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[シドクラ]零れる心を紐解いて



外での用事を済ませて会社に戻ってくると、ロビーに見知った顔がふたつ、その繋がりから知るに至った顔がひとつ。
黒、金、銀と揃った光景は、実の所、シドが見たのは初めての事だった。

紆余曲折の末、シドが引き取る形で面倒を見るようになった、クライヴ・ロズフィールド。
その弟であり、世界でも有名なロズフィールド家の現当主である、ジョシュア・ロズフィールド。
そして二人の幼馴染であり、偶然の事ではあったが、此方もまたシドの下で事務員として籍を置いている、ジル・ワーリック。

三人は、遡れば幼少の頃からの付き合いで、クライヴがロズフィールド家を実質放逐される形で出て行くまでは、よく一緒に過ごしていたのだとか。
クライヴが実家を出た後、ジルも大学卒業を機に一人立ちしたそうだが、その後がクライヴ同様に良くなかった。
ジョシュアはと言うと、彼は彼で己の意思とは関係なく、実家を支えねばならない立場にあった。
それぞれの道が大きく異なってしまったことにより、三人は長らく互いの連絡さえも取れず、疎遠な状態になったと言う。

それが、シドがクライヴを拾った頃から、星の巡りは再び彼らを引き合わせた。
当分は各々の事情もあり、長らく離れていた故の気まずさがあったようだが、今となっては昔話だ。
クライヴとジルは職場で毎日のように顔を合わせ、時折一緒に出掛けに行くこともある。
其処にジョシュアも加わるようになって、懐かしく親しい顔が揃い、三人で食事の予定を立てることも。
生憎とジョシュアの予定がよく変わるので、三人揃って楽しめるタイミングと言うのは限られているそうだが、それでも逢える機会があると言うのは嬉しいことであった。

シドの会社が事務所として所有しているビルは、それ程大きくはない。
ロビーは受付窓口を設置している他は、待合用のテーブルとソファが一揃いしている位で、後は階段とエレベーターと、自販機が設置されている。
待合スペースには一応のプライバシーとして、簡素な衝立を設けているが、人の気配を遮る程のものではない。
だからシドが帰ってきた時、其処に誰かがいることは、話し声が聞こえた事ですぐに判った。
次いで、記憶力の良いシドだから、聞こえる声が誰のものかと言うのも、直に確かめなくても察しがついた。


(曲りなりにも上司が割って入るのは、野暮ってものだな)


ジョシュア・ロズフィールドは、世に名を知られるロズフィールド家の筆頭だ。
ビジネス的なことを言えば、他愛のないことでも挨拶だけでも、と思う所だが、今待合室にいる彼はそう言うつもりで此処に来た訳ではないだろう。
もしもジョシュアが公人として此処に来るなら、事前に社長であるシドにアポイントメントを取る筈だ。
それがなかったと言うことは、今日此処にいる彼は、一介の私人である。
しかし、それでもシドがあの空間に入れば、ジョシュアは“ロズフィールド家代表”としての顔を作るだろう。
彼の背負う立場がそう言うものであることを、シドは理解していた。

今日のジョシュアは、ただ兄の顔を見に来たのだろう。
時間は正午を過ぎていて、業務も昼休憩を迎えた所だから、この時間なら兄や幼馴染の邪魔にならないだろうと計算して来たのだ。
それなら、今日はこのまま上がってしまおう、とシドはエレベーターのボタンを押した。



シドが仕事を終えて家に帰ると、一足先に帰宅したクライヴが夕食を作っていた。
二人揃って食事を摂り、シドが片付けを引き受けた間に、クライヴが風呂に入る。
それからシドも湯を貰った。

のんびりと少しばかりの長湯をして、ビールの一杯でも飲んでから寝室に行こうとダイニングに入ると、テレビの前のソファにクライヴが座っている。
その手には携帯が握られ、どうやら弟と話をしているらしかった。


「ああ、俺の方は大丈夫だ。ジルも問題ない。……それなら、21日にしよう。お前もその方がゆっくり時間が取れるんじゃないか?」


何やら、兄弟幼馴染の三人で、予定を擦り合わせているようだ。

クライヴは実の母とは折り合いが悪いが、他の家族───弟ジョシュアや父とは良好な間柄だ。
実家を出て以来、疎遠になってしまった兄弟だが、再会の機会に恵まれて以来、折々に二人で出掛ける時間を作っている。
其処へジルも誘い、積もる話を重ねたり、仕事について相談したりと、良い過ごし方が出来ているらしい。

クライヴは「じゃあまたな」と小さな笑みを浮かべて言った。
携帯電話の通話を切ると、メッセージアプリを開いて、誰かにメールを送っている。
恐らく、一緒に出掛ける予定のジルに、決まったスケジュールについて連絡を送っているのだろう。

シドはビールを片手にソファに座った。
風呂で温まった身体に、よく冷えたビールを流し込む。

クライヴはしばらく携帯電話を触り続けた後に、満足げな表情でその画面を閉じた。
喜びを隠せない様子の横顔に、相変わらず弟に関しては分かりやすい、とシドは思う。


「家族サービスか?」
「ジルとジョシュアと食事に行く。21日の昼に決めた」
「了解。のんびりやって来い」


カレンダーを見ると、二週間後になっている。
恐らく、その日が最もジョシュアの時間が取れる日だったのだろう。
世界に名だたる大企業を幾つも抱える、ロズフィールド家筆頭と言う立場を持つジョシュアは、中々プライベートな時間を確保するのも難しい。
それでも、長い音信不通の末にようやく再会できた兄と会うことは、吝かではないようだ。
元々、兄弟仲も良いものだと言うから、離れていた時間を取り戻す感覚なのかも知れない、とはジルの言葉である。

家族と過ごす時間が取れたからだろう、クライヴは上機嫌だった。
ビールを傾けているシドを見て、俺も貰おう、と言って席を立つ。
キッチンに行き、戻ってきた彼の手には、ビールと作り置きの摘まみがあった。


「あんたも食べるか」
「貰おう」


寝る前のささやかな晩酌は、テレビを眺めながらのんびりとしている。
シドはそれを見るふりをしながら、ちらと隣を覗いてみた。

ビールを飲むクライヴの口元は、すっかり緩んでいる。
余程に気に入らないことでもなければ、基本的に温厚な質であはるが、顔の筋肉はそれ程動く方ではない。
鉄面皮とまでは行かないが、長らく真っ黒な環境で過ごしていた名残が抜け切らないのか、ともすれば仕事中は顰め面に受け取られることは儘あった。
ただ目元によくよく感情が映るので、機嫌の良い時と言うのは分かりやすい。
特に家族にまつわるものは、その理由が良かれ悪しかれ、明け透けにその時の感情が見えるものだった。

其処までクライヴが感情を露わにする相手と言うのは、限られている。
そして、クライヴが穏やかに和やかに話が出来る相手と言うのは、彼が家族と想っているジョシュアやジル以外にはまずいない。


(この顔は、俺には向けるものじゃないからな)


シドのこの分析は正確だ。
クライヴ自身に人との接し方に分け隔てを作っている意識はないだろうが、それでも彼にとって家族は特別である。
それは、シドが娘のミドを大切に想っていることと違いはない。

そもそもがシドとクライヴは、数年前に逢ったばかりの間柄だ。
どうにも放っておけずに、あれこれと面倒を見る内に、一日の殆どを共に過ごす、パートナーと呼べる関係になったが、付き合いの時間はまだまだ浅い。
クライヴは実家を出て以来、家族とは長らく疎遠になっていたが、彼自身はずっと家族のことを愛していた。
そしてジョシュアやジルも、クライヴのことを昔と変わらず愛している。
共に過ごして培ってきた時間や、心の繋がりの長さ深さと言うものは、シドは勿論、他者と比べるべくもない。
元々彼らは特別な間柄なのだから、シドが割って入れるものではないのだ。

───そう分かっている癖に、どうにも口の中が苦くなって、シドは誤魔化すようにチップスを噛む。
塩気が舌の上で目立つほど、喉の奥で中途半端に詰まるものがあるのが判った。


(どうやったって、こいつにとって一番特別なのは、あの二人だ)


理屈ではなく、当たり前にそうなのだろう、とシドも分かっている。
そしてシドも、どんなにクライヴと一緒に過ごし、彼が特別な存在になるとしても、最も大事で守りたい存在が、一人娘であることにも変わらない。
それを差し置いて、クライヴがこと大事にしている者たちがいる事に対して、羨望するなど図々しい。

今夜は、らしくもない方向に思考がよく転がるようだ。
あまり飲み続けると悪酔いするかも知れないな、と思いつつも、開けたビールを中途半端に捨てるのも少々勿体なかった。


「……クライヴ。飲むか?」
「急だな。もういらないのか」
「そんな気分らしい」


飲みかけになるがと差し出したビールを、クライヴは受け取った。
クライヴが自分で持ち出してきたビールは、既に空になっている。
追加になったシドのビールもまた、クライヴはそれ程時間を置かずに飲み干した。

空になった缶ビールと摘まみを持って、クライヴは片付ける為に腰を上げる。
キッチンシンクから水が流れる音が聞こえるのを、シドはソファに座ったまま聞いていた。

しばらくして、片付けを終えたクライヴがダイニングに戻ってくると、動いた様子のないシドを見て首を傾げる。


「シド、大丈夫なのか。寝るならちゃんとベッドに行った方が良い」
「ああ。ちょっとな、考え事をしてただけだ」


クライヴの声に、確かにこのまま過ごすのは良くない、とシドは体を起こす。
アルコールも入った事だし、酔う程の所まで言っていなくても、ぼうっとしていると寝落ちてしまいそうだった。

クライヴは心なしか心配そうな顔で、じっとシドを見詰めている。
シドはそれを見付けて、そんな顔をさせる程に見えるか、と苦笑した。


「問題ない。寝れば忘れるような考え事だ」
「……」
「信用ないか?」
「……ないな。あんたはそうやって、大概、肝心なことを誰にも相談しないと、オットーが言っていた」
「手厳しいな。まあ、あいつには色々押し付けてるからなぁ」


無茶振りもしてるしな、と自覚していることを呟けば、クライヴはなんとも言えない顔で溜息を吐く。
その溜息は、付き合いの長い旧友への同情か、考え事云々をはぐらかすシドの態度に対してか。
後者の方が大きそうだな、とシドは立ち尽くす青年の顔を見ながら思った。


「ちょっと酒が回っただけだよ」
「……なら、良いが」


言及した所で、シドが仔細を口にしない事を、クライヴも分かっている。
だからか、クライヴは納得の行かない、少し拗ねたようにも見える表情を浮かべている。

それはきっと、彼が家族に対して見せることのない顔だろう。
ジョシュアにしろ、ジルにしろ、ひょっとしたら実家にいる父母にしろ、クライヴにとっては自分を律する理由になる。
それは自分を育ててくれた父母の期待に応える為であったり、敬愛の念を向けてくれる弟や、慈愛を寄せてくれる幼馴染に対する、クライヴ自身の矜持なのだ。
幼い我儘は早い内に卒業し、模範的な兄になるべく、研鑽して来た積み重ね。
元々が責任感の強い性格をしているから、彼らが思う自分自身であれるようにと、幼い頃から繰り返し身に沁みついた意識に違いない。

家族以外が相手でも、クライヴの拗ねた顔や、弱った表情を晒す相手は少ない。
それは、自分の事で他人に迷惑をかけてはならないと思うからだ。
根本的に隠し事は上手くないクライヴだが、些細な体調不良や戸惑いは、大抵は相手に察させまいとする。


(……だが、俺には随分、分かりやすい)


少なくとも、シドから見たクライヴは、大体どんな時でも判りやすかった。
シドが他者への観察眼に慣れているのもあるが、クライヴはシドの前では、何処か子供っぽい様子を露骨に晒すのだ。
一番最初に、ブラック企業で歯車と化していた、二進も三進もならない所を拾ったからだろうか。
今更、シドに対して取り繕う意味もないのか、或いは家族や仲間とも違う枠にあるからか。
不満の滲む顔や、嫌味を交えた返し言葉なんてものも、向けに行くのはシドくらいのものだ。

そう思った途端に、口の中の苦いものが消えていく。
存外自分は現金だと自嘲しつつ、シドは訝しむ顔を浮かべているクライヴに手を伸ばし、


「クライヴ」
「何────」


呼んだ名前に、律儀に返事をしようとしたクライヴの唇を、シドの唇が掠める。
不意打ちに触れたそれは僅か一瞬のことで、クライヴは先ずその距離感にシドがいた事に驚いていた。
丸く見開かれた目が、存外と幼い顔立ちをしているクライヴの、不意打ちへの無防備さを物語る。

ぽかんと立ち尽くすクライヴの、ハトが豆鉄砲を食らった顔を見て、シドはくつくつと笑った。


(この顔は、あいつらには見せられるもんじゃないだろうな)


そう思うと、ほんの僅かに、優越感が浮かぶ。
そんな自分に、随分現金だなと思いつつ、「いきなり何をするんだ」と紅くなって怒るクライヴに、降参ポーズで宥めるのだった。




『シドクラで嫉妬するシド』のリクエストを頂きました。

うちのシドがクライヴ絡みで嫉妬するのって誰だろう、と考えてみた所、クライヴの根幹にいて絶対に切り離せないジョシュアかな、と思いました。
かと言って二人の関係性や絆を羨むのも筋違いであることは、シドも重々承知している訳でして。シドも自分にとって家族は大事なものですし。
その辺りを判っているけど、培ってきた時間の長さだとか、クライヴから向けられる無二で無心の愛情深さとか。
自分がどんなにクライヴと近しい関係になっても、同じ位置へは踏み込むことが出来ない場所にいる“クライヴの家族”に、大人気ないけどちょっと妬いた、と言う感じになりました。

でも考えてみたら、クライヴはシドに対してする顔(拗ねたりムキになったり、恋人として見せる顔だとか)を、彼らに向けることはないんだよなと思って、じゃあ良いか、と自己完結した模様です。

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