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2025年09月25日

[16/シド]三回、深呼吸する

お題配布サイト 【シュレーディンガーの猫】






ああ、まただ。
どうにもならない遣り切れなさと、此処まで走ったなら十分だろうと、無理やりに自分を納得させる為の思考を反復する。
体を否応なしに苛む感覚が響く度、そんなことを繰り返す。

それなりに人生経験は豊富だと自負している。
それは生きて来た流れでそうなったとも思っているし、単純に、生きた年数からそう思う所もある。
長い間剣を握って生きる者のうち、自分の年齢まで生き長らえた者は、相当な幸運持ちに違いない。
流れの傭兵をしていた時も、分不相応な立場に祀り上げられていた時も、それらを全て捨ててからも、死神はいつだって隣にいた。
雷帝の力に目覚めたとてそれは変わらず、寧ろ、その負荷によって死神がけたけたと笑う聲が酷くなったように思う。
さあお前はいつまで持つかな、とでも謡うように。

左腕が軋むようになった。
左手の感覚が鈍くなった。
左肩が上がらなくなった。
少しずつ少しずつ、確実に、この身を蝕む毒は拡がっていく。
お前の理想など叶うことはない、叶えるまでにその身は砂になって崩れるのだと、笑う死神の聲がする。

この現象は、逆転することはない。
様々な文献を紐解いて記録を漁ってみたが、治療の方法は何処にもなく、今の所、新たにそれが見付かりそうな気配もない。
腕の良い医者が仲間になってくれたから、彼女に協力を仰いで色々と研究して貰ってはいるが、何にせよ、こうした研究は一朝一夕で叶うものでもなかった。
医者故にその進行度の重要性をよくよく知っている彼女には、本当に、厭なことに付き合わせていると思うが、彼女は「私は医者だから、これは私がやるべきこと」と言ってくれる。
強い仲間がいてくれることが嬉しかった。

その傍ら、一人、また一人、静かに朽ちていく仲間を見送る。
静かな寝床で眠るように逝けた者が、一体何人いただろうか。
呻き声を仲間に聞かせたくないから、子供たちを怖がらせたくないからと、調合した()で最後の眠りに就く者を見る度に、また救えなかったと歯を噛む。
自分の意思で、自分が最後に眠る場所を選べるのだから幸福だと、そう言ってくれる仲間の言葉が、せめてもの慰めだった。

そしていつか、自分も其処へ行くのだろう。
皮膚を白むものが拡がっていくのを見る度に、その現実を目に焼き付ける。

ただ、それでもまだ、止まれないのだ。

黒の一帯の只中にひっそりと作った、隠れ家の一番奥の部屋。
商売っ気の強い仲間のお陰で手に入った、丈夫で質の良いデスクは、こんな環境でも光沢を失わない、上等な代物だ。
その天板に広げた地図は、ある一地域を広く記したものから、誰も知らない密かな地下道まで綴られている。
部屋の主が思考の為に広げたものだが、今その人物───シドはそれを見ていない。


(……くそ。まだ痛む)


右手で握り潰すように掴んだ左腕は、鈍く重い痛みを発している。
痛み止めを使えば多少は柔らぐだろうが、手持ちのものは使い切っていた。
タルヤの下に貰いに行くのは難しくないが、最近、それの消費が激しいことを知られれば、彼女にどんな顔をさせてしまうか、想像は易い。
頻度が増えていること、痛みの度合いが酷くなっていること、それを軽減する方法が殆どないこと───どれもが彼女にとっては悔しいに違いない。

そして隠れ家の長たるシドの不調が続けば、その事実は次第に隠れ家全体に広がって、此処で生活している者たちに不安を覚えさせてしまう。
この場所以外で、ヒトとして生きていくことが出来ない者たちにとって、それは換え難い恐怖になるだろう。
彼らが安心して日々を過ごせるように、シドは出来るだけ、この痛みを隠し通さねばならなかった。

懐から愛用の煙草を取り出して、口に咥える。
いつものように指先で火をつけようとして、痛む体がそれを妨害した。


「……煙草も満足に吸えんか。いよいよかもな、これは」


小さく呟けば、虚しい声音が冴えた空気に溶けるように消えていく。
苦い表情に笑みが浮かぶのは、そんな顔でもしなければやっていられない、意地と自嘲によるものだ。

そもそも、煙草なんてものは、痛む体に鞭を打つようなものだ。
だからタルヤは毎度顔を顰めてくれるのだが、数少ない趣向品であることと、言っても聞かないと言う諦めか、取り上げることはしなかったし、カローンに仕入れてくれるなとも言わない。
それは恐らく、“煙草を吸うシド”と言う姿が、隠れ家で暮らす人々にとって、一種の安心材料として受け入れられているからだろう。
何でもない日常の中に溶け込むその風景の為に、タルヤはあくまで医者として、苦言を呈す以上のことはしなかった。

───ふう、とシドは意識して細い息を吐き出す。
そうしてもう一度、指先に燈した魔力で、煙草の火をつけた。


「………ふーーー……」


煙をたっぷりと肺に送り込んで、薄暗く高い天井に向かって吐き出す。
燻る紫煙はゆらゆらと波打つように揺らめいて、洞窟特有の冷たい空気の中に混じって見えなくなった。

咥え煙草のまま、シドは自身の左手を見た。
指先を動かすと、まだ其処に神経が通っている感覚がある。
手のひらを握り、開き、と繰り返しながら、じんじんとした重い痛みが体にかける負荷の具合を確かめた。


(……まだ動く)


全くの健全にと言う訳ではなかったが、感覚はあるし、思った通りに指も動く。
この手で剣を握れと言うのは聊か厳しいが、精密な操作をしない魔法を撃つなら問題ないだろう。
まだ前線に立つことは出来る。

だが、鬱陶しいことに、痛みの感覚は未だ治まる様子はなかった。
表面に見えるだけでなく、皮膚の内側、肉の内部でも、浸食が進んでいるのだろう。
こうなってくると、内側から訴える痛みが簡単に止んでくれることはない。

……がやがやと、ドアの向こうから遠く賑やかな声がする。
耳を欹ててみれば、どうやら魔物の討伐に出ていた仲間たちが戻ってきたらしい。
ついでに何か良い収穫が手に入ったのか、何処かはしゃぐように高い声も聞こえてくる。
今日の厨房はいつもよりも忙しく、ラウンジは賑やかになるかも知れない。

────と、言うことは、とシドが考えると同時に、足音と声がこの部屋へと近付いて来るのが分かった。


「だからよ、あそこの道は結構厳しいんだって」
「でも越えられるなら、あそこを通った方が効率的だろう」
「そりゃそうだけど、魔物だって多いんだぜ。安全取るなら、迂回した方が良かったよ。まあ、何もなかったけどさ」
「迂回ルートは落石があるだろう。魔物なら俺が切れば済む」


言い合う会話が聞こえてきて、随分仲良くなったもんだ、とシドは小さく笑う。

その傍ら、煙草を指に挟んで、煙のない呼吸を一回、二回と繰り返した。
意識して深く吸い込んだ空気を、ゆっくり、途切れないように意識しながら細く長く吐き出す。
体が訴える鈍い痛みを、静かに蓋をするように、体の奥底へと押し込んでいく。

最後の一息は、煙を飲んでから。
口元に当てた煙草から、重石を乗せるように、腹の底に己が抱えるものを閉じる。

ゴツゴツ、と固い感触のノックがドアの向こうから聞こえて来た。
来たぞと報せる為だけの音に、シドが返事をしなくても、扉は向こう側から開かれる。


「戻ったぞ、シド」
「聞いてくれよ、シド。こいつまた無茶してさあ」


部屋にやってきたのは、クライヴとガブだった。
その顔は分かりやすく疲労が滲んでいるが、ともかく報告だけは先にしておこうと、帰った足で此処まで来たのだろう。

報告よりも何よりも、先ずは相方がまたしても無茶をしてくれたことに、ガブの愚痴が始まった。
なんとか言ってやってくれ、と顔を顰めて言うガブに、クライヴは物言いたげに眉根を寄せているが、未だ口数ではガブの方が分があるらしい。
ああでこうでと身振りに説明するガブを、時折反論するように何某か挟むクライヴだが、ガブはお構いなしに喋り続けた。

ガブの愚痴は止まらないが、そんな話が報告代わりに出て来ること、それをクライヴが制止しない所からして、今日の魔物討伐は無事に終わったと言う事だろう。
若しも深刻な負傷者がいるのなら、ガブもこうは言わないし、クライヴの表情ももっと昏い。
だからシドは、ガブの気が済むのを十分に待ちながら、肺の中に取り込んだ煙をゆっくりと吐き出してから、いつものように「ご苦労さん」と笑うのだった。



あと少し、もう少し。
その少し先に行き付くまで、煙に隠した深呼吸を繰り返す。






【一途に思い続けた先へ5つのお題】
2:三回、深呼吸する

恐らく、シドとクライヴが出逢った時点で、シドの体の石化は既にそこそこ進んでると思うんです。
石化すると動かないのは勿論、痛みを発する他、感覚神経の鈍麻もあるんじゃないかなと。
でもシドはドレイクヘッドに向かう時も、クライヴに自分の体がそうであるとは言わないし。
タルヤを筆頭に、付き合いの長い面々には石化のことは知られていても、それが内包的に何処まで進行しているかと言うのは、大分隠していたんじゃないかと思っています。
自分がいなくなっても大丈夫、と思える環境が出来るまで、自分の後を託せる人を得られるまで(結果的に最期まで)、シドは隠れ家に置ける自分の存在の重要性を鑑みて、結構色んな事を秘密にしてたんじゃないかなあ……

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