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2018年08月08日
子供の頃、ほんの数か月の間だけ、同じ時間を過ごした子供がいる。
近所の幼馴染達を含めて、子供にとっては短くない時間を共有したその子供は、夏の終わりと共に何処か遠くへ行ってしまった。
子供の親は転勤が多く、あっちへこっちへとしょっちゅう引っ越しを繰り返し、その時も同じ理由で次の街へと行ったのだ。
今思えば仕方のない事ではあったが、当時のサイファーにはそれが酷く許せなかった。
幼稚園の年長クラスに上がり、転園してきたその子供を、サイファーは何かにつけて構っていた。
人見知りが激しいらしいその子供を、強引に遊びに誘った事や、苦手だと言うボール遊びをサイファーが押し切ってしまった為に、何度か泣かせた事もある。
けれど記憶はそればかりではなく、他の子供に苛められたその子供を庇ったり、一緒に折り紙を折ったりと、そんな思い出もあった。
夏休みに入ると、近所の家族同士で集まり、キャンプにも出掛けており、件の子供の家族も加わっていた。
お喋りな父親は子供達に大人気で、よく笑う母親が作るお菓子も大人気であったが、それよりもサイファーは、彼らの子供が気に入っていた。
何かと潤んでばかりの蒼の宝石が、真っ直ぐ自分を見て笑うと、きらきら綺麗に光るのが好きだった。
小さな子供の一日は、一生と同じ価値がある。
後で思えば、ほんの数か月しかない思い出でも、小さな子供にとってはそれらは一生分の思い出だ。
そしてこれからも、目の前にいる人とは、一緒にいられるのが当たり前だと信じて疑わない。
だからサイファーは、何度もその子供に言っていた。
俺達はずっと一緒だからな、と。
子供もそんなサイファーの言葉に頷いて、うん、と笑ってくれていた。
だから許せなかったのだ。
夏休みが終わって、また幼稚園に行くようになって、毎日あの子と遊べると思ったら、もうその子供は何処にもいなかった。
おうちの都合でお引越ししました、と幼稚園の先生から言われて、なんで、と声を上げた。
なんでと理由を聞かれても、先生がそれ以上の事を言える筈もなく、仕方がないのよ、としか言えなかった。
それで益々サイファーが癇癪を起こしたものだから、朝の会は滅茶苦茶になって、サイファーはその日一日、幼稚園の授業をボイコットした。
帰りに迎えに来た母イデアが、先生から事情を聞いて、仲良くなれたのにね、寂しかったのね、とサイファーを宥めたが、寂しかったんじゃない、怒ってるんだとサイファーは言った。
ずっと一緒だと約束したのに、向こうも「うん」と言ったのに、約束を破られたのが腹が立った。
腹が立って、悲しかった。
けれど悲しいと認めるのは悔しかったから、怒ってるんだ、とサイファーは繰り返した。
それが、十年以上も昔の話。
「……考えてみりゃ、あの頃から始まってたんだよな」
ぽつりと呟いたサイファーの声を聞いて、スコールが呼んでいた雑誌から顔を上げた。
きょとんとした蒼と、じっと見つめる翠がぶつかって、その眼力に気圧されたように、スコールが僅かに体を退く。
見られる事を基本的に嫌うスコールにとって、穴が開きそうな程に見詰められるのは、落ち着かないものである。
こっそりとガードするように、雑誌で視線のビームを遮断しようとするスコールだったが、それよりも先にサイファーが動いた。
スコールが家に来ている時、サイファーはベッドの上を定位置にしている。
対してスコールは、ベッドの端に寄り掛かって背中を預け、持ち込んだ本や、本棚を勝手に物色して見付けたものを読んでいるのがお決まりだった。
その殆どないも同然の距離を更に詰めて、サイファーはスコールの腕を掴む。
逃げを封じたスコールに、ずいっと顔を近付けて、サイファーは昔と変わらない蒼の宝石をまじまじと覗き込んだ。
「ちょ……おい、サイファー」
「何だよ」
「近い。離れろ」
「嫌だね」
あまりの近さに顔を顰めるスコールだったが、サイファーは気にしなかった。
掴んだ手首が逃げを打って捻られるが、すっかりサイファーの手に包み掴まれた手首はビクともしない。
決して華奢なばかりではないスコールだが、やはり全体的に恵まれた体格をしたサイファーに比べると、純粋な腕力では敵わないのだ。
くそ、と毒を吐いて、スコールはもう片方の手を使って、サイファーの手を引き剥がしにかかった。
目一杯の力を込めてサイファーの指を一本一本剥がしていくスコールに、可愛げはなくなったな、と思う。
記憶の中に残る小さな子供は、腕を掴むとビクッと震えたが、後は大人しくサイファーの後をついて来た。
あの子供は何事にも消極的で弱気だったから、サイファーの手を引っぺがすなんて、とても出来たものではなかったのだろう。
なんとしても手を解こうとしているスコール。
サイファーはじゃあその通りにしてやろう、とぱっと掴んでいた手首を開放してやった。
途端になくなった付加に、「あ、」と虚を突かれたような声を漏らして、スコールはぱちりと瞬きを一つして、
「……何だったんだよ」
「いや。ちょっと昔を思い出しただけだ」
「昔?」
「お前が少しだけこの町にいた時の」
「……何年前の話だ」
「12年か?」
「いつまで覚えてるんだ、そんな事」
「お前だって忘れてねえ癖に」
「………」
サイファーの言葉に、スコールは拗ねたように唇を尖らせる。
幼い頃、スコールは父の転勤の都合でこの町に来て、半年もしない内にいなくなった。
あの時のスコールは、今と違って気が弱く泣き虫で、度々幼稚園の子供に苛められては泣いていた。
やり返す、言い返すなど出来る筈もなく、いつもサイファーが割って入るまで泣いているばかりで、サイファーはそんなスコールを見て苛々する事も少なくなかった。
しかし、今のスコールにはそんな面影は微塵もなく、寧ろ負けず嫌いでサイファーにも堂々とやり返してくる。
もう一度この町に引っ越してきたスコールと再会した時には、あの泣き虫なスコールと同一人物とは到底思えなかった程だ。
無駄に強くなったもんだな、とサイファーは思う事もあるが、別にそんな彼が嫌いな訳ではない。
そうでなければ、今現在、彼と恋人と言う関係には落ち着いていまい。
───それはそれとして、サイファーはスコールの変化は、驚きを含めつつもひっくるめて良い思い出と思っているのだが、泣いていた当の本人には、触れられたくない過去らしい。
幼少の頃の思い出話になる度に、スコールは苦い顔で口を噤むので、サイファーは此処ぞとばかりに突いてやる。
「可愛かったぜ、あの頃のお前。何かあっちゃ直ぐに泣くから、腹も立ったけどよ」
「……泣いてない」
「お姉ちゃんお姉ちゃんって、直ぐにエルを呼んでただろ。その後はお父さんお母さん、だ」
「止めろ」
「で、それからが俺だ。泣いてる所に声かけたら、さいふぁ~ってよ」
「このっ!」
スコールは顔を真っ赤にして、掴んだ枕でサイファーの顔面を叩く。
ばふっ、ばふっ、と柔らかい感触が何度もサイファーを襲ったが、当然、痛くも何ともない。
「ピーピー泣いてて可愛かったんだぜ、お前」
「知らない!俺じゃない!」
「お前だ、お前。俺がお前との思い出を忘れる訳ねえだろ」
「忘れろ!」
「嫌だね」
声を荒げて何度も枕で叩いて来るスコールに、サイファーはきっぱりと言ってやった。
誰が忘れてなんてやるものか、と。
そもそも、忘れろと言って忘れられる記憶なら、再開した時にこの少年があの子供である等と、気付く筈もないのだから。
ぎりぎりと枕を破らんばかりの力で掴んでいるスコールを、サイファーは捕まえてベッドへと引き倒した。
頭に血が上っていた所為で、サイファーからの反撃に無防備だったスコールは、「うわっ」と声を上げながらベッドに倒れ込む。
俯せでシーツに埋もれているスコールの隣に寝転んで、サイファーは笑みを浮かべて睨む蒼を見返す。
「忘れろなんて寂しい事言うなよ。俺の初恋の思い出だぜ?」
「……人を散々泣かしていた癖に、よくそんな台詞が言えるな」
沸点を通り越して一気に頭が冷えたのか、何度も自分の話じゃない、と言った事を、スコールは自ら口にした。
確かに幼いスコールはよく泣いた。
が、その原因にはサイファーも少なからず絡んでいる───と言うより、サイファーが原因であった場面も多かった。
初恋の相手を泣かせたのも思い出なのか、と棘を含んだスコールの言葉に、サイファーは目を逸らしつつ、
「そりゃ、あれだ。純情不器用な子供のやる事だから、仕方ねえだろ」
「仕方ないで俺は何度も泣かされたのか」
「悪かった。悪かったよ。その辺は俺も重々反省してる」
子供の頃に何度もスコールを泣かせた件は、成長してからしっかりとサイファーにしっぺ返しを食らわせた。
10年も経って初恋の相手と再会したと言うのは、運命のようなものをサイファーに想起させた。
しかし、二人の間柄が近付いたのは、そう簡単な話ではなかった。
幼い頃から自覚なくスコールに特別な感情を抱いていたサイファーだが、当の相手はと言うと、泣かされていた記憶が相当色濃く残っていたようで、再会してからも長い間、サイファーとはまともな会話もしなかったのだ。
スコールの義姉であるエルオーネが間に入り、彼女から見た幼いサイファーの様子などを聞いて、ようやく自分に対して悪意がなかった事を理解してくれなければ、今でもサイファーの初恋は片思いのままだったに違いない。
「……だから、その件は反省してるからよ。昔の事、あんまり悪く言うなよ」
スコールにとっては嫌な思い出も多いだろうが、サイファーにとってはそれも大事な記憶なのだ。
そんな気持ちで呟けば、スコールの蒼の瞳がゆらりと揺れて、シーツへと埋められ、
「……別に…、」
「ん?」
「………」
シーツに埋もれて籠る声に、サイファーは耳を澄ませた。
スコールはもぞもぞと身動ぎして丸くなりながら、ぼそぼそと呟く。
「…別に、そんな───そんなに……悪くなんて、思っては、ない。多分」
「そうか?」
「……あんたの出す話題が悪いだけだ」
「あー……へいへい。そりゃこれから気ィ付けるよ」
スコールが話題にしたくないのは、自分が泣き虫だった、と言う話だろう。
幼馴染だった子供達の中では、それが一番強い印象として残っているのだが───だから余計に、スコールはその話題を嫌うのか。
それなら、どんな話ならスコールは喜ぶのだろう、とサイファーは考える。
一緒に折り紙を折った事か、二人で初めてのお使いに行った事か。
夏のキャンプで、スコールの父に連れられて行った、満点の星空を見た記憶か。
と、サイファーから振る話題は幾らでも尽きないのだが、ふと気になった事を尋ねてみる。
「おい、スコール。お前、俺達と過ごしてた頃の事、どの位覚えてるんだ?」
「どの位って────」
サイファーの問に、スコールは顔を上げて答えようとして、止まった。
ブルーグレイの瞳が右へ左へと動いて、記憶の回路を繋げている。
さてどんな話が出てくるか、とサイファーは楽しみにしていたのだが、
「………教えない」
「は?おい、スコール」
「………」
「こら、無視すんな。スコール!」
肩を揺さぶって答えを催促するスコールだが、スコールは貝のように黙ったまま動かない。
やや乱暴に体を揺らしても、スコールは頑なに口を噤んでいた。
(どの位、なんて言える訳ない。だって何も忘れてない。だって、俺だって────)
あの頃から始まっていたから、なんて、絶対に言わない。
『サイスコで甘い感じで初恋っぽいもの』とリクエストを頂きました。
好きな子をいじめてしまうタイプだったサイファー。そのまま初恋を引き摺って10年ちょっとの図。
それを聞いてスコールはちょっと引いてるけど、自分も実は引き摺っていたりする。
そんなサイスコになりました。
駅に近いと言う好立地にあるにも関わらず、その喫茶店の客足は余り多くはない。
しかし駅前が今のように発展する以前からあると言うその店は、昔からの常連客が多く、マスター兼オーナーが二代目へと変わった今でも、変わらぬ味を守って続いている。
セフィロスは店の味が歴史が云々と言う話は然したる興味はなかったが、アンティーク調の趣のある内装と、賑々しい客がいない所が好印象だった。
ほんの偶然で見つけた店だが、週に一度は此処でコーヒーを飲む時間を作る位には、お気に入りの店になっている。
今日も店の片隅で、セフィロスはコーヒーを傾けていた。
読みかけの本をゆっくりと捲りながら、年季の入ったレコードプレーヤーから流れる音楽を聞き流すのが、セフィロスの過ごし方だ。
コーヒー一杯につきもう一杯が半額になるので、大抵、二杯飲み終わった所で店を出る。
時々ランチを頼む事もあるが、来店した回数で考えると、少ない方だろう。
今日はランチを食べる予定があったが、まだテーブルの上にはコーヒーのみで、まだそれ以外の注文もしていない。
時折腕時計を見遣りながら、また本のページを捲る。
予定した昼食のタイミングからは少々遅れているが、ランチタイムはまだ余裕がある。
気にせずとも良いだろう────とコーヒーに手を伸ばした所で、カランカラン、と扉の鳴る音が聞こえた。
「いらっしゃいませ。お一人で?」
「いえ、その……連れが先に来ていると思うんですが」
「それでしたら、此方です」
微かに聞こえた会話の後、近付いて来る気配を感じて、セフィロスは顔を上げる。
他の客との目隠しの役目もあるパーテーションの向こうから、濃茶色の髪の青年が現れた。
服装は見慣れたビジネススーツではなく、薄手の黒カーディガンを羽織り、シンプルな装いにまとまっている。
暑い中を急いで来たのだろう、日焼けした頬が赤くなり、汗が滲んでいるのを見て、セフィロスはゆるく口角を上げた。
「来たか」
「すまない、遅くなった」
「構わんさ。別に仕事の話をする訳でもないのだし」
青年───レオンがセフィロスとテーブルを挟んで向かい合って座る。
店員や冷水を持ってきて、ご注文は、と尋ねたが、この店が初めてのレオンには何のメニューがあるのかすらも判らない。
ええと、と迷うレオンを見て、決まりましたらお呼び下さい、と言って下がって行った。
連日の高温注意報に当てられた体を、レオンは水で冷やしていく。
グラスの中身を半分程飲んで、ふう、と安堵の息が漏れた。
「…本当に、すまない。店の場所は聞いていたのに、見落としていて…」
「いや、仕方がない。入口は小さいし、看板も大きなものは出していないからな。此処は目立たないんだ」
この店は狭いビルの二階にあり、一階は貸事務所になっている。
貸事務所の方はそこそこの看板が掲げられる門構えになっているのだが、二階へ上る階段は非常に狭く、見栄えのする看板を出すにも広さが足りない。
置き看板は、この地区の条例で道に食みだす事を禁止されている為、置く事が出来なかった。
そんな訳で、店の看板は名前だけを記したシンプルなものしかなく、知らなければ見落としてしまうか、喫茶店の看板とは思わないのではないだろうか。
正直な話、そんな店を待ち合わせに指定するのは適していない、とは思う。
相手がこの店を知っているならともかく、この近辺にそう言う店がある、とすら知らないのなら、駅の改札口を待ち合わせ場所にした方が堅実だ。
セフィロスも初めはそのつもりで考えていたのだが、レオンが「住所があれば判る」と言うので、連日の高温注意報や、レオンもセフィロスも人混みが得意ではない事もあって、待ち合わせ場所にと指したのだ。
そうしてレオンは待ち合わせ時刻に遅刻してしまったのだが、到着して直ぐに休める場所で腰を落ち着けられたと思えば結果オーライだろう。
レオンはきょろきょろと辺りを見回して、初めて訪れた店を観察している。
セフィロスはそんなレオンの幼げな表情に、子供のようだな、と思いつつメニュー表を取る。
「一先ず、食事にするか。サンドイッチが美味いんだ」
「じゃあ頼んでみよう。コーヒー、は……流石に種類が多いな…」
「好みのものがあるか?」
「…好み、と言うか、よく判らない。飲む事は飲むけど、拘りがある訳でもないし……あんたと同じのにする」
レオンの言葉に、判った、と頷いて、セフィロスは店員を呼んだ。
種類の違うサンドイッチを一つとパスタを一つ、レオンのコーヒーを注文し、セフィロス自身は二杯目を頼む。
愛想の良い若い店員が注文を繰り返して確認した後、少々お待ちください、と言って店の奥へと消えた。
とす、とレオンが椅子の背もたれに寄り掛かった。
蒼の瞳が窓の向こうに見える都会の景色へと向けられている。
悩んでいるようにも見える瞳に、セフィロスは敢えて声をかける。
「行きたい場所は決まったか」
「……いや……」
セフィロスの問に、レオンの反応は鈍かった。
心なしか言い辛そうに口元を手で隠して、もごもごとしどろもどろになっている。
「……昨日の内に色々考えてはみたいんだが、その、何も思い付かなくて」
「お前が気になる所で良いと言っただろう」
「だからそれが浮かばないんだ。気になると言ったら、仕事の関係になるような事ばかりだし、それじゃ意味がない気がするし」
「確かに、そう言う場所とは違う所に行った方が、面白味はあるだろうな」
その言葉に、やっぱりそうだよな、とレオンは呟く。
喉の奥で唸る音を漏らし、眉根を寄せるレオンを見て、本当に趣味の少ない男だな、とセフィロスは思った。
セフィロスとレオンは、同じ会社で働く同期であり、少し前から恋人と言う関係を始めていた。
何かと真面目過ぎるきらいのあるレオンに、適度に肩の力を抜けとセフィロスが教えている内に、付き合いが徐々に深くなり、今に至っている。
その為、決して長い付き合いではないのだが、レオンが極端に仕事人間であると言う事を、セフィロスはよく知っていた。
それは仕事に置いては決して悪い事ばかりではないが、レオンの悪い所は、仕事とプライベートが上手く切り離せないと言う事だ。
お陰でレオンの有給は溜まっているし、休日でも家で仕事をしてしまう(それも急ぎではない物を)ので、見兼ねたセフィロスが強引に外に連れ出す事にした。
そして出掛けるついでに、レオンが行きたい所でも行こうと言って、その場所をピックアップするように言っていたのだが、
「観光地になっているような所は、人が多そうだし」
「世間一般は夏休みらしいからな。あちこちでイベントもしているようだから、観光目当てでない一般客も多いだろう」
「買い物なんかは、別に……欲しい物もないし」
「見れば気になるものがあるかも知れんぞ」
「…そもそも、何の店が何処にあるのかもよく知らないんだ。普段、そう言うものを探す事も少ないし」
レオンは社会人になって、今の会社に就職してから、この街に引っ越してきた。
移り住んでからまだ五年と経っていないらしいので、知らない事が多いのも無理はないだろう。
朝出社して、日中は会社で仕事をし、帰宅するのも遅いとあっては、外を散策する機会も少ない。
機会があっても、率先して外に出る性質ではないようなので、散策範囲はそれ程広くもなるまい。
だが、同じ環境下にいても、後輩のクラウドは中々にアクティブだ。
彼もどちらかと言えばインドア気質のようだが、友人に誘われれば飲みに行くし、自分の趣味に使うものを探して何処までも足を運ぶ。
セフィロスは時々、あれの積極性がレオンにもあった方が良い、と言っている。
昨日一日を悩み倒したのだろうレオンに、そう言う所で力を抜けば良いものを、とセフィロスは思う。
考えて置けと言ったのは確かだが、決まらないなら決まらないと、きっぱり言えば良いのだ。
決まらなかった事を悪い事のように思うから、真面目が過ぎると言われるのだから。
「決まらなかったのなら仕方ない。適当に何処か行くか」
「何処かって、何処に行くんだ?」
「それはこれから考える」
予定の不透明さを大して気にする事もなく、セフィロスは言い切った。
レオンはぱちりと目を丸くした後、くすり、と口元を緩める。
「……あんたって時々急にいい加減になるよな」
「ああ」
悪びれた様子もなく肯定するセフィロスに、ふふ、とレオンが笑った。
サンドイッチこコーヒーがテーブルへと届けられ、遅めの昼食にありつく。
余り肉を食べないレオンのサンドイッチは、野菜と卵とハムが挟んである。
具を零さないように気を付けながら齧り付いて、口端についたパンくずを指で拭きつつ、舌鼓を打った。
美味い、と呟くレオンに満足しつつ、セフィロスもパスタをフォークに巻いていく。
「───今日の予定だが。決まっていないなら、一先ず駅ビルにでも行くか」
「……ん。すまない」
「別に謝る必要はないだろう。俺も特に何も決めていなかった訳だしな」
レオンが行先を決められない、思い付かない事は、十分予想できた事だった。
それを考慮して、セフィロスが行先を決めていても良かったのだろうが、セフィロスはそれをしなかった。
仕事でもないのに、先の予定を細かく決める必要もないと思ったし、ふらふらと気の向くままに歩くのも嫌いではない。
ただ、今日も今日とて暑いので、余り外を出歩きたくないと言うのは二人の共通の気持ちだろう。
「駅ビルか……そう言えば、行った事がないような。何があるんだ?」
「さあ」
「…知らないのか?」
提案してきたからてっきり、と言うレオンに、セフィロスは首を横に振る。
「ザックス達がよく行っているとは聞くんだがな。何があるのかは知らん」
「……行った事があるんじゃないのか」
「一度もない。いや、仕事で行った事はあるか。顧客の接待のようなものだったから、食事をした程度で、後はない」
レオンをワーカーホリックと言うが、セフィロスも休日の使い方がある訳ではない。
レオンのように仕事を持ち帰る事はしないものの、休みの日だからと、特別な事をする気はないし、街を散策すると言う程歩き回る事もない。
情報を集めるのなら今時はインターネットがあれば十分で、必要な物は通信販売で取り寄せられる。
一日一時間は陽に当たるのが健康な人間だ、と宣う文句もあるが、セフィロスにはどうでも良かった。
日がな一日、自宅で誰に逢う事も、話をする事もなく、本を読んで過ごすだけで、セフィロスは十分充実している。
そんなセフィロスなので、レオンに出不精の件で小言を刺せる程、外の世界に興味を持っている訳ではないのだ。
それを思うと、わざわざ二人で外に出掛ける必要もなかったな、と今更になって思う。
レオンを仕事から引き離し、休みらしい休みを過ごさせる、と言う目的はあるにはあったが、それを果たすなら自分の家にでも呼べば良い。
が、それをすると、きっと別の意味でレオンを休ませてやる事は出来なくなるだろう。
(……まあ。偶には、こう言うのも良いか)
一人頭の中で考えて、セフィロスはそんな結論に行き付いた。
折角滅多に休みを取らない恋人と偶の休日が重なったのだから、いつもと違う一日を過ごすのも悪くはあるまい。
後は、レオンにとって、今日と言う日が少し特別なものに出来れば良い。
「取り敢えず、駅ビルに行くぞ」
「判った」
「後の事はそれからだ。仕事でもないんだから、詰めて考える必要もないだろう」
「そう言われると、そうだな。休みなんだし、のんびり出来た方がきっと良い」
そう言って、レオンは食後のコーヒーに口をつける。
美味い、と小さく呟くのが聞こえて、気に入って貰えて何よりだとセフィロスは満足げに笑みを浮かべた。
『セフィレオで現パロでほのぼの』のリクエストを頂きました。
うちのレオンは、デートとなると大体行先が決められない、浮かばないようで。
セフィロスは色々セッティングして大人なデートが出来ると思いますが、敢えて決めずにふらふらしてみるのも良いかなーと。
世間一般と微妙に感覚がズレてる二人なので、皆が行ってる所に行ってなかったりして、世間的には当たり前だけど二人にとっては初めての体験があったりしたら可愛いなと思いました。
騒がしい所は好きではない。
休日は、必要がなければ外に出掛けなくて良いと思う。
そんな自分に、詰まんなくないっスか、と友人は言うけれど、退屈を解消する手段はあるので、特に詰まらないと思った事はない。
折角の夏休みなのに、と言う者もいるが、夏休みであるからこそ、スコールは家でゆっくりしたいのだ。
けれども、ふとした時に出掛ける機会と言うものはやって来る。
今回は、ラグナが仕事先から貰った動物園の入園チケットだった。
所謂お付き合いと言うもので渡されたそれは、無理に行く必要もないのだが、大人の付き合いを思うと一応行った方が良いような気がする。
しかしラグナ一人で動物園に行っても仕方がないので、折角だからと、兄レオンも含めて家族三人で行く事になった。
夏休みの動物園なんて、とても行くものじゃない、とスコールは思っている。
特に国内でも指折りと言われている広い動物園は、平時から観光客が多い事で知られており、バカンスシーズンともなれば尚更だった。
園が売りにしている動物の檻前には、親子連れが大きな塊を作っており、スコールは近付く事さえ嫌だった。
それでなくとも、大半は屋根のないルートを延々と歩く事になるので、肌を日に焼かれながら歩くのも辛い。
完全屋内の展示棟の中で、よく判らない骨の標本を見ている方がまだマシだ、と思う(そういう物にも興味がないので、10分と経たずに飽きそうだが)。
ラグナもレオンもそんなスコールの性格をよく判っている。
日に焼ける事が辛いのはレオンも同じなので、この時期の外歩きを好まない弟の言う事も理解できた。
だから折角貰ったチケットではあるけれど、広い園内を全部見て回ろうなんて言う無理はしないで、見たいものだけを見たら帰ろう、と言う話になった。
行くのも暑くて人が多い日中を割け、陽光の強さが和らぐタイミングで、帰りに何処かの店で夕飯も済ませてしまえば良い。
そう言う訳で、のんびりと動物園入りした三人だったが、それでも暑いものは暑いのだ。
園内で移動販売していたアイスを買って熱を逃がしながら、三人は真っ直ぐにある動物の檻へと向かう。
「この暑さだからな。外に出ているかどうか」
「日影にいるかも知れないな。やっぱりこれだけ暑いと、動物も辛いもんな~」
前を歩く兄と父の会話に、出来れば外にいるのが見たい、とスコールはこっそりと思う。
しかし、人間がアイスを食べて日向を嫌っているのに、動物がわざわざこの炎天の下を好む事はあるまい。
なんでも良い、見れれば満足だ、とスコールは思い直して、看板の目印に従って順路を曲がる。
『サバンナエリア』と看板に書かれた道の先には、大型肉食動物を主に展示しているエリアがあった。
肉食獣の代表格と言った者の他にも、鮮やかな色をした大型の鳥類や、動きか機敏な小型の動物も展示されている。
スコールはそれらを横目に見ながら、エリアの中心に陣取る檻へと向かった。
(いた)
其処にいたのは、百獣の王ライオン。
一頭の雄と二頭の雌、そして今年の春に生まれた子ライオンもいるそうだが、檻に出ているのは大人のライオンだけだ。
子ライオンも徐々に展示檻に出られるように訓練されていると言うが、この暑さは幼い動物にはやはり良くないのだろう。
分厚いアクリルで囲われた檻の前に、子ライオンの訓練展示を中止する看板が出されていた。
その所為か、ライオンの檻の前には人の影が少なく、今はスコール達がいるだけだ。
夏休み前に子ライオンの訓練展示についてバラエティでニュースを流していたのを思い出す。
今の時期に動物園に来る客の殆どは、それが目当てなのかも知れないが、スコールにとってはどちらでも良かった。
スコールが見たいのは、まだあどけない顔をした子ライオンではなく、王者たる雄のライオンである。
スコールの視線は、檻内の木下でスフィンクスのように横になっているライオンに釘付けだった。
そんなスコールを挟んで、ラグナとレオンもライオンを眺める。
「あの雄は随分大きいな」
「ああ。昔はあーんなに小さかったのになー」
「……知ってるライオンなのか」
ラグナの言葉に、スコールが父を見て問う。
ラグナはうん、と頷いて、
「そりゃあ知ってるさ。昔スコールと仲良くなったライオンだもん、忘れないよ」
「……なんだ、それ」
知らない話だ、と眉根を寄せるスコール。
動物園のライオンと自分が知り合いだなんて、飼育員のアルバイトでもしていた事もないのにし、そんな不可思議な事がある訳がない。
と、スコールは思うのだが、ラグナは間違いなくスコールとあの雄ライオンは知り合いだと言う。
「ほら、子供の頃にもこの動物園には来た事があっただろ」
「………いつの話だ」
「えーと、確か……」
「スコールが小学生の時だな。俺が高校生だったから、大体十年前だ」
「そんなの覚えてない」
記憶力の良い兄の言葉に、スコールはきっぱりと言い返した。
十年前ならスコールが七歳の時の話になる。
確かに、その時に動物園か博物館か、そう言うものに行ったことがあっても可笑しくはないが、生憎幼い記憶は時間の経過と共に霞んで行った。
しかし、スコールにとっては十年前の古い記憶でも、ラグナにとってはそうではない。
「スコール、幼稚園の遠足の動物園も、熱出して行けなかったから、初めての動物園だってはしゃいでたんだぞ」
「……知らない」
「その年に丁度ライオンの赤ちゃんが生まれてさ。展示も始まる頃だったんだよ。見に行った時にも丁度出てて、スコールと遊んでたんだぞ」
「…遊んでたって……」
一瞬、自分が檻の中に入ってライオンの子供と遊んだのかと思ったが、流石にそれはないだろう。
この動物園の檻は、檻と言っても格子ではなく、厚みのあるガラスで覆われている為、ガラス越しに動物の姿をクリアに見る事が出来る。
十年前からその展示方法は採用されており、スコールが思い出せない記憶の中でも、きっと距離感は今と同じだったのだろう。
要するに、ガラス越しに幼いスコールと子ライオンが交流していた、とラグナは言っている訳だが、やはりスコールには思い出せるものがない。
眉根を寄せたままのスコールに構わず、スコールは目を細めて、木陰にいる雄ライオンを見る。
雄ライオンがゆっくりと立ち上がって水場に移動し、大きな舌で水を掬い取って飲んでいた。
一頻り飲んで満足すると、ライオンはパトロールするように、広い檻の中をゆっくりと円を描いて歩く。
その体がスコール達の前を通る度、黄金色の瞳が三人を捉え、悠然とした足取りで通り過ぎて行った。
「流石に迫力がある、と言うか。風格があるな」
「だよなぁ。な、スコール、さっき俺達の方をチラッと見ただろ。きっとお前の事覚えてるんだぜ」
「…そんな訳ないだろ」
毎日のように顔を合わせているならともかく、十年前に一度来たきりの子供を、どうして覚えていられるだろう。
スコールだってライオンの事が判らないのだから、ライオンが自分を判るとはとても思えない。
そもそも、あのライオンが、ラグナの言う十年前に見た子ライオンかも、スコールには判らないのだ。
動物園同士の様々な提携で、動物が他の園に移るのは珍しくない事なのだ。
動物園で代表的な存在とされるライオンだって、成長した後、生まれた園を離れていく固体もいるに違いない。
しかし、ラグナは此処にいる固体が、十年前に見たライオンと同一であると信じて疑わない。
スコールは懐疑的に見ているが、否定する材料がないのも確かで、好きに思っていれば良い、と思う事にした。
その隣で、レオンはうーんと唸りながらライオンを眺め、
「俺が昔見たライオンよりも、こいつは大きい気がするな」
「うん。親だった奴より大きくなってると思うぞ。お前みたいだなあ」
そう言ってラグナは、自分の目線よりも高い位置になったレオンの頭をくしゃくしゃと撫でる。
皺のある手で撫でられる感触に、レオンは困ったように眉尻を下げつつ、大人しく父の手に甘えていた。
「さてと。俺、ちょっと飲み物買って来ようと思うけど、二人はどうする?何かいるか?」
「水かお茶があれば欲しいかな」
「……炭酸」
「はいよ。ゴミも捨てに行くから、アイスの棒こっちに入れて」
ラグナはポケットからビニール袋を取り出して、息子達が持っていたアイスの棒を入れる。
自分が持っていた棒も入れて口を縛り、道の端に設置されているゴミ箱へと捨てた。
檻の前に残ったスコールとレオンは、じっと動き回るライオンを目で追っている。
ライオンは何週目かに入る所でくるりと踵を返し、スコールとレオンの前で行ったり来たりを繰り返した。
金の瞳が逸らされずにじっと向けられているのを見て、レオンがくすりと笑う。
「お前を思い出そうとしているのかもな」
「あんたまでそんな事を……」
バカバカしい、と呆れた顔をする弟に、レオンは肩を竦めた。
子供の頃のスコールは、ライオンさんと目が合った、と言って無邪気にはしゃいでいたものだった。
父の言葉で思い出してきたが、子ライオンとも確かに交流をしているようにも見えたのだ。
暑いガラス越しに、あっちへこっちへと動き回るスコールを追いかけて、子ライオンも駆け回っていたのを覚えている。
しかし、17歳になったスコールに当時の無邪気さを思い出せと言うのも、中々酷な話だろう。
この記憶は後で父と共有する事で楽しんで、今は口では呆れつつも、ライオンから目を離せない弟を眺めて楽しむとしよう。
おーい、と言う声を聞いてレオンが振り返ると、ラグナが帰ってきた所だった。
手には三本のペットボトルだけではなく、売店で買ったのだろうホットドッグが三本。
あれじゃ落としそうだ、とレオンはスコールをその場に残して、父の下へと向かう。
「父さん、それは」
「ちょっと腹が減っちゃってさ。一本位なら夕飯にも問題ないかなって」
「俺が持とう。落としちゃ大変だし」
「うん、ありがとう。スコールは────」
「あそこから動かない」
父の手を空けながら、レオンは視線で弟を指した。
レオンのその言葉通り、スコールは檻の前に立ち尽くしたまま、全く其処を動こうとしない。
レオンが帰ってきたラグナの所に行く時も、ちらと此方に目線を寄越しただけで、それも直ぐに目の前を通り過ぎるライオンに奪われていた。
陽光が随分と西へと傾いて、園内の木々から落ちる影が長く伸びているが、スコールの立っている場所には影はない。
暑いのは勿論、日に焼けるのも嫌いなスコールが、じっと日の下にいるのは珍しい事だった。
それ位に、スコールがライオンに夢中になっていると言う事だ。
「子供の頃と同じだなぁ」
ぽつりと零れた父の言葉に、レオンは目を細める。
檻の前で、まるで虜になったようにじっと動かない少年の後姿は、幼い頃の弟とそっくり重なる。
もう蒼の瞳が子供の頃のように判り易く喜ぶ様子は見られないけれど、瞳の奥がきらきらと輝いているのは変わるまい。
どんなに背が伸びても、泣き虫を卒業しても、根の純粋さは変わらないのだ。
そんな事を考えていると、ぴた、と冷たいものがレオンの頬に触れる。
ラグナが買ってきたペットボトルに浮いた結露が、レオンの日射で赤らんだ頬をひんやりと冷やしていた。
気持ち良いな、と冷気に目を細めていると、ラグナが目尻に皺を刻んで柔らかく笑う。
「お前も。大きくなったけど、やっぱり子供の頃と変わらないよ」
「……そうか?俺は、そうでもないと思うけど」
「俺にとっては変わんないよ。いつもスコールを見てくれてありがとうな、レオン」
微笑む父の言葉に、レオンの記憶がゆっくりと震える。
遠いあの日、この場所で、同じように父に褒められた。
ライオンの檻から離れたがらない弟から、片時も目を離さないように、レオンはずっとスコールの傍にいた。
ついさっき、二人で檻のまえに立っていたように、あの日も一緒に並んでライオンを眺めていたのだ。
そんなレオンに、スコールを見てくれてありがとな、とラグナは頭を撫でていた。
行こう、と父に促され、レオンは弟のいる檻へと向かう。
名前を呼ぶとスコールが振り返り、その一瞬だけ、まだ瞳の奥に夢心地の色が残っていた。
それは直ぐに引っ込んでしまうが、父もきっと気付いたに違いない。
スコールは夢中になっていた自分を隠すように、差し出されたペットボトルを仏頂面で受け取った。
一口飲んだそれに蓋をして、視線はまた透明な壁の向こうへと向けられる。
蒼と金が確かに混じり合った瞬間、少年の目が嬉しそうに和らぐのを、父と兄は見逃さなかった。
『何処かに出掛けるラグレオスコ』のリクエストを頂きました。
動物園ネタが好きです。趣味です。高校生が好きな動物に夢中になってるのが可愛い。
そんなスコールをずっと眺めてるのが楽しいレオンと、そんな兄弟を見ているのが好きなラグナでした。
夏休み中の特別夏期講習なんて申し込むものじゃない。
暑い教室の中で、自分で申し込んだ夏期講習授業を終えて、スコールはそう思った。
校庭で鳴いている蝉の声の煩さに辟易しながら、外と大して温度の変わらない校舎内を歩く。
水筒の中身の水は、登校中と授業の合間の休憩時間だけで、もう残り少なくなってしまった。
荷物を重くするのが嫌で小さな水筒を愛用していたのだが、こうも減りが早いと、もう少し大きなものにすれば良かった、と後悔する。
学年で上位の成績を持つスコールが、どうして夏期講習が必要なんだとよく言われる。
理数系なら確かにスコールは得意だし、今から慌てて勉強しなければとは思っていないのだが、苦手な文系がどうしても怖い。
それも補習常連の友人に比べればマシなレベルは保っているが、やはり成績が振るわないと言うのは、スコールにとっては気になるのだ。
予習する所はするし、復習も重ねたいし、より深く緻密に勉強する機会が設けられるなら、それは使いたい。
勉強は決して好きでする訳ではないけれど、無視できない性格である以上、スコールはそれらをしない訳にはいかなかった。
(でもこんな環境で勉強する位なら、家で自習していた方がマシだ……)
思いながら、去年も同じ事を考えていたような気がする、とスコールは溜息を吐く。
人間は学習する生き物だと言うが、同じ愚を犯す生き物でもある。
矛盾している、と肩を落としながら、スコールの重い足は、ようやく昇降口へと到着した。
────と、其処で耳に馴染んだ声が二つ。
「あ、スコールだ」
「スコールも終わったトコっスか」
名を呼ぶ声に顔を上げれば、蜜色と褪せた銀色の髪が並んでいる。
同じクラスの友人で、先程赤点組と称した、ティーダとヴァンであった。
「……あんた達も帰りか」
「うん。途中でコンビニ寄ろうって話してた」
「…俺も行く」
「行こう行こう!アイス買わなきゃやってられないっスよ」
ティーダの言葉に、アイスか、良いな、とスコールは小さく呟く。
コンビニと聞いた時には、冷たいジュースでも買って帰ろうと思っただけだったのだが、アイスも欲しくなって来た。
うだる暑さの中、帰る道中のお供には最適だろう。
上履きから靴に履き替えて、軒の外へと出ると、カンカンと照る太陽に肌を焼かれる。
じりじりと皮膚が焦がされるのを感じて、スコールは腕を摩った。
それを見たティーダが、うわ、と声を上げる。
「スコール、腕真っ赤じゃん」
「……触るな。あんたの手、熱い」
「真っ赤だけど焼けてないな。スコールって焼けない奴なのか?」
「そういやスコールって白いっスね。インドアっぽいしなー」
スコールの赤らんだ腕をしげしげと観察するティーダとヴァン。
その視線すらも熱を感じるようで、スコールは手首を掴んでいるティーダの手を振り払って逃げた。
土で整備されているグラウンドを抜けると、アスファルトからの輻射熱が少年たちを襲う。
道の向こうが陽炎で揺らいでいるのが見えた。
卵を落としたら目玉焼きになりそうだな、と思いつつ、スコールは足早に歩き、ティーダとヴァンがそれを追う形でついて来る。
「スコール、夏期講習ってどんな事してるんだ?」
「勉強してる」
「補習授業とやってる事って違うんスか?」
「…違うんじゃないのか。補習授業は受けた事がないから知らないけど」
「っかー!イヤミっスか!」
「別に。ただの事実だ」
スコールは特別授業の類を率先して受けているので、夏期冬期講習の常連であるが、補習授業は一度も受けた事がない。
受けないのが一番良いとも思っているので、今後も受ける予定はなかった。
対してティーダとヴァンは補習授業の常連と化しており、教師達の頭痛の種となっている。
「…夏期講習の内容が知りたかったら、あんた達も申し込めば良いだろう。良い勉強時間になるんじゃないのか」
「補習だけでも面倒なのに、夏期講習なんてやりたくないっス!部活の時間もまたなくなるし」
唇を尖らせるティーダに、やれやれ、とスコールは肩を竦める。
そんなティーダの隣で、ヴァンも「俺も部活は早く出たいなー」と言っている。
それなら補習も受けないように、ちゃんと勉強すれば良いだろうに、とスコールは何度思ったか知れない。
スコール達の学校では、テストの赤点や単位不足で補習が組まれると、その間は部活動に参加する事が出来ない。
運動系の部は、地区でも有名な強豪校と言われているが、学業が疎かになるのなら部活はさせない、と言うの決まりがある。
しっかりと線を引いた上で、どちらも両立させるように、と言う方針が定められているのだ。
お陰で成績が常に低空飛行のティーダは、部活一時休止の瀬戸際に常に立っている。
ヴァンはテストの方は平均点はカバー出来るが、普段の授業態度───忘れ物だとか、居眠りだとか───が多くて減点を食らっていた。
これにより、長期休暇期間になると、二人は一定の補習授業を受けて単位を取り戻すまで、部活に参加する事が出来ないのがパターンと化している。
早く部活がやりたい、ボールが触りたい、と言うティーダと、作りかけの航空模型を完成させたい、と言うヴァン。
そんな二人の声を聴きながら、毎日灼熱地獄なのに、よく部活なんてやっていられるな、とスコールは思っていた。
どんなに夢中になる事でも、好きな事でも、この暑さの中でやれと言われたら、スコールは諦めて涼しい家の中に引き籠る。
それを思うと、暑さよりも夢中になれる事がある友人二人が、少し羨ましいような気もした。
校門を出てから五分の所に、学生達が行きつけのコンビニがある。
平時は放課後の寄り道で菓子を買った学生が屯しているポイントだが、流石にこの暑い日中に炎天下で過ごす猛者はいなかった。
店に入ると、いらっしゃいませー、と気のない店員の声が届けられる。
三人はいそいそとアイスボックスへと向かい、ガラス越しに並ぶ商品を眺め、
「俺これにする」
「あ、新商品ある。俺はコレ!」
(……これにするか)
ティーダはソーダの棒アイス、ヴァンはチョココーティングされたクリーム系棒アイスを選び、スコールはカップのアイスを取る。
レジカウンターで順番に会計を済ませて店を出ると、早速アイスの封を切った。
冷凍庫から出されたばかりのアイスは、キンキンに凍っていて固い。
ティーダは躊躇なくそれに齧り付いて、ガリッ、と噛み割った。
口の中で氷の塊をしゃくしゃくと砕き、ごくっと飲み込めば、食道から胃までひんやりとした感覚が通って行く。
「く~っ、これこれ!やっぱり夏のアイスは最高っスね」
「そうだなー。夏って感じがする」
「………」
涼を喜ぶティーダと、頷きながらチョコとクリームの味を堪能するヴァン。
スコールは無言のまま歩きながら、凍っているアイスの表面をプラスチックの小さなスプーンでザクザクと耕している。
「ヴァンのそれ、新しい奴だよな。どんな感じ?」
「うまいぞ。クリームがミルクって感じがする」
「一口貰って良い?」
「ん」
ねだるティーダに、ヴァンがアイスを差し出した。
食べかけのそれにティーダがぱくっと齧り付く。
「んー……確かに濃いっスね。最近こう言うアイス増えてる?」
「そうだっけ?スコールも食べてみるか?」
「……一口」
「ん」
ひょい、と差し出されたヴァンのアイスに、スコールも口を開けて首を伸ばす。
はく、と大きくはない一口分だけを貰えば、チョコレートとクリームは直ぐに口の中で溶けて行った。
「……牛乳っぽい」
「だろ?なあ、スコールのそれもちょっと食べたい。良いか?」
「……ほら」
先に一口貰ったのだし、とスコールはヴァンの希望に応じた。
アイスをスプーンで一口分掬い、差し出してやると、ヴァンは雛のように口を開けた。
そのままスプーンを口元まで持っていけば、ぱくり、と食いつく。
「レモン味」
「ああ」
「スコール、俺も欲しいっス!」
「……判った判った」
きらきらとした目でねだってくるティーダに、スコールは溜息を吐きながら寛容した。
アイスをざくざくと耕して、柔らかくなった氷の塊を掬って差し出す。
ティーダは直ぐにぱくっと食いついた。
「ソーダとはちょっと違ったさっぱり感。良いっスね~、今度これ買おうかな」
「なー、ティーダのアイスもちょっとくれよ」
「ん、良いっスよ。スコールも食べて良い────」
我儘を聞いてくれた友人たちへのお返しにと、ティーダが自分のアイスを差し出そうとした時だった。
ぺちゃ、と言う音がティーダの足元で鳴る。
見下ろせば、其処には無残な姿のソーダアイスの塊。
次いでティーダが自分の手元を見ると、其処には棒きれが一本のみ。
「……あ」
「……」
「ああああああああ!!」
響くティーダの声に、煩い、とスコールは釘を刺した。
しかし当のティーダはそんな事に構っている余裕はなく、
「お、俺のアイスが~っ」
「暑いからなあ。溶けるのも早いんだな───って、あ」
嘆くティーダを眺めるヴァンの足元からも、べちゃ、と言う音が鳴った。
見ればクリームアイスがすっかり溶け、割れたチョコレートコーティングごと、地面に落ちている。
鉄板のような熱さの上に落ちた二つのアイスは、みるみる内に溶けて液体になってしまった。
「あー」
「アイスぅぅぅううう」
(……カップにしておいて良かった)
残念そうに眉尻を下げるヴァンと、悲痛な叫びをあげるティーダを見て、更に自分の手元を見てスコールは思った。
カップの中身はかなり溶けてしまっているが、カップからは水漏れもなく、手を滑らせなければ落とす事もない。
元々は手が汚れるのを嫌って選んだカップアイスだったが、こんな副次効果もあったとは。
なんとなくでアイスを選んだ十分前の自分に感謝する。
そんな事を考えていると、何か熱いものを感じて顔を上げると、二対の瞳がじっと此方を見ている。
「……なんだよ」
「それ」
「良いなあと思って」
二人揃って指差すのは、スコールの手の中にあるカップアイス。
暑さに負けた彼らのアイスは、大変残念な事と思う。
思うが、それを選んだのはあんた達だろう、とスコールは二人を睨み付けた。
しかし、付き合いの長い彼らがそれに慄く訳もなく、子犬と子猫を思わせる瞳がじっとスコールを見詰め、
「……あと一口だけだぞ」
こんな事で根負けしてしまうのは、これで何度目になるだろう。
まだ溶け残りのあるカップアイスを差し出すスコールに、ティーダとヴァンの表情がぱぁっと明るくなる。
「スコール!大好き!」
「抱き着くな、暑苦しい!」
「俺も好きー」
「判ったから離れろ!」
抱き着いて来た二つの熱の塊から、スコールは逃げ遅れた。
ぎゅうぎゅうと抱き締めて離さない二人に、この暑いのに、とスコールの眉間の皺が益々深くなっていく。
それでも、自分から彼等を突き放す事はしないのだった。
『現パロで夏休みな17歳×スコール』のリクエストを頂きました。
17歳のどちらとも書かれていなかったので、二人ともセットでスコールにはぐはぐ。
スコールもツンツンしつつも本気で拒否はしないので、なんだかんだ言っても二人の事が好きなんです。
魔女戦争の後、世間的にはふつりと姿を消したサイファー・アルマシーは、現在、ドールに己の拠点を構えている。
しばらく長居したF.Hは悪くなく、世間から身を隠すには最適だったが、色々と考えた末に出て行った。
良くも悪くも争いを根本から嫌う土地と言うのは、投げ出した形とは言え傭兵育成の環境下にいたサイファーには、肌に合わない所も少なくなかった。
それに加え、ガルバディア軍が魔女戦争の責任者として、サイファーに全てを押し付けようとしていると言う情報が入った。
F.Hが嘗てガルバディア軍の襲撃を受け、スコール達の介入によって無事に事が済んだと言う話は(他人の顔をして)聞いていたので知っていたし、その際、街に幾らかの被害を出したことも聞いた。
頭がすげ変わっても相変わらず躾の悪い軍隊であるから、サイファーを捕らえようと良からぬ根回しが始まる前に、サイファーは其処を出て行く事を決めたのだ。
その後、ガルバディアには自分の顔が知られ過ぎているし、エスタもルナティック・パンドラや“月の涙”の件があると近付かず、セントラは誰の目を気にする必要もないが、其処は不毛の地だから、生活するには不便だ。
そうして唯一残ったのがドールの街であった。
幸か不幸か、件の魔女戦争に置いて、ドールは若干蚊帳の外になっている。
ガルバディア軍による電波塔占拠の事件は、全ての始まりでもあったのだが、バラムガーデンとガルバディアガーデンの衝突等はセントラ大陸で起こったし、D地区収容所から発射されたミサイルはバラムとトラビアに着弾し、地理的にも全く違う場所にあるドールは、魔女戦争の一連の被害に被るものはなかったのである。
そうした環境の所為か、魔女戦争後に起こった国際裁判の類にも、ドールは我関せずと言う具合だった。
そんな場所でもサイファーの顔は知られているのだが、此処で役に立つのが“金”だ。
合法的なカジノから、非合法のギャンブルまで、ドールではあらゆる場面で金が動く事に重きが置かれる傾向がある。
その金の動きに己を上手く乗せる事が出来れば、ドールでのある程度の安寧は手に入れる事が出来るのだ。
最初に其処に流れ着いた時、サイファーは一文無しだった。
ガーデンに帰れと言ったのに、ついて行くと聞かなかった雷神も同じだ。
堅実な風神は幾らか貯金が残っていたが、三人で生活するには雀の涙である。
幸い、ドールには日雇いの仕事と言うものが幾らでも募集されているから、それでどうにか食い繋ぎ、地道に資金を貯めて行った。
なんとも自分らしくない地道な生活だと思ったが、金がなければドールであろうと何処であろうと宿無生活は脱出できないので、これは踏ん張り所と割り切った。
……そんな事で多少の諦めが着く位には、子供ではいられなくなった自分を自覚しつつ、日々は続く。
少し金が溜まった所で、サイファーはアパートを借りた。
雷神と風神も其処に住んで良いと言うと、二人は泣きながら喜んだ。
そんなに宿無し生活が辛かったのかと思ったら、ガーデンに帰れと言わず、一緒に住む事をサイファーの方から提案してくれた事が嬉しかったのだと言う。
無性にこそばゆい感情に背中を掻きながら、三人の共同生活は改めてスタートした。
その後も日雇いの仕事は続けつつ、サイファーは偽名を使って傭兵稼業を始めた。
新たな人生として、何処かの会社に就職する、と言う頭もない訳ではなかったが、やはりサイファーは根っからの傭兵だ。
地道なデスクワークなんて性に合わないし、ぺこぺこと人に頭を下げるのも好きではない。
何より、自分が最も誇れるものは何かと聞かれたら、バトルの腕だと答える。
そんな人間が好んで出来る仕事なんてものは、結局そう言う道以外にはなかったのだ。
傭兵と言うとやはりバラムガーデンのSeeDが有名だが、世の中にいる傭兵の全てがSeeDと言う訳ではない。
単に『バラムガーデンのSeeD』と言うネームバリューが商品として売れているだけで、フリーランスも少なくはなかった。
この世界での傭兵は、戦争事の駒として駆り出される事は勿論、魔物の討伐も依頼される事がある。
言い換えてしまえば、荒事専門の何でも屋だ。
先の“月の涙”の影響により、エスタ大陸を中心にした各地で魔物の生態系の変化が起きている事もあって、魔物討伐の依頼は急増している。
バラムガーデン擁するSeeDだけでは手が足りず、各国の軍隊も自国の主要な施設を防備する事を優先している節もあって、一般人は個人で魔物討伐の手立てを得なければならなかった。
其処でSeeD以外のフリーランスの傭兵や、セキュリティ会社等に魔物討伐の依頼が寄越されるようになっている。
────が、サイファーの構える傭兵事務所には、中々大きな依頼が回ってこない。
ドールにはサイファー以外にも事務所を構えている個人の傭兵がいて、其方には依頼が来ているようだが、立ち上げたばかりで知名度が低いサイファーの下まで話が降りて来ないのだ。
取り敢えず自主的に探して引き受けたドール近辺の魔物退治をして日銭を稼いでいるが、日雇いのアルバイトに行っている雷神の方がトータルして稼ぎが良いのが少し悔しい。
別に競争している訳ではないのだが、一応、社長と言う肩書で事務所を持っているのはサイファーなので、従業員扱いの雷神と風神に養われている状態は早く脱したいと思う。
そんなサイファーの傭兵事務所だが、大きな仕事が全く来ない、と言う程寂れてはいない。
月に一度か二度、ほぼ必ず、大口の依頼が舞い込んでくるからである。
今月もそろそろ来る頃か、と思っている所へ、「依頼がある」と言うごく短いメールは寄越された。
昼から予定していた郊外の治安維持を目的とした魔物退治を終えて、帰路を歩く。
途中の自動販売機で買った缶ビールを傾けながら、口煩い奴が近くにいないのは良いな、と思った。
これがバラムガーデンだったら、先生辺りに見付かって、禁酒ルールの罰則としてトイレ掃除でも押し付けられる所だ。
とは言え、風神に見付かると棘を貰う羽目になるので、家に着く前に飲み切って、道端のゴミ箱に捨てておく。
少し古びた建物がひしめき合っている地区に、サイファーの拠点であるアパートがある。
あまり治安の良い場所ではないが、今の収入ではこれ以上は求められない。
それもあって余り依頼が来ないのかも知れない、と早く引っ越したい気持ちはあるのだが、その為にもまずは貯金を蓄えなければいけない。
大手はそう言う心配がないから良いよな、とこれから会う顔を思い浮かべて独り言ちた。
軋んだ音を立てるアパートの階段を上って、三階にあるのがサイファーの事務所兼家だ。
半日振りに帰ったその扉の前に、見慣れた黒のジャケットとガンブレードケースを見付けて、サイファーの口角があがる。
「ようこそ、指揮官様。今日はお早いお着きで」
ドアに寄り掛かり、狭い夕空を見上げているのは、バラムガーデンの指揮官こと、スコール・レオンハートである。
スコールは戻ってきた家主を見付けると、眉間に深い皺を刻んでサイファーを睨み付けた。
「あんた、出掛けているなら先に連絡しろ。あんたを待ってニ十分も時間を無駄にした」
「いつもそれだけ遅れて来てんのは誰だよ」
「あんたと違って忙しいんだ、仕方がないだろ。暇なあんたが都合を合わせろ」
なんとも横暴な物言いに、腹が立たない訳ではなかったが、言い返せば仕事を取り上げられるのが判っているので、へいへい、と適当に返事だけを投げる。
スコールが部屋の外で待っていたと言う事は、同居人は揃って不在と言う事だ。
まあそれが正解だな、と思いつつ、サイファーはドアの鍵を開ける。
ドーゾ、とだけ促してサイファーが中に入ると、続いてスコールも玄関の敷居を跨いだ。
見た目も古く、中身も相応のアパートだから、本当なら一人暮らしが精々の広さしかない。
それを三人───うち二人は図体のでかい男───で共有している訳だから、各個人のスペースなど猫の額もありはしない。
が、私物は自分で管理し、他人の物は許可なく触らないと言うルールの下、共同生活はなんとか無事に回っている。
掃除洗濯と言った家事も一通り出来るし、悪戯に散らかすばかりの人間も、やたらと神経質に清潔を意識する人間もいないので、今の所は息苦しくなるような事もない。
ただ、個人の部屋と言うのはないので、滅多にない来客が来た時等は、他の二人はカプセルホテル等に一時避難するようになった。
リビング兼寝室にスコールを通せば、勝手知ったる他人の家と、スコールは遠慮せずに三人掛けのソファに腰を下ろす。
サイファーは小さなキッチンでインスタントコーヒーを入れて、形ばかりの持成しをする。
「ほらよ、コーヒーで良いだろ」
「……砂糖は」
「入れた。一杯だろ」
「ん」
好み通りなら十分と、スコールはコーヒーに口を付けた。
程好い温度で入れられたコーヒーに、ふう、と一つ呼吸が漏れる。
その様子を眺めながら、クマが増えたな、とサイファーは思った。
「…で、今日はなんの御用で?依頼だったら嬉しいんだが」
「希望の通り、依頼だ。詳細はこれ」
スコールはガンブレードケースを開けて、懐紙入れから書類を取り出した。
差し出されたそれを受けって、紙面を見たサイファーの眉間に皺が寄る。
「グランディディエリの森でモルボルとメルトドラゴン、エスタ近郊でキマイラブレイン、トラビアでルブルムドラゴン……お前、面倒なのばっかりじゃねえか」
「だからあんたに任せるんだ。出来ないなら別に構わないが」
「この野郎……」
スコールの事だ、サイファーの経済事情など判り切っているに違いない。
生活を回すだけなら今のままでもなんとかやって行けない事もないが、それではこの先の傭兵稼業が続く訳がないのだ。
況してやサイファーは、今は捨て置かれる形になっているとは言え、“戦犯”と言う肩書がついて回る。
偽名で仕事を続けていられる内に、稼ぎと実績を作っておかなければ、何処から余計な茶々が入るか判らない。
その為にも、一気に稼げるスコール=バラムガーデンからの下請け依頼は、断る訳には行かないのだ。
はあ、と溜息を吐きつつ、サイファーは依頼書に一通り目を通す。
バラムガーデンからの下請け依頼なので、報酬は折り紙付きだ。
元々ガーデンに寄越された依頼料の何割か、と言うレベルではあるが、ドール近郊でちまちまと魔物退治をしている時の額に比べれば、雲泥の差がある。
況してや、今回は面倒な魔物ばかりを指定されている為、その分だけ金額も大きい。
「移動費は?」
「出してやる。後で領収書を回せ」
「ついでに指揮官様お抱えの足も貸してくれると嬉しいんだがな」
「悪いが、当分運行予定は埋まっている」
悪いと欠片も思っていないだろうに、いけしゃあしゃあと言うスコールに、可愛くねえ、と呟く。
独り言だったそれはしっかり聞き取られ、悪かったな、とこれもまた心にもない返し口であった。
カチャリ、とコーヒーカップが小さく音を立てる。
このカップが使われるのが、自分が此処に来ている時だけだと、スコールは知らない。
知る必要もない事だ、と思いつつ、サイファーは依頼書に自分のサインを綴った。
これで依頼は引き受けた事になる。
任務地はドールからでは何処も遠いので、これからしばらくは色々とスケジュールの調整が必要だ。
風神と雷神が帰ってきたら伝えなければ、と思ったが、二人が今夜帰って来る事はないだろう。
メールや電話で連絡しても良いのだが、どうせ揃って詳細を伝えなければならないのなら、明日にした方が二度手間にならない。
────さて、と。
やるべき事はやったし、とサイファーが顔を上げると、スコールはコーヒーを片手に眉間に皺を刻んでいた。
その目が時折此方を見ては逸らされるのを見付け、サイファーも負けず劣らずの皺を刻む。
「なんだよ」
「……」
「言いたい事があるならさっさと言え」
沈黙してはいるが、物憂げな蒼が此方に向けられるのを見て、サイファーはさっさと吐き出せと言った。
スコールはコーヒーカップの残りを飲み干すと、カップを皿を戻しながら口を開く。
「……シュウ先輩が言ってたんだが」
「ああ」
「……俺が此処に行くのが、単身赴任の旦那の所に逐一通っているようだと」
「……へえ」
なんとも下らない事を。
相槌を打ったサイファーの表情からは、そんな言葉が漏れ出ていた。
キスティスと同期のシュウと言えば、サイファーも知らない筈がない。
今年行われていたSeeD試験然り、去年も彼女も顔を見たし、万年候補生と呼ばれたサイファーにもしっかり釘を差すシュウは、サイファーの記憶にもしっかりと残っている。
何事にも芯がしっかりとしてブレない彼女は、後輩達からもよく慕われている。
バラムガーデンが要塞として起動した以後は、指揮官と言う座に就かされたスコールのサポートを主な仕事として、バラムガーデンの要の一人として忙しなくしているそうだ。
そんな彼女は、相手が指揮官たるスコールであっても、中々遠慮なく物を言ってくる。
オンオフの切り替えはしっかりしているので、公の場では余計な口は使わないが、日常の中ではスコールを揶揄う事も多いのだそうだ。
今の単身赴任云々と言う言葉も、恐らくそう言う流れで出て来た言葉なのだろう。
サイファーが旦那なら、月一、二で通うスコールは妻か。
そう思うと俄かに口元がにやけそうになるサイファーだったが、そんな事をすればスコールの雷が落ちかねない。
ぐっと堪えて、恐らくこの反応が妥当、と思う言葉を口にする────が、
「……誰が単身赴任の旦那だ」
「全くだ。稼ぎのない旦那なんて俺は御免だ」
「其処かよ!っとに可愛くねーな!」
旦那か妻かと言う、一番スコールが反発しそうな所を無視して、要点は稼ぎの額と来た。
嫌に現実的な指摘は、今最もサイファーがジレンマを感じているポイントを容赦なく突き刺す。
ほんの少し前なら、誰が妻だと其処から怒って見せただろうに、今のスコールは難無く聞き流せる余裕があるらしい。
これだから指揮官とか言う高給取りは、と忌々しさに歯を噛むサイファーに、スコールは溜息を吐いて、
「単身赴任でもなんでも良いから、あんたは早く仕事をまともな軌道に乗せろ。偽名でもあんたの名前がちゃんと売れれば、こっちも仕事の依頼がし易くなるんだ。今はあんたが信用の置ける委託先だって事を説明しなくちゃいけなくて面倒なんだぞ」
「あーあー、判ってる判ってる」
「判ってるなら、仕事の選り好みをしていないで、さっさと────」
スコールの言葉は、最後まで続かなかった。
サイファーはソファにすっかり落ち着いているスコールの腕を掴んで、強引に寝床にしているベッドへと連れて行く。
放るように離してやると、スコールはベッドに倒れ込んで、溜息を吐きながらごろりと寝返りを打った。
直ぐにサイファーがその上に覆い被さって、文句を言おうとしている唇を塞ぐ。
近い距離で蒼がじろりと抗議に睨んだが、構わずに舌を絡め取ると、ひくん、と薄い肩が震えたのが判った。
前にこの唇を味わったのは、もう三週間も前になるだろうか。
その時も流れは今と同じで、仕事の話をして、どうでも良い応酬をして、ベッドに雪崩れ込んだ。
偶には外で良い飯を食ってロマンティックな景色でも見て、と思わないでもないけれど、現実は小さなアパートの片隅で即物的な交わりをしている。
今の所はそれしかないのだから、これでしっかり繋ぎ止めてやるしかあるまい。
深く深く口付けている内に、腕が首に絡み付く。
離れていた時間を取り戻すように、溶け合って混じり合って、同じ泥の海へと沈んで行く。
明日にはまた別々の世界に分かたれると知っているから、今だけは。
『サイスコで、ガーデンでどちらかがどちらか部屋に行く or 何処かの街で通い妻か同棲してる感じ』のリクエストを頂きました。
あまり二人が別々に生活してるのって書いてないなーと思ったので、スコールに通い妻して貰いました。
通い妻って、なんか響きがエロい。好き。
サイファーも後でそんな感じの事を考えて、まあ悪くはねえなとか思ったりする。