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2025年09月18日

[16/ジョシュクラ]ぼくの心音が聞こえますか

お題配布サイト 【シュレディンガーの猫】





互いの存在を確かめ合うように肌を重ねた後は、その名残の余韻に酔いながら、ゆっくりと眠りの沼に落ちて行く。
兄と言う存在をこの腕に抱くことへの罪悪感や、不謹慎にも背徳に興奮が混じる感覚は、もう遠退いた。
今はただ、彼と言う存在が傍にあるという現実と、彼が自分に身を委ねてくれることを嬉しく思う。

この隠れ家の長として、皆の好意から特別に誂えられた兄の部屋は、夜半になれば人の気配が随分と遠い。
それが皆からの配慮による遠慮なのか、偶々、この隠れ家がそう言う構造で出来上がった結果なのかは、つい最近此処に来たばかりのジョシュアには判らない。
訊ねれば、兄にせよ幼馴染にせよ、この隠れ家が完成するまでの経緯を教えてくれそうだが、どうしても知りたいと言う訳でもない。
その内、話の種にでも出来る機会があれば尋ねてみても良いとは思うが、今の所、そう言うタイミングは回っていなかった。

ともあれ、そのお陰で、こうして自分は兄を抱くことが出来るのだ。
聞きたいのに声を抑えてくれる兄に、少し勿体なくは思うけれど、隙間風も多い環境だから仕方がない。
以前の隠れ家が敵の急襲によって悲惨な最後となったのは聞いている。
あの時のことも鑑みて、また“石の剣”と名を冠したベアラーたちによる戦闘可能なメンバーを起用したことにより、其処から隠れ家には常に見張り役が立つようになった。
夜になってもいくつかの篝火は灯されており、何某かあればすぐに兄の部屋へと報告が来るように手筈を整えているから、───つまるところ、あられもない兄の声なんて大っぴらに聞かせる訳にはいかないのである。
また、兄が声を抑えるのは、過去の経験に因る所も多く、此方に関してはジョシュアはそれこそ悔しい砌であったが、それを口に出せば彼を困らせるのも分かっている。
だから幾つかの不満と言うのは、根本的にジョシュアの気持ちとして片を付けるしかない。
それでいて、そんな環境でも抱きたいと願う弟の気持ちを、兄が汲んでくれての行為なのだから、これ以上を望むのは至極贅沢なのだ。

子供の頃よりもずっと体力がついたとは言え、やはり、性行為と言うものは多量のエネルギーを消費してしまうものだ。
胸の痛みも堪えながらに没頭していることも少なくはなく、それを打ち消す為により一層熱を追うこともある。
そして、何より、兄の体が持つ体温が、その内側の熱が心地良くて、理性と言うブレーキを飴蜜のように溶かしてしまう。
人の体とは、その内側とは、こんなにも心地の良いものだったのか。
いや、これは他でもない兄だからこそ、得られるものに違いない。
重ね合う度、まるで元々ひとつであったものが分かたれていた、それが元に戻ろうとしているかのような感覚は、他の何かで得られるようなものではないのだから。

今日もまた。ベッドの軋む音が終わって、ジョシュアは程なく意識を飛ばしていた。
ゆるゆるとした感覚で目を覚ました時には、もう部屋の中はすっかり静まり返っていて、湖面の微かな小波の音が聞こえてくるほど。
どれくらい寝ていたのだろう、と時間の導に枕元の蝋燭を見遣れば、記憶よりも随分と短くなっていた。
最後にそれを見たのは、事を始める前だったから、最中に半分は消費していたとして───あと一時間もしない内に蝋の殆どが形を失くすだろう。
と言うことは、一刻程度もすれば未明にはなるだろうか。

そんな事を薄ぼんやりと眠気の残る頭で考えていると、きしり、と小さくベッドの軋む音がした。

寝台は決して上等な代物ではなく、木箱を幾つか並べ、その上に板を据え付け、厚めの布や綿材をリネンで包んだ、簡素な代物だ。
それでも病人用の救護所にあるベッドを除けば、この隠れ家では上等な部類ではあるらしい。
資金も資材も限られた環境にあって、「シドには出来るだけ良いものを」と皆の好意で誂えられたそれを、兄は十分に気に入っている。
そこで弟と熱を交えることに対する罪悪感は、聊か否めない所はあるようだが。

決して大きくはないベッドの上で身動ぎをすると、自然と音が鳴るし、マット替わりのリネンが体重の移動で少し傾く。
ジョシュアは、隣にいる男───兄クライヴが目を覚ましていることに気付いた。
彼はジョシュアの隣で片膝を抱えるような格好で、部屋の格子の隙間に覗く夜の湖畔を眺めているようだった。
ジョシュアが目を覚ましていることには、どうやら、気付いていない。


(……寒くはないのかな……)


差し込む月明かりが、兄の裸身を柔く映し出している。
今日の湖畔は風も少ないから、身震いするようなことはないだろうが、熱を交えたばかりなのだ。
ジョシュアは体にその名残もあって、時折湖面から昇って来る冷気との温度差を感じていた。

均整の取れた体躯は、外界で過ごすに当たり、傭兵だと言えば十分に通用するものだった。
その立派な体躯を駆使すれば、組み敷くジョシュアを投げ飛ばすのも簡単だろうに、彼は決してそうしない。
弟に抱かれながら、何処か嬉しそうにはにかんだ笑みを浮かべてくれることを、ジョシュアがどんなにか嬉しく思っているか、彼は知っているだろうか。
知らなくて良い、と思いつつ、こんなに嬉しいんだ、と言うことを知っても欲しいと、ジョシュアは密かな我儘を抱いている。

触れたいな、とジョシュアは唐突に思った。
直ぐ其処にいる、兄の体に、その心に、触れたい。
少しくらいなら良いだろうか、と投げ出している右手を持ち上げようとした所で、また、きし、とベッドが鳴った。

透明な青い瞳が此方へと向くのを見付けて、反射的に目を瞑る。
今、彼と目を合わせてはいけない。
合わせず、このまま、自分は眠っていることにした方が良いと言うことを、ジョシュアは経験で知っていた。


「………ジョシュア」


名を呼ぶ兄の声にも、努めて反応しない。
眠っている、と言う格好を崩さないように、ジョシュアは規則正しく、呼吸していた。

夜の闇色に閉じた視界の代わりに、聴覚が情報を集めている。
ベッドが静かに、ゆっくりと、出来るだけ音を立てないように、軋んでいるのが聞こえた。
それが、疲れているであろう弟の眠りを妨げないようにと言う、クライヴの気遣いであることは知っている。

ジョシュアの手に、大きくしっかりとした、温かい手が重ねられる。
クライヴの手だ。
反射的にそれを握り返そうとして、ジョシュアはその衝動を抑えた。

クライヴの手がゆっくりと、ジョシュアの手首、腕、肩を辿って行く。
起こさないように、と隠れ祈るように兄が触れているのを感じながら、ジョシュアは静かに息を吐いた。
鳴る心臓の波が平静になるように、努めて、努めて。

そして肩を、鎖骨を辿ったクライヴの手は、やがてジョシュアの胸へと辿り着く。
其処には忌々しいものを封じ込めた軌跡の石が根を張り、今も蠢くそれが血管を侵食するようにして息衝いている。
今この時は大人しく静かなそれも、ふとした時にジョシュアの体を奪い取らんとばかりに喚き出すから、鬱陶しいばかりだ。
だが、これがあるから、兄は今、兄として存在している。
嘗て守られるばかりだったジョシュアにとって、この身を持って兄を守っている証明とも言えるそれは、誇りのひとつにも思えた。

その歪な誇りに、そっとクライヴの手が重ねられる。


(ああ────其処には、触れないで欲しい、のに)


其処にいるのは、他の誰でもない、貴方を蝕もうとしているものだ。
だから、万が一にも其処から浸食を受けない為にも、貴方には触れないで欲しいのに。

ジョシュアの祈りが、兄に届く事はない。
その傍ら、この痛々しい痕跡があることが、兄を守ると言うことを文字通りに体現していることが、誇らしくもあるのだ。
その誇りに兄が優しく、労わるように触れてくれることへの喜びもまた、誤魔化せない自分がいた。

そしてクライヴは、ゆっくりと、ジョシュアの胸に頭を乗せる。
癖のついた、この環境では仕方もあるまいに、碌に手入れもされていないのだろう伸ばしっぱなしの黒髪が、ジョシュアの胸元をくすぐるように掠める。
ジョシュアが、今ならきっと大丈夫、とこっそりと目を開けてみれば、思った通り、弟の胸元に耳を当ててじっと鼓膜を潜めている兄の姿が見える。


「………」
(……兄さん)
「………」
(……兄さん……)


声になく呼ぶジョシュアに、クライヴが答えてくれることはない。
きちんと呼べば直ぐにクライヴは返事をしてくれるだろうが、その代わり、直ぐに跳び起きてしまうだろう。
彼はきっと、今自分がやっていることを、ジョシュアに知られたくはないだろうから。

胸に押し付けられた、クライヴの耳の凹凸の感触。
目を閉じた兄が何に意識を研ぎ澄ませているのか、ジョシュアは痛いほどに分かる。


(兄さん……聞こえている?)
「………」
(僕の心臓は、まだ……音がする?)


クライヴの耳元で、その密着したジョシュアの皮膚と肉の奥で、息衝く臓器。
生命のあるものならば須らく存在し、脈を打っている筈の、心の臓。
それをなくして人は生きていることにはならないから、それが動く音を発し続けていることが、ジョシュアが生きている証になる。

嘗てジョシュアは、肉体の殆どを喪う程の傷を負った。
その時の自分自身をジョシュアは認識してはいなかったが、目覚めた時、体が指一本と動かすことも出来ず、フェニックスの力による傷の修復と、その力の負荷とそもそもの損傷による肉体の崩壊が、同時進行で進むと言う状態にあった。
傷みか熱かも分からない感覚に、何年苛まれたのか分からない。
その間、其処にない兄に援けを求め、脳裏に浮かぶ父の最期の夢を繰り返し、フェニックスゲートで起こった出来事の顛末を聞いてからは、兄が死んだと言う絶望感に生きる気力すら喪った。
それでも生きて貰わねばならないと、傅く者たちに根の国へ渡ることを阻止され続けていたけれど、心のどこかで思っていた。
自分はとっくの昔に死んでいて、大事なものを何もかも失ったのに、自分一人だけが持ち得る力によって活かされていると言う、罰の夢を見続けているのではないかと。

ようやく体が動かせる程度になって、兄が生きていたと言う報告を聞いた。
同時に知った、あの異形の炎の怪物が兄であったと、自分を半死半生の身にしたのが彼であったと知って、愕然とした。
だが、兄が本当に、その意思でジョシュアを手にかけるとは思えない。
そう言う人ではない、とジョシュアは知っていた。
だから騎士団にも、彼を伏すべしと言う者たちを黙らせて、作為は他にあると信じたのだ。

真実を探して、生き延びた意味を探して、いつかもう一度兄と再会できる日を夢見た。
果たして幸運なことにそれは叶い、今こうして、ジョシュアは兄と共に過ごす夜を得ている。
これ以上の僥倖があろうか───そう思うからこそ、尚更、今この時間があることが、文字通りの夢であるような気がしてならない。
今と言うこの瞬間が、とうに果てた死人が、己が死んだと忘れる為の、都合の良い夢なのではないか、と。

そんな途方もない不安に支配される度、ジョシュアは兄を求めた。


(兄さん。兄さん。貴方が、僕が生きていると、そう思ってくれるなら)
「………」
(僕はまだ……きっと、生きているんだ)


身を寄せ、胸の鼓動を聞くことに意識を集中している兄。
彼もまた、嘗て弟を守れなかったと、喪ったと思い、途方もない自責に駆られていたと言う。
いや、今もその自責の念は彼の中で消えた訳ではなく、時折、こうして弟の生存が現実であることを確かめる時間を欲している。

そうして、やがてクライヴは、ほう……とゆっくりと息を吐き、


「……ジョシュア」


安堵したように弟の名を呼び、その手がジョシュアの頬へと触れる。
するりと滑る手のひらの感触に、ジョシュアは目を開けようとして、堪えた。
まだ、起きてはいけない。

ベッドの軋む音がしばらく続いた後、それは静かになる。
ジョシュアがようやくに目を開けると、格子窓の向こうから、差し込み始めた光が見えた。
隣で息衝く気配が規則正しいものであることを確かめてから、ジョシュアはそっと起き上がる。


「……兄さん」
「……」


此方を向いたまま、目を閉じている兄に呼び掛けても、返事はない。
すぅ、すぅ、と繰り返される小さな寝息に、兄が短く深い眠りに就いていることが分かった。

ジョシュアはそっとクライヴの首筋に触れ、其処で血脈がとうとうと流れていることを確かめる。
兄が自分の胸元で、その鼓動を感じていたのと同じように、ジョシュアも彼が生きていることを感じたかった。
そうして兄の生を確かめては、ジョシュアもまた、ほうと安堵の息を漏らす。

何度こうして確かめても、きっとまた、兄弟はそれぞれの生の証を確かめるのだろう。
鼓動の途絶えた夢に苛まれた十数年と言う月日は、余りに長く、余りに強い。
それはジョシュア自身の力で拭うには余りに根付き過ぎているから、ジョシュアは兄に確かめて貰う他に、自分の生と言う現実を受け止めきれない。


(兄さん……また、聞いてね。僕が今、生きているってことを)
「……」
(生きて、貴方の傍にいられるんだって言うことを……確かめたいから)


祈りのように思いながら、ジョシュアは眠るクライヴの唇に、そっと己のものを重ねる。



────もしもいつか、心音を確かめるクライヴの唇から、安堵が零れることがなくなったら。
名を呼ぶ声が微かな喜びの音ではなく、嗚咽を押し殺したものになったとしたら、きっとその時、自分は遂に死んだのだろう。
その時から、この柔くて温かい感触は、夢の泡になって終わるに違いない。

自分自身の心臓が、確かに動いていることを、誰よりも信じているクライヴに確かめて欲しい。
此処に在るのが、夢の産物ではないことを。
此処にいる兄が、自分にとって都合の良い幻ではないことを。
生きて、再会して、熱を交え合っていることが、現実であると言うことを。

何度でも、何度でも────





【一途に思い続けた先へ5つのお題】
1:ぼくの心音が聞こえますか

お互い生きて再会できたことを嬉しく思っているけど、都合の良い夢幻じゃないかと不安になってる二人。
クライヴはそもそも十年以上、死んだ、殺したと思っていたジョシュアが生きていたと言うことに。
ジョシュアは兄と再会できたことも勿論ですが、フェニックスゲート事変で普通なら死んでいる状態まで陥ったことから、自分自身が生きて兄の傍にいられると言う現実そのものに。

知られていないつもりで、何度も相手が生きてることを確かめていたりするかも知れないな、と思ったのでした。

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