[けものびと]きれいきれいはむずかしい
バスルームへと連れ戻されたスコールは、きょろきょろと落ち着かない様子を辺りを見回していた。
ラグナはそんなスコールの背中を撫でて宥めながら、もう一度金ダライに湯を張る。
湯の温度は、人間であるラグナからすると、湯気が立たない程度に温い。
これでレオンは気持ちが良さそうにしていたので、過度に熱い冷たいと言うことはない筈だ。
とは言え、あまり長く浸からせていると濡れた体の体温も下がってしまうだろうし、何より、スコールがレオンのように大人しくしてくれているとも限らない。
先にシャンプーを泡立てておこう、とラグナは小さな手桶にも湯を入れて、其処にシャンプーを注いだ。
下準備を済ませ、よし、とラグナはスコールを抱き上げた。
ぱちり、と目を丸くしたスコールと目が合った途端、
「ぎゃぁうう!」
「おっとっと」
嫌な予感を感じたか、体を捻ってラグナから逃げようと試みるスコール。
しかし此処で取り落としてしまっては、スコールはタライの中に落ちてしまう。
ラグナも身を捩りながら、逃げようとするスコールの身体を追うようにして彼を捕まえ続けた。
じたばたと暴れるスコールが、ラグナの服に前足を引っ掛けると、そのまま体を上ろうとする。
獣人としては子供とは言え、やはり“ライオン”モデルの生まれは伊達ではなく、存外と大きな肉球を携えた手足がラグナの肩に重みを乗せた。
ラグナの首元にスコールの身体が擦り付けられ、抜けた毛がラグナの喉元に張り付く。
「うお、お、重いなぁ、スコール」
「ぎゃう、ぎゃうぅ!」
「大丈夫だよ、怖くない。お風呂だから気持ち良いんだよ」
ラグナの肩に上半身を乗せ、抗議の声を上げるスコール。
ラグナはそんな仔ライオンの背中をぽんぽんと撫でてあやした。
ぐぅう、と唸る声が聞こえるが、スコールは其処でじっと留まっている。
脇に両手を差し込むようにして、掬うように持ち上げてやると、スコールは存外と素直に運ばれた。
不機嫌そうに顰められた蒼灰色がじっと見つめて来るので、ラグナは笑みを浮かべて目を合わせる。
「さっき、レオンが入ってるの見てたろ?気持ち良さそうだったよな~」
「ぐぅうぅ……」
「ちょっとだけ。ほんのちょーっと。足の先っぽからな」
小さな子供に言い聞かせるように声をかけながら、ラグナはそっとスコールを下ろしていく。
宙を掻いていたスコールの右足が、つんと水面に触れて、ぴっと持ち上がった。
ひくひくと鼻頭を動かして、緊張している様子のスコールであったが、次に左足がついた時には、今度は逃げなかった。
「うん、良い子良い子。スコールは良い子だな」
「ぐぅ、ぎゅぅう……ぐぁうぅ」
喉元を擽ってあやすラグナに、スコールは不満げな声を漏らしている。
やっぱり長引かせない方が良いな、とラグナは判断した。
そうと決まれば、早速スコールの身体を洗わなくては。
ラグナはスコールの背中を撫でてあやしながら、右手で掬った湯をかけて行く。
「うう、あうぅう。うぁぁあうう」
「冷たいか?」
「ううぅ、うぅうう。ぐぁうぅ」
「やっぱ濡れるのが好きじゃないかなぁ」
言いながらラグナは、手桶の泡を手に掬う。
スポンジがあった方が良かったな、と思いつつ、ラグナは泡シャンプーをスコールの背中に乗せた。
マッサージでもしてやれば、少しは気持ち良いと思うだろうか、とラグナは両手でスコールの身体をわしわしと撫でてやる。
背中や脇、首元を、柔い加減で撫でて揉んでと繰り返す。
一緒に泡が塗り広げられて行き、泡に掬われて抜けた毛が、湯舟の中でぷかぷかと浮かんでいる。
このままくまなく洗わせてくれると有難いものなのだが、
「あうぅ、がうぅぅ……!ぐぅぅ、うぅぁああう!」
スコールの鳴き声は段々と大きくなって行き、風呂場全体の反響もあってよく響く。
湯舟の中でじっとしている所を見るに、彼からすれば精一杯に我慢しているのだろう。
この辺が限界だな、とラグナがスコールの身体の泡を洗い落とそうと、手桶に新しい湯を張っていた時だった。
「───うぅ!───あうぅ!」
「ん?レオン?」
バスルームの閉じた戸口の向こうから、大きな鳴き声がする。
曇りガラスの向こうに、小さな影のようなものが駆け寄って来たかと思うと、ドン、と言う音が響いた。
バスルームの戸は、折れ戸になっていて、浴室の中へと折れ開くようになっている。
その構造をレオンが理解していたかは不明だが、彼は上手くその中心───凸方向へと折れる支点の部分に体当たりしたらしい。
弟の為の突進を受けた戸がガチャッと開くと、右側に出来た隙間を見付けたレオンが、体を押し入れるようにして飛び込んできた。
「がぁうう!」
ばしゃん、とレオンの体を受け止めた湯が飛び跳ねる。
つい先程、一足先にシャンプーを終え、タオルで乾かしたレオンの体は、また見事にびしょ濡れになった。
ついでに飛び跳ねた水飛沫は、開いたままになっていた戸口の向こうまで跳んでいて、クッションフロアの床に泡の水溜まりが出来ている。
───ああ、とラグナは思わず空を仰いだ。
バリケードを用意するか、鍵をかけておくんだったなあ、と悔やむ。
しかし、それはそれで、レオンが諦めずに体当たりし続けて来たかも知れない、とも思った。
小さな湯舟の中で、レオンとスコールはぐるぐると喉を鳴らしながら、頭を擦り付け合っている。
兄は弟を見付けてその無事に喜び、弟は兄が来てくれたことに安堵したようだ。
風呂を怖がらなかったレオンは勿論、スコールも鳴く事をやめて、顔を舐める兄に甘えて、落ち着いていた。
「がう。がうぅ」
「んるぅ……」
スコールがすりすりとレオンに身を寄せて甘えると、泡がレオンの体にも付着する。
レオンはそれを気にする様子はなく、興奮しきっていた弟を宥めることに終始していた。
そんな二人の遣り取りを見て、ラグナは濡れた髪を掻き上げながら苦笑する。
「しゃーねえ。レオンがいた方が、スコールも落ち着くみたいだからな」
「ぐぅ……」
ラグナがスコールを頭を撫でれば、彼は大人しくその手を受け入れる。
尻尾がゆらりと揺れて、心地よさそうに円らな瞳が細められた。
最早レオンの体を洗う必要はなかったが、どうせ濡れてしまったのだ。
ラグナは開き直って、スコールの体の泡と、レオンの体を一緒に湯で流す。
湯が背にかけられる度、スコールはまた鳴き声を上げたが、レオンがそんな弟を宥め透かすように身を寄せた。
そうしているとスコールは大人しいもので、時折鼻をひくつかせて鳴く程度だ。
スコールが落ち着かなかったのは、初めての入浴ということもそうだが、兄の姿が見えないのが不安だったのかも知れない。
スコールの泡をすっかり流し、ラグナはレオンの体を拭く時に使ったバスタオルを取った。
もう一枚あった方が良いなあ、と思いながら、一先ずは滴る水を簡単に吸い取るべく、スコールの身体を包んで吹く。
此方は湯と違って恐怖心を刺激しないようで、スコールは自分から濡れた身体を擦り付けて体を拭きに来ていた。
そしてレオンの体も拭いた後、ラグナは二人を抱き上げて、脱衣所の濡れた床を見ない振りにしつつ、リビングへと移動した。
リビングで二人の体を改めて清潔なタオルで丹念に拭いた後、ラグナはキッチンへ向かう。
濡れた服を着替えるだとか、脱衣所の床だとか気掛かりはあるが、頑張った二人にご褒美をあげるのを忘れてはいけない。
冷蔵庫から取り出したタッパーを温めていると、旨味の気配を感じたのか、レオンが足元にやって来ていた。
「鼻が良いなぁ。スコールはどした?」
「ぐぁう」
「おっ」
ラグナがスコールの様子を訪ねると、レオンはくるりと振り返る。
その視線の先を追うと、キッチンスペースの入り口に体を半分隠し、覗き込むように此方を見ているスコールがいた。
警戒しつつも、匂いの誘惑に鼻をふんふんと鳴らしているスコールに、ラグナはくすりと笑う。
「初めてのお風呂、お疲れさん。頑張ったから、特別におやつにしような」
「がぁう」
「がうぅ」
ラグナが運んできた器を見て、二人の頭の上で丸い耳がピンと立つ。
これでレオンだけでなく、スコールにとっても、今日一日が嫌な記憶だけで終わらないと良いのだが。
兄弟がおやつを楽しんでいる間に、ラグナは服を着替え、濡れたものは洗濯機に放り込む。
スイッチを押して回り始めたそれを尻目に、泡水溜まりの床を拭き、排水溝に集まっていた抜け毛を拾う。
水を含んだタオルは、取り合えずバスルームの乾燥にかけることにした。
抜け毛が絡まっているのは判っていたが、これを洗濯機に入れても良いものか判らない。
夜に風呂に入った時にでも、手洗いしてみるとしよう。
思い付く限りの片付けを終えて、ラグナはふらふらとリビングへと戻った。
「ふい~……終わってからも大変なもんだ……」
中々の重労働だ、とラグナは重くなった肩を揉む。
何か冷たいものでも飲んで一服しようかとも思ったが、準備をするのが面倒だった。
取り合えず中腰続きで草臥れてしまった足腰を休ませたくて、ソファへと向かう。
ソファには既にレオンとスコールがいて、彼らはタオルケットを枕にして丸くなっていた。
二人の舌がちょろりと零れ出ているのが見えて、ああ、とラグナは小さく笑う。
きっと毛繕いをし合っていたのだろうに、疲れて寝落ちてしまったのだ。
ラグナは身を寄せ合う二人の傍に座って、丸みのある頬を撫でる。
「……そうだなあ。一番疲れたのは、きっとお前たちだよな」
呟くと、ひく、とレオンの鼻先が震えて、蒼の瞳が薄らと覗く。
「……ぐぅ……?」
「なんでもないよ。おやすみ、レオン。スコールも」
「……んぐ……」
名前を呼べば、二人は丸い可愛らしい耳を小さく動かす。
ふくふくと呼吸に上下する腹を、指の背でそっと撫でてみた。
抜け毛は随分と落ち着いたようで、ふわふわと舞う毛も、一先ずはなくなったようだ。
これなら、しばらくは鼻むず痒さに悩まされることもないだろう。
ラグナは眠る二人の仔ライオンたちが冷えることのないように、タオルケットをもう一枚、寝室から持って来た。
柔らかな布地の中で、レオンとスコールはすぅすぅと寝息を立てている。
その穏やかな寝顔をじっと見つめて、ラグナはなんとも温かい充足感を感じていた。
換毛期からのお風呂チャレンジでした。
レオンはラグナの手で洗われるのが気持ち良かった模様。元々そんなに怖がらないので、ラグナがしてくれることなら大体受け入れられる。
初めてなのでこんな調子ですが、スコールはバッツとジタンの所で遊びながら訓練したら、大人しく出来るようになると思います。
その内、三人で一緒に風呂に入ることも出来るようになるかも知れない?