目覚めと同時に、鈍い頭痛を感じて、ああ二日酔いなのだと直ぐに気付いた。
昨晩は遅くまで飲んでいて、それ自体も先ずレオンにとっては稀な話だったのだが、加えて相手が気の知れた相手だった事も、また珍しい話だったと言えるだろう。
そもそもレオンが滅多に深酒をしないし、外で飲んだのなら尚更で、大抵は酔いが回る前に切り上げるようにしている。
その方が翌日に支障も出ないし、飲み相手の手を煩わせる事もないからだ。
しかし、気分が良ければやはり杯も進むもので、相手が彼ならとついつい気も緩んだ。
翌日の仕事が休みと言うこともあり、明日を気にする必要がないとなれば、やはりレオンも酒の誘惑には抗えず───結果、この頭痛と相成った訳だ。
重い瞼を擦りながら目を開けると、知らない天井が見えた。
ほぼ真四角で、それほど視界を動かさなくても一杯に見える辺り、ビジネスホテルであろうか。
シンプルで飾り気のない天井には、これもまたシンプルなLED電球が四つあるだけで、見様にによっては殺風景に見えるのかも知れない。
傍らには小さな滑り出しの窓があり、カーテンも引かれていたが、隙間から僅かに陽光が差し込んでいた。
光がそれ程強くない事から、まだ朝の時間としては早いのだろう、恐らく。
取り敢えず、正確な時間を確認しようと、レオンは時間を確認できるものを探した。
首だけを緩く回して、何処かに時計か携帯電話がないかと思っていた時、直ぐ傍らに、眩い程のプラチナブロンドが流れているのを見付けて、
「……────??!」
がばっ、とレオンは起き上がった。
自慢にもならないが、レオンの寝起きは悪い方だ。
仕事となれば覚醒用のスイッチが入るので、早め早めにアラームをセットする事も含め、浅い眠りからすんなりと浮上する程度の寝起きを得ることは出来るが、休みであれば話は別だ。
普段、そうやって仕事用の意識を徹底している所為か、休みの朝はそうして不足した睡眠を取り戻すように、覚醒までのエンジンが遅い。
どちらかと言えば低血圧気味だから、朝は余り急激な運動は控え、朝食を採るまでたっぷりと時間を採りながら行動する方だ。
そんなレオンであったが、今朝ばかりは違った。
ロケットスターターを踏んだように跳ね起きたレオンは、傍らにあるものを見て、更に目を見開く。
加えて、自分がすっかり裸である事に気付き、益々混乱が深まる。
(は?……何……え?)
古代の時代、とある国では床に広がる程の長い黒髪を持っている事が持て囃され、緑の黒髪と言う言葉が生まれた。
その黒髪は水が流れるように滑らかで、真っ直ぐ艶やかである事がより良いと言われ、それ故か、古文書に綴られた女性たちの多くは、そう言った言葉が似合うように描かれている。
現代では髪型は随分と自由になり、かくあれと言うようなイメージは、逆に個人の自由を奪っていると反論する声もあるのだが、それはそれとして、テレビCMでも度々見かけるように、しっとりと流れる長い髪と言うのは、やはり人々の羨望を集めるものであった。
その流れるように長い艶やかな髪が、今レオンの傍らに寝ている。
色は黒とは真逆の銀色であるが、その色であるが故に、黒よりも柔く光を反射させ、きらきらと眩く輝いている。
一本一本は酷く細い線のようで、それが幾重にも束になり、絡む事なく一本ずつが流れに沿っていく様子は、多くの女性の憧れを集める事だろう。
背中側からそれを見たレオンは、一瞬、酔った勢いで知らない女と寝たのかと思ったが、
(……セフィ、ロス?)
女でも早々見ないであろう、長く艶やかな銀髪の隙間から、しっかりとした背筋が覗いている。
均等に鍛えられ引き締まった筋肉は、フィットネスかボディビルでもしていれば別だろうが、女性のものとは明らかに違う。
時折身動ぎするその肩も、幅も、やはり男のものであった。
レオンの知り合いで、銀髪を持っている男と言えば、一人しかいない。
昨晩、一緒に飲みに出かけた、同僚のセフィロスただ一人だ。
一体どういう訳だとレオンが混乱するのは当然であったが、
(どうして、……ええと……あ……終電を逃して、一緒に泊まったのか?)
それなら納得がいく、とレオンはふと落ち着きを取り戻す。
昨日は珍しくセフィロスの誘いで飲みに行く事になり、良い店を見付けたと言う彼に任せていた。
案内された店は、ひっそりとした場所にあった隠れ家的なバーで、確かにレオンものんびりと過ごす事が出来たし、美味い酒にもあり付けた。
積もる話があったと言う程ではないが、会社の愚痴なり、案件の相談なり、レオンの家族の関する話なりと、意外と話題は尽きず、その間にそれなりに酒も飲んだ。
其処までは辛うじて思い出したレオンだが、やはり飲んだ量があった所為か、いつ店を出たのか、帰り路をどうしたのかは全く出て来ない。
現状として考えられるのは、終電を逃し、店の場所からしてタクシーで帰るのも聊か遠いだとか、レオンが潰れた事で近場のホテルで泊まることをセフィロスが選んだと言う所か。
それで納得がいく事は幾らもあるのだが、いやしかし、
(………なんで……裸なんだ?)
ベッドが一つしかない小さな部屋だと言う事は、空いている部屋が其処しかなかったのだろうと思う。
そこそこ体格の良い男が二人で並んでも全く窮屈に感じないと言う事は、ダブルかセミダブルだろうか。
それもまた、部屋が選べなかった上、意識の飛んだ酔っ払いを抱えて別のホテルを探す面倒を思えば、理解できる。
だが、どうして二人とも裸なのだろう。
裸で同衾しているなんて、まるで何かあったみたいじゃないか、とレオンがまさかと思った時だ。
(……何か……いや……それは……)
じん、とした感覚がレオンの体に滲んで来て、その違和感の部位を覚ってしまう。
それこそまさかと思うのだが、ではこの感覚の正体と由来は一体何なのかと問われれば、答えに詰まる。
正確な答えを知らないレオンは想像するしかないのだが、ともかく“そう言うものではないか”と思ってしまう位には、答えが一つしか浮かばなかった。
(酔って……吐いた?服の上にぶちまけたとか。それなら、脱がすのは、当たり前で……)
覚えはないが、ひょっとしたら吐いたのかも知れない。
酔っ払いが衝動で襲ってくる吐き気にできる対応など知れたもので、我慢できずに衣服を犠牲にするのはある事だ。
その際、飲み相手の服まで駄目にしてしまうと言う事も、残念ながら、起き得る事である。
そうなれば、服は脱がされ、着替えさせるまでは面倒にされて、裸のままベッドに放り込まれるのも理解できる。
だがレオンの方はそれで良いとして、どうしてセフィロスまで裸で寝ているのか。
眠る時には裸身でなくては落ち着かないと言う人はいるから、そう言うことだろうか、と当て嵌まる理由を探すように惑乱していると、ゆっくりと銀色が起き上がり、
「……ああ。起きたか」
ゆっくりと振り返った美丈夫は、不思議な虹彩を宿した翠にレオンを認め、そう言った。
普段の様子と全く変わらないその冷静振りに、レオンが反対に言葉を失っていると、形の良い指がゆっくりとレオンの頬へと伸ばされる。
寝癖のついた髪を指先で愛でるように滑らせた後、その手はレオンの耳の裏側を柔らかく圧した。
「辛くはないか。それなりに配慮はしたつもりだが」
「……え」
セフィロスの言葉に、レオンは意味が読み取れずに混乱する。
どういう意味だ、と問う事さえも忘れ、ただただ目の前の銀色美人を見詰めてフリーズしている間に、セフィロスはレオンの肩を抱き寄せた。
突然の力の作用に、これまたレオンが目を丸くしていると、セフィロスの手はレオンの腰の後ろに添えられる。
「痛むならこの辺りだと思うが」
「ちょ……セフィロス、待ってくれ」
止めるレオンの声などどこ吹く風と、セフィロスはレオンの肩口から背中を覗き込んでいる。
腰に添えられた手が、酷くやんわりとそこを撫でるものだから、レオンは俄かに妙な感覚に襲われた。
待ってくれ、ともう一度訴えるが、セフィロスは酷く真剣な顔でレオンの背中を見下ろしている。
「……見ただけでは分からんな」
「な、何を見ているんだ」
「後は……ああ、一番無理をしたのは此処だと思うが、どうだ?」
そう言ってセフィロスは、レオンの臀部をするりと撫でた。
労わっているのか、揶揄っているのか、よく判らないその仕種に、レオンは咄嗟にセフィロスの腕から逃げる。
後ずさって距離を取ったレオンは、掛布団を蹴り飛ばしていた。
布団はベッドの端に放られ、男二人がすっかり裸になっているのが露わになる。
案の定、レオンもセフィロスも、下着すら履かずに全くの裸であったことが明らかになり、どうして───とレオンが更なる混乱で言葉を喪うと、
「……覚えていないか。まあ、仕方がないとは言え、残念だな」
「な……」
「俺としてもそれなりに腹を括った話をしたつもりだったんだが」
「は……!?」
セフィロスは一体何をしているのか。
一体何を言っているのか。
昨晩、自分達は一体何をどうしたと言うのか。
幾つも浮かぶ疑問を、レオンは目の前の男にぶつけるべき言葉も探せずに、ただただ硬直する。
その傍ら、先も感じた躰の違和感が、じんじんとした信号を持って主張し始める。
まるで、答えはこれだと言わんばかりの感覚に、まさかそんな事はと、理性と常識と言う理屈がレオンを雁字搦めにしていた。
蒼くなって赤くなって、見当たらない記憶を必死に探るレオンに、セフィロスは肩膝を立て、其処に頬杖をつきながら、緩く笑みを浮かべて見せる。
「まあ、俺も昨日は多少なり酒が回っていたからな。その所為で口が滑ったようなものだったが、お前の方から構わないと言ってくれたのは、嬉しかった」
「……俺の方、から?」
「お陰で俺も変に張り切っていたかも知れないな。だが、離そうとしなかったのはお前だったし」
「……俺、が……」
「ああ。初めての事だから無理はさせたくなかったんだが、随分と情熱的に強請ってくれるものだから、俺も止められなかった」
何を、何が、とセフィロスははっきりとその単語を口にはしていない。
しかし、何をしたのか、何があったのか、それをレオンに匂わせ理解させるには、十分な言葉が使われていた。
ただそれを確定的にさせないのは、レオンの昨夜の記憶がない、と言う点のみ。
それ以外は、レオン自身がずっと感じている体の感覚も含めて、それが事実であると告げているようなものだった。
きしり、と小さくベッドのスプリングが音を立てる。
ベッドの隅に逃げていたレオンの下に、セフィロスはいつの間にか近付いていて、あの恐ろしく整った顔がレオンの目の前に迫っていた。
同僚として見慣れている筈だったその貌に、触れそうな程に近い距離で見詰められ、俄かにレオンの心臓が走り出す。
妙に距離感の近い所のある男だから、そんな距離に詰められるのはレオンにとって決して初めての事ではない筈なのに、まるで体が“何か”を覚えたかのように、じんじんとした熱が腹の奥で疼き出した。
吐息が届きそうな距離で、セフィロスはゆるりと笑って言った。
「お前が酒に弱いことを、もっと考えておくべきだったな。覚えていないのなら、それは仕方がない」
「……セフィ、ロス……っ」
「だが、それならもう一度、確かめてみるまでだ」
セフィロスの指がレオンの顎を捉え、まるで逃げるなと言うように、綺麗な顔へと向かされる。
幾人もの異性を虜にし、同性の嫉妬を集める、整い過ぎた貌が、どうしてよりにもよってこっちへ向けられているのかと、レオンの思考はずれた方向を向き始めていた。
逸る心臓は、今にも口から飛び出して行きそうだった。
それを塞ぐかのように、ゆっくりとセフィロスの貌が近付いて来る。
「なあ、レオン────」
告げる言葉を、自分は本当に、昨日の夜に聞いたのか。
それに何と答えたのか、必死に記憶を探るも、やはり答えは見付からないのだった。
ただ突き飛ばす事も出来ずに、その唇を受け入れていた時、目の前で閃く虹彩が、酷く満足そうに笑んだ事だけが判った。
7月8日なのでセフィレオ。
大人なのでね。酔った勢いでそんな事が起きたりもするかも知れない。
この件の後、レオンはしばらくぎくしゃくしてますが、セフィロスの方は拒否されなかったので良し良しと思ってる。
脈アリなのは確かなので、此処からはじっくり囲って行くんだと思います。
一見すると大人びて見えるものだから、折々にその年齢を忘れることがあるのだが、スコールはれっきとした17歳だ。
シャープな印象を与える整った面立ちや、同年齢の少年少女達に比べ、聊か冷たく見えるほどの落ち着きぶりがあるので、大学生くらいに間違えられるのはよくある事だ。
フォーマル系の服でも来ていたら、既に成人していると言っても、余り違和感はないかも知れない。
だが、彼をよくよく知ってから見ると、見た目の印象に反して、存外と子供っぽいのだと言うことがよく分かる。
大人びて見える言動は、彼自身が少しでも早く大人になりたい、幼い頃の甘えん坊から脱却したいと足掻いた結果。
しかし根の部分はそう簡単に覆る程変われる筈もなく、見栄っ張りな部分や、負けず嫌いで意地っ張りな所、相手にも因るが、やられたらやり返さないと気が済まない等、年相応に幼い青臭さもしっかりとあるのだ。
そして、彼が言葉以上に頭の中でお喋りをしており、非常に感受性豊かである事は、ごく限られた人間の間でしか知られていない。
そんなスコールとクラウドが恋人同士になってから、そろそろ半年が経とうとしている。
付き合い始めて三カ月が経った頃、健全な一線も無事に越えて、身も心も繋がった。
以来、スコールは週に一回、多ければ二回と言う頻度で、クラウドの家に泊まりに来ている。
お陰で散らかり易くて幼馴染のティファにも呆れられたクラウドの自宅は、年上として少しはきちんとしているように見せなくてはと、そんな気持ちから多少なり整えられるようになった。
碌に使っていなかったキッチンは、スコールが来た時に手料理を作ってくれるので、半年の間に調理機材が着々と増え、今では立派に“キッチン”として稼働している。
一日三食、下手をすると一週間をカップラーメンで過ごし、ビールの置き場くらいにしか役立っていなかった冷蔵庫の中には、葉物に根菜、調味料、作り置きの料理の入ったタッパーなんてものも入り、見違える生活ぶりだ。
勿論、クラウドの生活サイクルにも変化はあり、ともするとゲーム廃人のような休日を送っていた以前に比べると、真っ当に健康的な生活習慣が完成している。
人は恋をすると此処まで変わるのだと言うことを、クラウドは我が身にしてしみじみと感じていた。
クラウドを其処まで変えてくれた年下の恋人は、今日もクラウドのアパートに泊まりに来ていた。
安普請なアパートで、エアコンも年代物で「風の強さが強と最強しかない」と言われるような環境は、恋人と熱い夜を過ごすには聊か不便もなくはない。
主には壁の厚みであったが、かと言ってスコールの家にクラウドが行くのは、お互いに少々抵抗があった。
と言うのも、スコールは幼い頃に母を失くして以来、子煩悩な父親と二人暮らしをしている。
仕事の都合でいない時の方が多いと言うその父親であるが、とは言え全く帰って来ない訳でもないから、其処で諸々をするのは流石に憚られるものがあった。
そもそもスコールは、クラウドと付き合っている事を、まだ父親に話していない。
いつかは────と思ってはいても、人との交友と言うものに積極的ではないスコールであるから、恋人を持ったのはこれが初めての事だった。
それが普通に同じ年頃の少女であればもう少し話は違ったのだろうが、しかしクラウドは男である。
既に体の関係も持っているとは言え、どんな顔して言えって言うんだ、反対されたら────と言う不安もあって、まだ二人の関係は父親に対して秘密にされている。
クラウドはいつでも腹を括って挨拶に行くつもりではあるが、スコールがそう言うならと、彼のペースに合わせるつもりだった。
だから、二人が共に夜を過ごすのは、クラウドのアパートでと決まっているのだ。
スコールが家に来てくれた日は、必ず彼が夕飯を作ってくれる。
仕事で疲れて帰ったクラウドの為、必ずボリューム満点の食事を用意してくれるのだが、これが中々凝っていて旨い。
更に、酒の当てになるものも作ってくれるから、クラウドはスコールが家に来るようになってから、少々体重が増えたような気がしている。
肉体労働の職種であるので、カロリーも消費するから、体型が大きく変わる事はないようだが、カップラーメンで日々を過ごしていた頃に比べると、胃袋の満足感が鰻上りになったのは間違いない。
夕飯を腹六分で済ませて、後は酒を飲みながらツマミを貰ったお陰で、クラウドはすっかり上機嫌だ。
酒は親友から、その親友はどうも仲の良い上司から貰った由来のあるもので、まだまだ薄給と言えるクラウドがおいそれと買えることのない高級品だった。
度数がそこそこ高いと言うのに、口当たりが柔らかいものだから、ついつい杯を重ねてしまう。
しかし、今夜はスコールがいるから、クラウドはまだ欲しい気持ちをぐっと堪えて、晩酌をお開きにした。
スコールが「俺が片付けておく」と言ってくれたので、食器を彼に預け、クラウドは風呂に入っている。
(中々良い酒だったな。全く、何処であんなものを手に入れて、それをポイと人に譲れるんだか)
親友と共通の上司の顔を頭に浮かべながら、羨ましいものだと天井を仰ぐ。
あれと同じ位の成績と出世をすれば、自分も同じような代物を手に入れることが出来るのだろうか。
そんな事を考えてみるが、一小市民な気概が染み付いた自分では、高級品は中々気後れして手が延びそうにない。
(……しかし、スコールと一緒に飲むなら、どうせなら美味い奴の方が良いな。良い酒だったから、いつかスコールにも飲ませてやりたいし)
スコールはまだ17歳だ。
誕生日がクラウドと近いと言っていたので、直に18歳になるそうだが、それを含めても彼の成人まではあと二年。
それまでにもう少し給料が上がっていると良いが、と少々世知辛い事を考えつつ、クラウドは湯から上がった。
この後も期待もあって、夜着に袖を通すクラウドは少しそわそわとしていた。
年下の恋人はこの手の事には極めて初心なのだが、最近少しずつ、クラウドと褥を共にする事に慣れてきている。
その傍ら、風呂に入る頃にその後のことを彼も意識しているようで、風呂が空いたぞ、と言うと赤くなりながらいそいそと風呂場に向かう後ろ姿に、クラウドは少し興奮していた。
「スコール。上がったぞ」
キッチンの方を覗き込みながらそう言ったクラウドだったが、其処にあった光景に目を丸くした。
流し台で食器を片付けていた筈のスコールが、その下で座り込んでいるのだ。
慌ててクラウドはスコールに駆け寄り、傍らに片膝をついて声をかける。
「おい、スコール。どうした?」
「……」
「スコール。気分が悪いのか?」
口元を手で抑え、俯ているスコールに、クラウドは体調が悪いのかと心配する。
しかしスコールからの反応はなく、揺すって良いものかと肩に沿えた手に力を込めつつも迷っていると、緩慢な仕草でスコールがやっと顔を上げる。
「……クラウド……?」
「ああ。大丈夫か?」
「……ん……」
何処か焦点の合わない、ゆらゆらと頼りなく見える蒼の瞳が、クラウドを見詰める。
眉間の皺が緩んでいる所為か、その表情は酷く幼く見えて、目元が薄らと潤んでいるものだから、クラウドは一瞬彼が泣いているのかと思った。
スコールの口元に当てられていた手が、ゆっくりと其処から離れ、恋人へと伸ばされる。
その手はクラウドに触れるか触れないかの所で止まり、迷っているようにも見えた。
クラウドがそれを掬うように握ってやると、心なしか安堵したように、スコールの眦が甘く和らいだ。
かと思ったら、スコールの頭がゆっくりと傾いて、目の前で跪く格好になっているクラウドの肩に、ぽすん、とその頭が乗せられる。
「スコール?」
「……んぅ……」
「……?」
名を呼んでみれば、むずがるような声が聞こえて、クラウドは首を傾げる。
スコールのこう言った仕草は、寝惚けている時に儘見られる可愛らしいものであるが、それをこんな時にするとはどう言う事なのか。
ひょっとして熱でもあるのか、ともう一度顔を確認しようとするクラウドだったが、スコールはクラウドの首に腕を回して、しっかと抱き着いて来る。
ぴったりと密着しているものだから、クラウドからはスコールの耳元が見えるのが精々であった。
しばし迷った末に、クラウドはそっとスコールを抱き上げて見る。
いつもなら恥ずかしがって離せ下ろせと暴れ出す、所謂お姫様抱っこと言うスタイルで持ち上げると、スコールは意外にも腕の中にすっぽりと納まってくれた。
それなりに身長がある───何せクラウドよりも少しだけ、ほんの少しだけ高い───から、長い足が狭い廊下の壁を擦っていたが、当人は全く気にせずクラウドにくっついている。
いやはやこれは、と益々の混乱を感じつつ、一先ずクラウドはベッドへと向かった。
朝の抜け殻の気配を残すベッドにスコールを下ろそうとすると、ぎゅう、と抱き着く力が強くなる。
「おい、スコール」
「…ん……」
「下ろすから、腕を」
「……んぅ……」
離してくれ、と言う前に、またスコールの腕に力が籠る。
これは無言の「イヤ」だ。
(……甘えているのか?それは、嬉しいが……)
スコールが判り易く甘えてくれるのは、滅多にない事だ。
それが見られるのは、朝に弱いスコールの寝起きか、熱い夜を過ごして彼をとろとろに溶かした時位のもの。
まだ夜の帷も入り口にならない内から、こんなにも抱き着いてくれるなんて、今までになかった事だ。
可能性として有り得るのは、何か嫌な事を思い出したとか、父親と喧嘩をしたとかで情緒不安定になっている時だが、夕餉の時も晩酌の時もそう言った様子はなかったから、恐らくどちらも違うのだろう。
本当に急な事に、クラウドはしばし戸惑っていたが、
「……ん?」
「クラウド……」
「……スコール。ちょっと」
「ふ……?」
すん、と鼻に覚えのある匂いを感じて、クラウドはスコールの口元を見詰める。
顎を指で捉えて、薄く唇を開かせた状態で、クラウドは鼻を寄せてみた。
────ついさっき、クラウドが飲んでいたばかりの酒の匂いがしている。
「……スコール。ひょっとして、飲んだのか?」
「………」
問うてみると、スコールはしばしの沈黙の後、ぷいっとそっぽを向いた。
叱られることを感じ取った猫の仕草だ。
(そう言えば、興味がありそうに見てたな……)
晩酌をしている間、クラウドが摘まみと一緒に飲んでいた酒。
スコールも作った摘まみを夜食に齧りつつ、ジュースを飲んでいたのだが、時折その視線はクラウドのグラスに向けられていた。
冗談交じりにクラウドが「飲んでみるか?」と言った時には、「未成年に奨めるな」と諫めてくれる位には真面目だったのだが、本心では気になっていたと言うことか。
そして片付けを引き受けて、クラウドが風呂に入っている隙に、グラスに僅かに残っていたアルコールに口を付けてみた、と言った所か。
クラウドは、そっぽを向きつつも、姫抱きの状態から逃げようとはしないスコールに、これ見よがしに聞こえる溜息を一つ。
スコールも自分がやった事への罪の意識はあるのだろう、びく、と小さく震えるのが伝わった。
逸らされていた顔が、そろそろとクラウドへと向き直り、伺うような蒼の瞳がじいっと上目遣いに恋人を見詰める。
「……どれ位飲んだ?」
「……のんでない」
「嘘を吐け。ちゃんと言わないと、怒るぞ」
「………」
語尾を少しだけ強めに言うと、スコールはいやいやと首を横に振って、クラウドにしがみ付く。
怒っちゃ嫌だ、と言うその姿は、駄々を捏ねる子供そのものだ。
酔うとこんな風になるのか、と少し新鮮な気持ちでその姿を見ていると、
「……ちょっと、舐めた、だけ……」
「本当に?」
「……苦かったから」
美味しく感じられなくて、スコールはそれ以上は口をつけていない、と言う。
それでこんなにも酔っ払うのかと、普段との言動の差もあって、クラウドは内心驚く。
これは相当弱いな、と思っていると、スコールはクラウドの頬に猫のように頭を擦り付けて言った。
「クラウド」
「ん?」
「セックスするんだろ」
しよう、とスコールはクラウドの唇にキスをする。
いつにない積極性に、これもまた酒の力か、と思っている間に、クラウドはベッドへと押し倒されていた。
スコールはその体の上に覆い被さるように乗って、クラウドの頬に首筋に、キスの雨を降らせている。
素直に甘えてくれる事は勿論、こんなにも積極的なスコールも珍しい。
人との交流と言うものに消極的なスコールは、初めての恋人関係と言うものも、どうして良いのか分からず、普段は専ら受け身である事が多い。
性的な事に関しては尚更で、いつも主導権はクラウドに任せており、自身は言われるように、されるがままに委ね切っていた。
回数を重ねるに連れて、少しずつ自らも行動するようにはなっているが、元々の恥ずかしがり屋や、理性が強い性格も相俟って、やはり基本的にはクラウドの合図を待っている所があった。
それを思うと、こんなにも積極的に求めてくれると言うのは、クラウドにとっても驚き一入に嬉しいものがある。
照れ屋な部分が、酒のお陰でその抑制が外されていると思うと、このまま雪崩れ込んでしまいたい気持ちはなくもない────が。
(……いや、それもどうなんだ。事故とは言え、酔っ払った未成年を相手に)
此方は良い年をした大人だ。
年齢は十も離れてはいないが、クラウドは一端の社会人のつもりがある。
幾ら可愛い恋人とは言え、流石に良くはないだろうと、ブレーキが働いた。
それに、すりすりと懐くように甘えてくれるスコールの様子は、本当に子供のようだ。
普段はこんな風に甘えたいのを、背伸びしたがる心が抑えているのかと思うと、反って庇護欲めいたものが刺激される。
「スコール。スコール」
「……ん……?」
名前を呼ぶと、スコールはとろりと蕩けた瞳を向けてきた。
熱を持っている時の表情に、クラウドも少しばかり欲望が疼くものがあったが、ぐっと堪えて細身の体を抱き締めてやる。
「クラウド?」
「こっちだ」
「う」
腹の上に乗っている重みを、クラウドは隣へと転がした。
ぽすん、とシーツに落とされたスコールは、きょとんとした表情でクラウドを見詰めている。
ゆっくりとその眉尻が下りて、心なしか不安そうな表情を浮かべるスコールに、クラウドはくすりと笑って濃茶色の頭をぽんぽんと撫でた。
「……しないのか?」
「そうだな……」
「やだ、する」
「こら」
ごそごそと身を寄せて、下肢に触れようとする腕を、クラウドはやんわりと捕まえる。
納得のいかない拗ねた顔で睨むスコールだが、クラウドはその目尻に柔くキスをした。
「するなら、俺のペースで良いか?」
「……あんたの?」
「ああ」
「……いい」
クラウドの言葉に、掴まれていた腕の、抵抗する力が抜ける。
拗ねた表情は早い内に引っ込んで、スコールは目を閉じ、また猫が甘えるようにクラウドに身を寄せた。
喉元に触れる唇の気配を感じながら、クラウドはそっとスコールの背中に腕を回す。
努めて優しく抱きしめて、体温を分け合うように密着し、ゆっくりと背中を叩いてやる。
規則正しい一定のリズムで背を叩く手に、スコールは心地よさそうに目を細めるのだった。
7月8日でクラスコの日。
良い大人としてちゃんとしているクラウドと、駄々っ子スコールが浮かんだので。
……ちゃんとしてるけど、手は出しているんだなあ。お互いの明確な意識で同意の上でね。