サイト更新には乗らない短いSS置き場

Entry

2025年09月

[16/シド]三回、深呼吸する

お題配布サイト 【シュレーディンガーの猫】






ああ、まただ。
どうにもならない遣り切れなさと、此処まで走ったなら十分だろうと、無理やりに自分を納得させる為の思考を反復する。
体を否応なしに苛む感覚が響く度、そんなことを繰り返す。

それなりに人生経験は豊富だと自負している。
それは生きて来た流れでそうなったとも思っているし、単純に、生きた年数からそう思う所もある。
長い間剣を握って生きる者のうち、自分の年齢まで生き長らえた者は、相当な幸運持ちに違いない。
流れの傭兵をしていた時も、分不相応な立場に祀り上げられていた時も、それらを全て捨ててからも、死神はいつだって隣にいた。
雷帝の力に目覚めたとてそれは変わらず、寧ろ、その負荷によって死神がけたけたと笑う聲が酷くなったように思う。
さあお前はいつまで持つかな、とでも謡うように。

左腕が軋むようになった。
左手の感覚が鈍くなった。
左肩が上がらなくなった。
少しずつ少しずつ、確実に、この身を蝕む毒は拡がっていく。
お前の理想など叶うことはない、叶えるまでにその身は砂になって崩れるのだと、笑う死神の聲がする。

この現象は、逆転することはない。
様々な文献を紐解いて記録を漁ってみたが、治療の方法は何処にもなく、今の所、新たにそれが見付かりそうな気配もない。
腕の良い医者が仲間になってくれたから、彼女に協力を仰いで色々と研究して貰ってはいるが、何にせよ、こうした研究は一朝一夕で叶うものでもなかった。
医者故にその進行度の重要性をよくよく知っている彼女には、本当に、厭なことに付き合わせていると思うが、彼女は「私は医者だから、これは私がやるべきこと」と言ってくれる。
強い仲間がいてくれることが嬉しかった。

その傍ら、一人、また一人、静かに朽ちていく仲間を見送る。
静かな寝床で眠るように逝けた者が、一体何人いただろうか。
呻き声を仲間に聞かせたくないから、子供たちを怖がらせたくないからと、調合した()で最後の眠りに就く者を見る度に、また救えなかったと歯を噛む。
自分の意思で、自分が最後に眠る場所を選べるのだから幸福だと、そう言ってくれる仲間の言葉が、せめてもの慰めだった。

そしていつか、自分も其処へ行くのだろう。
皮膚を白むものが拡がっていくのを見る度に、その現実を目に焼き付ける。

ただ、それでもまだ、止まれないのだ。

黒の一帯の只中にひっそりと作った、隠れ家の一番奥の部屋。
商売っ気の強い仲間のお陰で手に入った、丈夫で質の良いデスクは、こんな環境でも光沢を失わない、上等な代物だ。
その天板に広げた地図は、ある一地域を広く記したものから、誰も知らない密かな地下道まで綴られている。
部屋の主が思考の為に広げたものだが、今その人物───シドはそれを見ていない。


(……くそ。まだ痛む)


右手で握り潰すように掴んだ左腕は、鈍く重い痛みを発している。
痛み止めを使えば多少は柔らぐだろうが、手持ちのものは使い切っていた。
タルヤの下に貰いに行くのは難しくないが、最近、それの消費が激しいことを知られれば、彼女にどんな顔をさせてしまうか、想像は易い。
頻度が増えていること、痛みの度合いが酷くなっていること、それを軽減する方法が殆どないこと───どれもが彼女にとっては悔しいに違いない。

そして隠れ家の長たるシドの不調が続けば、その事実は次第に隠れ家全体に広がって、此処で生活している者たちに不安を覚えさせてしまう。
この場所以外で、ヒトとして生きていくことが出来ない者たちにとって、それは換え難い恐怖になるだろう。
彼らが安心して日々を過ごせるように、シドは出来るだけ、この痛みを隠し通さねばならなかった。

懐から愛用の煙草を取り出して、口に咥える。
いつものように指先で火をつけようとして、痛む体がそれを妨害した。


「……煙草も満足に吸えんか。いよいよかもな、これは」


小さく呟けば、虚しい声音が冴えた空気に溶けるように消えていく。
苦い表情に笑みが浮かぶのは、そんな顔でもしなければやっていられない、意地と自嘲によるものだ。

そもそも、煙草なんてものは、痛む体に鞭を打つようなものだ。
だからタルヤは毎度顔を顰めてくれるのだが、数少ない趣向品であることと、言っても聞かないと言う諦めか、取り上げることはしなかったし、カローンに仕入れてくれるなとも言わない。
それは恐らく、“煙草を吸うシド”と言う姿が、隠れ家で暮らす人々にとって、一種の安心材料として受け入れられているからだろう。
何でもない日常の中に溶け込むその風景の為に、タルヤはあくまで医者として、苦言を呈す以上のことはしなかった。

───ふう、とシドは意識して細い息を吐き出す。
そうしてもう一度、指先に燈した魔力で、煙草の火をつけた。


「………ふーーー……」


煙をたっぷりと肺に送り込んで、薄暗く高い天井に向かって吐き出す。
燻る紫煙はゆらゆらと波打つように揺らめいて、洞窟特有の冷たい空気の中に混じって見えなくなった。

咥え煙草のまま、シドは自身の左手を見た。
指先を動かすと、まだ其処に神経が通っている感覚がある。
手のひらを握り、開き、と繰り返しながら、じんじんとした重い痛みが体にかける負荷の具合を確かめた。


(……まだ動く)


全くの健全にと言う訳ではなかったが、感覚はあるし、思った通りに指も動く。
この手で剣を握れと言うのは聊か厳しいが、精密な操作をしない魔法を撃つなら問題ないだろう。
まだ前線に立つことは出来る。

だが、鬱陶しいことに、痛みの感覚は未だ治まる様子はなかった。
表面に見えるだけでなく、皮膚の内側、肉の内部でも、浸食が進んでいるのだろう。
こうなってくると、内側から訴える痛みが簡単に止んでくれることはない。

……がやがやと、ドアの向こうから遠く賑やかな声がする。
耳を欹ててみれば、どうやら魔物の討伐に出ていた仲間たちが戻ってきたらしい。
ついでに何か良い収穫が手に入ったのか、何処かはしゃぐように高い声も聞こえてくる。
今日の厨房はいつもよりも忙しく、ラウンジは賑やかになるかも知れない。

────と、言うことは、とシドが考えると同時に、足音と声がこの部屋へと近付いて来るのが分かった。


「だからよ、あそこの道は結構厳しいんだって」
「でも越えられるなら、あそこを通った方が効率的だろう」
「そりゃそうだけど、魔物だって多いんだぜ。安全取るなら、迂回した方が良かったよ。まあ、何もなかったけどさ」
「迂回ルートは落石があるだろう。魔物なら俺が切れば済む」


言い合う会話が聞こえてきて、随分仲良くなったもんだ、とシドは小さく笑う。

その傍ら、煙草を指に挟んで、煙のない呼吸を一回、二回と繰り返した。
意識して深く吸い込んだ空気を、ゆっくり、途切れないように意識しながら細く長く吐き出す。
体が訴える鈍い痛みを、静かに蓋をするように、体の奥底へと押し込んでいく。

最後の一息は、煙を飲んでから。
口元に当てた煙草から、重石を乗せるように、腹の底に己が抱えるものを閉じる。

ゴツゴツ、と固い感触のノックがドアの向こうから聞こえて来た。
来たぞと報せる為だけの音に、シドが返事をしなくても、扉は向こう側から開かれる。


「戻ったぞ、シド」
「聞いてくれよ、シド。こいつまた無茶してさあ」


部屋にやってきたのは、クライヴとガブだった。
その顔は分かりやすく疲労が滲んでいるが、ともかく報告だけは先にしておこうと、帰った足で此処まで来たのだろう。

報告よりも何よりも、先ずは相方がまたしても無茶をしてくれたことに、ガブの愚痴が始まった。
なんとか言ってやってくれ、と顔を顰めて言うガブに、クライヴは物言いたげに眉根を寄せているが、未だ口数ではガブの方が分があるらしい。
ああでこうでと身振りに説明するガブを、時折反論するように何某か挟むクライヴだが、ガブはお構いなしに喋り続けた。

ガブの愚痴は止まらないが、そんな話が報告代わりに出て来ること、それをクライヴが制止しない所からして、今日の魔物討伐は無事に終わったと言う事だろう。
若しも深刻な負傷者がいるのなら、ガブもこうは言わないし、クライヴの表情ももっと昏い。
だからシドは、ガブの気が済むのを十分に待ちながら、肺の中に取り込んだ煙をゆっくりと吐き出してから、いつものように「ご苦労さん」と笑うのだった。



あと少し、もう少し。
その少し先に行き付くまで、煙に隠した深呼吸を繰り返す。






【一途に思い続けた先へ5つのお題】
2:三回、深呼吸する

恐らく、シドとクライヴが出逢った時点で、シドの体の石化は既にそこそこ進んでると思うんです。
石化すると動かないのは勿論、痛みを発する他、感覚神経の鈍麻もあるんじゃないかなと。
でもシドはドレイクヘッドに向かう時も、クライヴに自分の体がそうであるとは言わないし。
タルヤを筆頭に、付き合いの長い面々には石化のことは知られていても、それが内包的に何処まで進行しているかと言うのは、大分隠していたんじゃないかと思っています。
自分がいなくなっても大丈夫、と思える環境が出来るまで、自分の後を託せる人を得られるまで(結果的に最期まで)、シドは隠れ家に置ける自分の存在の重要性を鑑みて、結構色んな事を秘密にしてたんじゃないかなあ……

[16/ジョシュクラ]ぼくの心音が聞こえますか

お題配布サイト 【シュレディンガーの猫】





互いの存在を確かめ合うように肌を重ねた後は、その名残の余韻に酔いながら、ゆっくりと眠りの沼に落ちて行く。
兄と言う存在をこの腕に抱くことへの罪悪感や、不謹慎にも背徳に興奮が混じる感覚は、もう遠退いた。
今はただ、彼と言う存在が傍にあるという現実と、彼が自分に身を委ねてくれることを嬉しく思う。

この隠れ家の長として、皆の好意から特別に誂えられた兄の部屋は、夜半になれば人の気配が随分と遠い。
それが皆からの配慮による遠慮なのか、偶々、この隠れ家がそう言う構造で出来上がった結果なのかは、つい最近此処に来たばかりのジョシュアには判らない。
訊ねれば、兄にせよ幼馴染にせよ、この隠れ家が完成するまでの経緯を教えてくれそうだが、どうしても知りたいと言う訳でもない。
その内、話の種にでも出来る機会があれば尋ねてみても良いとは思うが、今の所、そう言うタイミングは回っていなかった。

ともあれ、そのお陰で、こうして自分は兄を抱くことが出来るのだ。
聞きたいのに声を抑えてくれる兄に、少し勿体なくは思うけれど、隙間風も多い環境だから仕方がない。
以前の隠れ家が敵の急襲によって悲惨な最後となったのは聞いている。
あの時のことも鑑みて、また“石の剣”と名を冠したベアラーたちによる戦闘可能なメンバーを起用したことにより、其処から隠れ家には常に見張り役が立つようになった。
夜になってもいくつかの篝火は灯されており、何某かあればすぐに兄の部屋へと報告が来るように手筈を整えているから、───つまるところ、あられもない兄の声なんて大っぴらに聞かせる訳にはいかないのである。
また、兄が声を抑えるのは、過去の経験に因る所も多く、此方に関してはジョシュアはそれこそ悔しい砌であったが、それを口に出せば彼を困らせるのも分かっている。
だから幾つかの不満と言うのは、根本的にジョシュアの気持ちとして片を付けるしかない。
それでいて、そんな環境でも抱きたいと願う弟の気持ちを、兄が汲んでくれての行為なのだから、これ以上を望むのは至極贅沢なのだ。

子供の頃よりもずっと体力がついたとは言え、やはり、性行為と言うものは多量のエネルギーを消費してしまうものだ。
胸の痛みも堪えながらに没頭していることも少なくはなく、それを打ち消す為により一層熱を追うこともある。
そして、何より、兄の体が持つ体温が、その内側の熱が心地良くて、理性と言うブレーキを飴蜜のように溶かしてしまう。
人の体とは、その内側とは、こんなにも心地の良いものだったのか。
いや、これは他でもない兄だからこそ、得られるものに違いない。
重ね合う度、まるで元々ひとつであったものが分かたれていた、それが元に戻ろうとしているかのような感覚は、他の何かで得られるようなものではないのだから。

今日もまた。ベッドの軋む音が終わって、ジョシュアは程なく意識を飛ばしていた。
ゆるゆるとした感覚で目を覚ました時には、もう部屋の中はすっかり静まり返っていて、湖面の微かな小波の音が聞こえてくるほど。
どれくらい寝ていたのだろう、と時間の導に枕元の蝋燭を見遣れば、記憶よりも随分と短くなっていた。
最後にそれを見たのは、事を始める前だったから、最中に半分は消費していたとして───あと一時間もしない内に蝋の殆どが形を失くすだろう。
と言うことは、一刻程度もすれば未明にはなるだろうか。

そんな事を薄ぼんやりと眠気の残る頭で考えていると、きしり、と小さくベッドの軋む音がした。

寝台は決して上等な代物ではなく、木箱を幾つか並べ、その上に板を据え付け、厚めの布や綿材をリネンで包んだ、簡素な代物だ。
それでも病人用の救護所にあるベッドを除けば、この隠れ家では上等な部類ではあるらしい。
資金も資材も限られた環境にあって、「シドには出来るだけ良いものを」と皆の好意で誂えられたそれを、兄は十分に気に入っている。
そこで弟と熱を交えることに対する罪悪感は、聊か否めない所はあるようだが。

決して大きくはないベッドの上で身動ぎをすると、自然と音が鳴るし、マット替わりのリネンが体重の移動で少し傾く。
ジョシュアは、隣にいる男───兄クライヴが目を覚ましていることに気付いた。
彼はジョシュアの隣で片膝を抱えるような格好で、部屋の格子の隙間に覗く夜の湖畔を眺めているようだった。
ジョシュアが目を覚ましていることには、どうやら、気付いていない。


(……寒くはないのかな……)


差し込む月明かりが、兄の裸身を柔く映し出している。
今日の湖畔は風も少ないから、身震いするようなことはないだろうが、熱を交えたばかりなのだ。
ジョシュアは体にその名残もあって、時折湖面から昇って来る冷気との温度差を感じていた。

均整の取れた体躯は、外界で過ごすに当たり、傭兵だと言えば十分に通用するものだった。
その立派な体躯を駆使すれば、組み敷くジョシュアを投げ飛ばすのも簡単だろうに、彼は決してそうしない。
弟に抱かれながら、何処か嬉しそうにはにかんだ笑みを浮かべてくれることを、ジョシュアがどんなにか嬉しく思っているか、彼は知っているだろうか。
知らなくて良い、と思いつつ、こんなに嬉しいんだ、と言うことを知っても欲しいと、ジョシュアは密かな我儘を抱いている。

触れたいな、とジョシュアは唐突に思った。
直ぐ其処にいる、兄の体に、その心に、触れたい。
少しくらいなら良いだろうか、と投げ出している右手を持ち上げようとした所で、また、きし、とベッドが鳴った。

透明な青い瞳が此方へと向くのを見付けて、反射的に目を瞑る。
今、彼と目を合わせてはいけない。
合わせず、このまま、自分は眠っていることにした方が良いと言うことを、ジョシュアは経験で知っていた。


「………ジョシュア」


名を呼ぶ兄の声にも、努めて反応しない。
眠っている、と言う格好を崩さないように、ジョシュアは規則正しく、呼吸していた。

夜の闇色に閉じた視界の代わりに、聴覚が情報を集めている。
ベッドが静かに、ゆっくりと、出来るだけ音を立てないように、軋んでいるのが聞こえた。
それが、疲れているであろう弟の眠りを妨げないようにと言う、クライヴの気遣いであることは知っている。

ジョシュアの手に、大きくしっかりとした、温かい手が重ねられる。
クライヴの手だ。
反射的にそれを握り返そうとして、ジョシュアはその衝動を抑えた。

クライヴの手がゆっくりと、ジョシュアの手首、腕、肩を辿って行く。
起こさないように、と隠れ祈るように兄が触れているのを感じながら、ジョシュアは静かに息を吐いた。
鳴る心臓の波が平静になるように、努めて、努めて。

そして肩を、鎖骨を辿ったクライヴの手は、やがてジョシュアの胸へと辿り着く。
其処には忌々しいものを封じ込めた軌跡の石が根を張り、今も蠢くそれが血管を侵食するようにして息衝いている。
今この時は大人しく静かなそれも、ふとした時にジョシュアの体を奪い取らんとばかりに喚き出すから、鬱陶しいばかりだ。
だが、これがあるから、兄は今、兄として存在している。
嘗て守られるばかりだったジョシュアにとって、この身を持って兄を守っている証明とも言えるそれは、誇りのひとつにも思えた。

その歪な誇りに、そっとクライヴの手が重ねられる。


(ああ────其処には、触れないで欲しい、のに)


其処にいるのは、他の誰でもない、貴方を蝕もうとしているものだ。
だから、万が一にも其処から浸食を受けない為にも、貴方には触れないで欲しいのに。

ジョシュアの祈りが、兄に届く事はない。
その傍ら、この痛々しい痕跡があることが、兄を守ると言うことを文字通りに体現していることが、誇らしくもあるのだ。
その誇りに兄が優しく、労わるように触れてくれることへの喜びもまた、誤魔化せない自分がいた。

そしてクライヴは、ゆっくりと、ジョシュアの胸に頭を乗せる。
癖のついた、この環境では仕方もあるまいに、碌に手入れもされていないのだろう伸ばしっぱなしの黒髪が、ジョシュアの胸元をくすぐるように掠める。
ジョシュアが、今ならきっと大丈夫、とこっそりと目を開けてみれば、思った通り、弟の胸元に耳を当ててじっと鼓膜を潜めている兄の姿が見える。


「………」
(……兄さん)
「………」
(……兄さん……)


声になく呼ぶジョシュアに、クライヴが答えてくれることはない。
きちんと呼べば直ぐにクライヴは返事をしてくれるだろうが、その代わり、直ぐに跳び起きてしまうだろう。
彼はきっと、今自分がやっていることを、ジョシュアに知られたくはないだろうから。

胸に押し付けられた、クライヴの耳の凹凸の感触。
目を閉じた兄が何に意識を研ぎ澄ませているのか、ジョシュアは痛いほどに分かる。


(兄さん……聞こえている?)
「………」
(僕の心臓は、まだ……音がする?)


クライヴの耳元で、その密着したジョシュアの皮膚と肉の奥で、息衝く臓器。
生命のあるものならば須らく存在し、脈を打っている筈の、心の臓。
それをなくして人は生きていることにはならないから、それが動く音を発し続けていることが、ジョシュアが生きている証になる。

嘗てジョシュアは、肉体の殆どを喪う程の傷を負った。
その時の自分自身をジョシュアは認識してはいなかったが、目覚めた時、体が指一本と動かすことも出来ず、フェニックスの力による傷の修復と、その力の負荷とそもそもの損傷による肉体の崩壊が、同時進行で進むと言う状態にあった。
傷みか熱かも分からない感覚に、何年苛まれたのか分からない。
その間、其処にない兄に援けを求め、脳裏に浮かぶ父の最期の夢を繰り返し、フェニックスゲートで起こった出来事の顛末を聞いてからは、兄が死んだと言う絶望感に生きる気力すら喪った。
それでも生きて貰わねばならないと、傅く者たちに根の国へ渡ることを阻止され続けていたけれど、心のどこかで思っていた。
自分はとっくの昔に死んでいて、大事なものを何もかも失ったのに、自分一人だけが持ち得る力によって活かされていると言う、罰の夢を見続けているのではないかと。

ようやく体が動かせる程度になって、兄が生きていたと言う報告を聞いた。
同時に知った、あの異形の炎の怪物が兄であったと、自分を半死半生の身にしたのが彼であったと知って、愕然とした。
だが、兄が本当に、その意思でジョシュアを手にかけるとは思えない。
そう言う人ではない、とジョシュアは知っていた。
だから騎士団にも、彼を伏すべしと言う者たちを黙らせて、作為は他にあると信じたのだ。

真実を探して、生き延びた意味を探して、いつかもう一度兄と再会できる日を夢見た。
果たして幸運なことにそれは叶い、今こうして、ジョシュアは兄と共に過ごす夜を得ている。
これ以上の僥倖があろうか───そう思うからこそ、尚更、今この時間があることが、文字通りの夢であるような気がしてならない。
今と言うこの瞬間が、とうに果てた死人が、己が死んだと忘れる為の、都合の良い夢なのではないか、と。

そんな途方もない不安に支配される度、ジョシュアは兄を求めた。


(兄さん。兄さん。貴方が、僕が生きていると、そう思ってくれるなら)
「………」
(僕はまだ……きっと、生きているんだ)


身を寄せ、胸の鼓動を聞くことに意識を集中している兄。
彼もまた、嘗て弟を守れなかったと、喪ったと思い、途方もない自責に駆られていたと言う。
いや、今もその自責の念は彼の中で消えた訳ではなく、時折、こうして弟の生存が現実であることを確かめる時間を欲している。

そうして、やがてクライヴは、ほう……とゆっくりと息を吐き、


「……ジョシュア」


安堵したように弟の名を呼び、その手がジョシュアの頬へと触れる。
するりと滑る手のひらの感触に、ジョシュアは目を開けようとして、堪えた。
まだ、起きてはいけない。

ベッドの軋む音がしばらく続いた後、それは静かになる。
ジョシュアがようやくに目を開けると、格子窓の向こうから、差し込み始めた光が見えた。
隣で息衝く気配が規則正しいものであることを確かめてから、ジョシュアはそっと起き上がる。


「……兄さん」
「……」


此方を向いたまま、目を閉じている兄に呼び掛けても、返事はない。
すぅ、すぅ、と繰り返される小さな寝息に、兄が短く深い眠りに就いていることが分かった。

ジョシュアはそっとクライヴの首筋に触れ、其処で血脈がとうとうと流れていることを確かめる。
兄が自分の胸元で、その鼓動を感じていたのと同じように、ジョシュアも彼が生きていることを感じたかった。
そうして兄の生を確かめては、ジョシュアもまた、ほうと安堵の息を漏らす。

何度こうして確かめても、きっとまた、兄弟はそれぞれの生の証を確かめるのだろう。
鼓動の途絶えた夢に苛まれた十数年と言う月日は、余りに長く、余りに強い。
それはジョシュア自身の力で拭うには余りに根付き過ぎているから、ジョシュアは兄に確かめて貰う他に、自分の生と言う現実を受け止めきれない。


(兄さん……また、聞いてね。僕が今、生きているってことを)
「……」
(生きて、貴方の傍にいられるんだって言うことを……確かめたいから)


祈りのように思いながら、ジョシュアは眠るクライヴの唇に、そっと己のものを重ねる。



────もしもいつか、心音を確かめるクライヴの唇から、安堵が零れることがなくなったら。
名を呼ぶ声が微かな喜びの音ではなく、嗚咽を押し殺したものになったとしたら、きっとその時、自分は遂に死んだのだろう。
その時から、この柔くて温かい感触は、夢の泡になって終わるに違いない。

自分自身の心臓が、確かに動いていることを、誰よりも信じているクライヴに確かめて欲しい。
此処に在るのが、夢の産物ではないことを。
此処にいる兄が、自分にとって都合の良い幻ではないことを。
生きて、再会して、熱を交え合っていることが、現実であると言うことを。

何度でも、何度でも────





【一途に思い続けた先へ5つのお題】
1:ぼくの心音が聞こえますか

お互い生きて再会できたことを嬉しく思っているけど、都合の良い夢幻じゃないかと不安になってる二人。
クライヴはそもそも十年以上、死んだ、殺したと思っていたジョシュアが生きていたと言うことに。
ジョシュアは兄と再会できたことも勿論ですが、フェニックスゲート事変で普通なら死んでいる状態まで陥ったことから、自分自身が生きて兄の傍にいられると言う現実そのものに。

知られていないつもりで、何度も相手が生きてることを確かめていたりするかも知れないな、と思ったのでした。

[ジタスコ]守り人

  • 2025/09/08 21:00
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



折々に仲間たちよりも背が低い事をネタにして、羨んでみせる言動をしてはいるけれど、実の所、本気でそれを妬んでいることはない。
確かに見栄えのする体格と言うものは良いものだが、では自分が自身の世界でそうも小さかったかと言われると、そうでもない、と言う感覚があった。

ジタンの世界は多種多様な種族が坩堝のように一つの国街で入り混じっていたし、種族で固まる傾向があった国でも、行商人が行き交うのでやはり多様な姿を見る事が出来た。
だからジタンより大柄な者は勿論いたし、大人であってもずっと小柄な者もいたのだ。
どちらかと言えばジタンは標準的な所であった筈、とも思っている。
加えて、「ヒトの魅力は体の大小に左右されるものではない」と知っているので、この異世界であっても、自分が小柄な類に入ることについて、然程気にはしていなかったのだ。

ただ、ルーネスもそうだが、小柄であるが故に───年齢の所も大いにあるが───、若干の子供扱いのようなものを受けることも儘ある為、其処については時折閉口することもある。

と言った個人の心中如何はともかくとして、ジタンは自分が他人を見上げることが多いことについて、深く気にしたことはない。
今直ぐどうしようもないと言う所もあるし、心が大きく持てば十分、と言う自信もあった。
何にしろ、小柄であることは、身軽を生かす盗賊であるジタンにとって良い事だったし、恥じる必要など何処にもなかったのだ。

────だが、今ばかりはもう少し、身長が欲しいと思う。
体の力を半分ほどは失った状態で、辛うじて歩を進めるのが精一杯と言う仲間に肩を貸しながら、ジタンは苦い表情を浮かべて歩いていた。


(何処かに休めそうな場所───背中が守れて、出来れば屋根があって、隠れられそうな場所が良い。何処かにないか)


鼻先を刺す鉄錆の匂いに顔を顰めながら、ジタンは目を皿のようにして辺りを見回す。
鬱蒼とした森には、湿った匂いが充満し、薄暗い天上からはゴロゴロと不穏な音が聞こえていた。
あれが泣き出す前に、せめて頭上を守れる所を見付けたいが、この辺りの地形は全くの未探索だ。
何処に何があるのか、何処に向かえば何処へ出るのかも判らないから、ジタンはとにかく真っ直ぐに歩いていた。
川でも崖でもなんでも良いから、突き当りにぶつかるまで真っ直ぐ進むようにしないと、あっと言う間に迷子になってしまう。
今の状況で、それだけは避けたかった。

遅々と進まざるを得ないジタンの肩には、スコールが寄り掛かっている。
その身体からは明らかな発熱症状があり、ジタンの耳元には、小さく痛みに呻く声が零れ届いていた。
体はジタンの肩に担ぎ抱えられる事で辛うじて姿勢を保っており、足元を引き摺りながら、ジタンの歩に倣う格好で辛うじて歩いている。

ジタンは肩の重みがずるりと落ちることに気付いて、足を止めてスコールの身体を支え直した。
肩に回していた腕を引っ張って、首の後ろにスコールの上腕が被さるように乗る。
それから背中と肩でスコールの胸元を持ち上げる形で乗せて、両の足をしっかり、真っ直ぐ、膝を伸ばして立った。
其処までやっても、スコールの長い足は半ばほど折れた形で、背中は丸まっていないとジタンの体に身を預けられない。


「スコール、もうちょっと頑張れな。なんなら、オレに乗っかってても良いから」
「……」


声をかけるジタンに、スコールからの返事はない。
項垂れる顔を横目に見遣れば、スコールは辛うじて目を開けてはいたものの、唇は蒼く半開きになっていて精気がない。
意識を保っているのが精一杯、と言う状態だった。

ぽつぽつとした雨粒が落ちて来るのを感じて、ジタンは小さく舌を打つ。
せめて本降りになる前に休める場所を、と辺りを見渡したジタンの目に、ひとつ大きな樹が映る。
樹齢を何百年と重ねた見た目をしたその根元は、土が小山のように膨らみ、其処からはみ出て剥き出しになった根が絡み合い、洞を作っていた。

ジタンが其方へ近付いてみると、洞はぽっかりとした空洞になっており、獣の気配もない。
土の湿った匂いばかりが漂う其処を覗き込んで、魔物の類がいないことを確認すると、ジタンは其処にスコールを座らせてやった。


「う……」


体を動かすと痛みがあるのだろう、呻く声が漏れる。
ジタンは脂汗を滲ませたスコールの額に軽く拭って、自分のベストを脱ぎ、スコールの体の前側に被せてやった。
袖のないベストは、スコールの着ているジャケットよりも大した防寒具にはならないが、ともあれないよりはマシだろう。
今は彼の体温が、汗と湿気の冷気で奪われないよう、保ってやることが大事だ。

今、スコールの体には、スピアー種の魔物が総じて持ち得る毒が回っている。
歪の中で遭遇した魔物と戦っている最中、最後の足掻きにうち放たれた毒針が皮膚を掠めた。
獲物を捕らえ、生きたまま捕食する趣向を持つ魔物の毒は、時間と共にスコールの体を蝕み、体を動かしただけで全身に激痛を起こす。
受けた直後に治療できれば深刻化することもないのだが、今日の探索はジタンとスコールの二人で行っていた。
ポイゾナやエスナと言った、浄化系の魔法を使えるバッツが、今日に限っては不在だったのだ。

歪を脱出した頃からスコールは自力で動くことが困難になっていた。
毒消し薬は念の為に持ってはいたものの、それだけでは浄化しきれずに、じわじわとスコールにダメージを与え続けている。
こうなっては、直ぐに帰投する、と言うのも難しく、ジタンは安全に休める場所で症状が落ち着くのを待つしかない、と判断した。

そしてようやく、この洞穴に辿り着いたのだ。


(雨が降り始めたし、これなら魔物もあまりウロウロしないだろうな。止むまでは休んでいられるか)


ジタンは、壁に寄り掛からせたスコールの傍に座って、外を見ながらそう考えた。
雨粒は少しずつ大きくなっており、本格的な雨になろうとしている。
発熱と痛みを抱えたスコールを、この中に歩き回らせなくて済んだ事に、ほっとした。

なんとか腰を落ち着けることが出来たのだから、あとはスコールの容態が悪化しないようにしなければ。
ジタンは荷物袋の中から水筒を取り出して、スコールに差し出した。


「スコール。水、飲んどけよ」
「……」
「腕動かせるか?」


薄く目を開けたスコールが、重い腕を持ち上げる。
痛みを堪えて眉根を寄せる様子と、手指を動かすのもやっとと言うスコールの表情に、ジタンは水筒の口を自分の方へと寄せた。
一口分、水を咥内に含んで、スコールの頭を上向けさせる。
唇を重ね、薄く開いた隙間に液体を注ぎ込むと、スコールは微かに呻く声を漏らしながら、ごくりと喉を動かした。

口を離すと、はあっ……とスコールの唇から呼気が漏れる。
ジタンは、もう一口、と水を含んで、同じように唇を重ねた。


「ん……、う……っ」
「……っふぅ……」


ごく、こくん、とスコールの喉が鳴って、ジタンは顔を離した。
呼吸が出来るようになると、スコールは大きく息を吸い、吐いて、と数回繰り返す。
その都度に痛みを堪える表情はあるものの、彼の呼吸は随分とスムーズに送り出されるようになった。

水分を摂取し、また浮き始める額の汗を、ジタンは手袋を外した手で拭う。
そのまま手の甲でスコールの首筋に触れると、とくとくとした鼓動の感触があった。
それはジタンが普段知っているものよりも微かに早く、毒によって体内臓器の稼働がまだ過剰な働きをしていることを教えてくれる。
だが、歪を脱出したばかりの時に比べれば、そのリズムの早さは幾らか収まっていた。


「このままじっとしてれば、もうちょっと楽になるかもな」
「……ああ……」
「悪いな、魔法が使えなくて。エスナが使えりゃ、もっと早く治せるのに」
「……それは、あんたの所為じゃ、ないだろ……」


詫びるジタンに、スコールは眉根を寄せながら言った。
気にしてくれるな、と言うスコールの言葉に、ジタンも慰められて頷く。
ないものねだりはどうしようもないのだから、と。

降りしきる雨は真っ直ぐに地面に落ちて、柔らかな草土の地面に沁み込んでいく。
風は感じられなかったが、空を覆う雲の動きは早かった。
この分なら、思うよりも早く雨は止んでくれるかも知れない───とジタンが思っていると、


「……ん?」


雨のカーテンの向こうに、茫洋と近付いて来る人影がある。
生き物ならば避けるであろう雨の中を、ゆっくりと幽鬼のように進む人影と言うのは、如何にも不気味で不穏だった。

目尻を尖らせて影を睨むジタンの想像に違わず、それはイミテーションだった。
視覚よりも気配を追ってくるタイプか、イミテーションは右へ左へふらふらと蛇行するように歩きながら、徐々にジタンたちが身を休めている洞穴に近付いている。
その不規則に歩く一体に追従するように、大きさの違う人影がひとつ、ふたつと増えて来るのを見て、ジタンは眉根を寄せる。


(こんな時に、面倒なのが来ちまったな)


体温を奪われれば凍えてしまう生き物と違い、人形たちに生物的概念は通じない。
雨だろうが雪だろうが、滾るマグマがすぐ傍にあろうが、環境の不利を感じることなく、襲い掛かって来るのだ。
加えて、疲労感と言ったものに堪えるものでもないので、幾らでも歩き回るし、戦い続けることが出来る。

このままジタン達が洞穴でじっとしていれば、程なく見つかることだろう。
ジタンは、傍らでじっと呼吸を整えることに終始しているスコールを見た。
時間の経過とともに、毒による神経痛の類は多少収まっているようだが、体はまだ発熱している。
激しい戦闘が出来るような状態ではないことは、傍目に明らかであった。

ジタンはスコールの額に手を伸ばして、傷の走る眉間の辺りに指をあてる。
薄らと浮かぶ汗の感触を感じていると、蒼灰色が薄く開いて、ジタンを映した。
蒼に剣呑とした色が滲んでいるのを見て、彼もまた、ジタンと同じく近付く存在に気付いていることが判る。


「……ジタン……」
「ああ。大丈夫だよ」
「………」
「気にすんなって。こういうのは、お互い様なんだ」


スコールは、自身がまだ戦える状態まで回復していないことを理解していた。
忌々し気に眉根を寄せるスコールに、ジタンは浮いた眉間の皺を指先でぐりぐりと押しながら笑って見せる。
立場が逆なら、きっとスコールも同じことをしているのだから、と。


「お前はしっかり休んでな。もし体が動けるようになったら、手伝ってくれれば良いさ」
「………」


ウィンクをしたジタンの言葉に、スコールは目を閉じて溜息をひとつ。
それが必要な程に苦戦はしないだろう、と言葉なく信頼した気配を感じて、ジタンは金色の尻尾を揺らした。

武器を手に洞穴を出ると、雨はまだ降っていたが、視界は然程暗くはない。
雨粒が目元を叩くのが鬱陶しかったが、けぶる程の大雨になっていないのは幸いだった。
イミテーションの姿ははっきりと形が判る程に近くなり、あちらもジタンの姿を遂に確かめたか、蛇行した動きがなくなり、三体が真っ直ぐ此方に向かって近付いて来る。

イミテーションのどれか───恐らくは先行していた一体───は、秩序の戦士が此処に二人いることを感じ取っているだろう。
ジタンは、洞で休まざるを得ないスコールを背に庇う位置に立って、二本のダガーを構えた。


「ようやく休憩できる場所があったんだ。もうちょいゆっくり休ませてくれよ」


言った所で、イミテーションが容赦などする筈もない。
槍に杖にと構えるイミテーションよりも先に、ジタンは強く地を蹴って走った。





9月8日と言うことでジタスコ。
怪我したスコールを抱えてるジタンが浮かんで、身長足りないよなぁ……とか思いつつ。
体が動かないスコールに、ジタンが躊躇なく口移ししてるのが見たいなとなったので。

大事な人とか仲間を守るために、ちょっとした軽口や雰囲気を出しながら、当たり前に戦うモードに入るジタンは格好良いよなと夢を詰めた。
スコールの方も、ジタンがこうなら大丈夫、と信頼していると良いなあ。

Pagination

  • Newer
  • Older
  • Page
  • 1

Utility

Calendar

08 2025.09 10
S M T W T F S
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -

Entry Search

Archive

Feed