[16/シドクラ]甘くて柔い
クライヴが帰宅してから二時間程の後、シドは帰ってきた。
その手には、見慣れない形のロゴを印字した手提げボックスがある。
「それはどうしたんだ?」
遅めの夕飯を食卓に並べながらクライヴが尋ねれば、ああ、とシドは手提げボックスをテーブルに置き、
「昔馴染みが新しく商売を始めてな。洋菓子屋だ。オープン記念で、ちょっと顔見に行ったのさ」
「それで、商品を買って来たと」
「冷やかしで帰るのも何だろう。向こうはでかいホールを買って宣伝しろと言ってくれたが、手に余るからな。ショートケーキふたつで勘弁だ」
言いながら、シドは上着を脱いでハンガーにかけている。
クライヴは、ふぅん、と返しながら、手提げボックスを見た。
ボックスに印字されたロゴは、恐らく、店の名前なのだろうが、洒落た筆記体になっていて、ぱっと見ただけでは何と書いてあるのか読み取れない。
店主もそれを判っているのだろう、ロゴの片隅には小さく読み取り易いフォントで、名前と思しきものが添えられている。
あとで調べてみよう、とクライヴはその店名を頭の隅に置いた。
ケーキならば、食べるまではよく冷やして置いた方が良いだろう。
クライヴは手提げボックスをそのまま冷蔵庫に入れた。
ラフな格好になったシドが食卓のテーブルにつき、クライヴも向かい合う位置で席に座る。
のんびりとした夕食が始まった。
食後の片付けをシドが引き受けたので、クライヴはコーヒーの準備をすることにした。
吊戸棚に綺麗に並べられたコーヒー豆は、どれもシドが懇意にしている店から買ったものらしい。
シドは人脈、付き合いというものが随分と広く、このコーヒーに限らず、彼お気に入りのワインも、付き合いの長い友人知人の下から購入していることが多いと言う。
貰い物も多岐に渡り、それは大抵、そこそこの値が張る代物であったりして、クライヴは本来ならば見ることもなかったであろうものも少なくなかった。
以前のクライヴにとって、コーヒーと言うのは、カフェインを効率的に摂取する為のアイテムであった。
エナジードリンクを一日一本、後は缶コーヒーやペットボトルのコーヒーを飲む。
別にコーヒー党でもないのだが、とにかく、真っ黒だった一日を乗り切るには、覚醒作用の強いもので無理やりにでも頭と体を動かすしかなかった訳だ。
そんな生活をしていたものだから、コーヒーの味なんてものも、碌々分かっていなかった。
コーヒーと言うものが、豆によっては勿論、その産地でも味が違うということを知ったのは、シドと同居するようになってからだ。
彼のお気に入りのカフェバーにも連れて行かれ、色々なコーヒーを飲むに連れ、感覚的に麻痺していた舌が、ようやく味覚を楽しむと言うことを思い出した。
吊戸棚に並んだコーヒー缶の中から、すっきりとした味わいのするものを取り出す。
コーヒーの淹れ方と言うのは、シドがやっていた行程を見て覚えて真似ている。
正しい淹れ方なのかはクライヴの知る由ではないが、適当に入れてみた頃よりは、コーヒーを旨く感じられるようになっていた。
「どうだ?もうそろそろか」
食器の片付けを終えたシドの声に、クライヴは「ああ」と返事した。
シドが冷蔵庫に納めていたボックスを取り出し、蓋を開ける。
其処には、鮮やかな赤い苺を乗せたショートケーキと、瑞々しいオレンジを飾ったチョコレートケーキが並んでいた。
「どっちが良い?」
訊ねるシドに、クライヴは、どちらでも、と答えようとして留まった。
こう言う時にそうした答え方をすると、シドは「遠慮するな」と言って、クライヴが選ぶまで辞めないのだ。
買って来たのはシドなのだから、シドが先に選べば良いのに、とクライヴは思うのだが、何故かこの線は譲ってくれないのである。
クライヴは少しの間考えてから、
「苺の方で頼む」
「分かった」
シドが小皿二枚取り出して、それぞれにケーキを移す。
フォークも添えたケーキ皿がテーブルへと運ばれた。
クライヴもサーバーに入ったコーヒーをカップへと注ぎ、シドの下へと移動する。
ケーキとコーヒーが並んだテーブルを見て、シドが何処か満足そうに口角を上げている。
「今日は妙に頭を使った仕事が多かったからな。良いご褒美だ」
「だから買って来たのか?」
「少しは甘いものが欲しかったのは確かだな」
ケーキの切り口を保護するフィルムを剥がしながら言うシドに、確かに今日は忙しかったな、とクライヴも思う。
クライヴが貰った苺のショートケーキは、断面も綺麗に飾られている。
スポンジに挟まれた白いクリームの中には、赤、緑、オレンジが宝石のように埋め込まれ、まるで宝石鉱脈の断層だ。
フォークで一口切り取って、口に入れてみると、スポンジはしっとりとしていた。
シロップを沁み込ませたスポンジはほんのりと甘く、代わりに生クリームが甘さ控えめでバランスを取っている。
サンドされていたクリームの中にあったのは、苺やキウイ、オレンジのスライスだった。
トップは生クリームと苺と言う、ショートケーキの代表のようにシンプルな外見をしているが、隠れた場所に工夫を凝らしている。
クライヴは甘いものは苦手ではないが、好きという訳でもない。
好んで食べる機会も少ないから、今日も久しぶりの味わいだったと言えるだろう。
そんな彼でも、このケーキは上位に入る味だ。
「美味いな」
「ああ、こっちも悪くない」
オレンジの乗ったチョコレートケーキを楽しんでいたシドも頷いた。
「中にフルーツが色々入ってる。そっちは?」
「こっちはフルーツじゃなくて、砕いたチョコかな。粒の触感がある」
「ふぅん……」
「食ってみるか?」
食べかけではあるが、とシドが自身の皿を指差した。
「……じゃあ、あんたも」
「ああ」
貰うばかりは気が引けて、クライヴは自分のケーキと交換を提案した。
シドも頷いて、お互いの皿を交換させる。
チョコレートケーキは、やはりチョコレートを混ぜている分、ショートケーキよりも甘かった。
その分、トップに飾られたオレンジの他、スポンジとクリームにサンドされたオレンジジャムの酸味が活きる。
他にも、サンドされたクリームには、シドが言った通り、粒々とした固い感触があって、食感の変化を楽しませてくれた。
甘味も酸味も程良く、コーヒーと楽しみながら味わえる、バランスの取れた逸品だ。
一口、二口程度を貰って、ケーキを元の持ち主に戻す。
改めてショートケーキを食べると、此方は生のフルーツを楽しむ為のクリームなのだと言うことが分かった。
「こんなに美味いなら、皆に教えても良いな。ジルも甘いものは好きだし、ジョシュアも」
「ああ、そりゃあ良い。宣伝してくれと言われたからな」
「何処にあるんだ?ホームページはあるのか?」
「ホームページなんてもんは最近は少ないからな。SNSのアカウントなら取ったと言っていたぞ。店名で検索すれば出て来る筈だ」
ケーキを平らげて、クライヴは忘れない内にと携帯電話で店名を検索してみた。
検索結果から三つ目にそれらしきものを見付けて開いてみると、SNSアカウントのアイコンに、手提げボックスに印字されていたロゴが載っている。
「これか?」と見せてみると、シドは「ああ」と頷いた。
SNSのメディア欄に、店で取り扱っているケーキの写真が掲載されている。
種類は決して多くはなかったが、フルーツをふんだんに使ったケーキが一堂に並べられ、さながら宝石箱のような光景だった。
「他にも色々あるんだな」
「ああ。今日は行った時間が遅かったから、そんなに残ってなかったが、昼か夕方くらいならもう少し選び代があったかもな」
シドは会社を閉めてから店に行った。
時間は閉店前の頃合いであったから、もう売れ残ったもの位しかなくて、それなら代表的なものをと選んだのが、ショートケーキとチョコレートケーキだった。
お陰でシンプルな中にも工夫を凝らしたケーキの美味さを知ることが出来たが、それはそれとして、
「じゃあ、今度は昼に行ってみるか」
「なんだ、そんなに気に入ったか」
興味を持って自ら行ってみようと言い出したクライヴに、シドがくつと笑った。
何処か子供を見るような目をしているシドに、クライヴはなんとなく唇が尖る。
「美味かったし……色々種類があるみたいだから、他のものを試して見ても良いだろう」
「まあな。店主のオススメってのもあるらしい。後は、酒に合うケーキもあるとか」
シドの言う所では、店主は酒もデザートも好きで、その両方を楽しめるものを求めていると言う。
その趣向はしっかりと商品にも反映され、ワインの宛に出来るものを作ったのだとか。
シドもそれには興味が合ったが、今日は生憎、売り切れていたと言う。
「じゃあ、次はその辺りかな。休日に行った方が良さそうだ」
「遅い時間に行くよりは物が揃ってるだろうな。楽しみにしてるよ」
空になった皿とカップを持って、シドが席を立つ。
クライヴもケーキの最後の一口を食べて、シドに続いた。
食後のデザートものんびりと楽しんで、後はもう風呂に入って寝るだけだ。
クライヴは後片付けをシドに任せて、湯を入れることにした。
「風呂の湯を出してくる」
「ああ───いや、ちょっと待て、クライヴ」
呼び止められて、踵を返しかけたクライヴの足が止まる。
何かと思って振り返ると、シドの腕が顔の前まで伸びてきて、クライヴの口端を拭った。
「子供みたいな食べ残しをするなよ」
仕様のない奴だ、と笑みを浮かべたヘイゼルの瞳。
シドの指先には白いクリームが付着していて、それはクライヴの口元から取れたものだ。
その事に気付いて、笑みを浮かべるシドの表情が子供を揶揄するそれだったものだから、クライヴの眉間に皺が浮かぶ。
シドの指が拭った感触を残す口端を、ごしごしと手の甲で拭った。
「子供じゃないんだ。言ってくれれば、自分で取った」
「そうか。そうだな」
くく、と笑いながら、シドは指先についたクリームを舐め取る。
その目が揶揄と同時に、含みを孕んでいるように見えて、クライヴの唇は勝手に尖るのであった。
FF16二周年おめでとう!と言うことで、祝いにケーキでも食べさせてみようかと。
二周年感もなく、甘ったるい雰囲気がまるでありませんが、うちのシドクラは大体そんな感じだなと。でも多分この後はお楽しみだと思う。