
少し手首を捻って、クラウドの手の甲が此方へ向くようにする。
引き寄せたそれにそっと唇を当てると、ぴく、と絡めた指が小さく震えるのが判った。
それだけで逃げる仕草を見せない事に甘え、頬へと寄せて柔らかく握り締める。
頭の芯の靄が濃くなってきている自覚があった。
このまま寝ても良いだろうか、と思っている間に、瞼が重くなって行く。
頬に寄せた、少し武骨な手をやわやわと握りながら、スコールはゆっくりと夢の世界へと落ちて行った。
────それから幾何かして、クラウドがゆっくりと体を起こす。
「……スコール」
「……」
「……眠ったか」
耳元で小さく名を呼ぶと、すぅすぅと心地良い寝息だけが返された。
情事の後の気怠さもあり、恐らくは深い眠りにあるだろう恋人の米神に、クラウドはそっとキスをする。
(さて……)
健やかに眠る恋人を見下ろしながら、クラウドはちらりと視線を横にずらす。
壁に向かって横向きになっているスコールの顔の下には、彼に握られたままの手があった。
眠りに落ちても、スコールはクラウドの手を離そうとはしなかった。
クラウドがこっそりと手を離そうとすると、引き留めるように指先に力が籠る。
それを受けてクラウドが手の力を抜くと、スコールも安心したように握る力が緩んだ。
「そんなに気に入ったのか?」
くすりと笑みを浮かべてクラウドが囁くと、耳元を掠める吐息が擽ったかったのか、んん、と小さくむずがる声。
それからスコールは、クラウドの手をきゅうと握って、また規則正しい寝息を立てるようになった。
やれやれ、とクラウドは一つ息を吐いて、また横になる。
スコールに捕まった手はそのまま、恋人の好きにさせる事にした。
(正直ちょっと辛い所があるんだが……まあ、仕方がないな)
スコールが自分の手で遊んでいる間、クラウドはちょっとした我慢を強いられていた。
普段、接触嫌悪のきらいもあるスコールは、滅多に自分から他人に触れる事をしない。
癖にもなっているのだろうそれはクラウドに対しても同じで、情事の時ですら、蕩けるまでは中々自分からは触れてくれない程だ。
それだけに、彼が自ら触れてくれる瞬間と言うのは貴重であった。
且つ、今の所、スコールが積極的にクラウドへと触れてくれるのは、熱に溺れた時だと言うのが、クラウドの欲をじわじわと刺激する。
しかし、眠るスコールの寝顔は穏やかなものだ。
愛しい人の手を握り眠る少年の安寧を脅かすのは、例え恋人と言えど、どうかと思う。
「おやすみ、スコール」
囁いて、項にそっとキスをして、繋がれた手を緩く握る。
力の入っていない指がぴくりと震えた後、きゅう、と握り返される感触があった。
『クラウドの手を無心でにぎにぎしているスコール』のリクエストを頂きました。
クラウドの手が大好きなスコール、可愛いです。
大好きなので離したくない、離れたくない。
半分寝惚けつつもあるので素直にそんな気持ちが表に出てたスコールでした。
ウォーリアの学校には、個性豊かな生徒が多くいる。
そういった生徒の評価は、教師の好みもあって、良くも悪くも分かれている事が多いのだが、今年時期外れの転校でやってきた少年───スコール・レオンハートは、どの教師も扱い兼ねている所があった。
彼が転校してきたのは、所謂家庭の事情と言うものであった。
詳しい事は私事であるので知っている者はおらず、教員が本人に訊ねても、彼自身が口を開かない。
ただ黙っているだけなら、転校したてで戸惑いもあるのだろう、と言う話で多くは流すものであったが、向き合った時、稀有な蒼灰色の瞳から、明らかに不信感を向けて来るのが、大人達には聊か苦しいものがあった。
どんなに朗らかに声をかけても、優しく話しかけても、その眼に宿る翳は濃く、まるで見えない胎の中を探ろうとしているかのよう。
そうした印象は強ち間違いではなく、彼は大人を信用していないのだと、教員たちの間で認識が広まるまでそう時間はかからなかった。
多感な時期と言われ易い年頃である。
大人への不信感というものは、子供が子供である事を辞めるに当たり、辿るプロセスの一つでもあった。
故にこの年頃の若者が、大人に対し、漠然とした不信感や猜疑心を持つのは珍しい事ではない。
代わりに横の繋がり───同年代の少年少女達でそれぞれグループを作り、大人の介入を排除したがる傾向も多い。
だから教師に対する態度に大なり小なりの問題はあれども、友人知人と言うものを作り、環境に馴染もうとする努力をしているようであれば、大人達も一歩引いた位置から見守れば済む話ではあった。
何よりスコールは、大人を信じていないからと、大人をターゲットにした嫌がらせや問題行動を起こすタイプではない。
授業態度は至って真面目だし、課題も送れず提出し、テストの成績は最良と、“優等生”と言って差し支えない程であった。
だが、彼は同年代の少年処女と繋がりを持つ事を拒絶していた。
時期外れの転校生とあって、初めは多くの生徒に囲まれていたが、それも長くは続かない。
元々が寡黙な性質でもあるようだが、投げかけられる質問にも余り応えないので、好奇心を満たしたくて彼に近付いていた生徒達は、遠からず飽きて話しかけることを辞めた。
見目に惹かれて声をかける女子生徒の姿はしばらく続いたが、彼自身がそう言った絡まれ方を好んでいない所もあるようで、勇気を出して告白した者が辛辣な言葉で振られたと、実しやかに囁かれるようになってから、それらの姿も途絶えるようになった。
次に、女子生徒からのモテぶりが気に入らなかったのであろう、一部の男子不良グループに目をつけられたと言う話もあったが、此方もまたいつの間にか途絶えていた。
その裏で、彼が返り討ちにしたとか、某自由業と繋がりがあるとか囁かれていたが、これらの噂は出所もはっきりしていない。
ただ、そう言う噂が囁かれるようになってから、彼が益々孤立して行ったのは事実であった。
ウォーリアは二年生に担当クラスを持ち、同時に生徒指導全般を受け持っている。
その為、校内で問題児と言われる生徒の情報については、ウォーリアの望む望まないに関わらず寄せられる事が多い為、詳しい方だと言えるだろう。
しかし、そんなウォーリアでも、スコールに関して知っている事は、他の者達と大差ない。
これはスコールが誰とも交友関係を持たず、自身の事を他者に説明する事がない為だ。
彼の家庭事情についても同様で、スコールが父子暮らしをしており、父親が多忙で不在勝ちである、と言う以上の事は知らない。
それでも、スコールが優等生である事は確かだった。
授業態度は勿論の事、誰かを苛めたり貶したりする事はなく、ただただ、誰とも繋がりを持とうとしないだけ。
ウォーリアの受け持ちではない事もあり、彼に関しては悪い噂がない───妙なものはあるが───事から、悪い子ではないのだろうと思うのが精いっぱいだった。
だから、夜遅い繁華街の近くで、その姿を見付けた時には驚いた。
それも、明らかに知人とは思えない、判り易い軽い風体の男達に絡まれている所を。
「いつもこの辺にいるじゃん、暇してんだろ?」
「カラオケでも行こうぜ。奢るからさぁ」
大学生だろうか、明らかに下心を匂わせる誘い文句を並べる男達。
テナントビルの閉まったシャッターに寄り掛かっているスコールは、そんな男達に囲まれている。
無遠慮に顔を近付けて来る男達を見る蒼色は、判り易く不快感を映していたが、絡む者達は気にしなかった。
それ所か、男の一人がスコールの肩に腕を回し、行こうぜ、と強引に攫おうとする。
スコールがどう言う事情でこんな場所にいるかは判らないが、ともかく放って置いて良い場面ではない。
それは生徒指導と言う立場にあるウォーリアの責任感でもあったが、それでなくとも、この状況を放置するのは大人としてあってはならない事だと思った。
「スコール」
「あん?」
「……!」
名を呼べば少年が足を止め、同時に男達も振り返る。
口にピアスをした男が、ウォーリアを見て、判り易く面倒臭がる顔をしてみせた。
同時にスコールも、驚いたように目を瞠る。
クラス担任ではないが、一応、ウォーリアの事を知ってくれてはいるようだ。
「その子は私の学校の生徒だ。君達は、彼の知り合いか?」
「あ?あー、うん、そうそう。なぁ?」
「………」
ウォーリアが問えば、男はへらへらと笑いながら適当に返してきた。
それから同意を求めてスコールに話しかけるが、スコールは黙したまま答えない。
少年のそんな態度に、自分達の目的に関して当てが外れたと察したか、目の前にいる教師と思しき男に疑われるのを面倒と思ったか、とにかく割が合わない事は察したようで、「チッ」と舌打ちして、スコールの肩を抱いた腕が離れる。
判り易く機嫌を損ね、男達は品のない罵倒を並べながら、遠ざかって行く。
スコールはそれを何とも言えない表情で見詰めていた。
「スコール」
「……」
名前を呼ぶと、整った顔立ちが振り返る。
ウォーリアよりも僅かに低い位置にある瞳が、不信感を滲ませて此方を見上げた。
「こんな所で何をしている?この辺りは余り治安が良くない。早めに家に帰りなさい」
「………」
定型に則る形で注意をすると、スコールは俯いて唇を噛んだ。
それが、何かを言おうとして、それを堪えているように見えて、ウォーリアは僅かに眉を顰める。
ウォーリアは、改めてスコールの様子を観察してみた。
学校指定の制服ではなく、黒のジャケットと白のシャツ、ボトムもダーク系で固めた私服。
少し大人びた雰囲気の所為か、一見して高校生とは判らないかも知れない。
長い前髪で隠れがちの蒼灰色の瞳は、常に揺らぎを映しており、ウォーリアは、学校で見ている時の彼よりも、酷く危なげな匂いを感じていた。
じっと見つめるウォーリアの視線を厭ったか、スコールはくるりと背を向けた。
すたすたと歩きだす背中を目で追っていると、スコールはビルとビルの間にある細道に入って行く。
しばらくその細道の影を見ていたウォーリアだったが、まさか、と思って近付き、ビルの角陰から道を覗き込んでみると、曲がって直ぐ其処でスコールは地面にしゃがみ込んでいた。
「……スコール・レオンハート」
「……」
名前を呼ぶが、スコールは反応しなかった。
拒否するように背中を丸め、抱えた膝に額を押し付けている姿に、ウォーリアはこっそりと溜息を吐く。
やはり、放って置く訳にはいかない。
ウォーリアはスコールの前に来ると、膝を折って、伏された顔を覗き込んだ。
気配を感じるのか、スコールは膝を抱える腕に力を込めて、貝のように縮こまる。
「何か、家に帰りたくない事情でも?」
「……」
「ご家族が心配しているのではないのか?」
「……」
尋ねてから、黙するスコールを見て、ああそうだ、と遅蒔きに思い出す。
スコールの家は父子家庭で、その父親は多忙で滅多に家にはいないのだと、スコールの担任教師から聞いた。
緊急連絡先として電話番号を提出されているので、連絡が全く取れない訳ではない筈だが、息子の夜歩きを抑制できる環境でないのは確かなのだろう。
どうしたものか、とウォーリアは考えた末に、一先ず明るい場所に連れ出そうと思い至る。
丁度、道を戻って直ぐの場所に、深夜まで営業しているファミレスがあった。
「スコール。少し移動しないか」
「……」
「君が嫌がる事はしない。ただ、此処は───良くない人間も少なからずいる。また絡まれるのも面倒だろう」
「……」
蒼い瞳が、じわりとウォーリアを覗き見る。
あんたの方が面倒臭い、と言う声を聞いた気がしたが、ウォーリアは無視した。
そうしなければ、スコールを此処から動かす事は出来ない。
振り払われるかとも思ったが、そっと膝を抱えた腕に触れると、意外にもスコールは抵抗しなかった。
少し引く腕から逃げたがる様子はあったものの、そのままウォーリアが静止すると、膠着状態が長引くだけと悟ったのか、のろのろと体を起こす。
その気になればスコールが振り解けるように、繋いだ手は優しく握るだけに努める。
甲斐はあったか、スコールはファミレスに入るまで、ウォーリアの元から逃げる事はしなかった。
適当なテーブルに向かい合う形で座り、コーヒー一杯と、ホットココアを注文すると、程無く届けられた。
取り敢えず、飲みなさい、と言うと、スコールは訝しむ顔でウォーリアを見詰めた後、渋々と言う様子でココアに口をつけ、
「………甘……」
零れた声に判り易く不満が乗っていた。
好きではなかったか、とウォーリアは目を閉じ、
「すまない。コーヒーの方が良かっただろうか」
「……これよりは」
「では交換しよう。私はまだ口をつけていないから」
そう言ってウォーリアは、スコールの手元のコーヒーカップをスコールの前へと差し出した。
スコールはまた訝しむ顔をして、ココアとコーヒーを交互に見る。
それから、恐る恐ると言う様子でコーヒーに手を伸ばし、代わりにココアを差し出す。
では、とウォーリアがココアを受け取り、口に運んでみると、成程確かに甘かった。
滅多に口にしない甘さを口に運びつつ、ちらりと少年を見遣れば、彼はコーヒーを一口含んで、ほうっと息を吐く。
詰め込んでいたものが僅かに解された、そんな表情だった。
その表情を、きっとまた強張らせてしまうだろうと思いつつ、しかし此処までしておいて踏み込まない訳にもいかないと、ウォーリアは口火を切った。
「スコール。君は此処で何をしている?」
「……」
案の定、スコールの表情がまた翳を帯びる。
蒼い瞳がウォーリアから逸らされて、夜の街を映し出す窓を見詰め、
「……暇潰し」
「日のある内なら問題ないが、この時間まで歩き回るのは感心できない」
「……」
判ってる、と言いたげに蒼灰色が細められた。
やはり愚鈍な子ではないのだと、ウォーリアも理解する。
なればこそ、やはり、スコールが夜の街にいた事には、某かの理由が存在するのだろう。
「君の事だ。きっと何か事情があるのだろうと思う」
「……」
「良ければ聞かせてくれないか。私でできる事なら、君の力になろう」
「………」
ウォーリアが言うと、蒼の瞳が此方を見る────いや、睨んだ。
その瞳から、“嘘吐き”と言う声を聞いた気がして、ずきりとウォーリアの胸の奥が傷む。
生徒指導と言う立場になってから、様々な生徒の内情に踏み込む事も経験した。
不良と呼ばれ、遠巻きに敬遠される生徒が、酷く荒れた家庭に育ち、身を守る為に悪い行いに手を染める事もあると知った。
友人と思っていた者に裏切られて傷付いた者や、面白半分に苛められ、助けを求めても誰も手を差し伸べてくれないと泣いた者もいた。
……今ウォーリアを見ているのは、そう言う生徒達と同じ、傷付き続けて疲れ切った者の眼だ。
だからこそ此処で彼を捨ててはいけないと、ウォーリアは真っ直ぐに睨む蒼を見詰め返す。
その強い瞳に圧されたか、抵抗するのが面倒になったか、スコールは一つ溜息を吐いて、
「……家にいたくない」
「理由を聞いても良いか」
「……あそこは、俺の家じゃないから」
そう言ってスコールは俯いた。
────スコールは、一年前まで児童養護施設に籍を置いて暮らしていた。
それが、父親だと言う人物が現れて、施設職員と本人同士とを交えた話し合いの末、引き取られる事になった。
それ自体はスコールも自ら考え、父親の方も「今更だとは思うから」とあくまで本人の意思を尊重してくれた結果の答えだったのだが、今になってスコールは、その時出した自分の“答え”に迷いを抱いている。
父親は息子の年齢を考えてか、元々忙しい事も相俟って、あまりスコールの生活に口を出す事はない。
スコールを信じての事でもあったし、父子が出会ってからまだ幾らと経っていない事もあって、それ位の距離感が妥当であるとはスコールも理解している。
元々干渉されるのは好きではないから、ぎこちなくはあっても、それ位から初めてくれないと、スコールも当惑するのが目に見えていた。
だから生活は自由気ままと言えば確かにそうなのだが、何処かスコールは空虚を感じていた。
父親の家に引っ越してきてから、スコールは間もなく、その空間にいる事に耐えられなくなった。
それは父親が家にいるいないに関わらず、何か漠然と「此処じゃない」と思う気持ちが競り上がって来るのだ。
初めのうちはそれでも何とか慣れようとしたのだが、それ程時間を置かず、無理が来た。
以来、スコールは父親のいない日は家で過ごす事を止め、かと言って行く宛てがある訳でもなく、夜の街を彷徨うようになる。
「それは───……施設の方に、相談などした事はないのか?」
「………」
再会したばかりの父子が、お互いの歩み寄りとして、共に暮らす事を選択したのは悪い事ではない。
しかし、十七歳と言う多感な年齢は、自分で判断する事も出来る力を持ってはいるが、同時に様々な出来事に対して経験が浅い事もあり、かかる負荷に対して上手く対応できない事も多い。
また、スコールのように頭の回転が早い場合は、周囲の無言の期待を取り込み過ぎ、望みと反した選択を選んでしまう事もあるのだ。
選択をした後でも、悩む事があれば、元保護者として手を差し伸べてくれる大人はいるのではないか。
そんな気持ちでウォーリアが確かめると、スコールは緩く首を横に振った。
「……あそこも、違う」
「だが、長く住んだ場所なのだろう」
「……」
ウォーリアの言葉に、スコールは沈黙した。
黙するスコールの胸中を、ウォーリアは汲み取れない。
だが、漠然と、しかしはっきりと、スコールが“自分のいる場所”に対して違和感を覚えているのは確かなのだろう。
「だって」と言いたげな、けれど「どうせ判ってくれない」と蒼の瞳が雄弁に語るのを、ウォーリアは音のない声で聞いた気がした。
夜の街へと移った瞳が、酷く老成して見えるのは、ウォーリアの気の所為ではないだろう。
きっとスコールは、誰に頼る事も出来ずに過ごしてきたのだ。
ひょっとしたら誰かを頼る努力をしたのかも知れないが、大人を睨み信じない瞳が、その結果を具に映し出している。
そうして此処かも知れないと期待する度、此処ではなかったと打ちひしがれるのを繰り返し、疲れてしまった。
スコールはコーヒーを飲み干すと、上着のポケットから小さな財布を取り出した。
自分の分の支払いを出そうとしているのだと気付いて、ウォーリアが止める。
「私が無理に連れてきて、勝手に注文したものだ。私が出すから、気にしなくて良い」
「……」
「それより君は────」
早く家に帰りなさい、と言おうとして、ウォーリアは辞めた。
家に帰れと言えば、スコールは帰るかも知れない。
しかし、それは一時の事であって、きっとまたスコールは夜の街へと彷徨い出すのだろう。
家にも学校にも居場所を持たない彼は、あるかも知れない何かを探して、見付けるか諦めるか決めるまで、迷子になって歩き続けるのだ。
ウォーリアの脳裏に、つい先ほど、スコールを見付けた時の光景が蘇る。
明らかに悪質な雰囲気を振り撒き、下心を恥ずかしくも隠しもせず、露骨に卑しい目的で少年に近付いていた男達。
ウォーリアがちらりと外を見遣れば、丁度その男達が道を通り過ぎていく所だった。
何かを探しているようで、ひょっとしたらスコールをもう一度捕まえようとしているのかも知れない。
あの時スコールは、ウォーリアが介入しなかったら流されて行きそうだったので、男達には良いターゲットと見られた可能性はある。
そんな事をさせてはいけない。
そう思ったら、次の言葉がするりと口を突いて出ていた。
「家にいたくないのなら、私の家に来ると良い」
「……………は?」
数秒の沈黙を置いて、スコールが顔をあげる。
いつも何処か遠くを見ていた蒼の瞳が、真ん丸に見開かれている。
そう言う顔をすると、普段醸し出している雰囲気に反して、随分と幼い顔立ちをしている事が判った。
何を言ってるんだ、と瞬きを繰り返すスコールに、ウォーリアは続ける。
「家に帰りたくない事情は、理解しよう。だが、今日のようにこんな時間まで街を歩き回るのは、やはり感心できない。危険な事も多いから」
「……」
「君の事は詳しくはないが……学校でも、あまり親しい友人はいないように見えるし、きっといたとしても、君は其処を頼る気にはなれないのだろうな」
スコールは肯定も否定もしなかった。
だが、頭の良いスコールの事だから、下手に友人知人を頼っても、その親御等から良い顔をされない事は判っているだろう。
「だから、今は私の家を使うと良い。君が自分自身で、此処にいたいと思える場所が見付かるまで」
「……そんなの、いつになるか。大体、そんな事して、あんた……先生になんのメリットがあるんだ」
「損得の問題ではない」
「じゃあなんでそんな事」
「私が、君を放っておくことが出来ない」
それは事情を聞いたからでもあったし、生徒指導と言う立場からでもあった。
だがそれ以上に、ウォーリアは、この何処か儚く危うげな少年を、このまま孤独に溶かしてしまう事は出来ないと思ったのだ。
「君のような年頃の子が、楽しめるようなものなど、うちには置いていないから、詰まらないかも知れないが」
「………」
「教師の家に行くと言うのは、嫌がる生徒も多いとは聞く。無理強いはしない。だが、またこうして夜の街に行く事は辞めて欲しい」
止めろ、と言う確定的な言葉を、ウォーリアは避けた。
その言葉を使う事は簡単だったが、スコールはその言葉を受け取り難い状態にある。
あくまで尊重すべきは本人の意思だと、ウォーリアは考えていた。
その上で、ウォーリアははっきりと告げる。
「君が、君自身の望む居場所を見つけるまで、私が君の居場所になろう」
ウォーリアの言葉に、スコールは呆けた顔を返すのみ。
何を言っているんだろう、と首が傾げられたが、その後俯き考えている様子があった。
信じて良いのか、でも、と瞳が酷く不安定に揺れているのが判る。
テーブルの下で、スコールは膝に乗せていた手をゆっくりと握り締めた。
それから長い時間をかけて、お願いします、と言う声が小さな口から紡がれる。
頷けば、蒼の瞳が泣き出しそうに揺らめいて、それが安堵の所為ならば良いとウォーリアは願わずにはいられなかった。
『自分の居場所がないと感じているスコールに、「見付かるまで私の隣にいると良い」と言う包容力のあるWoL』のリクエストを頂きました。
半ば自分から独りぼっちになりつつ、でも本当は誰かの温もりが欲しいスコールと、何か本能的な所でそんなスコールを守りたいと思うWoL。
スコールの方も、変な大人だとか、生徒指導だから煩そうだとか思ってたけど、思ってもいなかった歩み寄りをされて驚きつつ、変だけど嫌な奴じゃないかも知れないと思い始める。
そんな二人のスタート地点。