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2018年08月
特別に気に掛ける程の間柄ではない、と言ったら語弊になりそうだが、実際にそう言う間柄なのだ。
そもそもが誕生日等と言うものを意識するような性格でもないし、ユフィやエアリスが言い出さなければスルーしている事も多い。
況してや祝われる立場になる本人が不在である事も多いので、気合を入れて準備した所で、空振りなんて事もあるのだ。
そんな事に限られた時間を費やすのなら、パトロールをしていた方が良い、とレオンは思う。
セックスをしている事を恋人と呼ぶのなら、そうなのだろうとは思う。
お互いが何処で何をしているかも知らず、知らなければいけないとも思わない、それでも二人の関係を呼ぶのならば、“恋人同士”になるのだろう
そうでなければ“セックスフレンド”と言う事になるのだが、それはあちらが嫌がった。
世の中で言うような、甘い甘い砂糖菓子のような雰囲気などは求めないが、その呼び方は嫌だ、と彼が言ったので、一応、自分達の関係を指す言葉は“恋人”と言う事にしている。
それを思うと、相手の誕生日と言うのはやはり某か祝ってやるべきではないか、とも思うのだが、それとこれとは話が別なのだ。
だが、仲間達が祝おうとしている空気があるのなら、レオンはそれに合わせるようにしている。
彼も自身の誕生日に然したる興味はないが、祝って貰えるのなら嬉しい事だと受け止めるようになった。
それからは、自分の誕生日が近いと知ると、日付感覚を少し意識して過ごし、当日には故郷に足を運ぶようにしている────切っ掛けがないとすっかり忘れている事も多いが。
今年の彼────クラウドは、偶然にも三日前からレディアントガーデンに戻って来ていた。
特に要件があったと言う訳ではないのだが、何処かの世界で大規模な戦闘に巻き込まれ、休息を求めて帰ってきたらしい。
レオンは彼が帰ってきたら色々と任せたい仕事があったのだが、玄関で出迎えた時から寄り掛かって来るのを見て、仕事の事は諦めて、誕生日が終わるまではのんびりと休養させる事にした。
そのついでに、本人がいるのなら丁度良いと、誕生日に欲しいものはないかと尋ねてみると、
「お前が欲しい」
と言う、直球且つ即物的な返事が寄越された。
疲れているのにそう言う欲は元気なのか、と呆れたが、まあ良いか、と思う事にした。
クラウドの誕生日の当日、再建委員会の本部では、細やかなパーティが開かれた。
レオンとエアリスが作った料理を食べながら、ユフィとシドの手製のポータブルゲームがクラウドにプレゼントされた。
セキュリティシステムの構築で忙しいだろうに、よくゲームなんて作る暇なんかあったな、とクラウドは思ったが、プログラムの殆どは既存の物を流用しているのだと言う。
データ世界の中にいる仲間の手も借り、其処に存在しているありとあらゆるプログラムの中から、遊びに使えそうなものを送って貰い、シドがそれを組み立てた。
キャラクターデザイン等はユフィが行ったそうで、独特な味のあるテクスチャが3Dポリゴンを彩っている。
ゲーム自体は単純な作りのものが多く、壮大な物語を追うようなものはないが、暇な時間を潰すには丁度良いだろう。
食事の後は成人メンバーで少し酒を嗜み、シドが潰れた所でお開きにした。
レオンとエアリスが片付けをしている間に、クラウドがシドをベッドへ運ぶ。
ユフィも夜更かし気分で起きていたのだが、エアリスから寝るように促されて、自分の足で部屋へと帰った。
それから片付けを終えたエアリスに見送られ、レオンとクラウドは帰路へ着く。
街の中心部から離れ、未だ人の気配のない静かな道を歩きながら、レオンはクラウドに言った。
「もう疲れは取れたのか」
「ああ。良い休暇になった」
頷くクラウドに、それは良い事だ、とレオンは呟き、
「じゃあ、明日からはしっかり働いて貰うとするか」
「……面倒な事をやるのは御免だぞ」
「さて。色々とやる事が溜まってるからな。まあ、セキュリティ云々の所を触らせる事はないだろうから、それは安心しろ」
レオンの言葉に、それなら良いか、とクラウドも安堵する。
セキュリティプログラムの構築なんて物は、専門家のシドと、平時からそれを見てチェックも行っているレオンの仕事だ。
肉体労働が専門なんだと呟くクラウドに、それで十分だとレオンも思う。
何せ再建委員会は、頭脳労働担当も足りないが、肉体労働のみに集中する人間も足りないのだ。
どちらにせよ人が増えてくれるのなら、レオンは足りない方に集中できる。
「シド達が作っていたゲームは、楽しめそうなのか」
「ああ。ミニゲーム系が多いが、悪くない。テクスチャに慣れるのに時間がかかりそうだが」
「ユフィの絵か。随分楽しんで作っていたようだし、確り遊んでやれ。その方が作った方も喜ぶだろう」
「あんたとエアリスは触っていないのか?」
「エアリスは───ユフィと一緒に何か描いていたから、何処かに組み込まれてるんじゃないか。俺はゲームはさっぱりだからな、見ていただけだ」
プログラムの構築そのものは、シドの作業に付き合わされている内に慣れたが、娯楽事と言うとレオンはさっぱりだ。
暇を潰すなら本を読んでいれば十分で、遊ぶ事自体にもやや疎い所があるから、どんなゲームが楽しいかと考えても、レオンにはさっぱり判らない。
試遊も兼ねてデバッグに少し付き合ったものの、そもそもゲーム慣れしていないレオンでは、何が正しい挙動なのかもよく判らなかった。
言われる通りにキャラクターを動かし、プログラムの作動を見守った程度なので、手伝った内には入るまい、とレオンは考えている。
古びたアパートに着いて、二階への外階段を上る。
玄関を開けて部屋の電気を点けると、レオンはバスルームへと向かった。
「先に入るぞ」
「ああ」
クラウドはひらひらと手を振って、先に寝室へと向かう。
勝手知ったるレオンの家であるから、何か必要なものがあれば自分で適当に漁るだろう。
室内が汚れるような事がなければ、別に何をしていても構わない、とレオンは思っている。
皆で開けた酒による心地良さはまだ続いていて、酩酊はしていないが酔ってはいるのだろう。
湯を入れてのんびりと休息したい気持ちもあるが、これで入浴するのは危ないな、と諦めた。
少し温めのシャワーで汗を流しに留めて、レオンはバスルームを出た。
タオルを片手に寝室に入ると、クラウドがベッド横に背を預けて、早速ゲームを試していた。
ピコピコと昔懐かしい電子音を鳴らしながら遊んでいるのは、何十年も前に発売されたゲームデータを発掘して作ったものだ。
「面白いか」
「ああ。操作性が限られるから、今時のものより難しい」
ふぅん、と気のない返しをしつつ、レオンはベッドに上る。
まだ水分の抜けきらない髪を拭いていると、何度か嘆く声が聞こえた。
ぐあああ、と特訓中よりも苦しそうな声が聞こえるのが、少し面白い。
放って置けばいつまでもゲームに熱中していそうなクラウドだったが、今日は祝われ疲れでもしたのか、十分程で手を離した。
一頻り試して今日の所は満足したのだろう、次に遊ぶのを楽しみにしている横顔が見れた。
その横顔に、レオンは声をかける。
「おい、クラウド」
「なんだ」
呼んだ所で、クラウドが振り返らないのは判っていた。
だからそのまま、レオンはクラウドの頬にキスをする。
「……!?」
一瞬、何が起こったのか判らない様子で固まった後、バッとクラウドは勢いよく振り向いた。
何をした、と言わんばかりの表情に、レオンは悪戯が成功した子供の気分で口角を上げる。
レオンはベッドヘッドに背を預け、呆然とした表情で見上げる男を見下ろして言った。
「誕生日だからな。ほら、プレゼントだ」
「……本気か?」
レオンが何を指して“プレゼント”と言ったのか、はっきりとは言わずとも、クラウドも理解した。
が、いつにないレオンの誘い文句に、クラウドの目が胡乱に細められた。
まるで罠を疑っているような表情に、レオンはくつりと笑い、
「要らないなら別に良いんだが」
「誰が受け取らないと言った」
ぎしっとベッドのスプリングが軋み、クラウドがベッドに乗って来る。
ベッドヘッドに寄り掛かっているレオンを、自分の体で挟んで追い詰めるように閉じ込めて、クラウドはレオンの唇を塞いだ。
何度も唇の形を舐められているのを感じながら、レオンは薄く唇を開く。
舌が直ぐに入ってきたので、絡めて応じてやると、あちらもムキになったように絡めて来た。
舐め合って絡まり合う唾液が、くちゅ、ちゅく、と言う音を立てている。
クラウドの手がシャツの上からレオンの胸を弄り、膝が足を割って、体が割り込む。
それをレオンは止める事なく、応じる形で足を開きながら、クラウドの好きなようにさせてやった。
肩を捕まれ、ベッドシーツの上へと倒される。
上に伸し掛かって来る重みを感じながら、レオンはクラウドの口付けに応えていた。
「ん…ふ…、っは……、」
「……おい、レオン」
「……なんだ」
口付けが離れて、酸素を取り込む為に呼吸している所に名を呼ばれ、レオンの蒼が碧眼を見る。
クラウドはそれをじっと見つめ返し、
「貰って良いんだな」
「どちらでも」
「じゃあ貰う」
確かめるように念押しするクラウドに、意地の悪い言い方をすると、クラウドは開き直った。
顎を捉えられて口付けされ、絡め取った舌を連れ出され、音を立てて啜られる。
シャツが捲り上げられて腰が撫でられ、クラウドの膝がぐりぐりとレオンの股間を押して刺激していた。
性急な事だと思いつつ、そう言えばこの三日間は一度もしていなかった、と思い出す。
レオンの方から彼を誘うのは殆どない事だから、クラウドが促して来なければ、二人がセックスをする事はない。
そんなに疲れていたのか、と思うと同時に、それなら大分溜まっていそうだな、と思う。
ちらりと伸し掛かる男の貌を見れば、いつも無気力気味な瞳に、ぎらぎらとした熱が宿っている。
普段からその顔で仕事をしてくれれば良いのに、と何度思ったか知れない。
ついでに、この分だと、明日の朝は起きられなくなりそうだな、とも思ったが、
(……まあ、良いか)
今日はクラウドの誕生日だから、彼の希望に応えてやろうと思った。
そう考えた時点で、明日の予定などご破算になったも同然なのだ。
腕を伸ばして頬に触れると、少し驚いた瞳に自分の貌が映る。
自分はそんなに普段から素っ気ないだろうか、と思ったが、進んで接触しないのも確かである。
今日だけは此方から触れてやろう、と決めて、レオンは降りて来た唇に己のそれを押し当てた。
クラウド誕生日おめでとう!と言う事で甘やかしつつのいちゃいちゃ。
目に見えて甘やかすのはこんな時位だけど、普段も割と甘やかしている節はある。
誕生日が近いから、とスコールは前置きをした。
顔が赤くなっていて、ここから先を聞くのは勿論、話題を出す事にさえ、きっと抵抗があったのだろう。
らしくもない事をしている、必要ないと言われたらどうしよう、そもそもこんな話を聞く事自体が迷惑なのかも知れない────そんな事を何度も考えていたのではないだろうか。
自分の誕生日と言うものに、クラウドは大して興味がない。
友人知人が誕生日だと聞けば、何かプレゼントでも、用意する時間がないならせめて言葉を、と思うが、それらが自分に向けられなかったからと言って、気にする性格でもなかった。
幼い頃はもっと普通に、御馳走やケーキ、母からのプレゼントにはしゃいでいたように思うが、流石にそんな無邪気な年齢は過ぎている。
誕生日だから仕事が休みになるとか、そんなプレゼントでもあれば嬉しいんだが、と思ってしまう辺りに、自分が大人になってしまった虚しさを感じた。
とは言え、愛しい恋人からに祝われるのは、嬉しい。
しかし、何が欲しいか、と聞かれてしまうと少々困った。
物欲は割とある方なので、欲しい物は挙げて行けば案外色々と出てくるとは思うのだが、それは誕生日だからと恋人に強請る程のものだろうか。
ゲームは完全に自分の趣味だから、自分の金で買いたいし、一緒に遊べるようなゲームならともかく、自分だけで楽しむようなものを、欲しいからという理由で恋人に頼む気にはなれなかった。
バイクのカスタマイズにかかる費用は馬鹿にならないが、それだって恋人に出して貰うのはどうかと思う。
第一、クラウドの恋人は、年下の学生なのだ。
家庭の事情で中々アルバイトも出来ないそうだから、金のかかるものは論外だ、とクラウドは思った。
週に二回、彼はクラウドの家に来て食事を作って行くので、其処に好きなものをちょっと多めに頼む、と言うのも出来るが、それは日々の生活の中で、割と甘やかして貰っている。
そう思うと、どうせなんだからもっと別の、と思うのだ。
しばし熟考していたクラウドに、恋人はそわそわと落ち着きなさそうにしていた。
返事に迷う時間が長い程、きっと彼を不安にさせてしまうのだろう。
さてどうしよう、と自分の気持ちと恋人の気遣いに挟まれつつ考えた末に、クラウドは思い切って言った。
「お前が欲しいな」
それは時間を指している事でもあったし、彼自身を指している事でもあった。
頬に触れて、上がる体温を感じさせてやれば、少し鈍感な所のある彼でも、流石に判ったらしい。
ぽかんとした後に真っ赤になるのを見て、クラウドは可愛い奴だな、と思った。
クラウドのその言葉は、半分本気で、半分冗談だ。
いや、もっと正確に言えば、七割から八割が本気で、残った分が冗談だった。
それは初心な所が抜けない、恥ずかしがり屋な恋人へ、ふざけるなと怒って逃げる事も出来るように、と言う気持ちからだ。
だが“誕生日なんだから”と言う甘えと欲がある事も否定はしない。
無理強いはしたくなかったから、恋人に選んで貰おう。
真っ赤な顔で怒ったら、冗談だと言って、その日一日のデートを予約させて貰おう────と思っていた所で、
「………わか、った……」
と、耳まで首まで赤くなって頷いた少年に、クラウドは驚きに上がりそうになる声を抑えつつ、にやける顔を片手で覆って隠したのだった。
誕生日の当日は、結局の所、彼の時間そのものも貰える事になった。
学生である彼は夏休みとあって休みになっているし、クラウドは仕事が入っていたのだが、ザックスが変わってくれた。
どうせ約束があるんだろ、と言って背中を叩く友人の察しの良さにはいつも感服する。
明後日の仕事には彼もいつも通りに出勤になっている筈だから、何か礼をしなくてはなるまい。
と言えば、そんなの要らねえよ、とザックスは言うのだろうけれど、これはクラウドの気持ちなのだ。
友人への感謝の形は明日にでも考えるとして、クラウドは誕生日を満喫した。
恋人はクラウドの行きたい所に行こう、と言ってくれたので、先ずはゲームセンターだ。
夏休みのゲームセンターは人が多くて煩いので、平時ならあまり寄り付かないのだが、学生の恋人と一緒に健全に遊べる所と思えばうってつけだろう。
先ずはクラウドがよく遊ぶビデオゲームをプレイし、次に恋人と一緒にカードゲームをして(こてんぱんにされたが、彼が楽しそうな顔をしていたので満足している)、プライズゲームをした。
UFOキャッチャーでシルバーアクセサリーが獲れたので、彼にあげると、あんたが獲ったものなのに、と遠慮されたが、そのアクセサリーに惹かれていたのをクラウドは知っている。
クラウドが、俺は獲れれば満足なんだ、と言って押し付けるように渡すと、恋人は少し視線を彷徨わせた後、じゃあ貰っとく……と言ってそれを鞄の中へ入れた。
序に浮かれた気分でプリクラも撮ってみた。
恋人は基本的に写真嫌いだが、今日はクラウドの誕生日だから、クラウドの希望を聞くと決めて来たらしい。
露骨にハートマークが散りばめられたバックスクリーンを選んだ時には、真っ赤になって怒ったが、結局譲ってくれたから、優しいなと思う。
ファーストフードで昼を食べ、午後は映画館に行った。
気になる作品がある訳でもなかったが、暑いばかりの外を歩き回るよりも、その方が良いと思ったのだ。
丁度良く上映五分前だった作品のチケットを買って、シアタールームに入ると、程無くして二人揃って寝てしまった。
そんなにゲームセンターではしゃいだだろうか。
クラウドが目が覚めた時には、物語はクライマックスシーンに入っていたのだが、前提の流れが全く判らないので、主人公が誰なのかも判らなかった。
恋人が目を覚ましたのはエンドロールも終わる頃で、彼は上映の二時間でしっかり休む事が出来たらしい。
お陰で作品の話なんて揃って何も判らず仕舞いであったが、休息時間が取れたと思えば結果オーライだ。
クラウドが目を覚ましてから、自分に寄り掛かって眠る恋人の寝顔を眺めていた事は、秘密にしよう。
夕暮れがビルの向こうへと沈んで行く頃に、帰路へ着いた。
その途中で近所のスーパーに立ち寄って、夕飯の材料を買う。
何が食べたい、と聞かれたので、シチューが食べたいな、と言うと恋人は手際よく材料を揃えて行った。
買い物袋を片手に歩く道の途中で、手を繋ぎたい、と言うと、恋人は夕日に負けない程に真っ赤になった。
少しの間だけで良いから、と言うと、目を逸らしたままで手を差し出してくれたので、握った。
それから彼は家に着くまで一言も口を利いてくれなかったのだが、少しの間だけと言う話で握った手は、最後まで離れる事はなかった。
彼が作ってくれるシチューはとても美味しい。
実家の母が作ってくれるシチューも美味しいが、それとはまた別の味で、クラウドの胃袋を捉えて離さない。
相変わらず多めに作って貰って、半分は冷蔵庫へ、もう半分は冷凍庫で長期保存に。
これで当分美味いシチューが楽しめる、と言うクラウドに、彼は夏だから気を付けろと釘を刺した。
食事が終わったら風呂だ。
一日の汗をしっかり流して、風呂上りに髪を乾かしながら、少し念入りに歯を磨く。
入れ替わりに風呂に入る恋人と擦れ違った時、彼はクラウドと目を合わせなかった。
少し強張った肩を見て、緊張させている事に気付いて少し可哀想な事をしたかな、と思ったものの、やはり募る期待は否めない。
そわそわとした気持ちで、彼の入浴が終わるのを待った。
予想していた通り、彼の入浴時間は長かった。
出た後の事を想像してしまって、出るに出られなかったのだろうと思う。
そんな恋人に、早く戻ってきて欲しいと思いつつ、急かすのもまた辛いだろうと、クラウドは待ち続けた。
そのまま長いようで短い時間が過ぎて行き、ぼんやりと眺めていた雑誌を閉じた時、
「……クラウド」
呼ぶ声に顔を上げると、寝室の戸口の所で、立ち尽くしている恋人───スコールがいた。
風呂上りのほんのりと火照った体に、大きめの真っ白なシャツの白が眩しい。
肩幅の合わないシャツはクラウドが貸したもので、スコールには少し身幅サイズが大きい───のだが、裾は少し足りないのが、こっそりと悔しい。
が、すらりと伸びる長い脚の、シャツの裾からちらちらと覗く太腿は刺激的だった。
黒のボクサーパンツは履いているので、局部が見える事はないが、それでも其処が“どう”なっているかは察してしまう位には膨らんでいる。
スコールは戸口に立ったまま、なんとも言えない表情で、視線を彷徨わせている。
なんとか此処まで戻ってきたは良いものの、あと数メートルが彼には辛いのだ。
うぅ、と唸る声が微かに漏れるのを聞きながら、クラウドは彼の名前を呼んだ。
「スコール」
「……」
急かしたつもりでもなかったが、スコールにはそう聞こえたかも知れない。
が、踏み出す一歩を作る理由付けにはなったようで、スコールはのろのろとした足取りでクラウドの下へ向かう。
ぎしり、とベッドの軋む音がして、スコールがベッドに乗った。
四つん這いで近付いて来るスコールは、ちらちらとクラウドのいる方を見てはいるものの、顔は見れていない。
それでもなんとか目の前まで来ると、シーツを握っていた手が解け、そっとクラウドの膝に触れる。
其処で体重を支えながら、スコールは体を伸ばして、クラウドの唇にキスをした。
「……ん……」
躊躇い勝ちなキスは、最初はほんの少し触れただけだった。
離れてから一拍置いて、スコールの薄く開いた瞳に碧眼が映る。
スコールの眉根が寄せられて、クラウドは言わんとしている事を感じ取り、大人しく瞼を下ろした。
「……ふ…ん……っ」
もう一度唇が重ねられ、今度はしっかりと触れ合う。
スコールの手がクラウドの肩へと移動して、体重を寄り掛からせるように重みが乗った。
クラウドもスコールの腰に腕を回し、膝の上へと座るように促す。
スコールは少し緊張したぎこちない動きで、クラウドの膝上へと腰を下ろした。
スコールの手がまたするりと滑って、クラウドの頬を包み込む。
口付ける角度が変わったのが判って、クラウドが薄く唇を開けると、熱を持った舌が入ってきた。
絡め取って撫でてやれば、ひくんっ、とスコールの肩が跳ねる。
「ん、ん…っは……」
「スコール」
「…は……んぅ……っ」
名を呼ぶ声に操られるように、スコールはまたクラウドにキスをした。
今度はクラウドの方から、スコールへと侵入する。
ビクンッ、とスコールの体が弾むが、彼は逃げる事はせず、顔を赤らめながらクラウドの首に腕を回す。
ちゅく、ちゅく、と言う音を立てながらスコールの咥内を堪能しつつ、クラウドは細い体を抱いてベッドへと倒れた。
スコールの体をベッドと自分の体で挟む形で縫い留めて、クラウドはスコールの唇を思う存分味わった。
息苦しさにスコールがいやいやと首を振ると、呼吸の時間を与えてから、また塞ぐ。
はふ、は…っ、と籠った呼吸が互いの中で混じり合うのを感じながら、クラウドはスコールのシャツの中へと手を入れる。
「っ……!」
シャツ一枚しか来ていないから、侵入は簡単だ。
するりするりと肌を撫でながら、シャツをたくし上げて行く。
「ん…っ、んぅ……っ」
やだ、と抗議するようにスコールの声が漏れる。
しかし、彼の体は大人しいもので、悪戯をするクラウドの体を止める事もしない。
それが言葉以上のスコールの答えだとクラウドは知っているし、そもそも、今日は“そう言う事”をするのも含めて、スコールは自分の時間をクラウドに渡してくれたのだ。
此処で止めるのは、あの時頷いてくれたスコールの精一杯の勇気を無駄にする事になる。
とは言え、強引に進めればスコールを怖がらせてしまう事も判っている。
クラウドはたっぷりと堪能した唇を離し、胸を撫でていた手も止めた。
スコールはくったりとベッドに沈み、はっ…はっ…と酸素を取り込みながら、ぼんやりとした瞳を彷徨わせ、
「……は……、クラ、ウ、ド……」
少しだけ意識を取り戻して、蒼の瞳が恋人を見る。
おずおずと伸ばされた白い手が、クラウドの頬を撫でて、濡れた唇に指が振れた。
「……もっと……」
その言葉を口にするだけで、きっとスコールには堪らない程に恥ずかしかったのだろう。
呟いてからスコールはまた赤くなって、目を逸らす。
クラウドはそんな恋人に笑みを零しながら、耳元にキスをした。
クラウド誕生日おめでとう!と言う事でいちゃいちゃ。
恥ずかしいけど頑張ってスコールの方から積極的に動いたりするんだと思います。
子供の頃、ほんの数か月の間だけ、同じ時間を過ごした子供がいる。
近所の幼馴染達を含めて、子供にとっては短くない時間を共有したその子供は、夏の終わりと共に何処か遠くへ行ってしまった。
子供の親は転勤が多く、あっちへこっちへとしょっちゅう引っ越しを繰り返し、その時も同じ理由で次の街へと行ったのだ。
今思えば仕方のない事ではあったが、当時のサイファーにはそれが酷く許せなかった。
幼稚園の年長クラスに上がり、転園してきたその子供を、サイファーは何かにつけて構っていた。
人見知りが激しいらしいその子供を、強引に遊びに誘った事や、苦手だと言うボール遊びをサイファーが押し切ってしまった為に、何度か泣かせた事もある。
けれど記憶はそればかりではなく、他の子供に苛められたその子供を庇ったり、一緒に折り紙を折ったりと、そんな思い出もあった。
夏休みに入ると、近所の家族同士で集まり、キャンプにも出掛けており、件の子供の家族も加わっていた。
お喋りな父親は子供達に大人気で、よく笑う母親が作るお菓子も大人気であったが、それよりもサイファーは、彼らの子供が気に入っていた。
何かと潤んでばかりの蒼の宝石が、真っ直ぐ自分を見て笑うと、きらきら綺麗に光るのが好きだった。
小さな子供の一日は、一生と同じ価値がある。
後で思えば、ほんの数か月しかない思い出でも、小さな子供にとってはそれらは一生分の思い出だ。
そしてこれからも、目の前にいる人とは、一緒にいられるのが当たり前だと信じて疑わない。
だからサイファーは、何度もその子供に言っていた。
俺達はずっと一緒だからな、と。
子供もそんなサイファーの言葉に頷いて、うん、と笑ってくれていた。
だから許せなかったのだ。
夏休みが終わって、また幼稚園に行くようになって、毎日あの子と遊べると思ったら、もうその子供は何処にもいなかった。
おうちの都合でお引越ししました、と幼稚園の先生から言われて、なんで、と声を上げた。
なんでと理由を聞かれても、先生がそれ以上の事を言える筈もなく、仕方がないのよ、としか言えなかった。
それで益々サイファーが癇癪を起こしたものだから、朝の会は滅茶苦茶になって、サイファーはその日一日、幼稚園の授業をボイコットした。
帰りに迎えに来た母イデアが、先生から事情を聞いて、仲良くなれたのにね、寂しかったのね、とサイファーを宥めたが、寂しかったんじゃない、怒ってるんだとサイファーは言った。
ずっと一緒だと約束したのに、向こうも「うん」と言ったのに、約束を破られたのが腹が立った。
腹が立って、悲しかった。
けれど悲しいと認めるのは悔しかったから、怒ってるんだ、とサイファーは繰り返した。
それが、十年以上も昔の話。
「……考えてみりゃ、あの頃から始まってたんだよな」
ぽつりと呟いたサイファーの声を聞いて、スコールが呼んでいた雑誌から顔を上げた。
きょとんとした蒼と、じっと見つめる翠がぶつかって、その眼力に気圧されたように、スコールが僅かに体を退く。
見られる事を基本的に嫌うスコールにとって、穴が開きそうな程に見詰められるのは、落ち着かないものである。
こっそりとガードするように、雑誌で視線のビームを遮断しようとするスコールだったが、それよりも先にサイファーが動いた。
スコールが家に来ている時、サイファーはベッドの上を定位置にしている。
対してスコールは、ベッドの端に寄り掛かって背中を預け、持ち込んだ本や、本棚を勝手に物色して見付けたものを読んでいるのがお決まりだった。
その殆どないも同然の距離を更に詰めて、サイファーはスコールの腕を掴む。
逃げを封じたスコールに、ずいっと顔を近付けて、サイファーは昔と変わらない蒼の宝石をまじまじと覗き込んだ。
「ちょ……おい、サイファー」
「何だよ」
「近い。離れろ」
「嫌だね」
あまりの近さに顔を顰めるスコールだったが、サイファーは気にしなかった。
掴んだ手首が逃げを打って捻られるが、すっかりサイファーの手に包み掴まれた手首はビクともしない。
決して華奢なばかりではないスコールだが、やはり全体的に恵まれた体格をしたサイファーに比べると、純粋な腕力では敵わないのだ。
くそ、と毒を吐いて、スコールはもう片方の手を使って、サイファーの手を引き剥がしにかかった。
目一杯の力を込めてサイファーの指を一本一本剥がしていくスコールに、可愛げはなくなったな、と思う。
記憶の中に残る小さな子供は、腕を掴むとビクッと震えたが、後は大人しくサイファーの後をついて来た。
あの子供は何事にも消極的で弱気だったから、サイファーの手を引っぺがすなんて、とても出来たものではなかったのだろう。
なんとしても手を解こうとしているスコール。
サイファーはじゃあその通りにしてやろう、とぱっと掴んでいた手首を開放してやった。
途端になくなった付加に、「あ、」と虚を突かれたような声を漏らして、スコールはぱちりと瞬きを一つして、
「……何だったんだよ」
「いや。ちょっと昔を思い出しただけだ」
「昔?」
「お前が少しだけこの町にいた時の」
「……何年前の話だ」
「12年か?」
「いつまで覚えてるんだ、そんな事」
「お前だって忘れてねえ癖に」
「………」
サイファーの言葉に、スコールは拗ねたように唇を尖らせる。
幼い頃、スコールは父の転勤の都合でこの町に来て、半年もしない内にいなくなった。
あの時のスコールは、今と違って気が弱く泣き虫で、度々幼稚園の子供に苛められては泣いていた。
やり返す、言い返すなど出来る筈もなく、いつもサイファーが割って入るまで泣いているばかりで、サイファーはそんなスコールを見て苛々する事も少なくなかった。
しかし、今のスコールにはそんな面影は微塵もなく、寧ろ負けず嫌いでサイファーにも堂々とやり返してくる。
もう一度この町に引っ越してきたスコールと再会した時には、あの泣き虫なスコールと同一人物とは到底思えなかった程だ。
無駄に強くなったもんだな、とサイファーは思う事もあるが、別にそんな彼が嫌いな訳ではない。
そうでなければ、今現在、彼と恋人と言う関係には落ち着いていまい。
───それはそれとして、サイファーはスコールの変化は、驚きを含めつつもひっくるめて良い思い出と思っているのだが、泣いていた当の本人には、触れられたくない過去らしい。
幼少の頃の思い出話になる度に、スコールは苦い顔で口を噤むので、サイファーは此処ぞとばかりに突いてやる。
「可愛かったぜ、あの頃のお前。何かあっちゃ直ぐに泣くから、腹も立ったけどよ」
「……泣いてない」
「お姉ちゃんお姉ちゃんって、直ぐにエルを呼んでただろ。その後はお父さんお母さん、だ」
「止めろ」
「で、それからが俺だ。泣いてる所に声かけたら、さいふぁ~ってよ」
「このっ!」
スコールは顔を真っ赤にして、掴んだ枕でサイファーの顔面を叩く。
ばふっ、ばふっ、と柔らかい感触が何度もサイファーを襲ったが、当然、痛くも何ともない。
「ピーピー泣いてて可愛かったんだぜ、お前」
「知らない!俺じゃない!」
「お前だ、お前。俺がお前との思い出を忘れる訳ねえだろ」
「忘れろ!」
「嫌だね」
声を荒げて何度も枕で叩いて来るスコールに、サイファーはきっぱりと言ってやった。
誰が忘れてなんてやるものか、と。
そもそも、忘れろと言って忘れられる記憶なら、再開した時にこの少年があの子供である等と、気付く筈もないのだから。
ぎりぎりと枕を破らんばかりの力で掴んでいるスコールを、サイファーは捕まえてベッドへと引き倒した。
頭に血が上っていた所為で、サイファーからの反撃に無防備だったスコールは、「うわっ」と声を上げながらベッドに倒れ込む。
俯せでシーツに埋もれているスコールの隣に寝転んで、サイファーは笑みを浮かべて睨む蒼を見返す。
「忘れろなんて寂しい事言うなよ。俺の初恋の思い出だぜ?」
「……人を散々泣かしていた癖に、よくそんな台詞が言えるな」
沸点を通り越して一気に頭が冷えたのか、何度も自分の話じゃない、と言った事を、スコールは自ら口にした。
確かに幼いスコールはよく泣いた。
が、その原因にはサイファーも少なからず絡んでいる───と言うより、サイファーが原因であった場面も多かった。
初恋の相手を泣かせたのも思い出なのか、と棘を含んだスコールの言葉に、サイファーは目を逸らしつつ、
「そりゃ、あれだ。純情不器用な子供のやる事だから、仕方ねえだろ」
「仕方ないで俺は何度も泣かされたのか」
「悪かった。悪かったよ。その辺は俺も重々反省してる」
子供の頃に何度もスコールを泣かせた件は、成長してからしっかりとサイファーにしっぺ返しを食らわせた。
10年も経って初恋の相手と再会したと言うのは、運命のようなものをサイファーに想起させた。
しかし、二人の間柄が近付いたのは、そう簡単な話ではなかった。
幼い頃から自覚なくスコールに特別な感情を抱いていたサイファーだが、当の相手はと言うと、泣かされていた記憶が相当色濃く残っていたようで、再会してからも長い間、サイファーとはまともな会話もしなかったのだ。
スコールの義姉であるエルオーネが間に入り、彼女から見た幼いサイファーの様子などを聞いて、ようやく自分に対して悪意がなかった事を理解してくれなければ、今でもサイファーの初恋は片思いのままだったに違いない。
「……だから、その件は反省してるからよ。昔の事、あんまり悪く言うなよ」
スコールにとっては嫌な思い出も多いだろうが、サイファーにとってはそれも大事な記憶なのだ。
そんな気持ちで呟けば、スコールの蒼の瞳がゆらりと揺れて、シーツへと埋められ、
「……別に…、」
「ん?」
「………」
シーツに埋もれて籠る声に、サイファーは耳を澄ませた。
スコールはもぞもぞと身動ぎして丸くなりながら、ぼそぼそと呟く。
「…別に、そんな───そんなに……悪くなんて、思っては、ない。多分」
「そうか?」
「……あんたの出す話題が悪いだけだ」
「あー……へいへい。そりゃこれから気ィ付けるよ」
スコールが話題にしたくないのは、自分が泣き虫だった、と言う話だろう。
幼馴染だった子供達の中では、それが一番強い印象として残っているのだが───だから余計に、スコールはその話題を嫌うのか。
それなら、どんな話ならスコールは喜ぶのだろう、とサイファーは考える。
一緒に折り紙を折った事か、二人で初めてのお使いに行った事か。
夏のキャンプで、スコールの父に連れられて行った、満点の星空を見た記憶か。
と、サイファーから振る話題は幾らでも尽きないのだが、ふと気になった事を尋ねてみる。
「おい、スコール。お前、俺達と過ごしてた頃の事、どの位覚えてるんだ?」
「どの位って────」
サイファーの問に、スコールは顔を上げて答えようとして、止まった。
ブルーグレイの瞳が右へ左へと動いて、記憶の回路を繋げている。
さてどんな話が出てくるか、とサイファーは楽しみにしていたのだが、
「………教えない」
「は?おい、スコール」
「………」
「こら、無視すんな。スコール!」
肩を揺さぶって答えを催促するスコールだが、スコールは貝のように黙ったまま動かない。
やや乱暴に体を揺らしても、スコールは頑なに口を噤んでいた。
(どの位、なんて言える訳ない。だって何も忘れてない。だって、俺だって────)
あの頃から始まっていたから、なんて、絶対に言わない。
『サイスコで甘い感じで初恋っぽいもの』とリクエストを頂きました。
好きな子をいじめてしまうタイプだったサイファー。そのまま初恋を引き摺って10年ちょっとの図。
それを聞いてスコールはちょっと引いてるけど、自分も実は引き摺っていたりする。
そんなサイスコになりました。
駅に近いと言う好立地にあるにも関わらず、その喫茶店の客足は余り多くはない。
しかし駅前が今のように発展する以前からあると言うその店は、昔からの常連客が多く、マスター兼オーナーが二代目へと変わった今でも、変わらぬ味を守って続いている。
セフィロスは店の味が歴史が云々と言う話は然したる興味はなかったが、アンティーク調の趣のある内装と、賑々しい客がいない所が好印象だった。
ほんの偶然で見つけた店だが、週に一度は此処でコーヒーを飲む時間を作る位には、お気に入りの店になっている。
今日も店の片隅で、セフィロスはコーヒーを傾けていた。
読みかけの本をゆっくりと捲りながら、年季の入ったレコードプレーヤーから流れる音楽を聞き流すのが、セフィロスの過ごし方だ。
コーヒー一杯につきもう一杯が半額になるので、大抵、二杯飲み終わった所で店を出る。
時々ランチを頼む事もあるが、来店した回数で考えると、少ない方だろう。
今日はランチを食べる予定があったが、まだテーブルの上にはコーヒーのみで、まだそれ以外の注文もしていない。
時折腕時計を見遣りながら、また本のページを捲る。
予定した昼食のタイミングからは少々遅れているが、ランチタイムはまだ余裕がある。
気にせずとも良いだろう────とコーヒーに手を伸ばした所で、カランカラン、と扉の鳴る音が聞こえた。
「いらっしゃいませ。お一人で?」
「いえ、その……連れが先に来ていると思うんですが」
「それでしたら、此方です」
微かに聞こえた会話の後、近付いて来る気配を感じて、セフィロスは顔を上げる。
他の客との目隠しの役目もあるパーテーションの向こうから、濃茶色の髪の青年が現れた。
服装は見慣れたビジネススーツではなく、薄手の黒カーディガンを羽織り、シンプルな装いにまとまっている。
暑い中を急いで来たのだろう、日焼けした頬が赤くなり、汗が滲んでいるのを見て、セフィロスはゆるく口角を上げた。
「来たか」
「すまない、遅くなった」
「構わんさ。別に仕事の話をする訳でもないのだし」
青年───レオンがセフィロスとテーブルを挟んで向かい合って座る。
店員や冷水を持ってきて、ご注文は、と尋ねたが、この店が初めてのレオンには何のメニューがあるのかすらも判らない。
ええと、と迷うレオンを見て、決まりましたらお呼び下さい、と言って下がって行った。
連日の高温注意報に当てられた体を、レオンは水で冷やしていく。
グラスの中身を半分程飲んで、ふう、と安堵の息が漏れた。
「…本当に、すまない。店の場所は聞いていたのに、見落としていて…」
「いや、仕方がない。入口は小さいし、看板も大きなものは出していないからな。此処は目立たないんだ」
この店は狭いビルの二階にあり、一階は貸事務所になっている。
貸事務所の方はそこそこの看板が掲げられる門構えになっているのだが、二階へ上る階段は非常に狭く、見栄えのする看板を出すにも広さが足りない。
置き看板は、この地区の条例で道に食みだす事を禁止されている為、置く事が出来なかった。
そんな訳で、店の看板は名前だけを記したシンプルなものしかなく、知らなければ見落としてしまうか、喫茶店の看板とは思わないのではないだろうか。
正直な話、そんな店を待ち合わせに指定するのは適していない、とは思う。
相手がこの店を知っているならともかく、この近辺にそう言う店がある、とすら知らないのなら、駅の改札口を待ち合わせ場所にした方が堅実だ。
セフィロスも初めはそのつもりで考えていたのだが、レオンが「住所があれば判る」と言うので、連日の高温注意報や、レオンもセフィロスも人混みが得意ではない事もあって、待ち合わせ場所にと指したのだ。
そうしてレオンは待ち合わせ時刻に遅刻してしまったのだが、到着して直ぐに休める場所で腰を落ち着けられたと思えば結果オーライだろう。
レオンはきょろきょろと辺りを見回して、初めて訪れた店を観察している。
セフィロスはそんなレオンの幼げな表情に、子供のようだな、と思いつつメニュー表を取る。
「一先ず、食事にするか。サンドイッチが美味いんだ」
「じゃあ頼んでみよう。コーヒー、は……流石に種類が多いな…」
「好みのものがあるか?」
「…好み、と言うか、よく判らない。飲む事は飲むけど、拘りがある訳でもないし……あんたと同じのにする」
レオンの言葉に、判った、と頷いて、セフィロスは店員を呼んだ。
種類の違うサンドイッチを一つとパスタを一つ、レオンのコーヒーを注文し、セフィロス自身は二杯目を頼む。
愛想の良い若い店員が注文を繰り返して確認した後、少々お待ちください、と言って店の奥へと消えた。
とす、とレオンが椅子の背もたれに寄り掛かった。
蒼の瞳が窓の向こうに見える都会の景色へと向けられている。
悩んでいるようにも見える瞳に、セフィロスは敢えて声をかける。
「行きたい場所は決まったか」
「……いや……」
セフィロスの問に、レオンの反応は鈍かった。
心なしか言い辛そうに口元を手で隠して、もごもごとしどろもどろになっている。
「……昨日の内に色々考えてはみたいんだが、その、何も思い付かなくて」
「お前が気になる所で良いと言っただろう」
「だからそれが浮かばないんだ。気になると言ったら、仕事の関係になるような事ばかりだし、それじゃ意味がない気がするし」
「確かに、そう言う場所とは違う所に行った方が、面白味はあるだろうな」
その言葉に、やっぱりそうだよな、とレオンは呟く。
喉の奥で唸る音を漏らし、眉根を寄せるレオンを見て、本当に趣味の少ない男だな、とセフィロスは思った。
セフィロスとレオンは、同じ会社で働く同期であり、少し前から恋人と言う関係を始めていた。
何かと真面目過ぎるきらいのあるレオンに、適度に肩の力を抜けとセフィロスが教えている内に、付き合いが徐々に深くなり、今に至っている。
その為、決して長い付き合いではないのだが、レオンが極端に仕事人間であると言う事を、セフィロスはよく知っていた。
それは仕事に置いては決して悪い事ばかりではないが、レオンの悪い所は、仕事とプライベートが上手く切り離せないと言う事だ。
お陰でレオンの有給は溜まっているし、休日でも家で仕事をしてしまう(それも急ぎではない物を)ので、見兼ねたセフィロスが強引に外に連れ出す事にした。
そして出掛けるついでに、レオンが行きたい所でも行こうと言って、その場所をピックアップするように言っていたのだが、
「観光地になっているような所は、人が多そうだし」
「世間一般は夏休みらしいからな。あちこちでイベントもしているようだから、観光目当てでない一般客も多いだろう」
「買い物なんかは、別に……欲しい物もないし」
「見れば気になるものがあるかも知れんぞ」
「…そもそも、何の店が何処にあるのかもよく知らないんだ。普段、そう言うものを探す事も少ないし」
レオンは社会人になって、今の会社に就職してから、この街に引っ越してきた。
移り住んでからまだ五年と経っていないらしいので、知らない事が多いのも無理はないだろう。
朝出社して、日中は会社で仕事をし、帰宅するのも遅いとあっては、外を散策する機会も少ない。
機会があっても、率先して外に出る性質ではないようなので、散策範囲はそれ程広くもなるまい。
だが、同じ環境下にいても、後輩のクラウドは中々にアクティブだ。
彼もどちらかと言えばインドア気質のようだが、友人に誘われれば飲みに行くし、自分の趣味に使うものを探して何処までも足を運ぶ。
セフィロスは時々、あれの積極性がレオンにもあった方が良い、と言っている。
昨日一日を悩み倒したのだろうレオンに、そう言う所で力を抜けば良いものを、とセフィロスは思う。
考えて置けと言ったのは確かだが、決まらないなら決まらないと、きっぱり言えば良いのだ。
決まらなかった事を悪い事のように思うから、真面目が過ぎると言われるのだから。
「決まらなかったのなら仕方ない。適当に何処か行くか」
「何処かって、何処に行くんだ?」
「それはこれから考える」
予定の不透明さを大して気にする事もなく、セフィロスは言い切った。
レオンはぱちりと目を丸くした後、くすり、と口元を緩める。
「……あんたって時々急にいい加減になるよな」
「ああ」
悪びれた様子もなく肯定するセフィロスに、ふふ、とレオンが笑った。
サンドイッチこコーヒーがテーブルへと届けられ、遅めの昼食にありつく。
余り肉を食べないレオンのサンドイッチは、野菜と卵とハムが挟んである。
具を零さないように気を付けながら齧り付いて、口端についたパンくずを指で拭きつつ、舌鼓を打った。
美味い、と呟くレオンに満足しつつ、セフィロスもパスタをフォークに巻いていく。
「───今日の予定だが。決まっていないなら、一先ず駅ビルにでも行くか」
「……ん。すまない」
「別に謝る必要はないだろう。俺も特に何も決めていなかった訳だしな」
レオンが行先を決められない、思い付かない事は、十分予想できた事だった。
それを考慮して、セフィロスが行先を決めていても良かったのだろうが、セフィロスはそれをしなかった。
仕事でもないのに、先の予定を細かく決める必要もないと思ったし、ふらふらと気の向くままに歩くのも嫌いではない。
ただ、今日も今日とて暑いので、余り外を出歩きたくないと言うのは二人の共通の気持ちだろう。
「駅ビルか……そう言えば、行った事がないような。何があるんだ?」
「さあ」
「…知らないのか?」
提案してきたからてっきり、と言うレオンに、セフィロスは首を横に振る。
「ザックス達がよく行っているとは聞くんだがな。何があるのかは知らん」
「……行った事があるんじゃないのか」
「一度もない。いや、仕事で行った事はあるか。顧客の接待のようなものだったから、食事をした程度で、後はない」
レオンをワーカーホリックと言うが、セフィロスも休日の使い方がある訳ではない。
レオンのように仕事を持ち帰る事はしないものの、休みの日だからと、特別な事をする気はないし、街を散策すると言う程歩き回る事もない。
情報を集めるのなら今時はインターネットがあれば十分で、必要な物は通信販売で取り寄せられる。
一日一時間は陽に当たるのが健康な人間だ、と宣う文句もあるが、セフィロスにはどうでも良かった。
日がな一日、自宅で誰に逢う事も、話をする事もなく、本を読んで過ごすだけで、セフィロスは十分充実している。
そんなセフィロスなので、レオンに出不精の件で小言を刺せる程、外の世界に興味を持っている訳ではないのだ。
それを思うと、わざわざ二人で外に出掛ける必要もなかったな、と今更になって思う。
レオンを仕事から引き離し、休みらしい休みを過ごさせる、と言う目的はあるにはあったが、それを果たすなら自分の家にでも呼べば良い。
が、それをすると、きっと別の意味でレオンを休ませてやる事は出来なくなるだろう。
(……まあ。偶には、こう言うのも良いか)
一人頭の中で考えて、セフィロスはそんな結論に行き付いた。
折角滅多に休みを取らない恋人と偶の休日が重なったのだから、いつもと違う一日を過ごすのも悪くはあるまい。
後は、レオンにとって、今日と言う日が少し特別なものに出来れば良い。
「取り敢えず、駅ビルに行くぞ」
「判った」
「後の事はそれからだ。仕事でもないんだから、詰めて考える必要もないだろう」
「そう言われると、そうだな。休みなんだし、のんびり出来た方がきっと良い」
そう言って、レオンは食後のコーヒーに口をつける。
美味い、と小さく呟くのが聞こえて、気に入って貰えて何よりだとセフィロスは満足げに笑みを浮かべた。
『セフィレオで現パロでほのぼの』のリクエストを頂きました。
うちのレオンは、デートとなると大体行先が決められない、浮かばないようで。
セフィロスは色々セッティングして大人なデートが出来ると思いますが、敢えて決めずにふらふらしてみるのも良いかなーと。
世間一般と微妙に感覚がズレてる二人なので、皆が行ってる所に行ってなかったりして、世間的には当たり前だけど二人にとっては初めての体験があったりしたら可愛いなと思いました。
騒がしい所は好きではない。
休日は、必要がなければ外に出掛けなくて良いと思う。
そんな自分に、詰まんなくないっスか、と友人は言うけれど、退屈を解消する手段はあるので、特に詰まらないと思った事はない。
折角の夏休みなのに、と言う者もいるが、夏休みであるからこそ、スコールは家でゆっくりしたいのだ。
けれども、ふとした時に出掛ける機会と言うものはやって来る。
今回は、ラグナが仕事先から貰った動物園の入園チケットだった。
所謂お付き合いと言うもので渡されたそれは、無理に行く必要もないのだが、大人の付き合いを思うと一応行った方が良いような気がする。
しかしラグナ一人で動物園に行っても仕方がないので、折角だからと、兄レオンも含めて家族三人で行く事になった。
夏休みの動物園なんて、とても行くものじゃない、とスコールは思っている。
特に国内でも指折りと言われている広い動物園は、平時から観光客が多い事で知られており、バカンスシーズンともなれば尚更だった。
園が売りにしている動物の檻前には、親子連れが大きな塊を作っており、スコールは近付く事さえ嫌だった。
それでなくとも、大半は屋根のないルートを延々と歩く事になるので、肌を日に焼かれながら歩くのも辛い。
完全屋内の展示棟の中で、よく判らない骨の標本を見ている方がまだマシだ、と思う(そういう物にも興味がないので、10分と経たずに飽きそうだが)。
ラグナもレオンもそんなスコールの性格をよく判っている。
日に焼ける事が辛いのはレオンも同じなので、この時期の外歩きを好まない弟の言う事も理解できた。
だから折角貰ったチケットではあるけれど、広い園内を全部見て回ろうなんて言う無理はしないで、見たいものだけを見たら帰ろう、と言う話になった。
行くのも暑くて人が多い日中を割け、陽光の強さが和らぐタイミングで、帰りに何処かの店で夕飯も済ませてしまえば良い。
そう言う訳で、のんびりと動物園入りした三人だったが、それでも暑いものは暑いのだ。
園内で移動販売していたアイスを買って熱を逃がしながら、三人は真っ直ぐにある動物の檻へと向かう。
「この暑さだからな。外に出ているかどうか」
「日影にいるかも知れないな。やっぱりこれだけ暑いと、動物も辛いもんな~」
前を歩く兄と父の会話に、出来れば外にいるのが見たい、とスコールはこっそりと思う。
しかし、人間がアイスを食べて日向を嫌っているのに、動物がわざわざこの炎天の下を好む事はあるまい。
なんでも良い、見れれば満足だ、とスコールは思い直して、看板の目印に従って順路を曲がる。
『サバンナエリア』と看板に書かれた道の先には、大型肉食動物を主に展示しているエリアがあった。
肉食獣の代表格と言った者の他にも、鮮やかな色をした大型の鳥類や、動きか機敏な小型の動物も展示されている。
スコールはそれらを横目に見ながら、エリアの中心に陣取る檻へと向かった。
(いた)
其処にいたのは、百獣の王ライオン。
一頭の雄と二頭の雌、そして今年の春に生まれた子ライオンもいるそうだが、檻に出ているのは大人のライオンだけだ。
子ライオンも徐々に展示檻に出られるように訓練されていると言うが、この暑さは幼い動物にはやはり良くないのだろう。
分厚いアクリルで囲われた檻の前に、子ライオンの訓練展示を中止する看板が出されていた。
その所為か、ライオンの檻の前には人の影が少なく、今はスコール達がいるだけだ。
夏休み前に子ライオンの訓練展示についてバラエティでニュースを流していたのを思い出す。
今の時期に動物園に来る客の殆どは、それが目当てなのかも知れないが、スコールにとってはどちらでも良かった。
スコールが見たいのは、まだあどけない顔をした子ライオンではなく、王者たる雄のライオンである。
スコールの視線は、檻内の木下でスフィンクスのように横になっているライオンに釘付けだった。
そんなスコールを挟んで、ラグナとレオンもライオンを眺める。
「あの雄は随分大きいな」
「ああ。昔はあーんなに小さかったのになー」
「……知ってるライオンなのか」
ラグナの言葉に、スコールが父を見て問う。
ラグナはうん、と頷いて、
「そりゃあ知ってるさ。昔スコールと仲良くなったライオンだもん、忘れないよ」
「……なんだ、それ」
知らない話だ、と眉根を寄せるスコール。
動物園のライオンと自分が知り合いだなんて、飼育員のアルバイトでもしていた事もないのにし、そんな不可思議な事がある訳がない。
と、スコールは思うのだが、ラグナは間違いなくスコールとあの雄ライオンは知り合いだと言う。
「ほら、子供の頃にもこの動物園には来た事があっただろ」
「………いつの話だ」
「えーと、確か……」
「スコールが小学生の時だな。俺が高校生だったから、大体十年前だ」
「そんなの覚えてない」
記憶力の良い兄の言葉に、スコールはきっぱりと言い返した。
十年前ならスコールが七歳の時の話になる。
確かに、その時に動物園か博物館か、そう言うものに行ったことがあっても可笑しくはないが、生憎幼い記憶は時間の経過と共に霞んで行った。
しかし、スコールにとっては十年前の古い記憶でも、ラグナにとってはそうではない。
「スコール、幼稚園の遠足の動物園も、熱出して行けなかったから、初めての動物園だってはしゃいでたんだぞ」
「……知らない」
「その年に丁度ライオンの赤ちゃんが生まれてさ。展示も始まる頃だったんだよ。見に行った時にも丁度出てて、スコールと遊んでたんだぞ」
「…遊んでたって……」
一瞬、自分が檻の中に入ってライオンの子供と遊んだのかと思ったが、流石にそれはないだろう。
この動物園の檻は、檻と言っても格子ではなく、厚みのあるガラスで覆われている為、ガラス越しに動物の姿をクリアに見る事が出来る。
十年前からその展示方法は採用されており、スコールが思い出せない記憶の中でも、きっと距離感は今と同じだったのだろう。
要するに、ガラス越しに幼いスコールと子ライオンが交流していた、とラグナは言っている訳だが、やはりスコールには思い出せるものがない。
眉根を寄せたままのスコールに構わず、スコールは目を細めて、木陰にいる雄ライオンを見る。
雄ライオンがゆっくりと立ち上がって水場に移動し、大きな舌で水を掬い取って飲んでいた。
一頻り飲んで満足すると、ライオンはパトロールするように、広い檻の中をゆっくりと円を描いて歩く。
その体がスコール達の前を通る度、黄金色の瞳が三人を捉え、悠然とした足取りで通り過ぎて行った。
「流石に迫力がある、と言うか。風格があるな」
「だよなぁ。な、スコール、さっき俺達の方をチラッと見ただろ。きっとお前の事覚えてるんだぜ」
「…そんな訳ないだろ」
毎日のように顔を合わせているならともかく、十年前に一度来たきりの子供を、どうして覚えていられるだろう。
スコールだってライオンの事が判らないのだから、ライオンが自分を判るとはとても思えない。
そもそも、あのライオンが、ラグナの言う十年前に見た子ライオンかも、スコールには判らないのだ。
動物園同士の様々な提携で、動物が他の園に移るのは珍しくない事なのだ。
動物園で代表的な存在とされるライオンだって、成長した後、生まれた園を離れていく固体もいるに違いない。
しかし、ラグナは此処にいる固体が、十年前に見たライオンと同一であると信じて疑わない。
スコールは懐疑的に見ているが、否定する材料がないのも確かで、好きに思っていれば良い、と思う事にした。
その隣で、レオンはうーんと唸りながらライオンを眺め、
「俺が昔見たライオンよりも、こいつは大きい気がするな」
「うん。親だった奴より大きくなってると思うぞ。お前みたいだなあ」
そう言ってラグナは、自分の目線よりも高い位置になったレオンの頭をくしゃくしゃと撫でる。
皺のある手で撫でられる感触に、レオンは困ったように眉尻を下げつつ、大人しく父の手に甘えていた。
「さてと。俺、ちょっと飲み物買って来ようと思うけど、二人はどうする?何かいるか?」
「水かお茶があれば欲しいかな」
「……炭酸」
「はいよ。ゴミも捨てに行くから、アイスの棒こっちに入れて」
ラグナはポケットからビニール袋を取り出して、息子達が持っていたアイスの棒を入れる。
自分が持っていた棒も入れて口を縛り、道の端に設置されているゴミ箱へと捨てた。
檻の前に残ったスコールとレオンは、じっと動き回るライオンを目で追っている。
ライオンは何週目かに入る所でくるりと踵を返し、スコールとレオンの前で行ったり来たりを繰り返した。
金の瞳が逸らされずにじっと向けられているのを見て、レオンがくすりと笑う。
「お前を思い出そうとしているのかもな」
「あんたまでそんな事を……」
バカバカしい、と呆れた顔をする弟に、レオンは肩を竦めた。
子供の頃のスコールは、ライオンさんと目が合った、と言って無邪気にはしゃいでいたものだった。
父の言葉で思い出してきたが、子ライオンとも確かに交流をしているようにも見えたのだ。
暑いガラス越しに、あっちへこっちへと動き回るスコールを追いかけて、子ライオンも駆け回っていたのを覚えている。
しかし、17歳になったスコールに当時の無邪気さを思い出せと言うのも、中々酷な話だろう。
この記憶は後で父と共有する事で楽しんで、今は口では呆れつつも、ライオンから目を離せない弟を眺めて楽しむとしよう。
おーい、と言う声を聞いてレオンが振り返ると、ラグナが帰ってきた所だった。
手には三本のペットボトルだけではなく、売店で買ったのだろうホットドッグが三本。
あれじゃ落としそうだ、とレオンはスコールをその場に残して、父の下へと向かう。
「父さん、それは」
「ちょっと腹が減っちゃってさ。一本位なら夕飯にも問題ないかなって」
「俺が持とう。落としちゃ大変だし」
「うん、ありがとう。スコールは────」
「あそこから動かない」
父の手を空けながら、レオンは視線で弟を指した。
レオンのその言葉通り、スコールは檻の前に立ち尽くしたまま、全く其処を動こうとしない。
レオンが帰ってきたラグナの所に行く時も、ちらと此方に目線を寄越しただけで、それも直ぐに目の前を通り過ぎるライオンに奪われていた。
陽光が随分と西へと傾いて、園内の木々から落ちる影が長く伸びているが、スコールの立っている場所には影はない。
暑いのは勿論、日に焼けるのも嫌いなスコールが、じっと日の下にいるのは珍しい事だった。
それ位に、スコールがライオンに夢中になっていると言う事だ。
「子供の頃と同じだなぁ」
ぽつりと零れた父の言葉に、レオンは目を細める。
檻の前で、まるで虜になったようにじっと動かない少年の後姿は、幼い頃の弟とそっくり重なる。
もう蒼の瞳が子供の頃のように判り易く喜ぶ様子は見られないけれど、瞳の奥がきらきらと輝いているのは変わるまい。
どんなに背が伸びても、泣き虫を卒業しても、根の純粋さは変わらないのだ。
そんな事を考えていると、ぴた、と冷たいものがレオンの頬に触れる。
ラグナが買ってきたペットボトルに浮いた結露が、レオンの日射で赤らんだ頬をひんやりと冷やしていた。
気持ち良いな、と冷気に目を細めていると、ラグナが目尻に皺を刻んで柔らかく笑う。
「お前も。大きくなったけど、やっぱり子供の頃と変わらないよ」
「……そうか?俺は、そうでもないと思うけど」
「俺にとっては変わんないよ。いつもスコールを見てくれてありがとうな、レオン」
微笑む父の言葉に、レオンの記憶がゆっくりと震える。
遠いあの日、この場所で、同じように父に褒められた。
ライオンの檻から離れたがらない弟から、片時も目を離さないように、レオンはずっとスコールの傍にいた。
ついさっき、二人で檻のまえに立っていたように、あの日も一緒に並んでライオンを眺めていたのだ。
そんなレオンに、スコールを見てくれてありがとな、とラグナは頭を撫でていた。
行こう、と父に促され、レオンは弟のいる檻へと向かう。
名前を呼ぶとスコールが振り返り、その一瞬だけ、まだ瞳の奥に夢心地の色が残っていた。
それは直ぐに引っ込んでしまうが、父もきっと気付いたに違いない。
スコールは夢中になっていた自分を隠すように、差し出されたペットボトルを仏頂面で受け取った。
一口飲んだそれに蓋をして、視線はまた透明な壁の向こうへと向けられる。
蒼と金が確かに混じり合った瞬間、少年の目が嬉しそうに和らぐのを、父と兄は見逃さなかった。
『何処かに出掛けるラグレオスコ』のリクエストを頂きました。
動物園ネタが好きです。趣味です。高校生が好きな動物に夢中になってるのが可愛い。
そんなスコールをずっと眺めてるのが楽しいレオンと、そんな兄弟を見ているのが好きなラグナでした。