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2017年08月
急に優しくされると、戸惑ってしまう。
レオンからクラウドに対する態度は、やや辛辣なものである事が多い。
幼馴染の面々の中では、年長に当たる彼は、基本的に年下の人間に対して多分に甘い所があった。
最年少であったユフィには判り易いもので、彼女の判り易いおねだりにも応えてやるし、ちょっとした我儘や失敗なら寛容する。
エアリスはしっかり者であり、時にはレオンさえ食ってしまうような大胆さを持っているが、彼女に対しては“女性相手”と言う意識が働くのか、ユフィ相手程ではなくとも、やはり甘い。
世界を駆け回るキーブレードの勇者に対しても、これは同じで、自分よりも十歳近く幼い彼に、時に標を示す為に、時にただただ甘えたがる少年を保護者のような気持ちで、甘やかしている場面はよく見られるものだった。
ついでにシドに対しては、自分の養父的存在であると言う点から、頼りにしている所はありつつも、やはり甘い所も少なくない。
例えば飲み明かした翌日、シドが二日酔いで起きて来た時は、少々の咎めは口にしつつも、長々とした説教はなく、最終的には「次は気を付けてくれ」と締めくくるのが殆どであった。
そんな中にあるから、余計に、だろうか。
レオンはクラウドに対してのみ、言葉も態度も当たりが少しきつい事がある。
それは多少の事でクラウドが動じないと判っているからであり、クラウドの方も自分に対しては遠慮なく接しているからだった。
相手が傷付くまいと言葉を選ぶ必要も、機嫌を損ねないように配慮する意味もないので、ストレートな表現が出て来るのだろう。
言い換えれば、レオンが最も素で接しているのがクラウドである、と言っても可笑しくはあるまい。
────それだけに、急に判り易く優しい態度を見せられると、クラウドはどうして良いか判らない。
(……お陰で寝床にすんなり入れたのは有難かったが……)
昨夜、クラウドはいつものように、予告なくレオンの家を訪れた。
泊まらせてくれ、と藪から棒に要ったクラウドを、レオンは一つ溜息で「入れ」と言った。
其処までは、いつも通りの流れである。
いつもなら、その後はシャワーだけを借りて、ソファをベッド替わりにさせて貰う事になっていた。
しかし、昨日はクラウドが来た所で、レオンが「風呂を入れて来る」と言った。
クラウドはシャワーで十分だと言ったのだが、そんな会話をしている間に、レオンはバスタブに湯を出し始めていた。
溜まるまで少し待てと言われ、いつにないレオンの様子に首を傾げつつも、機嫌が良いのだろうと思う事にして、暇潰しの方法を探していた。
すると、レオンが冷蔵庫から作り置きの酒のツマミを持ってきた。
食って良いぞと言われ、腹が減っていたので有難く貰ってから、そこそこ溜まった湯船に入らせて貰った。
折角入れて貰ったので、ゆっくりと浸からせて貰ってから風呂を出ると、着替えに使えと綺麗に洗濯され畳まれたレオンの部屋着が置かれていた。
肩幅は足りないが、裾や袖は若干余ると言う事に密かな悔しさを滲ませつつ、服を借りた。
思いの外のんびりとした夜を過ごせた事に満足しつつ、ソファで眠ろうとすると、レオンに「お前はあっちだ」とベッドを指された。
流石に困惑し始めたクラウドであったが、レオンはお構いなしで、自分がソファに横になって、直ぐに寝息を立て始めた。
眠られては起こす訳にもいかず、使えと言われたのだから良いか…と言う精神で、クラウドはレオンのベッドを借りて眠った。
これが昨夜の一連の出来事である。
昼に近い時間になって目を覚ましたクラウドは、自分がまだベッドで寝ていた事に驚いた。
褥を共にした夜ならともかく、バラバラに眠っているのにベッドとは何故、と先ず其処からだ。
自分がベッドで眠るまでの事を思い出して、改めて常と違う夜を過ごした事を認識し、今更ながら混乱した。
(……どれだけ機嫌が良かったんだ?)
ベッドまで譲り、自身はソファに寝転がった家主を思い出し、クラウドは何の気紛れだったのだろうかと頭を掻く。
その家主はと言うと、近付く昼食に向けて、キッチンでフライパンを手にしていた。
ふあ、と欠伸をしながらベッドを下りて、着替えなければと服を探す。
が、見付けたそれが、ベランダの天日に干されているのを見て、諦めた。
まだこれを借りていて良いのだろうか、とややサイズの合わない服の端を引っ張りつつ、クラウドはキッチンへと向かう。
足音と近付く気配に気付いて、レオンの目がちらりと此方を見た。
「起きたか」
「ん」
「直に昼だ。それまで少し待っていろ」
今作っているから、と言うレオンに、クラウドは頷いた。
「顔を洗ってこい」
「……了解」
眠気眼を擦りながら、クラウドは洗面所へ向かうべく方向転換する。
歩きながら、じゅうう、と言う音を聞いて、肩越しに少しだけ振り返ってみた。
レオンはキッチン台に置いたボウルから白色のとろりとした生地を掬い取り、高い位置からフライパンに落としている。
どうやらパンケーキを作っているようだ。
洗面所で冷たい水道水で顔を洗っていると、寝惚けていた頭が段々とクリアになって来た。
その頭で、今一度昨晩の事を思い出し、
(……俺、死ぬのか?)
妙に優しいレオンの様子を鑑みて、クラウドの思考はそんな結論に行き着いた。
クラウドに対し、いつでも遠慮のないレオンが、昨夜から妙に優しい。
まるで、これで終わりだから最後位は、と終わりの禊をされているような気分だ。
まさかそんな事はないと思いたいが、このまま何かの生贄にでもされるのではないか、と勘繰りたくなる位に、いつもと環境が違う。
洗顔を終えてリビングダイニングに戻ってみると、食事の用意は着々と整えられていた。
レオンは食事の前にと、使い終わった調理器具を洗いながら、クラウドが戻って来た事に気付き、
「遅かったな」
「……寝癖を直していた」
「そんなもの、あっても大して判らないだろう」
詮無い嘘に対して返って来た言葉は、いつもと同じ素っ気無いもの。
それを見て、これはいつも通りのレオンだな、とクラウドは思った。
二脚の椅子の片方に座ると、レオンはキッチン台に置いていたメインの皿をクラウドの前に置いた。
三段重ねにされた、焼き立てのパンケーキ。
其処に蜂蜜と固めに作った生クリームが据えられている。
妙に可愛らしい食卓に、クラウドがぽかんとして見ていると、レオンも自分の分を持って席に着いた。
レオンのパンケーキは二段重ねで、溶け始めたバターが載せられている。
「もう少し高さを出したかったんだが、難しいな。結局重ねてしまった」
「…いや…それは別に良いんだが、随分可愛い昼飯だな」
「不満か?」
「……別に」
作って貰っておいて、不満も何もない。
ただ、いつにない形のメニューであるとは思う。
じっとパンケーキを見詰めるクラウドに、レオンがああ、と思い立ったように言った。
「旗でも立てようか」
「は?」
「オムライスじゃないが、こう言うものにもよくあるだろう」
爪楊枝はあったと思うんだ、と言って席を立とうとするレオンに、クラウドは慌ててストップをかける。
「待て待て待て。子供じゃないんだ、そんなもの」
「なんだ、そうか」
「……つまらないみたいな顔をするな」
心なしか寂しそうな表情で座り直すレオンに、クラウドは呆れるしかない。
「あんた、今日はどうしたんだ。昨日の夜もそうだったが」
「そんなに可笑しく見えるか?」
「……見える」
寝床を借り、食事も用意して貰って、こんな事を言うのは気が引ける。
一応、世話になっている身なのだから。
しかし、それを加味しても、今日のレオンはいつもと違い過ぎて、クラウドは戸惑いを隠せない。
あまりにも違い過ぎて落ち着かず、クラウドがそれを正直に口にすると、レオンはくつくつと笑った。
「俺もそんな気はしていた。やっぱりいつもと違う事をすると落ち着かないな」
「…判っててやっていたのか…」
「ああ。今日くらいは、これ位してやっても良いかと思ったから、それで」
「今日?」
何かあったか、とクラウドが首を傾げると、レオンは含みのある表情を浮かべるのみ。
自分で気付けと言わんばかりに、彼は食事を始めた。
クラウドは頭を捻りつつ、自身も久しぶりの昼食に手を付ける。
三段重ねのパンケーキは、一枚ずつが二センチ程度の厚みがあるお陰で、そこそこの高さになっている。
其処にナイフとフォークを入れて切り分けると、中は空気を含み、ふっくらとした焼き上がりになっていた。
蜂蜜と生クリームのお陰で、随分と甘味が強いが、お陰でサラダと一緒に添えられたベーコンの塩気が旨い。
食事を終えると、レオンがコーヒーを淹れた。
甘いパンケーキの後だったので、ブラックのまま貰う。
クラウドがのんびりとコーヒーカップを傾ける傍ら、レオンは食器を洗っていた。
手伝った方が良いんだろうか、と思ったが、自分では力加減を間違えて割ってしまうのが関の山だろう。
折角、妙に優しいレオンから、蛇を出させるような真似はするまい。
(それにしても、今日が一体何だと────)
取り立てて気になるような事などない筈だ、とクラウドが見たのは、日めくりカレンダーだ。
8月11日と記された数字をしばし見詰めて、その意味を考える。
考えて、考えて、────あ、とようやく思い出した。
(……誕生日。それでか)
すっかり忘れていた自分の事を、ようやっと思い出して、クラウドは全てに納得した。
昨晩、クラウドがこの家を訪れた時には、日付は既に変わっていたのだろう。
だからレオンは、寝入ろうとしていた目を擦りながら、風呂を入れたり、食事を用意してくれた。
本人の意識するしないはともかく、折角今日と言う日に帰って来たのだから、少しは優しくしてやろう、と。
昨晩から続く疑問が解消されると、クラウドの口から零れたのは、安堵であった。
どうやら自分の命日になる訳ではなさそうだ、と言う気持ちから出て来たものだ。
食器を洗い終えたレオンが、ベランダへと向かう。
朝から干していたのであろう、クラウドの服を取り込んで、きちんと畳んでから、ソファの端に置いた。
その間にクラウドはコーヒーを飲み干し、レオンへと近付いて、彼の腕を掴む。
なんだ、と問う蒼灰色に、クラウドはぐっと顔を近付けて、
「あんた、今日一日、俺に優しいのか?」
「まあ、そのつもりではあるな」
絶対とは言わない、と言いつつも、それでも十分な譲歩なのだろう。
「だったら、これからスるのは?」
「少しは慎め」
「明日から努力する」
露骨なクラウドに言い方に、レオンは呆れたが、それを指摘してもクラウドに反省するつもりはない。
レオンもそれは判り切っていたので、やれやれ、と肩を竦めるのみに留め、
「後でお前を連れて来いと、ユフィ達に言われているんだ」
「……そうか」
「行かないと言うなよ?お前の為に準備しているんだから」
「判っている」
無駄にしてくれるな、と釘を刺した上で、蒼が窄められ、
「だから、夜なら付き合ってやる」
それまでは我慢しろ、と言う台詞の後、柔らかいものが掠めるようにクラウドの口端に触れた。
クラウド誕生日おめでとう!
と言う事で、クラレオも。
うちのレオンはクラウドに色々と容赦がないので、誕生日は甘やかし成分を増やしてみる。
今日は誕生日パーティをするんだから、早く帰って来いよ、と言われていた。
約束の出来ない事を言われても、クラウドは努力すると曖昧な返事しか出来なかったのだが、仲間達の心遣いは嬉しかった。
本来の役割の持ち回りを飛ばして、恋人であるスコールと二人での散策任務が回されたのも、その一環なのだろう。
夜は仲間達と賑やかに過ごすのだから、日中は二人きりで楽しんで来い、と言う事だ。
この露骨な気遣いに顔を顰めたのはスコールの方であったが、バッツに「じゃあ夜に二人っきりの方が良いか?」と言われて、沸騰した。
夜に二人きりになったからと言って、“何”をすると言われた訳ではないのだが、その手の話に敏感な思春期の少年に対する言い方としては、中々意地が悪い。
真っ赤な顔でガンブレードを握るスコールを宥め、「行かない!」「一人で行け!」と言う彼を引き摺りながら秩序の聖域を出発したのは、半日前の話である。
散策に出れば、イミテーションの駆逐と、歪の侵食を調べて回るのが仕事であったが、今日はそれも大した数にはなっていない。
と言うのも、今日の任務先として指定されたエリアは、つい先日、他のメンバーが散策を終えたばかりの場所だからだ。
混沌の大陸に近い位置ならば、一日二日が経つだけで再侵食が始まるのだが、今回はその心配はない。
その事に気付くと、またスコールが赤くなって口を利いてくれなくなったが、聖域にいた時と違い、人目がないお陰か、それ程尾を引く事はなかった。
とは言え、だからと言ってやるべき事を何もせずにいると言うのも、落ち着かない。
クラウドにしろスコールにしろ、その点は真面目なのだ。
形だけではあるが、点在する歪のパトロールだけでも済ませておこうと、二人の意見は一致した。
歪はそれぞれ離れた位置に点在しているので、出たり入ったりを繰り返す必要はなく、時間の殆どは移動に費やされた。
イミテーションの姿すら見られないので、退屈と言えば退屈な道中である。
しかしクラウドは、こんなにも穏やかな散歩道と言うのも滅多にない事だと、悪い気はしなかった。
いつも歪が浮かんでいる場所に、いつも通りの青い歪がある。
念の為にと飛び込んでみると、其処はジタンの世界の破片と思しき、風変りな飛空艇の上だった。
ジタンが『劇場艇』と呼んでいたように、飛空艇の上はまるでステージのような広さと段差がある。
透明な壁に覆われた向こう側は、何処までも続く夕日色の空があり、天空を飛んでいる状態を切り取られた世界のようだ。
歪の紋が青を映していた通り、内部にはイミテーションの影もなく、劇場艇のプロペラ音が薄らと聞こえて来るだけだった。
「此処も問題ないな」
「ああ。……なあ、スコール、少し休憩して行かないか?」
確認だけを済ませて直ぐに歪を出ようとするスコールを、クラウドは引き留めた。
スコールは、何を暢気な、と言いたげな表情を浮かべるが、
「此処から次の歪までは、少し距離があるだろう。このまま行くと途中で疲れるぞ」
「……」
そんなに言う程の事ではないだろう、とスコールは思ったが、これまでに比べると少し距離があるのも事実。
周辺環境の傾向から見ても、急ぎ足で回らねばならない理由もない。
歪の出口へと向かおうとしていたスコールが踵を返すのを見て、クラウドは満足そうに頬を緩めた。
ジタンが言うには、劇場艇の甲板は、実際に舞台のステージとしてよく使われていると言う。
広い下段のステージは、両端から高台になる上段へと上る事が出来、登ってみるとその高さの違いがよく判る。
上段から下を見下ろすと、足元は見えないものの、他はステージの端から端まで見渡せる。
センターとなる位置に立てば、ステージ向こうの雲海まで、余す所なく望む事が出来た。
ジタンの解説では、劇場艇の周り───飛空艇の発着場から、その向こうにある家屋の屋根まで、かなりの距離の場所まで、客席は拡がると言う。
その全ての客に演技が見えるように、声が聞こえるように、物語が届くように演じなければならないから、相当の努力と技術が要るとのこと。
クラウドが上段のセンターの縁に腰を下ろすと、スコールも倣うように隣に座った。
二人の視線は、甲板の向こうの雲海へと向けられている。
「此処は時間が経つようだな」
「……ああ」
多くの歪の内部は、時を止めたまま、昼は昼が、夜は夜がずっと続いている事が多い。
混沌の侵食が進むようになると、時間が経つ内に何某かの変化が起こる事はよくあるのだが、人の足が及ばない範囲───例えば、『夢の終わり』の遠い景色であるとか───は、時間と言う概念にすら置き去りにされたように、変わらぬ景色が居残る。
しかし二人が今いる劇場艇の周辺は、ゆっくりと時間が過ぎて行く。
入った時には橙と紫の混じった夕焼けであった雲海が、今は夜色に染まっていた。
夕暮れはあっという間に終わるとはいえ、一時間も此処にいる訳ではないのに、風景の変化が速い所を見ると、やはり現実の時間とは何かが異なっている事が判る。
眺めている内に、雲海の景色は夜のものに変わっていた。
雲の上を飛んでいるとあって、上空には一片の翳りもなく、満天の星が世界を満たしている。
(……良い景色だな)
じっと空を見詰めながら、クラウドは思った。
星空や月ならば、『月の渓谷』に行けばいつまでも見られるだろう。
あそこの景色も良いが、しかし空の上から空を見る事が出来るのは、この劇場艇だけだ。
大地から見るよりもずっと近い場所から見る所為か、星が随分と明るく見える。
クラウドは、此処に落ち着いてから沈黙している恋人を見た。
スコールはじっと満点の星空を見上げており、クラウドの視線には気付いていない。
何か考え事をしているのか、蒼の瞳は何処かぼんやりとしており、心此処にあらずと言う様子だった。
時間を持て余すと思考を巡らせてしませ、そのまま自分の内側に沈んでしまう癖があるスコールは、こうなると酷く無防備だ。
そんな少年の横顔に、クラウドの悪戯心が仄かに灯る。
床に置かれたスコールの手に、クラウドは自分の手を重ねた。
途端、はっと我絵に帰った目がクラウドへと向けられる。
「クラ、」
「静かに」
何してるんだ、とでも言おうとしたのであろうスコールの声を遮って、クラウドは重ねた手を握った。
顔を近付けて行くと、クラウドの意図を察してか、星明りで照らされた白い頬が赤くなる。
反射的に逃げようとする腰を捕まえて、クラウドは強い力で引き寄せた。
二人の唇が重なって、蒼灰色の瞳が見開かれる。
「んぅ……っ!」
柔らかな感触と共に伝わる熱に、スコールが身を捩ろうとする。
それは照れ臭さや恥ずかしさから来るもので、触れ合う事を決して嫌がっている訳ではない事を、クラウドは知っていた。
何度も触れては離れを繰り返している内に、段々とスコールの体から強張りが解けていく。
スコールの手を握る手の力を緩めると、彼の手はするりと逃げた後、クラウドの手のひらへと重ねられた。
恥ずかしそうに逸らされる視線を、間近の距離で見詰めながら、応えてくれる恋人にクラウドは愛しさを募らせる。
ゆっくりと舌を絡ませ合いながら、重ねていた唇を離す。
はぁ、と熱の籠った吐息が漏れて、薄く開いた瞼の奥から、仄かに寂しそうな蒼が覗いた。
「……クラウド」
先は呼び損ねた名前を、スコールはもう一度紡いだ。
クラウドを見上げる瞳は、ぼんやりとした熱を宿し、夢現の狭間にいるよう。
そんな彼の頬を撫でると、スコールは甘える猫のように目を細めた。
薄い肩を押してステージ甲板に押し倒すと、スコールの顔がまた赤くなったが、嫌がる事はない。
こんな所で、と呟くのが聞こえたものの、それだけだった。
覆い被さる男を蹴り飛ばす事も、止めろと暴れる事もないから、良いのだろう、とクラウドは受け取る。
大きく開いている襟から覗く鎖骨にキスを落とせば、右手がそっとクラウドの肩を掴みつつ、
「……今日は、早く帰れって」
出発する前の仲間達の台詞を、スコールは思い出したように言った。
それを受けて、ああ、とクラウドは頷く。
「夜までには、な」
「………」
「此処の夜の事じゃないぞ」
夜の雲海へと視線を向けるスコールに、クラウドは苦笑して言った。
そんなに簡単に、この二人きりの時間を終わらせるなんて、勿体ない。
────誕生祝をしてくれると言う仲間達の気持ちは、とても嬉しい。
日付感覚なんてあるようで殆ど必要のないこの世界でも、偶々手に入れたカレンダーを頼りに、細やかなイベント事や労いを計画してくれる面々には、頭が下がる。
クラウド自身、そうした事に鈍い自覚があるので、彼らが言ってくれなければ、今日と言う日すら気付かずにいつも通りに過ごしていた事だろう。
こうしてスコールとの束の間のデートを味わえるのも、そんな彼等の存在があってこそと言うものだ。
しかし、それはそれとして、恋人と二人きりの甘い時間は、長く味わっていたいもの。
平時は何かと別行動を取る事も多いので、生活の擦れ違いも少なくないのだ。
そんな時間を取り戻すように、ゆっくりと、出来るだけ長く、二人きりで過ごせる時間を大事にしても、罰は当たるまい。
歪の中にいる限り、外の時間は判らない。
歪の中の時間が停滞せず、独自の速さで動いているとなると、尚更体感時間は狂う。
それでも、この世界の空が白むまでは、まだしばらくの時間が必要となる筈だ。
夜の雲海を見詰める蒼の眦に、キスをする。
こっちを見ろ、と言うクラウドの誘い気付いて、スコールはふらふらと視線を彷徨わせた後で、覆い被さる男を見上げた。
「……帰り、あんたが運べよ」
「判っている」
意を決したように、真っ赤な顔で要請する恋人に、クラウドは緩む口元を堪えて頷いた。
スコールの手が、クラウドの頬を撫でる。
誘われるままにもう一度唇を重ねると、撫でる手は首へと絡められた。
クラウド誕生日おめでとう!
と言う訳でクラスコ。
運べと言う事は、自分が歩けなくなる予想はしていると言う訳で。
誕生日だから、恥ずかしいけど応える気持ちはあるのです。
同居生活を始めて以来、先に目が覚めるのは、大抵サイファーの方だった。
スコールは任務の言葉が絡めばスイッチが入り、自分で意識した時間に自動で目覚める機能が付くが、平時はその機能は完全にオフになっている。
この為、平時のスコールと言うのは非常に寝汚く、寝起きも悪い。
それでも、ガーデン寮で一人暮らし同然の生活をしていた間は、朝食の準備をする事があったのだが、サイファーと同居を始めてからは、専ら寝起きの良いサイファーが担うようになった為、起こされるまでベッドの住人になっている事が多い。
他にも、別の理由で起きたくても起きられない時もあるので、朝の準備と言うものは基本的にサイファーが引き受けるようになっていた。
今日のスコールは、目覚める事は目覚めたが、起きる気力がなかった。
腰が痛い、喉が痛い、と不満を呈するスコールを宥めて、サイファーは着替えを済ませて、キッチンへと向かった。
昨夜は少々張り切ってしまったので、サイファーも少々腰に痛みが残る気がするのだが、それでもスコールよりは遥かにマシである。
ふあ、と欠伸を漏らしながら、サイファーはパンをトースターに入れ、昨日の夕飯にスコールが作り置きしていたスープの鍋を冷蔵庫から取り出す。
鍋を火にかけて温めながら、その隣にフライパンを出して、真空保存されたベーコンのパックを開け、油は引かずにフライパンに乗せる。
焦げ付かせない程度に火力を調整し、放置しないように気を付けながら、レタスを千切ってサラダを作った。
ふつふつと鍋の中身が沸騰して来た所で、サイファーは鍋の火を止めた。
流し台のラックから二人分の食器を出していると、ぺたぺたと裸足の足音が聞こえる。
「おう、起きれたのか」
「……一応」
サイファーが振り返ると、腰を僅かに庇う仕草を見せながら、スコールがキッチンの入り口に立っていた。
起きれたんなら何よりだ、とサイファーは言ったが、直後にスコールの格好を見て眉根を寄せる。
「おい、それ俺のパンツじゃねえか」
「落ちてたから借りた」
「お前な」
「……ずり落ちそうだ。あんた、太ったんじゃないか」
「お前が細っこいだけだ」
スコールは部屋着にしている大きめのシャツと、サイファーのトランクスと言う井出達だった。
ズボンは面倒だったのか履いておらず、毛の薄い足が剥き出しになっている。
昨夜、その足に軽く噛み付いてやった時、酷く恥ずかしがって暴れていた癖に、今はその足首に噛み痕が残っている事も気にしていない。
嫌がる基準がいまいち謎だよな、と思いつつ、サイファーは火の通ったベーコンをフライパンから上げた。
「風呂場から自分の服取ってこい。もう乾いてるだろ」
「……ん」
昨日の夜、風呂に入っている間に洗濯機は回した。
それが終わると、脱水の終わった洗濯物は風呂場に干され、換気扇を回すのが毎日の通例である。
換気扇は一晩回り続けているので、余程厚みのある生地でなければ、服は大方乾いている筈だ。
スコールはのろのろとした足取りで風呂場へと向かって行った。
足元がまだ覚束無いのを見るに、腰の痛みは当然として、睡魔もまだ残っているのかも知れない。
ついでに顔洗え、と言うと、スコールは振り返らないままひらひらと片手だけを振って、脱衣所兼洗面所へと消えた。
トーストに良い焼き色が付き、スープをスープ皿に移して、朝食の用意は整った。
その頃にはスコールも服の回収を終えて戻ってきており、着替えを済ませて食卓テーブルについていた。
「ほれ、飯だ」
「ん」
「お前、寝癖ついてんぞ」
「……後で直す」
不自然に跳ねた横髪を指摘してやれば、スコールは眉根を寄せて答え、イチゴジャムに手を伸ばす。
ジャムを塗ったトーストを、スコールは大きく口を開けて齧る。
サイファーもベーコンにフォークを指して、口の中へと持って行った。
「食い終わったら買い物行くけどよ。お前も行くか」
「…何の買い物だ?」
「俺のガンブレ、ジャンクショップに預けてるんだよ。それの引き取りと、本屋と。後は適当にブラついて」
「昼飯、外か?」
「ああ。冷蔵庫の中身が少ねえから。んで、帰りに食糧まとめ買いして帰る」
一日の予定を話すサイファーに、スコールは水の入ったグラスを片手に、ふむ、と考える。
昨日まではお互いに任務があったので、命を削る現場にいた。
それを終えての昨夜であったので、それもあって今朝のスコールが疲れていた事もある。
だから今日は何もせずに家で寝て過ごしたいと言うのがスコールの本音であったが、外を見れば澄み渡った空がある。
どちらかと言えば出不精な気質であるスコールでさえ、少し出掛けてみても良いか、と思う程の気持ちの良い晴れ空であった。
「……昼飯もないなら、そうだな。行く」
「おう」
デートだな、とサイファーが言うと、出掛けるだけだろ、とスコールは言った。
二人で出掛けるんだからデートだ、と言うサイファーに、スコールはふぅんと興味のない様子で返すと、スープに手を伸ばした。
少し遅めになった朝食を終えると、片付けはスコールが担当した。
食事をするとそこそこ目が覚めるようなので、朝食作りをサイファーに任せる代わりに、片付けは彼が引き受ける事になったのだ。
スコールが食器を洗っている間に、サイファーが洗濯物を取り込んで畳んでいく。
自分の物とスコールの物をきっちりと分けつつ、店売りの商品のように綺麗に畳まれて行く服に、几帳面だよなとスコールは思う。
スコールもお気に入りの服は皺にならないように気を付けるが、それ以外は適当に済ませてしまうのが常だ。
サイファーは意外と主夫に向いているのかも知れない、と時々思う。
それぞれの仕事が終わると、着替えて出掛ける支度をした。
「最初はジャンクショップ?」
「ああ」
「……邪魔にならないか?」
「時間指定で取りに行くって言っちまったんだよ」
「…じゃあ、回収したら一回家に戻るか」
面倒だけど、と呟けば、それで頼むわ、とサイファーが言った。
家を出てから大きな道に出て、しばらく真っ直ぐ進んだ後、路地を一本中に入る。
夏本番になって眩く輝く太陽に、スコールはやっぱり家にいれば良かったかも、と早々に後悔していた。
しかし、隣を歩く男は、何処か楽しそうだ。
小さな看板を掲げただけの目立たないジャンクショップは、二人暮らしを始めてから、行き付けになった場所だった。
恰幅の良い男が経営している所で、今時珍しいガンブレード使いであるスコールとサイファーの事を痛く気に入り、ガンブレードの調整料金も安く割り引いてくれている。
傭兵として武器の修理調整は欠かせないので、頻繁に修繕に出さなければならないスコール達にとっては、有難い事である。
サイファーがジャンクショップに愛剣を預けたのは、昨日、仕事から帰って直ぐの事である。
時間にしてあれから12時間と経っていないのだが、傭兵と言う職業への理解も強い店なので、獲物がなくちゃ心許ないだろうと、優先して整えてくれた。
だから指定された時間に回収しなければならなかったのだが、修理の腕や値段を考えれば、その程度の手間は気にならない。
サイファーはケースに入ったガンブレードを受け取ると、一旦家へと帰り、愛剣を自室へと置いて、改めて二人は散策へと出掛けた。
「本屋か。何か気になるものでもあったのか?」
「“魔女の騎士”の復刊版の発売が今日なんだよ」
「……復刊版なんて。あんた、確か原本持ってるだろう。古本屋で見付けてバカみたいにはしゃいでたじゃないか」
「バカみたいは余計だ。それはそれ、これはこれだよ」
新しい本には新しい注釈がついていたり、解説がついていたりするから、確認しないと。
そう言うサイファーの隣を歩きながら、スコールはいまいち判らない、と思う。
紆余曲折の中で、それぞれ本物の“魔女の騎士”になったスコールとサイファー。
“魔女の騎士”と言うものが、単純に聞こえの良い称号だけの、格好良いものではないと言う事は、その身で実感した。
にも拘わらず、サイファーは相変わらず“魔女の騎士”に憧れている。
彼が憧れているのは、物語の中で描かれた“悲壮な宿命を辿った魔女を護る騎士”であって、現実のそれとは別物────と言う事らしいが、それでもスコールには、彼が“魔女の騎士”に憧れる事に共感は出来ない。
スコールがそう思うのは、魔女戦争の英雄として祭り上げられてしまっている事もあるが、それ以上に、
(……これの所為だと思うんだよな)
本屋でサイファーが見付けた復刻版の“魔女の騎士”の本を見て、スコールは眉根を寄せる。
本の表紙に載っているのは、映画版“魔女の騎士”の主演を務めた男────ラグナ・レウァールだ。
当時のフィルム映像の一部分を切り取り、コラージュして作られたのであろう表紙に載ったラグナは、最近スコールが逢った時に見たものに比べ、随分と若い。
きりりと引き締めた表情を浮かべ、隣の男と同じ───意図して真似ているのはサイファーの方だが───形でガンブレードを構えている男に、本人の平時を知っている所為か、無理をしているな、と思う。
スコールのそんな胸中は知らず、サイファーは見付けた本を早速レジへと持って行く。
レジが終わるまでの間、スコールはふらふらと本屋の中を歩いてみたが、気になる物は特に見付からなかった。
今月の月刊武器は既に買っているし、カードゲーマー向けの雑誌も、購入済み。
サイファーがレジを済ませて戻って来ると、そのまま店を後にした。
時計を見ると、昼前と言う時間。
朝食が少し遅かった事を思うと、食事にするには早いような気がしたが、あまりのんびりとしていると、いざ食べようと思った時には満席で何処にも入れない、と言う事にも成りかねない。
軽く食べられる所を探そうと言うと、サイファーが良い店があると言って案内し始めた。
サイファーに連れて来られたのは、小ぢんまりとしレストランだ。
個人で経営されているのだろう、席数は勿論、メニューの数も多くはない。
正午になって人が増えるとしても、大通りの店にあるような混雑はなさそうだ。
その静けさがスコールは気に入った。
「こんな店、あったんだな」
「ヘタレが見付けて来た」
「アーヴァインが?」
「セルフィとのデートコースでも探してたんだろ」
「……誘ってから探せよ」
「全くだ」
サイファーがメニュー表を開き、スコールへと見せる。
受け取って眺めてみると、ランチメニューはサンドウィッチが主だった。
これも物によっては多いんだよな、写真をチェックしながら、量が少なそうなホットドックとサラダを選ぶ。
サイファーはプレートセットを一つ頼み、食後のコーヒーは二人分注文した。
昼を迎えて、外の気温は一層上がりつつある。
窓から見える景色が、薄らと陽炎を滲ませているのを見て、早目に店に入って良かったとスコールは思う。
「───で、この後はどうする?」
「どうって……」
「用事って用事は済ませたからな。後は考えてなかった」
サイファーの言葉に、そう言えば適当にブラつく、としか言っていなかった、とスコールは思い出す。
「お前、何処か行きたい所あるか?」
「……俺は別に」
元々、外出する事に積極性もないスコールである。
特別気になるもの───カードであるとか、シルバーアクセサリーであるとか───がなければ、特に行きたい場所もない。
サイファーの用事について来たのも、単なる気紛れであった。
しかし、出不精のスコールが折角一緒に来たのだから、サイファーはもう少しデートを楽しみたかった。
「映画館でも行くか?」
「…何か見たいものでもあったのか?」
「いや、別に。なんか気になるものがあったら見てみようぜ」
「……」
映画館なんて、スコールは滅多に行かない。
それこそ、テレビCMで見たものをサイファーが気にして、引き摺られて行く位のものだ。
けれど、この暑い中を無作為に歩き回る事を考えると、映画館に行くのは悪くない。
映画館なら空調も聞いているし、座って流れるムービーを見ていれば良い。
肌に合わない映像なら、最悪、眠ってしまえば良いのだ、ともスコールは思っていた。
「……じゃあ、行く」
「決まりだな」
スコールの反応に、サイファーは満足そうに笑う。
運ばれて来たホットドッグを食べながら、スコールは此処数日で見た覚えのある映画のCMを思い出していた。
しかし、普段からその手の物に全く興味がないから、記憶も虚ろで、大したものは思い出せそうにない。
それを口にすると、行ってからのお楽しみで良いじゃねえか、とサイファーは言った。
────結局、スコールは映画館でスクリーンを眺めている内に眠ってしまうのだが、寄り掛かって眠る恋人の姿に、サイファーは存外と満足した休日を送るのであった。
『サイスコで何気ない日常の一コマ』のリクエストを頂きました。
張り合う事もなくのんびりと過ごしてる二人を。
スコールはちょっとお疲れです。昨日がアレだったので。それも含めてサイファーは満足してる。
「……暑い」
出迎えたウォーリアを見たスコールの第一声は、その三文字だった。
そのままぐらりと傾いた体を反射的に受け止めて、晒された項が驚くほど真っ赤になっている事に目を瞠る。
気温が真夏日を越えて猛暑日へ、若しかしたら酷暑まで到達するかも知れないと、天気予報で言っていた。
それを見てから、迎えに行こう、とウォーリアは言ったのだが、スコールが要らないと言った。
彼が一人暮らしをしている家から、ウォーリアの住むアパートまでは、徒歩で十分もかからない。
道中には路なりに木があるし、日陰を通りながら行けば大した事はない、何よりどうせあんたの家に行くんだから迎えなんて手間になるだけだろう、とスコールが言ったのだが、それに根負けした自分を、ウォーリアは遅蒔きに後悔した。
普段、スコールは外で過ごす事がなく、その所為か、肌も白い。
元々日焼けする性質ではない事もあり、痩せ型の体躯も相俟って、華奢に見える事もあった。
それでも、運動神経も良いし、スポーツマンには及ばないでも、平均的な体力筋力はある。
だから、きっと大丈夫だろう、とウォーリアは彼が家に来るまで大人しく待っていたのだが、コンクリートジャングルが齎す熱は、数字で見る以上に人体に負荷を齎す。
「スコール、大丈夫か?」
「……ん……」
呼びかけるウォーリアに、スコールは小さな声で返事をした。
しかし、それは問いかけへの返事と言うよりも、声が聞こえたので反応した、と言う程度だ。
ウォーリアはスコールを抱き上げると、リビングへと運び、ソファの上に寝かせた。
リビングは空調のお陰で快適な温度となっており、スコールは火照った肌に触れるひんやりとした涼風に、ほっと安堵の息を吐く。
ウォーリアは冷蔵庫を開け、冷やしていた麦茶を取り出した。
水出しの麦茶をグラスに注ぎ、氷を二つ入れてリビングへと運ぶ。
汗の滲む額に手を当て、ぼんやりとしているスコールに見えるように差し出すと、スコールはちらりとそれお見遣って、ゆっくりと起き上がる。
「……悪い…」
「構わない。ゆっくり飲むと良い」
「……ん」
グラスを傾け、こく、こく、と少しずつの麦茶を喉に通して行くスコール。
肌の赤味は中々消えないが、蒼の瞳には明瞭な意識が戻って来ているのが判って、ウォーリアは胸を撫で下ろした。
「すまない、スコール。やはり迎えに行くべきだった」
「…別に、そんなの要らないって言っただろう」
詫びるウォーリアに、スコールは眉根を寄せて言った。
中身を半分まで減らしたグラスの中で、小さくなった氷がカランと音を立てる。
「だが、私が車を出していれば、こんなにも辛い思いはしなかっただろう」
「……それは、まあ……そうだけど」
「すまない」
「……だからって、あんたが謝るものでもないだろ…」
断って歩いて行くと言ったのは自分だ、とスコールは言って、もう一口麦茶を飲む。
確かに、ウォーリアが迎えに来てくれていれば、炎天下を歩く事はなく、コンクリートジャングルの熱に焼かれる事はなかった。
しかし、彼の申し出を断った時点で、あとは自分の責任だとスコールは思う。
鉄板の如く熱くなった地面と、ビルの窓ガラスから乱反射して落ちて来る陽光熱、更に無風状態により滞留するばかりの熱された空気。
それらを侮った自分が悪いのだ、とスコールは思うのだが、
「いや、私が気付くべきだったのだ」
「……あんたな……」
あくまでも自分に責があるのだと言うウォーリアに、スコールは呆れるしかない。
甘過ぎる、と呟いて、反論したい気持ちに駆られつつも、じっと見詰めるアイスブルーの瞳に後悔の念が強く滲んでいるのを見て、閉口した。
こう言う時は、ウォーリアが納得できるように好きにさせるのが良いと、短くない付き合いで学んでいる。
スコールがじっと静かに冷茶を飲んでいると、ウォーリアがおもむろに立ち上がる。
「冷やしたタオルを持って来よう。肌も冷やした方が良い」
「……ああ。ありがとう」
炎天を歩いて来たお陰で、スコールの肌はすっかり焼けて赤くなっている。
家の中に入った今でも、ヒリヒリとした感覚は続いていた。
ウォーリアは洗面所から清潔なタオルを持ち出すと、キッチンの水道でしっかりと濡らした。
軽く絞って水滴が出ない程度まで水気を抜いて、リビングにいるスコールの下へ戻る。
タオルを差し出せば、スコールは「…ありがとう」と小さな声で言って、タオルを受け取り、未だ汗の止まらない顔に押し付ける。
「……つめたい」
「………」
「良いな」
タオルから顔を離したスコールは、頬の赤身が微かに抑えられていた。
そのまま腕を軽く拭き、タオルが温くならない内にと、首に宛がう。
血管の集まっている場所が冷えると、籠っていた体の熱も徐々に逃げて行くような気がする。
そのままじっとしているスコールを見詰めて、ウォーリアが努めて柔らかな声で言う。
「スコール。タオルをもう一つ、冷やしてこようか」
「いや、これで良い」
「では、麦茶を」
「それも良い。あんまり冷たいものばかり飲んだら、腹に来る」
ウォーリアの気遣いを有難くは思いつつも、少し過剰だな、とスコールは思った。
責任を感じている分、何かしなければと思っているのだろうが、スコール自身は玄関から此処まで運んで貰った上に、麦茶も貰って、それで十分だ。
スコールはグラスに申し訳程度に残っていた麦茶を口に入れた。
僅かに残っていた氷が、スコールの口の中に入って、舌の熱で直ぐに溶けて行く。
涼が喉を通って行くのを感じて、スコールは一心地ついた気持ちで、ソファの背凭れに寄り掛かった。
「もう十分だ。……心配させて悪かった」
「構わない。だが、本当にもう大丈夫なのか?」
「問題ない」
「ティーダから、一昨日、体育の授業の時に倒れたと聞いたが」
「……」
ウォーリアの口から紡がれた友人の名に、あいつ、とスコールの眉根が寄る。
確かに、一昨日の体育の授業中、スコールは日射病で気を失いかけた。
幸い、意識を飛ばす程には至らず、グラウンドの隅の木陰で休む程度で済んだが、友人達を酷く心配させた事には変わりない。
それがどうしてティーダの口からウォーリアに伝わったのかは判らないが、何にせよ、口の軽い友人を少々恨む。
妙に過保護なウォーリアに知られたら、きっと過剰に心配して面倒になるだろうから、黙っていようと思っていたのに。
休み明けにティーダには一言言わねばなるまい。
そんな事を考えるスコールの頬に、ひたり、と冷たい手が触れる。
「…まだ少し暑いな」
「……あんたの手が冷たいんだろう」
濡らしたタオルを絞った為に、ウォーリアの手は少し冷たくなっている。
やっぱり過剰な心配なんだ、と思いつつ、スコールはウォーリアの手を振り払う事はしない。
ゆっくりと、労わるように触れる手指の動きに、少し照れ臭いものを感じるけれど、冷たい感触は心地が良かった。
猫のように目を細めるスコールを、ウォーリアはじっと見詰めている。
家に迎えた時よりも、頬の赤味は落ち着いたが、日焼けの名残は未だに残っており、普段の白さと違って微かに肌が紅潮している。
「…日に焼けると、君は痛みを感じるそうだな」
「ああ。だから夏は嫌いだ」
「難儀だな。今は痛くはないのか?」
「……これのお陰で、少し落ち着いた」
これ、と言ってスコールが示したのは、首にかけた濡れタオルだ。
もう大して冷たいと思う程の温度ではないが、水分補給をしたからか、まだじわじわと滲んでいる汗を拭うのに役に立っている。
そのタオルの端から、スコールの浮き上がった鎖骨が隠れては覗く。
じわり、と何かが自分の中から滲み出て来るのを、ウォーリアは感じていた。
微かに赤い頬を撫でる指が滑り、両手でスコールの顔を包み込んで上向かせる。
きょとんとした瞳の蒼灰色がウォーリアを映した後、近付く気配を感じ取って、ウォーリアは己の手の中で、スコールの頬がまた熱を持つのを見た。
「おい、ウォル────」
名を呼ぼうとする唇を、そっと塞ぐ。
スコールはしばらくの間混乱した表情を浮かべていたが、直にそれも消え、躊躇い勝ちに伸ばされた手が、ウォーリアの服の端を握る。
ウォーリアが細腰に腕を回して抱き寄せると、その体は抵抗することなく腕の檻へと閉じ込められた。
熱を帯びた少年の姿は、情欲の時を仄かに匂わせる。
恐らくは無自覚であろう恋人に、ウォーリアはどう言って聞かせれば良いかと考えながら、深い口付けに伝わる熱に酔って行った。
『スコールが暑いと愚痴ったら、心配されて看病されたかと思ったら、いつの間にかエロに』のリクエストを頂きました。
相手の指定がなかったので、現パロWoLで書かせて頂きました。
レオンとスコールが不特定多数の人間との関係を強要されている描写があります。
二人とも病み気味。救いなし。
始まりは、何処だったのか。
大事なものを守る為だった────ように思うのだが、選んだ事によって、守りたかったものが守れたのかと問われると、レオンに答えられなかった。
初めは、多分、守れていたのだと思う。
希望の混じった、根拠のない結論であるけれど、そう思わなければレオンは足元が崩れて行きそうだった。
その結論が覆されるようになったのは、向かった先に弟の姿を見付けた時だ。
彼の為にこの身を汚す事を受け入れたと言うのに、どうして、と目を見開くレオンに、弟は「あんたを助けたい」と言った。
弟のその心は嬉しかったけれど、同時に、何てことを、と思った。
お前をこんな場所に近付けさせない為に、この選択をしたのに、と頽れて泣くレオンを、弟はどんな気持ちで慰めていたのだろうか。
その日から、何度、代わる代わる汚されただろうか。
慣れない痛みと行為に、彼が歯を食いしばって呻いているのを何度も聞いた。
気を失った彼にそれ以上の負担を強いたくなくて、其処から先の全てを引き受け、目覚めた彼を横目に、汚い行為に耽っていた事もある。
そんな兄を、見ていられないと彼が噛み付くと、それを面白がる者もいた。
弟の前で兄を、兄の前で弟を暴く事を愉しみにすると言う、実に趣味の悪い人間に気に入られた時は、噛み千切ってやろうかと本気で考えたものだ。
そうして、二人で重く苦しい夜を何度数えたか。
癒えない疲労が蓄積されてているのだろう、弟────スコールは、昼になってもベッドから起きて来なかった。
食事を持って様子を見に行くと、ぼんやりとした瞳を向けて来て、レオンの姿を見るとぼろぼろと泣きだした。
とてもではないが食事など採れる状態ではない。
レオンは食事を脇に置いて、涙を流すスコールを抱き締め、彼のベッドで共に蹲った。
(……スコールはもう限界だ)
腕の中で、滔々と涙を流しながら縋る弟を抱き締めながら、レオンは思った。
此処しばらく、スコールは学校に行っていない。
夜の時間を長く感じるようになってから、疲労も重なり、早朝に起きる事が出来なくなった。
目覚めてからもぼんやりと過ごしており、勉強など手に着かず、家を出て学校に向かう気力もない。
スコールは、レオンが傍を離れると、不安になってその姿を探す事も増えた。
レオンの為に夜毎の恐怖を堪えているのに、その最中に意識を飛ばせば、目覚めた時にレオンが責め苦を引き受けている。
それを何度も見ている内に、スコールは、自分の知らない内にレオンが酷い目に遭っているのではないか、と思うようになっていた。
だからレオンの姿が見えないと、慌てふためき、兄の無事な姿を見るまで安心する事が出来ないのだ。
そんなスコールの姿を見て、レオンの心も限界が来ていた。
(……お前だけは、こんな目に遭わせたくなかったのに)
知らぬ間に忍び足で背後まで近付いていた、全てを失う危険性。
それを回避する為に、レオンは己を差し出した。
自分一人が耐えていれば、後は全て解決するのだと信じて。
しかし、レオンがこの選択をしてしまったが故に、スコールもこの世界へ踏み込んでしまった。
それは血を分けた兄を大切に思うが故の行動であったが、今となっては、それによって兄弟は互いに足枷を嵌め合った形になっている。
スコールの選択を、レオンは責めるつもりはない。
だが、どうして、と問い詰めたい気持ちは、いつまでも消えなかった。
スコールが何も知らない世界で、以前と変わらず笑っていてくれたら、レオンはそれで救われたのだ。
それだけ辛い思いをしても、痛みを強いられても、弟が光の世界で前を向いて歩いていてくれたら、全てを堪えて行く事が出来ると。
(……スコールだけでも、なんとか……)
今のスコールを、レオンは見ていられなかった。
どうにか彼だけでも元の生活に戻してやりたいと思う。
なんとか方法を探そうとするレオンだが、彼も昨夜、それ以前から続く疲労を抱えており、思考はどれだけ巡らせても一向にまとまらなかった。
────と、ポーン、と玄関のチャイムの音が鳴る。
レオンは、スコールが少しずつ落ち着きを取り戻しているのを見て、ゆっくりと体を起こした。
甘えるように伸ばされた手を緩く握って、ぼんやりと見詰めるスコールの眦にキスをする。
ほ、と微かに安堵の吐息が漏れたのを見てから、レオンは握っていた手を離した。
ふらつく足を叱咤しながら、玄関に向かい、ロックを開ける。
ドアの向こうに立っていたのは、レオンと恋人関係にある、一人の男だった。
「来るのが久しぶりなってしまってすまないな。大丈夫か?」
「……ああ……いや、うん。俺は大丈夫だ」
上がってくれ、とレオンが促すと、男は頷いて敷居を跨いだ。
この男は、レオンが何をしているのか、どうして疲労しているのか知っている。
突然降りかかった不幸と、大切なものを守る為のレオンの選択を、いの一番に気付いたのが彼だった。
恋人がいるにも拘わらず、体を差し出したレオンの事を、彼は詰る事はせず、止むを得ない選択であった事を受け止めてくれた。
それからは、他人である自分に出来る事は少ないけれど、と言って、時折レオンの様子を見に来ては、恋人の心のケアに勤めていた。
男は、玄関先の下駄箱に、若者向けのスニーカーが入っている事に気付いて、レオンに声をかける。
「レオン。スコールはどうしたんだ?」
「あ……ああ。今日は気分が悪いから休みたいって言ったんだ」
「風邪か?」
「…まあ…そう、だな」
「病院には?行っていないなら、俺が連れて行こうか」
「…いや、其処までのものじゃない。熱も下がっているから、寝ていれば落ち着くと思う」
恋人が弟の事を気遣ってくれるのは有難かったが、レオンは彼の申し出を断った。
彼はスコールの事も大切に想ってくれるが、だからこそ、スコールの現状については言えない。
スコールも知られたくないだろうと、大事はないのだと言葉で誤魔化して、レオンはリビングへ向かう。
男もその後ろについて行こうとしたが、
「レオン、少しスコールの様子を見て良いか?」
「…寝てるかも知れないぞ」
「それなら、直ぐに出るさ。少しだけ邪魔をするぞ」
出来ればそっとして置いてやって欲しい、とレオンは思ったが、言えなかった。
余り強く拒否すると、不自然に見えて、スコールの現状に気付かれるかも知れない。
気付いてくれるなら、助けてくれるかも知れない、と言う淡い期待もあったが、スコール自身がきっと他人には知られたくないだろうと思ったのだ。
レオンが穏便に断る言葉を探している内に、男は弟の部屋へと入ってしまった。
それを見送ってから、そう言えばスコールの飯がまだだった、と彼の部屋に置いたままにしていた料理の事を思い出す。
レオンがスコールの部屋のドアを開けると、男はベッドの横に座っていた。
スコールは男に背を向けて横になっており、男の頭を撫でる手を甘受したまま、ぴくりとも動かない。
眠ったのかも知れない、と思って、レオンは声を出すのを止めた。
冷めきってしまった料理を乗せたトレイを持って、恋人は気が済むまで好きにさせる事にして、リビング兼キッチンへと移動する。
(スコール……眠ってしまったかな)
泣き疲れて眠ってしまったのなら、それも良い。
怖い夢を見ないで、深く眠ってくれたのならば、休息も取れるだろう。
手付かずの料理はラップで閉じて、冷蔵庫へ入れた。
時計を見ると午後を迎えており、レオンは自分が昼飯を食べ損ねている事に気付いた。
けれど、腹が減っているとも思えず、まあ良いか、と自暴自棄に投げる。
携帯電話のメール音が鳴ったのは、その時だった。
ピリリリリ、と無情な音が響いた瞬間、レオンの肩がビクッと跳ねる。
「………」
リビングの食卓テーブルに置いたままの携帯電話を見るレオンの目は、胡乱なものだった。
チカチカと光るパイロットランプに、気付かなかった事にしてしまいたい、と思う。
しかし、そんな事をしたら、きっと今度は部屋で寝ているスコールの携帯電話が鳴るに違いない。
震える手で携帯電話を手に取り、メール機能を開いた。
受信フォルダに入っているメールのアドレスは、電話帳に登録されていない、英数字をランダムに並べただけのものだ。
それが一日に一回、必ず兄弟どちらかの携帯電話に届く。
このタイトルが空白のメールが、単なる悪戯メールや、迷惑メールである事を、何度願ったか判らない。
そう願いながらメールを開けば、いつも通り、吐き気のする内容が綴られている。
『午後十一時、Dホテル509号室』
書いてある文章は、たったこれだけ。
これだけの物が、レオンにとっては酷く悍ましいものだった。
簡素なメールが告げているのは命令で、指示した場所に時間通りに向かえと言う事。
時にはこれにレオンのみ、スコールのみと言う指示も入るが、それがないと言う事は二人で行けと言う事だろう。
出来れば今日は───本音を言えば、今日でなくとも、これからもずっと───スコールを休ませてやりたいかったのに、これでは叶いそうにない。
メールに返事が出来れば良いのに、使い捨てなのか、プログラムを弄って成り済まし技術を使っているのか、記載されているアドレスに送っても、いつも『宛先なし』のエラーメッセージが出るだけだった。
溜息を吐くと、今までの疲労が一気に肩に伸し掛かった。
椅子を引いて、崩れ落ちるように其処に座って、レオンはテーブルに突っ伏す。
と、そんなレオンの肩が、ぽんと叩かれた。
「あ……」
「やっぱり随分疲れてるみたいだな」
「……すまない」
「お前が謝る事じゃない。頑張ってるんだろう?」
「…頑張っている、と言っていい事かは判らないが…なんとか、な」
胸を誇って言えるような事をしている訳ではないと、レオンは判っている。
それでもやらなければいけないから、苦い気持ちを押し殺しているに過ぎない。
男はそんなレオンの隣に座ると、この数ヵ月で心なしか痩せた肩を抱いた。
「大丈夫だ。直に終わるよ」
「……だと、助かる」
「大丈夫。大丈夫だ」
言い聞かせるようにそう言って、男はレオンの顎を指先で捉えた。
レオンが顔を上げると、男の僅かに罅割れた唇が、レオンのそれと重なる。
滑り込んだ舌が歯の裏側をなぞった瞬間、ぞくぞくとしたものがレオンの背中を奔った。
毎夜のように繰り返され、否応なく押し付け与えられる内に、レオンの躯はそれらに敏感に反応するようになった。
以前はそんな自分に嫌悪もあった筈なのに、段々と麻痺して来たのか、今ではぼんやりと愉悦のようなものも感じてしまう。
恋人の口付けにそんな意図はないだろうに、酷く浅ましくなってしまった躯を知られはしないかと怯えながらも、求めてくれる彼に縋らずにはいられなかった。
以前は触れ合う事を楽しむような口付けばかりだったのか、いつの間にか貪り合うように深くなっている事にレオンは気付いていなかった。
意識が溶けて、海に溺れ沈んでいくように、形を失くしていく気がする。
だから、レオンは気付かなかった。
口付ける男が、夜毎に見る男達と、同じ顔で笑っている事に。
ベッドで眠る弟が、同じ愉悦を同じ男に強いられ、同じように溺れていた事に。
あと少しだよ、と言った男の言葉は、慰めか、それとも。
『彼氏に援交を強要されてお互いに病み始めているレオスコ』のリクエストを頂きました。
二人はまだ気付いていないけど、どちらも同じ彼氏(二股)で裏で手を引いている感じと言う事で。
可哀想なレオスコ兄弟のネタは大好きです。