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2025年06月08日

[ロクスコ]始まりの前に 2

  • 2025/06/08 21:05
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



何処から来て、何処に行こうとしていたのかも判らないのだと、青年は言った。
目が覚めた時には見知らぬ森の中にいて、どうしてそんな所にいたのかも判らない。
名前だけは、持ち物の中からそれらしいものを見付けたそうだ───其処には“Squall”と記述されていたので、一先ず、それを名として使うことに決めたらしい。
後は腰に携えているものが近くに転がっていて、森の中には野生動物や魔物がいた為、それを獲物として持って行くことにした。
奇妙な形をしたその武器の使い方については、どうやら体が知っているようなので、自分と無関係と言う訳ではないらしい。
だが、判ったことと言えばそれが精々であった。

とにかく情報が欲しいと、森の中を当て所もなく彷徨って、見付けた川を下ってニケアの街に辿り着いた。
街並みはどれだけ見回っても覚えがなく、記憶の琴線も震えない。
懐にあった財布と思しき袋に入っていた紙幣は、市場で出して見ると怪訝な顔をされた為、使える代物ではないと理解した。
森の中でも飲まず食わずに過ごしていた為、腹は限界で、そろそろ何か入れて宥めたいが、金がないので買い物が出来ない。
どうしたものかと途方に暮れて彷徨っていた所へ、道を塞いだ件の巨漢とぶつかった。
それ自体は詫びはしたのだが、「口で詫びてるだけじゃ誠意がねえな」だの、「謝罪するなら態度ってのがあるだろ」だのとにやけた顔で言うから、まず道を塞いでいたのは其方だと言ったのが、男の不興を買った。
後はロックが見ていた通りの流れで、腕に物を言わせて屈服させようとした巨漢を、青年の方がカウンターで投げ飛ばした、と言う決着だ。

ロックは青年を連れて市場を離れ、港の一角に連れて行った。
ウミネコの声が聞こえる其処で、先ほど市場の果物屋で買った林檎をひとつ、青年に差し出す。


「ほら、やるよ。腹減ってるだろ」
「……」
「別に何も入ってないし、腐ってもいないよ。さっき其処で買ったばっかりだ」


林檎を訝し気に見つめる青年に、ロックは苦笑しながら言った。
蒼の瞳には分かり易く警戒心が浮かんでいるが、空き腹も辛いのだろう、迷うように揺れている。
ややもしてから、青年はそろりと腕を持ち上げて、色鮮やかな赤い林檎を受け取った。

ロックは船止めに腰を下ろして、うーん、と小さく唸る。


「記憶喪失、か」
「……」
「自分の名前もはっきり判らないってのは、きついよなぁ」


青年は何も言わなかった。
右手に納められた林檎をじっと見つめるだけの彼が、何を考えているのかは、ロックにも判らない。
ただ、自分のことさえも判らないことに、漠然とした不安と焦燥を抱いていることは想像がつく。
そうやって、何も思い出せない事実に混乱し、憔悴した人を、ロックは嘗て見たことがあったから。

とは言え、見ず知らずの青年の詳細について、ロックが幾ら考えた所で判ることもない。
ロックが出来ることと言ったら、この青年が行けそうな場所について教えること位だ。


「この町は見ての通りの港町だ。この港から出る船にのれば、もうちょっと大きなサウスフィガロって言う街に着く。街の名前に聞き覚えは?」
「……ない」
「じゃあ、フィガロの人間でもないってことかな。後は、別の大陸になるんだけど、ドマとか、ツェンとか」
「……判らない」
「ふぅん……その辺りでもない、となると───」


有力な国の名前を挙げてみるが、何処も空振り。
そうなると残るは、ガストラ帝国が挙がって来る。

もしもこの青年がガストラ帝国の関係者だった場合、リターナーに与しているロックとは、敵対関係とする位置になる。
リターナー本部に近い場所にあるニケアで、帝国関係者が紛れ込んでいると言うのは、正直、歓迎されない話だ。
帝国としても、対抗組織があることは悟っている気配があるから、下手に尻尾を出す真似をすると、強襲される恐れがある。
“記憶喪失”が嘘なら、無害を装って組織に近付こうとするスパイとも考えられるのだ。

どう反応するか、と言う観察を強く意識して、ロックは青年に訊ねてみた。


「ガストラって国はどうだ?南の大陸じゃ、一番大きい国だ」
「……判らない」
「ベクタって街は?」
「……それも」


判らない、と青年は言って、俯いた。
林檎を握る右手が微かに力んで、浮かぶ震えを押し殺しているように見える。
それは、自身の胸中にある不安や恐れを、必死に隠そうとしている仕草のようだった。


(全部判らない、か。こっちとしても、これはなんとも言えないな……)


受け答えの様子を見る分には、“記憶喪失”と言う青年の言葉は事実に見える。
青年が、オペラ劇場で名演を馳せるような舞台俳優ならば話は違ってくるが、生憎、ロックに其方の可能性までは捌き切れなかった。

しゃり、と小さく林檎を齧る音が聞こえた。
ちらを見遣れば、青年が瑞々しい林檎を少しずつ齧っている。
一口食べれば、警戒も形無しとなったか、しゃく、しゃく、と瑞々しい果肉を食べ続けた。
空の胃袋に果汁の味が沁みるのか、時々、ほうっと息を吐く様子が見える。
そうすると、冷たくも見えていた横顔が随分と幼い印象に変わって、瞳に燈る不安げな様子も重なって、ロックは彼を放っておくのは悪いことのような気がしていた。


(……魔物とは戦えるようだし、さっきのこともあるから、まずまず腕は立つ。金はない。行く当てもない。本人の出所が不透明な所さえ目を瞑れば、まあ、条件は悪くない)


そう考えながら、やはり一番は、“記憶喪失”であることがロックの意識を引いた。


「何処にも行く所がないなら、お前、しばらく俺と一緒に来てみるか?」
「……は?」


ロックの提案に、青年は一拍開けた後、眉根を寄せて顔を上げた。
何を言っているんだ、と訝しむ表情に、ロックはそう可笑しなことは言ってないと思うけどな、と笑う。


「この港町を見ても何も思い出さなかったなら、これ以上此処にいても仕方がないだろ?でもお前は船に乗る金は持ってない。その辺で仕事を探せば飯代くらいは稼げるけど、船代となるとな。もうちょっと入用になるから、暇がかかる。気長に頑張るなら止めないけど」
「……」


ロックの言葉に、青年は眉間の皺を深めている。
手許の齧りかけの林檎を見て、自分の腹の具合を考えているのだろうか。

ロックは続けた。


「俺はこれから船で行った先で用事があるんだ。その為にちょっと軍資金もあるから、お前一人の船代は其処から出せる。飯代もまあ、立派なものじゃなくても良ければ、食わせてやれる」
「……其処までして俺を船に乗せる理由はなんだ?正体不明の記憶喪失者に世話を焼く、あんたに何のメリットがある?」


硬質な声で問う青年に、意外と警戒心が強いな、とロックは思った。

いや、確かに青年の言う通り、出逢ったばかりので、出自も曖昧な人間に施すには、余りにも破格な話だ。
彼にしてみれば、余りにも話が旨すぎて、実は奴隷船にでも乗せられるんじゃないか、と疑うのも無理はないか。
ロックも逆の立場であれば、見ず知らずの人間が此処までしてくれると言えば、まず裏があると考えるに違いない。

ロックは何処まで言って良いもんかな、と頭を掻いて、


「お前が何処の誰なのかは、この際聞かない。お前も判らない訳だしな。その上で、ちょっと傭兵みたいなことでも請け負ってくれると有難い」
「……傭兵」


青年が、小さな声で単語を反芻する。
空の手が何かを確かめるように、腰に携えた獲物の柄に触れた。


「武器を持ってるし、さっきはデカい男を一人、軽々投げ飛ばした。それなりに腕に覚えはあるんじゃないか。記憶がなくても、体がああ言う動きを覚えているって位には」
「……判らない。覚えていない」


ロックの言葉を、詰問と受け取ったか、青年は頑なな声で、何度となく連ねた言葉を繰り返した。
ロックもそれには頷き、青年の主張を受け止める。


「仕事柄、俺はあちこち行くことが多いんだ。人と逢う機会も多い。それについて来てくれたら、その内、お前を知ってる人に行き会うかも知れない。保証はないけどさ、この町でじっとしているよりは有効的だと思うぞ」
「………」
「どうやらこの辺の地理も判らないようだし。何処に何があるのか判らないまま、ふらふら当てもなく行くよりは、行先がはっきり分かって案内人がいる方が便利だろ?」
「……それは……そうだけど」
「それで、タダって言うのも反ってお前には心証が悪そうだ。だったら傭兵、食客、そんな感覚で同行してくれれば良い。生憎、相場の傭兵代を出せるほど余裕がある訳じゃないんだけど、飯宿の面倒くらいなら引き受けられる。目的の所に行くまで、面倒な魔物がいる洞窟も通らなきゃいけないし、今後のことを考えると、腕の立つ人間は歓迎したいんだ。もっと言うと、他に取られる前に、うちで確保しておきたいって所もある」
「……」


ロックの提案に、青年は腕を組んで思案している。
その難し気な表情を見詰めながら、ロックは眉尻を下げて苦笑した。


「まあ、そう言う打算も、事実あるんだけど……やっぱり、何も覚えてないって言う奴のことは、俺としちゃ放ってはおけないんだ」


途方に暮れた横顔、ふとした瞬間に覗く不安の瞳。
目の前にあるそれは、ロックが過去に見たものに比べれば、驚くほど落ち着いている。
それを思えば、庇護など必要ないだろうとも思えるが、やはり、疼く傷がロックを急き立たせる。
このまま放っておいて良いのか、と。

これはごく私的な感情であると、ロック自身も理解していた。
二度と取り戻せないものを、今一度、取り戻す方法はないかと、眉唾な話に一縷の望みを託して生きている。
その軛から湧き出て来る物を抑える方法を、ロックは知らない。
フィガロ城に着いたら呆れられるんだろうなあ、と既知の国王の顔が浮かぶのが判った。


「───それで、どうだ?お前にも俺にも、悪い話じゃないとは思う」
「……」



訝しむ瞳は相変わらずロックへと向けられており、提案者の真意を図っているように見えた。

しばらく、青年の沈黙は続いた。
何度も眉間の皺を深くしながら、ともすれば途方に暮れた横顔が覗く。
見知らぬ土地で手探りに自分自身の行方を捜す労力と、掲示された手段に対するメリットと不安要素を計算しているのだろう。
ロックは、船の鐘が鳴るまでなら待てるかな、と思っていたが、存外と早く、青年は答えを出した。


「……しばらく、あんたに同行させて貰う」
「ああ」
「……世話になる」


小さく会釈するように首を垂れる仕草をした青年に、ロックは「律儀な奴だな」と笑った。

そうと決まれば、船の手配をもう一人分、澄ませなくては。
サウスフィガロ行きの旗を掲げた船は、概ね荷積みが終わりつつあるようで、船上では乗組員が出港の準備を始めている所だった。
今のうちなら間に合う、とロックは船止めから腰を上げる。

行こう、と船に向かって歩き出したロックの後を、青年がついて来る。
ロックはそれを肩越しに見遣りながら、


「じゃあ、えーと、名前は……」
「スコールだ。多分」
「ああ、うん。じゃあスコール、当分宜しく」


端的に告げられた名前を、ロックは口の感触を確かめる為に一度呼んだ。
青年───スコールはそれに応答の代わりに頷く。

船への乗船手続きを済ませ、ロックはスコールと共にサウスフィガロ行きの船に乗る。
蒸気を上げて海を走り出した船を、驚いた表情で見上げているスコールを、ロックは意外と幼いのかも知れない、と思いながら見つめていた。





6月8日と言うことでロクスコだと言い張る。

Ⅵの世界に迷い込んじゃったスコールがふと浮かびまして。
現代っ子な文明レベルのスコールにしてみたら、中世のようでスチームパンクなⅥの世界は中々奇天烈に映りそう。
自分の常識感覚が通用しなくて途方に暮れてるのを拾われたりしないかなーとか。
異世界に迷い込んだ時のトラブルだったり、G.F.の影響だったりで記憶喪失になってたら、ロックは放置できない。ゲーム開始時にも記憶喪失のティナを保護したし。過去を引き摺り続けてる男だから、“記憶喪失”に関しては相手問わずに結構過敏だと思う。

[ロクスコ]始まりの前に 1

  • 2025/06/08 21:00
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF

スコール in FF6




酒場や食堂と言うのは何処の街であれ、多くはそれなりに栄えている。
場末の、と言う枕詞がつくような場所でも、飯が食えて酒が飲めて、情報を手に入れることが出来るとあれば、人の気配は絶えないものだ。
提供されるものの味が多少いまいちであっても、高級宿でないのだから仕方がない、と諦めもする。
ただ、利用する人間が多いからと言って、安心できる店であるとは限らない。
荒くれ者が店主を差し置いて我が物顔をしている所や、テーブルの下どころか堂々と怪しい一物がやり取りされているようなら、其処は無法地帯である。
そこでしか得られないような情報を求めている時でもないのなら、さっさと軒を潜り直した方が良い。

ロックにとって酒場と言うのは、飯を食うのも勿論だが、情報を集める為の第一の場所だった。
時間を潰すように適当に頼んだ酒を傾けながら、全身を耳にして、周囲の客が零す様々な情報を仕入れる。
求める情報は、根本を言えば宝石財宝のものを求めてはいるが、現在は少し違う趣のものを目的としていた。

現在、この世界の大半を牛耳っているのは、皇帝ガストラが治める、ガストラ帝国である。
古に失われた筈の魔法の力、それを人工的に注入した兵士や、機械技術へと組み込んだ魔導技術を駆使し、世界そのものを手中に納めんとしている。
それ故にあちこちで無辜の民が血を流し、この非道な行いに反旗を翻さんと、幾人かの指導者のもと、地下組織リターナーは結成された。
帝国の行いに思うものあれば、と彼の大国と戦う意思を持つ者が集まるこの組織に、ロックも身を置いている。
仕事としては、トレジャーハンターとして生きるうちに身に着けた身軽さや、各国各都市にある情報網と人脈を利用した、組織と其処に与した人々とのパイプ役を引き受けている。

港町ニケアの食堂で、ロックはチーズを肴にエールを傾けていた。
サーベル山脈の奥に人目憚り作られたリターナーの組織本部で得た情報を元に、これから船でサウスフィガロへと向かう。
それから砂漠に構えるフィガロ城に立ち寄り、国王エドガーに諸々の下準備が整っていることを伝えたら、そのまま更に北上する予定だ。
砂漠の北には高山があり、その麓に炭鉱都市ナルシェがある。
この炭鉱から、先達て氷漬けの幻獣が発見されたと言うこと、それを狙ってか帝国兵が動いている節があると言う情報が入った。
ナルシェは自治力が強い為、現在は帝国に降ることも、リターナーに与することもないが、こうなってくると少々話が変わって来る。
一昔前より、幻獣の力を研究することにより、魔導技術を会得した帝国が、もしも氷漬けの幻獣ともどもナルシェを力づくで降せば、かの大国は更なる危険を増す。
ナルシェが降ることなくとも、幻獣だけでも手に入れれば、帝国にとっては釣りが来るだろう。
今回の件に関して、ナルシェがどう動くか、それに対して帝国がどのような手を打ってくるか、ロックはそれらの情報を持ち帰る役目を任され───その任務に向かう為、船の出港を待っている所である。

リターナーが手に入れた、ナルシェの氷漬けの幻獣の噂は、この町にも届いていた。
ナルシェとニケアは、地図の直線距離で言えばそう遠くはないが、その間にはサーベル山脈が跨っており、そう簡単に人も情報も渡ることはない。
しかし、交易によって人と物が海の向こうから頻繁に出入りする場所であるから、旅商人なり何なりと、新しい噂話には事欠かない。
そんなニケアにまで氷漬けの幻獣の噂が届いているのなら、間違いなく、ガストラ帝国もこれを聞き留めているだろう。
帝国が支配する南の大陸から、この大陸の北方山岳地帯にあるナルシェまでは、随分と時間がかかる筈───なのだが、彼の国は魔導技術により推進力の高い船を持っている。
ロックは、その帝国よりも早く、ナルシェに辿り着いて、状況を把握しなくてはならなかった。

港町ニケアの食堂は、波止場の近くにある。
船の出港を知らせる鐘が鳴り響き、その回数を数えて、ロックは目当ての船が次の出港番だと悟る。
そろそろ支払いを済ませて、船着き場に向かって置いた方が良いだろう。
懐の財布袋を取り出して、チーズと酒代を置いて席を立つ。
ご馳走さん、とマスターに声をかければ、マスターはちらと此方だけを見て、瞑目して会釈した。

宿を出れば、すぐ其処に市場が立っている。
林檎のひとつでも買って、船旅の供にでもしようか。
此処からでも見える果物屋の軒先で、品物を選ぶ時間くらいは許される筈だと、ロックは其方に足を向けた。

果物屋には瑞々しい果実が並び、売り子の女性が愛想良くロックに声をかけて来る。
良い色合いのものを二つ見繕って貰って、言い値の値段に素直に金貨を取り出そうとした時だった。


「てめぇ!もう一遍言ってみやがれ!」


怒鳴る声に市場の人々の声が集まった。
当然、ロックも自然とその視線を追い、道の真ん中を塞いでいる巨漢の背を見付けた。

人が多い港町、其処には穏やかな人間ばかりでなく、荒っぽい連中と言うのも幾らでもいる。
ならず者、酔っ払い、当たり屋───大体はそんな所で、街の人々からも煙たがられているものだ。
案の定、今の声の主もそれのようで、果物屋の売り子も眉を顰めていそいそと店の奥に隠れるように引っ込んでしまう。
軒を連ねる他の商店の主人たちも、苦々しい表情を浮かべながら、障らぬが吉と思っているようだった。

ロックは林檎の代金を果物屋の籠に置いて、道端沿いに歩き出す。
巨漢の背中の向こうにいるのは誰なのか、ちょっと覗いてみたくなったのだ。
遠目に見る限り、あれだけの怒声に対して、恐慌しているような声が聞こえてこない。
こういう場合、声が出せない程に怯えているか、全く動じていないかのどちらかだと思うのだが、前者なら少し割り込んでも良いし、後者なら好きにさせれば良い。
別段、正義感が強い訳ではなかったが、もしも小さな子供や老人が理不尽にされているのなら、無視する訳にもいかないだろう、と思う程度には世話焼きなのであった。

さて、どうだ───とロックが男の陰の向こうを覗き込んで見ると、其処には一人の青年が立っている。
真っ直ぐに両の足で立ち、その膝が震えている訳でもないようだが、人間は恐怖心がピークになると身動ぎひとつも出来なくなる場合もある。
顔くらいは見れないか、とロックがもう半歩動いてみると、


「あんたの体が大きすぎて、道が塞がれていて通れない。退いてくれ。それだけだ」


よく通る低い声だった。
それは怯えに震えている訳でもなく、何処までも淡々として、やや冷たい印象すらある。

それを向けられた巨漢は、丸太程もありそうな腕をわなわなと震わせていた。


「バカにしやがって。大層なモンぶら下げてるからって、偉そうにしてんじゃねえぞ!」
「そう言うつもりはない。ただあんたが道を塞いでいることで、随分周りも迷惑してるようだから、公共の場を不当に占拠する行動はやめた方が良い」
「うるせぇ!!俺に命令するんじゃねえ!!」


巨漢の腕が頭上へと振り上げられ、青年へと打ちおろされる。
筋骨隆々とした、まるでビッグベアのような腕がうなりを上げて襲い掛かるのを見て、街人たちが思わず悲鳴を上げた。

しかし、その拳は一瞬のうちに宙を掻き、男の足の裏が空の方へと見て回る。
体躯は綺麗な一回転をして、巨漢の背中がずしんと重い音を鳴らして地面に沈んだ。
重い体を打ち付けられた地面の石畳が割れる程の衝撃に、巨漢の男の意識は綺麗に飛んで失せたのだった。

しん、と静まり返ること数秒。
静寂の中で最初に動いたのは、巨漢の男に絡まれ、それを投げ飛ばした青年本人だった。
青年はきょろりと辺りを見回して、市場の視線を独り占めしていることに気付くと、眉間に手を当てて「しまった……」と小さく呟いた。
それから、じっと見つめるロックの視線に気付いたか、なんとも言い難い苦い表情を浮かべ、


「……確認したいんだが、此処で正当防衛は成立するものか?」


問う声は、先の冷たい声とは違い、不安───と言うよりも、面倒を嫌う気配が漂っている。
そうして目を合わせたロックは、宝石のように深い海の底に似た蒼色の珍しさに目を奪われていた。

そのまましばらく黙して立ち尽くすロックに、おい、と青年がもう一度声をかける。
目を合わせた状態だったので、ロックはそれが自分を呼んでいるのだと一拍遅れて気付いた。


「あ。ああ、えーと。一応、成立するんじゃないか?先に手を出したのはこいつなんだし」


ロックは地面に大の字で伸びている巨漢を見て、肩を竦めて言った。
事の始まりはどちらに切っ掛けがあったか知らないが、少なくとも、殴りかかったのは男の方だ。
青年はそれに対して防衛反応を示したのだから、これならフィガロでもドマでも、罪に問われる程のことにはなるまい。
寧ろ、往来を塞いで市場の人々に迷惑をかけ、挙句当たり屋も同然に青年に絡んだ巨漢の方が、お縄にされることだろう。


「まあ、そうでなくても、誰もお前を責めやしないさ。だろ?」
「あっ?あ、そう、そうだな」


ロックが適当に近くにいた店の主に声をかけてみると、主は突然のことに目を丸くしながら、なんとか頷いた。


「そいつにはこの辺りの連中、皆が迷惑してたんだ。けど腕っぷしも立つもんだから、下手に文句も言えなくてな。ぶん投げてくれて、随分精々したよ」
「だってさ」


店主の言葉を聞いた青年が、ほ、と安堵したように小さく息を吐く。


「それなら、良かった。……一応、真面な治安秩序のある町だったか……」


青年のその言葉は、後半は独り言めいていた。

ロックは青年の井出達をまじまじと眺めてみる。
濃茶色の髪は何処にでも見るような色合いで、蒼灰色の瞳は珍しいものの、青目と考えればこれもまた珍しくはない。
では装備はと言うと、これがロックには少々不思議な代物だった。

首元に白い毛並みを携えた上着は、裾が随分と短く、脇腹の位置で断ち切られている。
その上着の素材が、布にしては表面の繊維の筋が見えないし、革を鞣したにしては光沢が強すぎて、どちらとも言えない。
その下に着ているシャツは、柔らかい皺を作っているが、しっかりとした厚みがあり、亜麻(リネン)とも苧麻(ラミー)とも違う。
ズボンはすっきりと細く、青年が全体的に線の細いシルエットをしていることが分かる。
全体的に白と黒のモノトーンに、腰に巻かれた三本のベルトが赤い補色効果を担っている他は、地味な印象を与えている。

しかし其処で異彩を放つのが、青年の腰に携えられた代物だ。

腰のベルトに無理やり留めるようにして吊るされている、ボロ布に包まれたもの。
左の腰に提げるように携帯されているそれを、ロックは剣だ、と判断した。
鞘を喪った剣を急場しのぎに布で覆うと言うのは、用立てるもののない傭兵や冒険者がやることではあったからだ。
しかし、奇妙なのは柄の形で、布からはみ出て見えるそれには鍔がなく、握りは刀身に対して直角に近い角度で曲がっている。
世には奇抜な形状をした武器があるものだが、あの刀身の長さでこの角度の柄と言うのは、随分と扱い難そうに見える。
その割に、刀身を隠す布は厳重に巻かれていて、その真価を隠そうとしているかのようだ。

ロックが青年を観察している間に、市場はいつもの賑々しさを取り戻していた。
気絶したままの巨漢は、ニケアの自治組織であろう若者たちがお縄にして運んで行き、後には少々抉れた地面があるだけ。
巨漢を討伐せしめた青年はと言うと、若者たちから事情聴取に二、三の質問をされたのみであった。
それから彼はぽつんと立ち尽くしていたのだが(そのお陰でロックは彼を存分に観察できた)、蒼灰色がつとロックへと向けられて、


「……少し、良いか」
「ん?俺か?」


声を掛けられ、ロックが自分を指差して言うと、青年は頷いた。
ロックは港からまだ鐘が聞こえないことだけ確かめて、青年の下へと近付く。

距離にして1メートル程度の所で、青年はロックに言った。


「その……この町の名前を聞きたい」
「名前?」
「……色々道に迷って、ついさっき、此処に着いたんだ。初めて来た場所だし、位置の確認もしたい」


青年の言葉に、つまりは迷子か、とロックは思った。


「ニケアだよ。位置は───地図は持ってるか?世界地図でも、この辺の近郊のでも良いんだけど」
「……多分、ない」
「多分?」
「……」


返ってきた言葉に、ロックは妙なものを感じて首を傾げる。
その反応を見た青年は、気まずい様子で唇を噤んだ。
俯き加減に足元を見つめるその顔が、何処か所在なさげに見えると同時に、ロックの小さくはない記憶の痣を擦る。


「……お前、何処から来たんだ?」
「………」


率直に問うロックに、青年は答えなかった。
引き結んだ唇の奥で歯が噛まれ、両の手が何かを堪えるように強く握り締められる。
目立つ傷の走る眉間には深い皺が刻まれて、息苦しそうな表情が浮かんでいた。

青年の沈黙は、時間にすれば短いものだった。
だが、彼にとっては随分と長く、思案していたのではないだろうか。
ようやく口を開いた青年は、微かに震える唇で、「……判らない」とだけ答えるのが精一杯だった。






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