[フリスコ]花と向き合うあなたの
てん、てん、てん、と。
グラウンドの方から転がって来たボールが、小さな段差を越えて、花壇の中に入ったのを見た。
サッカー部員が蹴ったそれは、直ぐにその部員が駆けて来て、あーあーと言いながら回収していく。
後には、ボールが通った痕跡だけが残された。
教室へと向かう為にその足を進めると、花壇の傍へと辿り着く。
其処には、整然と花が並んでいたものだったが、今はその一画に不自然な空間が出来ている。
つい今し方、ボールが通って行った場所だ。
並ぶ花々が真っ直ぐにその背筋を伸ばしている中、ボールに押し通られてしまった其処だけ、花がひしゃげたように背筋を折っている。
それは、悪気があってそんな風になってしまった訳ではない。
ボールを蹴ったサッカー部員が、此処をゴールとして狙ったこともないし、コートから離れてしまったそれが結果的にそこに転がり込んでしまっただけ。
ボールを回収する為に花壇に入った足跡は、並ぶ花々をきちんと避けているから、踏み潰したなんてこともない。
誰が悪い訳でもない、と思う。
けれど、なんとなく、そのままにしておく気になれなくて、スコールは花壇の前で膝を折った。
(……少し茎が折れてる)
猫背になってしまった白い花。
何と言う品種だったか、少し難しい名前をしていたから、はっきりとは思い出せない。
同種の花が隣近所に植わっていて、其方は皆きちんと頭を上げて、咲き誇った花弁を差し出している。
きっと、折れてしまったこの花もそうだったのだろう。
そっと茎に触れると、折れた部分に微かに固い繊維の感触があった。
この茎に軸でも添えて支えにしてやったら、少しはマシになるだろうか。
そんな事をしても、体に入ってしまったダメージが消えるものかは判らなかったが、なんとなく、そうした方が良いだろうか、とスコールは思っていた。
───と、其処にふっと影が差し込む。
手許が見え難くなって、寄せた眉根で顔を上げると、一人の青年がスコールの横に立っていた。
「あ」
(……しまった)
赤い瞳に、銀色の髪。
早朝、この花壇の傍を通り過ぎる時、よく見かけていた青年が立っている。
青年は学校内ではそれなりに有名で、名前を確か、フリオニールと言った。
学年はスコールよりひとつ上で、運動部に所属しているようだが、どうやらあちこちを掛け持ちしているらしく、目撃例は一所に留まらない。
そんな彼だが、朝は部活練習の類には参加せず、専らこの花壇まわりで見かけるばかりであった。
フリオニールの手には、緑色のプラスチック製の如雨露がある。
毎朝のように行っている、花壇の水遣りに来たのだろう。
そこで、いつも此処を通過するだけのスコールが、花壇の花───茎の折れた花に触れているのを見付けた。
フリオニールの視線が真っ直ぐに此方を見ている。
スコールは、フリオニールの紅玉のような瞳が、自身の手元……折れた花に向けられている気がしてならなかった。
(……俺じゃない)
この花を折ったのは俺じゃない。
スコールはそう思った。
見詰める瞳に責められているような気がしたからだ。
けれど、それを口にするのは言い訳か、言い逃れをしているようにも思えて、咄嗟に声が出ない。
フリオニールはしばらくスコールを見つめていたが、ああ、と再起動がかかったように動き出す。
持っていた如雨露を花壇の脇に置くと、スコールの傍に来て、背中を曲げてその手許を覗き込んだ。
茎の折れた花を支えるように添えられるスコールの手───その逡巡か迷いを悟ったように、フリオニールは頬を緩める。
「折れてたのか。ボールでも突っ込んだかな」
「……ああ。そうだ」
フリオニールの方から原因を言い当ててくれたので、スコールは内心、ほっとした。
謂れのない罪を責められるのではないか、と思っていた不安が杞憂で済んだからだ。
フリオニールは膝を折り、「ちょっと良いか」と言って手を伸ばしてきた。
スコールは、花を預けてくれと言う意図を読んで、茎に触れていた指をそっと離す。
またくてんと首を下げてしまう花を、フリオニールの皸のある指が柔く摘まんだ。
「……うん、まだ大丈夫そうだ」
フリオニールはそう言うと、すっくと立ちあがった。
踵を返したフリオニールは、駆け足で何処かへ行ってしまう。
おい、とスコールはその背中を見送った。
フリオニールが戻ってきたのはそれから五分としない内で、その手には小箱が抱えられている。
スコールの隣へまたしゃがむと、彼は小箱の中から、プラスチックの細い軸とテープを取り出した。
「ちょっとその花、支えておいてくれるか?」
「あ、ああ」
フリオニールに言われて、スコールはもう一度、花に手を伸ばした。
頭を下げてしまう花をそっと持ち上げて、折れた茎が無理なく真っ直ぐに伸びるように調整する。
フリオニールはその横に軸を挿すと、細身の養生テープを数巻き切り取り、軸と茎を寄り添わせて、テープを括りつけて固定した。
茎の中ほど、折れた場所から少し上、そして萼の下。
そのあたりをきつくない程度にテープで結び付けると、
「これでよし。もう手を離して大丈夫だよ」
「……ん」
言われてスコールがそっと手を離すと、花はきちんと頭を上げていた。
隣に並んだ花よりは少し疲れたように頭の角度は低いが、真下を向いていた状態よりもずっと良い。
少なくとも、この整然と並んだ花の中で、ひとつ悲しみに暮れたように項垂れていることはなくなった。
フリオニールは小箱を片付けると、花壇の脇に置いて、如雨露を持つ。
重みのある如雨露の中で、ちゃぷん、とたっぷり入った水が音を立てた。
傾けた如雨露のシャワー口から、露水が雨を降らせていく。
乾いていた花壇の地面が濃い茶色に変わって行って、水をかぶった花々がきらきらと雫を光らせた。
その様子を、スコールは何処かぼんやりとした心地で見つめていると、赤い瞳が此方を映す。
「えっと───お前、スコールだよな?」
「……そう、だが」
何故、自分の名前が知られている。
スコールの眉間に、怪訝に皺が寄せられる。
フリオニールは花に水の食事を与えながら、その理由を告げた。
「ティーダから聞いてたんだ。仲の良い友達だって」
「……友達……」
「ちょっと無口だけど、良い奴だって。その通りだなと思ってさ」
「……」
クラスメイトであるティーダが、この青年に、自分の話をしていた。
知らない所で交わされる自分の噂話めいたものを、スコールは総じて好んでいない。
が、かと言って友人の口を完全に塞ぐのも難しいことである。
ティーダについては、彼の性格上、余程でなければ身内を悪しようには言わないから、スコールは閉口することにしていた。
フリオニールは花壇全体に水遣りを終えると、如雨露はまた脇に置いて、園芸鋏を手にした。
それを使って、花壇に並ぶ植物たちをよくよく検分しながら、余分な葉や低木の枝を切り落として行く。
その傍ら、フリオニールは口も動かしていた。
「朝、この辺で時々見るとは思ってたんだ。部活の朝練にしてはちょっと遅いし……クラスの何か係とか?」
「……配布物の準備をしている」
「ああ、成程。あれ、皆が来る前にやって置かなきゃいけないんだよな」
「そうだ」
「俺も一年の頃にやったな。園芸部に入って、朝の活動をするようになったから、途中から他の係に替えて貰ったけど」
ぱちん、ぱちん、と鋏の音を立てながらフリオニールは言う。
その中に、スコールは初めて聞く情報を見付けた。
「……園芸部?あんた、運動部じゃないのか」
てっきり、とスコールが言うと、フリオニールは苦笑しながら此方を見た。
「はは、よく言われるよ。あちこち助っ人に来てくれって頼まれるからな。困ってるし、頼まれたんだし、断っちゃ悪いかなって思ってる間に、な」
「……」
「運動部の皆からは、よく勿体ないって言われたけど。顧問からも入ってくれって言われたことあったし。でも、俺はこっちが性に合ってるからなぁ」
こっち、と言ってフリオニールの手は、グリーンカーテンにした蔓花に触れる。
綻びつつある蕾をじっと見つめる赤い瞳は、柔く温かい。
蕾がいつ花開くか、どんな形で色で姿を見せてくれるのか、その目は静かに楽しみにしていた。
それから枝葉を剪定し、今咲いている花々がしっかりと光合成が出来るように、見た目も整えていく。
その横顔は真剣そのもので、彼が真摯にこの花畑に植わった住人たちと向き合っていることが見て取れた。
グリーンカーテンを一頻り整えると、フリオニールは花壇から一歩離れた。
遠目に全体像を見渡してから、「よし」と納得した様子で頷く。
「大分良い感じになってきたな。でも、うーん……この辺りが花の色付きが良くないなぁ……」
植え替えした方が良いだろうか、とフリオニールはぶつぶつと呟いている。
スコールはその丸まった背中をしばらく見つめていたが、
(……このまま見ていてもしょうがないな。邪魔にもなる)
フリオニールは、部活をしているのだ。
グラウンドでボールを追い駆けている少年たちと同じように、真剣に花と向き合っている。
それを、ただ見ているだけとは言え、何をするでもない置物が眺めていると言うのは、存外と鬱陶しいものだろう───少なくとも、スコールならそう思う。
第一、スコールもそろそろ教室に行って、配布物の準備にかからなくてはならない。
足を止める一因となった花も、フリオニールの介添えによって、もう頭を上げている。
これ以上、スコールが此処に立ち止まっている理由はなかった。
特段の知り合いでもないのだから、挨拶なんてものもいらないか。
そう思ってスコールが校舎へと向きを変えようとした時、
「あ。ちょっと───待ってくれ」
「……?」
かけられた声に、スコールは眉根を寄せて振り返る。
フリオニールは、ええと、と花壇をぐるりと眺めた後、中に入って、幾つかの花を切った。
薄水色に大輪と言って良いサイズの花が一輪、それを引き立たせるように小花を数本。
それらを養生テープの余りで簡単に括りまとめて、スコールの前へやってくる。
「これ、持って行ってくれ」
「は?」
「教室にでも飾ってくれたら良いから」
そう言ってフリオニールは、「な?」と促すように笑顔を浮かべる。
よく日焼けした精悍な顔立ちが、切れ長の鋭い眦の形とは裏腹に、人懐こく映った。
呆然と立ち尽くすスコールに、フリオニールは反応を待つように其処に佇んでいる。
蒼灰色が視線を少し下へと傾ければ、目の前の青年が作ったささやかな花束。
これを受け取ってどうしろと、とスコールは心中混乱極まったが、しかし、見つめる青年の表情を見ると、突き返すと何やら罪悪感が生まれそうだった。
半ば、他に選択肢がない、と言う心地で、スコールは恐る恐るに花を受け取り、
「……なんで、こんな……」
「ん?」
当惑がそのまま声に漏れて、訊き留めたフリオニールが首を傾げる。
要領が得ない、と言う様子のそれに、スコールはしばし迷ったが、仕方なく吐露することにした。
「あんたが毎日、大事にしてる花だろ。それをこんな簡単に切って───よく判らない奴に渡す、意味が判らない」
花壇の世話をしているフリオニールを、スコールは時々、見た事があった。
と言うことは、フリオニールの方も、自分の後ろを通り過ぎていくスコールを認識してはいたのだろう。
ついでに、共通の友人として、ティーダの名前も挙がった。
だが、結局はそれだけのことで、自分たちはつい十分前まで、お互いの顔をきちんと確認したことすらなかったのだ。
それなのに、何故、今スコールの手には、フリオニールの作った花束があるのか。
フリオニールがどうしてこんなことをするに至ったのかが、スコールには全く理由が読めない。
そんなスコールの胸中を、フリオニールは事も無げに笑って言う。
「大事にしてくれそうだったからさ」
「……大事に?」
「うん。折れた花を見付けて、ほっとけないって気にしてくれたんだから。そんな優しい奴なら、こういう花も、大事にしてくれるだろうなと思って」
だから、と言うフリオニールに、スコールは益々迷う。
だから、何だと言うのだろう。
結局、肝心な所が酷く抽象的なままで、はっきりとしていない。
それでも、フリオニールの瞳と言葉が、何処までも真っ直ぐに自分に向けられていることは理解できてしまった。
「……そ、うか……」
「うん。まあ、こうやって切ったから、花はその内、萎れていくけどさ。この花なんかは今が一番綺麗なんだ」
「………」
「花なんて、咲いたら次は枯れていくものだ。その変化は寂しく見えることもあるだろうけど、それまで精一杯、咲いてるからさ。見ていてやってくれたら嬉しい」
ひとつ大きな花弁のものを指差すフリオニール。
確かに、薄水色から白へのグラデーションを宿した花は、今が一番見頃なのだろう。
そんなものを、こうやって知り合ったばかりの人間に迷いなく差し出す所に、彼の人格と言うべきか───人の好さのようなものが滲んでいる気がした。
「ああ、これ以上引き留めちゃ悪いな。ごめん」
「……いや」
「じゃあな!」
ひらりと右手を軽く上げて、フリオニールは踵を返した。
小走りに花壇へと戻った彼は、如雨露を持って他の花壇の世話へ向かうらしい。
スコールはぼうとその後姿を見送っていたが、はっと我に戻ると、自身も教室へと向かう為に歩き出した。
腕に抱えた花を、どうしよう、と歩きながら考える。
勢いに受け取ってしまったこれの処遇は、どうするのが一番良いのだろうか。
(……取り合えず、花瓶があるのか、確認しないといけないよな……?)
自分のクラスの教室に、そんなものがあっただろうか。
ないなら、担任教師に確認か、用具員に相談か。
いつかは必ず枯れるであろう、薄水色の花。
せめてそれが褪せてしまうまでは、見守るのも悪くはない、のかも知れない。
2月8日と言うことでフリスコ!
昨年の88の日にリクエストから書いた、『モブから見たフリスコ』[花の名前を君が教えてくれたんだ]の二人、その始まりみたいなのが浮かんだので。
最初はこんな感じで、朝のほんの数分の遣り取りが続くようになって、段々距離が近くなって行ったんだと思います。