[ウォルスコ]融けない熱を緩やかに
ウォーリアが自宅に帰って来た時、彼はそれはそれは酷い有様だった。
頭の天辺から足の爪先まで、余す所なくぐっしょりと濡れた彼は、その手に折れた傘を持っていた。
今日の夜から雨になると言う予報は確認済みで、故にこそ彼は傘も忘れず準備していたのだが、まさか此処までの暴風雨になるとは、流石に予想していなかったし、少なくとも出勤時間である朝の段階では天気予報もそこまで言及してはいなかった。
雨は予報通りに降り出し、其処までは想定通りであったのだが、計算外だったのは風の強さだ。
小さな子供が傘を差していたら、風に煽られふわりと浮き上がってしまいそうな、それ程の強風である。
流石に大人の男性であるウォーリアが宙に舞うことはなかったが、代わりに傘が犠牲になった。
すっかり逆向きに開いた上で、骨組みから折れた傘は、最早修復不可能だ。
可能だったとしても、買い直した方が早い、と言える状態。
それが自宅の最寄り駅に着いてからの事だったものだから、家路の途中に代替品を買うのも躊躇われ、買った所で間もなくそれもお陀仏になりそうだったので、仕方なくウォーリアはそのまま歩いて帰ったのだ。
彼にとって幸いだったと言えるのは、明日が休日とあって、恋人のスコールが家に来ていた事である。
風雨の様子を心配していた所へ、丁度帰って来たウォーリアを見て、スコールはすぐに彼を風呂へと押し込んだ。
準備の良い恋人は、濡れ鼠までは流石に想定してはいなかったが、これだけの荒れた天気なら濡れて帰って来る羽目になるであろうウォーリアの為、しっかり風呂を沸かしていた。
お陰でウォーリアはすぐに温まる事が出来、その間にスコールは夕飯も作り終え、災難を十分に忘れる程の穏やかな夜を過ごせたのだった。
しかし、夜も過ぎた頃、ウォーリアは異変を感じた。
愛しい人が泊まりに来ているのなら、熱い夜を過ごしても良かったのだが、今日は流石に疲れていた。
スコールもそれは判っており、今日は添い寝をするだけで程無く眠った筈が、夜半になってふとウォーリアの目が覚めた。
普段は、翌朝の決まった時間になるまでは滅多に目を覚まさないのに、明け方もまだと言う時に、突然ふっと意識が覚醒したのである。
隣で眠る少年に何かあったのかと思ったが、彼はすぅすぅと規則正しい寝息を立てていた。
ウォーリアは自分の行動に首を傾げたものの、稀にはあることだと深くは気にせず、もう一度眠る事にした。
────だが、それから彼は、全く眠れなかったのである。
翌朝になって、朝食を作ろうと重い瞼を開けたスコールに「おはよう」と声をかけようとして、ウォーリアはまた一つ異変に気付いた。
喉の奥が痛みを発し、声を出そうとすると何かが絡んだように上手く発声できない。
げほ、と音が出たのを聞いたスコールが、ウォーリアが自分よりも先に起きていた事と、滅多に聞く事のない咳をしていることに気付いた事で、ようやっと、ウォーリアが風邪を引いた事が発覚したのである。
それからはスコールが昨夜にも増しててきぱきと行動した。
自分が風邪を発症していると、何故かその認識が鈍いウォーリアに、体温計を使ってその数字を見せる。
とにかくベッドから動かないようにと言い聞かせ、一先ず冷蔵庫にあったリンゴを摩り下ろし、それを朝食として食べさせた。
常備薬として棚にしまわれている市販品の風邪薬を飲ませた後は、寝て休むようにと促した。
それから程無く、昨晩の睡眠不足と、薬の副作用もあってか、ウォーリアは間もなく眠りにようやっと就くこととなる。
ウォーリアが眠ったのを確認してから、スコールはようやく寝間着から着替えた。
冷蔵庫の中身を確認したスコールは、病人食を作るには聊か足りない材料を確認すると、すぐに買い物に出た。
恋人の体調不良の原因を作った昨晩の雨は、あれからすっかり通り過ぎ、憎らしい位の青空になっている。
歩いていける距離にある、複合施設の生鮮食料品売り場で、必要なものをまとめて買い込み、終わると走って帰る。
戻った時には、ウォーリアはまだ深い眠りの中にいて、スコールはほっとした気持ちでキッチンへと立った。
ウォーリアが食欲があるかは起きて改めて聞いてみなければ判らない事ではあったが、一先ず胃に負担がかからないものをと意識して、昼食の準備を始めた。
炊飯器にセットした粥が、炊き上がりの音を立てて間もなく。
時間にして、ウォーリアが眠ってから三時間ほどは経っており、そろそろ目を覚ましただろうかと寝室を覗いてみると、
「起きてたか」
「……ああ。つい、先程」
上半身を起こし、ぼんやりとしていたウォーリア。
声をかけると、彼はゆっくりとスコールの方を見て、微かに目を伏せて応えた。
その白磁のような色をしている筈の頬が、いやに血色の良い肌色になっているのが、反って彼の体を熱が病んでいるのだと言うことがありありと感じさせられる。
ウォーリアはスコールとは別の意味で表情筋の固い男であるが、今日はその顔が緩んでいる。
意識がふわふわと浮かんでいるような、アイスブルーの瞳が蕩けているようにも見えて、スコールは眉根を寄せた。
(なんでそんなになるまで、自分が風邪ひいてるって事に気付かなかったんだ?)
今朝、体温計の数字をつきつけるまで、ウォーリアは自分の状態に気付いていなかった。
幾ら滅多に体調を崩さないからと言って、この鈍さはない、とスコールは思う。
(……いや。気付かない位、調子が悪かったって事なのか。だとしたら、気付くべきだったのは……)
体調不良で判断能力も鈍り、自己認識も甘い状態の病人に、色々と気付けと言うのは聊か無理もある。
それよりは、傍にいる自分が気付くべきだったのだと、スコールは漏れそうになる溜息を飲み込んだ。
ベッドの傍に歩み寄ったスコールは、まだ少し眠そうに目を細めているウォーリアを見下ろして言った。
「一応、粥が出来てる。食べられそうなら、持って来る」
「…頂こう。君が作ってくれたものだ。食べなくては勿体ない」
「……無理に食おうとしなくて良い」
「いや、大丈夫だ。すまないが持って来て貰えるだろうか」
「……ん」
ベッドから出るな、と言う言いつけは、ちゃんとウォーリアの記憶に残っているらしい。
理由は何にせよ、食事の意欲もあるのなら、それは良い事だ。
スコールは踵を返し、キッチンに戻って、すぐに昼食の準備を整えた。
炊飯器から小さな小鍋に粥を移しておき、そこから茶碗に注いだ粥とレンゲ、梅干しを一つ添えて、寝室へと戻る。
「食べられる所までで良い」
「ああ、ありがとう」
「薬と水を持って来る」
ウォーリアがトレイを受け取り、膝の上に丁寧に置いたのを確認してから、スコールはまたキッチンへ。
ダイニングテーブルの上に出して置いたままにしていた薬と、買って来たばかりの常温のミネラルウォーターのペットボトルと、グラスを用意して寝室に戻った。
炊飯器から出したばかりの粥は、ほこほこと湯気を立てている。
それを少しずつ、冷ましながら口へと運ぶウォーリアに、食べる事は出来るようだ、とスコールは安堵した。
と、そんなスコールを見たウォーリアが、
「君の食事は、良いのか?」
「……持って来る」
言われて、そう言えば自分もまだ食べていなかった、とスコールは思い出した。
何なら、昼食と言わず、朝食も食べ損ねている。
ウォーリアはその事には気付いていないようだったが、此処で彼が言わなかったら、スコールは晩まで何も食べずに過ごしていたかも知れない。
それ程に、スコールはウォーリアの看護の準備で頭が一杯だったのだ。
食パンを手っ取り早くトーストし、バターを塗った後は、インスタントのスープを作った。
もう一つトレイを出して、それらに全て乗せて寝室に戻り、ベッドの傍に椅子を運んで座る。
朝も抜いているのに、少な過ぎはしないか───とは言われなかったので、スコールはいつも通りの顔で朝食兼昼食を済ませた。
スコールが用意した粥を、梅干しの塩気を貰いつつ、ウォーリアはゆっくりと平らげた。
薬も飲み終え、ベッドにまた横になったウォーリアの体温を測ろうと、ナイトテーブルに置いていた体温計を手に取ったスコールだったが、
「……ん」
「どうかしたのか」
「……点かない。電池が切れたか」
今朝は使えた筈のデジタル表示の体温計だが、ボタンを何度押しても液晶画面が反応を示さない。
そう言えば今朝見た時にも、液晶画面の表示が薄かったような、と今になって考える。
(電池なんてないよな。多分、普通の乾電池じゃないだろうし)
看病の為の諸々を買いに行った時に、買っておけば良かったか。
しかし、今朝の段階で電池切れが発覚していたならともかく、気付いたのが今ではどうしようもない。
スコールはしばし悩んだが、仕方ない、とベッドに片手を突いた。
「じっとしてろよ、ウォル」
それだけ言って、スコールはウォーリアの顔に自身の頭を近付ける。
銀糸の前髪を掻き上げて、広い額にこつん、と特徴的な傷のある額を押し付けて、そこからじわじわと伝わって来る体温の高さを感じていた
そんなスコールの顔を、ウォーリアは嘗てないほどの距離で見ている。
スコールと恋人と言う間柄になってから、一緒のベッドで眠る事も、それ以上の事もしているが、これほど近い距離で蒼の瞳を見る事はなかった。
思春期真っ盛りの少年は、元々が初心でもあって、触れ合うことは勿論、見つめ合うことも苦手としている。
キスをする時には必ず目を瞑ってしまうから、ウォーリアがどんなに見ていたいと思っても、近付く程にその蒼い宝石は瞼に隠れてしまうものだった。
それが、今すぐに触れ合いそうな程に近い距離で、じっとウォーリアを見詰めている。
深い深い海の底のような瞳の中で、意思の強い光が、溶け込んだ星屑のようにひらひらと揺れている。
いつも見付ける度に、吸い込まれるようにウォーリアを虜にする色が、光が、今初めて、じっとウォーリアを捕えて離さない。
────が、すげない光はまたすぅと離れて行ってしまう。
「やっぱりまだ熱い。今日は一日、大人しくしてるんだな」
いつもの距離に戻ってしまって、ああ、とウォーリアの心に嘆きに似た声が漏れた。
そんな事には露とも気付かず、スコールは空になった食器を一つのトレイにまとめて、片付けるべく席を立つ。
すぐ戻る、と言って部屋を出たスコールは、その言葉通り、数分となく戻ってきた。
洗い物をしたとは思えないので、恐らく、食器を水に浸けてきただけなのだろう。
またベッド横に座ったスコールに、どうやら彼がずっと付きっ切りで看病してくれるつもりであると、ウォーリアも理解する。
それはウォーリアにとって嬉しい事ではあったが、申し訳なくもあった。
「……すまない、スコール」
「……何がだ?」
ベッドに横になったまま言ったウォーリアに、スコールは眉根を寄せて返した。
謝られる事などあるか、と問う恋人に、ウォーリアは天井を見上げていた目を伏せる。
「今日は休日だろう。それなのに、君の手を煩わせてしまっている」
「……大した手間じゃない」
「だと良いのだが。それに、本来なら君には帰って貰わなくてはいけない筈だ。伝染してしまうかも知れないのだから。だが、やはり君がこうして傍にいてくれるのは心地が良くて……甘えてしまっている。すまないな、スコール」
「……別に、……そんなの」
重ねて詫びるウォーリアに、スコールの声が段々と小さくなって、俯いた。
しかし、ベッドに横になっているウォーリアが目を開けると、赤らんだ顔で視線を逸らしている少年の顔が見える。
なんとも面映ゆい顔を浮かべている少年に、ウォーリアの唇が僅かに緩む。
ウォーリアは、ベッドに沈めていた腕を持ち上げて、スコールの下へと伸ばした。
蒼の瞳が視界の端にそれを捉えると、唇が逡巡するように何度か引き結ばれる。
スコールは目一杯に眉間に皺を寄せた後、膝に乗せていた手をそろりと上げて、節張った手を掬うように重ねた。
(……あつい)
何度も熱を交わしたけれど、そう言う心地の良い熱とは違うものが伝わって、スコールは思わずその手を握り締める。
彼を蝕んでいるこの熱が消えてくれるのなら、自分に伝染る位はなんでもないとすら思う。
だが、それを言ってしまったら、ウォーリアはそれは絶対に出来ないと首を横に振るだろう。
だから、いつもの交わる熱が感じられるように、早く元気になって欲しい。
そんな願いにも似た気持ちに促されて、スコールは恋人の火照った頬にキスをした。
1月8日と言うことで、ウォルスコ。
偶にはウォーリアに体調不良になって貰った。
そんでちょっと弱って貰ったら、スコールが恥ずかしいけど突っ撥ねられなくてうぐうぐしながら甘やかす図になりました。ちょっと新鮮。